まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

6/21 梅雨の指宿枕崎線・鹿児島本線・日豊本線・肥薩線駅巡り

南九州駅巡り三日目は指宿からスタート

山川駅

指宿5:57発普通山川行き1321D(キハ200-559)に乗り、まずは隣の山川へ。JR最南端の有人駅を名乗っていますが、平日朝夕のみ営業する簡易委託駅なので、有人時間帯は長くありません。平成18年1月1日の合併で指宿市となった旧:揖宿郡山川町の玄関口ですが、町の中心からは山川湾を隔てて大きく離れています。鹿児島中央方面からの列車の多くが折り返し、当駅から先は本数がぐっと減ります。

頴娃駅

山川6:11発枕崎行き5321D(キハ140-2061)で頴娃(えい)へ。のどかな田園地帯の中にある駅で、上屋とベンチは撤去されています。雨の日に降りたくないタイプの駅ですが、この日はあいにくの雨。通学時間帯ということで他の利用者の姿も見かけましたが、数十人とは言え利用者がいる駅の上屋を撤去してしまうのはいかがなものでしょうか。

大山駅

頴娃6:49発鹿児島中央行き1326D(キハ47-8124+キハ47-9078)で大山へ。阿多カルデラの噴火によってつくりだされた台地の上にある駅で、ホームは島式化が可能な造りの片面ホームです。駅名は明治22年町村制で山川村が成立するまで存在した揖宿郡大山村に由来します。駅名標にデザインされているのは池田湖のウナギ。

入野駅

大山7:44発西頴娃行き5323D(キハ40-8056)で入野へ。開聞岳の北に位置する駅で、近くには変わった形状の矢筈山も見られます。この駅も上屋とベンチは撤去済み。ホーム上には地元の方が手入れしているのであろう花壇がありました。

開聞駅

入野8:23発指宿行き5322D(キハ140-2061)で開門へ。平成18年1月1日の合併で指宿市となった旧:揖宿郡開聞町の玄関口で、開業時は駅舎や交換設備もある有人駅でしたが、わずか3年ほどで無人化されています。駅舎はその後、改装されて観光案内所と喫茶店が入居したもの、平成14年3月に解体。広い駅前がかつての広い構内の名残です。

開聞町農協

隣の東開聞駅まではわずか1.8㎞。歩いて向かいます。その道中、開聞町の表記が残った農協の建物を見つけました。

東開聞への道

農協を過ぎてからは田んぼの中の農道を歩いて行きます。雨の日ということもあって歩くたびに小さなツチガエルが跳んで逃げていき、踏んでしまわないか気を付けながら足早に歩きました。

東開聞駅

歩くこと27分で東開門へ。田んぼを見下ろす一段高いところにある駅で、人家は離れていて非常に長閑な雰囲気です。開聞駅同様、近すぎるがゆえに開聞岳は見えません。ここまでの道同様に駅も蛙だらけで、列車が入って来る時に線路でも蛙が飛び跳ねるのが見えましたが、轢かれていないか心配になります。

薩摩今和泉駅

東開門9:05発指宿行き5324D(キハ40-8056)と指宿9:32発快速なのはな鹿児島中央行き3332D(キハ200-1659)で薩摩今和泉へ。天璋院篤姫)の実家である今和泉島津家が拠点を置いた地にある駅で、快速「なのはな」も停車します。駅舎は昭和27年3月改築で、昭和61年8月31日に改装されています。昭和9年12月19日開業時の所在地は揖宿郡今和泉村で、昭和29年4月1日に指宿町と合併して指宿市となりました。

五位野駅

薩摩今和泉10:18発普通鹿児島中央行き1334D(キハ140-2061+キハ40-8056)で五位野へ。昭和5年1月25日に指宿線の終点として開業、喜入延伸で途中駅となりました。平川動物公園の最寄り駅で、駅名標にはコアラがデザインされています。駅舎は昭和59年1月25日改築。

平川駅

五位野11:31発普通山川行き1335D(キハ200-501)で平川へ。鹿児島市街最南端の駅で、鹿児島中央から当駅までは快速「なのはな」も各駅に停車します。駅名は明治22年町村制で谷山村が成立するまで存在した鹿児島郡平川村に由来。駅は昭和54年7月1日に現在地に移転し、昭和58年3月8日に再有人化されています。武骨な駅舎は再有人化時に建てられたものでしょう。

慈眼寺駅

平川11:45発普通鹿児島中央行き1336D(キハ200-1502)で慈眼寺(じげんじ)へ。昭和63年3月13日に開業した駅で、平成28年3月26日に高架化されました。当初はホーム一本のみの小さな駅でしたが、利用客増加に伴って平成4年ごろには交換設備新設と駅舎の橋上化が行われました。高架化に際しては当駅折り返し列車も新設されています。

坂之上駅

慈眼寺12:21発普通枕崎行き(※線路保守工事のため指宿行きに変更)1337D(キハ47-9049+キハ47-8120)で坂之上へ。昭和41年10月1日に開業した駅で、周辺は台地上に開発された住宅街です。鹿児島国際大学の最寄り駅であることから学生の利用が多く、昭和58年3月8日に有人化されています。駅舎はホーム上屋と一体化した簡素なもので、有人化に際して建てられたものでしょうが、当初とは出入口の位置が変更されています。鹿児島市内で3番目に利用者の多い駅ですが、それでもあっさり無人化されているのはなんだかなという印象。

南鹿児島駅

坂之上12:33発普通鹿児島中央行き334D(キハ200-1560)で南鹿児島へ。鹿児島市電の停留所が隣接している駅で、市電の踏切を渡らないと駅に入れないという面白い構造をしています。昭和19年10月1日開業、交換駅化のために移転歴があるとのことですが、駅舎の建物財産標の日付からして昭和41年4月のことだと思われます。移転前の旧ホームも残っているとのことですが、存在を知らずに見逃しました。

郡元駅

南鹿児島13:09発普通鹿児島中央行き336D(キハ200-1556)で郡元へ。昭和61年12月1日に開業した駅で、平成17年10月から令和2年5月30日までは有人駅でした。鹿児島大学などが集まる文教地区に位置しており、学生の利用が多いです。

伊集院駅

郡元13:26発普通鹿児島中央行き1338D(キハ47-8083+キハ47-9072)で鹿児島中央へ。昼食を食べてから14:25発鹿児島本線川内行き2444M(クハ816-523)に乗り換えて伊集院へ。平成17年5月1日に日置郡伊集院町と周辺3町が合併して誕生した日置市の代表駅で、平成27年6月6日に橋上化されています。駅前に建つのは戦国武将・島津義弘の馬上像。大正2年10月11日に川内線の駅として日置郡中伊集院村に開業。かつては枕崎とを結ぶ鹿児島交通枕崎線が分岐していました。

薩摩松元駅

伊集院14:54発都城行き2451M(クモハ817-506)で薩摩松元へ。平成16年11月1日に鹿児島市編入された旧:日置郡松元町の駅で、市街地を見下ろす高台にあります。地元の請願と費用負担により昭和29年2月1日に開業。当時の所在地は日置郡上伊集院村で、村内には既に上伊集院駅が存在していたものの、村の中心から離れていたことから、当駅の設置が求められました。上伊集院村昭和35年4月1日に松元村に改称し、同時に町制施行。伊集院町との混同を避けるだけでなく、村の中心にあって村民が愛着を持っている駅名を村名としたいというのが改称の理由でした。

重富駅

薩摩松元15:29発普通鹿児島中央行き433M(クモハ817-8)と鹿児島中央15:45発普通国分行き6948M(クモハ817-11)で重富へ。3月にも訪問済みですが、行程の都合上再訪。前回工事をしていた駅前のトイレは完成していました。重厚な和風駅舎は何度見てもいいものです。

竜ケ水駅

竜ケ水駅

重富16:36発普通鹿児島中央行き6953M(クハ816-10)で竜ケ水へ。錦江湾桜島を望む駅で、周囲に人家は多くありません。普通列車でも多くが通過するため、降りるのも一苦労です。平成5年8月6日、豪雨による土石流が駅周辺を襲いましたが、乗務員のとっさの判断により乗客の避難が行われ、多くの人命が救われることになりました。ホーム上に建つ石碑がその災害を静かに伝えています。

隼人駅

竜ヶ水17:11発普通鹿児島中央行き6757D(キハ47-9050+キハ47-8055)と鹿児島17:37発普通宮崎行き6954M(クモハ817-10)で隼人へ。日豊本線肥薩線の分岐駅で、平成17年11月7日の合併で霧島市となった旧:姶良郡隼人町の玄関口です。駅舎は昭和47年1月改築で、九州新幹線開業に合わせて平成15年2月21日に改装されました。前面が竹材で覆われた和風デザインで、島津家の家紋が掲げられています。明治34年6月10日に「国分」として開業し、現:国分駅開業の2カ月前の昭和4年9月1日に「西国分」に改称。当時の所在地は姶良郡西国分村でした。西国分村は昭和4年10月10日に町制施行して隼人町となり、駅名も昭和5年9月15日に再改称されています。

向山駅

34分歩いて日向山(ひなたやま)へ。昭和33年10月1日に開業した駅で、平成5年ごろまでは駅舎がありました。日向山温泉の最寄り駅ですが、駅前はごくごく普通の集落の駅といった雰囲気。駅周辺はかつて姶良郡日向山町で、昭和29年4月1日に隼人町と合併して隼人日向山町となるも、昭和32年4月1日の再改称で隼人町に戻って自治体名から「日向山」の名は消えてしまいました。

隼人駅

日向山18:59発隼人行き5233D(キハ140-8101)で隼人へ。この日はステーションホテル隼人に宿泊しました。