7/21 梅雨明けの高山本線駅巡り
杉原5:26発普通下呂行き1820D(キハ25-1107)で出発し、角川(つのがわ)へ。平成16年2月1日の合併で飛彈市となった旧:吉城郡河合村の玄関口ですが、村の中心からは少し離れています。駅前にはバスセンターと旅館2軒と小集落があるだけで閑散としています。駅舎は平成22年12月改築。明治8年の合併で河合村が成立するまで駅周辺は吉城郡小無雁村(こむかりむら)で、角川村は小鳥川を挟んだ隣村でした。
角川6:02発普通猪谷行き1821D(キハ25-1006)で坂上へ。平成16年2月1日の合併で飛彈市となった旧:吉城郡宮川村の玄関口で、駅前には農協や宮川振興事務所などが集まり市街地が形成されています。平成8年11月改築の駅舎は「遊ingギャラリー」と合築の二階建ての立派なものですが、無人駅でギャラリーも近年はあまり使われていないようです。昭和8年11月12日に杉原から伸びてきた飛越線の終点として開業。当時の所在地は吉城郡坂上村で、昭和31年9月30日の合併で宮川村となりました。
坂上6:33発普通美濃太田行き1822D(キハ25-1104)で杉崎へ。古川国府盆地にある駅で、昭和31年12月に建てられた小さな木造駅舎が残っています。昭和27年12月25日に杉崎(すぎざき)仮乗降場として開業。昭和30年10月15日の駅昇格時に「すぎさき」に読みが変更されました。当地は明治8年の合併で細江村となるまで吉城郡杉崎村でした。
杉崎7:29発普通高山行き1824D(キハ25-1106)で飛彈古川へ。平成16年2月1日に吉城郡古川町・神岡町・河合村・宮川村が合併して誕生した飛彈市の代表駅で、特急「ひだ」の一部が折り返しています。JR東海が管理する最北の有人駅で、特急が発着する時間帯のみ、みどりの窓口が営業しています。駅舎は昭和9年10月25日開業時のもので、主要駅らしく天井の高い風格あるものです。新海誠監督の映画『君の名は』にも登場しました。
飛彈古川8:03発普通猪谷行き823D(キハ25-2)で打保(うつぼ)へ。宮川流域の小集落にある駅で、昭和8年11月12日に飛越線の駅として開業しました。駅名は明治8年の合併で坂下村が成立するまで存在した吉城郡打保村に由来します。カマボコ型のコンクリート打ち放し駅舎は平成15年3月改築。駅構内には高山本線で唯一スノーシェルターがが設置されています。平成16年10月22日の台風23号で不通となって列車が駅構内に取り残された際にはシェルターが車両の保護に使われました。不通区間の工事が再開して車両が搬出されたのは平成19年2月9日で、最後まで普通となっていた角川~猪谷間が運転再開したのは9月8日でした。
打保9:26発普通高山行き1826D(キハ25-102)で上枝(ほずえ)へ。高山盆地の北部にある駅で、昭和9年10月25日開業時の木造駅舎が残っています。駅周辺は昭和18年4月1日に高山市に編入されるまで大野郡上枝村でした。「上枝」は川上郷・三枝郷から一字ずつ取った合成地名で、穂先を意味する「穂末」を盆地北端に位置する当地に当てはめたものだと言われています。令和4年12月5日に高山市で発生した偽電話詐欺事件では犯人が「うええだ」駅と読み間違えたのを不審に思ったタクシー会社社員が通報して事件の解決に繋がりました。難読駅名はこうした場面で役に立つこともあるのですね。
訪問時、駅には列車を見に来たのであろうおじいちゃんと孫がいました。入道雲が浮かぶ青い空はいかにも夏休みといった感じ。駅前には道路工事のトラックが停まっていて、駅舎を撮っていると作業員の方が「すみません」と声をかけてきました。てっきり「トラックに近づかないように」「トラックが写らないように」と注意されるのかと思いきや低姿勢で「(撮影の邪魔にならないように)どかした方がいいですか?」と聞かれたので、こちらが恐縮してしまいました。
上枝10:33発普通飛彈古川行き1851D(キハ25-2)で飛彈国府へ。平成17年2月11日に高山市に編入された旧:吉城郡国府町の駅で、古川国府盆地の南部に位置します。町の玄関口だっただけあって駅舎は上枝駅よりも大きめです。昭和9年10月25日開業時の所在地は吉城郡国府村で、昭和39年11月3日に町制施行しました。国府町はその名の通り飛彈国の国府が置かれたと伝わるところで、多くの遺跡・旧跡が残っています。
駅舎内を撮ろうとした際、なにか硬いものを踏んでしまったと思ったら、それがガサガサと勢いよく動き出しました。生き物のようでなにかと思って見てみると大きなカミキリムシでした。駅巡りをしていると普段目にしないような生き物を目にすることがあります。
飛彈国府10:56発普通高山行き1852D(キハ25-102)で高山へ。言わずと知れた世界的観光地・高山市の代表駅で、多くの外国人観光客で賑わっています。訪問するのは旧駅舎を見に来て以来実に8年半ぶり。現駅舎は平成28年10月2日より使用開始された巨大なもので、町家の黒格子をイメージしたデザインです。
旧駅舎時代と比べるとあまりの変わりようにとても同じ駅とは思えません。中学生の頃に18きっぷで日帰りでとんぼ返りしてからもう8年半になるのかとしみじみ思いました。
昼食を食べてから高山12:45発普通美濃太田行き1716C(キハ25-1103)に乗車し、停車時間で飛彈一ノ宮を撮影。平成17年2月11日に高山市に編入された旧:大野郡宮村の駅で、飛彈国一之宮・水無神社の最寄り駅です。平成28年7月25日以来7年ぶりの再訪ですが、木造駅舎は変わらず健在で嬉しくなります。高山本線は数年前まで毎年1~2駅が改築されていましたが、最近は改築のペースが落ちていて思いのほか古い駅舎が残っているなという印象です。とはいえ、この駅舎も果たしていつまで残るでしょうか。
禅昌寺で1716Cを下車。臨済宗妙心寺派の古刹・禅昌寺の最寄り駅で、単式ホームと通過線という珍しい構造をしています。駅舎は平成9年2月改築。昭和6年5月9日開業時の所在地は益田郡萩原町で、明治8年の合併までは益田郡中呂村でした。もし地名から「中呂駅」となっていたら、下呂・中呂・上呂が駅名として揃っていたことでしょう。
禅昌寺14:06発普通高山行き1717C(キハ25-1002)で飛彈宮田へ。高山本線では数少ない棒線駅の一つで、地元の請願により昭和30年10月1日に開業しました。ホーム上の待合室は平成28年1月に改築されています。駅周辺は明治30年4月1日の萩原村成立まで益田郡宮田村でした。宮田村は明治8年の合併で一度三郷村になっていますが、明治16年6月1日に分立して復活しました。
帰路が長いのでこの日の駅巡りはここまで。飛彈宮田15:34発普通美濃太田行き1718C(キハ25-103)、美濃太田17:36発普通岐阜行き748D(キハ75-3402)、岐阜18:21発快速米原行き2539F(クハ312-309)、米原19:18発新快速姫路行き3527M(モハ223-2033)、尼崎20:58発快速宝塚行き5529M(クモハ320-23)と乗り継ぎ、6時間近くかけて帰宅しました。