まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

3/6 啓蟄の辰野支線・飯田線(伊那盆地)駅巡り

この日は辰野支線の未訪問駅(川岸・辰野)と飯田線飯田以北の駅を巡りました

川岸駅

松本を5:53発普通辰野行き148M(クモハE127-112)で出発し、辰野6:36発普通岡谷行き1403M(クハ312-3016)に乗り換えて川岸へ。中央本線辰野支線のうち岡谷~辰野間にある駅で、飯田線の列車が多く乗り入れるため実質的には飯田線の駅のようです。開業は大正12年10月28日で、今年で開業百周年。駅舎は開業時に建てられたもので、雰囲気の良い木造駅舎ですが、節目の年に建て替えられることになりました。工事は5月から始まり、長野県産の木材を使った新駅舎は10月完成予定。

川岸駅 ホーム側

今回は改築の報を聞きつけての訪問。趣ある駅舎だけに消えるのは残念ですが、悔いのないよう早朝の静かな駅を色々な角度から撮影して目と心に焼きつけました。新駅舎が素っ気ないものではなく現駅舎の面影のあるデザインとなるのがせめてもの救いです。駅周辺は昭和30年2月1日に岡谷市編入されるまでは諏訪郡川岸村でした。

辰野駅

川岸7:09発普通伊那福岡行き206M(クハ213-5013)で辰野へ。中央本線(辰野支線)と飯田線の分岐駅です。JR東日本JR東海の境界駅でもありますが、多くの列車が直通運転しています。明治39年6月11日の岡谷~塩尻間延伸時に開業、大正5年11月23日に伊那電車軌道が乗り入れました。伊那電車軌道は後に伊那電気鉄道に改称、軌道の旧線から鉄道の新線に切り替えられています。伊那電気鉄道は昭和18年8月1日に国有化されて飯田線となりました。昭和58年7月5日に岡谷~塩尻間を短絡する塩嶺トンネル(中央本線現行ルート)が開業すると、当駅を含む従来のルートは支線に転落。その対価として同年6月15日には駅ビル「リュシオール辰野」が建てられました。駅ビル内にはかつて多くのテナントが入居していたものの、今ではすべて撤退して寂しげな雰囲気です。

辰野の街並み

駅前をちょっとだけ散策。駅のある上伊那郡辰野町伊那谷北端の町で、古くより伊那と県央を結ぶ交通の要衝として栄えました。明治の町村制では天竜川南岸の伊那富村と北岸の辰野村が合併して上伊那郡伊那富村が成立、昭和22年1月1日の町制施行時に改称して辰野町となりました。駅があるのは辰野で、役場があるのは伊那富です。

沢駅

辰野7:46発普通駒ケ根行き1408M(クモハ313-3016)で沢へ。平成20年9月14日に廃止された旧下りホームが姿を留める棒線駅で、簡素な駅舎は平成8年2月改築。駅前には沢簡易郵便局があります。駅名は明治8年2月18日の合併で中箕輪村が成立するまで存在した伊那郡沢村に由来。

羽場駅

沢8:07発普通上諏訪行き211M(クハ312-408)で羽場へ。標高723m、飯田線で最も標高の高い駅ですが、周辺はごく普通の農村であまり標高の高さを感じさせません。相対式ホームの交換可能駅で、駅舎は平成11年2月改築。駅舎はT字路の突き当りにあり、駅前の道は狭いながらもそれなりに交通量がありました。駅名は明治8年2月18日の合併で伊那富村が成立するまで存在した伊那郡羽場村に由来。

宮木駅

2分遅れの羽場8:43発普通松本行き213M(クハ312-409)で宮木へ。県立辰野高校の最寄り駅で、簡素な無人駅ながら、朝夕は多くの学生で賑わいます。かつてはホーム中央の待合所付近に駅舎があったようです。駅名は明治8年2月18日の合併で伊那富村が成立するまで存在した伊那郡宮木村に由来。

田畑駅

2分遅れの羽場8:59発普通飯田行き210M(クハ210-1007)で田畑へ。カーブした細いホーム上に昭和14年12月築の古い待合所がある駅です。ホームの向かいには住宅が多く並んでいますが、近くに踏切がないので住民は駅の利用のためには大回りを強いられることになります。駅名は明治8年2月18日の合併で南箕輪村が成立するまで存在した伊那郡田畑村に由来。

北殿駅

田畑9:31発普通伊那松島行き1501M(クハ212-5004)で北殿(きたとの)へ。長野県で最も人口の多い村・上伊那郡南箕輪村の役場最寄り駅です。相対式ホームの交換可能駅で、駅舎は平成11年2月改築。駅舎中央の吹き抜け部分にはかつて村の木・アカマツが植えられていましたが、平成20年ごろに伐採されました。駅名は明治8年2月18日の合併で南箕輪村が成立するまで存在した伊那郡北殿村に由来。

木ノ下駅

北殿10:07発普通伊那松島行き1503M(クハ212-5008)で木ノ下へ。明治44年2月12日、松島(現:伊那松島)から伸びてきた伊那電車軌道の終点として開業した駅です。駅舎は平成9年2月1日改築。駅名は明治8年2月18日の合併で中箕輪村が成立するまで存在した伊那郡木下村に由来。周辺駅と比べると駅前は広々としています。

伊那北駅

木ノ下10:22発普通豊橋行き544M(クモハ313-1702)で伊那北へ。伊那市街の北部に位置する駅で、周辺には繁華街が広がっていて賑やかです。平成3年3月改築の駅舎は山をイメージした三角屋根が特徴で、平成25年3月末までは窓口がありました。

高遠駅行きJRバス

伊那北駅は高遠藩の城下町として栄えた高遠町への玄関口で、駅前からは高遠駅行きのJRバスが出ています。訪問時駅前に停車していたのは国鉄バス復刻塗装の松本200か25

入舟停留場跡

伊那の街並みを見ながら歩いて伊那市駅へ。道中、線路際にホーム跡のようなものを見つけました。帰宅してから調べてみると伊那電気鉄道の入舟停留場跡。明治45年5月11日に伊那電車軌道の終点「入舟町」停留場として開業、軌道から鉄道になってからも存続しましたが、昭和18年8月1日の国有化に際して廃止されました。入舟は三州街道が天竜川に最も接近する地点で、物資の中継地点として栄えました。鉄道開業後は繁華街が形成され、現在でもごちゃごちゃとした街並みの中を電車が通り抜けていく私鉄チックな光景を見ることができます。

伊那市駅

遠回りして街並みを見ながら伊那市駅へ。上伊那地方の中心都市・伊那市の代表駅で、みどりの窓口が設置されています。伊那北駅とはわずか0.9㎞しか離れていません。明治45年5月14日に入舟町から伸びてきた伊那電車軌道の終点「伊那町」として開業、当時の所在地は上伊那郡伊那町でした。伊那町は昭和29年4月1日の合併で伊那市となり、駅名も同年11月10日に改称されています。駅舎は昭和27年3月改築の鉄筋コンクリート造平屋建てで、築70年を過ぎてくたびれてきています。駅前やホームも含めて全体的に懐かしい雰囲気。

田切駅

伊那市11:37発普通中部天竜行き1412M(クモハ313-3015)で田切へ。伊那谷雄大な景色を望む築堤上の駅で、ホーム上に待合室が設置されています。昭和59年6月1日に現在地に移転、旧駅はカーブ上にあり、安全確認が困難だったことによる移転でした。平成3年にはアニメ『究極超人あ~る』に登場。これにより作品のファンが訪れるようになったのが「聖地巡礼」の走りとされており、駅前には「アニメ聖地巡礼発祥の地」の石碑も建てられています。

赤木駅

田切12:25発普通岡谷行き221M(クハ312-3014)で赤木へ。伊那市南部の集落にある駅で、ホーム上に平成10年6月築の待合所が設置されています。大正12年12月6日と昭和9年12月以降の二度移転していますが、県道と交差する現在地に移転した二度目については県道の交通量増加により踏切事故が多発したためと言われています。

宮田駅

20分ほど歩いて宮田へ。上伊那郡田村唯一の駅で、相対式ホームの交換可能駅です。駅舎平成10年6月改築。上伊那郡宮田村は昭和29年1月1日に町制施行、同年7月1日の合併で駒ヶ根市の一部となりましたが、昭和31年9月30日に分立して宮田村として復活しました。駒ヶ根市の市制施行要件を満たすためだけの合併で、最初から分立ありきだったようですが、合併後に駒ヶ根市議会に否決されて梯子を外された形となりました。結局、住民運動によって分立を果たしますが、町制の人口要件が変更されていたことから村としての復活となっています。

大田切駅

2分遅れの宮田13:28発普通天竜峡行き214M(クモハ313-3017)で大田切へ。国有化時に一度廃止されるも昭和21年9月1日に復活した駅で、ホーム上に平成11年9月築の待合所が設置されています。ホームからは雪を被った伊那駒ヶ岳を望むことができました。

下島駅

大田切13:53発普通岡谷行き223M(クハ212-5013)で下島へ。河岸段丘上の高台にある駅で、ホーム上に昭和9年12月築の古い待合所が設置されています。周辺には新しい建物も多いものの、駅自体は山手にあってひっそりとしています。

沢渡駅

早歩き12分ほどで隣の沢渡(さわんど)へ。昭和40年4月1日に伊那市編入された旧:上伊那郡西春近村の駅で、駅名は明治8年1月23日の合併で西春近村が成立するまで存在した伊那郡沢渡村に由来します。伊那西高校の最寄り駅であることから学生の利用が多く、待合室も広めです。駅舎は令和2年2月22日改築の新しいもので、待合室棟とトイレ棟からなる左右対称のデザインです。相対式ホームの交換可能駅で、飯田方面2番ホーム上にも昭和49年12月築の待合室があります。

小町屋駅

沢渡14:26発普通飯田行き216M(クモハ313-1703)で小町屋へ。駒ヶ根市役所の最寄り駅で、伊南バイパス工事に伴う区画整理事業で平成20年12月13日にホームが移転され、駅前広場が整備されました。ホームはかつて線路西側にあったものの、この工事で東側に移されています。ホームからは東を見ても西を見ても雪を被った美しい山々を望むことができました。

駒ヶ根市役所

列車待ちの時間で駒ヶ根市役所を撮影。駒ヶ根市役所本庁舎は昭和45年竣工の鉄筋コンクリート造三階建て。平成21年度に耐震改修されているので、今のところ建て替え計画はありませんが、築50年を超えてくたびれてきています。

伊那福岡駅

小町屋15:10発普通豊橋行き562M(クモハ213-5008)で伊那福岡へ。駒ヶ根市最南端の駅で、朝に一本だけ当駅止まりの列車が設定されています。駅舎は平成16年2月改築の簡素なもので、田切駅との間にある「Ωカーブ」をイメージしたデザイン。飯田方面2番ホーム上には昭和31年12月築の木造待合室が設置されています。

駒ケ根駅

伊那福岡15:33発普通駒ケ根行き1511M(クハ212-5002)で駒ケ根へ。駒ヶ根市の代表駅で、市に委託された簡易委託の窓口が設置されています。昭和55年7月4日改築の駅舎は主要駅らしい大きなもので、改札部分は天井の高い吹き抜けです。大正3年10月31日に宮田から延伸してきた伊那電車軌道の終点「赤穂(あかほ)」として開業、当時の所在地は上伊那郡赤穂村でした。赤穂村は明治8年1月23日に須村と上村が合併して誕生、両村から一字ずつ取った合成地名です。昭和15年4月17日に町制施行して赤穂町となり、昭和29年4月1日の合併で駒ヶ根市となりました。駅名は5年遅れて昭和34年10月1日に改称されています。

JR東海 駒ケ根変電所(旧:伊那電気鉄道 赤穂変電所)

駅の裏手には大正11年に建てられた駒ケ根変電所が残されています。飯田線の前身・伊那電気鉄道によって建てられたもので、同じ形の棟を双子のように並べたデザイン。

高遠原駅

駒ケ根16:03発普通天竜峡行き218M(クモハ313-3014)で高遠原へ。果樹園が広がるのどかな風景の中にある小さな駅で、ホーム上には昭和21年12月の建物財産標が付いた待合室が設置されています。待合室内には窓口跡があったので、昔は切符を売っていたようです。大正7年12月12日開業から大正9年11月22日の上片桐延伸までは終点でした。国有化に際して一度廃止されるも昭和21年9月1日に復活しています。

伊那本郷駅

高遠原16:47発普通上諏訪行き233M(クモハ211-1007)で伊那本郷へ。山間の集落にある相対式ホームの交換可能駅で、駅裏には梨畑が広がっています。駅舎は平成11年2月改築。構内踏切が廃止されているので、辰野方面2番ホームへ行くには公道の踏切へ迂回しなければなりません。駅名は明治22年4月1日町村制で飯島村が成立するまで存在した上伊那郡本郷村に由来します。

七久保駅

伊那本郷17:14発普通豊橋行き568M(クモハ213-5013)へ七久保へ。昭和31年9月30日に飯島町と合併した旧:上伊那郡七久保村の駅で、2面3線の交換可能駅です。白く塗られた木造駅舎が残り、大正7年12月の建物財産標が付いていますが、昭和27年3月改築という記録の方が正しいようです。

飯島駅

七久保17:39発普通岡谷行き235M(クハ312-3017)で飯島へ。上伊那郡飯島町の玄関口で、簡易委託の窓口が設置されていますが、訪問時は営業時間を終えていました。駅舎は昭和29年10月に改築されたもので、飯田方面2番ホーム上にも木造待合室が設置されています。

夜の飯田駅

飯島18:10発普通豊橋行き570M(クモハ213-5006)で飯田へ。下伊那地方の中心都市・飯田市の代表駅で、線内における運行拠点駅の一つです。この日は飯田ステーションホテルまつむらに宿泊しました。