まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅めぐり旅~

駅めぐりの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

3/16 東武下町フリーきっぷ(伊勢崎線・亀戸線)駅めぐり

この日は東武下町フリーきっぷを使い、伊勢崎線亀戸線の駅を巡りました。転居を控えているので、東京の駅を近場として巡るのはこれが最後になります。

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北千住駅

高田馬場8:49発山手線外回り8333G(モハE235-9)で出発し、日暮里で定刻約56分遅れの8:17発常磐線勝田行き339M(クハE531-16)で北千住へ。羽鳥~石岡間人身事故の影響で遅れていました。北千住は常磐線東武伊勢崎線日比谷線・千代田線・つくばエクスプレスが集まる東京北東部のターミナル駅で、一日当たり乗降客数は世界第6位です。東武の駅は2面4線の1階ホームと日比谷線及び直通運転をする各駅停車が発着する2面3線の3階ホームから成る2層構造で、浅草を差し置いて伊勢崎線の実質的なターミナル駅となっています。一日平均乗車人員は東武の駅の中で第一位です。

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牛田駅

北千住を散策してから、10:14発普通浅草行き826(11665)で牛田へ。京成関屋駅と向かい合って存在する駅で、なぜ駅名が統一されていないのか不思議になるくらいの近さです。駅名の由来は「牛田圦(うしだいり)」と呼ばれた農業用水路にちなみます。

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堀切駅

牛田10:26発普通浅草行き828(11660)で堀切へ。改札口はホームごとに分かれており、改札内での行き来はできません。下りホーム側の駅舎はこじんまりとした木造駅舎です。駅周辺はドラマ「3年B組金八先生」のロケ地になったことで有名です。鎌倉時代初期、当地を治めていた葛西氏の一族、御城蔵人正房(みじょうくらうどまさふさ)が居を構えて、周囲に堀をめぐらせたことが地名の由来です。駅は堀切菖蒲園の花見客の便を図るために開業しましたが、荒川の改修で菖蒲園は対岸になってしまいました。

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鐘ヶ淵駅

堀切10:38発普通浅草行き830(14607)で鐘ヶ淵へ。通過線を持つ駅で、駅舎はホームごとに分かれています。元和6(1620)年、橋場、石浜にあった寺院が亀戸村に移転する際、寺の鐘を船に載せて運ぼうとしたところ、水中に落として引き上げることができなくなったことから、鐘が沈んだところを「鐘ヶ淵」と言うようになりました。化粧品会社の「カネボウ(鐘紡)」は「鐘淵紡績」の略称で、当地創業であることにちなみます。

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東向島駅

鐘ヶ淵11:00発普通浅草行き834(11657)で東向島へ。東武博物館の最寄り駅で、明治35年4月1日開業時は「白髭」、一度廃止されて復活してからは「玉ノ井」を名乗っていました。昭和62年12月21日に現駅名に改称されています。

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浅草駅

東向島11:12発普通浅草行き836(13667)で浅草へ。東武伊勢崎線系統のターミナル駅で、浅草寺など多くの観光地の最寄り駅です。東武の駅は昭和6年5月25日に「浅草雷門」として開業し、昭和20年1月に改称されています。地上7階地下1階の駅ビルの2階に頭端式ホームがあり、南海難波駅と並んで戦前の郊外私鉄ターミナル駅の面影を今に伝える貴重な存在です。1階から入ると正面に改札まで上がる階段とエスカレーターが設置されている非常に分かりやすい構造で、渋谷駅や新宿駅にも見習わせたくなります。ホームは先端が極めて狭く、列車との間も空いているためにドアカットが行われています。

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とうきょうスカイツリー駅

浅草11:42発普通北千住行き841(14665)でとうきょうスカイツリーへ。明治35年4月1日、東武鉄道の最初のターミナル駅吾妻橋」として開業した駅ですが、亀戸線が開業すると乗り入れ先の総武鉄道(現:総武本線)両国橋駅(現:両国駅)がターミナル駅となったためにわずか2年で一時的に廃止となりました。のちに貨物駅として再開し、総武鉄道が国有化されるとターミナル駅として返り咲きました。「浅草」に改称され、鉄道で運ばれてきた貨物が船に積み替えられる拠点として賑わったこともありましたが、隅田川を越えて浅草延伸が実現すると「業平橋」に改称されて中間駅となりました。「業平橋」は大横川にかかる橋の名で、在原業平が亡くなった場所にあった業平塚に由来する業平天神社の近くにあった事からこの名がつきました。業平塚については、力士成川運平または里見成平の墓と言う説もあり正確なことははっきりしないようです。業平橋駅は浅草駅の手狭さゆえにその後も貨物のターミナル、浅草駅に入線できない10両編成の列車の折り返し駅として重要な地位をしめていましたが、貨物営業は平成5年3月25日に廃止、10両編成も平成15年3月19日より半蔵門線に直通するようになりました。貨物ヤード跡地は再開発されて東京スカイツリータウンとなり、平成24年3月2日竣工、駅名も3月17日に改称されました。

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押上駅

とうきょうスカイツリー12:05発普通北千住行き845(16607)と曳舟12:15発急行中央林間行き1111K(5010)で押上へ。半蔵門線との境界駅で、駅自体は東京メトロが管理しています。とうきょうスカイツリー駅と同一駅扱いで、平成15年3月19日の半蔵門線直通開始に際して開業しました。

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曳舟駅

押上12:25発急行久喜行き1058T(56061)で曳舟へ。伊勢崎線の浅草方面と押上方面、亀戸線の分岐駅です。昭和42年2月22日に高架化されています。駅ビルは平成23年3月11日の東日本大震災で壁面が崩落する被害を受け、平成25年に解体、建て替えられたビルには平成29年4月1日に東京曳舟病院が開院しました。

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亀戸駅

曳舟12:33発普通亀戸行きB37(8570)で亀戸へ。亀戸線の終点で、総武本線亀戸駅に隣接していて頭端式1面2線のホームがあります。かつては総武鉄道(→総武本線)に乗り入れて両国橋(現:両国)駅をターミナルとしていました。都会のローカル線といった雰囲気で、かつては幹線の一部だったことから南海汐見橋線を連想させますが、列車本数は10分ヘッドと多く、乗客もそれなりに多いので汐見橋線ほどに鄙びてはいません。

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亀戸水神

亀戸13:13発普通曳舟行きA40(8677)で亀戸水神へ。亀戸水神社の最寄り駅で、亀戸天神の下車駅と勘違いされることが多いことから貼り紙がなされています。昭和3年4月15日開業当初はもっと南寄りにあり、昭和21年12月5日に北十間駅と統合されて現在地に移転しました。東京23区で9番目に利用者が少ない駅です。

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東あずま駅

亀戸水神13:25発普通曳舟行きB42(8670)で東あずまへ。昭和3年4月15日に「平井街道」として開業し、昭和20年5月20日に廃止、昭和31年5月20日に駅名を変えて再開業した駅です。昭和7年10月1日に東京市編入された吾嬬町(あずまちょう)の東部にあった事に由来し、漢字が難しいことからひらがな表記となったようです。

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小村井駅

東あずま13:37発普通曳舟行きA42(8677)で小村井へ。ホーム間が地下通路で結ばれている駅で、駅名は明治22年の町村制で吾嬬村が成立するまで存在した南葛飾郡小村井村に由来します。現在の地名「文花」の「文」は文教施設が多いことから、「花」は吾嬬神社の祭神弟橘媛から取られています。

まだまだ時間は早いですが、引っ越しの準備をしなければならないので、小村井13:48発普通曳舟行きB44(8670)と曳舟14:10発普通北千住行き869(5608)、北千住14:19発快速上野行き1382H(サハE231-204)、日暮里14:30発山手線内回り1468G(モハE235-141)を乗り継いで帰宅しました。