まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

7/31 灼熱の牟岐線・高徳線駅巡り

7/31~8/1の二日間、四国の駅を巡りました

神姫バス101便

逆瀬川5:46発普通西宮北口行き(5001)で出発し、西宮北口5:56発普通新開地行き(8553)に乗り換えて三宮へ。阪神百貨店前から8:35発神姫バス101便に乗車し、徳島駅前には8:29着。海の向こうとはいえ、さすがは隣県。徳島って案外近いんだなと感じます。

三河家住宅

次の牟岐線の列車まで一時間あるので歩いて阿波富田駅を目指します。その道中、三河家住宅を撮影。昭和4年に建てられたドイツ風の3階建て洋風住宅で、国の重要文化財

阿波富田駅

20分ほどで到着した阿波富田はホームだけの簡素な駅。昭和61年11月1日に通年営業の臨時駅として開業しました。小さな駅ながら徳島県庁の最寄り駅で、利用者も多く、特急「むろと」も停車します。戦前、同位置には「富田浦」駅が存在していました。

田井ノ浜

阿波富田9:33発阿波海南行き4533D(1248)で田井ノ浜へ。海水浴シーズンのみ営業する臨時駅で、今年は令和元年以来4年ぶりに開設されることになりました。

news.yahoo.co.jp

詳細はこちらの記事をどうぞ。

羽ノ浦駅

田井ノ浜12:51発普通徳島行き4552D(1248)で羽ノ浦へ。平成18年3月20日阿南市編入された旧:那賀郡羽ノ浦町の玄関口で、平日のみ窓口が営業しています。大正5年12月15日に中田と古庄を結ぶ阿南鉄道の駅として開業。牟岐線昭和11年3月27日に当駅から桑野までが最初に開業し、同年7月1日に阿南鉄道が国有化されて編入されました。古庄までは貨物支線となったものの、昭和36年4月1日に廃止されています。

旧:岡本医院

駅近くには昭和7年または大正期に建てられたとされる旧:岡本医院が残っています。昭和60年ごろに廃業したものの、民家として使われている様子。

阿南市羽ノ浦支所

阿南市羽ノ浦支所は昭和41年8月1日竣工。合併前の羽ノ浦町は面積の小さな町ながら、県内では数少ない人口が増加傾向にある町で、人口密度は県内4位でした。平成17年3月20日には阿南市那賀川町との合併の是非を問う住民投票を行っていますが、その後の3月23日には住民投票の投票済み用紙が盗まれる事件が起きていました。

中田駅

羽ノ浦14:07発普通徳島行き554D(1005+1008)で中田(ちゅうでん)へ。昭和60年3月14日に廃止された小松島線が分岐していた駅で、小松島軽便線と阿南鉄道の分岐駅として大正5年12月15日に開業しました。昭和11年7月1日の阿南鉄道国有化に合わせて改築された駅舎が長らく使われてきたものの、昨年6月6日より仮駅舎に移行して解体されました。7月に完成した新駅舎(財産標日付は8月11日)は最近の四国ではよく見かける銀箱駅舎です。

文化の森駅

中田14;57発普通徳島行き4556D(1558)で文化の森へ。平成2年11月3日に開業した駅で、園瀬川橋梁架け替え工事に伴って平成13年11月21日に高架化されています。徳島県文化の森総合公園への最寄り駅として開業したものの、約1.4㎞離れており、30分以上かけて歩くか、バスに乗り換えていかねばなりません。

地蔵橋駅

文化の森15:08発普通阿南行き555D(1008+1005)で地蔵橋へ。徳島市最南端の駅で、昭和26年4月1日に編入された旧:勝浦郡勝占村(かつうらそん)に位置します。駅名の由来は駅近くの多々羅川にかかる小さな橋です。

地蔵橋駅

大正2年4月20日阿波国共同汽船の駅として開業。国鉄が借り上げて小松島軽便線としました。阿波国共同汽船は大正6年9月1日に国有化されています。駅舎は建物財産標によれば大正15年8月に建てられたもの。ホーム側の庇を支える柱の形状がなんともレトロです。

二軒屋駅

地蔵橋15:27発普通徳島行き4558D(1509)で二軒屋へ。古来、家が二軒しかなかったことに由来する地名から名付けられた駅で、そんな地名の由来を感じさせないくらいに周辺は都市化しています。駅舎は民営化後に改装されたもので、かつてはパン屋が入居していましたが、撤退して喫茶店となり、現在はコワーキングスペースとなっています。牟岐線はこれにて全駅訪問達成。暑かったので駅前のミニストップでティラミスプリンパフェを食べながら列車を待ちました。この後は高徳線の駅を巡っていきます。

吉成駅

二軒屋16:06発普通徳島行き4560D(1229)と徳島16:20発普通鳴門行き970D(キハ47-191+キハ47-177)で吉成へ。徳島市最北端、吉野川北岸にある駅で、平成31年3月に銀箱駅舎に改築されています。大正5年7月1日に阿波電気鉄道の駅として開業。当時の所在地は板野郡応神村で、明治の町村制までは板野郡吉成村でした。応神村は昭和41年10月1日に徳島市編入されています。

勝瑞駅

吉成16:36発普通徳島行き4358D(1508)で勝瑞(しょうずい)へ。板野郡藍住町および隣接する板野郡北島町の玄関口で、特急「うずしお」も約半数が停車します。駅舎は昭和32年3月の駅移転時に改築されたもので、トイレが外から丸見えであることが物議を醸したため、最近になって暖簾が取り付けられました。駅名の由来は明治の町村制まで存在した板野郡勝瑞村で、町村制で板野郡住吉村となり、昭和30年4月29日に板野郡藍園村と合併して藍住町となっています。

池谷駅

勝瑞17:16発普通鳴門行き972D(キハ40-2110+キハ47-118)で池谷(いけのたに)へ。高徳線鳴門線の分岐駅で、特急「うずしお」も一部が停車します。駅名の由来は明治の町村制まで存在した板野郡池谷村で、町村制で板野郡堀江村となり、昭和28年4月1日の町制施行で堀江町となりました。堀江町は昭和34年4月1日に坂東町と合併して板野郡大麻町となり、昭和42年1月1日に鳴門市に編入されています。

池谷駅

池谷駅の特徴は「ハ」の字に配置された2本のホームで、それに挟まれるように駅舎が置かれています。二つの路線の分岐駅で、ホームがY字に分かれる駅はそれなりにありますが、完全に別れきっているタイプはなかなか珍しいのではないでしょうか。

阿波川端駅

池谷17:48発普通板野行き564D(1005+1008)で阿波川端へ。旧吉野川北岸の田園地帯にある駅で、四国八十八ヵ所第二番札所・極楽寺の最寄り駅です。昭和2年7月15日に阿波鉄道の川端停留所として開業。昭和8年7月1日の国有化に際して改称されました。駅名の由来は明治の町村制で板西村が成立するまで存在した板野郡川端村です。駅舎は片流れ屋根の不思議な形状で、古いのか新しいのかよく分かりません。

坂東駅

阿波川端18:35発普通徳島行き351D(1008+1005)で坂東へ。阿波国一之宮・大麻比古神社や四国八十八ヵ所第一番札所・霊山寺の最寄り駅で、正月三が日のみ特急の一部が臨時停車します。大正12年2月15日に阿波電気鉄道の駅として開業。当時の所在地は板野郡坂東町でした。坂東町は第一次大戦後にドイツ人俘虜収容所が置かれたところで、ベートーヴェン交響曲第9番がドイツ人俘虜によって演奏されたのが日本初演だとされています。元野球選手の板東英二氏は坂東町の出身で、旧俘虜収容所を転用した引揚者住宅で幼少期を過ごしました。

坂東駅

坂東18:55発普通徳島行き353D(1235+1252)で徳島へ。徳島駅前の支那そば よあけの徳島ラーメンで夕食を摂り、セルフイン徳島東船場に宿泊しました。