まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

12/13 師走の陸羽東線・東北本線駅めぐり

明けましておめでとうございます。令和4(2022)年の訪問駅数は575駅、令和5(2023)年1月1日時点での総訪問駅数は5405駅でした。12月は東北に中京に南紀と多くの駅を巡りましたが、新年一発目の記事では東北の駅めぐりの模様をお届けします。

フォレスト号

前夜20:05に東梅田を出た近鉄バスの夜行高速バス「フォレスト号」が仙台に着いたのは朝の7:18。ありがたいことに定刻より14分早い到着でした。バスターミナルから歩いて仙台駅に向かい、北海道東日本パスを購入。

陸前山王駅

仙台7:53発普通小牛田行き2525M(クモハ701-1511)で出発し、陸前山王で下車。実に4年ぶりの再訪ですが、昭和18年12月改築の木造駅舎は変わらず健在でした。昭和8年8月15日、岩切と塩竃(現在の塩釜駅とは別の駅)を結ぶ塩竃線の途中駅「多賀城前」として開業した駅で、昭和19年5月1日に現駅名に改称されました。同年11月15日に当駅から品井沼までの東北本線新線が開業すると岩切~当駅間は東北本線編入され、塩竃線は当駅~塩竃間のみとなり、当駅は東北本線塩竃線の分岐駅となります。昭和31年7月9日に現在の塩釜駅が開業すると、塩竃線は貨物専業の塩釜線となり、平成9年4月1日に廃止されています。当駅については塩釜線亡き後も昭和46年10月1日開業の貨物線・仙台臨海鉄道の分岐駅となっており、無人駅ながら駅舎はJR貨物仙台臨海鉄道の詰所として使用されています。駅名の「山王」は明治の町村制で宮城郡多賀城村が成立するまで存在した宮城郡山王村に由来しており、京福越前線(えちぜん鉄道)および善光寺白馬電鉄(廃止)の山王駅と区別するべく旧国名を冠したのでしょう。

有備館

陸前山王8:22発普通小牛田行き2527M(クモハ701-1019)で小牛田へ。小牛田からは陸羽東線に乗車。9:07発普通新庄行き4725D(キハ111-216+キハ112-216)で有備館へ。平成8年3月16日に開業した陸羽東線で最も新しい駅で、陸奥仙台藩の学問所「有備館」の目の前に設置されています。有備館は元禄4(1691)年頃に「春学館」の名で開設され、同年に現在地に移転して有備館と称されるようになりました。日本最古の学問所建築が現存しており、国の史跡・名勝に指定されています。そんな有備館へのアクセス駅として開業した当駅は東北の駅百選に選定されており、観光列車も停車します。駅の設備自体は片面ホームだけで簡素ですが、駅前には交流施設「ユービック」が設置されており、交流ホールが待合室としての役目を果たしています。

岩出山の街並み

有備館駅があるのは平成18年の合併で大崎市となった旧・玉造郡岩出山町の中心部。岩出山天正19(1591)年に米沢城から秀吉による減転封で移ってきた伊達政宗が「岩手沢」から地名を変えさせたところで、仙台城へ移る慶長6(1601)年まで本拠地としていました。仙台藩の成立後は政宗の四男・伊達宗泰を祖とする岩出山伊達氏が治める要害として栄え、明治期には玉造郡役所が置かれていました。写真右の大きな駐車場が玉造郡役所および岩出山町役場の跡地です。ちなみに岩出山伊達氏の10代当主・伊達邦直は戊辰戦争の敗北で所領を没収されると、北海道に渡って石狩郡当別町開拓の基礎を築きました。

C58 114

岩出山伊達氏の居城・岩出山城跡の城山公園には陸羽東線で活躍した蒸気機関車C58 114が保存されています。昭和14年2月汽車会社大阪製、奈良に新製配置され、紀伊田辺宮古、仙台、小牛田と渡り歩いて、昭和48年1月に廃車となりました。保存から半世紀が経過し、かなり傷んできてはいますが、地元では保存会が結成されて保存車両を未来に繋ぐための活動が行われています。中山平温泉駅前のC58 356は残念ながら解体となりましたが、この機と西古川のC58 19については保存活動が報われてほしいものだと思います。

riku-east-c58.localinfo.jp

岩出山

城山公園から10分ほど歩いて岩出山駅へ。旧・玉造郡岩出山町の玄関口で、平成31年3月16日までは有人駅でした。昭和59年2月改築の駅舎は、仙台・宮城DCに合わせて平成20年9月に岩出山城をイメージしたデザインに改装されています。左の建物は昭和59年まで使用されていた旧駅舎で、改装されて観光物産センター・鉄道資料館となっています。このような寄棟造の木造駅舎はかつて陸羽東線陸羽西線に数多く存在していましたが、改築によって数を減らし、現存するのは両路線併せてもここのみです。

貨車移動機

駅前ロータリーには昭和45年協三工業製の貨車移動機(スイッチャー)が保存されています。塩釜の貨物側線で活躍した説もありますが詳細は不明で、はっきりしたことはわからないそうです。

東大崎

岩出山10:32発普通小牛田行き1728D(キハ112-219+キハ111-219)で東大崎へ。昭和30年2月に開業した駅で、開業時に建てられたと思われるブロック造りの簡易な駅舎があります。後から開業した無人駅にしては駅前は広く、随分と余裕があります。駅名は開業前の昭和25年12月に古川市編入された玉造郡東大崎村に由来します。駅周辺は田園地帯ですが、奈良~平安期の朝廷支配の拠点跡「名生館官衙遺跡」が発掘されていることから、古代には重要な場所だったようです。

西大崎

東大崎11:28発普通鳴子温泉行き1727D(キハ110-244+キハ110-243)で西大崎へ。昭和35年5月1日、「上岩出山」として開業した駅で、カーブしたホーム上に陸羽東線標準仕様の待合室があります。平成9年3月22日に「西大崎」に改称されて、隣の東大崎駅と対をなす形になっています。駅周辺は昭和29年4月に岩出山町になるまでは玉造郡西大崎村で、おそらく駅名もこれに由来するものでしょう。村名が消えてから43年も経ってから駅名として復活させるというのも不思議な話ですが。東大崎村と西大崎村は元々は一つの村で、明治の町村制で玉造郡大崎村として発足したものの、7年後の明治29年4月に東西に分割されました。東大崎村は古川市西大崎村は岩出山町にそれぞれ合併されたものの、平成18年の大崎市成立により、110年ぶりに一つの自治体下に収まることとなりました。旧村名および現市名の「大崎」は中世に奥州探題として当地に権勢を誇った豪族・大崎氏に由来しています。大崎氏は足利一門・斯波氏の一族で、姓は大崎氏の先祖・足利氏の所領であった千葉県香取市大崎に因むものです。その地を支配した一族の姓によって違う土地の地名が持ち込まれるのはよくあることですが、大崎の地名が香取に由来するのはあまり知られてはいないようです。

塚目駅

西大崎11:42発普通小牛田行き4730D(キハ112-217+キハ111-217)で塚目(つかのめ)へ。昭和35年5月1日、西大崎(上岩出山)と同時に開業した駅で、駅舎(待合室)はほぼ同型。古川が近いこともあってか周辺は住宅が多く、地方都市郊外といった雰囲気。大崎市民病院へのアクセス駅として移転する計画があります。駅周辺は昭和25年12月の古川市成立までは志田郡志田村、明治の町村制で志田村が成立するまでは志田郡塚目村でした。

大崎市役所(旧:古川市役所)

25分ほど歩いて大崎市役所へ。平成18年の合併までは古川市役所だった建物で、本庁舎は昭和31年、渡り廊下で接続する西庁舎は昭和43年築といずれも年季の入った建物です。人口10万を超える都市で合併から15年以上もよくまあこんな古い庁舎を使い続けてきたものだと思わされますが、さすがにキャパシティーが足りないためか、市議会は三本木庁舎に、教育委員会岩出山庁舎に置かれています。

大崎市役所新庁舎

現庁舎の裏手では新庁舎が既に完成していました。設計:久米設計東北支社、施工:橋本店・村田工務所・荒谷土建特定建設工事共同企業体。令和3年3月着工、令和4年11月30日完成、令和5年5月8日の開庁が予定されています。新庁舎の手前では戦前に建てられたと思われる古い建物が廃墟化しており、なかなか面白い取り合わせでした。現庁舎は取り壊されて駐車場になるようですが、こちらの廃墟もいずれ整理されるのでしょうか。

旧関口歯科

市役所の近く、狭い道に面して建つ洋館は昭和2年に建てられた旧関口歯科。古川は歴史のある町なので探せば近代建築はまだまだありそうですが、今回は時間に余裕があるわけでもないので4軒ほどしか見つけられませんでした。

古川駅貨物取扱所(陸前古川駅跡)

古川駅へ向かう前に古川駅貨物取扱所へ。新幹線開業に合わせて移転する前の「陸前古川」駅のあったところで、大柄な平屋建て木造駅舎に島式ホーム1面2線に貨物側線という感じの駅だったようです。跡地はオフレールステーションと化していますが、航空写真で見るとかつての駅の形が分からなくもありません。

古川駅

陸前古川駅跡からさほど離れてもいない現在の古川駅。昭和57年6月23日の東北新幹線開業を前に、昭和55年11月1日に移転改称して誕生した駅で、陸羽東線の駅は新幹線改札の隣(2階)にあるので、陸羽東線の駅に関しては橋上駅のような形です。10月に東北新幹線駅めぐりで訪れた時は日没後で、以前宿泊のため降りた時もじっくり見れていないので、明るい時間に駅舎の全貌を拝むのはこれが初めてになります。

油島駅

古川13:16発普通小牛田行き1732D(キハ110-243+キハ110-244)で小牛田へ。塚目への下車を以て陸羽東線は全駅制覇となりました。小牛田13:47発普通一ノ関行き551M(クモハ701-1518)で油島(ゆしま)へ。岩手と宮城の県境にある駅で、平成10年1月改築の駅舎は岩手県内でよく見かけるログハウス風。駅名は昭和30年1月の花泉町成立まで存在した西磐井郡油島村に由来します。駅周辺は県道沿いの開けた集落といった感じで、一軒の商店とガラス基板工場以外特筆すべきものも見当たりません。駅裏は一面の田んぼです。

石越駅

油島14:59発普通小牛田行き552M(クハ700-1518)で再び宮城県に入り、石越へ。平成17年4月の合併で登米市となった旧・登米石越町の玄関口で、平成19年3月末まではくりはら田園鉄道が分岐していました。平成23年7月改築の駅舎は「石越駅周辺の町並みと自然環境に調和したシンプルで落ち着きのある駅舎」をコンセプトにしたもので、改築までは長らく木造駅舎が使用されていました。登米市の中心(佐沼)からは離れているものの、実質的には登米市の玄関口で、みどりの窓口も設置されています。

赤城亭

駅前には今時滅多に見なくなった昔ながらの駅前食堂がありました。建物は相当古そうで、ひょっとすると戦前のものかもしれません。現役のお店なので、くりでん廃線跡めぐりの時はここでお昼を頂きたいものです。

花泉駅

石越15:10発普通一ノ関行き553M(クモハ701-1514)で花泉へ。平成17年の合併で一関市となった旧・西磐井郡花泉町の玄関口で、新幹線開業前は急行も停まる主要駅でした。令和4年3月12日ダイヤ改正に合わせて無人化されています。駅舎は昭和62年3月改築。この日、駅前ではイルミネーション点灯式が行われており、駅前には多くの人が集まっていました。一ノ関の駅長さんも来賓として呼ばれていましたが、ついでに駅設備の巡視も行っているようでした。

花泉の街並み

駅前にはこじんまりとした商店街が形成されており、現役の店舗も多くあります。平成の大合併までは独立した町で、一関市街から離れていることもあって、それなりに拠点性を保っているようです。

平泉駅

花泉16:12発普通一ノ関行き2543M(クモハ701-1518)と一ノ関16:26発普通盛岡行き1545M(クモハ701-1042)を乗り継いで平泉へ。日の短い季節なのですっかり夜の帳が下りてしまっています。平安期に奥州藤原氏の本拠地として栄えた古都・西磐井郡平泉町の玄関口で、みどりの窓口やNew Daysもあります。鉄筋コンクリート造平屋建ての駅舎は昭和41年11月改築で、平泉が世界文化遺産に登録されたのに合わせて平成23年11月に改装されました。

北上線で横手へ

平泉17:28発普通盛岡行き1547M()で北上へ。夕食を摂ってから18:45発北上線普通横手行き737D(キハ100-44+キハ100-45)に乗って奥羽山脈を越えて横手へ。藤根ほっとゆだで一気に乗客が減り、県境越え区間はほとんど貸切状態でした。この日は横手駅前の快活クラブに宿泊。東北のネットカフェの中だと断トツで駅に近い便利な立地です。