まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

11/3 小田急多摩線・小田原線駅めぐり

前回はこちら

sakasegawa3019.hatenablog.com

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五月台駅

新百合ヶ丘11:07発各停唐木田行き7661(1453)で五月台へ。昭和49年に開業した駅で、所在地の地名から「五カ田」と命名される予定でしたが、語呂が悪いことや泥臭いことを嫌って明るいイメージの駅名としたそうです。ニュータウンに限らずこの手の地名の変更は良く見られますが、もう少し歴史を背負ってきた地名に対する敬意があってもいいのになと思います。

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栗平

五月台11:19発各停唐木田行き7663(3368)で栗平へ。かつての地名である都築郡木村と片村から一文字ずつ取って名付けられた駅で、なんとなく室蘭本線岩見沢側にありそうな響きの駅名です。橋上駅舎ですが、下りホームに面して南口改札も設置されています。

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黒川駅

栗平11:31発各停唐木田行き7665(3559)で黒川へ。多摩線で最も乗降人員の少ない駅で、他の駅と比べると駅前に商業施設は乏しいです。駅のはるひ野方には短いトンネルがあります。

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はるひ野駅

黒川11:43発各停唐木田行き7667(3406)ではるひ野へ。平成16年12月に開業した新しい駅ですが、昭和49年の多摩線開業時には既にこの地に新駅を建設する計画がありました。この手の新駅には珍しく駅舎は橋上ではなくホームに面して設置され、ホームと跨線橋は大屋根で覆われています。デザインは篠田義男建築研究所によるものです。屋根上には小型風力発電機と太陽電池が設置されています。

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小田急永山駅

はるひ野11:54発各停唐木田行き7669(1303)で小田急永山へ。京王永山駅に隣接した駅で、京王相模原線とはこの先もしばらく並走します。小田急の方が京王よりも4カ月だけ早く開業しました。昭和49年開業時、多摩線はここが終点でした。

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小田急多摩センター駅

小田急永山12:07発各停唐木田行き7671(3368)で小田急多摩センターへ。昭和50年4月の延伸で開業した駅で、こちらは京王多摩センター駅の方が半年早く開業しています。元は終着駅であったためにホームは2面4線を前提とした造りですが外側ホームには柵が立てられて使用されていません。

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唐木田駅

小田急多摩センター12:19発各停唐木田行き7673(3559)で唐木田へ。平成2年3月に開業した多摩線の終着駅で、喜多見検車区唐木田出張所が併設されています。相模原方面への延伸までの一時的な終着駅という位置づけのためか、終着駅という割には駅周辺に目立つ何かがあるわけではありません。

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柿生駅

唐木田12:33発急行新宿行き2726(8162)で新百合ヶ丘に戻り、12:53発各停本厚木行き6591(2052)で柿生へ。昭和14年川崎市編入された都築郡柿生村に由来する駅で、「柿生」の地名は日本最古の甘柿とされる禅寺丸柿の原産地であることにちなんでいます。駅舎は各ホームに面して存在し、駅前は手狭です。この駅で昼食としました。

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鶴川駅

柿生13:29発各停本厚木行き6597(2259)で鶴川へ。昭和33年の町田市成立まで存在した南多摩郡鶴川村に由来する駅で、「鶴川」の地名は鶴川村の前身である8村がいずれも鶴見川水系だったことにちなみます。実業家・白洲次郎は戦時中、鶴川村の農家を購入して疎開し、亡くなるまでをこの地で過ごしました。旧宅は現在「武相荘」として一般公開されています。

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玉川学園前駅

鶴川13:41発各停本厚木行き6599(2307)で玉川学園前へ。昭和4年に玉川学園による誘致で開業した駅で、玉川学園によって宅地開発が行われました。昭和45年に橋上化され、その際に小田急初の自動改札機が導入されましたが、故障が多く数年で撤去されました。作家・遠藤周作は昭和38年から62年までを玉川学園で過ごし、自宅を「狐狸庵」と称していました。エッセイなどではまるでとんでもない山奥かのように書かれていますが、実際は閑静な住宅街です。

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町田駅

玉川学園前13:54発各停本厚木行き6601(1117)で町田へ。昭和2年4月に「新原町田」として開業し、昭和51年4月に改称しました。同年に駅ビルが完成し、小田急百貨店町田店が開業しています。町田市の代表駅で、JR横浜線との乗換駅でもあるため利用者は多く、新宿駅に次いで小田急全駅で2番目の乗降人員を誇ります。しかし、あまりに巨大な駅のため、構図に困るのもまた事実。やっぱり駅めぐりは人が多くて巨大な駅よりもこじんまりとした駅の方が楽しめます。

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相模大野駅

町田14:18発各停本厚木行き6605(3956)で相模大野へ。江ノ島線の分岐駅で、以前江ノ島線駅めぐりの際にも降りていますが、前回撮っていなかった部分があるので再訪。駅名は昭和16年4月の相模原町成立まで存在した高座郡大野村に由来します。

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小田急相模原駅

相模大野14:41発各停本厚木行き6609(3431)で小田急相模原へ。昭和13年に「相模原」として開業した駅で、当時の所在地は高座郡大野村。「相模原」という町名ができる前から、合併によるその誕生を見越して名乗っていました。昭和16年国鉄横浜線相模原駅が開業すると駅名に「小田急」が冠されました。高座郡相模原町は昭和29年に市制施行をして徐々に成長し、現在では政令指定都市ですが、小田急の駅の方は中心部から離れているため、ごくごく普通の郊外住宅街の駅といった風情です。

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相武台前駅

小田急相模原14:55発各停本厚木行き6611(2453)で相武台前へ。昭和2年に「座間」として開業した駅で、昭和12年に「士官学校前」に改称、昭和15年に現駅名になりました。駅名改称は陸軍士官学校高座郡座間村に移転してきたことに伴うもので、座間村は昭和12年12月20日陸軍士官学校卒業式に昭和天皇行幸したのに合わせて町制施行しています。行幸の際、天皇から学校に「相武台」の名が下賜され、その後防諜上の理由から駅名は改称されました。戦後、陸軍士官学校が廃止されてからは「相武台」が地名として定着し、現在に至ります。相武台前駅には電留線が併設されており、駅舎は昭和45年に橋上化されています。

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座間駅

相武台前15:07発各停本厚木行き6613(3753)で座間へ。昭和2年に「新座間」として開業した駅で、「座間遊園」を経て昭和16年に現駅名になりました。駅舎は昭和53年に橋上化されています。戦前の小田原急行電鉄は当地に向ヶ丘遊園に続く2つ目の遊園地を計画していましたが、昭和恐慌や戦争の影響で挫折し、計画放棄に伴って駅名から「遊園」が外されました。座間市の代表駅ですが、実質的な中心は初代・座間駅である相武台前駅です。高座郡座間町は軍部の圧力による昭和16年の合併で相模原町の一部となりましたが、戦後の昭和23年に相模原町から独立、昭和46年に市制施行しました。

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海老名駅

座間15:21発各停本厚木行き6615(3907)で海老名へ。JR相模線、相模鉄道本線との乗換駅で、海老名市の玄関口でもあることから常に多くの人で賑わいを見せています。駅前には今年4月に「ロマンスカーミュージアム」がオープンしました。この日は海老名市制(昭和46年11月1日)50周年記念のイベントを駅前でやっていました。

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海老名市温故館(旧高座郡海老名村役場)

駅から10分ほど歩いて海老名市温故館へ。大正7年4月に建てられ、昭和15年の町制施行を経て昭和41年まで使われた旧海老名村役場を移築した資料館です。内部には相模国分寺を中心に海老名の歴史についての展示がなされています。

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急行新宿行き1276

キリがいいのでこの日の駅めぐりはここで終了。海老名16:32発急行新宿行き1276(8053)、新百合ヶ丘16:55発快速急行新宿行き3560(8057)と新宿17:25発山手線外回り1711G(モハE234-60)を乗り継いで帰宅しました。