まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

12/29 師走の飯田線駅めぐり その2

飯田線駅めぐり二日目は豊川からスタート

野田城駅

3分遅れの豊川6:14発普通天竜峡行き501M(クハ312-3017)で野田城へ。戦国時代に存在した菅沼氏の居城・野田城に由来する駅名を持つ駅で、昭和7年12月に建てられた木造駅舎が現役で使用されています。大正7年1月、豊川鉄道の駅として南設楽郡千郷村に開業しました。千郷村は明治39年5月に千秋村と西郷村が合併して誕生した村で、両方の村から一字ずつ取られています。千郷村は昭和30年の合併で新城町となり、その後新城市となりました。元亀4(1573)年、当地を舞台に繰り広げられた野田城の戦い三方ヶ原の戦いに続く戦いです。三方ヶ原で勝利を収めた武田軍が徳川方の武将・菅沼定盈(さだみつ)の守る野田城を包囲し、一か月で開城降伏させています。野田城の勝利により、武田軍は徳川軍の三河防衛網を崩壊させることに成功しましたが、信玄の病状悪化によって侵攻を止めて引き返したために徳川の息の根を止めることはできませんでした。信玄は戦いの三か月後、甲斐に戻る途中の信濃で死去したため、野田城が最後の戦いとなっています。

茶臼山駅

2分遅れの野田城6:55発普通本長篠行き503M(クハ312-3024)で茶臼山へ。長篠の戦い織田信長が本陣を置いた茶臼山に由来する駅名を持つ駅で、大正15年5月に開業しました。駅舎は平成8年2月改築で、アーチを描く形状が印象に残ります。開業時の所在地は南設楽郡東郷村で、明治39年5月までは石座村、明治8年までは富永村でした。

東新町駅

茶臼山7:13発普通豊橋行き512M(クモハ313-3024)で東新町へ。新城市中心市街地の東端にある駅で、大正3年1月開業。簡易委託の窓口が設置されています。ホームは一本ながらかつては立派な木造駅舎がありましたが、新城方にある踏切の拡幅工事のため、平成20年12月に現駅舎に改築されました。開業時の所在地は南設楽郡東郷村で、明治39年5月までは平井村でした。

新城駅

東新町7:44発普通豊橋行き514M(クモハ313-3024)で新城へ。江戸時代には交代寄合(旗本)・菅沼氏(野田城城主の子孫)の陣屋町であった新城市の代表駅で、みどりの窓口も設置されています。天井の高い立派な木造駅舎は建物財産標によれば豊川鉄道時代の昭和15年12月改築、国有化後に改築された牛久保駅とも似たデザインです。素晴らしい駅舎ですが、駅前整備で障害物が多くなってなかなか綺麗に撮れないのが残念です。せめて電線を地中化するだけでも駅舎が一気に映えると思うのですが。

牛久保駅

新城8:17発普通豊橋行き516M(クモハ213-5003)で牛久保へ。昨日来たばかりですが、その時は窓口が開いていませんでした。昭和18年8月国有化時に改築された駅舎で、改めて比べてみると新城駅と兄弟と言っていい程度には似ています。しかし、車寄せの形状が違いますし、通気口の位置や形状、屋根の形状が違います。建築主体は豊川鉄道と国鉄という風に異なりますが、時期的に豊川鉄道時代に設計を済ませていたので似た駅舎になったという可能性はありそうですが。

牛久保駅

ホーム上には新駅舎を建設中。3月18日より使用開始予定で、新駅舎には窓口や駅員の勤務スペースがないのを見るに、新駅舎使用開始に合わせて無人駅となるのでしょう。この駅舎を味わえるのもあと二ヶ月ほどです。

船町駅

牛久保8:53発普通豊橋行き412M(クモハ313-3023)で船町へ。昭和2年6月、豊川鉄道の「新船町停留場」として開業した駅で、国有化時に駅に昇格して「新」も外されました。飯田線の線路と地上を走る貨物線に挟まれて昭和34年12月改築の小さすぎる駅舎があり、築堤上に狭い島式ホームがあります。元私鉄だけあってスケール感はとてもJRの駅とは思えません。駅前の線路は貨物駅(現在はオフレールステーション)に繋がっており、この貨物駅が国有化までは「船町」を名乗っていました。

船町駅

船町駅のある区間飯田線名鉄名古屋本線の線路共用区間で、飯田線の列車だけでなく、名鉄の列車も通過していきます。これは名鉄の前身である愛知電気鉄道が豊橋(吉田)に乗り入れる際、豊川に架かる橋の建設費を抑えるべく豊川鉄道と共同使用する契約を結んだことによるもので、愛電と豊鉄がそれぞれ単線を所有して複線として豊橋~平井信号場間を共同使用しています。この契約は豊川鉄道国有化も受け継がれて今に至ります。

下地駅

船町9:11発普通本長篠行き515G(クハ312-3027)で下地へ。船町に引き続き、名鉄との共用区間にある駅で、東海道本線も並走しています。ホームは「H」のような形状をしていて、その間に駅舎が建てられているという不思議な構造の駅。元は普通の島式ホームだったそうですが、豊川橋梁架け替えに伴って昭和49年8月にこのような配置になりました。

下地駅

ホームに挟まれた駅舎は昭和49年8月改築。駅舎正面の階段を下ると駅の出入り口です。船町と共に普通列車でも通過する程度に停車本数の少ない駅ですが、飯田線に加えて名鉄東海道本線と目の前を列車がひっきりなしに通過していきます。大正14年12月、開業時の所在地は宝飯郡下地町で、昭和7年9月に豊橋市編入されました。

豊川橋

豊川橋梁 橋台跡

次の列車までの時間で豊川橋梁を見学。下り線が豊川鉄道(→国鉄→JR)、上り線が愛知電気鉄道(→名鉄)の建設し、所有したものでした。上下線の間には架け替え前のレンガの橋台が残っています。

小坂井駅

下地9:43発普通豊川行き411G(クハ312-3023)で小坂井へ。平成22年2月に豊川市と合併した旧:宝飯郡小坂井町の駅で、明治31年3月に開業しました。開業時の所在地は宝飯郡豊秋村で、明治39年9月に伊奈村と合併して小坂井村、大正15年9月に町制施行して小坂井町となっています。大正15年4月、愛知電気鉄道豊橋線が当駅まで開業、翌年6月の伊奈~吉田(現:豊橋)間延伸までは当駅で愛電から豊橋方面への乗換が行われていました。吉田開業時、伊奈~小坂井間は小坂井線として本線から切り離され、以降は名鉄から豊川方面への直通経路として維持されたものの、昭和29年12月に名鉄豊川線が全通すると廃止されています。かつては乗換駅として賑わった小坂井駅は平成11年3月に無人化、平成14年2月に簡易駅舎に改築されました。

飯田線駅めぐりはこれで終了。小坂井9:54発快速豊橋行き2524M(クモハ313-3019)と豊橋10:21発新快速大垣行き2313F(モハ313-5012)を乗り継いで金山へと向かいました。