まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

12/15 雪の大館・弘前散策&奥羽本線・青い森鉄道駅めぐり

東北遠征三日目は大館からスタート

東大館

大館の快活を5時ちょうどに出て、日の出前のまだ暗い街を25分ほど歩き、花輪線東大館駅へ。「東大館」を名乗りながらも、大館市街西部の常盤木町に位置し、大館駅から見ても南の方角にありますが、これは駅名がかつて存在した北秋田郡東大館町に由来することによるものです。明治10年、大館の内町(武家町)と外町(町人町)が東大館町と西大館町に分離した際、常盤木町は地理的には外町にも関わらず、武士が暮らしていたことから東大館町に区分されました。東大館町と西大館町は明治22年の町村制で合併して北秋田郡大館町となり、東大館駅開業時には既に消滅していたものの駅名としては「東大館」が採用されています。

東大館

大正3年7月、秋田鉄道の大館~扇田間開業に際して開設され、昭和9年6月の秋田鉄道国有化で国鉄花輪線の駅となりました。現在の駅舎は秋田鉄道時代の昭和3年に建てられた木造平屋建てで、私鉄の建てた駅舎ながら国鉄の駅舎と遜色ない規模とデザインです。前回訪問時にはみどりの窓口がありましたが、令和2年3月13日限りで営業を終了して無人化。駅舎の老朽化が進んでいることから建て替えが検討されています。

駅前に代行バスが発着

5:50 駅前に花輪線代行バスがやってきました。花輪線は8月13日の大雨による道床流出の影響で運休が続いており、4~5月の復旧が見込まれています。この代行バスを待つ学生がいたものの、待合室の明かりが点いたのはバスが行った後の6時ちょうどでした。

東大館

外が明るくなるのを待って駅舎を撮影。以前に二度訪問しているものの、いずれも夏だったので、冬の姿を見るのはこれが初めてです。建て替えられることになれば、この駅舎を見るのもこれが最後になるでしょう。名残惜しく思いながら後にしました。

秋田犬の里

歩いて大館駅へ。駅前には平成31年5月にオープンした「秋田犬の里」があります。建物の外観は忠犬ハチ公が主人を待ち続けた渋谷駅がモデル。渋谷駅2代目駅舎は大正9年に建てられたもので、半円形の大きな窓と時計塔が特徴でした。その前に建つハチ公像は大館駅前から移設されたものです。渋谷駅前にハチ公像が設置されたのはハチ公がまだ生きていた昭和9年4月21日で、ハチ公は昭和10年3月8日に死去。大館駅前にも同じ型で造られたハチ公像が設置されたのはそれからちょうど4か月後の7月8日でした。渋谷の像も大館の像も戦時中に供出され、渋谷の像が戦後間もない昭和23年8月に再建されたのに対し、大館の像が再建されたのは40年以上が経った昭和62年11月14日でした。渋谷の像および大館の初代像は左耳の垂れた晩年のハチ公をモデルとしているため左耳が垂れているのに対し、このハチ公像は両耳が直立しています。

大館駅 仮駅舎

大館駅は建て替え工事のため、1月14日より仮駅舎で営業中。特急が停まる大きな駅だけあって仮駅舎といえど、暖房の効いた広めの待合室とNew Daysが設置されています。しかしながら、ホームまでの間に屋根が設置されていないので、雪の日はホームまで行くのも一苦労。秋の新駅舎供用開始が待ち遠しいものです。

大館駅 旧駅舎

仮駅舎は旧駅舎の手前、駅前広場のあった位置に設置されました。その都合で改築工事中は駅前が手狭になっています。66年の役目を終えた旧駅舎は、昭和30(1955)年12月に建てられた、鉄筋コンクリート造2階建ての横に長いもので、何度となく利用した思い出の駅舎なので、今となっては懐かしく感じます。初めて来た時は駅前の駅弁屋・花善も古い建物のままでした。

弘前駅

2分遅れの大館7:17発普通弘前行き1633M(クモハ701-20)で弘前へ。弘前も何度か来たことのある街ですが、大雪の日に季節に降りるのは初めてです。雪の中をしばし散策。朝の通勤通学時間帯ということもあるでしょうが歩いている人が多く、さすがは津軽の中心都市だと思わされます。

中央弘前駅

中央弘前駅までやってきました。レトロな駅舎も雪を被っています。駅前のクリスマスツリーは雪に埋もれていて、ホワイトクリスマスに憧れる温暖地域の人間に冬の厳しさを教えてくれます。私も雪の少ない地域で育ったので子供の頃は雪というものに憧れていましたが、こうして雪国を冬に旅してみると雪というものがいかに厄介かというのを身に染みて感じさせられます。

弘前の近代建築

弘前の近代建築

弘前は近代建築の多いところで、それもまた気になるのですが、こうも雪が多くては歩き回るのも一苦労なので、2軒だけ見て残りは暖かい季節に回すことにしました。

碇ケ関駅

弘前9:02発普通大館行き8646M(サハ701-101)で碇ケ関へ。平成18年1月の合併で平川市となった旧・南津軽郡碇ヶ関村の駅で、折り返し列車が数本設定されています。昭和16年3月改築の木造駅舎が現役で、内部には簡易委託の窓口が設置されています。待合室ではストーブが焚かれていました。駅名は「碇ケ関」の表記が正しいようですが、村名は「碇ヶ関」で駅舎に掲げられた駅名も「ヶ」の表記で何ともややこしいものです。

川部駅

碇ケ関9:49発普通弘前行き1643M(クモハ701-21)と弘前10:23発普通五所川原行き2826D(GV-E402-19)を乗り継いで川部へ。奥羽本線五能線の分岐駅ですが、当駅を起終点とする列車は存在せず、全列車がスイッチバックして弘前駅へ乗り入れます。明治27年12月1日、弘前~青森間の開業に際して開設されました。開業時の所在地は南津軽郡光田寺村(こうでんじむら)で、明治22年の町村制までは川辺村が存在しました。光田寺村は昭和30年1月に田舎館村と合併して今に至ります。大正元年8月には黒石とを結ぶ黒石軽便線(後の黒石線)が、大正7年9月には五所川原とを結ぶ陸奥鉄道(後の五能線)が開業しました。黒石線は昭和59年11月に弘南鉄道に転換されたものの長続きせず、平成10年4月に廃止されています。

川部駅(ホーム側)

駅舎は明治27年開業時に建てられた天井の高い木造駅舎で、民営化前後に改装されています。築128年、青森県で最も古いと思われる駅舎ですが、老朽化により建て替えられることとなり、10月上旬より便所を撤去して跡地に新駅舎を建設しています。現駅舎にはみどりの窓口が設置されているものの、新駅舎には駅務室のスペースはなく、5月下旬の新駅舎使用開始までに、あるいはそれと同時に無人化されるのでしょう。

筒井駅

川部11:07発普通青森行き645M(クハ700-19)で青森へ。青森からは青い森鉄道に乗車。青森12:00発普通八戸行き574M(青い森700-6)で筒井へ。平成26年3月17日、青い森鉄道への転換後初めて開業した新しい駅で、県立青森高校の最寄り駅です。青森高校は明治33年に青森第三中学校として開校して以来120年以上の歴史を持ち、太宰治の母校でもあります。筒井駅開業までは2㎞離れた東青森駅が最寄り駅でした。さて、筒井駅ですが、築堤上に相対式ホームがある高架駅で、高架下に待合室が設置されています。無人駅とはいえ、待合室内に券売機があるのはさすがに街中の駅といった感じ。

青森駅

雪のため2分遅れの筒井12:31発普通青森行き575M(青い森701-2)で青森へ。言わずと知れた青森県の県庁所在駅で、明治24年9月に日本鉄道青森線(後の東北本線)の終点として開業して以来、130年以上の歴史を持ちます。青函連絡船時代から61年に渡って使われてきた4代目駅舎は令和3年3月26日で役目を終え、翌日より5代目駅舎の供用が開始されました。5代目駅舎は2階に改札口のある半橋上駅舎で、全長約170mの東西自由通路を併設。旧駅舎時代には東西に分かれていた改札口も一か所に統合されています。旧駅舎の解体後、跡地には駅ビルを建設中で、まだ当分は仮通路の使用が継続されることでしょう。

向山駅

青森13:16発普通八戸行き576M(青い森700-2)で向山(むかいやま)へ。雪のため、8分ほど遅れての到着となりました。大正11年8月、木ノ下信号場として開業、昭和11年7月に昇格・改称した駅です。昭和38年3月改築の駅舎は鉄筋コンクリート造平屋建てで、事務室部分は「向山駅ミニミュージアム」となっていますが、土日祝のみ開館なので、この日は開いていませんでした。島式ホームとは跨線橋で結ばれており、駅裏にも出入口があります。

小川原駅

向山15:00発普通青森行き581M(青い森701-6)で小川原(こがわら)へ。昭和19年8月、小川原信号場として開業、昭和28年6月に昇格した駅です。駅名は小川原湖(おがわらこ)に由来し、湖のかつての呼称「小川原沼(こがわらぬま)」の読みを今に残しています。小川原湖南の大浦集落にありますが、集落自体が湖に面しているわけではないので駅から湖は見えません。開業時の所在地は上北郡浦野舘村(うらのだてむら)で、昭和33年9月に上北村に改称し、町制施行して上北町となりました。上北町は平成17年3月に東北町と合併しています。

小川原駅

さて小川原駅ですが、ホームは2面2線。青森方面ホームに面して昭和52年3月改築のカプセル駅舎があり、八戸方面ホーム上に木造待合室があります。元々あった出口は駅舎のある南側だけでしょうが、そちらの駅前は細道のどん詰まりで鬱蒼とした鉄道林が迫っています。後から設置された反対側の出口は県道8号八戸野辺地線に面していて結構な交通量があります。利用者が少ないためか、ホーム上はかなり雪が積もっていて歩くのも一苦労でした。

キクヤE193-1

小川原15:43発普通八戸行き578M(青い森702-11)で八戸へ。1番ホームにはキヤE193が停車中。検測で八戸線を走行したそうで、ほどなく青森方向へ引き上げていきました。

八戸駅 西口

八戸駅明治24年9月1日、日本鉄道青森線の尻内(しりうち)駅として開業した駅です。開業時の所在地は三戸郡上長苗代村大字尻内で、明治22年の町村制までは尻内村だったところです。明治27年1月には青森線支線(現:八戸線)が八戸町中心近くの八ノ戸(現:本八戸)まで開業、明治39年11月には日本鉄道国有化で官鉄の駅となります。昭和4年8月には五戸電気鉄道(後の南部鉄道)が上七崎まで開業、電気鉄道を名乗りながらも非電化で、最終的には五戸まで開業しましたが、昭和43年5月17日の十勝沖地震で被災し廃止されています。さて、尻内駅ですが所在地の上長苗代村が昭和30年4月に八戸市編入されて八戸市内となり、昭和46年4月に改称されて2代目の八戸駅となりました。初代八戸駅はその2か月前に本八戸駅に改称されています。以降、八戸駅は名実ともに八戸市の玄関口として発展を続け、平成14年7月には東北新幹線が乗り入れています。

旧:八戸臨海鉄道本社(旧:尻内駅診療所)

時間的には日没も近いですが、八戸駅前を少し歩き、八戸臨海鉄道本社を撮影。大正13年に尻内駅診療所として建てられた建物で、どういう経緯で診療所から鉄道会社本社になったのかは調べてみないことには分かりません。八戸臨海鉄道は昭和45年7月30日設立、同年12月1日に八戸貨物駅~北沼間8.5㎞が開業しています。この路線は昭和41年3月に青森県専用線として開業したものを地方鉄道として再開業させたものです。本社は令和3年9月25日に八戸貨物駅事務所2階に移転しています。

本八戸駅

八戸17:20発普通鮫行き1453D(キハE131-505+キハE132-505)で本八戸へ。明治27年1月に日本鉄道青森線支線の「八ノ戸」として開業した駅で、明治40年11月に「八戸」に改称されました。南部氏八戸藩2万石の城下町として栄えた三戸郡八戸町(昭和4年5月合併・市制施行)の中心に近く、その玄関口であったものの、昭和46年2月1日に「本八戸」に改称、尻内駅にその名を譲りました。昭和52年7月に高架化、外観は大都市の駅のようですが、駅前が広々としているのが少々寂しげに映ります。この日は駅前のホテルセレクトインに宿泊。クーポン6000円の使い道に困ったので、少し歩いたところの国道沿いにあるくら寿司で単価の高い皿を食べまくって3000円分使いました。