まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

10/29 都電荒川線駅めぐり

この日は近いからとこれまで駅めぐりをしてこなかった都電荒川線の駅を巡りました

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早稲田停留場

早稲田からスタート。9:00発三ノ輪橋行き108(8802)に乗り、まずは終点三ノ輪橋まで乗り通します。町屋駅前から先は初めて乗る区間なので色々新鮮です。

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三ノ輪橋

約一時間で終点三ノ輪橋に到着。東京の中を移動しただけなのにとても遠い所のように感じられました。到着した三ノ輪橋は早稲田と同じく乗降ホームが分けられた構造ですが、周辺はごくごく普通の住宅街で、「なぜここが起点に?」と思えるような場所です。メトロ日比谷線三ノ輪駅へは徒歩3分ほどと近いですが、直結はしておらず微妙な距離です。すぐそばの商店街は今時の商店街には珍しくなかなか賑わっていました

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荒川一中前

折返し三ノ輪橋10:09発早稲田行き133(7704)で荒川一中前へ。その名の通り荒川区立第一中学校の最寄り駅で、開業は平成12年11月11日と荒川線では最も新しい駅です。両隣の停留場とはわずか300mしか離れておらずホームからは三ノ輪橋で折り返し中の電車を見ることができます。

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荒川区役所前

荒川一中前10:17発早稲田行き135(8503)で荒川区役所前へ。荒川区役所前の最寄り駅で、開業時は「千住間道」を名乗っていましたが、「三河島二丁目」を経て現駅名になりました。

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荒川二丁目

荒川区役所前10:24発早稲田行き137(8902)で荒川二丁目へ。東京都下水道局三河島水再生センター上の人工地盤につくられた荒川自然公園の最寄り駅です。三河島水再生センターは大正11年に「三河島汚水処分場」として竣工した、日本初の近代的な下水処理場で、保存された施設は重要文化財に指定されています。

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荒川七丁目

荒川二丁目10:29発荒川車庫前行き139(8808)で荒川七丁目へ。開業時は「博善社前」を名乗っていた停留場で、「三河島八丁目」を経て現在の駅名になりました。当初の駅名の由来だった「博善社」とは東京博善社が運営する町屋斎場のことで、江戸時代の小塚原火葬場からの長い歴史を持っています。

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町屋駅前

荒川七丁目10:33発早稲田行き141(9002)で町屋駅前へ。その名の通り京成本線・メトロ千代田線の町屋駅の駅前にある停留場で、乗換駅だけあって乗客が一気に入れ替わります。町屋に乗り入れる3線の中では荒川線が最も古く、開業時は「稲荷前」を名乗っていました。「町屋一丁目」を経て町屋駅前に改称されたのは昭和52年のことでした。

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町屋二丁目

町屋駅前10:43発早稲田行き143(7703)で町屋二丁目へ。開業時は「町屋」を名乗っていた停留場で、京成が開業する前はこの周辺が町屋の中心だったのでしょう。1車線の道路の真ん中に千鳥配置のホームがあります。

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東尾久三丁目

町屋二丁目10:51発早稲田行き145(8809)で東尾久三丁目へ。町屋二丁目と似たような立地ですが、上下ホームはかなり離れています。開業時は「下尾久」を名乗っており、「尾久町一丁目」を経て現在の駅名になりました。

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宮ノ前

東尾久三丁目11:05発早稲田行き149(8907)で宮ノ前へ。熊野前日暮里・舎人ライナーの時に撮ったので今回は省略。宮ノ前は尾久八幡神社の目の前にあることがその名の由来です。住居表示の変更などで改称の多い周辺駅と違って開業時の名前を守り続けています。

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小台

宮ノ前11:17発早稲田行き151(7705)で小台へ。由来となった「小台」は隅田川対岸の足立区の地名でそちらには日暮里・舎人ライナーの「足立小台」がありますが、乗り換えできるほど近くありません。

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荒川遊園

小台11:30発早稲田行き155(8803)で荒川遊園地へ。荒川区あらかわ遊園の最寄り駅で、開業時は「荒川遊園前」を名乗っており、「西尾久七丁目」を経て結局元の駅名に近い現駅名に改称されました。「〇〇n丁目」のような住居表示駅名、乱立されると似ていてややこしいので、個人的にはこのような近くのランドマークを付けた駅名に戻って行ってほしいものだと思います。

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荒川車庫前

荒川遊園地11:38発早稲田行き157(8908)で荒川車庫前へ。東京都交通局荒川電車事業所が併設された駅で、元は「船形車庫前」を名乗っていました。早稲田発三ノ輪橋行き電車の場合、まず降車専用ホームに停車して乗客を降ろし、乗務員交代を済ませてから前進、乗車用ホームで乗客を乗せてから発車という手順が採られています。

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梶原

荒川車庫前11:44発早稲田行き157(8903)で梶原へ。ここから北区に入ります。早稲田方面ホームに面して営業している「梶原書店」が「日本で一番駅に近い書店」として有名でした。この時はシャッターも開いて普通に営業している感じでしたが、後で調べてみると9月30日で閉店というニュースが出ていました。

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栄町

梶原11:51発早稲田行き159(8901)で栄町へ。開業時は「山下」を名乗っていました。ホームの後ろにある個性的なデザインの建物は化粧品会社コーセーの研究所です。コーセーは小林孝三郎によって昭和21年、王子で設立されました。

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王子駅

栄町11:59発早稲田行き161(8806)で王子駅前へ。京浜東北線・メトロ南北線との乗換駅で、利用客が多い時間帯にはホーム入口に臨時改札が設置されて運賃収受とカード読み取りが行われます。有人改札のある路面電車の駅は全国的に見ても珍しいものだと言えるでしょう。

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北区役所

駅巡りはここで一旦中断して王子~飛鳥山と散策。まずは北区役所へ。北区役所は第一第三、第五と滝野川分庁舎の五庁舎に分散しており、なかなか複雑です。一番大きな第一庁舎は中央棟が昭和35年、西側棟が昭和37年、東側棟が昭和43年と老朽化しているため移転が検討されています。

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醸造試験所第一工場

続いて旧醸造試験所第一工場へ。大蔵省の醸造試験所として明治37年に設置されたもので、国の重要文化財です。設計は妻木頼黄。訪問時は生憎の逆光でした。

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青天を衝け大河ドラマ

その後は青天を衝け大河ドラマ館を見学。今年の大河ドラマの主人公・渋沢栄一飛鳥山に邸宅を構えており、人生の後半生を飛鳥山で過ごしました。

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北区飛鳥山博物館

大河ドラマ館のチケットで北区飛鳥山博物館も見学することができました。エントランスには豊島郡衙の正倉が再現されています。

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企画展示「JOMON土器 VS YAYOI土器 ‐どっちがスキ?どっちもドキッ!‐」

3階のアートギャラリーには縄文土器弥生土器の企画展示。こちらは無料で見学できます。1階の常設展も展示スペースの多くが旧石器~古墳の古代に多く割かれており、その時代に関する展示が充実している印象を受けました。

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都電6080

博物館のある飛鳥山にはD51 853と都電6080が保存されています。昭和24年に製造された車両で、46年から53年まで荒川線で活躍しました。破損防止のために窓ガラスが撤去されているのは残念ですが、子どもの遊び場になる際の安全性を考えると仕方のない面はあるのでしょうね

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飛鳥山

飛鳥山から駅めぐりを再開。飛鳥山は荒川線の前身である王子電気軌道が開設したのちに東京市飛鳥山線が乗り入れました。飛鳥山線の線路は後に滝野川線(王電を市営化・現:荒川線)と接続され、昭和32年にはトロリーバスも乗り入れましたがいずれも廃止され、昭和46年には荒川線のみになりました。

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滝野川一丁目

飛鳥山14:47発早稲田行き211(7704)で滝野川一丁目へ。昭和22年に北区と合併して消滅した滝野川区の名を今に伝える停留場ですが、その中心はむしろ隣の西ヶ原四丁目停留所の方にあったようです。滝野川区昭和7年東京市編入されるまでは北豊島郡滝野川町でした。

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西ヶ原四丁目

滝野川一丁目14:52発早稲田行き213(8803)で西ヶ原四丁目へ。王子総合高校や武蔵野中学・高校などがある文教地区の駅で、平成12年までは東京外国語大学も当地にありました。

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新庚申塚

西ヶ原四丁目14:56発早稲田行き215(8503)で新庚申塚へ。上下ホームは白山通りを挟んでかなり離れており、撮影もあまり楽ではありません。三田線西巣鴨駅との乗換駅ということにはなっていますが、微妙に離れています。

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庚申塚

新庚申塚15:05発早稲田行き217(9001)で庚申塚へ。巣鴨地蔵通り商店街の最寄り駅で、駅名の由来は庚申信仰に基づく猿田彦大神という小さな神社です。三ノ輪橋方面ホーム上には飲食店があります。

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巣鴨新田

庚申塚15:13発早稲田行き219(8902)で巣鴨新田へ。かつては王子電気軌道の車庫と発電所があった駅で、その跡地は現在東京電力大塚支社となっています。すぐ目の前に文京高校がありますが、学生の多くは大塚駅まで歩いてJRに乗るようで、利用者数はそれほど多くありません。

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大塚駅

巣鴨新田15:21発早稲田行き221(9002)で大塚駅前へ。山手線との乗換駅で、ホームは山手線の高架下に設けられています。早稲田方面ホームの三ノ輪橋寄りには定期券などを販売する窓口が設けられるなど、拠点駅らしい雰囲気です。

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向原

大塚駅前15:33発早稲田行き225(7703)で向原へ。大塚から当駅にかけて荒川線はなかなかの急坂を登っており、東京という都市がいかに起伏に富んでいるかを感じ取ることができます。東池袋四丁目までの駅間は線路付け替え工事が行われています。

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東池袋四丁目

向原15:42発早稲田行き229(8809)で東池袋四丁目へ。池袋サンシャインシティの最寄り駅で、すぐそばにメトロ有楽町線東池袋駅への出入口があります。いっそ駅名を統一してもいいのではないかという気もするのですが。ホームは都道435号を挟んで離れています。

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都電雑司ヶ谷

東池袋四丁目15:51発早稲田行き231(7708)で都電雑司ヶ谷へ。豊島区役所や雑司ヶ谷霊園への最寄り駅で、メトロ副都心線雑司が谷駅の開業に際して「都電」が冠されました。メトロ雑司が谷駅鬼子母神前に近接しており、どうせならメトロの駅も「鬼子母神前」を名乗ればよかったのではないかという気がします。

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鬼子母神前

都電雑司ヶ谷15:58発早稲田行き233(8907)で鬼子母神前へ。法明寺鬼子母神堂の最寄り駅で、寺の方の読みは「きしもじん」であるのに対して駅名は「きしぼじん」と異なっています。地下道路工事のため駅の前後の線路やホームも仮設のものとなっており、ここ数年ずっと工事が続いているような状態です。

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学習院

鬼子母神前16:11発早稲田行き237(8908)で学習院下へ。目白・雑司ヶ谷の台地から坂を下る途中にある駅で、路面電車が急勾配を上下する様は見応えがあります。学習院大学へは目白駅の方が近いので、通学利用は少なそうです。

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面影橋

学習院下16:19発早稲田行き239(8802)で面影橋へ。神田川沿いの新目白通り上にある駅で、駅名は神田川にかかる橋の名に由来します。面影橋には太田道灌の山吹伝説があり、江戸時代には江戸の名所の一つでした。

 

10/13 新潟県東部・北部をドライブ(阿賀野・新発田・村上・笹川流れ)

新潟ドライブ二日目は、新潟県東部・北部へ。

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東蒲原郡阿賀町役場三川支所(旧三川村役場)

まだ暗いうちに出発し、一時間走って阿賀町役場三川支所へ。平成17年の合併で阿賀町となった旧三川村の役場です。村史などが出ていないため築年は不明ですが、デザインからして昭和40年代の建築でしょう。築年を知りたい人間としてはせめて公共施設総合管理計画にでも築年を記載してほしいものだと思います。

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川口の古民家

三川支所を見た後は、道中で見かけて気になった古民家を撮影。立派な和風木造建築ですが、障子やガラス戸がすべて取っ払われていて使われていない様子。なんとももったいない限りです。

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安田民俗資料館

阿賀野川に沿って下り、平野部に戻って安田民俗資料館へ。歴史的建造物や蒲原鉄道の車両を保存した資料館でしたが、休館となってから15年以上の時が過ぎて荒廃しています。公式ホームページだけは最終更新から17年経ってもそのまま残っていました。

www.iplus.jp

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安田民俗資料館本館(旧蒲原鉄道本社・旧村松駅)

あいにくの天気ですが、保存されている建物を見ていきましょう。本館として使われていたこの建物は大正12年10月開業時に建てられた村松駅の駅舎で、蒲原鉄道本社を兼ねていました。道路拡張に伴って昭和50年11月に新駅舎に改築され、旧駅舎の方は昭和57年1月28日に当地に移築復元されました。大正時代の地方私鉄の駅舎兼本社の姿を今に伝える貴重な文化財です。

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蒲原鉄道 モハ51

その隣に保存されているのは蒲原鉄道モハ51。昭和5年3月にモハ13として製造された車両で、村松城址公園のモハ11とは同型です。昭和29年5月にモハ41(五泉市粟島公園保存車)に主要機器を供出し、代わりにモハ1(冬鳥越スキーガーデン保存車)から主要機器を取り付けてモハ51と改番されました。車籍の上ではモハ1を改造したことになっています。昭和60年4月の村松~加茂間廃止まで活躍し、同年11月より当地で保存されています。野ざらし保存の宿命というべきか車体の傷みがひどく、危機的状況といっていいでしょう。

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旧板井外科医院玄関

事務所として使われていたこちらの建物は、新潟市白山浦にあった旧医院の玄関部分です。公式HPには「昭和3年、新潟交通の電車軌道設置のための道路拡張の際、新たにこの玄関を取り付け、昭和35年まで開業していたものである」との説明がありますが、本体は果たしていつ建てられたものだったのでしょうか。当地へは昭和61年移築。

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旧安田巡査部長派出所

別館として使われていたこちらの建物は、旧安田村の名士によって昭和7年に建てられて村に寄贈されたもので、安田警察署としての役目を終えてからは診療所として長らく使われました。町道の拡張工事で解体されることとなり、平成元年に移築されました。

安田民俗資料館には建物以外にも貴重な資料が揃っており、旧派出所の手前には村松駅ホーム上にあった水のみ場が保存されています。建物にしろ電車にしろ一度失われてしまえば取り返しのつかないような貴重なものばかりなので、なんとかならないものかと思いますが、これだけのものを維持活用していくのはそう簡単ではないのでしょうね。

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神山簡易郵便局

続いて神山簡易郵便局へ。戦前からの古い局舎が現役で使用されています。大きな屋根が雪国らしさを感じさせます。

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新発田カトリック教会

笹神、中浦を経て新発田へ。車を停めてしばし散策。昭和41年竣工の新発田カトリック教会はアントニン・レーモンドの作品。煉瓦と丸太を組み合わせた建物で、とても築50年という歳月を感じさせない、古びないデザインです。

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紫雲閣(旧白勢家観音堂

紫雲閣は明治35年金塚の大地主・8代目白勢長衛によって建てられたもので、所有者の移り変わりによって2度の移築を経ています。銀閣を模した書院造りの楼閣建築で、飢饉で亡くなった人を弔うための観音堂として建てられたそうです。

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旧高橋屋旅館

旧高橋屋旅館は明治4年創業で、昭和11年築。森鴎外も泊まったという歴史ある旅館ですが、アーケードが邪魔で全体が見えないのが残念です。

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新発田地域シルバー人材センター事務局(旧新発田第十六連隊憲兵分遣隊)

旧陸軍仙台憲兵新発田分遣隊の建物を見に行ってみると、工事中でした。しかし、この建物は残るそうで、解体されているのは隣の総合健康福祉センターいきいき館でした。昭和11年に建てられたもので、戦後は北蒲原郡医師会館などとして使用されたそうです。

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吉原寫真館

モダンなデザインの吉原寫真館は昭和11年に建てられたもので、国の登録有形文化財

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白壁兵舎 広報史料館(旧陸軍東京鎮台歩兵第8番大隊分屯営兵舎)

白壁兵舎は明治7年に新発田城の廃材を利用して建てられた和洋折衷の建物です。

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新発田城址 二の丸隅櫓

新発田城新発田藩溝口氏の居城で、明治の廃城以降は陸軍、そして自衛隊の駐屯地と今なお軍事施設として使われている珍しい城です。本丸表門と二の丸隅櫓(本丸鉄砲櫓跡に移築)のみ当時の建物が現存しており、三階櫓と辰巳櫓は平成16年の復元です。敷地のほとんどが駐屯地となっている都合上、見学できる場所は限られていますが、江戸時代の建物が現存する貴重な城跡としてもっと注目されてもいいように思います。

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荒川総合体育館

新発田を後に北上して胎内市を通り過ぎ、荒川総合体育館へ。平成20年に村上市と合併した旧岩船郡荒川町の体育館で、昭和49年に建設されました。以前、米坂線の車内から見て気になっていたのですがようやく訪れることができました。敷地内にはD51 735が保存されていますが、車庫のような建物に囲われているので、撮影には不向きです。裏手には昭和50年建設の荒川温水プールがありますが、用途廃止によって使われていません。

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旧制村上中学校門監舎

続いて村上へ。市役所裏手には旧制村上中学校(→村上高校)の正門と門監舎(守衛所)が残されています。明治33年に旧制新発田中学村上分校の開校時に建てられたもので、明治44年の校舎増築時に現在地に移されました。村上分校は明治35年に独立して村上中学となり、昭和23年の学制改革で村上高校となりましたが、昭和48年に現在地に移転。跡地には市役所が建てられ、この門監舎のみが残っています。

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旧新潟貯蓄銀行村上支店

村上も古い建物が多く残る城下町ですが、ひときわ目を引くのがこちらの旧新潟貯蓄銀行村上支店。大正15年に建てられたもので、現在は第四北越銀行の車庫として使われています。防護ネットで覆われているのが残念ですが、埋められたアーチがまるで遺跡のような雰囲気を醸し出しています。隣の猫町珈琲店も良い雰囲気。

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開運堂ベーカリー

こちらの開運堂ベーカリーも気になる建物。廃業して久しいようですが、かつては氷問屋兼パン屋だったようです。壁には「電氣パン」の文字があり、何やらハイカラなにおいがします。

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村上の街並み

他にも気になる建物はまだまだありますが、またいずれゆっくりと来ることにして北上します。

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諏訪神社

内陸部を北上し、旧朝日村の下新保へ。集落内にある2つの近代建築が目的でしたが、そのそばにある諏訪神社も「鎮守の森」と言った趣でついつい写真を撮りたくなってしまいます。旅の無事をお祈りしました。

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下新保の洋館

下新保集落の中心、県道沿いに板張りの洋館が残されています。雰囲気からして旧郵便局だと思いますが、資料等もないのではっきりとしたことは言えません。

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三面川

集落の北を三面川が流れています。普通の旅行者は来ないようなところですが、何とはなしにいい景色だなあと思いました。

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三面川ドライブイン カツ丼

ここでようやく遅めの昼食。三面川ドライブインでカツ丼をいただきました。新潟名物たれカツ丼です。メニューには別に「カツ玉子丼」がある辺り、この辺では「カツ丼=たれカツ丼」なんだなと感じます。ドライブインの駐車場では選挙カーも休んでいました。

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温出の洋館

さらに北上し、県境に近い温出の集落へ。集落内に板張りの洋館が残っています。佇まいからして旧診療所っぽいですが、こちらも資料がないので何とも言えません。

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府屋中町

県境の町・府屋へ。この前放送された「ローカル路線バスの旅Z」でも出ていたバス停がこちら。別に聖地巡礼というわけではありませんが、近くに来たので撮ってみました。

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ヘアーサロンKOBAYASHI

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青木医院

府屋市街にも古い建物は残っています。青木医院の方はノーマークだったので、見つけた時は嬉しかったです。

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府屋漁港の廃トンネル

府屋漁港のそばには廃トンネルが二つ並んでいます。左のトンネルは見るからに古く石積みで、右側の方は戦後のもののようです。

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旧佐藤医院

ちょっと内陸に入った勝木市街にも近代建築は残っています。旧佐藤医院は昭和10年に建てられたものです。

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だるまやウィリー事件現場

勝木を後に、笹川流れを見ながら国道345号を南下します。ここは水曜どうでしょうファンの聖地。大泉洋さんが事故を起こした現場です。この国道も当時はまだ崖に沿ってぐるっと回る旧道でした。こうした海沿いの道を走ると本当に部分的な旧道が多く、地形を克服してきた人間の営みが感じられます。

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笹川流れの景色

少し南下したところで、いい感じに車を停めて写真を撮れそうなところがあったので停車。笹川流れはどこを切り取っても絵になるし、何度来ても景色の美しさに感動します。この写真を撮った後、上りの特急いなほに追い抜かれました。

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桑川駅・道の駅笹川流れ

桑川駅に併設された道の駅でトイレ休憩。せっかくなのでお土産も買いました。無人駅のトイレは基本的に信用ならないものですが、ここは道の駅が併設されているのでもちろん綺麗でした。

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鮭はらこ弁当

新潟駅に向かって走るうちに日が暮れ、秋の日の短さが感じられました。車を返却し、さて夕食に何を食べようかと考えていると駅弁売り場が目に入り、タイムセールで全品900円だったので買って食べることに。ちょうど鮭が有名なエリアを通ってきたことですしね。

夜行バス旅の場合、えてしてバスの時間までどう過ごすかが問題になるわけですが、今回は忠犬タマ公像前で出会ったおじさんと話が弾んだため、バスの時間まであっという間でした。新潟駅23:20発ウィラーエクスプレスH5260便に乗車し、翌朝池袋に到着。今回の旅で、気になっていたところをだいぶ回ることができたわけですが、栃尾新発田・村上はまたゆっくりと回りたいですし、今回行けなかったところにもいずれ行ってみたいものです。

北杜夫没後十年

今日で作家の北杜夫さんが亡くなって10年になります。当時私は小学6年生で、パソコンの授業の時にトップページのYahoo!Japanに「北杜夫さん死去」と出ていたのを見て、「祖父(北さんと同じ昭和2年生まれで当時すでに故人)の本棚にあった人だな」と思ったのを覚えています。当時はまだ作品に触れたこともなく、その人となりも知りませんが、後に興味を持って高校生の時から読むようになりました。

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青山脳病院跡

それから10年という節目の年、せっかくなので港区青山の青山脳病院跡にある斎藤茂吉歌碑を見に行ってきました。北さんの祖父にあたる斉藤紀一が開設した精神病院で、ローマ式建築が名物でしたが、関東大震災で焼失。再建後は松沢に本院が移り、小さな分院となりましたが、昭和20年の空襲で焼失しました。この病院については『楡家の人びと』にその全盛期から没落までが書かれています。病院を経営する斎藤一族も病院のそばに住んでいたので、ここが北杜夫生家跡ということになります。その作品の生み出されるルーツとなった場所ですが、もはや作品に登場する戦前とは違い過ぎて面影は全くありませんでした。

10/12 大雨の越後平野をドライブ(庁舎・近代建築・蒲原鉄道保存車めぐり)

Willerのタイムセールで新潟に安く行けるようになっていたので、二日かけて気になっていたところを車で回ってきました。

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早朝の新潟駅

前夜22:50に池袋サンシャインバスターミナルを出たウィラーエクスプレスH5157便が新潟駅南口に到着したのは翌朝5:25のことでした。天気は生憎の雨で今日の行程が思いやられます。

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新潟市南区役所(旧白根市役所)

7時に車を借りて一時間ほどで南区役所へ。昭和46年7月30日に白根市役所として建てられた庁舎で、平成17年3月21日に新潟市編入されてからは白根支所として使用され、平成19年の政令市移行で南区役所となりました。元が人口約4万の市の市役所だっただけあって立派な建物です。

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白根の街並み

白根は古くから中ノ口川の舟運で栄えた街だけあって、中心部には古い建物が多く残されています。歩道部分に架けられたアーケードはいかにも豪雪地帯を思わせます。

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第四北越銀行白根支店(旧中蒲原郡白根町役場)

その一角でひときわ目を引く3階建てのこちらの建物は昭和9年白根町役場として建てられたもの。昭和34年の市制施行を経て、昭和46年に先程の南区役所が完成するまで使われました。市役所としての役目を終えた後は銀行として使われ、築87年の今なお現役です。モダンなデザインで、綺麗に塗り直されていることもあって古さはあまり感じられません。

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燕市役所燕庁舎(旧燕市役所新館)

続いて燕へ。市役所燕庁舎は昭和53年に燕市役所新館として建てられたもので、かつては手前に佐藤武夫が設計した昭和37年6月竣工の本館が建てられていました。平成18年3月20日の新設合併で市役所本庁舎は吉田に移り、以降は燕庁舎として使用されましたが、平成26年6月に本館を解体。新館は耐震補強の上、新たに燕庁舎となりました。現在は燕サービスコーナー、水道局、健診センターが入居していますが、サービスコーナーは近い将来廃止、水道局は移転が予定されています。

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燕市浄水場配水塔

中央公民館の敷地内に建つ「水道の塔」は燕のシンボル。西出辰次郎の設計によって昭和16年に完成したもので、昭和44年まで使われました。平成25年に国の登録有形文化財となりましたが、落下防止のネットに覆われ、周辺が立入禁止になっているため近付くことはできません。当然、見上げるように撮ることになるため、雨の中での撮影は大変でした。

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長岡市中之島支所(旧南蒲原郡中之島町役場)

続いて中之島へ。平成17年4月1日に長岡市編入されるまでは中之島町でした。立地的には長岡市より見附市編入された方が良かったのではないかと思います。中之島支所の庁舎は昭和43年に中之島村役場として建てられたもので、昭和61年10月の町制施行を経て合併後も引き続き使われています。中之島名物大凧をイメージした六角形の窓が目を引く個性的なデザインで、遠くからでもよく目立ちます。

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みつけタクシー

次の目的地・栃尾へ向かう途中、見附で気になる建物を見つけたので撮影。詳細は不明ですが、タクシー会社の事務所に看板建築風の装飾がありました。

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長岡市栃尾支所(旧栃尾市役所)

山を越えて栃尾へ。昭和42年2月15日完成の栃尾支所はかつての栃尾市役所。雨に濡れたコンクリートが何とも言えぬ味を出しています。ほんの数年前までどこにでもあった典型的なモダニズム建築といった感じです。今のところ建て替え計画はないようですが、果たしていつまで残るでしょうか。

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雁木の建物

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雁木

栃尾の街並みには雪国特有の「雁木」が見られます。言うなれば「和風アーケード」で、風情を感じさせます。小学校の頃に社会科で習ったものの実物を見るのはこれが初めてでした。

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栃尾服地 諸橋

雁木の街並みの中には年季の入った建物も多く残されています。この建物の詳細は不明ですが、デザインから見て昭和初期のものでしょうか。生憎の天気なので一通り見て切り上げましたが、今度は城跡などにも足を延ばして泊りで歩いてみたいものです。

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栃尾市民会館

栃尾市民会館は昭和47年11月着工、昭和49年3月31日完成で、同年6月1日に開館しています。市役所と比べると見た目はそれほど古くありませんが、現在新しい交流施設を建設中のため、役目を終える日は遠くなさそうです。

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栃尾市立入東小学校

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入東っ子 ここに学ぶ

栃尾からさらに山間へ分け入り、入東小学校跡へ。昭和38年に来伝小学校と吹谷小学校を統合して開校した小学校で、平成13年に閉校となりました。現在残っている校舎は昭和26年に入東谷村立入東谷中学校として建てられたもので、栃尾市立南中学校第二校舎となった後、昭和37年から来伝小学校として使われていました。建物は残っていますが、草が繁茂していたので近づくことは叶いませんでした。

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上来傳地区公民館(旧古志郡入東谷村役場)

入東谷には昭和12年に建てられた入東谷村役場も残っています。入東谷村は昭和30年に栃尾市編入されて消滅、その後しばらく支所として使われた後に公民館に転用されたようです。築80年を越える古い建物ですが、しっかり管理されて壁も張り替えられているため状態は良好です。

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三条市役所下田庁舎(旧南蒲原郡下田村役場)

入東谷を後に下田(しただ)へ。平成17年5月1日の合併で三条市となった旧南蒲原郡下田村です。下田庁舎は旧下田村役場で、おそらく昭和47年に建てられたもの。なかなか良い雰囲気のモダニズム建築です。『下田村史』には、山村開発センターを役場改築に先立って昭和46年に建設とあります。

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旧羽生田郵便局

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旧羽生田郵便局の瓦

一旦加茂を通り過ぎて田上町の旧羽生田郵便局へ。明治43年または明治45年5月に建てられたという2代目局舎が残されています。瓦には「〒」マークがいくつも掲げられており、消印を模したデザインの中に「44.5.29」の文字も。細部を見れば面白い建物ですが、傘を差しながらなのであまりじっくりとは見れませんでした。道が狭いので、見学の際は車への注意が必要です。

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加茂市民俗資料館

少し戻って加茂へ。まずは加茂市民俗資料館を見学。建物は旧図書館を転用したもので、詳細は分かりませんが、なかなか古そうです。展示は無料とは思えないほど充実しており、職員の方も親切でした。

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旧賀茂銀行上条出張所

資料館を見学した後は周辺を散策。旧賀茂銀行は大正11年に建てられたもので、昭和4年の合併で第四銀行加茂支店となり、昭和7年まで銀行として使用されました。平成7年に道路拡幅で移築されて現在に至るそうですが、空き家となって老朽化が進んでいます。現地で見た時は「このまま取り壊されてしまうのだろうか」と心配しましたが、後で調べたところ、来年度より保存に向けた整備を検討ということで、期待したいところです。

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古民家巣立ち

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製材工場事務所

加茂川の対岸にも古い建物が残っています。製材工場事務所の方はノーマークだったので見つけた時は嬉しかったです。

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旧西山医院?

地図上では旧西山医院となっている建物。増築したらしい3階部分が目を引く洋風建築です。半開きの窓からは白猫が顔を出していました。

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旧七谷郵便局

加茂市街を後に、昭和29年に加茂市編入された七谷へ。旧七谷郵便局は昭和10年に建てられたもので、喫茶店として活用されてきました。

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営業終了を知らせる看板

築86年の割に建物の状態は良く、美しい姿が保たれていますが、老朽化には勝てなかったようで、この建物での営業を終了する旨書かれた看板が入口に置かれていました。建物の今後については書かれていませんが、古い建物を個人で維持し活用していくのには並々ならぬ苦労があったことでしょう。自然災害の多い国で古い建物を維持していくことの大変さが改めて思い知らされます。

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蒲原鉄道 七谷駅跡

加茂川を渡り、蒲原鉄道七谷駅跡へ。昭和60年4月に廃止となった蒲原鉄道村松~加茂間にあった駅で、廃止まで列車の交換が行われていたため、有人駅でした。現在も駅舎と島式ホームが残っています。

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七谷駅 駅舎

黒水東区集会場に転用されて残っている駅舎はおそらく昭和35年に建てられたもの。昭和35年1月10日午後11時ごろに駅長社宅より出火して駅事務室、売店、宿直室を焼いたと記録にあるので、火災後に建て直されたのでしょう。カラーフィルムが手に入りやすい時代まで残っていて、列車交換が行われていたためか、現役時代に記録された写真も多くネット上にアップされており、比較的往時を偲びやすい駅跡と言えるでしょう。

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蒲原鉄道 モハ1

さらに山奥へ分け入り、冬鳥越スキーガーデンへ。蒲原鉄道で活躍した車両が保存されています。モハ1は五泉村松の開業に際して大正12年7月に蒲田車輛製作所で製造された車両で、昭和29年に廃車となりました。廃車後も車体は村松車庫内で職員詰所として廃止まで残っており、保存に際して現役当時の姿に復元されました。現存する貴重な木造電車であり、保存継続のためにクラウドファンディングで屋根が取り付けられる予定です。

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蒲原鉄道 モハ61

モハ61は昭和15年4月に日本鉄道自動車工業で製造された武蔵野鉄道クハ5856が前身で、西武鉄道クハ1232を経て昭和33年1月に蒲原鉄道に入線し、平成11年10月の全線廃止まで活躍しました。扉間に6枚の2段窓が並ぶ整ったデザインの電車で、モハ1に負けず劣らず貴重な存在です。

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蒲原鉄道 ED1

ED1は全線開通を前にした昭和5年5月に日本車輛名古屋本店で製造された電気機関車で、当初はEL1を名乗っていました。晩年は構内入換に活躍し、平成11年の廃止後は村松駅跡で放置されていましたが、平成21年6月に冬鳥越に移設されて修復されました。

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蒲原鉄道 モハ11

山を越えて五泉市に入り、村松城址へ。ここにはモハ11が保存されています。屋根付きですが、野ざらしだったモハ1などより状態が悪く、自治体の保存に対する温度差を感じてしまいます。モハ11は村松~加茂間の開業に先立ち、昭和5年3月に日本車輛東京支店で製造された車両で、昭和60年4月の村松~加茂間廃止時に廃車となりました。

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すがや商店

 

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五泉の看板建築

蒲原鉄道跡沿いに北上して五泉市の中心部へ。ここも古い建物が残っていますが、日没も迫っているので、特に気になった2軒を中心に撮影。2枚目の建物の詳細は不明ですが、2階に出入口があるのが気になりますね。

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蒲原鉄道 モハ41

日没ギリギリですが、最後に粟島公園へ。モハ41が屋根付きで保存されていますが、ちょっと気になる傷み具合です。モハ41は昭和29年5月にモハ13からの改造名義で製造された車両で、昭和38年6月に西武所沢工場で車体延長工事を行って、平成11年10月の廃止まで主力として活躍しました。保存場所の向かいには高校があり、車両に架けられた大屋根はちょうど高校生の待ち合わせ場所になっているようでした。

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いっとうや かさね醤油

雨の夕暮れを走って新潟市内へ戻り、新潟ラーメンの人気店いっとうやで夕食。駅から離れていて行きにくい店に寄れるのもまた車移動の良さでしょう。豚骨と魚介の重ねスープに炙りチャーシューが美味しかったです。

 

この日は快活クラブ新潟桜木インター店に宿泊。ネカフェに入るまでの時間の潰し方に困るのが車移動の欠点と言えるかも知れません。

10/3 名鉄西尾線・蒲郡線駅めぐり

名鉄蒲郡線の西幡豆駅・東幡豆駅の駅舎が解体されると聞き、解体前に行ってきました

 

池袋サンシャインシティ23:40発ウィラーエクスプレスP360便に乗り、名古屋駅に着いたのは翌朝6:10。

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新安城駅

名鉄名古屋6:39発急行豊橋行き614(9101)に乗り、西尾線の分岐駅・新安城で下車。大正12年に愛知電気鉄道の今村駅として開業し、昭和45年に改称されました。駅舎は昨年12月19日に橋上化されたばかりで、全体が完成したのは今年の3月28日です。橋上化以前、改札口は地下にありました。

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桜井駅

安城7:20発急行吉良吉田行き748(6423)で桜井へ。平成20年6月29日まで「碧海桜井」を名乗っていた駅で、その8日前に高架化されています。昭和42年に安城市編入された碧海郡桜井町の駅で、現在は安城市南西部の拠点駅として全ての列車が停車します。

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南桜井駅

桜井7:49発普通西尾行き752(6813)で南桜井へ。平成20年6月29日、桜井駅の改称と同時に開業した、名鉄で最も新しい駅で、改札口はホームごとに分かれています。周囲は田園地帯ですが利用客は桜井駅よりも多く、西尾線内では新安城、西尾に次いで3番目です。平成31年3月ダイヤ改正で急行停車駅に昇格しました。

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吉良吉田駅

南桜井8:02発急行吉良吉田行き742(6008)で吉良吉田へ。西尾線蒲郡線の接続駅で、平成16年までは碧南方面への三河線も乗り入れていました。西尾線蒲郡線の系統は完全に分離されており、当駅で中間改札を通っての乗換えとなります。西尾線三河線蒲郡線がそれぞれ別の会社によって建設され、その後統合された経緯もあってか構内の配置は独特です。名鉄では貴重な木造駅舎が残りますが、昭和18年の統合時または昭和20年の三河地震からの復旧時に建てられたものでしょう。

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ふれんどバス

駅前から三河線代替のふれんどバス8:30発碧南駅行きに乗車し、大宝橋で下車。平成23年の合併で西尾市となった旧幡豆郡一色町の中心部にあるバス停です。

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西尾市一色支所 旧庁舎(旧幡豆郡一色町役場)

10分ほど歩いて旧一色支所へ。昭和42年に一色町役場として建てられた庁舎で、平成23年の合併後は一色支所として使われてきました。平成17年に耐震改修工事が行われ、耐用年数が10年程度残っていたものの、平成29年7月18日に公民館へ支所機能を移転。その後は解体方針でしたが、PFI事業の見直しもあって未使用のまま維持されています。まだ使えるのに移転というのもなんとももったいない話ですが、そもそも合併の必要があったのかについても考え直した方がいいのかもしれませんね。

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一色町公民館

吉良吉田へ戻るバスには一色町公民館から乗車。公民館の周りには公的施設が集約されている感じで、確かに効率化を考えるならここに移転というのもおかしな話ではないと感じました。ただ旧役場周辺の人からすれば移転によって不便はあったのかもしれません。

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吉良吉田駅 構内

9:56発バスで吉良吉田駅に戻ってきました。写真は踏切から写した蒲郡線ホーム。元は碧南方面から伸びていた三河線のホームで、平成16年に三河線が廃止されてからしばらくは使われていませんでしたが、平成20年に西尾線蒲郡線の系統が分離された際に蒲郡線ホームとして復活しました。右側の1番線は使われていません。

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福地駅

吉良吉田10:15発急行弥冨行き1141(3267)で福地へ。大正4年に西尾鉄道の「一色口」として開業した駅で、昭和24年に改称されました。駅名は昭和29年に西尾市編入された幡豆郡福地村に由来します。福地村は桓武天皇在位の奈良時代末期、延暦18(799)年に崑崙(現在のインド)人が漂着して日本に初めて綿を伝えたといわれる土地です。平成20年のトランパス導入時に建てられた駅舎が上り1番ホーム側にあり、2番ホームとは構内踏切で結ばれています。

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横須賀駅

福地10:47発急行吉良吉田行き946(6029)で上横須賀へ。昭和30年の吉良町成立まで存在した幡豆郡横須賀村の駅で、平成18年まで両隣に鎌谷、三河荻原という駅が存在していました。上り1番ホーム側に駅舎があり、2番ホームとは構内踏切で結ばれています。横須賀村は『人生劇場』の作者・尾崎士郎の出身地で、映画の撮影もこの駅の近くで行われたそうです。

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安城駅

上横須賀11:20発急行弥冨行き1241(6229)で南安城へ。安城市の中心近くにある駅で、1日4000人以上が利用する主要駅ですが、平成19年10月に無人化されています。昭和56年5月に西尾線では初めて高架駅となり、改札口は中2階に設けられましたが、平成30年度のバリアフリー化で1階に移転しています。昭和36年7月まで国鉄安城駅とを結ぶ支線が分岐していました。

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安城駅

安城11:57発普通新安城行き1153(6903)で北安城へ。朝の一往復を除き急行は停車しない小さな駅ですが、2つの高校の最寄り駅のため学生の利用が多いようです。片面ホームに面して簡易駅舎のある駅で、トランパス導入まで駅舎はありませんでした。

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堀内公園駅

安城12:11発普通西尾行き1250(6903)で堀内公園へ。観覧車などのある堀内公園の最寄り駅で、平成20年までは「碧海堀内」を名乗っていました。トランパス導入に際しては廃止が検討されましたが、安城市が駅舎の建設費を負担することで存続が決まりました。平成19年11月に安城市の負担で建てられた駅舎は、線内の他の駅とは外観が異なります。

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碧海古井駅

堀内公園12:23発普通新安城行き1251(6913)で碧海古井へ。明治39年安城町成立まで存在した碧海郡古井村に由来する駅名を持つ駅で、「碧海」を冠する唯一の駅です。駅のすぐ南側で東海道新幹線と交差しており、新駅設置の候補地として上がったこともありましたが、用地確保が難しいことから、新駅は結局三河安城駅の位置に建設されました。

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西尾口駅

碧海古井12:46発普通西尾行き1252(6814)で西尾口へ。西尾駅からわずか800mしか離れていない駅で、平成元年に高架化されています。片面ホームですが、複線化も可能な構造で建設されており、平成20年には西尾駅から当駅の手前までが複線化されました。西尾駅から近すぎるゆえに利用者が少なく、かつては普通列車も一部が通過していました。現在は全ての普通が停車しますが、平成29年10月8日には誤って通過する事件が起きています。

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米津駅

西尾口13:12発普通新安城行き1351(6914)で米津へ。大正15年7月に今村(現:新安城)から伸びてきた碧海電気鉄道の終点として開業した駅で、2年後に途中駅となりました。各ホームの西尾寄りに駅舎があり、改札外の構内踏切で結ばれています。開業時の所在地は碧海郡明治村で、昭和30年に分割されて西尾市安城市碧南市編入されています。

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桜町前駅

米津13:24発普通西尾行き1350(6803)で桜町前へ。昭和3年に「中学校前」として開業し、昭和24年に改称されました。大村秀章愛知県知事や歌手の山本正之さんなどを輩出している県立西尾高校(←旧制西尾中学)の最寄り駅で、学生の利用が多いことから急行も停車します。トランパス導入以前は駅舎がありませんでした。

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西尾駅

桜町前13:38発急行吉良吉田行き1242(3115)で西尾へ。茶の産地としても有名な城下町・西尾市の代表駅で、日中の普通列車は当駅で折り返します。平成元年に高架化されており、ホームは島式1面2線。1番線で普通が折り返し、2番線に吉良吉田まで直通の急行が上下とも停車します。駅前はショッピングモールがあるものの、都市の規模の割に活気に乏しくやはり車社会なんだろうなと思わされます。

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吉良吉田駅 蒲郡線ホーム

西尾14:13発急行吉良吉田行き1340(6415)でみたび吉良吉田へ。中間改札を抜けて蒲郡線2番ホームへ。同じ2両編成とはいえ、ワンマンカーで駅に自動改札機もないため、西尾線と比べるとローカル線らしい雰囲気が一気に濃くなります。

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西浦駅

吉良吉田14:31発普通蒲郡行き1462(6012)で西浦へ。昭和38年に蒲郡市編入された宝飯郡西浦町の駅で、戦後に開湯した比較的新しい温泉地・西浦温泉の最寄り駅です。昭和24年11月改築の木造駅舎が残っており、西幡豆・東幡豆の木造駅舎が解体された後も残る予定ですが、老朽化が進んでいるため今後が案じられます。(R4-8-17追記:令和4年8月27日にありがとうイベントが開催され、秋から冬にかけ解体される予定です)

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形原駅

25分歩いて形原へ。昭和37年に蒲郡市編入された宝飯郡形原町の駅で、かつては特急停車駅でした。駅舎は昭和62年8月に火災で焼失して翌年再建されたもので、かつては三河観光バスに委託された窓口がありました

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蒲郡競艇場前駅

形原15:23発普通蒲郡行き1560(6010)で蒲郡競艇場前へ。昭和43年10月に拾石駅と塩津駅を統合して開業した駅で、東海道本線三河塩津駅に隣接しています。駅舎はホーム蒲郡寄り先端にあり、跨線橋三河塩津駅と共用しています。三河塩津駅の方は普通しか停まらず本数が多いとは言えないので、おそらくここでJRに乗換える人はほとんどいないでしょう。

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三河鹿島駅

蒲郡競艇場前15:43発普通吉良吉田行き1563(6210)で三河鹿島へ。明治22年の町村制で塩津村が成立するまで存在した宝飯郡鹿島村に由来する駅で、旧塩津村(昭和29年の合併で蒲郡市に)時代から続いている唯一の駅です。塩津村には他に拾石、竹谷、江畑の3駅がありましたが、竹谷と江畑は昭和28年に統合されて塩津駅となり、昭和43年には拾石駅と統合されて蒲郡競艇場前駅となりました。三河鹿島駅はかつては島式ホームの交換可能駅でしたが、昭和36年11月に棒線化され、昭和40年6月に無人化。駅舎も無人化後に撤去されました。かつては大きな駅だったことを思わせるような不自然な空き地があります。

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蒲郡駅

三河鹿島15:56発普通蒲郡行き1562(6011)で蒲郡へ。昭和11年三河鉄道本線の終点として開業した駅で、名鉄三河線となった後、昭和23年に蒲郡線の駅となりました。JR東海道本線との乗換駅で、かつては改札を共用していましたが、平成12年に高架化された後、平成17年に改札が分離されました。一見立派な駅のようですが、自動改札機は設置されていません。

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三河鳥羽駅

蒲郡16:11発普通吉良吉田行き1661(6211)で三河鳥羽へ。昭和4年8月の開業から11年7月の三河鹿島延伸まで7年間終点だった駅で、当駅から先は資金不足により非電化での開業となったため、昭和21年の電化までは当駅で乗換が行われていました。相対式ホームの交換可能駅で駅舎は無く、ホーム間は公道の踏切を介して連絡しています。

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東幡豆駅

三河鳥羽17:05発普通蒲郡行き1760(6011)で東幡豆へ。猿ヶ島、うさぎ島への観光拠点として賑わった歴史を持つ駅ですが、今では利用者も少なくひっそりとしています。駅舎昭和34年に改築されたものですが、老朽化により12月頃から解体される予定です。隣の建物は旧売店で、こちらも同じく解体されます。10月10日には西幡豆駅と共にありがとうイベントが開催されて大いに賑わったそうです。地元利用者以外にはほとんど知られず、鉄道ファンからも注目されずに消えていく駅舎が多い中、最後に晴れの舞台が設けられて送られるこの駅舎はきっと幸せものでしょう。イベント一週間前の日曜となったこの日、他にも駅を撮影している人の姿を多く見かけました。

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西幡豆駅

東幡豆17:27発普通吉良吉田行き1761(6210)で西幡豆へ。平成23年の合併で西尾市となった旧幡豆郡幡豆町の役場最寄り駅で、かつては特急も停車していました。早ければ今月中にも解体される予定の駅舎は、西尾市の情報によれば昭和35年改築。しかし、Wikipediaにある電化前(戦後すぐ?)の写真にも同じ形の駅舎が写っているので、もっと古いのかもしれません。ちなみにこの駅舎のような片流れ屋根の駅舎は昭和20年代に多く建てられたもので、現存するものは多くありません。

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こどもの国駅

西幡豆17:37発普通蒲郡行き1762(6210)でこどもの国へ。昭和49年10月、遊園地「愛知こどもの国」の開園に合わせて洲崎駅を移転した駅で、昭和51年10月に改称されました。単式ホームの高架駅で、かつては階段を下りたところに三角屋根の駅舎がありました。名鉄で最も利用者の少ない駅で、訪問した夕暮れ時には人の気配もほとんどなく寂しげでした。とは言え、周囲に住宅はそれなりにあり、秘境駅には程遠い状況です。

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ラーメン

こどもの国17:54発普通吉良吉田行き1763(6211)と吉良吉田18:15発急行弥冨行き1943(5101)を乗り継いで名鉄名古屋へ。熟成豚骨ラーメン専門店 大名古屋一番軒の黒豚骨ラーメンで夕食としました。

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河和駅

夕食の後は夜行バスまで時間を潰さないといけないので、名鉄名古屋19:56発急行河和行き1972(3534)に乗り続けて終点の河和へ。20:57発特急名鉄名古屋行き419(1414)で折り返し、21:47発普通犬山行き2197(3255)に乗り換えて岩倉へ。

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岩倉駅

岩倉で折り返すのに特に意味はないのですが、せっかくなので駅舎も撮っておきます。とはいえ、日没後なのでいずれまた撮りに来ることになるでしょう。

22:15発普通豊明行き2294(5003)で名鉄名古屋へ。太閤通ビックカメラ前23:10発ウィラーエクスプレスP453便に乗車し、帰途に就きました。

10/1 近畿地方消えゆく庁舎めぐり

この日は消えゆく庁舎を求めて近畿地方を回りました。

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早朝の京都駅

池袋サンシャインシティ21:50発グレースライナーGR101便に乗車し、京都駅八条口に到着したのは翌朝5:55。この時間でもまだ薄暗いことに日が短くなったなと感じます。

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桜井駅

京都6:05発急行橿原神宮前行き661(8584)と大和八木7:07発急行五十鈴川行き621(2613)を乗り継いで桜井へ。下車するのは実に6年ぶりです。

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桜井市役所 旧庁舎

8分ほど歩いて桜井市役所へ。9月21日より新庁舎での業務を開始し、役目を終えた旧庁舎は昭和42年竣工(昭和57年増築)。まもなく解体されるようで一部が囲われていましたが、何とかその姿を拝むことができました。設計は久米建築事務所。立ち姿がかっこいい庁舎です。

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大和高田市役所 旧庁舎

桜井8:14発普通五位堂行き9840(2535)で大和高田へ。今度は15分歩いて大和高田市役所へ。7月12日に道路のはす向かいの新庁舎に移転して役目を終えた旧庁舎は昭和38年3月築の地上4階地下1階建て。既に解体工事が始まっていましたが、形は残っていました。

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高田市駅

20分歩いて高田市駅へ。吉野方面の列車はちょうど行ってしまったところでした。

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吉野口駅

高田市9:24発急行吉野行き3823(6043)で吉野口へ。JRへの乗り換え待ちの時間で駅舎を撮影。この駅で降りるのは3度目ですが、いい駅舎は何度見てもいいものです。

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五条駅

吉野口10:06発普通和歌山行き445M(クモハ226-1030)で五条へ。この駅で降りるのも6年ぶりですが、待合室には相変わらず柿の葉寿司の売店が健在でした。

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五條市役所

12分歩いて五條市役所へ。11月10日に新庁舎に移転する予定で、現庁舎はまもなく見納めとなります。2階建ての本庁舎(右手)は昭和36年4月、3階建ての別館は昭和48年7月竣工といずれも老朽化が進んでいます。裏手には2階建ての分庁舎(平成元年9月)と3階建ての第二分庁舎(平成11年4月)があり、いくつもの建物に分かれていることも業務の効率化を妨げているようです。

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五條市役所 新庁舎

駅へ戻る途中、新庁舎を撮影。広い駐車場を備えた新庁舎は国や県の施設とも一体となった立派なもので、町家をイメージした落ち着いたデザインの中に五條のあかね染を想起させるルーバーがいいアクセントになっています。増築を重ね、ごちゃごちゃとしたイメージの現庁舎から一転して見違えるようで、末永く愛される庁舎となるのは間違いないでしょう。

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大塩駅

五条駅に戻り、11:30発普通奈良行き440T(クモハ227-1005)で吉野口へ。吉野口11:44発普通橿原神宮前行き8120(6308)と橿原神宮前12:03発普通京都行き1280(8304)、大和八木12:13発急行大阪上本町行き1026(2512)、鶴橋12:49発普通尼崎行き4294、尼崎13:18発直通特急山陽姫路行き9433H(5602)と乗り継いで一気に大塩へ。来年3月の橋上化を目指して絶賛工事中の駅で、昭和62年10月改築の地平駅舎の後ろには既に橋上駅舎が姿を現しています。

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踏切から見た大塩駅

駅舎から2面4線のホームへは構内踏切で連絡しています。この手の主要駅では私鉄においてもすっかり貴重になった構内踏切ですが、橋上化の進展によって姿を消し、ホームの延長が行われる予定です。

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ホームからはみ出した6両目

この駅の名物ともいえるのが、上りホームの長さが足りないことによって発生する「ドアカット」。ホームの長さが6両編成には少し足りず、上りの6両編成の列車の場合、6両目のみドアが開きません。これも全国的に珍しくなった光景ですが、橋上化によって行われるホームの延長で姿を消す予定です。

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伊保駅

大塩14:55発普通阪神三宮行き1424H(3636)で伊保へ。下りホーム姫路方に昭和57年3月改築の小さな駅舎がある無人駅です。ホーム明石方で2時間ほど列車を撮影してから、高砂市役所へと歩きはじめました。

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高砂市役所

高砂市役所へは徒歩5分。ここは11月15日と22日の2度に分けて新庁舎へ段階的に移転して役目を終える予定です。本庁舎は昭和32年竣工で、西側は昭和41年増築。裏手には昭和43年竣工の議会棟がありましたが、新庁舎建設に伴って解体されています。

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伊保を後に

伊保17:56発普通新開地行き1724(3060)で新開地へ。本を読んで時間を潰してから20:02発特急阪急梅田行きK2002(1055)で梅田へ。帰りは梅田モータープール23:00発グレースライナーGR202便に乗車しましたが、モータープールはお世辞にも長時間バスを待てる環境ではなく、できることならバスタ新宿的なしっかりとしたターミナルをつくって集約してほしいものだと思いました。

9/26 東武鬼怒川線・日光線駅めぐり

東武本線乗り放題デジタルフリーきっぷ駅めぐり2日目は日光・鬼怒川方面へ。

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下今市駅

高田馬場4:48発山手線外回り0403G(クハE234-31)、日暮里5:14発快速勝田行き321M(サハE530-2015)、北千住5:45発区間急行南栗橋行き2603(14437)、南栗橋6:32発普通東武宇都宮行き413(24442)、新栃木7:13発普通東武日光行き911(24421)を乗り継いでまずは下今市へ。日光線鬼怒川線の分岐駅で、特急を含むすべての列車が停車します。駅舎はSL大樹運転開始に合わせて平成29年7月に改築されたもので、レトロ調デザインです。

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下今市駅 旧駅舎(H28-7-26)

改築前の旧駅舎は昭和4年7月開業時に建てられた木造駅舎で、とても乗り換え客で賑わう運行拠点駅とは思えないほどこじんまりとしていました。この日は奇しくも旧駅舎を撮った日と同じように雨、予定では駅めぐりの合間に鬼怒川温泉と日光を散策するはずでしたが、変更を余儀なくされることに。

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小佐越駅

下今市8:16発特急リバティ会津101号会津田島行き1101(509-3)で小佐越へ。大正13年11月に下野電気鉄道「小佐越前」駅として開業した駅で、昭和5年7月に改称されています。駅舎は東武ワールドスクウェアの最寄り駅として平成5年4月に改築されましたが、平成29年に東武ワールドスクウェア駅が開業するとアクセス駅としての役目をそちらに譲り、駅係員の派遣も行われなくなりました。古くから残る玉石積盛土式ホームは国の登録有形文化財に指定されています。

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大桑駅

小佐越8:41発特急リバティきぬ114号浅草行き1114(514-3)で大桑へ。昭和29年の今市市成立まで存在した旧河内郡豊岡村の駅で、大正6年に下野軌道の駅として開業しました。西口に素っ気ないデザインの駅舎があり、狭くカーブした島式ホームとは跨線橋で結ばれています。ホームは玉石積盛土式で、こちらも国の登録有形文化財です。

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東武ワールドスクウェア駅

大桑9:00発普通新藤原行き307(6273)で東武ワールドスクウェアへ。世界の名所を25分の1スケールで再現した東武ワールドスクウェアの最寄り駅で、平成29年7月22日に開業しました。開業当初、運賃は小佐越駅と同一扱いで、列車も日中のみの停車でしたが、平成31年3月に運賃計算上で独立し、令和2年6月より終日全列車が停車するようになりました。単式ホームの無人駅で、駅設備は至ってシンプルです。

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大桑でSL大樹1号と交換

東武ワールドスクウェア9:28発普通東武日光行き310(6169)に乗車。途中の大桑でSL大樹1号と行き違いを行いました。対向の普通列車の乗客もスタッフや地域住民と一緒にSL列車のお見送りをするという光景はなかなか心温まるものです。

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大谷向駅

大谷向で下車。大正6年に下野軌道の「大谷向今市」として開業し、大正8年に改称された駅で、今市から見て大谷川の向こう岸にあることからこの地名が付いたのでしょう。下野電気鉄道となった後、一度廃止されましたが昭和6年に再開業しています。この駅のホームも玉石積盛土式で、登録有形文化財に指定されています。

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新高徳駅

大谷向9:59発普通新藤原行き101(6176)で新高徳へ。大正6年に下野軌道の「高徳」として開業した駅で、昭和4年の改軌時に改称されています。大正13年から昭和34年まで東北本線矢板駅とを結ぶ矢板線が分岐していました。レトロ調に改装された木造駅舎が残るほか、改軌時に建設されたホームと上屋が残っており、ホームと上屋は国の登録有形文化財に指定されています。

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上今市駅

新高徳10:33発普通東武日光行き312(6173)で上今市へ。平成18年の合併で日光市となった旧今市市中心市街の西部にある駅で、ログハウス風駅舎の前には水車が設置されています。駅舎は平成7年ごろに改築されたもので、日光杉並木ギャラリーが併設されています。

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鬼怒川温泉駅

上今市11:15発普通下今市行き712(6172)で下今市へ。下今市からは11:21発普通新藤原行き311(24434)に乗車し、21分間の停車時間を利用して鬼怒川温泉駅を撮影。言わずと知れた有名観光地・鬼怒川温泉の玄関口で、多くの列車が当駅で折り返します。駅舎は昭和39年10月の移転時に建てられたもので、元は白を基調としたデザインでしたが、SL大樹運転開始に合わせて改装され、黒ベースで木材を多用したデザインとなりました。3年前の6月に来た時と比べるとやはり活気に乏しく、観光地の置かれた厳しい状況が感じられます。

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鬼怒川公園駅

再び12:07発普通新藤原行き311(24434)に乗車し、鬼怒川公園へ。鬼怒川温泉街の北端近くにある駅で、当駅付近にも多くの旅館・ホテルが立地していますが、車窓からは廃墟が目立ちます。かつては特急「きぬ」の折り返し駅として賑わい、駅舎も大きかったようですが、駅舎は平成28年ごろに待合室を減築の上改装、折り返しの「きぬ」も平成29年に廃止され、令和2年6月22日にはついに無人化されてしまいました。今なお多くの観光客で賑わう鬼怒川温泉駅と比べると光と影のようです。

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東武日光駅

鬼怒川公園12:24発普通東武日光行き318(21434)で東武日光へ。世界的観光地・日光の玄関口で、終日多くの特急列車が発着しています。昭和54年10月改築の駅舎は山小屋風の2階建てで、2階にはコインロッカーと祈祷室が設けられています。1階には観光案内所、待合室があり、待合室を囲むように土産物屋と駅弁屋が店を並べており、なかなかの賑わいです。

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駅弁 とちぎ霧降高原牛めし

せっかくなので駅弁を購入して、待合室で昼食とします。牛めしに煮卵の組み合わせは珍しいですが、これがなかなか美味しかったです。東武日光駅には複数社の駅弁が置かれているので、何度来ても楽しめそうですね。

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日光軌道線 109

駅前には昭和43年に廃止された日光軌道線の車両が展示されています。この109号は日光軌道線の廃止後は岡山電気軌道で平成25年まで活躍し、日光へと里帰りした経緯を持つ車両です。東武日光駅前には昨年から展示されており、綺麗な状態が保たれていますが、屋根がないのが気にかかります。

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東武金崎駅

東武日光13:43発普通新栃木行き926(21421)で東武金崎へ。平成23年栃木市と合併した旧下都賀郡西方町の玄関口で、急行は停車しませんが駅員が配置されています。

金崎は日光例幣使街道15番目の宿場・金崎宿として栄えたところで、「東武」を冠したのは、東北本線金ケ崎駅または鞆鉄道金崎駅との混同を避けるためだったと言われています。日光線ではすっかり貴重になった木造駅舎は昭和4年4月開業時に建てられたものだと思われます。

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新大平下駅

東武金崎15:15発普通新栃木行き928(21434)と新栃木15:28発普通南栗橋行き450(21442)を乗り継いで新大平下へ。平成22年の合併で栃木市となった旧下都賀郡大平町の玄関口で、東口駅前に大平総合支所(旧大平町役場)があります。JR両毛線大平下駅へは約1.2㎞。日立グループの事業所への通勤需要が大きいためか急行も停車します。

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静和駅

新大平下16:12発普通南栗橋行き452(21443)で静和へ。平成26年に栃木に編入された旧下都賀郡岩舟町の駅で、昭和31年の岩舟村成立以前は静和村でした。静和村は明治の町村制で静戸村、三和村、和泉村、五十畑村、曲ヶ島村が合併して誕生した村で、旧村名からの合成地名でしょう。昭和4年4月の開業からわずか3カ月間「東武和泉」を名乗っていました。木造駅舎はおそらく開業時に建てられたものでしょう。地下通路入口前には駅員さんが育てているのであろう盆栽が飾られていました。

ちなみに岩舟町と栃木市の合併は平成の大合併の最後を飾ることになり、令和3年現在最新の市町村合併となっています。

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藤岡駅

静和16:30発普通南栗橋行き454(21441)で藤岡へ。平成22年に栃木市と合併した旧下都賀郡藤岡町の駅で、足尾銅山鉱毒事件で廃村となった谷中村跡に造られた渡良瀬遊水地の最寄り駅です。昭和4年4月開業時に建てられたと思われる木造駅舎は今年に改修工事が行われており、まだしばらくは現役を続けそうです。群馬県藤岡市の代表駅である群馬藤岡駅が開業したのは昭和6年7月のことで、もしこちらが先に開業していれば「藤岡」の駅名を取られて「東武藤岡」か「下野藤岡」と名乗ることを余儀なくされていたことでしょう。

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板倉東洋大前駅

藤岡17:05発普通南栗橋行き456(21413)で板倉東洋大前へ。東武日光線では唯一群馬県にある駅で、邑楽郡板倉町唯一の駅ですが、板倉町中心部からは離れています。地元からの請願によって平成9年3月に開業しました。島式2面4線の立派な橋上駅です。その名の通り東洋大学板倉キャンパスの最寄り駅ですが、東洋大学は板倉キャンパスにある学部を朝霞と赤羽台に移転することを発表しており、この駅の未来も明るくなさそうです。

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板倉東洋大前駅 ホーム

板倉東洋大前17:35発急行南栗橋行き30(6172)で帰途に就きます。南栗橋で17:50発急行中央林間行き1778T(53051)に乗り換え、北千住からは18:41発快速品川行き1890H(サハE231-177)、日暮里18:54発山手線内回り1814G(モハE234-69)と乗り継いで帰宅しました。