まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

2/23 如月の芸備線駅巡り

広島ワイドパス駅巡り最終日は芸備線

向原駅

広島5:43発普通三次行き(キハ120-333+キハ120-322)で出発し、まずは向原で下車。平成16年3月の合併で安芸高田市となった旧:高田郡向原町の駅で、令和3年5月末まではみどりの窓口がありました。昭和61年3月改築の駅舎は安芸高田市地場産業振興センターなどとの合築で、改札口は2階にあります。建物自体は大きいですが、駅スペースはそれほど広くありません。

三田駅

向原7:13発普通広島行き1815D(キハ47-1507+キハ47-152+キハ47-1100+キハ47-148)で中三田へ。島式1面2線の交換可能駅で、昭和59年1月改築の簡易駅舎があります。大正4年4月開業時の所在地は高田郡三田村で、昭和31年9月の合併で高田郡白木町となり、昭和48年10月に広島市編入されました。周囲はとても政令市の市内とは思えない長閑なところです。

三田駅

中三田7:53発普通三次行き1806D(キハ47-93+キハ47-3502)で上三田へ。集落を見下ろす築堤上にホームがある駅で、ホームより低いところに小ぶりな木造駅舎があります。昭和5年1月に芸備鉄道の「三田吉永」として開業、昭和17年7月国有化時に「上三田」に改称されましたが、戦中の燃料統制でガソリンカーが使えなくなると昭和16年8月に廃止されました。戦後の昭和23年8月に150mほど移転して復活、駅舎はこの時建てられたものです。

白木山駅

上三田8:23発普通広島行き1819D(キハ40-2075+キハ47-1101+キハ47-2019)で白木山へ。上三田と同日に開業して同様の理由で廃止となった駅で、こちらは昭和38年12月に復活しました。上三田と違って駅舎はありません。ハイキング客で賑わう標高889mの白木山への登山口の駅で、国有化までは「白木山口」を名乗っていました。

上川立駅

白木山8:42発普通三次行き1808D(キハ47-16+キハ47-3006)で上川立(かみかわたち)へ。昭和31年9月に三次市編入された旧:双三郡川地村の駅で、島式ホームの片面を使用している棒線駅です。昭和58年改築の駅舎は農協・川立簡易郵便局・生活品センターとの合築で、合築駅舎としては最初期のものにあたります。かつては生活品センターで切符を売る簡易委託駅でした。川地村は「川立」「志和地」の合成地名で、上川立村・下川立村・上志和地村・下志和地村が合併して明治の町村制で誕生しました。開業時の駅名は「川立」で、国有化時に改称されています。

吉田口駅

上川立9:45発普通広島行き1831D(キハ47-3502+キハ47-93)で吉田口へ。高田郡、そして合併後の安芸高田市の中心である吉田町への玄関口で、一時期は安芸高田市の代表駅でした。当駅で分岐して吉田に至る鉄道が計画されたこともありましたが、結局実現していません。大正4年4月開業時の所在地は高田郡小田村で、昭和31年4月に甲立町と合併して甲田町となりました。甲田町は「甲立」「小田」の合成地名です。平成4年11月改築の駅舎は集会所・お好み焼き屋の入る「プラットハウス」との合築で、待合室がそのままお好み焼き屋の店内と言った雰囲気です。

旧:吉田口郵便局と小田郵便局

駅近くの小田郵便局隣には吉田口郵便局の旧局舎が残っています。現在の郵便局はかつての村名を引き継いだものですが、旧局舎時代の局名は駅名と同じだったようで、当時の看板と思しきものも残されています。

西三次

吉田口10:15発普通三次行き1814D(キハ40-2079+キハ40-2002)で西三次へ。三次市街の外れにある小さな駅で、今では快速すら止まりませんが、大正4年6月開業時はここが「三次」駅でした。当時の所在地は双三郡原村で、本来の三次町は馬洗川の対岸にあたります。原村は大正6年5月の町制施行時に改称して双三郡十日市町となり、昭和5年1月には備後十日市駅(現:三次駅)が開業。備後十日市駅の方が便利なところにあったことから三次町の玄関口としての機能はそちらへと移っていきました。昭和29年3月に三次町十日市町と周辺の村が合併して三次市が成立。同年11月に当駅は「西三次」に改称して三次市の玄関口としての座を備後十日市駅に譲りました。

西三次駅 旧駅舎(R3-2-5)

三次駅としての開業時に建てられた駅舎はその後も長年に渡って使用され、令和3年2月に解体されました。旧駅舎の跡地には何も建てられることなく、ただ更地が広がるのみです。さらにホーム上屋や待合所もないため、現状の西三次駅は雨を凌ぐことすらままならない駅となってしまっています。古い駅舎を解体するのは仕方ないにしても、簡素な上屋を代わりに建てるくらいした方がいいのではないかと思いますが。幸いにして天気は良かったので、遮るもののないホームで列車を待っていると、やってきた少年二人から「切符はどこで買えますか」と聞かれました。利用客が少ないため、西三次駅には券売機もありません。

志和口駅

西三次11:30発普通広島行き1841D(キハ40-2002+キハ40-2079)で志和口へ。昭和48年10月に広島市編入された旧:高田郡白木町の玄関口で、令和3年5月末までみどりの窓口がありました。昭和55年3月改築の駅舎は周辺駅よりも大きく、主要駅らしい佇まいです。開業時の所在地は高田郡市川村で、秋越村との境界に位置していました。市川村は駅をより北に設置して駅名を「市川」とするよう求めていましたが、地形の制約で叶わず、市川駅総武線に既にあったことから、秋越村と協議して駅名を「志和口」としました。駅名は賀茂郡志和町(現在は東広島市、当時は志和堀村・西志和村・東志和村)への玄関口であることに因みます。市川村(大寺地区は井原村に編入)は昭和24年10月に秋越村と対等合併して高南村となり、昭和31年9月の合併で白木町となりました。

甲立駅

志和口12:51発普通三次行き1830D(キハ47-39+キハ47-1059)で甲立(こうたち)へ。平成16年3月の合併で安芸高田市となった旧:高田郡甲田町の玄関口で、平成8年6月改築の駅舎は「インフォメーションセンター甲迎館」との合築です。1階に窓口と待合室があり、訪問時は2階で芸備線写真展を開催していました。開業時の所在地は高田郡小田村で、駅名は可愛川対岸の甲立村に由来します。甲立村は大正15年1月に町制施行して甲立町となり、昭和31年4月に小田村と合併して甲田町となりました。

志和地

昼食を食べるために列車を予定より一本遅くし、甲立15:07発普通三次行き1838D(キハ47-148+キハ47-1100)で志和地へ。大正4年4月、芸備鉄道の終点として開業した駅で、わずか1か月後の三次(現:西三次)延伸で途中駅となりました。国有化後の昭和18年5月に改築された木造駅舎は急傾斜の屋根が特徴。豪雪地帯でもないのになぜこんな屋根になったのでしょうか。観光客が来そうにない小さな駅なのに顔出しパネルが置かれているのもまた不思議です。

深川駅

志和地15:42発普通広島行き1861D(キハ47-1062+キハ47-22)で上深川へ。広島市郊外の山間にある駅で、駅からは見えませんが、近くにニュータウンもあります。昭和4年3月開業時の所在地は安佐郡狩小川村。「狩留家」「小河原」「上深川」から一字ずつ取った合成地名で、昭和30年3月の合併で安佐郡高陽町となりました。高陽町は昭和48年3月に広島市編入されています。駅の方は昭和16年8月に営業を休止しましたが、他駅と違って廃止されることなく昭和23年8月に復活しています。待合室は昭和53年3月にかいちくされたものですが、建物財産標にはなぜか昭和23年3月と標記されていました。

井原市

上深川16:56発普通三次行き1852D(キハ47-93+キハ47-3502)で井原市へ。広島市最北端かつ最東端の駅で、平成31年2月に銀の箱のような簡易駅舎に改築されています。大正4年4月開業時の所在地は高田郡井原村。昭和31年9月の合併で白木町となり、昭和48年3月に広島市編入されました。

井原市駅 旧駅舎(H30-12-30)

前回訪問は4年2カ月前。開業時以来の旧駅舎が解体されると聞いての訪問でした。当時、芸備線は台風の影響で長期に渡って運休しており、代行バスでの訪問となりました。駅周辺の雰囲気は当時とあまり変わりませんが、新駅舎が後退して建てられたことで駅前が広くなったという印象を受けました。建て替え理由としては老朽化だけでなく、送り迎え等で駅前に車が入りやすくするというのもあったのかもしれません。

日も暮れてきたので、この日の駅めぐりは井原市で終了。18:08発普通広島行き1873D(キハ47-1100+キハ47-148)で広島へ。夜行バスまで時間があるので時間潰しも兼ねて広島19:20発普通岩国行き337M(モハ226-35)で岩国へ。ラーメンを食べてから岩国21:08発普通糸崎行き350M(クモハ226-70)で瀬野へ。瀬野22:33発普通広島行き349M(クモハ226-80)で広島に戻り、23:30発さくら高速バスAT32便で神戸へと帰りました。