最終日は福塩線府中以北のうち残った3駅を訪問し、山陽本線と山陽新幹線を乗り継いで東への帰途に就きました。
三次を5:15発府中行き1720D(キハ120-326)で出発し、上下で下車。乗ってきた列車は三次行き1721Dと交換してからもしばらく停車してから発車していきました。
上下駅は中国山地に分け入る福塩線の中でも最も標高の高い地点で、それを示す標柱がホーム上に建てられています。
駅舎は昭和10年11月に福塩北線の終点として開業した際に建てられたもの。府中町まで全通するまでの3年弱の間、終着駅でした。平成16年に府中市と合併した旧甲奴郡上下町の玄関口で、府中~塩町間の途中駅では最も大きな駅かつ唯一の簡易委託駅です。
かつては車寄せの上にひらがなの駅名表示があったようですが、今では失われてパッと見駅名が分かりにくいです。
次の列車まで一時間あるので上下の街を散策。まずは上下代官所跡へ。江戸時代、天領(幕府の直轄支配地)だった上下にはそれを治めるための代官所が置かれていました。当初は甲奴・神石・安那3郡の71村を管轄する代官所でしたが、管轄地の縮小によって後半期は石見銀山の大森代官所の出張陣屋となっていたそうです。代官所の用地は明治以降は小学校に転用され、昭和32年からは上下町役場が置かれたことで再び行政の中心地となりました。平成16年に府中市と合併すると上下支所となりましたが、建物老朽化のため平成19年に移転し、旧庁舎は平成24年に解体されています。
代官所跡の近くに分水嶺があります。拍子抜けするくらい普通の国道沿いで、こうした街中に分水嶺があるのは珍しいそうです。「上下」という珍しい地名は水が上下に分かれることに由来しているとの説もあります。
上下は重伝建ではないものの、中心部に白壁の和風建築を中心に古い建物が多く残っており、どこを切り取っても絵になります。昭和9年に建てられた片野製パン所は国登録有形文化財。
火の見櫓のある建物は明治12年7月に警察署として建てられた建物。田山花袋の紀行文にも出てくるそうです。
特に白壁の街並みが見事なのは上下教会の前後。まるで重伝建のように新しい建物も意匠が統一されているたます。上下教会は明治時代に建てられた財閥の蔵を戦後に改装したもので、蔵風の教会という全国的に見ても珍しい建物です。
商工会館の旧館は昭和5年7月に上下警察署として建てられたもの。それまでは前述の火の見櫓の建物が警察署でした。アールデコ風の洋風建築で、シンメトリーの外観が美しいです。惜しむらくは手前に公衆トイレが設置されていることと、電線が被っていること。トイレはともかく電線は地中化でなんとかなりそうなだけに惜しいです。
上下警察署は昭和31年10月に統合され、以降は府中警察署上下交番となりましたが、昭和44年10月に新築移転し、以降は商工会館として使われてきました。
ちなみに代官所への道中に見た上下交番は建て替え工事中で、これまた時代の移り変わりを感じます。明治の建物が警察署として使われたのは51年、戦前の建物が警察署・交番として使われたのは39年、そして現在の交番が使われてきたのは52年。実は今の交番の時代の方が長いのです。3代の建物が共存する現状もそう長くはないのでしょうが
上下駅に戻り、7:31発三次行き1723D(キハ120-327)に乗車。実はこの時、発車時間を勘違いしており、うっかり乗り遅れかけるという失態を犯しました。
三良坂で下車。平成16年に三次市と合併した旧双三郡三良坂町の駅で、平成2年3月改築の駅舎は、コミュニティホール・タクシー会社との合築です。二階建ての立派な建物で、待合室も広いですが、列車の本数は少なく、ホームも一本だけと寂しい感じです。
駅前を少し歩くと気になるお店がありましたが、朝の時間帯なのでもちろん開いておらず、今度は昼に来ようと思うのでした。
三良坂9:38発三次行き1725D(キハ120-324)で塩町へ。福塩線の終点ですが、列車は全て三次まで直通します。昭和5年4月に芸備鉄道の「田幸(たこう)」として開業し、昭和8年6月の国有化で庄原線の駅となり、同年11月に福塩北線が吉舎まで開業しました。昭和9年1月に現在の神杉駅から「塩町」の駅名を譲り受けて改称されています。ほんの1カ月半の間だけ福塩北線の始発駅が「田幸」だったわけですが、「福田線」や「福幸線」にならなかったのは最初から改称前提だったのでしょう。それなら国有化時や福塩北線開業時に改称でもいいのではないかという気もするのですが。
駅舎は二つの路線の分岐駅らしく立派なものですが、無人化されてがらんとしています。平成17年4月まで簡易委託駅でした。
ホームは島式1面2線の狭いもので、駅舎とは地下通路で結ばれています。この規模の駅で地下通路は珍しいですが、これも芸備線が急行の走る重要な路線だった時代の名残でしょう。かつての構内踏切も封鎖されながら残っていますが、バリアフリーの観点から見れば、まだ踏切の方が段差が少なくていいのではないかと思えます。
そばの踏切から分岐を見てみましょう。左に曲がっていくのが芸備線で、右に曲がっていくのが福塩線。未練も見せずお互い別の方向へ進んでいく、何とも潔い別れ方です。
共に本数の少ないローカル線となった今ではどちらが上でどちらが下ということもないでしょうが、本数は辛うじて芸備線の方が多いです。
塩町10:14発三次行き355D(キハ120-320)で三次へ。10:30発快速みよしライナー5835D(キハ47-1101+キハ47-110)に乗り換えて一気に広島へ。三次~上深川に乗るのはこれが初めてですが、随分と思い切った途中駅の飛ばし方をするものだと思いました。三次以西の駅も早く訪問したいものです。
広島で12:05発普通白市行き1534M(クモハ227-43)に乗り換え、西条へ。計画では天神川と安芸中野にも降りる予定でしたが、お腹が空いていたので予定を変更して西条で昼食としました。東広島市の代表駅で、駅周辺はなかなかの賑わいを見せています。
駅前の中華蕎麦マーヤの特製正油らぁめんで昼食。深い味わいのスープと鶏・豚2種のチャーシューが美味しかったです。
西条13:26発普通糸崎行き320M(クモハ227-93)で三原へ。三原からは14:15発普通播州赤穂行き428M(クハ115-1111)に乗車。今ではすっかり貴重になった115系で広島から一気に兵庫へ。乗り換えの手間がないのは楽ですが、3時間近く座りっぱなしというのも厳しいものです。
播州赤穂17:07発普通姫路行き974M(クモハ223-2072)に乗り換え、姫路へ。
駅弁を買ってから18:02発のぞみ118号東京行き118A(783-1004)に乗車。広島から新幹線に乗れば芸備線三次以西の駅もいくつか訪問できたはずですが、そうしなかったのは単に姫路から乗った方が安いから。金欠学生にとっては新幹線利用はなかなか厳しいものです。
新幹線の車内で、姫路駅の駅弁「豚かつめし」で夕食。加古川・姫路周辺のB級グルメ・かつめしの駅弁で、デミグラス風のソースがかかっていてボリュームがあります。
品川からは20:57発山手線外回り1923G(サハE235-49)で帰宅しました。