2/19 石見地方西部建築めぐり&岩日線未成区間を辿る
三日目は7:30に益田を出発。この日は益田周辺の近代建築を巡ってから岩日線未成区間へと向かいます。
まずは三隅町湊浦へ。旧三隅三保郵便局と思われる洋館が残っています。今回見れたのはこの洋館だけでしたが、湊浦には他にも古い建物が多く残っていそうだったのでいずれまた探索してみたいと思います。
続いて三保三隅駅近くの寺井医院へ。左に新館が増築されながらも残る医院建築で今なお現役のようです。建築年は不明ですが、医院としての開業は昭和6年とのことです。
浜田市三隅支所へ。昭和37年に建てられた旧那賀郡三隅町役場で、ファザードの三角形が特徴。時間が早かったので中は見ることができませんでした。
山を越えて浜田市弥栄支所へ。三隅は全然雪がありませんでしたが、弥栄には相当積もっていました。弥栄支所は昭和44年に竣工した旧那賀郡弥栄村役場で、周辺には公共施設が集中していますが、市街地の規模はあまり大きくありません。
弥栄からさらに山を越えて益田市域に入り、旧美濃郡美都町へ。弥栄と美都を結ぶ県道34号浜田美都線は碌に除雪もされていない酷い道でしたが、益田市域に入った途端除雪されて走りやすくなりました。行政によって随分除雪の熱意が違うようです。
美都町に入って最初の集落・宇津川には近代建築が2棟残っています。その一つが上の写真のJAの建物で、昭和10年築の木造2階建て。
もう一つは本郷会館という集会所になっている旧二川郵便局で、現局舎の隣にあります。「二川」という地名は明治の町村制施行時に宇津川村と坂井川村が合併して誕生したもので、昭和29年に都茂村・東仙道村と合併して消滅しています。
続いて美都町都茂へ。美都町の中心地で小規模ながらも市街地が形成されています。昭和47年竣工の美都町総合支所は生憎の逆光。裏手の公民館が新しい建物ながらも面白いデザインで気になりましたが、こちらも逆光でうまく撮れませんでした。
都茂には旧図書館が残っています。都茂村出身の医学者・秦佐八郎博士の寄付により昭和14年に建てられたもので、近年まで「ほのぼのハウスみと」という障碍者の共同作業所として使われていましたが現在は空き家のようです。
都茂の次は東仙道へ。ここには大正11年築の木造平屋建ての旧郵便局が残っています。旧美都町は、二川・都茂・東仙道の3村が合併して誕生したものなので、図らずもその3村を制覇したことになりますが、東仙道で見たのはこの郵便局だけなので集落の方についてはそれほど印象に残っていません。
予定ではこの後、匹見へ向かう予定でしたが雪が深そうだったので諦めて益田市旧市街へ。ここには大正10年築の旧美濃郡役所が残っています。どっしりとした平屋建ての和風建築で、なかなか威厳を感じさせます。昭和58年5月からは益田市歴史民俗資料館として使われてきましたが、平成31年3月31日を以て休館となりました。
平成がそのまま残っているような公式HPによれば、「今後の方針は未定ですがリニューアルオープンの実現に向けて努力していきます」とのこと。壊されたりすることなくこの場所で資料館が再開される日が早く来ますように。
ここでちょっと県境を越えて山口県萩市田万川町へ。昭和7年または10年に建てられたと思われる旧阿武郡小川村役場が農協の駐車場を見下ろす位置に残っています。
小川村は昭和30年に江崎町と合併して田万川町となり、平成17年の合併で萩市となっています。田万川町小川支所として使われた後はJAの支所になっていたようですが、現在は使われていないようで建物の傷みが目立ちます。
再び島根県に戻り、山口線沿いに南下して旧鹿足郡日原町へ。道の駅シルクウェイにちはらで休憩し、昼食を取りました。
続いて日原の中心部へ。旧日原町役場は平成17年の合併以降、津和野町役場本庁舎として使われています。町名は知名度の高い津和野の方を使う代わりに役場は日原の方をメインにするという取り決めでもあったのでしょうか。庁舎は昭和29年に竣工した古いもので、かなり老朽化が進んでいます。中も見てみましたが薄暗く手狭で、正直これを使い続けるのは限界なんじゃないかという気がします。
役場周辺には古い建物が多く残っており、日原が古くから栄えてきた街であろうことを感じさせてくれます。
日原からは岩日線未成区間を辿るべく柿木を経て六日市へ向かいます。柿木への道中、「国鉄バス杉山橋停留所」と書かれたブロック造りのバス待合室を発見したので急きょ車を停めて撮影。「1974」という数字があったので昭和49年に建てられたものかもしれません。今は吉賀町バスの停留所になっているようですが、まさか「国鉄バス」の文字が残っているとは思いもしませんでした。
柿木には昭和13年築の旧柿木郵便局が残っています。今は何に使われているのかは不明ですが、全体的に状態はよく、細かな装飾まで美しく残っています。
旧鹿足郡柿木村は明治22年の町村制施行時に誕生して以来、どことも合併することなく残ってきましたが、平成17年に六日市町と合併して吉賀町となりました。
岩日線が全通していれば柿木にも駅が設置される予定だったそうです。
続いて六日市の鹿足郡吉賀町役場へ。昭和47年竣工の六日市役場がそのまま使用されています。築50年近い建物ですが、中は綺麗に改装されていました。
六日市は岩国と日原を結ぶ陰陽連絡線として計画された岩日線のうち着工されたものの開業には至らなかった岩日北線区間の終点で、駅予定地は温泉施設になっていますが、そこから六日市トンネルへと至る区間の路盤が残っており、遊歩道に転用されています。
六日市から国道187号線で山口県側に抜け、出市駅へ。順番に回るならこの駅には最後に来るべきなのでしょうが、行程と道路の都合上、六日市の次に訪問。
開業区間の終点・錦町を出て最初の駅で、結局未開業に終わった駅ですが、ホームが残っています。未開業なのになぜホームが造られていたのかは不明ですが、これのおかげで容易に駅予定地を特定することができます。
出市の次は周防深川駅。ところが場所を間違えて地図に登録していたので見逃してしまいました。それはさておき、公団建設線らしく重厚なコンクリート橋梁が続きます。
周防深川の次は下須川。途中に雙津峡温泉駅と言うトコトコとれいんの終点駅が設けられていますが、岩日線の駅はそこには予定されていなかったようです。もしこの区間が鉄道として開業していた場合、後からそこに駅が設けられた可能性は高そうですが。
下須川の次は高根口。六日市は最初に行ったので岩日線探索はここで終了。下調べ不足で中途半端に辿るのに終わりました。車で辿るとなるとなかなか完璧を期すのは難しいので今度来る時には自転車を持ってくるのも手かもしれないと思います。
高根口を出た岩日線は第三須川橋梁を渡って六日市トンネルに入り、山口・島根の県境を越えて六日市へと至ります。もし開業していたとしてもそれほど利用客は見込めなかったでしょうが、後は駅を造ってレールを敷くだけとというところまで完成していたのに開業しなかったというのも勿体ない話です。樽見鉄道が神海~樽見を完成させたように錦川鉄道がもし錦町~六日市を完成させていたらどうなっていたのでしょうか。
「酷道」と言ってもよさそうな国道434号線で松の木峠を越えて廿日市市吉和町へ。昭和47年11月竣工の市役所支所は旧佐伯郡吉和村役場を転用したものです。平成15年の合併時点では人口837人と広島県で最も人口の少ない自治体だった吉和村は、柿木村同様に明治の町村制施行以来一度も合併を経験しないまま生き残ってきた村でした。
そんな秘境のような村でもちゃんとガソリンスタンドがあったので給油をしてこの日の宿泊地可部へと山を越えていきます。
可部の来来亭で夕食を食べ、宿泊先の「ウィークリーホテルノースポイント」には19時前に到着。とんでもない山奥を通ってきただけに可部が大都会に見えました。中国地方一の大都会・広島市の一角なので都会なのは当たり前ですが。