まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

2/4 小野田線・美祢線駅めぐり

山口遠征四日目、この日から再び山口セントラルパスを使用し、小野田線美祢線の駅を巡っていきます

居能駅

新山口を5:39発普通下関行き3401M(クモハ114-1108)で出発し、宇部で6:22発宇部線新山口行き1826M(クモハ105-11)に乗り換えて居能へ。宇部線小野田線の分岐駅ですが、小野田線の列車は宇部線に乗り入れて隣の宇部新川を起終点としています。昭和4年5月16日に宇部電気鉄道(現:小野田線)の居能停留場として開業、昭和13年11月に現在地に移転して正駅に昇格しました。宇部線小野田線に加えてかつては宇部港までの貨物線も分岐しており、貨物輸送で大いに賑わったようですが、現在は無人駅で閑散としています。昭和31年2月改築の駅舎は片流れ屋根の鉄筋コンクリート造一部二階建てで、その大きさがかつての栄華を感じさせてくれます。

長門長沢駅

居能6:43発長門本山行き1223M(クモハ123-6)で長門長沢へ。昭和4年5月に「永沢停留場」として開業した駅で、昭和15年3月に駅に昇格し、昭和18年5月の国有化時に改称されて現在の駅名になりました。「長門」が冠されたのは陸羽東線に既にあった長沢駅との重複を避けるためでしょう。昭和53年3月改築の駅舎はブロック造りの簡素なものです。周辺は住宅街ですが、令和2年の一日平均乗車人員は10人と利用はあまり多くありません。

小野田港駅

長門長沢7:16発小野田行き1225M(クハ104-13)で小野田港へ。大正14年11月、小野田から伸びてきた小野田軽便鉄道(→小野田鉄道)の「セメント町」として開業した駅で、昭和18年3月の国有化時に改称されました。昭和22年10月の小野田港~雀田間開業に合わせて現在地に移転、この際旧駅は「小野田港駅北口」として存置されましたが、昭和37年3月に「南小野田」として独立して別の駅になりました。そのような経緯から南小野田駅とはわずか600mほどしか離れていません。

小野田港駅

ホームは相対式2面2線で、小野田線の途中駅では三つしかない交換可能駅の一つです。昭和25年3月に建てられた駅舎は片流れ屋根の立派な木造駅舎で、老朽化が進んだことから昨年1月22日より閉鎖されています。使われなくなってから一年が経つのに解体されないのは費用面の問題でしょうか。できれば閉鎖前に来て中を見たかったものです。

厚狭駅

小野田港7:53発小野田行き1227M(クモハ123-2)と小野田8:06発普通下関行き3303M(クハ115-3010)を乗り継いで厚狭(あさ)へ。山陽本線美祢線の分岐駅で、山陽新幹線も停車する主要駅です。明治33年12月、三田尻(現:防府)から伸びてきた山陽鉄道の終点として開業。当時の所在地は厚狭郡厚西村で、大正7年10月の町制施行時に改称して厚狭郡厚狭町となりました。厚狭町は昭和31年9月に埴生町と合併して厚狭郡山陽町となり、平成17年3月に小野田市との合併で山陽小野田市となっています。厚狭は歴史こそ古いものの、宿場町である船木と吉田の中間にあることから長年通過地点として不遇をかこってきました。山陽鉄道の開業時、地形の都合で船木を避けて厚狭を通ったことから厚狭郡の中心が移ってきて後の繁栄に繋がっています。明治38年5月には大嶺までの山陽鉄道支線(現:美祢線)が開通、以降は交通の要衝として栄えました。

美祢線

ここからは美祢線の駅を巡っていきます。山陽本線の厚狭と山陰本線長門市を結ぶ美祢線は陰陽連絡線の一つで、人口の希薄な山間を走るローカル線ながら貨物輸送が盛んであったために運賃設定上は幹線として扱われます。本数は中国地方のローカル線としては比較的多い方で、輸送密度も山陰本線の一部より高いですが、今後の協議次第では廃線もありえなくはないでしょう。

渋木駅

厚狭8:34発長門市行き705D(キハ120-323+キハ120-10)で渋木へ。大正13年3月、美禰線の於福~正明市(しょうみょういち・現:長門市)間が開通して全通した際に開設された駅で、開業時からの木造駅舎が現役で使用されています。長門市美祢市を隔てる大ヶ峠の長門市側に位置し、山間の集落にある小駅といった趣があります。開業時の所在地は大津郡深川村で、昭和3年11月に町制施行して深川町となり、昭和29年3月の合併で長門市となりました。駅名は明治22年の町村制まで存在した大津郡渋木村に由来します。

渋木駅遠景

渋木駅は駅前を深川川が流れる立地で、国道316号線は川の対岸を通っています。駅前須玖が川という立地のため建物が建つスペースもなく、従って人家も少し離れたところか対岸に位置しています。訪問時は老朽化した跨線橋の修繕工事が行われていました。

南大嶺駅

渋木10:07発厚狭行き708D(キハ120-10)で南大嶺へ。明治38年9月、厚狭と大嶺を結ぶ山陽鉄道支線(→大嶺線)の中間駅「伊佐」として開業した駅で、昭和24年1月に改称されています。大正5年9月には美祢軽便鉄道が重安まで開通、二つの路線の分岐駅となりました。美祢軽便鉄道大正9年6月に国有化されて美禰軽便線(→美禰線)となり、大正13年3月に大嶺線と美禰線が一つにまとめられて現在の美祢線の原型が出来上がりました。美祢線のうち当駅~大嶺間の大嶺支線は大嶺炭田の石炭を運び出す重要な路線であったものの、炭鉱の衰退と運命を共にし、平成9年4月に廃止となっています。旧駅舎は大嶺支線廃止後に解体され、その隣にあった乗務員休憩所(昭和57年1月築)が改造されて駅舎として使用されています。

南大嶺駅

大嶺支線の分岐駅だった南大嶺は不思議な構造のホームにその面影を残しています。かつてのホームは2面3線で、駅舎に面した右側ホーム(1番線)を大嶺支線、左側の島式ホーム(2・3番線)を美祢線が使用していました。大嶺支線廃止後、1番線が撤去されてホームが増設され、旧2番線の列車(美祢線下り)に跨線橋を渡らず乗れるようになっています。

板持駅

南大嶺10:44発長門市行き707D(キハ120-9)で板持へ。昭和33年7月に開業した、美祢線で最も新しい駅で、美祢線では唯一駅舎のない開業当初からの無人駅です。長門市中心部から南に行った田園地帯の国道沿いに位置し、周辺にはコンビニや飲食店などもあります。列車から降りると、地元?のおじいさんがホームで列車を撮っていました。

ワム83368

駅から国道を挟んだ向かい側の田んぼの中には有蓋貨車のダルマが置かれています。読み取れた番号はワム83368で、昭和43年日立製作所の銘板が付いていました。

長門湯本駅

南に向かって25分ほど歩き、長門湯本へ。防長四湯の一つ、長門湯本温泉の最寄り駅で、同じく防長四湯の俵山温泉へのバスも出ています。駅舎は大正13年3月開業時のもので、ハーフティンバー様式の美しいもので、無人駅にしては綺麗に維持されています。温泉の玄関口として大切に守られているのでしょう。ただ一つ惜しいのが、ロータリーの植え込みがあるために正面から撮影できないことで、せっかくの名駅舎も構図が限られてしまいます。温泉街から駅が少し離れていることから、駅を移転する構想もあるそうですが、結局構想倒れに終わってしまったのか続報を聞きません。

厚保駅

長門湯本12:46発厚狭行き710D(キハ120-20)で厚保(あつ)へ。明治38年9月、山陽鉄道支線(後の大嶺線)の駅として開業して以来、117年の歴史を持つ駅で、背の高い木造駅舎が現役です。初見ではまず読めない難読地名のためか、駅舎に掲げられた駅名はひらがな表記です。駅舎は建物財産標によれば開業時のもので、旧事務室部分は平成25年4月に改装されて地域交流ステーションとなっています。無人駅ながら地域の人々の集まる場所となっているので、しばらくは安泰でしょう。

美祢駅

厚保13:46発長門市行き711D(キハ120-10)で美祢(みね)へ。美祢市の代表駅で線内中間駅では最も利用者の多い駅ですが、令和3年6月より無人化されて寂しげな雰囲気が漂っています。大正5年9月に美祢軽便鉄道の「吉利(よしとし)」停留場として開業、昭和38年10月に改称されました。駅名改称に合わせ線名も「美禰線」から「美祢線」に変更されています。開業時の所在地は美祢郡大嶺村で、昭和14年5月に町制施行して大嶺町となり、昭和29年3月の合併で美祢市となりました。駅開業時、周辺では一番栄えていた美祢郡伊佐村(大正13年1月町制施行)に一番近い駅で、伊佐への玄関口でもありました。大正11年9月には伊佐とを結ぶ伊佐軌道が開業、馬車軌道で石灰石を輸送していました。伊佐軌道は秋芳洞へ延伸して観光客輸送を図ろうと計画するも果たせず、宇部興産専用側線開通を前にした昭和22年3月に廃止されています。

美祢駅

駅舎は昭和44年2月改築の鉄筋コンクリート造一部二階建てで、かつては売店うどん屋もあったそうですが、列車到着時以外は人の気配もない今では見るかげもありません。ホームは2面3線ですが、島式ホームは使用されなくなって久しく、実質的には棒線駅です。

C58 36

駅から少し南へ行くと美祢市役所があり、美祢市中心市街地が形成されています。美祢市役所は現在新庁舎を建設中。裏手の図書館前には美祢線で活躍したC58 36と大嶺駅の駅名標が保存されています。

美祢ヤード

美祢駅の北には「美祢ヤード」と呼ばれる操車場があり、宇部興産伊佐セメント工場への専用線が分岐していました。ローカル線の貨物駅としては比較的最近まで現役で、廃止は平成26年4月です。前年まで山陰本線岡見駅から分岐する中国電力三隅発電所専用線までの貨物列車が走っていました。貨物駅の廃止から9年近く経つものの、レールは撤去されることなく残っています。背後の建物はおそらく貨物駅の詰所だったもので、今も船鉄バスが一部を使っているようです。3本の煙突は専用線の行き先で、美祢市の繁栄に大きく貢献した伊佐セメント工場のものです。

大嶺町北分

歩いて重安駅へ。道中、工事中に付き通り抜け不可と看板のある区間がありましたが、徒歩だと普通に通れました。軽トラを何台も止めて田んぼを囲む獣除け柵設置工事と道の舗装を剥がしての転石撤去工事が行われていましたが、果たして通行止めの理由はどちらの工事だったのでしょうか。伊佐から2㎞離れているにもかかわらず煙突が見え、なかなかの存在感だと感じました。のどかな田園風景に3本の煙突が屹立する光景はどこかSF的です。

重安駅

到着した重安駅は大正5年9月、美祢軽便鉄道の終点として開業した駅で、大正9年6月に国有化され、同年10月末の於福延伸で途中駅となりました。かつては駅裏に太平洋セメント重安鉱業所の石灰石積み込み施設があり、宇部線宇部岬駅との間で石灰石輸送の貨物列車が運転されていましたが、平成22年10月18日を最後に廃止されています。駅舎は建物財産標によれば大正10年2月20日改築で、曲がり屋のような変わった形をしています。

重安駅

島式ホーム上には上屋と一体化した木造待合所があり、青地に白のホーロー看板が掲げられています。なかなかの風格ですが、こうした看板はいつの間にか消えていることが多いのでこの駅のものも見れるときに見ておいた方が良さそうです。

於福駅

重安15:17発長門市行き713D(キハ120-20)で於福(おふく)へ。大正9年10月、重安から延伸してきた美禰軽便線の終点として開業した駅で、日本海側とを隔てる分水嶺・大ヶ峠を控えた太平洋側最後の駅です。峠の向こうの渋木駅と比べると駅周辺は開けており、駅裏を通る国道317号沿いには於福温泉が併設された道の駅おふくがあります。於福は昭和29年3月の合併で美祢市となるまで美祢郡於福村だったところで、古代には「意福」とも表記したようです。駅舎は開業時のもので、厚保同様平成25年4月に改装されて、旧事務室が地域交流ステーションになっています。

湯ノ峠駅

於福15:47発厚狭行き712D(キハ120-9)で湯ノ峠へ。大正10年2月に大嶺線に新設された駅で、令和2年の一日平均乗車人員は4人と美祢線内では最下位です。昭和18年12月改築の駅舎は妻面に出入口があるもので、線内の他の木造駅舎とは随分印象が異なります。出入口を妻面にしたのは駅前の狭さゆえでしょう。駅前には人家が数軒あるだけです。駅から260mほどのところには旅館一軒だけの湯ノ峠温泉がありましたが、令和元年に廃業しています。

湯ノ峠駅

駅の裏手を厚狭川が流れており、上りホームは崖に張り出すように設置されています。開業年の割に造りが新しいので、昭和40年代以降に造りなおされたのではないでしょうか。

四郎ケ原駅

湯ノ峠16:39発仙崎行き715D(キハ120-18)で四郎ケ原へ。明治38年9月、山陽鉄道支線としての開業時に厚保と共に開設された駅で、駅舎もよく似たものが残っています。厚保駅が改装されているのに比べてこちらは原型をよく残しており、開業時から立っているのであろう駅前の大木と合わせて風情を感じさせます。

四郎ケ原駅

駅舎のホーム側には明り取り窓が残っており、明治の駅舎らしい風格。うまく改装すれば明治レトロを売りにした駅舎として人気が出そうですが、現在の利用状況ではJRも美祢市四郎ケ原駅にお金をかけるのは難しいでしょうね。無人駅となって持て余し気味の大きな駅舎で、厚保や於福と違って活用されていないので、美祢線にも駅舎簡素化の波が及べば真っ先に解体されそうな気がします。

厚狭駅

四郎ケ原17:19発厚狭行き714D(キハ120-10)で厚狭へ。日没の時間を迎えて駅舎にはイルミネーションが煌めいていました。国鉄主要駅の姿を色濃く残す二階建ての駅舎は昭和34年5月改築で、築60年を超えています。築年数を考えるとそろそろ建て替えられても不思議ではないですが、果たしていつまで残るでしょうか。

小野田駅

厚狭17:51発普通岩国行き3346M(モハ114-3509)で小野田へ。平成17年3月に小野田市と厚狭郡山陽町が合併して誕生した山陽小野田市の代表駅で、山陽本線小野田線が乗り入れています。駅舎は昭和26年5月改築の鉄筋コンクリート造平屋建てで、随所に年代を感じます。明治33年12月開業時の所在地は厚狭郡高千帆村。宮崎の高千穂とは何も関係なく、東泊村・西泊村・畑村・崎村・有村からの合成地名です。昭和13年4月に町制施行して厚狭郡高千帆町となり、昭和15年11月に有帆川対岸の小野田町と合併して小野田市となっています。

クモハ123-6

小野田18:33発宇部新川行き1238M(クモハ123-6)で宇部新川へ。この日は宇部新川駅近くのビジネスホテル新川に宿泊しました。最終日となる翌日は小野田線宇部線の残りの駅を片付けていきます。