この日は東京では数少ないローカル線、青梅線の駅を巡っていきます
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自分一人を下ろした列車は苔むしたトンネルへと吸い込まれていきました
白丸は都内のJR駅で最も利用客が少ない駅です
普段なら誰もいないであろうホームではベンチの設置作業が行われていました
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改築当初は券売機が設置されていたようですが、今では撤去されて代わりに乗車駅証明書発行機が設置されています
対向式ホームの交換可能駅で、昭和19年7月開業時以来の立派な木造駅舎が残っていますがご多分に漏れずここも無人化されており、乗車駅証明書発行機が設置されるだけになっています。訪問時は駅前で何やらテレビの撮影らしきことをやっていましたが詳細は不明
中線を持つ対向式ホームの駅で、それぞれのホームに接して南北に出口があります
写真は下りホーム側の南口で、平成15年2月改築の合築駅舎です
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大きさは随分異なりますが、どちらも乗車駅証明書発行機が設置されているだけなので機能は大差ありません
青梅線の終着駅で、開業時は氷川を名乗っていました
山小屋風駅舎は昭和19年7月開業時のものですが、訪問時は改良工事中でした
かつてはこの駅から先へも貨物線が伸びており、現在も休止中ということになっていますが線路は草木に覆われて廃線状態になっています
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山間の集落の外れにある無人駅で、白丸や川井同様隠れ里のような雰囲気です
簡易駅舎は平成15年2月に改築されたもので、もちろん券売機はありません
ホームで撮影をしていると、駅舎横のベンチに座って本を読んでいた爺さんが「あんまり勝手に撮ってんじゃねえよ」と突然難癖を付けてきましたが、この手の人たちの相手をしたところで何ら得るものはないので「駅の様子を撮っているだけであなたを撮っているわけじゃないですよ」とだけ言って駅前の撮影に移りました
平成元年4月改築の簡素な橋上駅舎で、沢井の駅舎と比べると若干ですが立派です
![イメージ 15](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/S/Sakasegawa3019/20190810/20190810123956.jpg)
地上3階地下1階建ての駅舎は大正13年11月に青梅鉄道の本社として建てられたもので、平成17年3月に昭和風の装飾がなされて「レトロステーション」として生まれ変わりました。駅の規模の割にホームは1面2線の狭いものしかないため、現在北側にホームを新設する工事が行われています
軍畑のものを少し小さくしたかのような駅舎は平成14年3月に改築されたものです
駅名の由来は駅近くにある石神社という神社です
青梅市役所の最寄り駅で、昭和39年3月に橋上化されました
エレベーターが増設されているものの改築当時の姿をよく留めています
![イメージ 18](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/S/Sakasegawa3019/20190810/20190810124019.jpg)
青梅市内最大の乗車人員を誇る駅で、昭和47年11月に橋上化されていますが、南口には旧駅舎の一部が残っています
![イメージ 19](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/S/Sakasegawa3019/20190810/20190810124028.jpg)
羽村市北部の住宅街にある駅で、昭和61年3月に橋上化されています
羽村市の代表駅で、昭和48年6月に橋上化されましたが、写真の西口は平成19年11月に改築されています
福生市の代表駅で、昭和60年ごろに橋上化されています
八高線・五日市線・西武拝島線との乗換駅で、西多摩地域有数のジャンクション駅となっています。平成19年8月に橋上化され、西武拝島線の駅とは改札が分離されました。自由通路・改札内ともに多くの店が出店しており、まるで駅の中に一つの街があるかのような賑わいを見せています
![イメージ 24](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/S/Sakasegawa3019/20190810/20190810124115.jpg)
昭島市の代表駅で、昭和58年6月に橋上化されました
昭和飛行機工業の従業員のために開設され、開業時は「昭和前」を名乗っていました
![イメージ 25](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/S/Sakasegawa3019/20190810/20190810124121.jpg)
地元の要望により立川~拝島間に初めて開設された途中駅で、昭和62年7月に自由通路使用開始、2年遅れて平成元年12月に半橋上化されました
平成27年8月に訪問した時には赤い屋根の木造駅舎が現役でしたが、平成29年3月に橋上化されました。前回訪問時からはあまりにも変わりすぎていてとても同じ駅とは思えません
国営昭和記念公園の最寄り駅で、元々改札口は駅南側にありましたが、公園口と合わせて橋上に集約されました。写真の公園口は元々臨時改札口で、昭和60年7月に開設されたものです
この日の新規訪問駅は23、総訪問駅数は2566に達しました