まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅めぐり旅~

駅めぐりの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

11/16 近代建築を求めて真庭市周辺(+新庄村・有漢町)をドライブ

11/16~17の二日間、近代建築を求めて岡山県をドライブしました。

菅公アパレル蒜山工場(旧八束村立長田小学校)

宝塚を出発し、中国道中国横断自動車道・国道482号線を経由してまず到着したのは岡山県最北部の真庭市蒜山下長田。平成17年の合併で真庭市となるまでは真庭郡八束村でした。この地に建つ菅公アパレル蒜山工場は旧八束村立長田小学校の校舎を転用したものです。長田小学校は明治12年5月に新致小学校として創立され、長田尋常高等学校、長田国民学校を経て昭和22年4月に長田小学校となりました。校舎は明治24年に建てられたものとのことで、築131年とかなり古いものです。長田小学校は昭和45年4月に福田小学校と統合されて八束小学校長田校舎となり、昭和47年4月の統合新校舎完成で廃校となりました。廃校後は縫製工場に転用されて現在に至ります。

蒜山下長田から望む下蒜山

蒜山下長田地区は地名からわかるように蒜山の麓に位置しており、その雄姿を間近に望むことができます。一番近くに見えるのが下蒜山でその奥に中蒜山上蒜山と連なって蒜山が形成されています。

旧上長田郵便局

蒜山下長田を後に、隣接する蒜山上長田へ。八束村の役場が置かれていた中心集落で、下長田と比べると人家の密度が高いです。集落の旧道沿いには昭和11年に建てられた旧上長田郵便局が残っています。昭和後期に局舎としての役目を終えて住宅となったようですが、現在は空き家で著しく荒廃しています。窓は外れ、瓦は落ち、内部には笹が繁るといった有様で、集落の中にあることを考えると行政代執行で取り壊されるのも時間の問題ではないでしょうか。さすがにここまで朽ちてしまうと再生は難しそうです。

JA晴れの国岡山 蒜山支店

上長田はかつての村の中心だけあって現在も農協支所が置かれています。農協蒜山支所の建物は丸窓がいくつもある個性的なデザイン。それほど古いものではないでしょうが、印象に残りました。

真庭郡川上村役場

蒜山上長田を後に蒜山上福田へ。平成17年の合併で真庭市となるまでは真庭郡川上村だったところで、現在も旧川上村役場の建物が残っています。合併後は真庭市川上支局(→蒜山振興局川上出張所)として使われ、出張所の移転後は川上児童クラブが入っていたものの現在は使われていません。旧役場の建物のうち平屋で瓦屋根の部分については大正8年に建てられたと思われるもので、二階建て部分は昭和58年12月に増築されたもの。増築部分はそこまで古くありませんが、平屋部分は築103年です。

真庭郡川上村役場

平屋部分の瓦屋根には「川上村役場」の文字が入った木彫りの装飾が嵌めこまれています。比較的綺麗な状態ですが、「塲役村上川」と右書きで「場」が旧字体なので相当古いものかもしれません。国道から入った細道の先にあって使い道のない場所だから解体されずに存置されているのでしょうが、何かしら活用されてほしいものです。解体するにしても瓦の装飾だけは取り外して博物館に入れてほしいと思います。

JA晴れの国岡山 蒜山発送センター

上福田の国道沿いには農協の発送センターがあります。定礎の日付は昭和46年12月4日、建物の様子からして昔は支所(川上支所?)だったのでしょう。なんてことのない建物ですが、近年数を減らしつつあるので今のうちに記録しておきたいものです。

真庭郡新庄村役場

川上から野土呂乢を越えて真庭郡新庄村(しんじょうそん)へ。岡山県で最も人口の少ない村(767人)で、明治時代以来一度も合併を経験していません。難所・四十曲峠を控えた出雲街道新庄宿として栄えたところで、隠岐に流される途中の後鳥羽上皇もここも通ったとされています。BIG BOSS新庄剛志監督の投手としての現役当時、その人気を村おこしに繋げようと山形県新庄市および奈良県北葛城郡新庄町(現:葛城市)と「新庄会」を結成し、新庄投手の引退まで公式に応援を行っていました。

真庭郡新庄村役場

そんな小さな村の中心に建つ新庄村役場は昭和44年11月竣工。鉄筋コンクリート造3階建てで、デザインにはそこまで古さを感じさせませんが、近くで見るとそれなりにくたびれています。隣接して建つとんがり屋根の建物は創生センターで、渡り廊下で結ばれて一体となっていますが、役場の建て替え後も残るようです。

真庭郡新庄村役場 新庁舎

役場現庁舎の後ろでは新庁舎の建設が進められており、完成も近い様子。新庄宿をイメージした和風デザインで、設計・監理は佐川旭建築研究所と木村設計、施工はアイサワ・梶岡・三木特定建設工事共同企業体。デザインを手掛けた建築家・佐川旭氏は紫波中央駅や紫波町役場なども手掛けています。来年4月より使用開始となり、6月より現庁舎の解体が実施される予定です。この日は風が強く、写真を撮っていると新庁舎を囲っていた三角コーンが目の前で倒れてしまいました。(直すのをちょっと手伝いました)

ドライブイン新庄

スタミナ丼(600円)

ちょうど昼時だったので役場の隣にあったドライブイン新庄で昼食。時代が止まったかのような昔ながらのドライブインで、スタミナ丼は600円とは思えないほどボリュームたっぷりで美味しかったです。

月田の街並み

庄川に沿って下り、再び真庭市に入って月田へ。昭和30年の合併で勝山町となるまで旧真庭郡月田村だったところで、旧道沿いに町家が残っています。

旧幽蘭小学校

集落の裏路地の奥には旧幽蘭小学校が残っています。明治6年開校、明治20年に建てられた土蔵風の建物で、とても校舎には見えません。校名の「幽蘭」は中国の古典からの引用で、「優れた人は誰に知られていなくても気高くある」という意味。月田小学校への統合で閉校となり、現在は酒店の倉庫となっています。

呰部の街並み(右が高杉薬店)

落酒造場

月田を後に、呰部(あざえ)へ。平成17年の合併で真庭市となるまでは上房郡北房町の中心だったところで、古くより交通の要衝として栄えたところでした。北房町上房郡北部にあることからその名が付けられた町で、真庭市のうち唯一真庭郡外(上房郡)から合併した町でした。明治以前は備中国阿賀郡に属し、美作国に属していた真庭郡とは国からして違いますが、地形的には備中川沿いの平地で真庭郡落合町と繋がっていました。町の中心部には古い建物が多く残っています。その一つ、高杉薬店は明治時代に呰部郵便局として建てられたものです。その近くの落酒造場もなかなか古そうな建物。

旧北房郵便局

明治~昭和の古い建物が残る街並みの中、戦後の郵便局舎も発見しました。北房郵便局の旧局舎でしょう。

北房公民館

町の中心にある北房公民館もなかなか古そうなモダニズム建築。高床式の3階建てで、風格が感じられます。

呰部バス停

鉄道のない呰部にとって玄関口となるべき呰部バス停には待合室も設置されています。待合室はかなり年季が入ったもので、かつては備北バス呰部営業所が併設されていました。真庭市となった現在では真庭市中心の久世や落合との結びつきが強いようで、備中高梁方面からのバスは一日5本が静かに折り返すのみです。

旧巨勢郵便局?

呰部から多和山を越えて高梁市に入り、巨勢(こせ)へ。昭和29年の高梁市成立まで上房郡巨勢村だったところです。巨勢郵便局の隣には旧局舎と思われる洋館が残っています。

有漢市場の建物

続いて有漢市場へ。平成16年の合併で高梁市となるまで上房郡有漢町の中心だったところで、古い建物が多く残っています。「有漢(うかん)」という地名は鵜飼(うかい)が転じたものとされ、「うかに」と称されたこともあったようです。写真の建物の詳細は不明ですが、何かの商店だったのでしょうか。結構荒廃しています。

上房郡有漢町役場

街中に残るこちらの建物、てっきり公民館か何かだと思っていましたが、帰宅後調べてみるとかつての有漢町役場でした。昭和42年竣工、合併後は高梁市有漢地域局となりましたが、平成17年2月28日に有漢地域センターに地域局が移転すると使われなくなりました。現在は避難所用に存置されているようです。

十字屋文庫館(旧木山郵便局)

再び真庭市に戻り、今度は鹿田へ。明治34年まで真庭郡鹿田村(かったそん)だったところで、下方村と合併して木山村となり、昭和30年の合併で落合町となりました。鹿田は美作落合備中松山を結ぶ松山往来の宿場町だったため、古い建物が残っています。昭和60年まで使用されていた旧木山郵便局は、地元企業・十字屋が地域への文化貢献として設置した図書館「十字屋文庫館」として活用されています。

鹿田公民館

その近くの鹿田公民館も古い建物です。昭和2~30年代のものと思われますが、戦後のものと言えど近年は建て替えで数を減らしつつある貴重な存在です。

日本基督教団 美作落合教会

続いて、落合垂水へ。平成17年の合併で真庭市となるまでは真庭郡落合町の中心で、合併から新庁舎完成までは真庭市役所が置かれていたところで、結構大きめの街が形成されています。かつての落合町役場跡前に建つ美作落合教会は明治28年に建てられたもの。現存する教会としては岡山県下で4番目に古いそうです。ちなみに落合の地名は旭川と備中川が落ち合うことから命名されたとのこと。垂水は古くより旭川の川港として栄えてきました。

旧遷喬尋常小学校

落合から国道313号沿いに形成された市街地を北上し、久世へ。平成17年の合併で真庭市となるまでは真庭郡久世町だったところで、平成22年9月21日からは真庭市役所が置かれています。江戸時代には久世陣屋が置かれ、大庭郡(明治33年に真島郡と合併して真庭郡に)の中心として栄えてきました。そんな久世には明治40年に建てられた旧遷喬尋常小学校が残されています。左右対称の意匠が美しい堂々たる洋風建築で、平成2年まで現役の校舎として使用されていました。平成11年には国の重要文化財に指定されています。校名の「遷喬」は近隣の有志が開いた明親館という塾に掲げられていた山田方谷揮毫の額から命名されたもので、鶯が谷から出て喬木に移ること、転じて物事が良い方向に向かうことや高い地位に昇進することを意味する言葉です。

日本基督教団 久世教会

久世にはそれ以外にも出雲街道沿いに形成された商店街を中心に古い建物が残っています。久世教会は大正14年築。美作落合教会と比べると新しいですがそれでも築97年と歴史があります。雨が上がって空には虹がかかっていました。

三村医院

三村医院は和洋折衷の医院建築。綺麗なのであまり古そうには見えません。

JA晴れの国岡山 久世支店

モダニズムな農協建築は久世にもありました。ガラス張りの階段部分がかっこいいですね。久世にはまだまだ気になる建物がありそうですが、日没の時間も迫っているので一部だけ見て切り上げます。

旧河内郵便局?

久世を後に上河内(かみごうち)へ。昭和30年の合併で落合町となるまで真庭郡河内村だったところで、出雲街道沿いに旧河内郵便局と思われる洋館が残っています。

上河内の洋館

上河内にはもう一軒、古い洋館が残っています。こちらは旧医院とのこと。小さな集落にタイプの違う二つの洋館が残っているのは面白いですね。

旅館お多福

渋滞に巻き込まれながらも津山まで走り、この日は旅館お多福に宿泊。昭和3年創業の昔ながらの旅館で、建物は創業当時のものを使っているそうです。古いとは言っても施設は綺麗で、宿の方も親切でした。津山市のクーポンを使い、夕食は近くの居酒屋でホルモン焼そばを食べ、岡山の県北を満喫した一日を締めくくったのでした。

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