まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

【北海道ドライブ旅】9/15 渚滑線廃線跡巡り(渚滑・濁川・北見滝ノ上)

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渚滑駅跡のキューロク

11:39 名寄本線と渚滑線の分岐駅、渚滑駅跡に到着。駅跡には9600形蒸気機関車が保存されています。説明板によれば現役時代は遠軽機関区に所属し、昭和50年の無煙化まで長きに渡って活躍した機関車とのこと。

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渚滑駅構内機関庫

駅構内はパークゴルフ場に転用されていますが、機関庫や倉庫、保線詰所らしき建物などが残されています。これで駅舎も残っていれば完璧なのですが、生憎平成9年に解体されています。

渚滑からは内陸に入り、渚滑線の駅のうち駅舎が残存する駅跡を巡っていきます。

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濁川駅 駅舎

12:17 濁川駅跡へ。ここも駅跡はパークゴルフ場に転用されていますが、駅舎が残っており、パークゴルフ場の休憩所兼物置となっているそうです。

この日は濁川集落のお祭りだったようで、駅舎内にも多くの人が。あんまり写真を撮れる雰囲気じゃなかったので、そそくさと退散しました。やっぱり廃駅は人が少ない時の方が観察しやすいですからね。

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北見滝ノ上駅 駅舎

12:54 セイコーマートに寄って昼食を取ってから終点の北見滝ノ上駅跡へ。駅前に旭川方面へのバスが発着するなど、今も紋別郡滝上町の玄関口としての役目は変わりません。

駅舎は移設の上で記念館として整備されています。状態も良く、ぱっと見現役の駅のようにも見えます。

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駅舎内

駅舎内には渚滑線にまつわる貴重なお宝が大量に展示されています。無料でいいの?と思えるほどの充実っぷりでした。

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入換動車

駅舎の隣には入換動車が展示されています。よくまあこんなマニアックなものを保存車に選んだものだと思いますが、屋外展示のため少々傷みが目立ちます。

 

滝上町からは浮島峠を越えて上川町の上越信号場を目指します。

【北海道ドライブ旅】9/15 名寄本線廃線跡めぐり(キマロキ・中名寄・下川・上興部・中興部・北興・富丘)

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天塩弥生で迎えた朝

この日は6時に起床。外を見ると山に霧がかかっていい感じになっていました。

ボリュームたっぷりの朝食をいただいてから、後ろ髪を引かれつつ出発。

お会いした皆さん、本当にありがとうございました。またどこかで会えたらいいな

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名寄駅 駅舎

7:59 まずはご当地入場券を購入するために名寄駅へ。かつては深名線の終着駅かつ名寄本線の始発駅でしたが、今では乗り換え路線もない宗谷本線の中間駅の一つです。

以前、宗谷本線の駅めぐりをした時には屋根が緑色をしていた木造駅舎はリニューアルを経て赤屋根になっていました。

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名寄公園のキマロキ

8:13 続いて駅裏の名寄公園へ。ここには現存唯一の「キマロキ」編成が展示されています。キマロキとは、排雪作業のために運転された「機関車(キ)+マックレー車(マ)+ロータリー車(ロ)+機関車(キ)」の編成のことですが、正確に言うと最後尾に車掌車も連結されています。機関車に詳しくない自分にはよくその仕組みは分かりませんでしたが、黒くてゴツい機関車が4両連なっている姿はなかなか絵になります。

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中名寄駅 駅舎

キマロキを見た後は、いよいよ名寄本線廃線跡を巡っていきます。

8:38 中名寄駅跡へ。昭和54年改築の簡易駅舎が残されており、中も入ることができます。中には国鉄時代のポスターや現役時代の写真が展示されており、ちょっとした博物館のようでした。管理されている方にはただただ頭が下がる思いです。

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下川駅跡のキハ22

9:07 下川駅跡へ。上川郡下川町の中心地にあった駅で、駅跡はバスターミナル、公園、駐車場になっています。駅跡に保存されている車両はキハ22-237+キハ22-245の2両で、割かし状態はいいのですが、正面に階段が設置されているのが残念です。横から入れるし、そこに置く必要は無いのでは?

車内はカーペット敷きになっており、無料で使えるそうなので、グループ旅行の宿泊先としても使えるんじゃないかなと思います。

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上興部駅跡

9:40 上興部駅跡へ。駅舎が鉄道記念館として残っているほか、車両も展示されています。記念館の方は、時間が早かったためまだ開いていませんでした。

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ゲテモノ感漂う展示車両

展示されている車両はキハ27-109とDD14-302のロータリー式除雪機構部の2つなのですが、無理に連結させているのでゲテモノ感が半端ないです。その見た目はまるでキメラ(一応言っておきますと批判的意図ではありませんので、念のため。残していただいてありがとうございます)

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中興部駅

10:01 中興部駅跡へ。こじんまりとした木造駅舎とトイレ、ホーム、信号室などが残っています。駅舎はホーム側が少々改築されているものの、全体的に保存状態はいいです。今後も末永く残ってほしいものです。

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草に埋もれる北興駅待合室

10:23 北興駅跡へ。自然に還りかけた待合室が残っています。周りを取り囲む草の丈が高く、接近しようと思うと雪解け直後を狙っていくしかなさそうです。

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藻興部川橋梁

10:49 藻興部川橋梁へ。直前に興部のセコマで買ったアイス片手に食べながら見学。

名寄は雨でしたが、オホーツク海側に抜けるとそこそこいい天気になりました。

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富丘駅 入口

11:08 オホーツク海に沿って走り、富丘駅跡へ。仮乗降場として開業した駅で、入口の階段部分のみ残存しています。

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富丘駅跡

ホームや線路はすっかり撤去されて跡形もありませんが、線路跡が農道として使用されていることもあってどこを線路が走っていたのか推定することは容易です。

それにしても、草むらの中にある錆びた階段の防雪覆いが何ともSFチックです。「人類滅亡後の世界」とキャプションを付けても通用しそうな絵です(いやそれはないか)

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沙流川橋梁

11:23 思沙流川橋梁へ。海が近いためかだいぶ劣化が進んでいますが、それゆえにかえって味があります。

この橋梁、隣の国道239号の湖畔橋から見るしかないのですが、とにかく車がびゅんびゅん飛ばしていくので見学時は注意が必要です。

 

沙流川橋梁の次は渚滑駅へ向かいましたが、それについては渚滑線の記事で。

【北海道ドライブ旅】9/14 深名線廃線跡巡り 

深川からは深名線廃線跡を巡っていきます。深名線には両端を除き26もの駅がありますが、時間がたっぷりあるわけではないので全駅は行きません。今回は駅舎が残っているところを中心に訪問しました。

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幌成駅 駅舎

13:02 深川から5駅目の幌成駅の駅跡ではなく、その近くの工場へ。幌成駅は深名線では唯一の貨車駅舎で、廃止後は駅舎が工場内に移設されています。簡単に動かせる貨車駅舎だからこそ移設できたわけです。

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幌成駅の主?

訪問時、ちょうど工場主のおじいさんは電話中でしたが、快く撮影を許可してくれました。許可をもらい、駅舎に近づいてみてはじめて猫がいるのに気がつきました。

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猫の住処となった駅舎内

ひょっとして駅舎の軒下にでも住んでいるのかと思いきや、駅舎そのものが猫の家だったようで、中にも2匹の猫がいました。

貨車として25年、駅舎として10年活躍したかつての車掌車もまさか、余生を猫の住処として過ごすことになろうとは思いもしなかったのでしょうか。人間同様、貨車にも実に様々な余生があるものです。今後も末永く猫たちを風雨から守っていってほしいものです。

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鷹泊駅 駅舎

13:14 工場を辞し、鷹泊駅跡へ。こちらは開業当時に建てられた木造駅舎が残っていますが、まさかの同業者に遭遇。向こうは大学生二人連れでしたが、暗黙の了解みたいな感じで、お互い撮影の邪魔にならないよう別々のところから撮り始めました。

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鷹泊駅 ホーム側

駅舎は物置として使用されているようですが、老朽化によってホーム側の上屋が崩落しています。ただ、窓や戸が板で塞がれているのを除けば概ね原型を留めているので、やろうと思えば復元もできそうに思えます。中を覗いてみるとチッキ台が残っていました。

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鷹泊駅 トイレ跡

つい最近まで駅舎の隣にはトイレも残っていたようですが、相当老朽化が進んでいたようで、雪の重みで潰れたのか瓦礫の山と化していました。こういうのを見ると駅舎の行く末も心配になりますが、果たしていつまで残るでしょうか。

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沼牛駅 駅舎

13:34 峠を越えて深川市から雨竜郡幌加内町に入り、沼牛駅跡へ。ここも鷹泊同様に駅舎が物置として残存してきた駅ですが、平成27年クラウドファンディングによって修復され、往時の姿を取り戻しました。その美しい姿はもはや世界遺産レベルと言っても過言ではありません。修復に携わった方々にはただただ頭が下がる思いです。

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沼牛駅 ホーム側

ホームもしっかり草刈りされており、レールさえあれば今にも列車が走ってきそうな雰囲気です。「クラウドファンディングで沼牛駅が修復される」というニュースが流れたとき、私はまだ高校生でしたが、自由になるお小遣いの少なさゆえに寄付できないのを残念に思ったものです。もし今後、鷹泊駅や添牛内駅が修復されるとなれば、是非とも寄付したいと思います。

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JR深名線資料館

14:05 幌加内町の中心地にあるJR深名線資料館へ。深名線で実際に使用されていた小物の数々が展示されていますが、映像資料は昔のCGらしくツッコミどころが満載でした

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幌加内駅跡

14:54 上幌加内駅跡へ。ホームの一部とレール、駅名標の枠が残されていますが、ホームは枕木が朽ちてほとんど骨組みだけになっており、駅名標の枠も雪の重みでひしゃげてしまっています。

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第三雨竜川橋梁

15:08 雨煙別~政和温泉間の第三雨竜川橋梁へ。昭和6年に竣工したトラス橋で、土木遺産として保存されています。現役当時の姿をよく留めており、今にもディーゼルカーが渡ってきそうな雰囲気です。

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政和駅 駅舎

15:26 政和駅跡へ。廃止後、駅舎は住居、物置、季節営業の食堂と用途を変えつつ残ってきましたが、今年4月末から5月にかけて大改修が行われてトラクターの車庫に転用されました。

駅舎正面の壁が取っ払われてしまったのは残念ですが、例え姿は変わっても建物自体が残るのであれば、仕方のないことでしょう。車庫としての役目を終えた後に復元することだってできないことではないでしょうし。

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政和駅 ホーム側

正面を除けば、まだ駅舎らしさは残っていますが、上屋部分は食堂に転用するにあたっての改修の際に建屋に取り込まれてしまったようであまり原型は留めていません。

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添牛内駅 駅舎

15:39 添牛内駅跡へ。比較的現役当時の姿を留めた木造駅舎が残っています。

ネット上に上がっている昨年の写真を見ると車寄せがかなり傷んでいますが、最近修復されたようで綺麗になっていました。

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添牛内駅 ホーム側

ホーム側の上屋は雪による崩壊を防ぐためなのかバラされて柱が壁に建てかけてありました。ホームも残っていますが、線路跡は草に覆われていたので踏み込めませんでした。

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朱鞠内駅跡

16:09 朱鞠内駅跡へ。幌加内駅と並ぶ運行拠点だった駅で、バス待合室の前に駅名標とレールが復元されています。生憎同窓会帰りらしい中年軍団が駅名標と待合室の間に車を停めていましたが、当分どきそうになかったのでそのまま撮りました。

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朱鞠内湖

16:23 せっかくここまで来たのだからと朱鞠内湖を望む展望台へ。昭和18年に完成した日本最大の面積を誇る人口湖で、湖畔に原生林が広がるその景観はとても日本のものとは思えません。深名線はこの湖の西側と北側を回りこんで走っていました。無人の原生林の中には宇津内、蕗ノ台、白樺の駅跡が眠っています。

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蕗ノ台駅跡に続く駅前通

朱鞠内湖の東側を走る国道275号をひた走り、道道688号名寄遠別線を左折、そして未舗装の道道528号蕗の台朱鞠内停車場線へと分け入り、蕗ノ台駅跡を目指します。国道沿いはまだ人の気配がありましたが、道道688号沿いは全くの無人地帯で、暗くなっていく空と相まって不安な気持ちを掻き立てます。そして、未舗装路へと分け入って蕗ノ台駅跡への駅前通りとの分岐点へ。ところが、駅前通りは草木が繁っていてとても進める状況ではありませんでした。ジムニーなら突っ込めそうですが、今乗ってる車で突っ込めば出れなくなりそうです。圏外なのでもし何かあってもJAFを呼ぶことすら困難そうです。車を降りて進むという手もありますが、熊が出てもおかしくなさそうな雰囲気。

ということで、ここは勇気ある撤退を選択。いずれ幻の駅宇津内駅と合わせて草の少ない時期にリベンジを試みたいと思います。

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白樺駅跡

17:15 来た道を引き返し、道道688号沿いの白樺駅跡へ。こちらは車で近づくことができますが、草が繁っていたので駅跡をはっきり確認できませんでした。熊が怖く、一刻も早く立ち去りたかったというのもありますが。

駅跡では植樹のためなのか、木が何やら囲いで覆われていました。

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北母子里駅跡

17:26 昭和53年2月に氷点下41.2度という戦後最低気温を記録した北母子里駅跡へ。ここまで来ればようやく人の生活が感じられてほっとします。駅跡は携帯電話の基地局になっていますが、ホームは残っているとのこと。草が繁っていたためにホーム跡まで行くことはできませんでした。

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この日のお宿 天塩弥生駅

17:53 日没間近の峠を越えて名寄市に入り、天塩弥生駅跡の旅人宿へ。駅舎をイメージした民宿です。

この日の宿泊者は、自分と同行のふっちょさん、札幌からの男性二人、川崎から来た男性、青森から来た男性の6人で、みんな旅好きということもあって、夜の交流会では大いに盛り上がって時の経つのも忘れるほどでした。

また泊まりたい宿No.1なので、またこの辺に来る機会があれば泊りに来たいと思います。

【北海道ドライブ旅】9/14 留萌本線(現役区間)全駅めぐり 後編

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恵比島駅

10:21 留萌市から雨竜郡沼田町に入り、恵比島駅へ。駅舎は年季を感じさせる渋い木造駅舎・・・ではなく、右の変な形の小屋です。左はNHK連続テレビ小説すずらん」のロケセットとして建てられた「明日萌驛」で、平成10年建設。築21年なのに、本物の駅舎を改修した留萌駅よりも「本物」感があるのはなぜでしょうか。なお、公開日でなかったためか入ることはできませんでした。

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恵比島駅 駅舎

恵比島駅の本当の駅舎の方はと言うと、ヨ3500形車掌車を転用したもので、おそらく大和田や幌糠と全く同型のものだったと思われます。但し、「すずらん」のロケを行う際に時代的に合わないと判断されたのか木目の板を外側に貼られてカムフラージュされています。扉が開けっ放しで放置されていたので、中は蛾などが多かったです。

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真布駅

10:43 真布駅へ。仮乗降場として開業した板張りホームの駅で、背の高い木造待合室が見る者に強い印象を与えます。秘境駅としても有名ですが、開けていることもあって、それほど秘境感は感じられませんでした。

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真布駅 待合室内

立て付けの悪い扉を開けて中に入ると、待合室は想像以上にボロボロ。廃止が計画されるような駅じゃなければとっくに建て替えられててもおかしくなさそうなほどで、まさに満身創痍といった感じ。よくまあ令和時代まで生き延びてくれたものです。

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石狩沼田駅

11:04 雨竜郡沼田町の中心、石狩沼田駅へ。さすがは街の中心駅だけあって駅舎も大きく立派です。かつては札沼線の終着駅で、駅舎もなかなか年季を感じさせますが、残念ながら札沼線廃止後の建築です。駅舎内には窓口がありますが、この日は営業していませんでした。今度列車で来るときは営業日を狙って来ようと思います。

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北秩父別駅

11:30 セイコーマートによってご当地入場券を買ってから北秩父別駅へ。真布と同時に仮乗降場として開業した駅ですが、待合室の形は随分と異なります。

ホームはもちろん板張りで、腐食防止のため緑色に塗られています。

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北秩父別駅 待合室内

待合室の扉は意外と建付けが良く、すんなりと開きました。椅子が薄っぺらいためか、真布駅と比べるとどことなくちゃちに感じられます。扉上部の壁は一部がくり抜かれて裸電球が設置されているのですが、これ、間違いなく虫入りますよね・・・

待合室とホームの間に段差(それもホームの方が高い)もあり、なかなかツッコミどころの多い駅でした。

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秩父別駅

11:45 秩父別駅へ。無人駅ですが、古い木造駅舎は手入れが行き届いていて地元住民の愛を感じます。扉は石北本線旭川~上川)でよく見られる油圧式でした。油圧式ドア、設置するのにお金はかかりそうですが、勝手に閉まってくれるおかげで虫が入り込まないので、もっと普及してほしいと思います。

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鐘の鳴る街 秩父別

12:02 ご当地入場券を買うべく、道の駅鐘のなるまち・ちっぷべつへ。昼の時報の鐘が12時ちょうどを過ぎても長々と鳴り続けていました。セコマで買ったチキンおにぎりを食べていたとこがねさんが、ここで一言「鶏食えば 鐘が鳴るなり 秩父別

秩父別=鐘が鳴る街」というイメージを植え付けるには十分なほどインパクトのある時報でした。

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北一已駅

12:13 北一已(きたいちやん)へ。米どころ石狩平野を思わせる広々とした田園地帯の中にポツンとある駅で、木造駅舎が外壁を改修されながらも現役で使用されています。

昭和30年、地元の請願によって開業した駅ですが、駅舎は昭和30年代のものの割には古めのデザイン。それもそのはず、この駅舎は昭和16年深名線の宇津内駅として建てられたものだからです。

朱鞠内湖畔の原生林の中にあった幻の駅・宇津内駅が存在したのはほんの15年ほどで、戦中戦後の混乱期だったので当時の写真は残っていません。駅跡も林道すら残っているか怪しい森の中なので、未だに到達したという体験談を聞きません。

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北一已駅 待合室内

さて、その駅舎内ですが、とにかく虫と蜘蛛が多かったです。入口部分にも蜘蛛の巣が張られていたので、入る時に引っ掛かりました。天井からぶら下がっているデカい蜘蛛にビビりながらも駅ノートへ記入。なんでか知りませんが、北海道の無人駅にいる蜘蛛って本州で見かける蜘蛛よりもデカい気がします。

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深川駅

12:35 深川駅へ。留萌本線はこれにて終了、ご当地入場券を購入してから深名線廃線跡へと向かいます。

【北海道ドライブ旅】9/14 留萌本線(現役区間)全駅めぐり 前編

北海道ドライブ旅二日目は、留萌から深川を経て天塩弥生(名寄市)まで、留萌本線の各駅と深名線廃線跡を巡りながら向かいます。

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留萌駅 駅舎

6:45にホテルを出発し、まずは留萌駅へ。ここで途中参加のとこがねさんと合流、2日後の帯広までは3人での旅となります。深川へ向け出発と行きたいところですが、時刻はまだ7時。留萌駅みどりの窓口で買いたい切符があるのですが、まだ開いていません。ひとまず、みどりの窓口が開く7:50まで、羽幌線と留萌鉄道の遺構をちょっとだけ巡ることにします。

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三泊駅 旧駅舎

7:21 羽幌線三泊駅跡へ。昭和62年に廃止された羽幌線で唯一駅舎が現存する駅で、昭和51年ごろに改築された簡易駅舎が、バス待合室として残っています。

あまり駅舎らしい形状で無い上に、駅舎以外は痕跡がほとんど残っていないので、何も知らなければバスの待合室として建てられたものだと思い込んでしまいそうです。

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留萌本線(右)と留萌鉄道(左)の副港橋梁

7:33 留萌本線と留萌鉄道臨港線のトラス橋が並んで残る地点へ。まるで複線のようですが、草木の繁り具合の違いが、廃止されてからの年月の差を物語っています。

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留萌駅 駅舎

7:44 再び留萌駅へ。みどりの窓口が開くのを待ち、9月21日からの東北地方駅めぐりで使うための北海道東日本パスを購入。

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大和田駅 駅舎

8:23 大和田駅へ。昭和61年改築の駅舎は、ヨ3500形車掌車を転用したものです。駅前には人家が数軒しかなく、一見秘境駅のようにも思えますが、すぐ裏手を国道233号線が通っています。ホームは片面使用の島式で、駅舎との位置関係が前日に訪問した札沼線石狩金沢駅と似ていました。

この駅を撮影している時にお腹が痛くなりましたが、当然この辺の無人駅にトイレなんてあるわけないし、あったとしても間違いなくボットンなので、藤山駅へ向かう前に少し引き返してセブンイレブンに寄り道しました。

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藤山駅 駅舎

8:54 すっきりした気持ちで藤山駅へ。コンパクト化された木造駅舎の残る駅で、駅名はこの地を開拓した秋田出身の実業家・藤山要吉氏の姓を取ったもの。

駅舎はコンパクト化こそされているものの、なかなか趣があります。内部も綺麗で心地よかったです。

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桜庭駅跡

9:15 桜庭駅跡へ。平成2年に廃止された仮乗降場上がりの駅で、痕跡は全くと言っていいほど残っていません。簡素な造りだった上に、廃止から30年も経っていることを考えればこれもやむを得ないでしょう。踏切と道路橋のおかげで場所の特定が容易くできるのが救いです。

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幌糠駅 ホーム

9:22 幌糠駅へ。駅舎は大和田と同じく貨車駅舎です。比較的大きな集落にありますが、駅だけはひっそりとしています。かつては交換駅でしたが、対向ホーム跡はすっかり草に埋もれています。

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「伯し」?

駅舎内にはこんな掲示が。一見何の変哲もない掲示のようですが、「但し」が「伯し」になっていることに、同行のとこがねさんが気付きました。

ところで、そのとこがねさんですが、駅ノートに記入している間に、背中にカメムシに止まられていました。幸いにも臭いを発させずに外に逃がすことができましたが、気付かず車に戻っていたら地獄を見る羽目になったことでしょう。

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東幌糠駅跡を通過する深川行き4926D

9:41 東幌糠駅跡へ。平成18年3月18日に廃止された仮乗降場上がりの駅で、もちろん痕跡は残っていません。ちょうど深川行きの列車がやってくる時間だったので、駅跡の踏切で撮影。まるで最初から駅なんて無かったかのようにわき目も振らず通過していきました。

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峠下駅 駅舎

9:58 峠下駅へ。留萌本線内では唯一の交換可能駅で、JRの大きなロゴマークが掲げられた木造駅舎が残っています。周囲に人家は一軒もなく、主要道路からも離れているので喧騒とは無縁で、秘境駅感満載。交換駅じゃなければとっくに廃止になっていてもおかしくなさそうです。

冬になったら列車で再訪したいと思っていますが、果たして冬はどんな景色が広がっているのでしょうか。

留萌本線は、この先恵比島駅との間で峠越えにかかり、キリもいいので記事もここで一旦カットします。

【北海道ドライブ旅】9/13 留萌本線(留萌~増毛)廃線跡巡り

雨竜郡北竜町和から、道道94号増毛稲田線を通って増毛郡増毛町に抜け、留萌本線信砂駅跡へ。ここからは、平成28年12月5日に廃止された留萌本線末端区間廃線跡を巡っていきます。

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信砂駅跡

16:36 信砂駅跡に到着。廃止当時は写真の右手に板張りホームとプレハブ待合室があったそうですが、痕跡は全くと言っていいほど残っていません。解体時期は平成29年6月頃とのことで、廃止からわずか半年で片付けられてしまったようです。

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信砂駅跡(移設前)

振り返って踏切の反対側。昭和38年に仮乗降場として開業してから、駅への昇格を経て平成5年2月に一枚目の写真の場所に移設されるまでは、こちら側の山手にホームがありました。この移設は信砂川河川改修工事に伴うもので、初代の駅は30年、移設後の2代目の駅は23年と、どちらも駅にしては短命でした。

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舎熊駅

16:45 舎熊駅跡へ。駅前広場のみがかつての面影を留めています。現役当時はヨ3500形車掌車を転用した駅舎がありましたが、今となっては跡形もありません。

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舎熊駅 線路跡

廃止時は棒線駅でしたが、国鉄時代は相対式2面2線のホームを持つ交換可能駅でした。

上写真左手の盛り上がりが、廃止まで使われていたホームの痕跡と思われます。

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朱文別駅

16:53 朱文別駅跡へ。仮乗降場上がりの簡素な駅で、現役当時は板張りホームと小さな待合室がありました。ブイの置いてある所のすぐ奥に待合室があったと思われます。

信砂駅に比べれば、まだ辛うじて面影がありますが、ここまで何もないと、巡って来て空しくなってきます。廃止後3年も経たずにここまで風化してしまっているとは思いもしませんでした。

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箸別駅

16:59 箸別駅跡へ。足場の奥の一段高くなったところに、板張りホームと待合室があったそうですが、立ち入り禁止になっているので近づくことはできません。

仮乗降場にしては広々とした駅前広場は、ホタテ養殖業者の資材置き場に転用されているそうです。

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旧待合室?

駅前広場の奥には何やら気になる廃屋が。形状からしてバス待合所のようにも見えますが、どうやら箸別駅の旧待合室のようです。屋根が落ちているので完全崩壊も

時間の問題かもしれませんね。

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増毛駅 駅舎

17:07 終点の増毛駅へ。増毛町内の駅では唯一駅舎・ホーム・線路が揃って保存されています。駅舎は廃止後に、開業当時の姿に復元すべく増築が行われ話題となりました。駅舎が残っているのは、趣味者としては嬉しい限りです。ただ、一言言わせてもらうと綺麗になりすぎて、本物の駅というよりも映画のセットを見ているような感じがしました。もっとも、実際に「駅 STATION」や「網走番外地」のロケに使われているわけですが。

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増毛駅 ホーム

ホームもばっちり残っています。こっちはそれほど手が加えられていないのか、つくりもの感はそんなにしませんでした。

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増毛の街並み

個人的には増毛駅そのものよりも、周辺の街並みの方に興味を惹かれました。歩いてみたくなるような街ですが、もう夕方なので、いずれ出直してきたいと思います。

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阿分駅

17:35 留萌方面へと引き返し、阿分駅跡へ。写真左手に板張りホームと待合室がありました。他の仮乗降場と同じく跡形もなくなっています。

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旧阿分小学校

駅前には旧増毛町立阿分小学校の校舎が板を打ち付けられた状態で残っています。

明治16(1883)年に創立された長い歴史を誇る学校でしたが、留萌本線の廃止より一足先に131年の歴史に幕を下ろしました。校舎はまだまだ新しく、こうして放置されるのは勿体ないような気がします。

学校が消え、駅が消えた。過疎化が進む地方の厳しい現実です。

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礼受駅

17:45 増毛町から留萌市に入り、礼受駅跡へ。ヨ3500形車掌車を転用した駅舎だけでなく、ホームと線路も残っています。但しホームは柵が立てられて入れないようになっていました。増毛駅以外は鉄道の痕跡をほとんど消していた増毛町内の駅と違い、留萌市内の駅は驚くほどに現役時代の遺構が残っています。

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礼受駅 駅舎

海との間に遮るものが何もないためか、駅舎は潮風にもろに受けてボロボロ。何故か外板の一部が消失していて、その跡が痛々しいです。ただ、構造自体はしっかりしてそうなので、撤去されない限りしぶとく残りそうです。

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(臨)浜中海水浴場駅跡

17:56 浜中海水浴場駅跡へ。平成元年から平成7年までの夏季のみ存在していた臨時駅で、ホームなどの設備は一切存在せず、列車が到着するたびにその出入口にタラップを付けて乗り降りするという世にも珍しい駅でした。この駅については横見浩彦氏の「JR全線全駅下車」に詳しく書いてあり、写真も載っています。

当然ながら、駅の設備は残っていませんが、留萌市内の廃線跡は踏切部分を除きレールが残っているので、往時を偲ぶことは十分に可能です。

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瀬越駅

18:04 瀬越駅跡へ。海水浴客のために夏季のみ営業していた仮乗降場をルーツに持つ駅で、昭和44年10月に臨時駅となり、分割民営化時に一般駅に昇格しました。

海を望むホームだけの駅で、国鉄末期に車掌車を転用した駅舎に改築されましたが、潮風を直に受けていたために老朽化が激しく、後にコンクリート造りの待合室に改築されています。

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上から見た瀬越駅

ホームと線路は柵がされて立入禁止となっており、待合室も扉と窓がベニヤ板で塞がれていますが、全体的によく残っています。ホームからは目の前に日本海を望むことができ、現役当時は絶景駅としても知られていました。

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ホテル ニューホワイトハウス

日も暮れてきたので、この日のお宿「ホテルニューホワイトハウス」へ。留萌市内のビジネスホテルで、可もなく不可もなくといった感じの宿でした。

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らーめん萌の正油らーめん

夕食は、留萌市内の「らーめん萌」で。店内も明るく入りやすい雰囲気で、ラーメンもおいしかったです。留萌はラーメン激戦地だそうで、調べてみたところ人口の割にはラーメン屋が多いようです。

 

ホテルへ戻る途中でセイコーマートによってご当地入場券を購入。明日は留萌本線の現役区間深名線廃線跡を巡ります。

【北海道ドライブ旅】9/13 札沼線廃線跡巡り(徳富川橋梁・雨竜駅跡・和駅跡)

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徳富川橋梁

セイコーマートで水分補給をしてから新十津川~石狩橋本間の徳富川橋梁へ。

昭和47年に廃止された札沼線新十津川~沼田間の廃線跡では数少ない遺構で、現在も水道橋として現役で使用されています。写真は新十津川側の河原部分で、徳富川を跨ぐ部分は水道橋となってから架け替えられていますが、両岸の河原部分は今も鉄道時代のガーターと橋脚が残されています。

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雨竜駅跡

その後しばらく走って、雨竜郡雨竜町に入り、15:40 雨竜駅跡に到着。

腕木式信号機がモニュメントとして残されているだけで、現役当時の姿を偲ぶのは難しいです。

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雨竜駅裏手の農業用倉庫

個人的には駅跡そのものよりも、そのそばに何棟も建っている古そうな農業用倉庫が気になりました。モニュメントとしての信号機よりも、このどっしりとした倉庫の方がはるかにここに駅があったことを確かに主張しているように感じられました。

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和駅跡

15:59 雨竜郡北竜町の和(やわら)駅跡へ。現在の印西市に当たる印旛郡埜原(やわら)村の人々が入植したことからその名が付いた駅で、駅舎はつい最近まで縫製工場の一部として残存していました。旧駅舎の解体が始まったのは9月上旬で、私は9月9日に訪問したみせPさんのツイートでそのことを知りました。まだ4日しか経っていないし大丈夫かなと思って行ってみましたが、駅舎部分はとうに解体済みでした。

 

和駅旧駅舎解体には落胆しましたが、形あるものいつかは壊れるとも言いますし、解体も仕方のないことかもしれません。

札沼線跡をこのまま石狩沼田まで行っても特に遺構は残っていないので、道道94号増毛稲田線を通って信砂駅跡に抜け、留萌本線廃止区間廃線跡を目指します。