12/22 減便直前 宗谷本線駅めぐり その2(筬島・南幌延・安牛・歌内・南稚内)
徳満11:34発普通名寄行き4330D(キハ54-501)は昼間の列車の割には乗車率が高かったのですが、その大半が旅行者でした
12:59着の筬島で下車
ここも秘境駅として知られている駅の一つです
駅舎は宗谷本線で近年増えてきている「リニューアル貨車駅舎」で、国鉄末期からの貨車駅舎の外板を貼り替えたもの
問寒別もこのような感じでした
しかし、問寒別と違って駅舎内はあまり綺麗とは言えず、床板も傷んできているのか内部を動き回るたびにバコバコと音を立てます
しかも、壁には誰のかわからない上着と帽子が掛けられていました
駅前には建物が何軒かありますが、そのほとんどが廃屋で、生活が営まれている気配のある家は少ないです
駅前でひときわ目を引くのが「筬島生活改善センター」という赤い屋根の建物
一体何のための建物なのかわかりませんが、人の気配はありませんでした
駅近くには彫刻家・砂澤ビッキの美術館があるのですが、冬季は営業していません
途中の雄信内で4分停車し、札幌行き特急サロベツと離合
15:04着の南幌延で下車
板張りホームと掘立小屋のような待合室だけの駅ですが、仮乗降場から昇格した駅ではなく昭和34年開業時からの一般駅です
待合室は手作り感あふれるもので、天井は低く照明はありません
ベンチすらなくここで長時間列車を待つのは辛いんじゃないかと思われます
安牛駅までは直線距離で1.9km、線路と平行に走る手塩国道を歩いても2.4kmなので大した距離ではありません
しかも、山道ではなく平坦地です
手塩国道は車の通行量が多いのでちゃんと除雪されていますが、歩道が雪に埋もれている上にすぐそばを車が物凄いスピードで飛ばして行くので安心して歩ける道でありません
隣を飛ばして行く車に気をつけながら歩くこと17分、遠くに安牛駅の駅舎が見えてきました
遠くから見ても駅周辺に人家は一軒も見えません
ただ無人の原野が広がるばかりです
歩き始めて21分
ようやく安牛駅に通じる道の分岐点に到着
分岐点のところには昭和57年に廃校となった幌延町立安牛小学校が建っています
駅前通りの先に安牛駅を望む
道は除雪されていますが、人々の去った今一体何人がこの道を通るのでしょうか
痛みの激しい貨車駅舎
駅前側は駅名表示も読み取れないほど錆びています
この状況になっても修繕されない辺りこの駅の余命も短いのでしょうか
冬の夕方の駅前
かつて多くの人が暮らし栄えたであろう集落の跡もすっかり自然に還っています
全国的に地方では過疎化がますます進む今、この駅の置かれた状況は他人事では済まされないのかもしれません
道北の厳しい過疎の現状を見せつけられた気がしました
駅舎内は壁は腐り、床は傾き想像以上に傷んでいました
居心地がいい空間とは言えませんが、利用者が皆無に近いので問題にもならないのでしょう
安牛16:02発普通旭川行き4334D(キハ54-509)はガラガラで旅行者の姿さえ見かけませんでしたが、地元の人らしき女性2名が乗っていました
そのうち1人は問寒別で降りてしまい、たった2名の乗客を乗せて列車は16:23歌内着
夕暮れのホームに降り立つと、列車はたった1人の乗客を乗せて音威子府方面へと走り去って行きました
歌内駅は秘境駅の一歩手前といった状況の駅で、駅周辺にある人家の半数は廃屋のようです
ここも十数年後には安牛駅のようになっっているのかもしれません
駅舎は安牛と同じ塗装の貨車駅舎
安牛ほどの痛みは見られませんが、問寒別や筬島のようにリニューアルされていないのが気にかかります
駅舎内はボロいというよりも汚く、たった一つある長椅子の上には大きなハエの死骸が何匹も転がっている始末
何とか汚れがマシな部分を見つけて鞄を置きましたが、とても座る気にはなりません
この写真ではわかりませんが、駅舎内の蛍光灯2つのうち1つは切れていて薄暗かったです
次の列車までかなり時間があるので、持参した三脚を取り出し、駅舎を撮影することにします
突然だったので碌な写真が撮れず・・・
体もすっかり冷え込みそろそろ暖房の効いた列車内が恋しくなる頃、迎えの列車がやってきました
17:11発普通稚内行き4335D(キハ54-501)に乗り込み、歌内駅を後にします
この列車はダイヤ改正後も残されるそうですが、相変わらず乗車率は悪く宗谷本線自体が果たしていつまで残ることができるだろうかと心配になってしまいます
南稚内18:39着
今夜の宿は駅前に出てすぐのところにあるビジネスホテルです
チェックインをして一旦部屋に荷物を置いてから近くのセイコーマートへ夕食を買い出しに出ます
この日の夕食は温玉乗せの暖かい豚丼
駅めぐりで冷えた体を食事と入浴で温めて就寝。明日も駅間歩きがあるので早く寝るに越したことはありません