まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

3/12 弥生の日豊本線駅巡り その2

九州遠征四日目は延岡周辺を中心に日豊本線の駅を巡りました

北川駅

延岡を6:10発普通佐伯行き2760M(クハ787-102)で出発し、北川で下車。途中、北延岡~日向長井間で鹿と衝突したため、15分遅れでの到着となりました。平成19年3月31日に延岡市編入された旧:東臼杵郡北川町の玄関口で、対岸には市街地が広がっていますが、駅の利用者は多くありません。停車する列車は下り1本、上り2本のみで、訪問難易度が高い宗太郎越え(重岡~延岡間)の駅の一つです。かつてあった駅舎は撤去され、ホーム上にはベンチ付きの上屋しかありません。昭和24年5月1日に地元の陳情で開業。土地買収と造成を地元で負担するのが駅開設の条件であったため、地元では奉仕隊を結成して工事を行いました。

旭ケ丘駅

12分遅れの北川7:08発普通延岡行き2761M(クロハ786-11)と3分遅れの延岡7:35発普通西都城行き731M(クハ816-8)で旭ケ丘へ。延岡市郊外の住宅街にある駅で、昭和63年3月13日に開業しました。ホーム上にログハウス風の小さな駅舎があります。小さな駅舎ながらもかつては有人駅でした。

南延岡駅

旭ケ丘7:50発普通延岡行き722M(クモハ713-2)で南延岡へ。延岡市の南の玄関口で、みどりの窓口も設置されている特急停車駅です。昭和53年4月5日竣工の駅舎は二階建てで、改札口や窓口、待合室などは二階に設けられています。大正11年2月11日に富高(現:日向市)から伸びてきた宮崎本線の終点として開業、延岡駅よりも約三カ月早い開業で、当時の所在地は東臼杵郡富村でした。恒富村昭和5年4月11日に延岡市編入されています。

南日向駅

南延岡8:32発普通南宮崎行き735M(クハ712-2)で南日向へ。日向市平岩地区にある駅で、大正10年10月11日に宮崎本線の「岩脇」として開業しました。当時の所在地は東臼杵郡岩脇村で、昭和26年4月1日に富島町と合併して日向市となっています。岩脇村は明治の町村制で平村と幸村が合併して誕生した村で、両村から一字ずつ取った合成地名です。駅名は昭和38年5月25日に改称されましたが、日向国全体で見ると北の方に位置しています。平成12年2月12日改築の駅舎は南日向コミュニティセンターとの合築で、駅舎内を通らずともホームに行くことができる構造です。

土々呂駅

南日向9:20発普通延岡行き726M(クモハ817-3)で土々呂へ。ジブリのキャラクターを連想させる駅名の駅で、延岡市南部の土々呂地区にあります。昭和52年12月改築の駅舎は簡素なもので、なぜか駅前側に駅名標が掲げられています。大正11年2月11日開業、当時の所在地は東臼杵郡伊形村で、昭和11年10月25日に延岡市編入されています。明治の町村制まで当地には櫛津土々呂村がありました。

財光寺駅

2分遅れの土々呂9:57発普通宮崎空港行き737M(クハ816-25)で財光寺へ。平成元年3月11日に開業した駅で、小さな駅舎ながら簡易委託の窓口が設置されています。駅名の由来は明治の町村制で富高村が成立するまで存在した東臼杵郡財光寺村です。

門川駅

財光寺10:37発普通延岡行き730M(クモハ817-1001)で門川(かどがわ)へ。東臼杵郡門川町の玄関口で、特急も一部が停車します。平成6年4月改築の駅舎は門川町商工コミュニティセンターAPIOとの合築で、船をイメージしたデザイン。簡易委託の窓口が設置されています。大正11年2月11日開業時の所在地は東臼杵郡門川村で、昭和10年2月11日に町制施行しました。

川南駅

門川11:27発普通宮崎空港行き739M(クモハ817-3)で川南へ。児湯郡川南町の玄関口かつ唯一の駅ですが、町の中心からは大きく離れているため、駅前は閑散としています。駅舎は平成元年3月改築で、簡易委託の窓口が設置されています。駅裏は海岸ですが、ホームから直接海を見ることはできません。大正10年6月11日開業時の所在地は児湯郡川南村で、昭和28年2月11日に町制施行しました。

美々津駅

川南12:30発普通延岡行き734M(クモハ817-25)で美々津へ。神武東征出発の地とされ、高鍋藩の上方貿易港とされた港町・美々津の玄関口で、町の中心からは2㎞ほど離れています。平成5年3月22日改築の駅舎は重伝建・美々津の街並みをイメージした和風木造で、落ち着いた雰囲気。駅裏には日本ハムの工場があります。大正10年6月11日に高鍋から伸びてきた宮崎本線の終点として開業。当時の所在地は児湯郡美々津町で、昭和30年1月1日に日向市に編入されました。

日向新富駅

美々津13:15発普通宮崎空港行き741M(クハ816-1001)で日向新富へ。児湯郡新富町の玄関口で、簡易委託の窓口が設置されています。駅舎は平成4年3月改築で、待合室は広めです。大正9年9月11日に宮崎本線の「三納代(みなしろ)」として開業。当時の所在地は児湯郡富田村(とんだむら)で、明治の町村制で富田村が成立するまでは三納代村でした。富田村は昭和34年3月31日に新田村(にゅうたむら)と合併して新富町となり、駅名も昭和36年3月20日に改称されています。「日向」を冠したのは深名線新富駅と区別するためでした。

T-33Aジェット練習機

新富町航空自衛隊新田原(にゅうたばる)基地のある町で、駅前の公園には航空自衛隊の訓練機が展示されています。

高鍋駅

日向新富14:11発普通延岡行き736M(クモハ817-3)で高鍋へ。秋月氏高鍋藩の城下町として栄えた児湯郡高鍋町の玄関口で、みどりの窓口もある特急停車駅ですが、町の中心からは約2㎞離れています。大正9年9月11日に広瀬(現:佐土原)から伸びてきた宮崎本線の終点として開業。駅舎は昭和20年7月16日の空襲で焼失し、昭和22年7月に現在の駅舎が再建されました。天井の高い立派な駅舎で、主要駅らしい風格が漂っていますが少々くたびれてきているので今後が心配です。

佐土原駅

高鍋14:32発普通南宮崎行き743M(クハ816-9)で佐土原へ。平成18年1月1日に宮崎市編入された旧:宮崎郡佐土原町の玄関口で、特急も停車します。駅舎は昭和42年2月改築で、国鉄準主要駅らしい雰囲気。大正9年9月11日、2代目「広瀬」駅として開業。当時の所在地は宮崎郡広瀬村でした。広瀬村は昭和26年4月1日に町制施行して宮崎郡広瀬町となり、昭和33年4月1日の合併で佐土原町となっています。駅名は昭和40年7月1日に2代目「佐土原」に改称、初代佐土原駅はこの一か月前に「西佐土原」に改称されました。宮崎本線よりも先に開業し、当駅から分岐していた妻線は昭和59年12月1日に廃止されています。

東都農駅

佐土原15:06発普通延岡行き738M(クモハ817-1001)で東都農へ。都農町北部の農村地帯にある駅で、かつては駅前にリニア実験線見学施設がありました。昭和27年8月21日開業。駅舎のない簡素な駅で、1番ホーム側にのみ待合所が設置されています。

リニア実験線

駅から東の方向に見えるのが宮崎リニア実験線の跡。当駅の前後で日豊本線と並行して高架が連なっています。昭和54年12月には無人で時速512㎞を記録するなど、リニア実用化に向け大きく貢献しましたが、昭和62年12月に石原慎太郎運輸大臣が「鶏小屋と豚小屋の間を走っている格調の低い実験線では十分なことはできない」と新実験線の建設を決め、平成8年に走行試験を終了しました。実験終了から既に四半世紀が経ち、まるで鉄建公団線の廃線跡のようです。

都農駅

東都農16:19発普通宮崎空港行き749M(クハ816-3)で都農(つの)へ。児湯郡都農町の玄関口で、簡易委託の窓口が設置されていますが、町の中心からは約1㎞離れています。駅舎は平成29年6月16日に改築されたもので、名駅舎として知られていた旧駅舎のデザインを踏襲しています。駅舎内には観光協会が入居。

日向市駅

日向市駅 ホーム

都農16:35発普通延岡行き742M(クモハ817-14)で日向市へ。日向市の代表駅で、みどりの窓口も設置されている特急停車駅です。平成18年12月17日に高架化、地元産の杉材を使用した美しいデザインの高架駅です。旭川駅高知駅高山駅を手掛けた建築家・内藤廣氏によるデザインで、旭川駅高知駅とは共通するものが感じられます。大正10年10月11日に美々津から伸びてきた宮崎本線の終点「富高(とみたか)」として開業。当時の所在地は東臼杵郡富高町で、10日前に町制施行したばかりでした。富高町は昭和12年10月1日に細島町と合併して東臼杵郡富島町となり、昭和26年4月1日に岩脇村と合併して日向市となりました。

延岡駅

日向市17:53発普通延岡行き746M(クモハ817-25)で延岡へ。旭化成企業城下町延岡市の代表駅で、当駅以北は普通列車が上り1本、下り2本のみと一気に減少します。駅舎は昭和40年に建てられた古いものですが、平成29年8月5日に増改築されて新築のように生まれ変わっています。大正11年5月1日に南延岡から伸びてきた宮崎本線の終点として開業。当時の所在地は東臼杵郡延岡町で、昭和8年2月11日に市制施行して延岡市となりました。

この日も延岡に宿泊、難関区間宗太郎越えも明日でいよいよ終わりです。