まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

7/20 梅雨明けの城端線・高山本線駅巡り

7/20~21の二日間、越中・飛彈の駅を巡りました

砺波駅南口

前夜21:50に梅田三番街を出た阪急観光バス107便がJR砺波駅南に到着したのは定刻より10分以上も早い4:58。日の長い季節なのでもう明るくなっています。城端線の砺波駅は砺波市の代表駅で、みどりの窓口も設置されています。明治30年5月4日に中越鉄道の「出町」として開業。当時の所在地は東礪波郡出町で、昭和27年4月1日の合併で東礪波郡砺波町となり、昭和29年4月1日に市制施行しました。駅名は昭和29年11月10日に改称。駅舎は平成10年2月5日に橋上化されています。

高儀駅

砺波5:51発城端行き321D(キハ47-1092+キハ47-25+キハ47-1013)で高儀へ。砺波平野らしい散居村をホームから望むことのできる駅で、廃止された下りホームの跡が残っています。駅舎は昭和62年12月25日改築。明治32年5月30日に中越鉄道の駅として新設。当時の所在地は東礪波郡野尻村で、駅構内を東野尻村との村境が通っていました。駅名は明治の町村制で野尻村が成立するまで存在した礪波郡高儀村に由来しますが、駅のあるところは礪波郡川除新村でした。野尻村が昭和16年4月1日に福野町編入されて南砺市となった一方、東野尻村は砺波市となったため、駅構内には今も市境が通っています。

野尻駅

高儀6:07発高岡行き320D(キハ47-66+キハ47-1134)で東野尻へ。地元の請願により昭和26年8月10日に開業した駅で、ホーム上には平成31年3月12日改築の待合室があります。開業時の所在地は東礪波郡東野尻村で、昭和29年1月15日に砺波町に編入されています。

東石黒駅

東野尻6:17発城端行き323D(キハ47-1064+キハ47-140+キハ47-42)で東石黒へ。東野尻と同日に開業した駅で、ホーム上の待合室は令和2年2月改築。開業時の所在地は西礪波郡東石黒村で、昭和29年7月20日に東礪波郡福野町と合併し、平成16年11月1日の合併で南砺市となっています。

高山本線

東石黒6:45発高岡行き324D(キハ47-1013+キハ47-25+キハ47-1092)と高岡7:34発普通泊行き427M(クモハ521-21)を乗り継いで富山へ。ここからは高山本線の駅を巡っていきます。

越中八尾

富山8:03発普通猪谷行き852D(キハ120-349+キハ120-351)で越中八尾へ。平成17年4月1日の合併で富山市となった旧:婦負郡八尾町(やつおまち)の玄関口で、特急「ひだ」も停車します。昭和2年9月1日、富山から伸びてきた飛越線の終点として開業。当時の所在地は婦負郡保内村で、八尾町とは井田川の対岸で少し離れていました。保内村は昭和28年12月1日の合併で八尾町となっています。開業時に建てられた駅舎は寄棟屋根に縦長窓というどっしりとした洋館風で、今は亡き参宮線山田上口駅を思い出させます。みどりの窓口で2枚目の青春18きっぷを購入しました。

婦中鵜坂

越中八尾9:38発普通富山行き857D(キハ120-351+キハ120-349)で婦中鵜坂へ。高山本線活性化社会実験の一環として平成20年12月1日に開業した駅で、当初は平成23年春まで3年間限定の臨時駅でした。地方の駅には珍しく利用者は増加傾向で、実験終了後も存続し、平成26年3月15日に常設駅となりました。駅名は平成17年4月1日の合併で富山市となった旧:婦負郡婦中町昭和17年6月1日の婦中町成立まで存在した婦負郡鵜坂村に由来します。

笹津駅

婦中鵜坂10:21発普通猪谷行き856D(キハ120-347+キハ120-318)で笹津へ。平成17年4月1日の合併で富山市となった旧:上新川郡大沢野町の駅で、かつては富山地鉄笹津線や神岡軌道も乗り入れていました。駅前は富山平野から神通川に沿って山間へ分け入っていく手前の街といった感じで、かつては神岡鉱山の貨物輸送の拠点として栄えたところでした。駅舎は平成17年10月29日完成で、それ以前は富山鉄道(笹津線の前身)が建てた木造駅舎でした。

西富山駅

笹津11:21発普通富山行き861D(キハ120-318+キハ120-347)で西富山へ。神通川で隔てられた富山市西郊の住宅地にある駅で、背後に呉羽山断層帯が連なっています。富山大学五福キャンパスや富山工業高校富山商業高校にも近いことから学生の利用が多いです。駅舎は昭和2年9月1日開業時のもの。

千里駅

西富山12:28発普通越中八尾行き858D(キハ120-347+キハ120-318)で千里(ちさと)へ。西富山よりも少し小ぶりな木造駅舎の残る駅で、こちらは待合室が仕切られています。昭和2年9月1日開業時の所在地は婦負郡千里村で、昭和17年6月20日婦負郡富川村と合併で婦負郡神保村となり、昭和34年1月1日に婦中町編入されました。

速星駅

千里13:16発普通富山行き863D(キハ120-318+キハ120-347)で速星へ。平成17年4月1日の合併で富山市となった旧:婦負郡婦中町の玄関口で、特急「ひだ」の一部が停車し、みどりの窓口も設置されています。駅舎は昭和2年9月1日開業時のものですが、前面が隠されているのが残念。駅裏には日産化学富山工場があり、高山本線の駅では唯一貨物取扱が残っています。

楡原駅

速星14:26発普通猪谷行き860D(キハ120-349+キハ120-351)で楡原(にれはら)へ。平成17年4月1日の合併で富山市となった旧:婦負郡細入村の役場最寄り駅で、昭和5年11月27日に開業しました。高いところにあるホームとは屋根付き階段で結ばれていますが、この階段は30段で高低差21m。土合駅筒石駅などのトンネル駅ができる以前の昭和30年代は国鉄の駅で一番の高低差でした。駅舎は平成元年3月18日改築。待合室には全国各地の行方不明者に関する貼り紙が貼られていました。

旧:婦負郡細入村役場

駅前には旧:婦負郡細入村役場などの公共施設が集まっています。昭和47年に建てられた旧役場は合併以降、細入中核型地区センターとして使われてきましたが、令和5年3月27日に旧細入総合福祉センターに移転して役目を終えました。

八尾駅

楡原15:28発普通富山行き867D(キハ120-351+キハ120-349)で東八尾へ。地元の請願により昭和31年6月1日に開業した駅で、ホーム上には令和3年3月改築の待合室があります。待合室は城端線の東野尻、東石黒と同型。閉め切れないので内部は蜘蛛の巣だらけでした。

猪谷駅

東八尾16:35発普通猪谷行き864D(キハ120-347+キハ120-318)で猪谷へ。富山県最南端かつJR西日本JR東海の境界駅で、特急を除き当駅で系統が分断されます。平成18年12月1日まで神岡鉄道が分岐していました。昭和5年11月27日に飛越線の終点として開業。駅名は明治の町村制で細入村が成立するまで存在した婦負郡猪谷村に由来します。猪谷は越中と飛彈の国境として江戸時代には富山藩の関所が設けられたところでした。

飛彈細江駅

猪谷17:17発普通美濃太田行き1832D(キハ25-103+キハ25-3)で飛彈細江へ。宮川が古川国府盆地に別れを告げて山間へと分け入っていく手前にある駅で、猪谷方面から乗ってくると周辺が一気に開けた印象を受けます。木造駅舎は赤トタン屋根で、黒瓦屋根だった富山県内の駅と比べると別の地方に来た感があります。昭和9年10月25日開業時の所在地は吉城郡細江村で、昭和31年4月1日の合併で古川町となりました。駅名に「飛彈」が冠されているのは静岡鉄道駿遠線の細江駅と区別するためでしょう。

杉原駅

飛彈細江18:23発普通猪谷行き1834D(キハ25-6+キハ25-106)で杉原へ。岐阜県最北端かつJR東海管轄最北端の駅で、傾斜地に建てられている故に駅前と駅舎とホームに高低差があります。昭和7年8月20日に飛越線の終点として開業。当時の所在地は吉城郡坂下村で、昭和31年9月30日の合併で宮川村となりました。駅周辺は明治8年の坂下村成立まで吉城郡杉原村でした。この日は駅近くの民宿ほらに宿泊。翌日は飛彈地方の駅を巡っていきます。