3/29 桜咲く木次線・山陰本線駅巡り(日登・下久野・加茂中・出雲大東・幡屋・出雲八代・出雲三成・江津)
この日も引き続き木次線の駅を中心に巡りました
出雲横田を5:30発松江行き5440D(キハ120-207)で出発し、日登で下車。開業時以来の木造駅舎が残る駅で、平成30年5月に駅舎の改装が行われています。昔の雰囲気をよく残しているものの、改修で駅名が目立たなくなってしまったのは残念です。昭和7年12月17日開業時の所在地は大原郡日登村で、昭和30年3月3日の合併で雲南木次町となりました。
日登6:51発備後落合行き1441D(キハ120-203+キハ120-208)で下久野へ。地元住民のグループ「花ももステーション」によって管理される駅で、駅舎とホームに挟まれた線路跡地が駅ナカ農園になっています。駅舎は開業時のもので、昔ながらの駅の姿を色濃く残しています。
ホームの向かいではしだれ桜が満開でした。建物自体は日登駅の方が綺麗ですが、個人的には下久野駅の方が写真を撮りたくなる構図も多くて魅力的だと感じます。
下久野7:39発木次行き1446D(キハ120-5)で加茂中へ。平成16年11月1日の合併で雲南市となった旧:大原郡加茂町の玄関口で、簡易委託の窓口が設置されています。黒瓦の駅舎は昭和15年4月23日改築。大正5年10月11日に簸上鉄道の駅として開業。当時の所在地は大原郡加茂村で、昭和9年5月1日の合併で加茂町となりました。
加茂中9:24発木次行き1445D(キハ120-5)で出雲大東へ。平成16年11月1日の合併で雲南市となった旧:大原郡大東町の玄関口ですが、町の中心からは少し離れています。平成19年9月28日改築の駅舎は簡易郵便局や物産展との合築で、簡易委託の窓口が設置されています。改築前の旧駅舎は加茂中と同型でした。市の代表駅である木次駅を凌いで木次線内では最も利用の多い駅です。大正5年10月11日に簸上鉄道の「大東町」として開業。当時の所在地は大東町に隣接する大原郡春殖村で、昭和26年4月1日の合併で大東町となりました。駅名は国有化の昭和9年8月1日に改称されています。
出雲大東10:25発宍道行き1448D(キハ120-208)で幡屋(はたや)へ。赤川流域の田園地帯が目の前に開けたのどかな駅で、平成6年に駅舎が解体されましたが、その後も平成27年3月まで簡易委託の窓口が待合所に併設されて営業していました。大正7年2月11日に簸上鉄道の停留場として開業。大正10年3月29日に正式な駅となりました。昭和29年には合理化のため廃止が取りざたされましたが、地元の反対運動により存続が決まりました。開業時の所在地は大原郡幡屋村で、昭和26年4月1日の合併で大東町となっています。
幡屋11:30発備後落合行き1449D(キハ120-1+キハ120-207)で出雲八代(いずもやしろ)へ。綺麗に維持された木造駅舎のある駅で、ホームは映画『砂の器』に亀嵩駅として登場しました。昭和7年12月18日開業時の所在地は仁多郡布勢村(ふせむら)で、駅名は明治の町村制で布勢村となるまで存在した仁多郡八代村に由来します。ただし、駅があるのは八代の隣の馬馳(まばせ)です。布勢村は昭和30年4月15日の合併で仁多町となりました。
歩いて出雲三成へ。道中、斐伊川沿いに開けた三成(みなり)の街を掠めました。
出雲三成は平成17年3月31日の合併で奥出雲町となった旧:仁多郡仁多町の玄関口。平成13年4月改築の駅舎は物産館との合築で、簡易委託の窓口もあります。かつてはコンビニのポプラも入居していましたが、撤退して観光協会に替わっています。昭和7年12月18日に木次線の終点として開業。当時の所在地は仁多郡三成村で、昭和16年7月1日に町制施行して三成町となり、昭和30年4月15日の合併で仁多町となりました。
ちょうど昼時なので出雲三成駅の物産館で焼きそばを買い、13:40発木次行き1456D(キハ120-207)で木次へ。この日、木次では斐伊川堤防桜並木が見頃を迎えていました。せっかくなので列車の待ち時間で見ていくことにします。
対向列車待ち合わせのため5分遅れの木次14:39発宍道行き1458D(キハ120-206+キハ120-2)と宍道15:19発普通出雲市行き143D(キハ47-167+キハ47-1054)を乗り継いで直江を再訪。昭和17年10月に建てられた木造駅舎は相変わらず健在ですが、近い将来解体される予定です。明治43年10月10日開業時の所在地は簸川郡直江村で、昭和30年4月15日の合併で簸川郡斐川町となり、平成23年10月1日に出雲市に編入されました。
直江15:53発普通益田行き145D(キハ126-1)に乗車し、15分の停車時間で未訪問のまま残っていた江津駅を撮影。江津市の代表駅で、平成30年3月末までは三江線が分岐していました。駅舎は昭和32年7月改築で、国鉄主要駅らしい佇まい。江津には見たい建物がいくつもあるのでまたゆっくりと来なければなりません。
引き続き145Dに乗り、浜田での11分停車で夕食を調達。終点の益田で降りてホテルダイエーに泊まりました。益田は交通の要衝だけあって泊まるのは今回が5回目と、来る機会の多い町ですが、その割に見れていないものもまた多い町です。