まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

3/13 弥生の日豊本線駅巡り その3

九州遠征五日目も日豊本線。宮崎県内の残りを片付けつつ鹿児島へと向かいます

宗太郎駅

前日と同じく延岡を6:10発普通佐伯行き2760M(クハ787-113)で出発し、県境を越えて宗太郎で下車。大分と宮崎の県境を隔てる宗太郎峠にある駅で、秘境駅として知られています。18きっぷシーズンともあって、同じ列車から他に二人降りました。明るい時間にこの駅に降りるにはこの時間しかない以上、人のいない駅を楽しむには車で来るしかなさそうです。

宗太郎駅

 

駅前には人家が数軒の集落が形成されていますが、外の世界とは隔絶されていて隠れ里のような雰囲気。「宗太郎」の地名については、岡藩に命じられて付近の山々を見回っていた洲本宗太郎(山廻り役人?)からついたとされています。駅は大正12年12月15日に宗太郎信号所として開設され、地元の請願により昭和22年3月1日に駅に昇格しました。かつては停車する列車もそれなりにありましたが、現在は6:39の上り、6:54の下り、20:35の上りの計3本しかなく、下りはこれが始発兼最終となります。

北延岡駅

宗太郎6:54発普通延岡行き2761M(クロハ786-6001)で北延岡へ。延岡市差木野地区にある駅で、乗ってきた列車の次は20時台まで列車はありません。駅前を交通量の多い国道10号日向街道が通り、民家もそれなりにあるため、宗太郎と比べると開けた印象を受けます。昭和28年2月11日開業、駅舎は無人化後に撤去されています。利用が少ないためか、ホーム上の待合所も荒れて放置状態でした。

赤土からバスに乗車

延岡方面に5分ほど歩き、赤土バス停から3分ほど遅れの7:36発延岡駅行きバスに乗車。延岡駅までは5㎞弱あるため、歩かずに済むならそれに越したことはありません。日向長井と市棚は以前に訪問済みのため、難所・宗太郎越えの各駅はこれにて全駅制覇となりました。延岡駅にはバスで12分ほどで到着。

普通

延岡駅にはバスで12分ほど。延岡からは8:28発普通南宮崎行き735M(クハ712-2)で宮崎へ向かいます。充当されるのはもはや一日一運用しかない絶滅危惧種の713系。音はうるさいですが、特急のリクライニングシートを転用しているので、硬い木の椅子の817系とは快適性が雲泥の差です。

宮崎駅

宮崎で下車。宮崎県の県庁所在駅かつ宮崎市の代表駅で、平成5年3月6日に高架化されています。大正2年12月15日に宮崎県営鉄道の駅として開業、当時の所在地は宮崎郡宮崎町でした。大正5年10月25日に鉄道院宮崎線が全通して乗り入れ、翌年9月21日に宮崎県営鉄道が国有化されて国鉄の単独駅となっています。大正12年12月15日、重岡~市棚間が開業すると宮崎本線は豊州本線と繋がって日豊本線となり、宮崎町も翌大正13年4月1日の合併で市制施行を果たして宮崎市となりました。

蓮ケ池駅

宮崎10:59発普通延岡行き732M(クモハ817-1004)で蓮ケ池へ。昭和61年12月1日に蓮ヶ池臨時乗降場として開業した駅で、翌年の民営化時に正駅に昇格しました。駅前には団地がありますが、ホームの向かいには田園地帯が広がっています。臨時乗降場としてスタートしたためか、駅設備は至ってシンプルです。

宮崎神宮駅

蓮ケ池11:14発普通宮崎空港行き737M(クハ816-1001)で宮崎神宮へ。神武天皇を祀る宮崎神宮の最寄り駅で、特急も一部が停車します。大正2年12月15日に宮崎県営鉄道の「花ヶ島」として開業、当時の所在地は宮崎郡大宮村でした。駅名は明治の町村制で大宮村が成立するまで存在した宮崎郡花ヶ島村に由来します。大宮村は大正13年4月1日の合併で宮崎市となり、駅名も昭和29年11月10日に改称されています。かつては宮崎神宮を模した駅舎がありましたが、平成19年2月末から解体され、跡地には駅名の掲げられた鳥居が建てられています。

日向住吉駅

宮崎神宮12:00発普通延岡行き734M(クモハ817-1001)で日向住吉へ。宮崎市北部・住吉地区にある駅で、朝の時間帯のみ窓口が営業しています。古い木造駅舎が残りますが、大幅に改装されています。大正2年12月15日に宮崎県営鉄道の「次郎ヶ別府(じろうがびゅう)」として開業、当時の所在地は宮崎郡住吉村でした。大正3年8月1日には住吉神社とを結ぶ住吉村営人車軌道が開業し、参拝などに利用されましたが、昭和4年に廃止されています。駅名は昭和10年10月1日に改称されました。住吉村は昭和32年10月1日に宮崎市編入宮崎市ベッドタウンとして宅地化が進み、駅の利用者も多いです。

南宮崎

日向住吉12:32発普通宮崎空港行き739M(クハ816-14)で南宮崎へ。日南線の分岐駅で、JR九州宮崎支社と宮崎車両センターが併設されています。大正2年10月31日に宮崎軽便鉄道(現:日南線)の起点「赤江」として開業、当時の所在地は宮崎郡赤江村でした。赤江村は大正15年4月1日に町制施行して宮崎郡赤江町となり、昭和18年4月1日に宮崎市編入されています。赤江駅は清武までが開通した大正4年3月20日に「大淀」に改称、宮崎~清武間は鉄道院が建設したものの、当初は宮崎県営鉄道に貸渡されて運行されていました。駅名は昭和17年4月1日に「南宮崎」に再改称されています。駅舎は昭和51年8月25日改築の半橋上駅舎で、一階には食堂ライオンが入居しています。

宮交シティ

 

お昼をライオンで頂いてから、駅前の宮交シティへ。ベスト電器でSDカードを買ってクーポンを使い切りました。全国旅行支援のクーポンはGOTOトラベルのクーポンと比べると使える店が限られているので、結局こういう形で使い切ることが多いです。

都城駅

南宮崎13:43発普通西都城行き6883M(クハ816-11)で都城へ。宮崎県第二の都市・都城市の代表駅で、吉都線が分岐しています。昭和50年3月25日改築の駅舎は鉄筋コンクリート造二階建ての主要駅らしい立派なもので、内部には飲食店と観光協会・案内所が入居しています。都城市の中心へは西都城駅の方が近く、駅前は都市の規模の割には閑散とした印象です。大正2年10月8日、谷頭から伸びてきた宮崎線(現:吉都線)の終点として開業、大正3年2月11日の三股延伸で途中駅となりました。当時の所在地は北諸県郡都城町で、大正13年4月1日に市制施行して都城市となっています。

大隅大川原駅

都城16:02発普通鹿児島中央行き6955M(クハ816-8)で県境を越えて大隅大川原へ。曽於市北西部・財部北地区にある駅で、北永野田駅との間には曽於市霧島市を隔てる険しい山が立ちはだかっています。平成22年3月改築の駅舎は地元産の杉を使用したもので、「悠久の駅舎」の愛称が付けられています。昭和6年11月1日、財部から伸びてきた国都東線の終点として開業、昭和7年12月6日の日豊本線全通で途中駅となりました。ホームは駅舎よりも高いところにあり、坂を上ったところの跨線橋で結ばれています。駅前は開けている印象ですが、実は深い山間の集落で、利用者はあまり多くありません。

五十市駅

大隅大川原16:35発普通都城行き6946M(クモハ817-513)で五十市(いそいち)へ。宮崎県と鹿児島県の県境近くにある駅ですが、周辺は都城市郊外の住宅街で開けた印象です。駅舎は昭和55年ごろの改築で、学生の利用が多いためか同型の簡易駅舎より少しだけ大きいです。都城駐屯地および都城高校の最寄り駅で、駅裏にはショッピングセンターがあるため、西都城折り返しの列車を財部まで延伸して本数を増やせば需要がありそうに思えます。昭和4年4月28日開業時の所在地は北諸県郡十市村で、昭和11年5月20日都城市編入されました。

北俣駅

十市17:22発普通鹿児島中央行き6959M(クハ816-513)で北俣へ。隠れ里のような雰囲気漂う山間の集落にある駅で、下手に観光地化された秘境駅よりもよっぽど雰囲気がいいです。鉄道ファンの間でもあまり知られていないためか駅ノートも書き込みが少なく、他の駅で見かけるような悪戯やアレな人の書き込みもなく平和でした。願わくばこのまま有名になることなくそっとされておいてほしいものです。昭和6年11月1日に国都東線の駅として開業、駅名は明治の町村制で囎唹郡財部村が成立するまで存在した囎唹郡北俣村に由来します。

財部駅

北俣17:59発普通都城行き6950M(クモハ817-504)で財部(たからべ)へ。平成17年7月1日の合併で曽於市となった旧:曽於郡財部町の玄関口で、かつては急行が停車していました。平成20年3月23日改築の駅舎「曽於市やまびこ館」は多目的ホールとの合築で、蕎麦店が入居しています。昭和4年4月28日に西都城から伸びてきた国都東線の終点として開業、当時の所在地は囎唹郡財部町でした。囎唹郡はあまりに漢字が難しいためか、昭和47年4月1日に曽於郡に改称しています。

財部駅前の三毛猫

財部駅の駅舎や駅前を撮っていると、一匹の三毛猫が餌をもらえると思ったのか歩く後をついて来ました。旅先で出会う野良猫は近付いたりカメラを向けると逃げることが多いだけに自分から近づいてくるのは珍しいです。周囲が暗くなるといつの間にか帰ったのかいなくなっていました。

鹿児島駅

財部18:55発普通鹿児島中央行き6963M(クハ816-1506)で鹿児島へ。日豊本線の終点で、これより先は鹿児島本線となりますが、列車は鹿児島中央まで直通します。明治34年6月10日、国分から伸びてきた鹿児島線の終点として開業。当時は鹿児島市の代表駅でした。時代の流れによって代表駅の座を西鹿児島鹿児島中央)駅に奪われてしまい、現在は単なる途中駅と化しています。駅舎は令和2年2月15日より使用開始された5代目で、2階に改札とみどりの窓口がある半橋上駅舎です。この日は快活クラブ鹿児島天文館通に泊まりました。