1/20 薩摩地方をドライブ(鹿児島交通枕崎線・宮之城線廃駅めぐり、庁舎めぐり)
鹿児島ドライブ旅、二日目は鹿児島交通枕崎線の廃駅や役場を中心に巡りました
8:30に宿を出発してまずは川辺支所へ。平成19年に川辺郡知覧町・揖宿郡頴娃町と合併して南九州市となった旧川辺町の役場で、昭和42年竣工。結構インパクトのある外観をしています。
続いて加世田バスターミナルへ。加世田市・笠沙町・大浦町・坊津町・金峰町が合併して平成17年に誕生した南さつま市の交通の要衝で、昭和59年3月に廃止された鹿児島交通南薩線の加世田駅跡に建設されています。駅があったことを記念してバスロータリーとタクシーロータリーの中央にはそれぞれSLとDLが保存されています。
駅跡のバスターミナルには枕崎、知覧、伊集院などへ向かう鉄道代替バスも発着しており、保存車の置かれているロータリーからだと安全に撮ることができます。
バスを撮っていると運転手さんから「ここにいるバスはやっぱり珍しい?ちょっと前まで色々珍しいのがいっぱいいたんだけどね」と話しかけられました。
敷地内には南薩鉄道記念館もありますが、この日は休館日で見学できませんでした。
今日はとりあえず加世田~上伊集院の廃駅を巡っていきます。加世田市街を出てまずは阿多へ。枕崎線と知覧線の分岐駅で、両線とも跡地は車道に転用されているので航空写真で見ると分岐の跡がよく分かります。
写真の突き当りが阿多駅跡。廃止から37年の月日が流れていますが大規模な再開発が行われたわけでもないので「駅前」の雰囲気はなんとなく残っています。
知覧線は昭和40年に廃止、翌年には貨物の取扱も廃止されて無人駅となり、昭和44年には台風で駅舎が倒壊してしまったため、末期は1面1線のみの寂しい駅だったそうです。
南多夫施駅跡へ向かう前に金峰支所へ。霊峰・金峰山を擁する旧金峰町の役場で、昭和34年11月20日竣工、設計監督は衛藤右三郎、施工者は清水建設と刻まれた定礎がありました。衛藤右三郎は鹿児島県内で多くの庁舎を手掛けた衛藤建築設計(現衛藤中山設計)の創業者で、金峰町の隣・吹上町の旧役場も彼の設計によるものでしたが、令和元年6月に解体されています。
南多夫施駅跡へ。旧金峰町役場の最寄り駅ですが、畑の中にありました。
線路跡は農道に転用されていますが、貨物ホームの一部と農業用倉庫が残っています。
かつては相対式ホームの駅で、末期は棒線化されていましたが、駅舎は廃止まで残っていました。
北多夫施駅跡へ。畑の中にあった駅で、こちらもかつては相対式ホームでしたが、末期は棒線化されていました。駅舎は昭和55年時点で既に撤去されていたようです。
現役当時の写真にも写っている駅前商店が一番分かりやすい痕跡です。その奥に説明板が立っていますが、その裏手の茂みの中には何やらコンクリートの構造物が残っていました。
南吹上浜駅跡へ。開業時は「入来」を名乗り、「入来ノ浜」を経て改称された駅で、枕崎線の駅のうち昭和になってから開業した薩摩湖駅を除けば唯一開業時から廃止まで棒線駅でした。昭和28年と早くに無人化され、駅舎も昭和20年台風で倒壊したとのことで末期にはホーム上に簡素な待合所があるだけだったようです。
現役当時の写真を見てみると右の民家はそのままなのが分かります。
伊作駅跡へ。平成17年の合併で日置市となった旧日置郡吹上町の玄関口でした。廃止時点では島式1面2線と側線を持つ交換可能駅で、立派な木造駅舎がありました。駅跡は再開発され、バス停と図書館が建設されています。
続いて薩摩湖へ。鹿児島交通の前身にあたる南薩鉄道が建設した遊園地があり、湖上を渡るロープウェイも運行されて大いに賑わった時代もありましたが、今ではすっかり静まり返っています。
薩摩湖駅は昭和30年に開業した、枕崎線では最も新しい駅で、松林の中に棒線ホームがあるだけの簡素な駅でした。観光地への下車駅としての使命だけでなく吹上高校への通学駅としての役目も持っており、通学時間帯は学生で大いに賑わったそうです。駅跡は伐採した枝などの置き場になっており、痕跡はほとんどないようですが、南の方には道床らしきものが残っているので、松林の中を列車が走っていた様子を偲ぶことができます。
吹上浜駅は薩摩湖駅とはわずか900mしか離れていませんでした。ここも末期は交換設備が撤去されていましたが、駅舎は廃止まで残っていました。駅跡にはバス停のほか、駅名標のレプリカがあります。
永吉駅跡へ。ここも棒線化されていましたが、駅舎が廃止まで残っていました。駅跡は綺麗に整備され、手が加えられてはいるもののホームが保存されています。欲を言えば駅舎も残っていてほしかったのですが、気候的に木造駅舎を残すのは大変だったのでしょう。
内陸部に少し寄り道して黒木回春堂医院。昭和3年から53年まで医院として使用されていた洋風建築で、国の登録有形文化財。保存状態は良好です。
廃線沿いに戻って吉利駅跡へ。ここも駅跡は綺麗に整備されてホームが保存されています。手前のホームは貨物ホームで、奥に相対式ホームが残っています。ここも晩年は棒線化されており、現役末期の写真を見ると貨物ホームも対向ホームも草に埋もれていたようですが、廃止後は整備されたので現役当時よりも全体像を掴みやすくなっているとは何とも皮肉なものです。
続いて日置市日吉支所へ。旧日吉町役場の建物が残っていると思って行って見ると新しい建物に替わっていました。平成28年5月27日竣工
2階に歴史資料室があるので見学させてもらいました。
日置駅跡はその近く。駅跡は再開発されて住宅が建っているので痕跡はほとんど残っていません。航空写真などを見るに駅舎はおそらくこの2軒がある辺りに建っていたのでしょう。
廃止まで交換駅で駅員が配置され、年季の入った木造駅舎が残存していました。
給水塔のみ移築されて現存しています。石を組み上げて造られた円筒形のもので、日置駅唯一の痕跡と言ってもいいものですが、説明板などはありません。今は竹を保管するために使われているようです。
上日置駅跡へ。伊集院と日置を隔てる山間にあったスイッチバックの駅で、ホームと給水塔が保存されています。去年行った長崎本線本川内駅を思い出す構造ですが、本川内駅とは違い、ホームは本線上に設置され、その隣に少しずつ高度を上げていく待避線があります。
待避線跡を進んでいくとレールが少しだけ残っているのを発見しました。
現役当時のものなのか後で再現されたものなのかは不明ですが、残すなら給水塔やホームが残っているところに残した方が駅跡らしい雰囲気も出るでしょうに、なぜか待避線の先の方の中途半端な位置に残っていました。
枕崎線跡とはこれでお別れし、東シナ海に面する東市来町伊作田へ。ここには戦前に建てられた洋風木造建築の診療所が残っていますが、生憎の逆光でした。
薩摩川内の市街地を通り過ぎて宮之城線の薩摩白浜駅跡へ。片面ホームだけの駅だけしたが、跡地は県道に転用されて何も残っていません。現役当時の写真を見ると、後ろの工場だけはそのままなので何とか場所を突き止めることができます。
続く楠元駅跡は公園として整備されています。駅舎は市道建設に伴って縮小の上移築されていますが、その際にかなり手が加えられたようで、正直レプリカのように見えます。木造駅舎が残っていると聞いて来て見ると正直期待外れな感じがするのも事実です。
楠元駅の対岸には旧東郷町の中心市街地が広がっています。旧東郷町役場である東郷支所は昭和44年竣工。老朽化していますが、今のところ建て替え計画はないようです。
吉野山駅跡へ。吉野山郵便局の前に吉野山駅跡の碑があります。廃止まで木造駅舎が残っていました。ちゃんと駅があった事を記念するモニュメントがあるのは嬉しいですが、痕跡はほとんどありません。
樋脇駅跡へ。旧薩摩郡樋脇町の玄関口でしたが、昭和46年に無人化されていました。昭和20~30年代に建てられたと思われる駅舎が保存されています。
楠元駅と比べると現役当時の姿をよく留めているので、駅前通りの奥に建つ姿を見るとまるで現役の駅かのようです。
駅舎の裏にはホームも再現されていますが、埋めた後にレールを敷いたらしく高さが足りないのでまるで路面電車の駅のような雰囲気です。交換設備は昭和45年に廃止されていたので廃止当時は棒線駅でした。
続いて樋脇支所へ。支所機能は老朽化や耐震性の低さを理由に昨年5月7日から別館に移転しているためこの庁舎は閉鎖済み。そう遠くない将来に解体されることでしょう。
昭和33年9月30日に竣工、設計は金峰支所と同じく衛藤建築設計事務所、施工は内村建設。正面から撮ろうとするとちょうど逆光になってしまうので、雲が流れてきて太陽が隠れるのをしばし待ちました。
続いて入来支所へ。重伝建・入来麓の武家屋敷集落に隣接して所在する旧役場で、石垣の上に建てられているため周囲の景観に馴染んでいます。昭和40年竣工ですが、東郷支所と比べるとあまり古さは感じさせません。
ラストは祁答院支所へ。「けどういん」と読む難読地名で、初見じゃとても読めません。行政上は薩摩川内市の一部ですが、地図で見るとさつま町の方が近く、素人目に見るとそちらに合併された方が良かったのではないかという気がします。
庁舎は昭和34年竣工で、山間の町役場らしくこじんまりとした見た目です。
北薩空港道路を通って空港に戻り、車を返却してから、空港内の大空食堂で夕食。ボリュームたっぷりで美味しかったです。
19:25発羽田空港行きANA630便で帰途に就きました。羽田には定刻よりも早く到着し、羽田空港21:08発エアポート急行青砥行き2143T(5312-4)と品川21:32発山手線外回り2027G(モハE234-38)を乗り継いで帰宅しました。