まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

消えた駅舎2020

色々あった「最悪の年2020」も残すところあとわずかとなりました。ということで、例年通り今年の消えた駅舎を1月から振り返っていきましょう

 

1月

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富山地鉄本線 荻生駅(R1-12-7)

黒部鉄道の駅として大正11(1922)年11月に開業した当時に建てられたと思われる、妻面に出入口のある木造駅舎でした。中学校の統合で利用客増加が見込まれることから、線路を挟んだ反対側にホームと新駅舎を建設。令和元(2019)年12月25日より新駅舎の利用を開始し、旧駅舎は1月中旬までに解体されました。

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加古川線 本黒田駅(R2-1-12)

播丹鉄道の駅として大正13(1924)年12月に開業した際に建てられた木造駅舎で、平成初期に旧事務室部分が減築されていました。1月9日より工事が始まり、1月中旬に解体、とても駅舎とは呼べない簡素な待合所が3月に完成しました。加古川線は昨年の久下村駅を皮切りに木造駅舎の簡素化が進んでおり、残る新西脇駅の今後が心配されます。

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桃花台新交通 桃花台東駅(R2-1-6)

平成3(1991)年に開業した桃花台新交通ピーチライナー)の終着駅で、折り返し用のループ線が設けられていました。平成13(2001)年には「中部の駅百選」にも選ばれましたが、平成18(2006)年10月に廃止。営業期間はわずか15年でした。平成30(2018)年10月より駅周辺の高架橋撤去工事が始まり、駅本体の撤去も令和元(2019)年10月より開始。駅舎は1月15日ごろから3月にかけて解体されました。

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八高線 越生駅(H30-12-20)

昭和8(1933)年4月開業時に建てられた木造駅舎。平成31年3月16日の東西自由通路供用開始・東口開設と同時に無人化。駅舎は老朽化のため今年1月15日ごろより3月にかけて解体。それに先立ち令和元(2019)年12月26日に「旧越生駅舎ありがとう式典」が開催されました。旧駅舎のイメージを参考にした新駅舎「道灌おもてなしプラザ」は来年1月4日使用開始予定です。

2月

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姫新線 西栗栖駅(R2-2-4)

ほとんど解体されてしまった後の写真ですが、昭和9(1934)年3月開業時の駅舎でした。1月18日より工事が開始され、27日に仮囲いを設置。2月1日時点では駅舎が残っていたようですが、4日に訪問した時点では解体が済んで瓦礫の山と化していました。3月下旬に簡素な待合所が完成。タッチの差で見られなかっただけに後悔も大きいです。

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磐越東線 菅谷駅(H30-12-23)

昭和23(1948)年10月開業時の駅舎。令和元(2019)年10月15日より改築工事が開始され、今年2月8日より新駅舎の使用を開始。旧駅舎はその後解体されたものと思われます。新駅舎は鍾乳洞や分水界をイメージしたデザインとなっているそうです。

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津山線 野々口駅(R2-1-8)

明治31(1898)年12月開業時の駅舎を平成10(1998)年ごろにコンパクト化したもので、それほど古くは見えませんが、庇などは昔のままで歴史を感じさせました。2月8日より新駅舎使用開始、旧駅舎は2月下旬に解体されました。

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紀勢本線 田並駅(R2-1-2)

昭和15(1940)年8月開業時の木造駅舎。改築工事に伴い昨年12月7日に駅舎を閉鎖、2月までかけて解体されました。新駅舎は5月17日17時より使用開始。囲いで覆われた姿しか見れていないのが心残りです。

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宇部線 常盤駅(R2-1-30)

改築年不明、簡素ながらも有人駅だった名残のあるブロック造駅舎でした。1月13日よりホーム上の待合所が撤去され、2月28日から3月21日にかけて駅舎の撤去工事が行われました。

3月

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中央本線 山梨市駅(H31-1-4)

明治36(1901)年6月開業時の駅舎ですが、平成17(2005)年12月にリニューアルされて原型を留めていませんでした。橋上化工事のため、平成30(2018)年1月に旧駅舎の一部を転用した仮駅舎の使用を開始。今年3月2日に新駅舎が完成したため一部のみ残っていた旧駅舎は役目を終えて解体されました。

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筑肥線 浜崎駅(H31-4-29)

昭和15(1940)年5月改築の木造駅舎。改築工事に伴い、3月18日に仮駅舎に移転。旧駅舎はその後解体されました。

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山陽本線 西広島駅(H27-8-23)

明治30(1897)年9月に「己斐」駅として開業した際に建てられたもので、長年にわたる増改築で駅舎内には複数の店舗が入居していました。橋上化工事に伴い、3月29日に仮駅舎に移転して役目を終えました。

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中央本線総武本線 御茶ノ水駅 聖橋口(H30-5-7)

増改築を繰り返していたため原型を留めていませんでしたが、昭和7(1932)年の駅移転時に建てられたコンクリート造りの駅舎でした。御茶ノ水橋口と同じく設計は伊藤滋、当時の駅舎としては珍しく流動性を重視した構造で、待合室は設けられていませんでした。3月29日に仮駅舎に移転し、役目を終えました。

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桃花台新交通 小牧駅(R1-8-30)

平成3(1991)年に開業した桃花台新交通ピーチライナー)の始発駅で、桃花台東と同じく、折り返し用のループ線が設けられていました。平成18(2006)年10月に廃止された後も長らく放置されていましたが、再開発に伴い3月より解体工事が本格化しました。

この他、3月6日より豊肥本線南阿蘇鉄道高森線 立野駅の駅舎が解体されました。

4月

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室蘭本線吉原駅(R1-8-3)

昭和40(1965)年11月開業時に建てられた、北海道初の橋上駅舎でした。平成15(2003)年の無人化後は一部の階段が閉鎖され、もはや橋上駅舎としての機能は失われていました。像の顔を思わせる個性的なデザインと古びたコンクリートが魅力的でしたが、老朽化のため1月8日より仮通路の使用が開始され、4月中に解体されました。「橋上駅」から「地上駅」に変更された珍しい事例です。

5月

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宇部線 琴芝駅(R2-1-30)

昭和8(1933)年ごろに建てられた木造駅舎で、増改築が繰り返されたため複雑な形状をしていました。2月中旬より工事が開始され、駅舎の一部が解体されました。新待合所の使用開始に伴い、5月10日に残りの部分も閉鎖され、6月にかけて解体されました。

6月

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和歌山線 布施屋駅(H26-8-13)

昭和10(1935)年3月改築の、妻面に出入口のある半切妻屋根の木造駅舎。6月9日より新駅舎の使用を開始し、旧駅舎はその後解体され、跡地に信号室が建てられました。木造駅舎の宝庫の一つ、和歌山線でも改築は着々と進められていきます。

8月

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米坂線 手ノ子駅(R1-12-14)

昭和6(1931)年8月開業時の木造駅舎を昭和62(1987)年12月に改修したもの。寒冷地らしく出入口が二重になっており、それゆえに待合室内は薄暗かったです。改築工事のため、8月5日に仮待合室に移転、8月18日に仮囲いが設置され、解体工事が始まりました。新駅舎は12月に完成。

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山手線 原宿駅表参道口(H28-7-26)

大正13(1924)年6月移転時に建てられた洋風木造駅舎で、鉄道省技師・長谷川馨による設計。利用者数の割に駅設備が手狭なことから3月21日より橋上駅舎と新ホームの使用を開始。都内に残る貴重な歴史的建築物として注目されていた旧駅舎については、保存も検討されたものの、耐火基準を満たさないことから、一旦解体して資材を可能な限り活用して再建することが決定し、8月24日より解体工事が開始されました。今年消えた駅舎の中で最も注目された駅舎は間違いなくこの駅舎でしょう。

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近鉄名古屋線名駅西口(H30-5-4)

JRと近鉄共同使用駅で、JR管轄の東口は昭和50(1975)年ごろに改築されたシンプルなデザインの橋上駅舎、近鉄管轄の西口は昭和20~30年代のものと思われる小さな地平駅舎でした。8月30日より新駅舎の使用を開始し、JRと近鉄の改札口が分離されました。

この他、5月より工事が開始されていた紀勢本線 太地駅の旧駅舎が解体されました。

9月

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山陰本線・境線 米子駅(R1-8-23)

昭和38(1963)年3月に完成した地上6階建ての巨大な駅ビルで、国鉄時代には米子鉄道管理局、民営化後はJR西日本米子支社が入居していました。改築工事に伴い、9月4日に閉館、9月5日より仮駅舎の使用を開始しました。何しろ巨大な駅舎なので、解体工事が完了するまでかなりかかりそうです。

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小海線 信濃川上駅(H30-9-11)

昭和10(1935)年1月開業時の木造駅舎。外壁が新建材で覆われていたものの、山間の村の玄関口にふさわしい懐かしい雰囲気の駅舎でした。改築工事に伴い、窓口業務を8月31日限りで休止、9月24日より工事が開始されました。新駅舎は3月中旬完成予定で、完成後は窓口業務も再開される予定です。

 

この他、七尾線 能瀬駅の改築工事が9月28日より開始されました。

10月

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水戸線 新治駅(R1-9-26)

明治28(1895)年9月開業時の木造駅舎で、リニューアルされていたものの、待合室側が入母屋、事務室側が切妻という左右非対称の屋根形状は留めていました。9月16日より改築工事が開始され、10月1日より無人化。事務室部分は11月にかけて解体されましたが、待合室部分は仮駅舎として残っています。新駅舎は3月上旬完成予定。

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五能線 北金ケ沢駅(R2-3-4)

昭和6(1931)年10月開業時の木造駅舎。向かって右手にトイレが増築されていたものの板張りの外観が渋い駅舎でした。老朽化のため9月上旬より改築工事が開始され、10月上旬に仮駅舎に移転。新駅舎は1月下旬に完成予定です。改築の報を聞いた時は「3月に行っといてよかった」とつくづく思いました。

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信越本線越後線白新線 新潟駅万代口(H30-9-16)

昭和33(1958)年4月の移転時に建てられた巨大な駅ビル。国鉄時代は新潟鉄道管理局、民営化後はJR東日本新潟支社が入居していました。昭和36(1961)年1月14日の火災で新潟支社部分が全焼し、12月の復旧に際して地上4階(一部6階)建てに増築されました。60年以上に渡って新潟市の玄関口としての役目を果たしてきましたが、在来線高架化工事に伴い、10月9日に改札口を移転して閉鎖。特徴的だった「新潟駅」の巨大な看板の点灯も11月11日24時を以て終了し、11月中旬より解体工事が本格化しました。

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山陽本線 四辻駅(R2-10-18)

大正9(1920)年5月開業時の駅舎。改築工事のため、10月21日より仮通路の使用を開始して閉鎖されました。それほど有名な駅ではありませんでしたが、階段の上に建つ木造駅舎とよく手入れされた植え込みの美しさゆえか、解体に際しては駅巡り界隈以外からも注目ました。

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東武桐生線 阿左美駅(R2-3-12)

昭和12(1937)年5月開業時の、妻面に出入口のある木造駅舎。ホーム上に縄文時代の住居跡遺跡があるという珍しい駅でした。隣接するバイパス道の拡張のため、3月14日に北に300m移転。駅舎はその後もしばらく残っていましたが、10月26日から解体されました。

11月

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長野電鉄屋代線 綿内駅(R1-12-27)

大正11(1922)年6月10日開業時の木造駅舎。平成24(2012)年4月の廃止後もバス待合所などとして使用されてきましたが、老朽化のため11月9日より解体されました。解体に先立ち、9月25日から30日の間「ありがとう綿内驛・ミニ展示会」が開かれ、昔の写真などが展示されました。

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山田線 茂市駅(H31-3-2)

昭和9(1934)年11月開業時の駅舎。岩泉線の分岐駅だけあって周辺の駅と比べると立派な木造駅舎でした。平成30(2018)年のCTC化で無人化され、跨線橋に替わって構内踏切が設置されました。跨線橋は令和元(2019)年8月5日使用停止。駅舎は10月19日より改築工事が開始され、11月18日より閉鎖されました。新駅舎は2月中旬完成予定です。

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京成本線 京成大久保駅(R2-8-9)

昭和30~40年代に建てられたと思われる一部2階建ての手狭な駅舎。上り線駅舎(右)は改築工事のため、11月26日に仮駅舎の使用を開始しました。

12月

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常磐線 竜田駅(R2-3-13)

昭和13(1938)年2月改築の、三角形のファザードが特徴の木造駅舎。東日本大震災以降、3年間の営業休止期間を経て平成26(2014)年6月1日に営業を再開、平成29(2017)年の富岡駅営業再開までは終着駅としての役目を果たしました。令和元(2019)年5月14日より橋上化工事を開始、今年12月1日に新駅舎が完成して役目を終えました。12月2日から11日まで「旧駅舎 想い出展示」を行い、その後解体されました。

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内房線 江見駅(H30-9-21)

大正11(1922)年12月開業時の木造駅舎。8月31日より郵便局と一体化した新駅舎の使用を開始。旧駅舎はその後閉鎖されて放置されていましたが、12月9日より解体されました。

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山田線 川内駅(H31-3-2)

昭和8(1933)年開業時の木造駅舎。山間にある小さな駅ながらも平成30(2018)年4月22日のCTC化まで駅員が配置されていました。10月20日より新駅舎建設工事を開始、12月25日10時より新駅舎の使用を開始しました。

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山田線 区界駅(H31-3-2)

昭和3(1928)年9月開業時の木造駅舎。1日の平均乗車人員はわずか1人という利用の少ない駅ですが、平成30(2018)年4月22日のCTC化まで駅員が配置されていました。無人化直前に交換設備を撤去、棒線化されました。9月中旬より改築工事を開始、川内駅と時を同じくして新駅舎の使用が開始されたものと思われます。

 

以上、今年消えた駅舎を1月から12月まで振り返ってきました。抜けがあるかもしれませんが、その場合は詳しい情報を添えてこの記事にコメントをお願いします。JR西日本の駅舎簡素化の波は来年も続きそうなので、後悔することのないように木造駅舎を訪問していこうと思います。