まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

3/15 弥生の肥薩おれんじ鉄道駅巡り

九州遠征七日目は肥薩おれんじ鉄道の駅を巡りました

川内駅

まだ暗い川内(せんだい)からスタート。駅員不在時間帯なので旅名人には運転士さんに日付を記入してもらいました。肥薩おれんじ鉄道は平成15年3月13日の九州新幹線一部開業に合わせて並行在来線となる鹿児島本線のうち八代~川内間を転換した第三セクター鉄道です。

草道駅

川内5:24発新八代行き6116D(HSOR-109A+HSOR-101A)で草道へ。国道3号沿いの小さな集落にある駅で、昭和55年7月改築の駅舎は鹿児島周辺でよく見るタイプのもの。駅名は明治の町村制で高城郡水引村が成立するまで存在した高城郡草道村に由来します。水引村は明治24年4月、網津にあった石灰工場の収益を独占するために、網津・草道・小倉の三地区が分村して高城郡(のち薩摩郡)西水引村となり、残りの区域が東水引村となりました。西水引村は昭和4年5月20日に改称されて二代目の薩摩郡水引村となっています。これは東水引村が合併で川内町の一部になったため区別の必要がなくなったことによるものです。水引村の方も昭和26年4月1日に川内市編入されました。

上川内駅

草道6:01発隈之城行き6309D(HSOR-113A+HSOR-108A)で上川内へ。川内川北岸の地区にある駅で、川内高校の最寄り駅であることから学生の利用が多いです。昭和27年3月改築の駅舎は開放的なコンクリート造りのもので、正面に並んだ柱が風格を感じさせます。大正11年7月1日開業時の所在地は薩摩郡東水引村で、昭和4年5月20日の合併で川内町となりました。古くは当駅のある北岸が本来の「川内」で、川内駅中心市街のある南岸はかつて「川外」と呼ばれていたとのことです。

薩摩大川駅

上川内6:31発米ノ津行き6118D(HSOR-108A+HSOR-113A)で薩摩大川へ。阿久根市南部の大川地区にある駅で、ホームは築堤上に設置されています。駅そのすぐ裏が大川川という立地のため大雨が降ると浸水の被害が絶えず、昭和40年10月1日にホームの嵩上げが行われています。駅舎はその時改築されたもので、浸水しないように宿直室は2階に設けられました。駅舎の2階部分はホームに面した部分がそのままホーム待合室になっているという珍しい造りです。駅周辺は明治の町村制で阿久根村となるまでは出水郡大川村でした。

薩摩高城駅

薩摩大川7:02発隈之城行き6113D(HSOR-104A+HSOR-111A)で薩摩高城(さつまたき)へ。肥薩おれんじ鉄道で最も利用者の少ない駅で、駅前を国道3号が通っていますが、人家は多くありません。駅裏には湯田口海岸があり、東シナ海を望む展望台が設置されています。昭和27年5月1日開業時の所在地は薩摩郡高城村(たきむら)で、昭和34年12月31日に町制施行して高城町となりましたが、昭和40年4月に川内市編入されています。高城村と水引村は明治30年4月1日まで高城郡(たきぐん)でした。

牛ノ浜駅

薩摩高城7:22発八代行き6122D(HSOR-103A+HSOR-102A)で牛ノ浜へ。国道3号を挟んで東シナ海と向かい合う立地の駅で、駅前に見える小島の上には鳥居が立っています。なかなか景色のいい駅ですが、生憎駅と海を絡めて綺麗に撮れる構図がありません。駅舎は国鉄末期に解体され、跡地にはうどん屋がオープンしましたが、こちらも閉店して更地になっています。

西方駅

牛ノ浜7:48発隈之城行き6115D(HSOR-151A)で西方へ。大正11年7月1日、川内町(現:川内)から伸びてきた川内線の終点として開業した駅で、当時の所在地は薩摩郡高城村でした。かつては西方海水浴場や川内高城温泉への客で大いに賑わい、優等列車の臨時停車や当駅止まりの臨時列車もあったほどでしたが、現在は寂しい無人駅です。駅舎は昭和63年3月30日に鹿児島鉄道管理局標準仕様の簡易駅舎に改築されています。

野田郷駅

西方8:18発八代行き6124D(HSOR-111A+HSOR104A)で野田郷へ。平成18年3月13日の合併で出水市となった旧:出水郡野田町の駅で、駅舎は昭和34年12月改築。大正12年3月25日、阿久根から伸びてきた川内線の終点として開業。訪問の10日後に開業百周年を迎えました。西成線(現:大阪環状線野田駅と区別するために「野田郷」と命名されています。開業時の所在地は出水郡野田村で、昭和50年4月1日に町制施行して野田町となりました。

折口駅

野田郷8:55発川内行き6121D(HSOR-152A)で折口へ。山を背にした集落の駅といった風情ですが、後ろの山の中に折口ニュータウンがあるため、見かけの割に利用者は多いです。当地は明治の町村制で阿久根村となるまで出水郡折口村で、海に向けての坂道(降り口)が地名の由来です。駅舎は昭和55年3月改築。

阿久根駅

折口9:39発川内行き6123D(HSOR-106A)で阿久根へ。阿久根市の代表駅で、鹿児島県最西端の駅です。大正11年10月15日に西方から伸びてきた川内線の終点として開業、当時の所在地は出水郡阿久根村でした。阿久根村は大正14年1月1日に町制施行して出水郡阿久根町となり、昭和27年4月1日に市制施行して阿久根市となっています。駅舎は昭和20年8月12日の阿久根空襲で焼失し、昭和24年3月27日に再建されました。平成26年5月3日に「にぎわい交流館阿久根駅」として改装され、内部には食堂やカフェ・売店が営業しています。

高尾野駅

阿久根9:52発八代行き6126D(HSOR-151A)で高尾野へ。平成18年3月13日の合併で出水市となった旧:出水郡高尾野町の駅で、訪問時は行き違いのために「ななつ星」が停車していました。駅舎は昭和31年2月改築で、無人化されてガランとしています。大正12年10月15日開業時の所在地は出水郡高尾野村で、昭和7年1月1日の町制施行で高尾野町となりました。

川内駅

ここでホテルに忘れ物をしたことに気付いたので、高尾野10:27発川内行き6329D(HSOR-117A)で川内へと戻ります。タイムロスにはなりますが、予定を組み直しても肥薩おれんじ鉄道を今日明日で全部降りれることに変わりはないので一安心。

新水俣駅

忘れ物を回収し、昼食も済ませてから川内12:29発新八代行き6134A(HSOR-117A)で新水俣へ。九州新幹線との乗換駅で、幅の狭い島式ホームだけの簡素な駅です。昭和43年9月19日に「初野信号場」として設置され、平成16年3月13日の肥薩おれんじ鉄道移管時に駅に昇格しました。

出水駅

新水俣14:15発隈之城行き6141D(HSOR-152A)に乗車し、16分の停車時間で出水駅を撮影。九州新幹線との乗換駅で、鶴の飛来地として有名な出水市の代表駅です。構内には車両基地が併設され、肥薩おれんじ鉄道の運行拠点駅として数分間停車する列車も多いです。昭和26年4月改築の駅舎は一部二階建ての大きなもので、JR時代には二階建て部分の一階に改札口と待合室がありましたが、移管後の改装で端の平屋部分に遷されています。

西出水駅

引き続き6141Dに乗車し、西出水へ。出水市街西部の武本地区にある駅で、周辺に高校が3校あることから平日朝夕には窓口が営業しています。駅舎は昭和41年9月改築で、線内の駅舎としては大きい方です。大正12年10月15日に川内線の「武本」として開業。当時の所在地は出水郡出水町で、昭和29年4月1日の合併で出水市となりました。駅名は昭和3年7月11日と比較的早期に改称されています。

湯浦駅

西出水15:27発新八代行き6138D(HSOR-104A)で湯浦(ゆのうら)へ。湯浦温泉の最寄り駅ですが、小さな温泉地ということもあって観光地感はありません。駅舎は昭和52年3月改築。大正15年9月12日、佐敷から伸びてきた肥薩線(現在の肥薩線とは別物)の終点として開業。当時の所在地は葦北郡湯浦村で、昭和26年10月11日に町制施行して葦北郡湯浦町となり、昭和45年10月11日の合併で芦北町となりました。

津奈木駅

湯浦16:21発川内行き6147D(HSOR-117A)で津奈木へ。葦北郡津奈木町唯一の駅で、平成5年4月6日完成の駅舎は商工会館との合築です。訪問時は改修工事のために覆われていました。昭和2年10月17日、鹿児島本線で最後に開業した湯浦水俣間の開業時に開設されました。当時の所在地は葦北郡津奈木村で、昭和38年4月1日に町制施行しました。駅前の像は「孝女・千代」で、祖父母のために孝養を尽くしたことで熊本藩主から褒めたたえられ、褒美の米を六十年間賜ったと伝わります。

海浦駅

津奈木16:51発新八代行き6140D(HSOR-108A+HSOR113A)で海浦(うみのうら)へ。海沿いの集落を見下ろす高台に設置された駅で、肥薩おれんじ鉄道では珍しい棒線駅です。昭和34年6月1日の開業から昭和53年10月2日ダイヤ改正までは普通列車でも一部が通過していました。当地は明治の町村制で田浦村となるまでは葦北郡海浦村でした。アニメ『放課後ていぼう日誌』には「山浦駅」として登場します。

佐敷駅

海浦17:18発出水行き6249D(HSOR107A+HSOR103A)で佐敷へ。葦北郡芦北町の玄関口で、JR時代には特急も停車していました。駅舎は開業時に建てられた古いものですが、植栽によって前面が隠されてしまっています。アニメ『放課後ていぼう日誌』に「三敷駅」として登場することから、駅舎内にはそれに関するパネルが展示されています。大正14年4月15日に日奈久から伸びてきた肥薩線の終点として開業。当時の所在地は葦北郡佐敷町でした。佐敷町は昭和30年1月1日の合併で葦北郡葦北町となり、昭和45年11月1日の湯浦町との合併時に芦北町に改称しています。

八代駅

佐敷18:10発八代行き6142D(HSOR-152A+HSOR102A)で八代へ。熊本県第二の都市・八代市の代表駅で、JRの駅とは別に駅舎が設置されています。この日は駅前の球磨川旅館に宿泊しました。