まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

3/11 弥生の日豊本線駅巡り その1

九州遠征三日目は日豊本線のうち臼杵・佐伯周辺の駅を巡りました

上岡駅

まだ暗さの残る上岡駅からスタート。駅舎に明かりがないのでフラッシュを焚いての撮影となりました。佐伯市街の西外れにある駅で、一日わずか3往復という列車本数の割には周辺は賑やかです。駅舎は開業時のもので、事務室部分は改装されて公民館として使われています。大正9年11月20日に豊州本線の駅として開業、当時の所在地は南海部郡鶴岡村でした。鶴岡村は明治の町村制で望村・上村・稲垣村が合併して誕生した村で、駅名は南海部郡上岡村に由来します。鶴岡村は昭和12年11月1日の合併で佐伯町となりました。

直見駅

上岡6:23発普通延岡行き2761M(クロハ786-7)で直見へ。久留須川沿いに開けた集落にある駅で、ごくわずかながらも利用者がいるようです。ホームは島式で、跨線橋で駅前と結ばれています。かつては駅舎がありましたが、解体されて、跡地にはトイレが建てられています。大正9年11月20日開業時の所在地は南海部郡直見村で、昭和26年4月1日に川原木村と合併して直川村となり、平成17年3月3日の合併で佐伯市となりました。

浅海井駅

直見7:04発普通佐伯行き2760M(クハ787-6004)と佐伯7:49発普通大分行き1630M(クハ813-3114)を乗り継いで浅海井(あざむい)へ。平成17年3月3日の合併で佐伯市となった旧:南海部郡上浦町の駅で、駅舎入口には「九州最東端の駅」と掲げられています。駅舎はおそらく開業時のもので、事務室部分には新聞販売店が入居しています。大正5年10月26日開業時の所在地は南海部郡東上浦村で、昭和25年12月19日に上浦村に改称、翌年1月1日に町制施行して上浦町となりました。

豊後二見ヶ浦

駅前通りを真っすぐに行くとそこは海。名勝・豊後二見ヶ浦も見えます。訪問時間帯は逆光気味でした。

海崎駅

浅海井8:23発普通佐伯行き4621M(クハ814-19)で海崎(かいざき)へ。目の前に巨大なセメント工場を望む駅で、駅前は特に何があるというわけではありませんが、結構広めです。かつてはホーム上に簡素ながらも駅舎がありましたが、平成30年5月6日の火事で2番ホーム待合所が全焼した後、再建に合わせて簡素な待合所に建て替えられました。火災では駅舎に被害はなかったとのことですが、この機会に難燃化しようとしたのでしょう。火災の原因が煙草の不始末であれば、捕まっていない犯人がまたやらかすことだって充分ありえるでしょうし。

津久見駅

海崎9:31発普通日出行き4634M(クモハ815-19)で津久見へ。大友宗麟終焉の地・津久見市の代表駅で、昭和56年11月26日に大分県内初の橋上駅舎となりました。接近メロディーには津久見市出身のシンガーソングライター・伊勢正三の代表曲『なごり雪』が採用されています。

津久見駅構内に留置される415系

構内には昨年10月ダイヤ改正で引退した415系鋼製車が疎開留置されています。Fo120+Fo124の8両を組んでおり、廃車までの暫定処置でしょう。

津久見市役所

次の列車まで2時間以上もあるので、津久見を散策。津久見市役所は県内の自治体庁舎では最も古い昭和33年の完成で、老朽化が進むことから建て替えが計画されています。同じ日建設計日南市役所旧庁舎を小ぶりにした感じで、よく似ています。

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平成31年には市役所の老朽化を逆手に取ってお化け屋敷に見立てた自虐CMが話題を呼びました。

赤八神社

赤八神社は建久元年創建。津久見の町を800年以上も見守ってきた歴史ある神社です。

マルキン洋品店

商店街の一角に建つマルキン洋品店昭和8年築。見事な看板建築です。

太平洋セメント津久見工場

津久見はセメント産業で栄えた街で、以前訪ねた小野田市同様に「セメント町」の地名が残っています。太平洋セメント津久見工場の事務所棟と守衛棟も年季の入ったかっこいい建物でした。

まるい食堂

セメント町を見てから商店街へ戻り、まるい食堂で昼食。評判のとり天定食を頂きましたが、ワンオペで回しているので提供まで結構待つことになりました。味わって食べないともったいないくらい美味しいとり天でしたが、列車に間に合わせるために8分ほどで慌ただしく食べて駅へ戻りました。今度来る時はもっとゆっくりといただきたいものです。

佐志生駅

津久見12:03発普通日出行き4640M(クモハ815-17)で佐志生(さしう)へ。集落から坂を上りつめた山の中腹にある駅で、三浦按針上陸の地・黒島の最寄り駅です。平成4年3月7日築の待合室は八角形のメルヘンチックなもので、島式ホームとは跨線橋で結ばれています。昭和22年10月1日に仮乗降場として開業、昭和25年1月10日に正駅に昇格しました。当時の所在地は北海部郡佐志生村で、昭和29年3月31日に臼杵市編入されています。

上臼杵駅

佐志生12:56発普通佐伯行き4637M(クハ814-19)で上臼杵へ。臼杵市街の西部にある駅で、大正6年7月18日に開設されました。臼杵駅とはわずか1.6㎞しか離れておらず、臼杵出身の政治家・箕浦勝人による政治駅とも言われています。駅舎は開業時のもので、大林宣彦監督の映画『なごり雪』のロケにも使われました。ただし構内については重岡駅で撮影されています。いい駅舎だけに日中は逆光なのが残念。

熊崎駅

臼杵13:42発普通中山香行き4642M(クモハ815-18)で熊崎へ。これまた雰囲気のいい木造駅舎の残る駅で、もっと注目されてもいいように思えます。木製引き戸も状態よく残っていました。大正9年8月15日開業時の所在地は北海部郡下北津留村で、昭和29年3月31日に臼杵市編入されています。

臼杵駅

熊崎14:01発普通臼杵行き4641M(クハ814-22)で臼杵へ。臼杵藩の城下町で、石仏で有名な臼杵市の代表駅です。普通列車の約半数が折り返す運行拠点駅で、駅舎は昭和56年2月改築の主要駅らしい立派なもの。大正4年8月15日に幸崎から伸びてきた豊州本線の終点として開業。当時の所在地は北海部郡臼杵町で、昭和25年4月1日の合併で市制施行して臼杵市となりました。

下ノ江駅

臼杵14:41発普通亀川行き4646M(クハ813-3114)で下ノ江へ。ここも木造駅舎の残る駅ですが、駅舎内のベンチにヤンキーが寝そべって大音量で「Jupiter」を流していたので、じっくり駅を見るどころではありませんでした。大正4年8月15日開業時の所在地は北海部郡下ノ江村で、昭和29年3月31日に臼杵市編入されています。

海崎駅

下ノ江15:12発普通佐伯行き1629M(クハ812-3109)で海崎へ。予定では狩生に降りるはずでしたが、うっかり降り過ごして朝に降りた海崎に再び降りることに。もはや今から予定を組み直しても狩生に降りるのは無理そうなので、また大分に来る時に降りるしかありません。旅も三日目で注意力が散漫になっているようです。

日代駅

海崎16:06発普通亀川行き4652M(クハ813-3109)で日代(ひしろ)へ。海に面した集落にある築堤上の駅で、駅舎は山側の上り1番ホームに面しています。駅舎は昭和30~40年代に建てられたと思われ、窮屈な立地のため全体像が掴みづらいです。大正5年10月26日開業時の所在地は北海部郡日代村で、昭和26年4月1日の合併で津久見市となりました。

直川駅

日代16:31発普通佐伯行き4647M(クハ812-3102)で佐伯へ。駅近くの弁当屋で弁当を買ってから17:29発普通重岡行き1633M(クハ814-17)に乗り直川へ。平成17年3月3日の合併で佐伯市となった旧:南海部郡直川村の駅で、周囲に建物は多いものの、利用者は少なく閑散としています。かつては駅舎がありましたが、平成15年12月頃に解体されて跡地に公衆便所が建てられています。

直川駅

大正9年11月20日に佐伯から伸びてきた豊州本線の終点「神原(ごうのはる)」として開業。当時の所在地は南海部郡川原木村でした。川原木村は昭和26年4月1日に直見村と合併して直川村となり、駅名も昭和36年3月20日に改称されました。

延岡駅

直川18:36発普通大分行き1644M(クモハ815-17)で佐伯に戻り、19:19発特急にちりん15号宮崎空港行き5015M(サハ787-212)に乗り換えて延岡へ。この日はビジネスホテル延岡に泊まりました。