まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

2/13 大船渡線駅めぐり+上米内

この日は大船渡線の未訪問駅と山田線で一駅だけ未訪問だった上米内駅を巡りました。

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陸中松川

一ノ関を5:59発普通気仙沼行き321D(キハ100-31+キハ100-42)で出発し、4駅目の陸中松川で下車。昭和33年の合併で東山町(平成17年の合併で一関市)となった旧・東磐井郡松川村の駅で、宮沢賢治が晩年に技師として勤務していた旧・東北砕石工場(石と賢治のミュージアムとして保存)が駅前にあります。駅裏には現役のセメント工場、砂鉄川の対岸には現役の石灰鉱山があり、かつてはこの駅からセメントが列車で輸送されていたのでしょう。駅舎は平成22年10月改築で、「賢治童話の世界」と「砕石工場」がコンセプトになっています。

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陸中門崎

陸中松川6:59発普通一ノ関行き324D(キハ100-37+キハ100-43+キハ100-45)で陸中門崎(りくちゅうかんざき)へ。平成17年の合併で一関市となった旧・東磐井郡川崎村の玄関口ですが、川崎村の中心から離れた田園地帯の中にあります。川崎村は昭和31年に薄衣村と門崎村が合併して誕生した村で、砂鉄川、千厩川が北上川に流れ込む地点にあり、村名は前九年の役安倍氏が設置した「河崎柵」に由来します。駅舎は平成22年3月改築で、県天然記念物の樹齢600年「薄衣の笠松」をモチーフとしたデザイン。

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ワム188206

貨物線跡には有蓋貨車ワム80000形のワム188206とワム188448が置かれています。レールの上に置かれていますが、足回りは無いようです。駅前の工場が物置として使っているのでしょうか。

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岩ノ下駅

陸中門崎7:35発普通気仙沼行き323D(キハ100-44+キハ100-39)で岩ノ下へ。昭和41年12月1日に請願駅として開業したホームだけの無人駅です。開業時期ゆえにホーム上の待合室は公団建設線で見かけるようなコンクリート造。砂鉄川西岸の集落にあり、旧松川村の中心へは陸中松川よりこの駅の方が近いです。

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真滝駅

岩ノ下7:54発普通一ノ関行き326D(キハ100-40+キハ100-35)で真滝へ。昭和23年の一関市成立まで存在した旧・西磐井郡真滝村の駅で、平成10年1月改築の駅舎は釜石線などでも見かけるタイプの簡易駅舎。「真滝」は柴と沢の合成地名で、駅は滝沢地区にあります。対向ホームの待合室にいる時にちょうど駅前を千厩方面行きのキュービックが走って行き、撮り損ねたので駅前のバス時刻表をしっかり確かめておけばよかったと後悔しました。

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柴宿駅

真滝9:16発普通気仙沼行き325D(キハ100-35+キハ100-40)で柴宿へ。昭和30年の東山村成立まで存在した旧・東磐井郡長坂村の駅ですが、東山村が松川村編入を経て東山町となった後の昭和37年5月15日開業です。県道19号を挟んだ駅前には産直センターと閉店したパチンコ屋、線路の反対側には団地があるため切り取る角度によっては街中の駅のようにも見えます。

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猊鼻渓

柴宿9:59発普通一ノ関行き328D(キハ100-39+キハ100-44)で猊鼻渓へ。平成17年の合併で一関市となった旧・東磐井郡東山町の中心近くにある駅で、名勝・猊鼻渓の最寄り駅です。昭和61年11月1日、国鉄最後のダイヤ改正で開業しました。ホームは町を見下ろす高台にあり、駅前とは屋根付き階段で結ばれています。

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猊鼻渓

駅から5分ほど歩くと猊鼻渓舟下りのりばに着きます。ホテルやレストハウスが集まるこじんまりとした観光地と言った雰囲気です。肝心の猊鼻渓は船に乗っていかないと辿り着けないので今回は砂鉄川と周辺だけ見て引き返しました。

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気仙沼駅

猊鼻渓10:50発普通気仙沼行き327D(キハ100-43+キハ100-37)で気仙沼へ。今となっては大船渡線の実質的な終着駅ですが、かつては路線名の通り大船渡市の盛まで線路が伸びていました。平成23年3月11日の東日本大震災では沿岸部を走っていた気仙沼~盛間が被災し、鉄道での復旧は断念してBRTでの復旧となりました。気仙沼駅には気仙沼線も乗り入れていますが、こちらもBRTです。駅舎は昭和4年7月開業時に建てられた古いものですが、正面部分がゲートで隠されてしまっているのが惜しいです。

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気仙沼市

折り返し列車までの時間で気仙沼市街を散策。駅周辺は地形のおかげで津波の被害を免れたようで古い建物が多く残っています。写真は平野本店の旧店舗兼社屋。大正10年に建てられた、東浜街道気仙沼街道の合流地点に建つランドマーク的存在で、国登録有形文化財。前を行くのは一関行き急行バスです。折り返し時間は気仙沼市街を見るには短すぎ、駅から平野本店まで違う経路で往復して戻ってきた時には列車の発車時刻ギリギリでした。

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摺沢駅

気仙沼12:22発普通一ノ関行き332D(キハ100-37+キハ100-43)で摺沢へ。平成17年の合併で一関市となった旧・東磐井郡大東町の玄関口で、昭和30年の大東町成立前は摺沢町でした。大船渡線は当初の計画では摺沢を経由せずに門崎から千厩へ真っすぐ抜ける予定でしたが、原敬率いる立憲政友会から摺沢出身の佐藤良平が大正9年衆議院選挙で当選すると摺沢から大船渡へ抜けるルートに変更されました。これによって計画ルートから外れた千厩では立憲政友会と対立する加藤高明の憲政会を頼って鉄道の誘致を行い、大正13年衆議院選挙で憲政会が圧勝すると摺沢から千厩に抜ける現在のルートに再変更され、大正14年7月には摺沢まで、昭和2年7月には千厩まで開通しました。いわゆる「我田引鉄」の有名な例で、駅前には摺沢に大船渡線を誘致した佐藤親子の胸像があるそうですが、その存在を知らなかったために見逃してしまいました。平成12年4月改築の駅舎はコミュニティセンターや市の出張所との合築で窓口もありますが、3月11日限りで営業を終了して無人化される予定です。

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千厩駅

摺沢13:29発普通気仙沼行き331D(キハ100-44+キハ100-39)で千厩へ。平成17年の合併で一関市となった旧・東磐井郡千厩町の駅で、線内の途中駅では唯一みどりの窓口が設置されています。昭和45年9月改築の駅舎は鉄筋コンクリート造平屋建ての立派なもので、妻面の出入り口に面して駅前広場があります。駅は千厩市街の外れにありますが、それでも建物は多く、千厩の街の大きさが窺われます。「千厩」の地名は奥州藤原氏がこの地の約1000棟の厩(馬小屋)を設けたことに由来すると言われています。「我田引鉄」の結果、大船渡線は一ノ関~千厩では約18㎞も迂回する形になっていますが、国道284号線はほぼ最短距離で結んでおり、そちらを走るバスの方が列車よりも定刻では3分だけ早く着くようです。

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一ノ関駅

千厩14:50発普通一ノ関行き334D(キハ100-39+キハ100-44)で一ノ関へ。岩手県南部の中心都市で、一関伊達氏・田村氏一関藩の城下町として栄えた一関市の代表駅です。昭和45年2月改築の駅舎は鉄筋コンクリート造2階建て。屋根上に掲げられた駅名と大きな観光PRの文字が昔ながらの主要駅と言った感じです。このような駅舎は橋上化や高架化で全国的に数を減らしつつありますが、末永く残ってほしいものです。

駅前でバスを撮影し、17:20発普通盛岡行き1547M(クモハ701-1036)で盛岡へ。

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上米内駅

夕食を済ませてから盛岡20:11発普通宮古行き649D(キハ110-134+キハ110-138)で上米内へ。昭和3年盛岡市編入された旧・岩手郡米内村の駅で、大正12年10月開業時に建てられた木造駅舎が現役です。山田線では近年、木造駅舎の改築が進んでいますが、当駅は令和2年4月にクラウドファンディングでリニューアルされており、内部には漆工房と待合カフェが併設されました。貴重な木造駅舎として今後も残ってくれるでしょうが、折り返し列車はすぐに折り返し、列車の本数も少ないので、じっくり見ようと思うなら車で来るしかないのが痛いところです。乗ってきた列車と交換する20:28発普通盛岡行き646D(キハ110-122)で盛岡へと戻りました。

盛岡駅西口23:55発桜交通キラキラ号KR702便と新宿8:10発山手線外回り(サハE235-4634)を乗り継いで帰宅しました。