8/14 近畿地方庁舎めぐり+東海道本線・おおさか東線駅巡り
この日は解体予定の庁舎二つと近場で未訪問だった東海道本線2駅、おおさか東線の未訪問駅を巡りました

宝塚5:24発快速松井山手行き4514M(クハ207-115)、尼崎5:46発普通京都行き(クハ204-104)、大阪5:54発快速長浜行き700M(クモハ223-2087→京都で車間移動→クハ222-2087)を乗り継いで守山へ。守山市役所はこの日から新庁舎で業務開始で、先週末で役目を終えた旧庁舎はひっそりと静まり返っていました。旧庁舎は昭和40年に野洲郡守山町役場(守山総合ビル)として建てられたもので、昭和45年7月1日の市制施行後は守山市役所として半世紀以上に渡って使われてきました。

この日は業務開始となる新庁舎は設計:隈・安井設計JV、施工:竹中工務店で、いかにも隈研吾といった感じのデザイン。

市役所と道路を挟んで建つ農協の建物も建て替え工事中。高度成長期も撮れるうちに記録しておくに越したことはありません。

守山は中山道六十九次67番目の宿場町で、今も中山道沿いに古い建物が何軒か残っています。上写真中央の町家は69日の短命内閣だった第75代総理大臣・宇野宗佑の実家の造り酒屋で、現在は「うの家」として開放されています。


市役所から駅へ戻る道中で近代建築も撮影。小粒ながらいい味を出している建物が残っていました。

守山8:00発新快速姫路行き3412M(クハ222-2087)、京都8:45発区間快速奈良行き3653M(サハ221-20)で玉水へ。綴喜郡井手町の玄関口で、平成30年12月15日に橋上化されています。前回訪問は旧駅舎時代だったので、あまりの変わりように驚くばかりです。

駅近くの綴喜郡井手町役場は去る7月18日に新庁舎に移転済み。旧庁舎は本館が昭和43年7月、西別館が昭和55年1月、議会棟が昭和63年6月の建設で、木津川に近い浸水域に位置していたことから、山の手の田園地帯の中に移転しました。井手は奈良時代の貴族・橘諸兄ゆかりの地として知られています。

玉水9:52発みやこ路快速京都行き2606M(モハ220-16)、京都10:30発新快速姫路行き3439M(サハ223-2026)、新大阪11:04発おおさか東線大阪行き2439S(クモハ221-25)で大阪へ。3月18日に開業して以来まだ一度も訪問していなかった大阪駅うめきた新駅を撮影。あくまでも大阪駅の一部なので訪問駅数にはカウントしません。

改札口には顔認証システム付きのゲートが導入されています。全体的に近未来的な雰囲気が漂いますが、この駅が真価を発揮するのは周辺の再開発がもっと進んでからになるでしょう。まだシャッターが下ろされたままの通路が目立ち、「準備中」といった感じです。

梅田で待ち合わせてフォロワーと昼食を一緒に食べてから大阪13:53発快速米原行き772T(クモハ223-3040)で茨木へ。茨木市の代表駅で、新快速通過駅としては最も利用者の多い駅です。駅舎は昭和44年10月1日に橋上化、平成27年3月16日にリニューアルされているのでそれほど古い駅舎には見えません。

茨木14:19発普通高槻行き(クモハ321-19)でJR総持寺へ。平成30年3月18日に開業した駅で、駅前にはエレベーターを製造するフジテックの本社があります。駅名の由来は西国三十三所第22番札所の総持寺で、駅舎も総持寺をイメージしたデザイン。駅名公募時に最多だったのは「安威川」で、わざわざ阪急の駅名に被せに行かなくてもという感じがします。

JR総持寺14:29発普通須磨行き(クモハ320-23)、茨木14:37発快速網干行き779T(クハ221-6)、新大阪14:55発普通久宝寺行き2470S(クモハ221-25)で南吹田へ。ここからはおおさか東線の駅を巡っていきます。おおさか東線が放出から新大阪まで延伸開業したのは平成31年3月16日。いつのまにか4年も経っていましたが、乗るのも今回が初めてです。南吹田は東海道本線を跨いで別れてからすぐのところにある駅で、仮称は「西吹田」でした。吹田市内に位置するものの、両隣が大阪市内のためか運賃計算上は「大阪市内」の駅として扱われます。

南吹田15:13発普通久宝寺行き2472S(クハ221-10)でJR淡路へ。東淀川区内にある唯一のJR駅で、阪急淡路駅へは徒歩五分ほどで乗換可能です。平安時代、菅原道真が太宰府に流される途中、船が着いた当地を淡路島と勘違いしたという伝承から淡路の地名が付いたと言われています。

JR淡路15:31発普通久宝寺行き2474S(クハ221-7)で城北公園通(しろきたこうえんどおり)へ。旭区にある唯一のJR駅で、都島区との境界が近接しています。仮称は「都島」でしたが、地下鉄都島駅と離れていることなどから反対意見が多く上がっていました。駅名の由来は駅北方を通る道路で、当地は大正14年4月1日の大阪市編入まで東成郡城北村(しろきたむら)でした。私はこの辺りに縁がない人間なので、実際乗ってみるまでは「じょうほく」だと思っていました。駅近くの都島区毛馬は江戸時代の俳人・与謝蕪村の出身地です。

駅前の大東さくら児童公園はバスの廃車体が倉庫代わりに置かれています。ネット上にはトロリーバスの廃車体としてしている情報もありますが、車体の形状から見てものコックバスをスケルトン風に改造したいわゆる「バケルトン」ではないでしょうか。貴重な個体なのでできることなら復元してほしいものです。

城北公園通16:03発普通久宝寺行き2478S(クハ221-62)でJR野江へ。京阪野江駅に近接した駅で、地下鉄谷町線野江内代駅へも乗換可能です。正面から撮れない城北公園通とは対照的に、正面から一歩引いて撮るのが一番綺麗に写る駅です。

JR野江16:23発普通久宝寺行き2480S(クハ221-49)で鴫野へ。片町線との乗換駅で、この先、放出まで一駅間並走していきます。おおさか東線開業前に一度訪問していますが、駅の増改築で当時からはだいぶ変化しています。

鴫野16:41発普通久宝寺行き2482S(クハ221-80)で衣摺加美北へ。JR総持寺と同日、平成30年3月17日に新設された駅で、東大阪市衣摺(きずり)と隣接する大阪市平野区加美北に跨っています。仮称は「衣摺」で、大阪市平野区加美には既に「加美」「新加美」があることを考えると「衣摺」のままの方がシンプルでわかりやすかったのではないかという気がします。
おおさか東線はこれにて全駅訪問達成。衣摺加美北17:06発普通大阪行き2491S(クモハ221-49)、放出17:17発快速篠山口行き5503M(クハ206-1024)を乗り継いで宝塚へ帰りました。
8/9 溽暑の呉線・福塩線駅巡り
広島遠征二日目は下祗園を再訪してから呉線と福塩線の未訪問駅を中心に巡りました。

広島を5:40発普通梅林行き2731M(クモハ226-94)で出発し、下祗園へ。昨日は人や車が多くあまり写真を撮れませんでしたが、早朝ということもあって心ゆくまで撮影することができました。
改良工事中のこの駅についてはこちらの記事にまとめてあります。

下祗園6:15発発普通広島行き2734M(クモハ226-94)と広島6:42発普通坂行き2606M(クモハ227-34)で坂へ。安芸郡坂町の玄関口で、快速も停車します。駅舎は平成12年7月21日に橋上化。改札前では私服姿の6,70代くらいの男性が立って「○○です!おはようございます!」と行き交う人に挨拶をしていましたが、町会議員の朝立ちだったのでしょうか。

坂7:16発普通広行き608M(クモハ227-102)で川原石へ。呉市街を見下ろす築堤上の駅で、平成11年2月7日に現在地に移転しました。ホームからは中国地方唯一の現役円形校舎・呉市立港町小学校が見えます。昭和37年に建てられたもので、耐震性不足から解体が決定しています。

川原石8:06発普通広島行き621M(クモハ226-42)で天応(てんのう)へ。海に背を向けた立地の駅で、駅前には崖がすぐそこまで迫っています。古くからの木造駅舎が残っているものの、事務室部分は縮小されて断面はスッパリと切られています。明治36年12月27日開業時の所在地は安芸郡大屋村で、昭和26年11月3日に町制施行して安芸郡天応町となり、昭和31年10月1日に呉市に編入されました。

天応8:40発普通広島行き2913M(クモハ226-21)で呉ポートピアへ。阪急や呉市が出資した遊園地・呉ポートピアランドへのアクセス駅として開園前日の平成4年3月19日に開業した駅で、国道31号を挟んで向かい合っています。呉ポートピアランドは来園者減少により平成10年8月31日に休園し、平成12年7月20日に市民公園・呉ポートピアパークとして復活しています。遊園地の閉園に当たっては駅の廃止も取沙汰されましたが、周辺住民の利用もあったことから存続しています。ただしみどりの窓口は平成11年6月に営業終了し、令和3年4月1日からは無人駅となっています。

呉ポートピア9:12発普通広行き622M(クモハ227-25)で呉へ。吉浦駅構内踏切の安全確認をした影響で、9分遅れで到着しました。海軍呉鎮守府が置かれ、呉海軍工廠で世界最大の戦艦「大和」が建造された軍港都市・呉市の代表駅で、日中の普通列車は当駅で折り返します。駅舎は昭和56年7月7日オープンの四代目で、改札口は二階にあります。

13分遅れの呉9:42発普通広行き624M(クモハ227-42)で安芸阿賀へ。呉市の中心部と休山で隔てられた阿賀地区にある駅で、平成18年7月1日に半橋上駅舎に改築されています。駅周辺は昭和3年4月1日に呉市に編入されるまでは賀茂郡阿賀町で、市の中心との間には路面電車も走っていました。

2分遅れの安芸阿賀10:10発快速安芸路ライナー広行き5600M(クモハ227-21)と広10:18発普通三原行き114M(クモハ227-90)で安登(あと)へ。昭和33年4月1日に豊田郡安浦町と川尻町に分割合併された豊田郡安登村の名を今に伝える駅で、駅前には日本一短い都道府県道・広島県道204号安登停車場線があります。安登村は昭和4年1月1日まで賀茂郡内海跡村を名乗っていました。

安登11:18発普通広行き119M(モハ226-23)と広11:36発快速安芸路ライナー広島行き5617M(モハ226-27)で新広へ。呉市広地区の西部にある駅で、平成14年3月23日に開業しました。当初は簡易委託駅でしたが、想定を超える利用者数の多さに対応するべく平成28年7月から翌年3月にかけて駅舎の改装が行われ、みどりの窓口と自動改札機が設置されました。駅舎二階には就労支援作業所が入居しています。呉線は当駅を最後に全駅訪問達成。


新広11:44発快速安芸路ライナー広行き5605M(モハ226-42)と広11:51発普通糸崎行き116M(クモハ227-23)で三原へ。曇っているのをこれ幸いと駅周辺を散策し、昭和28年創業の本町食堂でカツ丼を頂きました。昭和の映画に出てきそうな時間が止まった雰囲気のお店でした。


三原もレベルの高い近代建築の多い街で、いつか泊まりで来たいものです。この後は、福塩線へ向かいます。

三原14:34発普通長船行き424M(モハ114-1195)と福山15:19発府中行き249M(クハ104-26)で鵜飼へ。府中市街の東部にある駅で、無人化後に駅舎が撤去されてブロック積みの待合所に改築されています。少し離れたところにある便所は昭和11年8月に建てられた古いもの。

鵜飼16:16発福山行き256M(クモハ105-31)で高木へ。ホーム上に昭和48年10月改築の待合所がある駅で、周辺には住宅が多いものの店などは少なめです。駅西側には「国府」の地名がありますが、備後国府があった場所はもっと府中市中心部寄りのようです。

高木16:46発福山行き258M(クモハ105-8)で福山に戻り、増結作業を見届けてから17:45発府中行き257M(クハ104-26)で折り返して備後本庄へ。国有化、新線切替後の昭和15年2月1日に開業した駅で、ICOCA導入に合わせて平成17年7月に駅舎入口部分が増築されています。福山市街の西北の外れに位置し、いくつかの学校の最寄り駅ですが、利用者は300人台にとどまっています。

福塩線および広島県内のJRはこれにて全駅訪問達成。備後本庄18:00発福山行き260M(クモハ105-1)、福山18:09発普通三原行き425M(クハ115-1404)、三原19:13発普通岩国行き341M(クモハ226-41)を乗り継いで新白島へ。駅前のマクドで時間を潰してから21:55発普通糸崎行き350M(クモハ227-62)で広島へ戻り、22:15発ジャムジャムエクスプレス522便で大阪へ帰りました。
8/8 溽暑の芸備線・可部線・山陽本線・呉線駅巡り
8/8~9の二日間、広島県内の駅を巡りました

三宮を23:15に出たHEARTSエクスプレスH500KF便が広島駅南口に着いたのは定刻4時より10分以上早い3:47。夜行バスとしてもかなり早い到着時間で、もちろん駅はまだ開いていません。列車が動くまで時間を潰さなければなりませんが、広島駅周辺には24時間営業の店があまりないので、20分ほど歩いて新白島駅前のマクドナルドへ。早めの朝食を食べつつ時間を潰し、始発列車の時間に合わせて新白島駅へ。平成27年3月14日に開業した新しい駅で、アストラムラインとの交差地点に設置されています。改札口がホームごとに分かれているので、ホーム間の行き来はできません。

新白島5:36発普通糸崎行き302M(クモハ227-51)と広島5:41発普通三次行き1802D(キハ120-6+キハ120-320)で矢賀へ。まずは芸備線の未訪問駅を片付けつつ近隣の駅を再訪していきます。矢賀駅は再訪。山陽新幹線の車両基地への引込線と並走する区間にある駅で、周辺は山の麓の住宅街。駅舎はどっしりとした印象を受ける木造モルタルのものです。

矢賀6:02発普通狩留家行き3804D(キハ47-2021+キハ47-1101+キハ47-102+キハ47-1070)で狩留家へ。広島方面からの列車の多くが折り返す駅で、昭和24年1月改築の天井の高い木造駅舎が残っています。この駅も再訪。前回訪問時は豪雨の影響でこの駅から先が代行バスとなっており、一時的な終点のようになっていました。

狩留家6:53発普通広島行き3807D(キハ47-1070+キハ47-102+キハ47-1101+キハ47-2021)で中深川へ。ニュータウンが広がる山間にある駅で、駅入口に昭和53年3月30日改築の簡易駅舎が建てられています。目の前を交通量の多い県道が通っていますが、そちら側に出入口はありません。

中深川7:13発普通広島行き1809D(キハ47-81+キハ47-100+キハ47-3019+キハ47-2022)で下深川へ。広島方面からの列車の多くが折り返す運行拠点駅で、みどりの窓口も設置されています。駅舎は昭和58年3月に橋上化。この駅も再訪。次に乗る列車は広島方面から6両でやってきて切り離しを行い、前2両が三次行き、後ろ4両が折り返し広島行きとなりました。

下深川7:29発普通広島行き3811D(キハ47-1059+キハ47-169+キハ40-2044+キハ40-2002)で玖村へ。太田川沿いの区間にある駅で、河川敷の堤防に背を向けた立地です。踏切を解消するため、昭和55年3月18日に線路を新線に切り換えて現在地に移設されました。

玖村7:42発普通広島行き3813D(キハ47-3007+キハ47-63+キハ47-?+キハ47-2016)で安芸矢口へ。玖村と同じく太田川の堤防に背を向けた立地の駅で、みどりの窓口もある主要駅ですが、駅前は狭いです。現在、バリアフリー工事中でエレベーター付きの跨線橋が建設されています。

安芸矢口駅から歩いて太田川を渡り、安佐南区の洋館を撮影。新興住宅地の中に瀟洒な洋館が聳えています。宅地化が進む以前は農村の中でさぞかし目を惹いたことでしょう。

安芸矢口8:34発普通広島行き3817D(キハ47-81+キハ47-100)で戸坂(へさか)へ。山の手の斜面に開けた住宅地にある駅で、昭和53年3月改築の駅舎は中深川と同じデザインです。昭和30年4月10日に広島市に編入された安芸郡戸坂村の有志による請願と寄付により大正5年4月15日に開業しました。芸備線は当駅を最後に全駅訪問達成。続いて可部線へ向かいます。

戸坂8:58発普通広島行き1819D(キハ40-2123+キハ47-39+キハ47-9)と広島9:15発普通岩国行き511M(クモハ226-52)で横川(よこがわ)へ。山陽本線と可部線の分岐駅で、可部線の列車はそのまま広島方面に直通するものの、一部は当駅で数分間停車します。高架下にある駅舎は平成15年8月23日完成。改札口を出てすぐのところに広島電鉄の停留場があって直結しています。

横川9:34発普通緑井行き2767M(クモハ226-104)で三滝へ。太田川放水路西岸にある駅で、駅舎は無くホーム上に券売機が設置されています。太田川放水路建設に伴って昭和37年10月1日に移転するまでは太田川東岸にあり、広浜鉄道時代は「大芝公園口」を名乗っていました。

三滝9:56発普通あき亀山行き769M(クモハ226-91)で安芸長束へ。密度の高い住宅街の中にある私鉄駅らしい雰囲気の駅で、駅近くの蓮光寺にある天然記念物「長束の蓮華松」をイメージした正十二角形の駅舎は平成10年3月27日改築。昭和3年11月19日に「大師」停留場として開業、昭和8年4月21日に2代目の「長束」停留場となり、昭和11年9月11日国有化時に国名の「安芸」が冠されました。ホームは元は島式ですが、利用者増で手狭になったことから、平成27年11月28日に下りホームが新設されて旧ホームは上り線用になりました。

安芸長束10:19発普通あき亀山行き771M(クモハ226-95)で下祗園へ。手狭な駅が目立つ可部線には珍しい立派な駅舎と広い駅前を持つ駅で、駅舎内にはセブンイレブンが入居しています。来年度の完成を目指して駅改良工事中で、駅舎も来年には橋上化されて姿を消す予定です。せっかくなので心残りがないくらい撮影したかったのですが、入り口前で電話しているおっさんがいつまで経ってもいなくならない上に駅前が駐車で塞がれてしまったので、明日早朝に再訪することにしました。

駅周辺は昭和47年8月27日に広島市に編入されるまで安佐郡祇園町だったところです。区役所の祇園出張所はかつての祇園町役場。暑かったので目の前のスーパーで麦茶を買いました。

下祗園11:01発普通あき亀山行き775M(クモハ226-89)で古市橋へ。安佐南区役所の最寄り駅で、小さな駅ながらみどりの窓口も設置されています。駅舎は平成12年3月改築。島式ホームが多い可部線では数少ない相対式ホームの駅です。明治43年11月19日開業時の所在地は安佐郡三川村で、昭和18年10月1日に改称・町制施行して安佐郡古市町となり、昭和30年7月1日に安佐郡安村と合併して安佐郡安古市町となるも、昭和48年7月30日に広島市に編入されました。

古市橋11:26発普通あき亀山行き777M(クモハ226-101)で大町へ。アストラムラインとの乗換駅で、アストラムライン開業に合わせて平成6年8月20日に開設されました。戦時中に休止されて廃止となった「安(やす)」駅跡の近くにあり、事実上の復活と言えます。

大町11:48発普通緑井行き2779M(クモハ226-104)で緑井へ。日中は列車の3分の1が折り返す駅で、駅前にはフジグラン緑井というショッピングセンターがあります。駅舎は運行拠点駅と思えないくらい小さなもので、駅名に因んで屋根が緑色に塗られています。明治43年12月25日開業時の所在地は安佐郡緑井村で、昭和30年7月1日の合併で安佐郡佐東町となり、昭和48年7月30日に広島市に編入されました。

緑井12:11発普通あき亀山行き781M(クモハ226-91)で中島へ。ホーム上に待合所があるだけの簡素な無人駅で、昭和18(1943)年10月1日に休止するも地元の要望により昭和31年6月1日に復活したという歴史を持ちます。休止前は「安芸中島」を名乗っていました。

中島12:31発普通広島行き786M(クモハ226-97)で上八木へ。片流れ屋根のノッポな駅舎が目を惹く駅で、明治43年12月25日に大日本軌道広島支社線の終点「太田川橋」停留場として開業しました。国有化時に改称され、太田川改修に伴う線路移設で昭和28年11月1日に現在地に移転。駅舎は移転時に建てられたものだと思われます。

上八木12:40発普通あき亀山行き783M(クモハ227-95)で可部へ。平成15年12月1日の末端区間廃止から平成29年3月4日のあき亀山延伸まで終着駅だった駅で、現在は折り返し列車も設定されていません。延伸に伴う駅改良で改札口がホームごとに分離され、ホーム間の行き来ができなくなりました。片流れ屋根の駅舎は昭和25年4月改築。

可部13:09発普通広島行き790M(クモハ227-91)で梅林へ。かつて存在した八木梅林に由来する駅名を持つ駅で、昭和23年12月改築の木造駅舎が減築されながらも残っています。梅林は故・村下孝蔵さんがデビュー当時に住んでいたところで、代表作『初恋』の歌詞にある「放課後の校庭」は娘とよく遊んだ梅林小学校校庭から思いついたものだそうです。下祗園、可部、梅林は再訪ですが、可部線もこれにて全駅訪問達成。

梅林13:37発普通広島行き792M(クモハ226-95)と広島14:05発普通白市行き1544M(クモハ227-79)で天神川へ。この駅も再訪で、前回は撮れなかった白市・三原方面ホームを撮影。この駅も改札口がホームごとに分かれていて行き来のできない駅です。

天神川14:23発普通白市行き1546M(クモハ227-62)で向洋へ。訪問はこれが三度目ですが、北口を撮るのは今回が初めてです。北口は平成23年3月26日開設で、高架化工事に伴って令和4年3月27日に仮駅舎に移転しました。仮駅舎になる以前も小さな駅舎で、大きさもデザインもよく似ています。

向洋14:41発普通白市行き1548M(クモハ227-7)で海田市へ。山陽本線と呉線の分岐駅で、安芸郡海田町の玄関口です。ついつい「かいたし」と呼んでしまいそうですが、読みは「かいたいち」で、所在地も市ではなく町です。駅舎は昭和61年12月1日橋上化。

駅周辺を散策。安芸郡海田町役場は昭和53年に建てられたもので、今年9月19日に新庁舎に移転して役目を終える予定です。

海田町役場から歩いて10分ほどのところには旧船越町役場があります。船越町は昭和50年3月20日に広島市に編入され、昭和50年4月1日に政令指定都市に移行してからは役場が安芸区役所として使われていました。坂の上の細い道を一本入ったところにあり、区役所として使うには不便そうな立地です。

海田市15:37発快速安芸路ライナー広行き5624M(クモハ227-2)で矢野へ。ここからはちょっとだけ呉線の駅を巡っていきます。呉線では唯一広島市内にある駅で、昭和50年3月20日に広島市に編入されるまでは安芸郡矢野町でした。駅舎は平成20年4月19日に橋上化。駅舎の背後で目立つ巨大なキングはパチンコ屋の看板です。

矢野15:54発普通広行き644M(クモハ227-35)で小屋浦へ。海と山に挟まれた安芸郡坂町小屋浦地区にある駅で、駅舎は山側を向いています。平成11年3月改築の駅舎はメジロをモチーフとしたデザイン。訪問時、駅を掃除していたおばちゃんから「気を付けて帰りんさい」と声をかけられました。

小屋浦16:22発普通広島行き2649M(クモハ226-20)で水尻へ。国道を挟んで海に面した立地の駅で、目の前には海水浴場が広がります。呉線で2番目の利用者の少ない駅で、人家はあまり多くありません。

水尻16:32発普通呉行き2646M(クモハ227-91)でかるが浜へ。平成11年2月7日に開業した駅で、ホームは高架上にあります。地名は「狩留賀」で、駅名をひらがなにしたのは狩留家駅との混同を防ぐためでしょう。かつて同位置には海水浴シーズンのみ営業する「狩留賀臨時停車場」が存在しました。

かるが浜17:11発普通広島行き2655M(クハ227-91)で海田市へ。先程は撮れなかった南口を撮影し、海田市17:49発普通岩国行き1565M(クモハ226-45)で広島へ。駅前のグリーンホテルに宿泊しました。
8/1 灼熱の高徳線駅巡り+讃岐財田へ
この日は高徳線の駅を中心に巡りました

徳島5:51発普通高松行き(1552+1508+1248+1229)で板野へ。板野郡板野町の玄関口で、特急も含めてすべての列車が停車します。香川県との県境を控えた運行拠点駅で、普通列車は大半が折り返すため県境を越える列車は一日わずか6本しかありません。大正12年2月15日、徳島と鍛冶屋原を結ぶ阿波電気鉄道の「阿波大寺(あわおおてら)」として開業。昭和8年7月1日の国有化時に「板西(ばんざい)」に改称され、昭和31年4月10日に「板野」に改称されました。開業時の所在地は板野郡板西町で、明治の町村制までは板野郡大寺村でした。板西町は昭和30年2月11日の合併で板野町となっています。旧:阿波線のうち板野~鍛冶屋原間は高徳本線全通時に鍛冶屋原線として分離され、昭和47年1月16日に廃止されています。

板野6:31発普通高松行き312D(1558+1555+1567+1569)で県境を越えて讃岐相生へ。大坂峠を控えた香川県最東端の駅で、平野部にあるためあまり県境の駅らしさはありません。昭和10年3月20日開業時の所在地は大川郡相生村で、昭和30年4月1日の合併で引田町となりました。相生村は「東京ブギウギ」の歌手・笠置シヅ子の出身地です。

讃岐相生7:07発普通徳島行き305D(1512+15⁇+15⁇+1231)で阿波大宮へ。大坂峠越えの途中にある駅で、周囲に人家はあまり多くありません。徳島県最北端の駅です。駅名の由来は駅裏手の大宮神社で、もし地名から取っていたら「阿波大坂」となっていたでしょう。駅舎を撮っていると、駅前の墓地裏手の竹藪でニホンザルがガサガサ動く音や鳴き声が聞こえてきました。

阿波大宮7:34発普通高松行き316D(キハ47-171+キハ40-2148)で引田(ひけた)へ。平成15年4月1日の合併で東かがわ市となった旧:大川郡引田町の玄関口で、昭和3年4月15日開業時の木造駅舎が残っているものの、建て替え計画があります。詳細はヤフーの方で記事にしました。

引田8:18発普通高松行き4322D(1557)で讃岐白鳥へ。平成15年4月1日の合併で東かがわ市となった旧:大川郡白鳥町の玄関口で、東かがわ市の代表駅かつ市役所最寄り駅ですが、無人駅です。特急も一部が停車しますが、代表駅にしては利用者は少なめです。昭和3年4月15日開業時の所在地は大川郡白鳥本町で、昭和30年7月1日の合併で白鳥町となりました。



白鳥はヤマトタケル伝説ゆかりの白鳥神社の鳥居前町として栄えたところで、古い町並みが残っています。質の高い近代建築も三軒ありました。

讃岐白鳥9:11発普通高松行き4326D(1568)で三本松へ。平成15年4月1日の合併で東かがわ市となった旧:大川郡大内町の玄関口で、特急もすべてが停車します。東かがわ市では唯一の有人駅で利用者も多く、東かがわ市の実質的な代表駅です。みどりの券売機プラスが設置されており、窓口では切符の販売をしていません。昭和3年4月15日開業時の所在地は大川郡三本松町で、昭和30年3月15日に大内町と合併しました。

三本松9:44発普通高松行き328D(1559+1565)で鶴羽(つるわ)へ。昭和36年10月1日に開業した駅で、平成10年に交換設備が新設されました。ホームだけの簡素な構造で、駅舎はありません。駅名は昭和31年9月8日の合併で津田町となった旧:寒川郡鶴羽村に由来します。

鶴羽10:09発普通三本松行き4321D(1552)で丹生(にぶ)へ。東かがわ市西部の田園地帯にある駅で、ホームは極めて狭い島式です。駅舎は平成31年3月改築の銀箱タイプ。昭和3年4月15日開業時の所在地は大川郡丹生村で、昭和29年4月1日に大川郡誉水村と合併して大内町となりました。誉水村(よみずむら)は戦前の政治家・三土忠造、宮脇長吉(宮脇俊三の父)、宮脇梅吉兄弟の出身地です。列車待ちの時間を利用し、駅近くのローソンで昼食の弁当を調達。

丹生10:31発普通高松行き(1552)でオレンジタウンへ。JR四国系列のよんてつ不動産が開発したニュータウンにある駅で、平成10年3月14日に開業しました。特急も一部が停車します。駅舎はコンクリートとガラス貼りの近代的なデザインで、短い階段を下りたところで跨線橋に接続しています。

オレンジタウン11:04発普通引田行き4325D(1503+1504)で讃岐津田へ。平成14年4月1日の合併でさぬき市となった旧:寒川郡津田町の玄関口で、特急も一部が停車します。白砂青松で知られる津田の松原の最寄り駅でもありますが、海からは少し離れています。

讃岐津田11:44発普通高松行き4334D(1558)で造田(ぞうだ)へ。平成14年4月1日の合併でさぬき市となった旧:寒川郡長尾町の北外れにある駅で、かつては急行「阿波」も停車していました。駅舎は平成29年7月に銀箱タイプに改築されています。大正15年3月21日開業時の所在地は寒川郡造田村(ぞうたそん)で、昭和31年9月16日の合併で長尾町となりました。

造田11:59発普通徳島行き4329D(1565+1559)で神前(かんざき)へ。平成14年4月1日の合併でさぬき市となった旧:寒川郡寒川町(さんがわちょう)の駅で、昭和27年1月27日に開業しました。駅舎は昭和36年1月に建てられたものです。開業時の所在地は寒川郡神前村で、昭和30年7月1日に石田村と合併して寒川郡寒川村となり、昭和36年9月1日に町制施行して寒川町となりました。寒川町神前は国民民主党代表・玉木雄一郎氏の出身地で、駅前にもポスターが貼られています。

神前12:40発普通高松行き4338D(1504+1503)で古高松南へ。昭和61年11月1日に開業した駅で、高松市と旧:木田郡牟礼町(平成18年1月10日高松市に編入)の境界部分に位置します。駅周辺は「高松」の地名発祥の地で、昭和15年2月11日に高松市に編入されるまで木田郡古高松村でした。

古高松南13:12発普通引田行き4333D(1558)で志度へ。平成14年4月1日に寒川郡志度町と周辺3町が合併して誕生したさぬき市の代表駅で、琴電志度駅が近接しています。駅舎は平成10年4月17日に橋上化。駅舎の隣にある名物かまどの店舗にはかつてJR四国がフランチャイズ営業するジョイフル志度店が入居していました。

志度13:59発普通高松行き4340D(1552)と高松15:13発快速サンポート南風リレー号伊予西条行き135M(7317+7217)と多度津15:59発普通阿波池田行き4247D(1033)を乗り継いで讃岐財田へ。平成18年1月1日の合併で三豊市となった旧:三豊郡財田(さいた)町の駅で、町の中心からは大きく離れています。巨大なタブノキに隠れるように木造駅舎がありますが、年内の建て替えが計画されています。この駅についてもヤフーで記事にしました。
讃岐財田17:17発普通琴平行き4232D(1012)と琴平17:47発普通高松行き5248M(7201+7301)で坂出へ。駅前のイオンで夕食を調達してから、坂出18:55発快速マリンライナー56号岡山行き3156M(クモハ223-5001)、岡山19:55発普通姫路行き1334M(クハ111-2161)、姫路21:36発新快速野洲行き3540M(クモハ223-1001)、尼崎22:40発丹波路快速篠山口行き2779M(モハ225-6035)を乗り継いで帰宅しました。
7/31 灼熱の牟岐線・高徳線駅巡り
7/31~8/1の二日間、四国の駅を巡りました

逆瀬川5:46発普通西宮北口行き(5001)で出発し、西宮北口5:56発普通新開地行き(8553)に乗り換えて三宮へ。阪神百貨店前から8:35発神姫バス101便に乗車し、徳島駅前には8:29着。海の向こうとはいえ、さすがは隣県。徳島って案外近いんだなと感じます。

次の牟岐線の列車まで一時間あるので歩いて阿波富田駅を目指します。その道中、三河家住宅を撮影。昭和4年に建てられたドイツ風の3階建て洋風住宅で、国の重要文化財。

20分ほどで到着した阿波富田はホームだけの簡素な駅。昭和61年11月1日に通年営業の臨時駅として開業しました。小さな駅ながら徳島県庁の最寄り駅で、利用者も多く、特急「むろと」も停車します。戦前、同位置には「富田浦」駅が存在していました。

阿波富田9:33発阿波海南行き4533D(1248)で田井ノ浜へ。海水浴シーズンのみ営業する臨時駅で、今年は令和元年以来4年ぶりに開設されることになりました。
詳細はこちらの記事をどうぞ。

田井ノ浜12:51発普通徳島行き4552D(1248)で羽ノ浦へ。平成18年3月20日に阿南市に編入された旧:那賀郡羽ノ浦町の玄関口で、平日のみ窓口が営業しています。大正5年12月15日に中田と古庄を結ぶ阿南鉄道の駅として開業。牟岐線は昭和11年3月27日に当駅から桑野までが最初に開業し、同年7月1日に阿南鉄道が国有化されて編入されました。古庄までは貨物支線となったものの、昭和36年4月1日に廃止されています。

駅近くには昭和7年または大正期に建てられたとされる旧:岡本医院が残っています。昭和60年ごろに廃業したものの、民家として使われている様子。

阿南市羽ノ浦支所は昭和41年8月1日竣工。合併前の羽ノ浦町は面積の小さな町ながら、県内では数少ない人口が増加傾向にある町で、人口密度は県内4位でした。平成17年3月20日には阿南市・那賀川町との合併の是非を問う住民投票を行っていますが、その後の3月23日には住民投票の投票済み用紙が盗まれる事件が起きていました。

羽ノ浦14:07発普通徳島行き554D(1005+1008)で中田(ちゅうでん)へ。昭和60年3月14日に廃止された小松島線が分岐していた駅で、小松島軽便線と阿南鉄道の分岐駅として大正5年12月15日に開業しました。昭和11年7月1日の阿南鉄道国有化に合わせて改築された駅舎が長らく使われてきたものの、昨年6月6日より仮駅舎に移行して解体されました。7月に完成した新駅舎(財産標日付は8月11日)は最近の四国ではよく見かける銀箱駅舎です。

中田14;57発普通徳島行き4556D(1558)で文化の森へ。平成2年11月3日に開業した駅で、園瀬川橋梁架け替え工事に伴って平成13年11月21日に高架化されています。徳島県文化の森総合公園への最寄り駅として開業したものの、約1.4㎞離れており、30分以上かけて歩くか、バスに乗り換えていかねばなりません。

文化の森15:08発普通阿南行き555D(1008+1005)で地蔵橋へ。徳島市最南端の駅で、昭和26年4月1日に編入された旧:勝浦郡勝占村(かつうらそん)に位置します。駅名の由来は駅近くの多々羅川にかかる小さな橋です。

大正2年4月20日に阿波国共同汽船の駅として開業。国鉄が借り上げて小松島軽便線としました。阿波国共同汽船は大正6年9月1日に国有化されています。駅舎は建物財産標によれば大正15年8月に建てられたもの。ホーム側の庇を支える柱の形状がなんともレトロです。

地蔵橋15:27発普通徳島行き4558D(1509)で二軒屋へ。古来、家が二軒しかなかったことに由来する地名から名付けられた駅で、そんな地名の由来を感じさせないくらいに周辺は都市化しています。駅舎は民営化後に改装されたもので、かつてはパン屋が入居していましたが、撤退して喫茶店となり、現在はコワーキングスペースとなっています。牟岐線はこれにて全駅訪問達成。暑かったので駅前のミニストップでティラミスプリンパフェを食べながら列車を待ちました。この後は高徳線の駅を巡っていきます。

二軒屋16:06発普通徳島行き4560D(1229)と徳島16:20発普通鳴門行き970D(キハ47-191+キハ47-177)で吉成へ。徳島市最北端、吉野川北岸にある駅で、平成31年3月に銀箱駅舎に改築されています。大正5年7月1日に阿波電気鉄道の駅として開業。当時の所在地は板野郡応神村で、明治の町村制までは板野郡吉成村でした。応神村は昭和41年10月1日に徳島市に編入されています。

吉成16:36発普通徳島行き4358D(1508)で勝瑞(しょうずい)へ。板野郡藍住町および隣接する板野郡北島町の玄関口で、特急「うずしお」も約半数が停車します。駅舎は昭和32年3月の駅移転時に改築されたもので、トイレが外から丸見えであることが物議を醸したため、最近になって暖簾が取り付けられました。駅名の由来は明治の町村制まで存在した板野郡勝瑞村で、町村制で板野郡住吉村となり、昭和30年4月29日に板野郡藍園村と合併して藍住町となっています。

勝瑞17:16発普通鳴門行き972D(キハ40-2110+キハ47-118)で池谷(いけのたに)へ。高徳線と鳴門線の分岐駅で、特急「うずしお」も一部が停車します。駅名の由来は明治の町村制まで存在した板野郡池谷村で、町村制で板野郡堀江村となり、昭和28年4月1日の町制施行で堀江町となりました。堀江町は昭和34年4月1日に坂東町と合併して板野郡大麻町となり、昭和42年1月1日に鳴門市に編入されています。

池谷駅の特徴は「ハ」の字に配置された2本のホームで、それに挟まれるように駅舎が置かれています。二つの路線の分岐駅で、ホームがY字に分かれる駅はそれなりにありますが、完全に別れきっているタイプはなかなか珍しいのではないでしょうか。

池谷17:48発普通板野行き564D(1005+1008)で阿波川端へ。旧吉野川北岸の田園地帯にある駅で、四国八十八ヵ所第二番札所・極楽寺の最寄り駅です。昭和2年7月15日に阿波鉄道の川端停留所として開業。昭和8年7月1日の国有化に際して改称されました。駅名の由来は明治の町村制で板西村が成立するまで存在した板野郡川端村です。駅舎は片流れ屋根の不思議な形状で、古いのか新しいのかよく分かりません。

阿波川端18:35発普通徳島行き351D(1008+1005)で坂東へ。阿波国一之宮・大麻比古神社や四国八十八ヵ所第一番札所・霊山寺の最寄り駅で、正月三が日のみ特急の一部が臨時停車します。大正12年2月15日に阿波電気鉄道の駅として開業。当時の所在地は板野郡坂東町でした。坂東町は第一次大戦後にドイツ人俘虜収容所が置かれたところで、ベートーヴェン交響曲第9番がドイツ人俘虜によって演奏されたのが日本初演だとされています。元野球選手の板東英二氏は坂東町の出身で、旧俘虜収容所を転用した引揚者住宅で幼少期を過ごしました。

坂東18:55発普通徳島行き353D(1235+1252)で徳島へ。徳島駅前の支那そば よあけの徳島ラーメンで夕食を摂り、セルフイン徳島東船場に宿泊しました。
7/26 灼熱の奥羽本線(山形線)・仙山線駅巡り
この日も引き続き山形の駅を巡りました。




陽の長い季節なので5時にホテルを出て、始発までの時間で新庄市街を散策。昭和29年に建てられた新庄市役所をはじめとして、新庄には古い建物が多く残っています。早朝だけあって霧が出るほどの涼しさで、夏に街歩きをするなら早朝一択だなと思います。

新庄5:47発普通米沢行き1420M(クハ700-5505)で芦沢へ。東北地方で最も人口の少ない市・尾花沢市にある唯一の駅ですが、市の中心部からは大きく離れています。大正5年12月1日開業時の所在地は北村山郡福原村で、明治の町村制までは北村山郡芦沢村でした。福原村は昭和29年10月1日の合併で北村山郡尾花沢町となり、昭和34年10月1日に市制施行して尾花沢市となっています。芦沢駅には平日午前中のみ営業する簡易委託の窓口があり、訪問時には駅員のおじさんが駅舎内外を掃除していました。掃除が終わるのを待って入場券を購入し、スタンプも押させてもらいました。銀山温泉がデザインされたスタンプは、もう一つのスタンプを重ね押しにすることで冬仕様にできる珍しいものです。

芦沢6:37発普通山形行き1424M(クモハ701-5503)で大石田へ。最上川の舟運で栄えた北村山郡大石田町の駅で、隣接する尾花沢市への玄関口でもあります。昭和45年9月10日までは山形交通尾花沢線が分岐していました。駅舎は平成11年12月4日の山形新幹線新庄延伸に合わせて改築されたもので、屋根が階段状になった珍しい造りです。





最上川沿いに形成された大石田の市街地を散策。詳細は不明ですが、古そうな建物が多く残っていました。まだ7時台ですが日が出てきて早くも暑くなりつつあります。

大石田7:51発普通山形行き1428M(クハ718-5002)で村山へ。村山市の代表駅で、平成11年12月4日の山形新幹線新庄延伸に合わせて改築されると同時に「楯岡」から改称されました。明治34年8月12日、奥羽南線の終点として開業。当時の所在地は北村山郡楯岡町で、昭和29年11月1日の合併時に市制施行して村山市となりました。




楯岡(たておか)の市街地を散策。楯岡は羽州街道の宿場町として栄えたところで、江戸時代初期までは楯岡城が置かれていました。蝦夷地探検で知られる最上徳内の出身地でもあります。現在でも質の高い近代建築が多く残っていますが、数年前までは大正時代の図書館やかつての役場も残っていたそうで、惜しまれるところです。

村山8:48発普通山形行き1430M(クハ700-5507)と山形9:34発普通米沢行き428M(クハ718-5002)を乗り継いで置賜(おいたま)へ。その名の通り置賜盆地の田園地帯にある駅で、昭和58年改築の駅舎は山形県内標準仕様の簡易駅舎。使われなくなったホームと途中で塞がれた跨線橋も残っています。大正6年12月20日開業時の所在地は東置賜郡上郷村で、明治の町村制までは東置賜郡浅川村でした。上郷村は昭和33年2月1日に米沢市に編入されています。

置賜10:46発普通山形行き435M(クモハ719-5002)で羽前中山へ。村山盆地と置賜盆地を隔てる峠越えの途中にある駅で、山形方が複線、米沢方が単線となっています。駅舎は平成13年改築。昭和27年11月15日開業時の所在地は東置賜郡中川村で、明治の町村制までは東置賜郡中山村でした。中川村は昭和30年6月10日の合併で赤湯町となりますが、大字中山のみ昭和32年3月21日に上山市に編入されました。

羽前中山11:26発普通米沢行き430M(クハ700-5506)で赤湯へ。山形鉄道フラワー長井線の分岐駅で、南陽市の玄関口です。赤湯温泉および赤湯市街へは少し離れています。山形新幹線開業に一年遅れて平成5年7月14日に竣工した駅舎はハンググライダーを模したもので、大曲駅も設計した建築家・鈴木エドワードの設計によるものです。明治33年4月21日に奥羽南線の終点として開業。当時の所在地は東置賜郡冲郷村で、駅名は隣接する東置賜郡赤湯町から取られました。沖郷村は昭和30年4月1日に梨郷村と合併して東置賜郡和郷村となり、昭和42年4月1日に赤湯町・宮内町と合併して南陽市となっています。

赤湯11:52発普通山形行き437M(クモハ719-5012)で茂吉記念館前へ。斎藤茂吉記念館の最寄り駅で、平成4年7月1日の山形新幹線開業に合わせて「北上ノ山」から改称されました。昭和27年3月5日開業時の所在地は南村山郡上山町で、昭和29年10月1日の合併で上山市となりました。駅のある弁天地区に隣接する金瓶地区(旧:南村山郡金瓶村)はアララギ派の歌人・斎藤茂吉の出身地。金瓶村の守谷家に生まれた茂吉は、青山脳病院の院長だった同郷の精神科医・斉藤紀一の婿養子となり、病院経営や研究に携わりながら活動しました。上山は斎藤一族をモデルに次男・北杜夫が書いた『楡家の人びと』の重要な舞台の一つになっています。

茂吉記念館前12:25発普通米沢行き432M(クハ718-5002)で中川へ。東北では貴重な貨車駅舎が残る駅で、昭和61年3月に木造駅舎から有蓋貨車転用の駅舎に改築されました。駅構内にはカミキリムシの死骸が多く、墓場といった感じです。駅の前と裏に工場があり、構内はそこを行き来する社員の通路としても使われているようです。平日日中にサラリーマンが結構な頻度で行き交う無人駅の跨線橋というのも珍しいでしょう。明治36年11月3日開業時の所在地は東置賜郡中川村で、昭和30年6月10日の合併で東置賜郡赤湯町となり、昭和42年4月1日の合併で南陽市となりました。

中川12:52発普通山形行き439M(クモハ701-5506)でかみのやま温泉へ。上山市の代表駅で、平成4年7月1日の山形新幹線開業に合わせて「上ノ山」から改称されました。駅舎は同年6月25日改築。上山温泉は湯野浜・東山と並んで「奥羽三楽郷」に数えられる名湯で、肥前出身の僧・月秀が温泉で傷を癒している鶴を見て発見した伝説から「鶴脛の湯」の別名を持ちます。




上山(かみのやま)は江戸時代には上山藩の城下町だったところで、能見松平家をはじめとして蒲生家・土岐家・金森家と藩主がころころと変わったのち、藤井松平家三万石が十代174年続きました。温泉町かつ城下町だけあって古い街並みも残っていますが、あまりの暑さに事前にチェックしていた建物を見ただけで駅に戻りました。夏は街歩きには厳しい季節です。

かみのやま温泉14:13発普通山形行き443M(クモハ719-5002)で蔵王へ。山形市南郊外の住宅地にある駅で、蔵王山を望む立地ですが、駅名に反して蔵王観光の玄関口ではありません。明治44年11月25日に「金井」として開業。当時の所在地は南村山郡金井村で、昭和29年11月1日に山形市に編入されています。駅名は昭和26年3月1日に改称、駅舎も翌27年9月に石造り風に改築されました。窓口閉鎖時間帯ながら待合室はクーラーが効いていたのがありがたかったです。

蔵王15:08発普通山形行き445M(クモハ719-5001)と1分遅れの山形15:48発普通新庄行き445M(クモハ701-5509)で羽前千歳へ。奥羽本線と仙山線の分岐駅で、幅の違う二つの線路が島式ホームを挟んでいます。分岐駅ながら駅舎はなく、平成11年12月4日の山形新幹線開業に新庄延伸に合わせて改築された跨線橋上に券売機があります。

羽前千歳16:21発普通仙台行き842M(クハ720-1007)で高瀬へ。のどかな田園地帯の中にある駅で、ジブリ映画『おもひでぽろぽろ』にも登場しますが、駅舎は平成13年3月の改築により当時とは変わってしまっています。昭和25年7月1日開業時の所在地は東村山郡高瀬村で、昭和29年10月1日に山形市に編入されました。

高瀬16:59発普通山形行き841M(クモハE721-1019)で楯山へ。平成11年3月改築の駅舎は仙台支社管内でよく見かけるタイプのもの。駅舎内では登山帰り?のおっさんがシャツを脱いで着替えて上半身裸になっていたので、おっさんがいなくなって写真を撮れるようになるまでだいぶ待ちました。駅舎内にはカミキリムシが多く、死骸がある一方で生きてるものもいましたが、また別のおっさんが生きてる虫を勢いよく蹴ってホームから線路へ落としており、常軌を逸したものを感じました。畑に出る害虫ならともかく駅にいる虫をわざわざ殺す必要はないでしょうし、殺し方もいい年した大人のやり方という感じではありませんでした。旅の締めくくりの駅としてはなんとも後味の悪い感じです。駅は昭和8年10月17日開業。当時の所在地は東村山郡楯山村で、昭和29年10月1日に山形市に編入されました。
楯山17:22発普通仙台行き844M(クモハE721-34)で仙台へ。20:30発JAMJAM EXPRESS361便で京都まで帰り、7:45発新快速姫路行き3413M(クモハ223-2057)と尼崎8:28発快速新三田行き5427M(サハ207-2016)を乗り継いで宝塚に帰りました。
7/25 灼熱の奥羽本線(山形線)駅巡り
7/25~26の二日間、山形の駅を巡りました

前夜21:10に梅田プラザモータープールを出たJAMJAM EXPRESS362便が仙台駅に着いたのは定刻より3分早い8:57。仙台からは9:12発仙山線快速山形行き3827M(クモハE721-1007)に乗車します。

羽前千歳で10:28発普通新庄行き1429M(クモハ701-5505)に乗り換えて天童へ。織田氏天童藩の陣屋町だった天童市の代表駅で、山形新幹線も停車します。平成4年2月8日完成の半橋上駅舎は天童市の名産品である将棋の駒をイメージしたデザイン。明治34年8月23日に奥羽南線の駅として開業した当時の所在地は東村山郡天童町で、昭和33年10月1日の市制施行で天童市となりました。

天童11:01発普通山形行き1434M(クハ700-5508)で漆山へ。相対式ホームの交換可能駅で、平成21年3月21日に簡易駅舎に改築されています。明治35年11月1日開業時の所在地は東村山郡出羽村で、明治の町村制までは東村山郡漆山村が存在していました。出羽村は昭和29年10月1日に山形県に編入されています。

漆山11:42発普通新庄行き1431M(クモハ701-5508)で高擶(たかたま)へ。斯波義直によって築かれた高擶城址の最寄り駅で、ホーム上に待合室があるだけの無人駅です。山形新幹線新庄延伸までは普通列車でも一部しか停車しませんでした。昭和27年3月5日開業時の所在地は東村山郡高擶(たかだま)村で、昭和30年1月1日に干布村と合併して東村山郡豊栄村となり、昭和37年10月20日に天童市に編入されました。

1分遅れの高擶12:34発普通山形行き1436M(クハ700-5505)で南出羽へ。ホームから離れたところに東屋風の駅舎がある駅です。山形県立中央病院の移転に伴って平成12年3月にホームが線路の反対側に移転して駅舎が新築されました。昭和27年3月5日開業時の所在地は東村山郡出羽村で、その南部にあったことから「南出羽」と命名されました。当地は明治の町村制までは東村山郡七浦村でした。

南出羽13:40発普通新庄行き1435M(クモハ701-5505)でさくらんぼ東根へ。平成11年12月4日の山形新幹線新庄延伸に合わせて「蟹沢」駅を移転改称した駅で、さくらんぼの生産日本一で知られる東根市の代表駅です。駅周辺は移転改称に合わせて再開発されており、東根市の新市街地といった雰囲気。移転前の蟹沢駅は昭和29年12月1日に開業したホームと待合室だけの小さな駅でした。

さくらんぼ東根14:43発普通村山行き1437M(クモハ719-5102)で東根へ。さくらんぼ東根駅ができるまで東根市の代表駅だった駅で、東根温泉の最寄り駅です。駅舎は昭和34年4月改築。かつては特急「こまくさ」も一部が停車していましたが、東根市の中心から離れていることもあってローカル駅に転落しています。明治44年12月5日開業時の所在地は北村山郡東根町で、昭和33年11月3日に市制施行して東根市となりました。

東根15:25発普通新庄行き1439M(クモハ701-5504)と新庄16:36発普通真室川行き623M(クモハ701-19)で羽前豊里へ。最上郡鮭川村唯一の駅で、村の中心から離れた北の外れに位置しますが、駅前には村の中心へ向かう村営バスが発着しています。駅舎は平成21年4月1日改築で、地元産の木材が使用されています。大正10年12月15日開業時の所在地は最上郡豊里村で、昭和29年12月1日の合併で鮭川村となりました。

羽前豊里17:06発普通新庄行き624M(クハ700-19)で一旦新庄へ戻り、17:32発普通大曲行き2453M(クハ700-37)で真室川へ。最上郡真室川町の玄関口で、折り返し列車も設定されています。平成15年12月改築の駅舎「森の停車場」は物産展との合築で、和風デザインの立派なもの。明治37年10月21日に「新町(あらまち)」として開業し、大正5年9月20日に改称されています。当時の所在地は最上郡真室川村で、昭和25年4月1日に町制施行しました。

真室川18:09発普通新庄行き2448M(クハ700-37)で新庄へ戻り、急行食堂でカツ丼を食べてから新庄グリーンホテルに宿泊しました。