まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

7/26 灼熱の奥羽本線(山形線)・仙山線駅巡り

この日も引き続き山形の駅を巡りました。

新庄市役所

笠地蔵とおりの建物

旧:楯岡銀行

門脇医院

陽の長い季節なので5時にホテルを出て、始発までの時間で新庄市街を散策。昭和29年に建てられた新庄市役所をはじめとして、新庄には古い建物が多く残っています。早朝だけあって霧が出るほどの涼しさで、夏に街歩きをするなら早朝一択だなと思います。

芦沢駅

新庄5:47発普通米沢行き1420M(クハ700-5505)で芦沢へ。東北地方で最も人口の少ない市・尾花沢市にある唯一の駅ですが、市の中心部からは大きく離れています。大正5年12月1日開業時の所在地は北村山郡福原村で、明治の町村制までは北村山郡芦沢村でした。福原村は昭和29年10月1日の合併で北村山郡尾花沢町となり、昭和34年10月1日に市制施行して尾花沢市となっています。芦沢駅には平日午前中のみ営業する簡易委託の窓口があり、訪問時には駅員のおじさんが駅舎内外を掃除していました。掃除が終わるのを待って入場券を購入し、スタンプも押させてもらいました。銀山温泉がデザインされたスタンプは、もう一つのスタンプを重ね押しにすることで冬仕様にできる珍しいものです。

大石田駅

芦沢6:37発普通山形行き1424M(クモハ701-5503)で大石田へ。最上川の舟運で栄えた北村山郡大石田町の駅で、隣接する尾花沢市への玄関口でもあります。昭和45年9月10日までは山形交通尾花沢線が分岐していました。駅舎は平成11年12月4日の山形新幹線新庄延伸に合わせて改築されたもので、屋根が階段状になった珍しい造りです。

大石田の建物

大橋

大石田の洋館

旧:大石田銀行本店

大石田の洋館

最上川沿いに形成された大石田の市街地を散策。詳細は不明ですが、古そうな建物が多く残っていました。まだ7時台ですが日が出てきて早くも暑くなりつつあります。

村山駅

大石田7:51発普通山形行き1428M(クハ718-5002)で村山へ。村山市の代表駅で、平成11年12月4日の山形新幹線新庄延伸に合わせて改築されると同時に「楯岡」から改称されました。明治34年8月12日、奥羽南線の終点として開業。当時の所在地は北村山郡楯岡町で、昭和29年11月1日の合併時に市制施行して村山市となりました。

丸藤

楯岡町消防組 消防団第一分団第三部

旧:小川履物店

早川食堂

楯岡(たておか)の市街地を散策。楯岡は羽州街道の宿場町として栄えたところで、江戸時代初期までは楯岡城が置かれていました。蝦夷地探検で知られる最上徳内の出身地でもあります。現在でも質の高い近代建築が多く残っていますが、数年前までは大正時代の図書館やかつての役場も残っていたそうで、惜しまれるところです。

置賜駅

村山8:48発普通山形行き1430M(クハ700-5507)と山形9:34発普通米沢行き428M(クハ718-5002)を乗り継いで置賜(おいたま)へ。その名の通り置賜盆地の田園地帯にある駅で、昭和58年改築の駅舎は山形県内標準仕様の簡易駅舎。使われなくなったホームと途中で塞がれた跨線橋も残っています。大正6年12月20日開業時の所在地は東置賜郡上郷村で、明治の町村制までは東置賜郡浅川村でした。上郷村は昭和33年2月1日に米沢市編入されています。

羽前中山駅

置賜10:46発普通山形行き435M(クモハ719-5002)で羽前中山へ。村山盆地と置賜盆地を隔てる峠越えの途中にある駅で、山形方が複線、米沢方が単線となっています。駅舎は平成13年改築。昭和27年11月15日開業時の所在地は東置賜郡中川村で、明治の町村制までは東置賜郡中山村でした。中川村は昭和30年6月10日の合併で赤湯町となりますが、大字中山のみ昭和32年3月21日に上山市編入されました。

赤湯駅

羽前中山11:26発普通米沢行き430M(クハ700-5506)で赤湯へ。山形鉄道フラワー長井線の分岐駅で、南陽市の玄関口です。赤湯温泉および赤湯市街へは少し離れています。山形新幹線開業に一年遅れて平成5年7月14日に竣工した駅舎はハンググライダーを模したもので、大曲駅も設計した建築家・鈴木エドワードの設計によるものです。明治33年4月21日に奥羽南線の終点として開業。当時の所在地は東置賜郡冲郷村で、駅名は隣接する東置賜郡赤湯町から取られました。沖郷村は昭和30年4月1日に梨郷村と合併して東置賜郡和郷村となり、昭和42年4月1日に赤湯町・宮内町と合併して南陽市となっています。

茂吉記念館前駅

赤湯11:52発普通山形行き437M(クモハ719-5012)で茂吉記念館前へ。斎藤茂吉記念館の最寄り駅で、平成4年7月1日の山形新幹線開業に合わせて「北上ノ山」から改称されました。昭和27年3月5日開業時の所在地は南村山郡上山町で、昭和29年10月1日の合併で上山市となりました。駅のある弁天地区に隣接する金瓶地区(旧:南村山郡金瓶村)はアララギ派歌人斎藤茂吉の出身地。金瓶村の守谷家に生まれた茂吉は、青山脳病院の院長だった同郷の精神科医・斉藤紀一の婿養子となり、病院経営や研究に携わりながら活動しました。上山は斎藤一族をモデルに次男・北杜夫が書いた『楡家の人びと』の重要な舞台の一つになっています。

中川駅

茂吉記念館前12:25発普通米沢行き432M(クハ718-5002)で中川へ。東北では貴重な貨車駅舎が残る駅で、昭和61年3月に木造駅舎から有蓋貨車転用の駅舎に改築されました。駅構内にはカミキリムシの死骸が多く、墓場といった感じです。駅の前と裏に工場があり、構内はそこを行き来する社員の通路としても使われているようです。平日日中にサラリーマンが結構な頻度で行き交う無人駅の跨線橋というのも珍しいでしょう。明治36年11月3日開業時の所在地は東置賜郡中川村で、昭和30年6月10日の合併で東置賜郡赤湯町となり、昭和42年4月1日の合併で南陽市となりました。

かみのやま温泉駅

中川12:52発普通山形行き439M(クモハ701-5506)でかみのやま温泉へ。上山市の代表駅で、平成4年7月1日の山形新幹線開業に合わせて「上ノ山」から改称されました。駅舎は同年6月25日改築。上山温泉は湯野浜・東山と並んで「奥羽三楽郷」に数えられる名湯で、肥前出身の僧・月秀が温泉で傷を癒している鶴を見て発見した伝説から「鶴脛の湯」の別名を持ちます。

上山の建物

山内呉服店

よね本旅館

旧:上山郵便局

上山(かみのやま)は江戸時代には上山藩の城下町だったところで、能見松平家をはじめとして蒲生家・土岐家・金森家と藩主がころころと変わったのち、藤井松平家三万石が十代174年続きました。温泉町かつ城下町だけあって古い街並みも残っていますが、あまりの暑さに事前にチェックしていた建物を見ただけで駅に戻りました。夏は街歩きには厳しい季節です。

蔵王駅

かみのやま温泉14:13発普通山形行き443M(クモハ719-5002)で蔵王へ。山形市南郊外の住宅地にある駅で、蔵王山を望む立地ですが、駅名に反して蔵王観光の玄関口ではありません。明治44年11月25日に「金井」として開業。当時の所在地は南村山郡金井村で、昭和29年11月1日に山形市編入されています。駅名は昭和26年3月1日に改称、駅舎も翌27年9月に石造り風に改築されました。窓口閉鎖時間帯ながら待合室はクーラーが効いていたのがありがたかったです。

羽前千歳駅

蔵王15:08発普通山形行き445M(クモハ719-5001)と1分遅れの山形15:48発普通新庄行き445M(クモハ701-5509)で羽前千歳へ。奥羽本線仙山線の分岐駅で、幅の違う二つの線路が島式ホームを挟んでいます。分岐駅ながら駅舎はなく、平成11年12月4日の山形新幹線開業に新庄延伸に合わせて改築された跨線橋上に券売機があります。

高瀬駅

羽前千歳16:21発普通仙台行き842M(クハ720-1007)で高瀬へ。のどかな田園地帯の中にある駅で、ジブリ映画『おもひでぽろぽろ』にも登場しますが、駅舎は平成13年3月の改築により当時とは変わってしまっています。昭和25年7月1日開業時の所在地は東村山郡高瀬村で、昭和29年10月1日に山形市編入されました。

楯山駅

高瀬16:59発普通山形行き841M(クモハE721-1019)で楯山へ。平成11年3月改築の駅舎は仙台支社管内でよく見かけるタイプのもの。駅舎内では登山帰り?のおっさんがシャツを脱いで着替えて上半身裸になっていたので、おっさんがいなくなって写真を撮れるようになるまでだいぶ待ちました。駅舎内にはカミキリムシが多く、死骸がある一方で生きてるものもいましたが、また別のおっさんが生きてる虫を勢いよく蹴ってホームから線路へ落としており、常軌を逸したものを感じました。畑に出る害虫ならともかく駅にいる虫をわざわざ殺す必要はないでしょうし、殺し方もいい年した大人のやり方という感じではありませんでした。旅の締めくくりの駅としてはなんとも後味の悪い感じです。駅は昭和8年10月17日開業。当時の所在地は東村山郡楯山村で、昭和29年10月1日に山形市編入されました。

楯山17:22発普通仙台行き844M(クモハE721-34)で仙台へ。20:30発JAMJAM EXPRESS361便で京都まで帰り、7:45発新快速姫路行き3413M(クモハ223-2057)と尼崎8:28発快速新三田行き5427M(サハ207-2016)を乗り継いで宝塚に帰りました。