まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

阿川弘之先生 生誕百年

今日は珍しく旅行記ではなく本に関する話題を一つ。今日で生誕百年を迎える作家・阿川弘之先生について。

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阿川弘之先生は大正9(1920)年12月24日生まれ、平成27(2015)年8月3日に94歳で亡くなりました。今年で亡くなって5年、ご存命であれば今日で百歳を迎えられていたことになります。

私が阿川先生の名前を知ったのは中学生か高校生の頃のことで、その頃にはすでに宮脇俊三先生の本は読み始めていましたから、宮脇先生について調べていた時にでも知ったのだと思います。新聞で訃報の記事を読んだのが高1の時で、その時初めて「きかんしゃやえもん」の作者であったことを知りました。ちょうど本をよく読むようになった時期でしたから「小説の方もそのうち読まないとな」と思ったのですが、初めて阿川作品に触れたのは大学生になってからのことでした。最初に読んだのは「雲の墓標」だったかと思います。その後、「春の城」「青葉の翳り」「カレーライスの唄」「米内光政」「水の上の会話」と読んできて、今日「お早く御乗車願います」を読み終えました。70年もの間作家として活躍してこられた方なので作品数も多く、代表作に数えられるような有名作でも読めていないものがほとんどです。

「お早く御乗車願います」は鉄道ファンとして知られた阿川先生が昭和33年に出した初の鉄道・乗り物に関するエッセイ集で、この本の出版に編集者としてかかわっていたのが後に鉄道作家として有名になる宮脇俊三先生でした。出版時、阿川先生は37歳で、宮脇先生は31歳。読んでみてまず感じたのはエッセイが書かれた昭和20年代後半から30年代前半にかけてと現代との時代の隔たりでした。当時は戦争が終わってからまだ10年ほどしか経っておらず、日本がようやく高度経済成長期に入ろうかとしている時代でした。国民はまだまだ貧しく、開発や交通網の整備も進んでいませんでした。

東海道新幹線はおろか、特急「こだま」も走り始める前で、東京~大阪間が特急で8時間ですから隔世の感があります。電化もほとんど進んでおらず、出てくるのはほとんど「汽車」が引く客車列車です。さらに折に触れて書かれている乗客のマナーも今からは考えられないほど悪いのですが、「こういう人は今もたまにいるな」と思うようなタイプの人も出てきます。

速達性や快適性などでは今の時代よりはるかに劣る当時の鉄道の姿について、私は懐古厨というわけではないので羨ましいとまでは思いませんが、ダイヤ改正の度に不便になっていき将来についての明るい話題よりも暗い話題の方が目立つ今の鉄道と比べると、「これからどんどん進化して良くなっていく」という希望があるなと思ってしまいます。しかし、ある程度の水準に達していたにも関わらず戦争によってそれが無に帰してしまった日本の鉄道が、戦争が終わってからほんの10年ほどで戦前の水準まで回復し、20年足らずで東京~大阪間の所要時間を半分にしてしまったということを思えば、こんな時代でも我々次第では未来の鉄道に希望を持つことだって不可能ではないのかもしれません。


「違いのわかる男 阿川弘之」篇

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山陰本線 阿川駅

他のエッセイには、山陰本線阿川駅を訪ねるものもあるそうです。昭和3年開業時に建てられた駅舎を阿川先生も見たのでしょうが、この駅舎は惜しくも昨年解体されました。もっとも、阿川先生が訪ねた昭和時代には珍しくもなんともないどこにでもある駅舎だったことでしょう。

 

小説の方も何か語ろうかとも思いましたが、まだ読めてない作品もあるので、今回はこの辺にしておこうと思います。

今年もあと少し、冬の長い夜に阿川作品を読んでみるのはどうでしょうか。個人的には短編集の「水の上の会話」に収録されている、「空港風景」をはじめとした珠玉の短編たちがおすすめです。