消えた駅舎2018
今年も残すところあと少しとなりました。まだ書かなければいけない旅行記は何日分か残っていますが、今年の締めくくりとして、今年消えた駅舎についてまとめていくとしましょう。大学生になって行動範囲が広がったので改築前に見れた駅舎も増えました
1月
昭和4年の移転時に建てられた2階建ての木造駅舎で、野田線の前身・総武鉄道の本社が置かれていたため随分と大きな建物でした。高架化工事のため1月19日に仮駅舎の使用を開始しました。初めて訪問した平成26年3月当時はまだ工事が始まっていませんでしたが、その2年後に再訪したときには右半分が既に解体されていました
昭和56年に改築された橋上駅舎でした。高架化工事のため1月27日に仮駅舎に移転しました
2月
昭和5年に改築された入母屋式屋根を持つ木造駅舎でした。橋上化のため2月11日までに仮駅舎に移転しました
昭和45年に完成した九州初の橋上駅舎でした。高架化工事のため2月24日に仮駅舎に移転しました
3月
昭和13年開業時の木造駅舎でした。3月4日に隣接する民家から発生した火災により全焼しました。駅舎が燃えている映像をTwitterで見たときはさすがにショックを受けました。幸いにも乗客が巻き込まれることはなかったようですが、火元の民家で一人が亡くなりました
昭和25年に改築されたと思われる木造駅舎でした。3月26日に新駅舎が完成しました
4月
大正5年改築の木造駅舎でした。4月14日、仮駅舎に移行して役目を終えました
5月
昭和10年開業時からのものと思われる木造駅舎でした。昨年12月中旬に駅舎の待合室側が解体され、5月下旬に事務室側も解体されました
6月
平成12年6月30日の南口開設時に建てられた駅舎(右)でした。地下化工事に伴い6月1日より仮駅舎(左)の使用を開始しました
山手線 新大久保駅(東京都新宿区)
7月
男鹿線 男鹿駅
7月1日より新駅舎の使用が開始されましたが、駅舎はその後も解体されずに残っているようです
8月
昭和50年6月16日の北口開設当時に建てられた2階建ての駅舎でした。地下化工事に伴い8月3日より仮駅舎の使用を開始しました
大正9年に現在地に移転した際に建てられた木造駅舎でした。駅から見える範囲に人家はなく一部の鉄道ファンの間では秘境駅として親しまれていました。8月下旬から改築工事が行われ、新駅舎は来年2月初旬に完成予定です
9月
昭和25年2月改築の木造駅舎で、大きく改装されていたのでそれほど古くは見えませんでした。9月10日より改築工事が行われ、新駅舎は12月21日より使用開始
昭和28年に改築された木造駅舎は雰囲気も良く鉄道ファンからも人気でした。平成29年3月の信号場化後も残存していましたが、9月15日から19日にかけて解体されました
昭和9年開業時に建てられた小さな木造駅舎でした。9月12日より仮待合室の使用が開始され、おそらく11月までに解体されたものと思われます
高架化工事の進展に伴い、東口仮改札が4月3日より使用開始され、西口改札(もとからあった改札)は9月30日に廃止。駅舎は10月中に解体されました
10月
大正4年開業時の木造駅舎で、平成22年のリニューアル時に正面にゲートが増築されました。10月13日に仮駅舎に移転、来年2月末の新駅舎完成後も現在のゲートは残される予定
昭和9年改築の木造駅舎で、随所に古さを残していました。10月14日より仮駅舎の使用を開始しました
昭和51年に改築された4代目の駅舎でした。自由通路を備えた駅舎への改築のため10月20日に仮駅舎に移転しました
11月
昭和22年開業時の木造駅舎でした。11月6日に仮待合室に移転
昭和56年改築の地上11階、地下2階建てのターミナルビルで、ホテル・デパート・レストランが入居していました。3月末に閉館、11月8日より解体工事が始まりました
昭和10年に改築された2代目の木造駅舎でした。11月19日に札幌方面に300m移転して橋上化され、役目を終えました
12月
昭和47年改築の駅舎で、橋上化工事の進展に伴い付属する駅ビル部分が解体されていました。9月25日に北区役所を併設した橋上駅舎が完成した後も残っていましたが、12月下旬に解体されました