まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

3/5 弥生の越美北線駅めぐり

越美北線駅めぐり、二日目はまだ暗い夜明け前の越前大野駅からスタート

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早朝の越前大野駅

2番ホームに停車しているのは4:58発普通福井行き720D。この列車が発車するとすぐに5:10発(冬季時間変更)普通九頭竜湖行き721D(キハ120-204+キハ120-201)が入線。

一つのホームをそんな慌ただしい使い方をしなくてもいいのにと思ってしまいますが、車庫からの配線の都合なのかもしれません

ちなみに721Dは3月13日ダイヤ改正で廃止となり、列車は送りこみの回送列車として九頭竜湖へと向かうことになりました。

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九頭竜湖駅

予定では越前下山で降りる予定でしたが、寝過ごしてしまい終点の九頭竜湖まで乗車。

平成17年に大野市編入された旧大野郡和泉村の中心地にある駅で、昭和47年に越美北線の終着駅として開業しました。鉄道開通前、国鉄バス時代は「越前朝日」という駅名でしたが観光客誘致のためにこの駅名になりました。越美北線はこの先、石徹白を経て越美南線(長良川鉄道)の北濃駅まで伸びる予定でしたが、果たされることはありませんでした。

駅舎は昭和62年改築のログハウス風で、道の駅九頭竜が隣接しています。初代駅舎は開業からわずか15年で改築されてしまい、短命でした。

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九頭竜湖で発車を待つ722D

平成17年にNHKで放送された「列島縦断 鉄道乗りつくしの旅」では春編のゴールと秋編のスタートがこの駅で、関口知宏さんが列車と代行バスを乗り継いで九頭竜湖までやってきていたシーンを見たのを今も覚えています。九頭竜湖駅の存在をこの番組で知ってから、実際に来るまで実に16年もかかりました。

もっとゆっくりと周辺も見たいところですが、5:51発(冬季時間変更)普通福井行き722D(キハ120-201+キハ120-204)で早々と折り返します。九頭竜湖駅は本当に本数が少なく、この列車を逃すと次は10:57まで5時間以上列車がありません。和泉村の学生が大野の学校までの通学に使うにはなんとも中途半端なダイヤだと思いますが、もしかしてこの区間は通学にはほとんど使われていないのでしょうか

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越前大宮駅

722Dで越前大宮へ。昭和35年に開業した駅で、昭和30年の足羽郡美山村成立まで存在した旧大野郡羽生村の中心部に位置します。

駅名からして近くに大きな神社でもあるのだろうと思いましたが、地図で見ても駅周辺には小さな神社しかありません。由来について検索してみると興味深いブログ記事が見つかったので貼っておきます。

朝倉義景の見た大宮村の風景(その4): 無題(越前大宮のことなど)

 「大宮」は消えても地名としては数百年も残り続けついには駅名として全国に知られるようになる、何ともロマンを感じさせる話だと思います。

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計石駅

越前大宮6:53発普通越前大野行き723D(キハ120-202+キハ120-205)で計石へ。昭和35年に開業した駅で、造りは越前大宮とほぼ同じですが、交通量の多い国道158号に面しています。福井駅から27㎞、越美北線だと一時間弱かかりますが、平成の大合併で足羽郡美山町福井市編入された結果、ここが福井市内最東端の駅となりました。当駅を出ると列車はすぐに分水嶺を越えて足羽川流域から九頭竜川流域へと入ります。九頭竜線という愛称が付いているのに計石までずっと並走するのは足羽川とその支流、正直実情に即していないのではないかと思ってしまいます。

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越前東郷駅

計石7:26発普通福井行き724D(キハ120-205+キハ120-202)で越前東郷へ。昭和30年7月まで存在した旧足羽郡東郷村の中心部にある駅で、のどかな景色の中を走る越美北線の駅には珍しく、駅前に町らしい町が形成されています。

東郷村は、昭和30年3月に足羽村が合併によって成立すると周りを囲まれた形になりましたが、その状態が続いたのもわずか4カ月で足羽村編入されて消滅。足羽村越美北線開業の4か月前、昭和35年8月に町制施行して足羽町となりますが、その役場は東郷に置かれていました。足羽町は昭和46年に福井市編入。駅が開業したのは東郷が足羽町の中心だった頃のこと、町の玄関口として大いに栄えた時期があったのでしょうね。

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越前東郷駅 ホーム

線内では数少ない駅舎のある駅で、当初は交換駅として駅員も配置されていました。かつての1番線は今も残され、ぱっと見交換可能駅のようでもありますが、途中でぶった切られて単なる留置線となっているので交換駅としての機能はありません。

交換設備の維持費という問題はあるのでしょうが、残しておけば増便の社会実験で利用促進という方法も取れるのに勿体ないなと思います。

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一乗谷

寄り道もしながら50分ほど歩いて一乗谷へ。一乗谷朝倉氏遺跡の最寄り駅で、駅から見えるところでは資料館ガイダンス棟の建設工事が進められています。しかし、駅があるのは一乗谷のほんの入口と言ってもいいような場所で、朝倉義景館跡までは徒歩で30分以上かかります。列車の本数も少ないですし、一乗谷を訪れる観光客の多くは車かバス利用でしょう。昭和30年の足羽町成立までは足羽郡一乗谷村という独立した自治体でしたが、かつての村の中心は遺跡よりもさらに谷を分け入ったところだと思われます。

平成16年豪雨から全線復旧までの約3年間、福井方面からの列車は当駅で折り返していましたが、代行バスへの乗り換えは越前東郷で行われていました。

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勝原駅

一乗谷9:26発普通九頭竜湖行き725D(キハ120-204+キハ120-201)で勝原へ。昭和35年12月の開業から昭和47年12月の九頭竜湖延伸までの12年間、越美北線の終着駅だった駅で、越前東郷のものを一回り小さくしたブロック造りの駅舎が残っています。越美北線は開業時からほとんどの駅が無人駅なので、途中駅のうち駅舎が建てられたのは越前東郷、美山、越前大野、勝原の4駅のみでした。そのうち美山と越前大野は改築または増築されたので、原型を留める駅舎は越前東郷と勝原の2駅のみです。

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勝原駅遠望

駅があるのは昭和29年の大野市成立まで存在した旧大野郡五箇村の村域で、小集落があるだけの深い山間です。昭和40年から3年間だけ貨物取扱があり、今も引込線が残っていますが、訪問時は雪に埋もれかけていました。

駅裏は勝原園地という無料キャンプ場になっており、事前予約なしで一年中利用できるようです。荷物がかさばりそうですが、越美北線に乗ってキャンプしに来るのもいいかもしれませんね。

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越前高田駅

勝原11:08発普通福井行き728D(キハ120-204)で越前高田へ。昭和39年5月、足羽・越前田野と同時に開業した駅で、山間の集落の中にひっそりと存在しています。天気は生憎の雨ですが、隣の市波まで歩いていかなければなりません。

ただ、雨の日の駅と言うのもそれはそれで雰囲気は良いので、カメラが濡れるのと傘で片手が塞がることを除けば個人的には好きです。

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市波駅

20分歩いて市波へ。昭和30年の美山町成立まで存在した旧足羽郡下宇坂村の中心部にある駅で、越前東郷ほどではないものの町らしい雰囲気が漂っています。明治22年の町村制施行で下宇坂村になる前は市波村でした。周辺駅と比べると周辺に建物が多くありますが、それでも一日の利用者は20人にも満たないようです。

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越前下山駅

市波13:15発普通九頭竜湖行き727D(キハ120-202)で越前下山へ。昭和47年12月、越美北線九頭竜湖まで開通した際に設置された駅で、荒島トンネルと下山トンネルに挟まれた築堤上にあるため眺めは良いです。険しい山々をトンネルで真っすぐ貫き、川を高架橋で渡るこの区間は鉄建公団により建設された区間で、同時期に公団によって建設された路線の駅とは造りが共通しています。

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越前下山駅

深い山間だけあってまだまだ雪が多く残っており、高い位置にあるホームから見える景色は白一色。雨のため山には靄がかかって幻想的でした。越美北線で一番の絶景駅だと思います。

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越前薬師駅

越前下山14:38発普通福井行き730D(キハ120-202)で越前薬師へ。昭和35年に開業した駅で、越美北線無人駅の標準スタイルですが、ホームが緩くカーブしています。

薬師の集落の外れにあり、国道158号や集落との間には羽生川が流れています。地名からしてかつては薬師如来を祀る寺院でもあったのでしょうか。

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大野駅

越前薬師15:33発普通越前大野行き729D(キハ120-201)で北大野へ。大野市街の北の外れにある駅で、高校が近くにあって学生の利用が多く見込まれるためか、ホーム上の待合室は周辺駅のものと比べて大きめです。開業は昭和43年3月、待合室の仕様の違いには開業時期も関係しているのでしょう。

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通行止めの橋

隣の牛ヶ原まで田園地帯の中を歩いて向かいます。ところが、最短ルート上での赤根川にかかる橋が通行止めになっていました。理由や時期は記されていませんでしたが、橋の見た目からして老朽化によるものでしょう。確かにこれは下手に踏み抜くと大怪我しかねません。周囲に人家も少なく、通行者もいないので改修されることなく放置されているのでしょうね。

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牛ヶ原駅

仕方ないので迂回して、30分で牛ヶ原へ。大野盆地の北西部、旧大野郡乾側村の田園地帯にある駅で、ホームが小高く、遮るものがないため越前下山ほどではありませんが見晴らしは良いです。晴れていれば越前大野城も見えるそうですが、この日は雨で見えませんでした。ホームは入口部分が改修されてバリアフリー化されていますが、これはおそらく踏切で交差する道路を拡幅した際にでも行われたものでしょう。

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牛ヶ原駅と飯降山

駅の背後に見えるひときわ高い山は福井市美山町との境に聳える飯降山。怖い昔話として有名な「飯降山」の舞台です。昔、三人の尼僧がこの山で修業をしていたところ、おにぎりが3つ空から降ってくるようになったので、一人の尼が独り占めしようと他の二人を谷に突き落としたところおにぎりが降ってこなくなったという話ですが、まんが日本昔ばなしでも放送され、多くの子どもたちのトラウマとなったそうです。

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越前花堂駅 越美北線ホーム

牛ヶ原17:15発普通福井行き732D(キハ120-201)で越前花堂へ。北陸本線越美北線の分岐駅ですが、昭和35年開業時は越美北線の単独駅で、北陸本線側にはホームが設けられていませんでした。その経緯から両線のホームは少し離れていますが、その開いた空間に現在は北陸新幹線の高架が建設中です。

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越前花堂駅

北陸本線のホームが設置されたのは昭和43年10月。いわゆるヨン・サン・トオのダイヤ改正に合わせての開業です。駅舎は北陸本線の下りホームに接して建設されているので、おそらくは北陸本線ホームと共に建設されたものでしょう。貨物駅である南福井駅にも隣接しています。

越美北線駅めぐりはこれにて終了。越前花堂18:21発普通敦賀行き354M(クモハ521-41)、敦賀19:19発普通京都行き1841M(クハ222-2018)、京都21:14発新快速網干行き3539M(サハ223-2028)、尼崎21:58発快速宝塚行き5537M(クモハ321-36)を乗り継いで宝塚へと帰りました。