まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

5/23 武豊線・東海道本線駅めぐり

2カ月以上経ってしまいましたが、5月下旬、もうすぐ役目を終える半田駅跨線橋と駅舎を見るついでに中京地区の駅を巡ってきました。

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早朝の名古屋駅

22:20に東京駅鍛冶橋駐車場を出発した東名特急ニュースター号OB005が名古屋駅に到着したのは定刻より少し早い早朝5:05

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半田に到着

名古屋から5:29発普通豊橋行き3100F(クモハ313-1113)に乗車し、大府で5:54発普通武豊行き3600F(クモハ311-4)に乗り換えて半田へ

「日本最古」の跨線橋が役目を終えることが報道されていたこともあり、こんな早い時間で既に同業者が一人いました。最終日はかなり人が集まったようですし、早朝に来たのは正解だったようです。跨線橋なんて普段は鉄道ファンからすら見向きもされないものですが、やはり「日本最古」のものが引退するとなれば注目を集めるようです

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半田駅 日本最古の跨線橋

こちらが日本最古の跨線橋。明治43(1910)年11月に完成したもので、御年110歳。十分歴史的価値があるもので、引退後は移設保存される予定です。しかし単に「日本最古」と言うわけではなく正確には「建設当初から同じ場所に存在する跨線橋の中で現役最古」とのこと。

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大田市駅 日本最古の跨線橋

移設されたものを含めれば山陰本線大田市駅のものが日本最古とされており、明治23(1890)年の銘板が設置されています。半田駅のものより20年古く、鉄道省よりさらに前の帝国鉄道庁時代のものです。大田市駅の開業は大正4(1915)年7月ですが、跨線橋が現在地に移設された時期や、どこから移設されたものかは不明です。

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半田駅

話を半田駅に戻しましょう。跨線橋と同時に引退する駅舎は大正11(1922)年9月に建てられたもの。築百年を目の前にしての引退となりますが、何度か改装されているため、デザインから古さは感じられません。しかし、柱などの細部は歴史を感じさせる造りでした。高架化工事の進展に伴い、6月6日より仮駅舎に移行し、その後解体されました。

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武豊

半田6:49発普通武豊行き3602F(クモハ313-1108)で武豊へ。武豊線の終着駅で、昭和40年までこの先武豊港まで線路が伸びていました。駅舎は妻面に出入口があるもので、財産標によれば大正11年3月築ですが、昭和8年5月築という説もあります。

駅前には昭和28年の台風による高潮の際、列車を守って殉職した駅員、高橋煕さんの胸像が建てられています。

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東成岩駅

武豊7:15発区間快速名古屋行き5807F(クハ312-415)で東成岩へ。製鉄工場に隣接した立地の小さな駅で、昭和19年11月に建てられた駅舎は片流れ屋根の変わった形をしています。

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乙川駅

東成岩7:34発区間快速名古屋行き5809F(クハ312-1318)で乙川へ。昭和8年、東成岩と同時に開業した駅で、平成18年3月に簡易駅舎に改築されています。駅舎は当初吹きっさらしでしたが、後から左手の壁が増築されたようです。電化されたものの名鉄知多線の駅と比べると本数も少なく、のどかな雰囲気が漂っています。

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東浦駅

乙川7:54発区間快速名古屋行き5811F(モハ313-1103)で東浦へ。知多郡東浦町の玄関口ですが、平成25年に無人化されています。駅舎は昭和22年10月改築の木造駅舎で、線内の他の無人駅と比べると待合室は広めです。

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亀崎駅

東浦8:16発普通武豊行き3610F(モハ310-4)で亀崎へ。明治19(1886)年3月開業時に建てられたとされる、現役最古の木造駅舎が残る駅です。しかし、明治28(1895)年3月7日の火災で焼失したとする説もあり、その場合は明治22年築の土讃線善通寺駅が現役最古の駅舎となります。改装されていた半田駅と違って外壁が板張りのまま残されているので、最古の駅舎にふさわしい雰囲気はありますが、内部はかなり改装されています。

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石浜駅

亀崎8:29発区間快速名古屋行き5813F(クハ312-12)で石浜へ。昭和32年4月に開業した、武豊線で最も新しい駅で、元は片面ホームだけの棒線駅でしたが、平成元年にホームが増設されました。駅裏手には開放的な田園地帯が広がっています。

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緒川駅

石浜9:06発区間快速名古屋行き5815F(クハ310-4)で緒川へ。東浦町役場とイオンモール東浦の最寄り駅で、武豊線内の駅では最も賑わいを見せています。平成7年5月に線内では唯一高架化されており、雰囲気も都会的ですが、平成25年に無人化されています。

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尾張森岡駅

緒川9:48発区間快速名古屋行き5817F(クハ312-415)で尾張森岡へ。片面ホームだけの棒線駅で、武豊線内では最も利用者数が少ない駅です。線路を挟んで東側は田んぼが広がっていますが、西側は住宅街です。田んぼの向こうには刈谷かどこかのマンションが聳えています。

大府は既に訪問済み(亀崎は再訪)なので、武豊線はこれにて全駅制覇。後は東海道本線の駅を巡っていきます。

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西小坂井駅

尾張森岡10:21発区間快速名古屋行き5819F(クハ312-410)と大府10:31発新快速豊橋行き5318F(クモハ313-1)、蒲郡11:00発普通豊橋行き3122F(クモハ313-11)を乗り継いで西小坂井へ。

昭和20年6月に軍需工場への引込線が分岐する西伊奈信号場として開業し、23年8月に昇格した駅で、平成22年に豊川市編入された旧宝飯郡小坂井町に位置します。駅舎は昇格時に建てられたもので、民営化後に改装されています。

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三河大塚駅

西小坂井11:39発普通岐阜行き3131F(サハ311-2)で三河大塚へ。昭和28年7月に海水浴客のための季節駅として開業し、35年3月に常設化された駅で、駅名は昭和35年に分割編入で消滅した旧宝飯郡大塚村に由来します。駅舎は平成17年7月改築の3代目で、地形の都合でホームは駅舎より高い所にあります。ラグーナ蒲郡の最寄り駅で、イベント時にのみ開設される臨時改札口があります。

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三河三谷駅

三河三谷12:16発普通岐阜行き3133F(クハ312-420)で三河三谷へ。三谷温泉の最寄り駅で、新快速も一部が停車します。駅舎は昭和4年7月開業時のものですが、平成2年に改装されています。かつてはキオスクもありましたが撤退し、駅も平成29年10月から無人化されています。

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三河塩津駅

三河三谷12:50発普通岐阜行き3135F(クハ310-14)で三河塩津へ。民営化後の昭和63年11月に開業した駅で、名鉄蒲郡線蒲郡競艇場前駅が隣接しています。橋上駅舎は簡素なデザインで、国鉄~JR初期に多く建てられたタイプですが、今となっては増改築ですっかり貴重になりました。しかし、バリアフリーの観点からは課題が多いので何かしら手を打った方が良いと思われます。

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三ヶ根

三河塩津13:25発普通岐阜行き3137F(クハ310-9)で三ヶ根へ。昭和42年3月、地元の請願と費用負担によって開業した駅で、駅名は三ヶ根山に由来します。駅舎は開業時からの橋上駅舎で、築50年を過ぎた今となってはすっかりレトロさを感じさせます。しかし、無人駅なので簡易駅舎に改築して駅前から直接ホームに入れるようにした方が便利なのではと思わないでもありません。

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幸田駅

三ヶ根13:58発普通岐阜行き3139F(クモハ313-310)で幸田へ。額田郡幸田町の玄関口で、明治39年に芦谷信号所として開業し、明治41年に一般駅に昇格しました。昇格時の所在地は額田郡広田(こうだ)村でしたが、広田駅(現:磐越西線)が既に存在していたことから、「幸田」の字が当てられ、村名が駅名に合わせて改称されました。駅舎は昭和28年8月に改築されたものです。

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相見駅

幸田14:31発普通岐阜行き3141F(クハ310-10)で相見へ。平成24年3月に開業した新しい駅で、立派な橋上駅舎が設けられていますが、平成29年に早くも無人化されており、勿体ない気がします。駅名は幸田町(←広田村)の前身の一つで、明治39年5月まで存在した相見村に由来します。

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西岡崎駅

相見15:04発普通岐阜行き3143F(クハ310-13)で西岡崎へ。民営化後の昭和63年3月に開業した駅で、令和2年12月に無人化されています。同じJR化後に開業した駅でもしっかりとした造りの相見とは違って、簡素な造りの橋上駅です。

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東刈谷駅

西岡崎15:36発普通岐阜行き3343F(クハ312-411)で東刈谷へ。昭和41年12月に開業した駅で、地元は旧村名にちなんで「依佐美(よさみ)」を要望していましたが、誤読の恐れがあるとして却下され、次に要望された「野田」についても重複を理由に却下されて「東刈谷」という無難でありきたりな駅名になりました。しかし、「野田」については40年後、隣に開業する野田新町駅に採用されています。

橋上駅舎は開業時からのもので、原型は三ヶ根と似たような感じでしたが、増改築によってすっかり別物になっています。

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野田新町駅

東刈谷15:57発普通岐阜行き3145F(クハ312-12)で野田新町へ。刈谷市の請願と費用負担によって平成19年3月に開業した駅で、駅名は旧碧海郡野田村に由来します。ここも立派な駅舎を令和2年12月の無人化で持て余しており、実に勿体ない感じです。

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逢妻駅

野田新町16:18発普通岐阜行き3345F(クハ312-304)で逢妻へ。昭和63年3月に開業した駅で、駅名はそばを流れる逢妻川に由来します。当地には、明治22年から39年まで17年間だけ碧海郡逢妻村が存在していました。逢妻川については、在原業平がかきつばた姫と川を隔てて出会ったという伝承がありますが、あまりによくできた話なので、伊勢物語にちなんだ後世の創作でしょう。

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共和駅

逢妻16:42発普通岐阜行き3147F(サハ311-6)で共和へ。昭和8年12月にガソリンカー専用の簡易停車場として開業し、戦時中の休止を経て戦後復活した駅で、昭和47年と早期に橋上化されています。駅名は明治9年から町村制を経て39年まで存在した旧知多郡共和村に由来しており、村々の合併時に連帯意識の醸成と相互協調の願いを込めて命名されました。

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南大高

共和17:05発普通岐阜行き3347F(クハ312-16)で南大高へ。この駅から名古屋市内に入ります。平成21年3月に開業した駅で、西口駅前にはイオンモールがありますが、東口駅前は道路を挟んで新幹線の築堤があるだけで建物はほとんどありません。

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大高駅

南大高17:21発普通岐阜行き3149F(クハ310-12)で大高へ。明治19年3月、官設鉄道の武豊~熱田間開業時に開設されたという古い歴史を持つ駅で、駅名は昭和39年4月に名古屋市緑区編入された知多郡大高町(←大高村)に由来します。新幹線建設に伴い、昭和37年5月には名古屋鉄道管理局管内では初の橋上駅舎が建てられましたが、高架化工事のため昭和49年3月に仮駅舎に移転したため短命に終わりました。昭和53年4月に現在の高架駅になりましたが、東側を新幹線が並走しているため、出口は西側にしかありません。

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笠寺駅

大高17:40発普通岐阜行き3151F(クハ312-11)で笠寺へ。戦時中に設置された仮信号場から昇格した駅で、名古屋臨海鉄道も乗り入れています。かつての駅舎は新幹線の高架下に設けられていましたが、昭和63年4月に橋上化され、東口は新幹線高架下にありますが、西口はペデストリアンデッキ名古屋市総合体育館に直結しています。

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熱田駅

笠寺17:57発普通岐阜行き3349F(クハ312-410)で熱田へ。明治19年3月に武豊から伸びてきた官設鉄道の終点として開業し、熱田宿や熱田港に近い立地で当初は名古屋の玄関口として賑わいを見せました。明治29年9月、熱田神宮に近い現在地に移転し、空襲と再建を経て昭和57年10月に4代目となる現駅舎に改築されました。今でも熱田神宮の最寄り駅ですが、名古屋駅金山駅にターミナルとしての座を奪われ、今では重厚な駅の造りだけがかつての隆盛を伝えています。

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尾頭橋駅

熱田18:17発普通岐阜行き3153F(クハ312-420)で尾頭橋へ。平成7年3月に開業した高架駅で、中央本線との重複区間にありますが、中央本線にはホームが設置されていません。場外馬券売場「ウィンズ名古屋」の最寄り駅で、開設に当たってはJRAが費用の多くを負担しています。

キリのいいところまで来たのでこの日の駅めぐりはこれで終了。とは言っても夜行バスに乗るまでかなり時間があるので、尾頭橋18:37発普通岐阜行き3351F(クハ312-413)で岐阜へ。

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高山本線3737D

ホーム上で弁当を食べてから、岐阜19:45発普通美濃太田行き3737D(キハ75-1203+キハ75-1303+キハ75-3306)、美濃太田20:29発普通多治見行き3364C(キハ75-3403+キハ75-3503)、多治見21:05発快速中津川行き5761M(クモハ313-1328)と乗り継ぎ。

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夜の美乃坂本駅

中津川まで行くと帰ってこれないので、美乃坂本で下車し、21:40発普通名古屋行き3712M(クモハ211-5002)で名古屋へ戻りました。

名古屋駅からは23:45発武井観光アミー号TK102に乗車し、バスタ新宿には翌朝4:55に到着しました。