まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

8/17 夏雨の田沢湖線・東北本線・山田線駅めぐり

この日は青春18きっぷを使い、盛岡周辺の駅を巡りました。

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早朝の盛岡駅西口に到着

バスタ新宿を21:40発岩手県北自動車MEX三沢01便で出発、乗客は他に一人だけという空き具合で、バス会社の今後が心配になります。濃厚接触する可能性が高い帰省に関しては控えた方がいいでしょうが、それ以外のリスクの低い旅行に関しては感染対策を取った上で積極的にしていかなければならないなとつくづく感じます。「収まったら旅行しよう」なんて思っていても収まる頃にはバスもローカル線も旅館もみんな潰れてるみたいな事態を回避するためにも。

盛岡駅西口に到着したのは4:51。雨が降っているおかげで東京とは比べ物にならないくらいの涼しさです。

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赤渕

盛岡5:20発普通大曲行き821M(クハ700-5006)に乗車。N5006+N5010+N5008の6両編成ですが、県境手前の赤渕で8分ほど停車して後ろの4両を切り離しました。その停車時間を利用して駅を撮影します。昭和39年に橋場線の終着駅として開業した駅で、駅舎のない、島式ホームだけの無人駅です。41年に生保内(現:田沢湖)まで延伸されて田沢湖線の駅となり、秋田新幹線開業による改軌を経て現在に至ります。田沢湖までの駅間距離はなんと18.1㎞で途中に信号場も二つあります。通過する新幹線こそ多い区間ですが、普通列車は一日わずか4往復と、18きっぷで通り抜けるにはあまり有り難くない区間です。

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雨の中での切り離し作業

駅を一通り撮った後は雨の中行われていた切り離し作業を見学。ホームの上に並べられた物体は連結器カバーです。切り離された後ろ4両はこの後、当駅6:35発の上り始発列車822Mとなって盛岡へと戻っていきます。

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神代駅

引き続き821Mに乗車して県境を越え、神代で下車。思わず「こうじろ」と読みたくなってしまいますが、こちらの読みは「じんだい」。昭和31年の仙北郡田沢湖町(現:仙北市)成立まで存在した旧神代村に由来します。米どころ秋田らしい田園地帯の中にある駅で、平成19年7月改築の駅舎は小さいながらも古民家風デザイン。改築前は及位駅などと同型のカプセル駅舎だったそうです。

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生田駅

神代6:53発普通大曲行き823M(クハ700-5007)で生田へ。読みは「いくた」ではなく「しょうでん」。生保内線時代の昭和30年に開業した駅で、ホーム上に平成9年3月改築の待合室があります。いかにもローカル線らしい片面ホームの棒線駅ですが、ミニ新幹線も通る路線上にあるだけあってホームも線路もがっしりしています。さすがに田沢湖線では芸備線みたいに線路が自然に侵食されるようなことはないのでしょう。

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刺巻

生田7:05発普通田沢湖行き820M(クモハ701-5009)で刺巻へ。水芭蕉の群生が見られる刺巻湿原の最寄り駅で、周囲に人家は少なく、山間の交換駅といった趣ですが、駅前を交通量の多い国道46号が通っています。駅舎は建物財産標によれば昭和43年1月に建てられたもので、外観はログハウス風に改装されています。室内はサウナのような臭いがしました。

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春木場

刺巻7:36発普通盛岡行き826M(クモハ701-5006)で再び県境を越えて春木場へ。この列車の次に県境を越える普通列車は8時間後までありません。

不要不急路線として休止されていた橋場線が復活した昭和39年9月に開業した駅で、変わった形の待合室が特徴です。駅前こそ駐輪場くらいしかありませんが、少し歩いて国道46号の旧道に出ると商店などが集まっています。

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通過するこまち95号

駅の撮影を終え、そろそろ立ち去ろうかというタイミングで、下り秋田新幹線の一番列車であるこまち95号が通過。本来ならホーム上に人がいることなんて少ないので、容赦なく通過していきます。ローカル駅を通過する新幹線という光景が見られるのは全国でも山形新幹線秋田新幹線の二つだけ。

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葛根田川橋梁

隣の雫石駅まで30分ほどかけて歩いていきます。途中、田沢湖線葛根田川橋梁を上から見下ろしてから、脇道に入って橋梁の下をくぐるというルートを通りました。列車というのはちょうどいいタイミングで来ないもので、橋梁を通り過ぎたタイミングでこまち10号がやってきたので慌てて撮ったもののうまく行きませんでした。

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雫石駅

雨の中を歩いて雫石駅に到着。岩手郡雫石町の玄関口で、秋田新幹線こまちは4往復のみ停車、盛岡からの折り返し普通列車が多数設定されています。駅舎は平成9年3月の新幹線開業に合わせて改築されたもので、改札口は2階にあり、自由通路と直結。1階には物産館やレストランが入居しています。訪問時はまだ開いていませんでしたが、今度来る時はここのレストランで食べてみたいですね。平成14年には「宮沢賢治をテーマにしたファンタジックな駅」として東北の駅百選に選定されました。

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大釜駅

雫石9:12発普通盛岡行き828M(クモハ701-5008)で大釜へ。駅到着時に緊急停止装置が作動したらしく停止位置より手前で急停車、ドアが開かないまま4分ほど待たされ、ようやく停止位置まで前進してから降りることができました。自分は駅での滞在時間がたっぷりあったからよかったものの、ホームで待ってたお客さんはドアが開かないことに明らかにイライラしてる様子でした。事故を防ぐためにはしょうがないのでしょうが、トラブル発生時の復旧の煩雑さはあまり有り難いとは言えません。

盛岡市ベッドタウンとして急激に成長し、平成26年に市制施行した滝沢市の代表駅で、駅舎は平成12年2月に改築されたコミュニティセンターとの合築です。学童保育クラブが入居しているため、階上からは子どもたちの声が聞こえてきます。

駅前には駅名にちなんだ釜のモニュメントがあり、前九年の役の際、源義家がこの地に大きな釜を据えて兵馬に糧食を給与したことにちなむという地名の由来について書かれています。

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大釜駅 ホーム

ホームは今年4月25日に改良工事が完成したばかりで、完成によって全ての列車が1番線に停車するようになりました。2番線及び跨線橋は閉鎖されていますが、いつ頃撤去されるのでしょうか。

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小岩井駅

大釜10:07発普通雫石行き829M(クハ700-5006)で小岩井へ。徒歩では行けないものの日本最大の民間農場である小岩井農場の最寄り駅です。「小岩井」の名は日本鉄道(東北本線の前身)の副社長だった野義眞、三菱総帥の崎弥之助、鉄道庁長官の上勝(日本の鉄道の父と呼ばれる)からそれぞれ一字ずつ取って名付けられています。駅の開業は大正10年、来年の6月25日で開業100周年を迎えます。開業時以来の木造駅舎が残っており、改築されるようなことが無ければこちらも来年百年を迎えることになります。

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日詰駅

小岩井10:45発普通盛岡行き830M(クモハ701-5006)と盛岡11:07発普通一ノ関行き1536M(クハ700-1011)で日詰へ。ここからは東北本線の駅を巡っていきます。

折り返し列車も設定されている日詰は紫波郡紫波町の駅で、駅名は紫波町の前身の一つである旧日詰町に由来しますが、旧日詰町は紫波中央駅のある辺りで、日詰駅の所在地は旧赤石村にあたります。日本鉄道の駅として明治23年開業と130年もの長い歴史を持つ駅ですが、駅舎は昭和61年11月改築のコンパクトなもの。有人駅ですが、みどりの窓口は平成30年3月で営業を終了しています。

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矢幅

日詰11:52発普通盛岡行き2529M(クモハ701-1031)で矢幅へ。紫波郡矢巾町の玄関口ですが、駅名と町名では表記が異なります。駅舎は平成20年に橋上化されたもので、東口は東北新幹線の高架下にあります。橋上化前の駅舎は高架下にすっぽりと収まっていました。快速が停車し、みどりの窓口があるなど、盛岡郊外の中心駅の一つといった雰囲気です。

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石鳥谷駅

矢幅12:21発普通一ノ関行き1538M(クハ700-1032)で石鳥谷へ。平成18年に花巻市と合併した旧稗貫郡石鳥谷町の玄関口で、明治26年2月開業時のものと思われる古い木造駅舎が現役で使用されています。開業時のものだとすれば築127年、内外装ともにかなり手が加えられていますが、明治の駅舎らしい貫禄を保っています。

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花巻空港駅

石鳥谷13:10発普通北上行き2528M(クハ700-1014)で花巻空港へ。昭和63年に「二枚橋」から改称された、いわて花巻空港の最寄り駅で、大正11年開業の信号場がその前身です。駅舎は昭和7年11月の駅昇格時に建てられたもので、木目調に茶色く塗られています。宮沢賢治ゆかりの羅須地人協会への最寄り駅でもありますが、建物自体はもっと花巻の中心に近い所から移築されてきたものなので、生前の宮沢賢治が二枚橋駅を利用したことがあったのかは不明です。

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六原駅

花巻空港13:40発普通一ノ関行き1540M(クハ700-1031)で六原へ。大正11年5月開業の三ヶ尻信号場が昭和12年に昇格した駅で、パルプ工場への専用線が分岐し貨物輸送で活況を呈したこともありましたが、平成24年に貨物列車の設定は廃止され、駅も平成31年3月に無人化されました。駅舎は昭和40年1月に改築されたもので、待合室の中央部分は雨漏りのため立入禁止となっていました。

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六原駅構内

構内は島式2面4線ですが、実質的に使われているのは2線のみで、駅舎側の一線には踏切が設置されているので、跨線橋を渡らずとも1番ホームへ行くことができます。貨物営業の盛んだった駅らしく側線跡が残り、必要以上に長いホームもかつての栄華を感じさせます。

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北上駅 東口

六原14:18発普通盛岡行き1539M(クモハ701-1032)で北上へ。東北新幹線も停車する北上市の玄関口で、北上線が分岐しています。東北本線のホームは2面3線、新幹線ホームとの間に多くの留置線があります。改札口は東西2ヵ所で、東口は新幹線がメインといった趣。駅前のラーメン一で遅めの昼食を取りました。

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紫波町役場旧庁舎と旧紫波郡役所

北上15:22発普通盛岡行き1541M(クモハ701-1011)で紫波中央へ。以前にも訪問済みなので駅の撮影はそこそこに、10分ほど歩いて紫波町役場旧庁舎を見に行きました。

 平成27年5月7日の新庁舎使用開始まで使われていた旧庁舎は、昭和38年に建築された、全国的に見ても珍しいスターハウス型。解体予算の不足で5年に渡って放置されてきましたが、いよいよ跡地の再開発が始まるとのことで、今のうちに見ておこうとこの岩手行きを決めました。庁舎の隣には、明治31年築の旧紫波郡役所があり、こちらは町指定有形文化財となっているので残ると思われます。

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岩手飯岡

紫波中央駅に戻り、16:53発普通盛岡行き1543M(クモハ701-1035)で岩手飯岡へ。昭和25年に中通信号場が昇格して開業した駅で、新幹線の高架下に昭和49年改築の小さな駅舎があります。こう見えても有人駅で、みどりの窓口も設置されています。盛岡市の郊外だけあって利用者もそれなりに多く、令和4年冬の完成を目指してまもなく橋上化工事が始まる予定です。

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山岸駅

岩手飯岡17:19発普通盛岡行き2535M(クモハ701-1032)と盛岡17:50発普通宮古行き645D(キハ110-128)を乗り継いで山岸へ。昭和26年に仮乗降場として開業し、翌年一般駅に昇格しました。周辺は郊外ニュータウンといった感じで、それなりの利用は見込めそうに思いますが、停車する列車は一日わずか6往復です。

その数少ない列車のうち18:14発普通盛岡行き644Dで上盛岡へと向かう予定でしたが、時間になっても一向に列車はやって来ません。18:23になって放送が入りましたが「確認中ですのでしばらくお待ちください」とのことで、18:29の放送で「区界~上米内で鹿と衝突のため20~25分ほど遅れる見込み」だとようやく分かりました。

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盛岡駅

結局28分遅れでやってきた644D(キハ110-134)で上盛岡へ。盛岡市街地にある駅で、周辺にマンションが立ち並び、駅裏に薬局があるなど随分都会的な雰囲気ですが、山岸同様一日6往復しか停車しません。駅舎は平成10年12月に改築された簡易なもので、マンションの影にひっそりと佇んでいます。駅ノートもありますが、都会らしく少し荒れていました。

この後、盛岡駅まで20分ほどかけて歩き、駅ビル地下の柳屋でSLブラックラーメンで夕食としました。

帰りのバスは23:20発オリオンバスで、正直発車までの時間の潰し方に困りました。