8/25 夏の石巻線・仙石線駅めぐり
早朝の石巻駅からスタート。駅舎は大正元年12月、仙北軽便鉄道線(石巻線の前身)の駅として開業した際に建てられたもので、平成2年7月21日に仙石線の駅を統合した際に増改築されました。今年で築110年を迎える駅舎ですが、改札口などメインの部分が新しく造られているためにそれほど古さは感じられません。
頭端式の仙石線ホームも統合時に造り直されたもの。宮城電気鉄道という私鉄の駅として開業したために、かつては石巻線の駅とは別に存在しており、乗換には改札を一度出なければいけませんでした。地元では石巻線の駅を「汽車駅」、仙石線の駅を「電車駅」と呼んで区別していたそうです。統合後の仙石線ホームは島式の頭端ホーム、JRの駅として造られたものですが、どことなく私鉄の駅のような雰囲気が漂っています。
石巻6:00発普通あおば通行き622S(クハ204-3111)で陸前赤井へ。昭和30年5月まで存在していた旧・桃生郡赤井村(→矢本町→東松島市)の駅で、磐越東線赤井駅と区別するために「陸前」が冠されています。長らく開業時の木造駅舎が使用されていましたが、平成23年3月11日の東日本大震災の津波で被災、同年7月16日に仮駅舎で営業を再開しました。平成24年2月4日の新駅舎使用開始と同時に窓口の営業も再開されています。
陸前赤井6:32発普通石巻行き521S(クハ204-3104)で石巻へ戻り、6:57発普通女川行き1623D(キハ110-239+キハ110-242+キハ110-238)に乗り換えて渡波へ。昭和34年5月に石巻市・稲井町に分割編入された旧・牡鹿郡渡波町の駅で、令和2年3月13日までは有人駅でした。昭和14年10月開業時に建てられた駅舎は天井の高い立派なものでしたが、改築工事に伴って9月16日より仮駅舎に移行して役目を終えました。この記事を執筆している時点でもまだ解体工事は始まっていないようですが、時間の問題でしょう。
今回、石巻線を訪れたのはこの駅が改築されるという情報を聞いてのことでした。旧駅舎を解体した後に建設され、来年3月末より使用開始される予定の新駅舎は慶長遣欧使節船「サン・ファン・バウティスタ号」の見張台をモチーフとした半円形状のデザインとなる予定です。仙台藩主・伊達政宗が家臣の支倉常長らをスペインおよびローマに派遣した慶長遣欧使節は牡鹿半島の月の浦から出航したとされ、それを記念する宮城県慶長使節船ミュージアムは渡波が最寄り駅となっています。
開業以来83年に渡って使われ続けてきた駅舎は無人駅にしては美しく保たれているものの、視線を足元に転じてみれば亀裂が目に入りました。兄弟駅舎とも言うべき女川駅が流失した震災の津波では浸水しながらも耐えた渡波駅の駅舎もさすがに限界なのでしょう。名駅舎が消えるのは残念ですが、最後に見る機会に恵まれて良かったと思います。早朝ということもあって人が少なく、落ち着いて駅舎を撮ることができましたが、列車の時間が近づくにつれて学生が集まってきました。ローカル線の無人駅と言えど、周辺は市街地なので利用者はかなり多いようです。
渡波7:46発普通小牛田行き1626D(キハ110-238+キハ110-242+キハ110-239)で陸前稲井へ。昭和42年10月に石巻市に編入された旧・牡鹿郡稲井町の駅で、駅舎は無人化後の昭和50年代にカプセル型に改築されています。三木線国包駅を嚆矢として国鉄時代、全国各地に建てられたカプセル駅舎ですが、築40年を超えた今となっては少し懐かしいデザインに映ります。旧駅舎は電話ボックスや植え込みがある位置にあったのでしょう。稲井町の地名については、役場が置かれた井内地区から音を取り、「井戸水を汲んでも水が尽きないのと同じように米が豊かに産出されるように」との願いを込めて「稲井」の字を当てたとのことです。
陸前稲井8:03発普通女川行き1625D(キハ110-244+キハ110-123+キハ110-127)で浦宿へ。牡鹿半島の付け根にある海跡湖・万石浦に面した駅で、昭和31年3月に開業しました。海に近い立地ゆえに震災による津波でも被害を受け、復旧に際しては線路とホームの嵩上げと防潮堤の設置が行われています。ホーム入口の階段は嵩上げで生まれたもので、震災前はホームは駅入口と同じ高さでした。
浦宿8:38発普通小牛田行き1628D(キハ110-127+キハ110-123+キハ110-244)で万石浦へ。平成元年4月26日に開業した、石巻線で最も新しい駅です。渡波市街東部に位置し、駅名の由来となった万石浦からは離れています。
万石浦から20分歩いて沢田へ。万石浦に面した沢田集落にある駅で、昭和37年10月と早期に無人化されています。平成25年3月16日、震災からの復旧に際してはホームの嵩上げと待合室の改築が行われています。駅名標はなぜかボロボロでした。
沢田9:49発普通女川行き1629D(キハ110-107)で女川へ。石巻線の終着駅にして牡鹿郡女川町の玄関口です。かつては渡波駅と同型の木造駅舎がありましたが、平成23年3月11日の震災による津波で流失しています。平成27年3月21日、石巻線で最後まで不通となっていた浦宿~女川間の運転再開に際しては、約200m内陸に移転して再建されました。駅周辺は女川町の復興計画に基づいて地面の嵩上げ(約7m)が行われています。シンメトリーの外観が美しい駅舎は、田沢湖駅も設計した建築家・坂茂氏による設計で、ウミネコが羽を広げた姿がモチーフとなっています。1階に駅施設、2階に「女川温泉ゆぽっぽ」が入居し、3階は展望スペースです。
ほんの8分で折り返してしまうのはもったいなく感じられたので、一本遅らせて海を見に行くことに。女川市街は嵩上げが行われているため、駅から港へは坂を段々下っていく形になります。あの日、町を呑みこみ、全てを押し流していった海は穏やかな姿を見せていました。
港の近くには、旧女川交番が震災遺構として残されており、コンクリートの建物を根元からなぎ倒してしまうほどの津波の威力を今に伝えています。旧女川交番などを見てから駅に戻り、列車待ちの時間でソフトクリームを食べました。せっかくなら海産物でも食べたかったところですが、昼には少し早い時間だったので次来る時の楽しみに取っておくことにしましょう。
女川11:08発普通小牛田行き1632D(キハ110-239)で石巻に戻り、再び仙石線へ。石巻11:55発快速仙台行き5568D(HB-E211-1)に乗り換えて蛇田へ。昭和30年に石巻市に編入された旧・牡鹿郡蛇田村の駅で、昭和45年に一度無人化されたものの、昭和62年に再有人化されています。駅舎は昭和54年に待合室だけのものに改築され、再有人化時に事務室部分が増築されました。その後、平成23年3月11日に改修されましたが、使用開始当日に震災が発生して運休となり、営業を再開したのは7月16日でした。蛇田の地名については、ツバメがくわえてきた瓜の実を植えて育てたところ、大きな実がなり、その実の中から多くの蛇が出てきたので「蛇多」とし、それが蛇田に転じたという説があります。
蛇田12:09発普通石巻行き1021S(クハ205-3116)で陸前山下へ。昭和14年4月に「宮電山下」として開業し、国有化時に改称された駅で、石巻港駅への貨物線が分岐しています。駅舎は開業時のものが長らく使用されてきましたが、震災による津波で被災し、仮駅舎で復旧、平成24年3月3日より新駅舎の使用が開始されました。旧駅舎時代とは出口の位置が変わっているものの、あまり余裕のない立地が私鉄駅らしい雰囲気を醸し出しています。
陸前山下12:49発普通あおば通行き1222S(モハ204-3116)で東名へ。平成27年5月30日、震災からの復旧に際して内陸部に移転した駅です。駅舎は待合室と改札機のみの簡素なものですが、同じく移転復旧した野蒜駅とも共通する木目調のデザインとなっています。駅前には高台移転により造成された住宅地があり、人口は多そうですが快速は停車しません。
東名13:23発普通石巻行き1221S(クハ205-3117)で石巻あゆみ野へ。平成28年3月16日に開業した、仙石線で最も新しい駅です。陸前赤井~蛇田間新駅の構想自体は震災前からありましたが、当初新駅が予定されていた柳ノ目地区に隣接する新蛇田地区が震災被災者の集団移転先として開発されることから「蛇田新駅」の設置が決まりました。駅名の「あゆみ野」には、「復興、未来、新生活への歩み」という思いが込められており、震災復興の象徴としての新駅と言えるでしょう。せっかくなら仙石東北ラインの快速も停車させればいいのにと思うのですが。
駅前ロータリーには地方の無人駅にしては高い頻度でバスがやってきます。滞在中にやってきたうちの一台は兵庫県民の私にも馴染み深い神姫バスカラー。元は神姫バスの姫路東出張所所属29374号車で、震災復興支援の一環として無償譲渡されました。そのような経緯から神姫バスへの感謝の形として元の塗装のまま運行されているようです。姫路での活躍が約8年、石巻に来てからが11年なので、もうこちらでの活躍の方が長いことになります。
石巻あゆみ野14:31発普通あおば通行き1422S(クハ204-3117)で手樽へ。松島湾を構成する入江の一つ、手樽浦に突き出した岬の上に設置された駅で、かつては海に囲まれた立地でしたが、手樽浦干拓によって海は田んぼに姿を変えています。今の印象はどちらかというと山の中の駅といった感じで、かつては海に囲まれていたなんてとても想像がつきません。
手樽15:16発普通石巻行き1421S(モハ204-3116)で鹿妻へ。田園地帯の中にある小さな駅で、昭和33年10月と早期に無人化されています。駅舎はおそらく昭和50年代改築でしょう。
航空自衛隊松島基地が近いことから、駅前にはブルーインパルスT-2型128号機が展示されています。小さな無人駅の駅前に飛行機がある光景はなかなかインパクトがありますが、展示位置の関係で駅舎と絡めて撮るのが難しいのが残念なところです。
鹿妻15:43発普通あおば通行き1522S(クハ204-3105)で陸前富山へ。奥州三観音の一つ、富山観音の最寄り駅で、入江に面してホームがあるだけの無人駅です。平成27年5月30日の営業再開に際しては、ホームの嵩上げと待合室の改築が行われました。立地ゆえに以前はホームから海を望むことができたそうですが、防潮堤の方も震災後に嵩上げされているため、ホームからの景観はイマイチです。もっとも、人の命に関わるものですから、こればかりは仕方のないことでしょう。
陸前富山16:14発普通石巻行き1521S(モハ205-3113)で陸前大塚へ。松島湾を背に立地する島式1面2線の交換可能駅ですぐ目の前を県道27号奥松島松島公園線が通っています。この駅も震災からの復旧に際してホームの嵩上げと駅舎の改築が行われています。防潮堤の嵩上げにより、ホームから海は見えませんが、以前は海をすぐ間近に望める絶景駅でした。駅の近くには各地の知られざる民謡を発掘し、世間に紹介した後藤桃水の記念館と胸像があります。
仙石線はこれにて全駅制覇。陸前大塚17:01発普通あおば通行き1622S(モハ204-3116)で仙台に戻ります。帰りの夜行バスの時間まではまだ余裕があるので、18:21発普通梁川行き2938M(AM-8103+AT-8104+AM-8108+AT-8109)に乗車。懐かしい雰囲気の阿武隈急行8100系も乗れるうちに乗っておきたいですね。槻木で下車し、19:06発普通仙台行き465M(クハE720-8)で折り返し仙台へ。駅構内の立ちそば処杜の鶏から揚げカレー南蛮うどんで夕食とし、仙台駅東口20:30発ジャムジャムエクスプレス361便で関西への帰宅の途に就きました。