まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

1/5 新春北近畿駅めぐり(篠山口・梁瀬・上夜久野・玄武洞・国府・豊岡・竹野・江原)&豊岡・江原を散策

この日は18きっぷ北近畿の未訪問駅を巡りつつ、豊岡・江原を散策しました

篠山口駅

宝塚を6:24発普通福知山行き2525M(クハ222-6111)で出発し、篠山口へ。大阪方面からの列車の多くが折り返す福知山の運行拠点駅で、京阪神大都市圏の最北端といった趣があります。青山氏篠山藩五万石の城下町で知られる丹波篠山市の代表駅ですが、駅自体は町外れ(平成11年4月の合併で篠山市となるまでは多紀郡丹南町)にあって、駅前は閑散としています。駅舎は平成9年2月改築の橋上駅舎で写真は東口。明治32年3月、三田から延伸してきた阪鶴鉄道の終点「篠山」として多紀郡味間村(昭和30年4月の合併で丹南町)に開業、国有化を経て昭和19年3月に「篠山口」に改称されました。その20日後には篠山駅(2代目)を経て福住に至る篠山線が開業しています。篠山線の歴史は短く、昭和47年3月には早くも廃止されました。

梁瀬駅

篠山口7:27発普通福知山行き2529M(クハ222-5508)で福知山へ。8:54発普通豊岡行き427M(クハ222-5509)に乗り換えて梁瀬で下車。平成27年8月30日以来7年ぶりの再訪ですが、特に変わったところはありません。平成17年4月の合併で朝来市となった旧:朝来郡山東町の駅で、簡易委託の窓口が設置されています。明治44年10月、播但線支線として和田山~福知山間が開業した際に開設。開業時の所在地は朝来郡梁瀬村で、大正15年4月に町制施行して梁瀬町に、昭和29年3月の合併で山東町になりました。駅舎は開業時に建てられた寄棟造廻廊付きの木造駅舎で、かなり手が加えられているものの、窓口の造りは昔の駅の姿をよく残しています。

上夜久野駅

梁瀬9:52発普通福知山行き430M(クモハ223-5507)で上夜久野へ。京都府兵庫県の県境に近い夜久野高原にある駅で、梁瀬と同じく明治44年10月に開業しました。駅名は開業時の所在地、天田郡上夜久野村に由来します。上夜久野村は昭和34年1月に夜久野町(下夜久野村と中夜久野村が昭和31年10月に合併)と合併して夜久野町の一部となり、平成18年1月に福知山市編入されました。上夜久野駅に駅舎は無く、跨線橋の入口に券売機とバス停のように簡素な待合所が設置されています。ホーム上には木造の締切可能な待合室があり、大正5年3月の建物財産標がついていました。

上夜久野駅 記念庭園

駅前には鉄道開通(上夜久野駅開業)50周年を記念して昭和36年に寄贈された記念庭園があるものの、忘れ去られたように雪と落ち葉に埋もれています。看板が割れて寄贈者名も読み取れません。有人駅時代は手入れされていたのでしょうが、無人化から40年近くが経過した今、撤去されていないだけまだマシなのでしょう。

上夜久野駅を通過する特急きのさき1号

駅裏の高台に回って駅を撮影していると、特急きのさき1号が通過していきました。カニの季節で乗客が多いためか増結されていた後ろの3両は普段なら特急「くろしお」に使用されている編成。普段は走らないであろう雪景色の中を駆け抜けていきました。

玄武洞駅

上夜久野9:17発普通城崎温泉行き427M(クモハ112-5303)で玄武洞へ。景勝地玄武洞の最寄り駅で、玄武洞へは駅前から渡船で連絡しています。円山川の畔に位置し、駅前を交通量の多い県道3号豊岡瀬戸線が通っているものの、駅前に建物はあまりありません。昭和56年12月改築の駅舎は寒冷地にしては開放的な造りです。

国府駅

玄武洞11:49発普通福知山行き434M(クモハ113-5303)で国府へ。駅舎のない無人駅で、各ホーム上に待合室が設置されています。昭和23年10月に城崎郡国府村に新設開業、当初は有人駅でした。国府村は古代、但馬国国府が置かれたという説のある所ですが、但馬国府についてはまだ詳しいことが分かっておらず、置かれた場所についても複数の説があります。国府村は昭和30年3月の合併で日高町、平成17年4月の合併で豊岡市となりました。

国府駅

冷たい雨の降る中、国府駅を撮影。駅舎は無いものの、待合室隣の建屋(信号室?)に駅名が掲げられています。2番ホームへは線路の下をくぐるトンネルで連絡していますが、このトンネルが工事現場にでもありそうなジャバラの円形トンネルでした。駅のトンネルではまず見ないタイプのトンネルです。

豊岡駅

国府12:25発普通豊岡行き431M(クモハ112-5302)で豊岡へ。但馬地方の中心都市・豊岡市の代表駅で、山陰本線の他に京都丹後鉄道宮豊線が乗り入れています。駅舎は平成23年2月改築の半橋上駅舎で、こうのとりと柳行李をイメージしたデザイン。自由通路で駅前ショッピングセンター「アイティ」に直結しています。

豊岡駅 東口駅前トイレ

駅前タクシー乗り場の近くに設置された公衆トイレは旧駅舎をイメージしたデザイン。知っていないと気付きませんが、こうした形で消えた建物の記憶を引き継いでくれるのはいい試みだと思います。

豊岡駅 旧駅舎(H21-4-4)

ちなみに旧駅舎はこんな建物でした。大正15年改築で、昭和10年10月一部改築。地方中心都市の玄関口にふさわしい風格ある駅舎でした。この写真を撮影したのは私が小学4年生の頃で、家族旅行の時にお古のデジカメを貸してもらって撮ったものです。全体が写っていないものの構図自体は良く、よくぞ撮ったと当時の自分を褒めてあげたいくらいですが、当時撮った他の写真を見るとどれもブレていたりピンボケだったりなので、豊岡駅の旧駅舎だけ綺麗に写っているのが奇跡なのでしょう。当時はそこまで駅舎に興味はなく、駅めぐりを始めたのも中学生になってからでした。

経済協力会

豊岡の復興建築

香住行きまでの乗り換え時間で駅近くの近代建築を撮影。いずれも昭和初期の耐火建築で、北但馬地震からの復興時に建てられたいわゆる「復興建築」です。

竹野駅

豊岡13:02発普通香住行き173D(キハ47-1+キハ47-1133)で竹野へ。平成17年4月の合併で豊岡市となった旧:城崎郡竹野町の駅で、簡易委託の窓口が設置されています。明治44年10月、播但線の城崎~香住間開業時に開設、当時の所在地は城崎郡中竹野村でした。中竹野村は昭和30年3月の合併で竹野村となり、昭和32年4月に町制施行して竹野町になっています。竹野駅の駅舎は開業時に建てられた寄棟造の木造駅舎で、風格を感じる見た目をしています。予定では駅前の喫茶店で昼食を食べるはずでしたが、休業していたので駅から少し歩いたところのローソンのイートインで昼食を済ませました。

城崎温泉駅

竹野14:23発普通城崎温泉行き174D(キハ47-1133+キハ47-1)で城崎温泉へ。言わずと知れた有名温泉地・城崎温泉の玄関口で、特急列車の多くは当駅を終点としています。明治42年9月開業、駅舎は大正15年5月改築の2代目で、初代駅舎が前年5月の北但馬地震で倒壊したことから、地震に強い鉄筋コンクリート造で再建されました。今年で築97年を迎える大変古い駅舎ですが、洗練されたデザインのおかげであまり時代を感じさせません。駅名は平成17年3月に「城崎」から改称、所在地の城崎郡城崎町も翌月の合併で豊岡市となっています。訪問時はちょうどカニのシーズン真っ只中とあって多くの観光客で賑わっていました。城崎温泉と言えば、政務活動費をカラ出張で支出していた野々村元県議を思い出しますが、あの事件も今年で10年になるのですね。

豊岡駅 駅名標

城崎温泉14:42発普通福知山行き438M(クモハ113-5307)で豊岡へ。豊岡駅2・3番ホームの端には国鉄様式の懐かしい駅名標が残っています。駅舎改築時に撤去されずに生き延びたということは意図的に残しているのでしょうか?

つるや

豊岡の復興建築

オーベルジュ豊岡1925(旧:兵庫県農工銀行豊岡支店)

豊岡市役所本庁舎(旧:城崎郡豊岡町役場)

生憎の天気ですが、豊岡市中心部を散策。豊岡は杉原氏・京極氏豊岡藩の城下町として栄えたところで、明治4年から9年までは豊岡県の県庁が置かれていました。大正14年5月23日の北但馬地震では甚大な被害を受け、その復興に際しては多くの復興建築が建てられています。今なお復興建築の多くが現存する近代建築の豊富な街で、観光資源として活用されているものもあります。その一つ、豊岡市役所本庁舎は昭和2年城崎郡豊岡町役場として建てられたもので、昭和25年4月の合併・市制施行で豊岡市役所となり、築90年を超えた今なお現役で使用されています。

豊岡の復興建築

豊岡の復興建築

豊岡の復興建築

高石医院

エンドー鞄

豊岡劇場

あまりに近代建築が多く、シャッターを切る手が止まりません。豊岡劇場は昭和2年開業。兵庫県北部では唯一の映画館で、平成24年3月末に一度閉館しましたが、地元企業が引き受けてリノベーションして再開。しかしながらコロナ禍の影響により昨年8月末に休館を余儀なくされています。豊岡から映画館が無くなれば最寄りは三田になるそうで、地元では有志により再開に向けての活動が行われています。

C57 11

市街地の東端にある中央公園にはC57 11が保存されています。昭和12年9月に大阪汽車会社で製造、小郡に新製配置され、昭和18年に門司、昭和21年に門司港に転属しました。昭和28年には特急「かもめ」の牽引機に指定され、お召列車を牽引したこともありました。その後、米子を経て、昭和32年7月に豊岡機関区に転属。山陰本線を中心に活躍しました。昭和47年3月に福知山に移り、8か月後に廃車を迎えています。

豊岡の復興建築

豊岡の復興建築

達徳会館(旧:豊岡尋常中学校本館)

明治29年に建てられた豊岡尋常中学校本館は兵庫県指定文化財昭和16年の校舎改築の際、消滅を惜しんだ卒業生たちの手で移築され、同窓会の名称をとって「達徳会館」と呼ばれるようになったそうです。

松屋

佐藤家及び西村家住宅(登録有形文化財

京極湯

豊岡はとにかく近代建築が多く、色々見ているうちに列車の時間が迫ってきたので、最後の方は撮っては走り撮っては走りのの繰り返しでした。存在を知らず見逃し建物もありそうで、またゆっくりと来なければいけません

江原駅

 

豊岡16:21発普通福知山行き440M(クモハ223-5509)で江原へ。平成17年4月の合併で豊岡市となった旧:気多郡日高町の駅で、みどりの窓口もある特急停車駅です。駅舎は平成9年2月橋上化。かつては出石とを結ぶ出石鉄道が分岐していました。

江原河畔劇場(旧:気多郡日高町役場)

江原駅周辺を散策。駅近くの江原河畔劇場は昭和10年に気多郡日高町役場として建てられたもので、昭和57年からは日高町商工会館として使われていました。令和2年4月に劇場としてリニューアルオープン、その際にかつてあった塔がシンボルとして復元されています。

江原の街並み

江原も古い建物が多く残る街で、コンクリートの近代建築が多かった豊岡とは対照的に瓦屋根の町家が多い和風の街並みです。線路の向こう側にSLの保存車を見つけましたが、日没が迫っていたため撮影は次来た時に回すことにしました。

113系S2編成

江原17:47発普通福知山行き442M(クモハ113-5302)で福知山へ。乗り換え待ちの時間で駅前のつけ麺屋で夕食をとり、19:31発丹波路快速大阪行き2780M(クモハ223-6123)で宝塚に帰りました。