今年も残すところあとわずか。ということで今年消えた駅舎を振り返っていきましょう。
1月
昭和23(1948)年3月改築の背の高い木造駅舎でした。平成16(2004)年8月に事務室部分が減築され、跡地にコンビニが造られました(撤退し現在は飲食店)。老朽化とバリアフリー化のため昨年7月下旬より工事開始、駅舎の向かって右側の一部を取り壊し、新駅舎が建設されました。改築にあたっては事務室が右手から左手に移設されました。新駅舎は1月23日より使用開始、旧駅舎は2月に解体されました。
この他、昨年12月23日に新駅舎が完成していた西武多摩川線 多磨駅(東京都府中市)の旧駅舎と、12月25日より閉鎖されていた紀勢本線 船津駅(三重県北牟婁郡紀北町)の旧駅舎が解体されました。
2月
昭和9(1934)年2月改築の木造駅舎でした。昨年2月29日限りで無人化、その後9月16日より工事が開始されました。10月6日前後に旧事務室部分を解体、跡地に新駅舎が建設されました。新駅舎は2月1日より使用開始、旧駅舎の残っていた部分も2月中に解体され、ホームへの階段が建設されました。
大正4(1915)年6月、芸備鉄道「三次」駅としての開業時に建てられた木造駅舎でした。昭和12(1937)年7月に国有化され、昭和29(1954)年11月に改称。無人化後は旧事務室部分が地元住民の集会所として利用されていました。老朽化のため2月8日に閉鎖され、その後解体されました。
高架化工事に伴い、平成25(2013)年12月14日より使用開始された仮駅舎でした。完成は11月末。昨年3月28日より高架駅の使用が開始されたことによって役目を終えましたが、ファミリーマートJR浦上駅店が入居していたためその後も残っていました。ファミリーマートは12月25日限りで閉店、仮駅舎は年が明けて2月下旬に解体されました。
築年不詳、妻面に出入口のある木造駅舎でした。令和元(2019)年9月に橋上化工事に着手、橋上化工事の進展に伴って今年2月27日より仮駅舎に移行しました。旧駅舎は3月中に解体。橋上駅舎は令和5(2023)年春頃完成予定です。
この他、山陰本線 福江駅(山口県下関市)の簡易駅舎が2月上旬から撤去されました。
3月
明治28(1895)年9月開業時に建てられた木造駅舎で、待合室側が入母屋屋根、事務室側が切妻屋根の「片母屋」でした。昨年9月16日より工事が開始され、10月1日より無人化。事務室部分は11月にかけて解体され、待合室部分は仮駅舎として残っていましたが、3月6日の新駅舎使用開始で役目を終えました。
築年不詳、横に長い木造駅舎でした。昨年7月に改築工事に着手。右端の部分を解体して新駅舎を建設し、3月11日より使用開始、旧駅舎はその後解体されました。
昭和27(1952)年6月開業時に建てられた駅舎で、セブンイレブンが併設されていました。令和元(2019)年8月より橋上化工事が始まり、3月20日より橋上駅舎の使用が開始されて旧駅舎は役目を終えました。
昭和6(1931)年12月開業時に建てられた木造駅舎で、入口部分の外壁は新建材で補修されていました。昨年秋から改築・周辺整備工事が始まり、3月21日より新駅舎の使用が開始されました。旧駅舎跡地には10月23日にカンリクグループ本社ビルが完成。
昭和34(1960)年12月に建てられた鉄筋コンクリート造2階建ての4代目駅舎で、平成22(2010)年12月の東北新幹線新青森延伸の際に改装されました。側線などの都合でホームとの間は少し離れており、跨線橋で結ばれていました。自由通路併設の新駅舎は東口旧駅舎とホームの間に建設され、3月26日より使用開始されました。旧駅舎は6月までに解体され、跡地にはホテルなどが入る駅ビルが建設中です。
西口駅舎は昭和59(1984)年12月改築。東口と比べるとこじんまりとした、青い三角屋根の駅舎でした。こちらも3月26日の新駅舎使用開始で役目を終えました。
この他、2月25日より新駅舎の使用を開始したえちぜん鉄道三国芦原線 西長田ゆりの里駅の旧駅舎が解体され、3月21日より筑豊本線 桂川駅の新駅舎が使用開始されました。
4月
昭和17(1942)年8月開業時に建てられた木造駅舎で、英彦山神社への参拝駅ということで社殿を模した立派な造りでした。日田彦山線は平成29(2017)年7月5日の九州北部豪雨の影響で添田~夜明間が休止となり、復旧に際してはBRT化されることになりました。駅舎は老朽化が進んでいたため、BRT化に際しての再整備工事で撤去されることとなり、3月31日頃に閉鎖、4月18日より本格的に解体されました。
昭和49(1974)年、東北新幹線の高架下に建てられた、小さな駅舎でした。こう見えてみどりの窓口設置駅です。橋上化工事に伴い、4月17日に仮駅舎に移行。新駅舎は来年冬頃の完成が予定されています。
平成12(2000)年9月改築の2階建ての駅舎で、駅前広場には開放的な大屋根が架けられていました。令和2(2020)年3月28日の高架化の際、改札口が高架下に移されて役目を終えましたが、その後もしばらく残存し、今年4月末から5月上旬にかけて解体されました。
5月
昭和6(1931)年1月、江若鉄道の終点として開業した際に建てられた木造駅舎で、三角屋根が特徴。昭和44(1969)年11月の廃止後は農協に転用され、廃止後半世紀に渡って残存してきましたが、近年は使用されておらず、老朽化のため5月7日より解体されました。江若鉄道の駅舎で現存する最後の駅舎でした。
昭和10(1935)年10月開業時に建てられた木造駅舎で、旧事務室部分の一部が解体されていました。昨年5月の廃止後も残存していましたが、その後の大雪の影響で上屋の柱が折れるなどの被害を受け、倒壊の危険性があることから5月23日頃より解体されました。旧・札沼線の廃駅のうち駅舎が解体された最初の事例となりました。
昭和60(1985)年に設置された貨車駅舎で、旭川北都商業高校最寄り駅として利用者が多かったことから当初は2両並べて設置されていました。平成23(2011)年3月に高校が閉校して利用者が減少すると駅前側の一両が閉鎖され、平成26(2014)年に撤去。今年3月13日ダイヤ改正でついに廃止となり、一両だけ残っていた貨車駅舎も5月中に撤去されたようです。
6月
昭和43(1968)年3月改築の駅舎でした。京王相模原線との乗換えには踏切を渡らなければならず利用者は不便を強いられていましたが、6月6日より橋上化工事のため仮駅舎に移転。踏切を渡らずとも乗り換えられるようになりました。橋上駅舎は来年9月頃完成予定。
大正11(1922)年9月改築の木造駅舎で、分割民営化後に改装されていました。高架化工事のため、6月6日に仮駅舎と仮跨線橋の使用を開始。同時に役目を終えた跨線橋は現役最古のものとして有名で、保存される予定ですが、駅舎の方はその後解体されました。
明治27(1894)年1月、日本鉄道の駅としての開業時に建てられた木造駅舎で、待合室側は入母屋屋根、事務室側は切妻屋根の「片母屋」。東北本線では最古の駅舎でした。4月より改築工事が始まり、6月26日に仮駅舎に移行、旧駅舎は7月に解体されました。新駅舎は12月26日に使用開始され、旧駅舎の部材を再利用した記念品のマグネットとコースターが利用者に配られました。
昭和33(1958)年7月に開業した駅で、ホーム手前に木造のかわいらしい待合室がありました。昨年5月の廃止後もしばらくはそのまま残っていましたが、待合室は6月27日頃より解体されました。ホームは今も残っているようです。
7月
昭和9(1934)年11月、姫新西線の駅として開業した際に建てられた木造駅舎。旧事務室には旅行会社が入居し、簡易委託の窓口がありました。2月22日に新駅舎が使用開始され、旧駅舎は7月1日より解体されました。
昭和35(1960)年9月に開業した駅で、森の中にホームと木造待合室がありました。「秘境駅」としても有名で、渋い待合室も駅の人気に一役買っていましたが、これは月形町が利用者のために整備したものだったようです。昨年5月に廃止となり、待合室は7月10日に解体されましたが、ホームは保存される予定です。
昭和6(1931)年10月、札沼北線の終点「中徳富」としての開業時に建てられた木造駅舎で、昭和28(1953)年11月に改称されました。昭和47(1972)年6月の札沼線一部廃止で終着駅となり、昭和61(1986)年3月の無人化後に事務室部分が減築されました。平成28(2016)年3月ダイヤ改正で浦臼~当駅間の列車は一往復のみとなり、「日本一終電の早い駅」として有名になりましたが、昨年5月7日に廃止。ラストランに鉄道ファンが殺到して密になる事態を避けるために最終列車は前倒しされて4月17日の運転となりました。廃止後、駅用地は新十津川町に譲渡され、公園として整備されることとなり、7月16日に「壊体祭」を行って、駅舎は7月20日以降に解体されました。
昭和5(1930)年6月、阪和電鉄の駅としての開業時に建てられた木造駅舎でした。4月以降に工事が始まり、7月18~20日の間に仮駅舎に移行しました。新駅舎は来年夏完成予定です。
昭和59(1984)年11月の無人化後、翌年9月までの間に改築された貨車駅舎で、ヨ3500形車掌車を転用したものでした。駅周辺に人家は一軒のみで利用者はほぼゼロ、3月13日のダイヤ改正で廃止となりました。駅舎は7月27~28日に解体。
開業時以来の木造駅舎に代わり、平成12(2000)年7月に改築されたプレハブ駅舎でした。あまり広くはないものの中は明るくてそれなりに居心地の良かった記憶があります。3月13日ダイヤ改正で廃止となり、駅舎は7月下旬に撤去されたようです。
この他、徳島線 府中駅(徳島県徳島市)の駅舎が7月13日より解体されました。
8月
昭和11(1936)年3月開業時に建てられた木造駅舎で、分割民営化後に改装されていました。7月5日より工事が始まり、7月30日限りで自動券売機の使用を終了。新駅舎は8月6日完成。8月13日または14日に新駅舎の使用が開始され、旧駅舎は解体されました。
昭和9(1934)年10月、札沼北線の駅としての開業時に建てられた木造駅舎。昨年5月の廃止後、用地は新十津川町に譲渡され、駅舎は8月末から9月上旬にかけて解体されました。線路、駅の跡地は水田に還る予定とのことです。
9月
築年不詳の木造駅舎。周辺駅の同型駅舎から推定するに、昭和10年代の改築。昨年3月14日より無人駅となりました。7月12日より工事が始まり、9月3日より駅舎正面向かって左手に設けられた仮通路の使用を開始。その後右側の部分を解体して新駅舎が建てられました。新駅舎は来年3月末完成予定。
昭和40~50年代に改築されたと思われる、手狭な二階建ての駅舎。上りホームの千葉寄りに設置されていました。9月28日より下りホーム側に新設された駅舎の使用が開始され、既存の駅舎は閉鎖されて建て替え工事が始まりました。
10月
昭和59(1984)年改築、農協事務所との合築駅舎でしたが、農協は撤退してシャッターが下りていました。駅前は非常に狭くすぐに崖で、引いて撮るのが難しい駅舎でした。おそらく10月中に解体されて更地となったものと思われます。
11月
大正3(1914)年3月開業時からの木造駅舎と思われますが、分割民営化時に大きく改装されていました。11月上旬~中旬に解体された模様です。跡地には簡素な待合所が建設されました。
昭和35(1960)年改築とされる片流れ屋根の木造駅舎。電化前の写真にも同じ形の駅舎が写っているので昭和21(1946)年以前に建てられたものかも知れません。老朽化によって取り壊されることになり、10月10日に駅舎ありがとうイベントが開催されました。11月上旬までにトイレの撤去が行われ、駅舎は11月15日より解体されました。
昭和34(1959)年11月開業時に建てられたと思われる、「毛織の北紡」の赤いホーローが掲げられていた木造待合室。3月13日ダイヤ改正での廃止後、地域の歴史を伝える文化的価値の高い建築物として保存も検討されましたが、老朽化が進んでいて移設も難しいことから解体されることになりました。11月15日から18日の間に解体。
国鉄末期に改築された貨車駅舎。昭和29(1954)年日本車輛製の車掌車ヨ4436を改造・転用したもので、尾灯が残るなど宗谷本線の貨車駅舎と比べると原型を留めていました。昨年5月に廃止。駅舎は11月下旬に撤去されました。
国鉄末期に改築された貨車駅舎。昭和29(1954)年新潟鐵工所製の車掌車ヨ4473を改造・転用したもので、石狩金沢同様に原型を留めていましたが、除雪機庫が増築されていました。昨年5月に廃止。駅舎は11月下旬に撤去されました。
国鉄末期に改築された貨車駅舎。昭和29(1954)年富士車輛製の車掌車ヨ4659を改造・転用したもので、本中小屋同様に除雪機庫が増築されていました。ホーム側の壁面は駅名も読み取れないほどに錆びていました。昨年5月に廃止。駅舎は11月下旬に撤去されました。
昭和20(1945)年6月、信号場として開業した際に建てられた木造駅舎でした。分割民営化時に正駅に昇格。信号場の詰所の片隅を使っていたため待合室は狭いものでした。老朽化が著しく、ところどころ補修されてはいたものの、歪みが生じていました。11月30日に役目を終えて閉鎖されました。その後も解体されずに残っているようです。
この他、予讃線 卯之町駅(愛媛県西予市)が11月26日より仮駅舎に移行しました。
12月
大正15(1926)年3月改築の木造駅舎で、改装されてはいたものの随所に古さを留めていました。3階建ての駅ビルへの改築工事のため、12月4日に仮駅舎に移行しました。新駅舎は令和5(2023)年秋完成予定です。
昭和4(1929)年11月開業時のものと思われる木造駅舎でした。改札部分は利用者数増加に伴って増築されたものかも知れません。橋上化工事のため12月4日より仮駅舎・仮跨線橋の使用を開始しました。新駅舎は令和5(2023)年度末完成予定です。
昭和34(1959)年改築の駅舎でした。老朽化によって取り壊されることになり、西幡豆と同じく10月10日に駅舎ありがとうイベントが開催され、12月6日より解体されました。さして注目されることも無く消えていく駅舎が多い中、最後に晴れ舞台が与えられて見送られたのは幸運と言えるでしょう。
昭和62(1987)年10月改築の駅舎で、ホームとは構内踏切で結ばれていました。バリアフリー化とホーム延長によるドアカット解消を目的として平成30(2018)年度より橋上化工事が始まり、12月11日より新駅舎の使用が開始されました。
肥薩線 渡駅
— 海垣 駅 (@ride626_st) 2021年12月17日
今回の旅の最大の目的でした。以前から解体の予告が細々とありながら後回しにしていましたが、いよいよ危ないとのことで訪問を決意。
結果、訪問した当日にほぼ解体ということに…。朝から解体の様子を追えて、来た意味があったと思います。お疲れ様でした…#海垣球磨川えびの巡り pic.twitter.com/mH2sbr0IUn
明治41(1906)年6月開業時に建てられた木造駅舎で、旧事務室には球磨村商工会が入居していました。昨年7月4日の集中豪雨では駅舎の浸水や線路の路盤が流出するなどの被害を受けました。天井まで浸水したために損壊が大きく、解体されることに。11月末より解体工事が始まり、12月16日より本格的に解体されました。肥薩線の復旧については未定で、今後が危ぶまれます。
大正3(1914)年8月開業時に建てられた、寄棟造の木造駅舎。かつては陸羽西線のほとんどの駅で見られたタイプの駅舎ですが、建て替えによって当駅が最後の存在になっていました。8月末より改築工事に着手し、駅舎とホームの間に新駅舎が建てられました。新駅舎は12月16日17時より使用が開始され、旧駅舎は107年の歴史に幕を下ろしました。旧駅舎は来年3月以降に解体される予定です。
建物財産標には「M39」と標されていた木造駅舎、俄かには信じがたいですが明治30(1897)年2月の日本鉄道の駅としての開業時、または明治39(1906)年11月の国有化時に建てられたものだったのかも知れません。橋上化工事のため12月22日に仮駅舎に移行しました。新駅舎は令和5(2023)年春完成予定。
この他、予讃線 伊予亀岡駅(愛媛県今治市)の新駅舎が12/21に使用開始されました。今年も各社で老朽駅舎の建て替えが行われた一方、札沼線などで廃止駅の解体事例も目立ちました。来年は日高本線でも廃止駅の駅舎解体が進むのではないでしょうか。