まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

11/13 GOTO高知 土讃線・中村線駅めぐり

GOTOキャンペーンを利用しての2回目の旅では高知・徳島へと向かいました。最近は北の方ばかり優先していたのであまり行く機会の無かった四国ですが、就職で近畿に帰れば、行きやすくなるので行く機会が増えそうです。

f:id:Sakasegawa3019:20201118052358j:plain

鳴門でバスを乗り換え

バスタ新宿21:15発コトバスエクスプレス701便は、東名道集中工事のため、30分ほど遅れて鳴門ICに到着。バス本体はこのまま徳島・高松へ向かうため、高知・松山へ向かう乗客はシャトルバスへの乗り換えが必要となります。

高知行きシャトルバスは鳴門6:40発。ところが、鳴門を出て高速に乗ってすぐのトンネルで停車しました。車両火災による事故渋滞で、結局脱出したのは7:27でした。このままの遅れで行くと高知駅到着は10時前後、9:53発の特急への乗車を予定しているのでギリギリ間に合いません。ところが、渋滞を抜けてからは休憩時間も削ってスイスイと走ったためか、高知駅到着見込みが9:45と若干早まりました。阿波池田から険しい四国山地を越えて高知まで、高速道路だとたったの一時間、これでは新幹線でも建設しない限り鉄道に勝ち目はないなと感じました。

f:id:Sakasegawa3019:20201118054053j:plain

高知駅

高知駅には9:48着。みどりの窓口で四国満喫きっぷプラスを購入し、9:53発特急あしずり1号2071D(2459+2123)に飛び乗ったのは発車1分前でした。実は室戸以外の高知県に来るのは初めてなのですが、初めて来た県庁所在駅をじっくり見る余裕なんてありません。

f:id:Sakasegawa3019:20201118054521j:plain

佐川駅

佐川で下車。普通列車だと1時間以上かかるところが特急だと20分ちょいなので、改めて特急というものの便利さを痛感します。幸いなことに四国は特急も乗れるフリーきっぷが充実しているため、駅めぐりにも特急を活用することができます。

高岡郡佐川町の玄関口・佐川駅の駅舎は大正13年10月開業時のもので、分割民営化時に改装されてスタイリッシュなデザインになっていますが、これはこれでありだなと感じます。庇や上屋などは木製のままで、昔ながらの雰囲気を今にとどめています。

f:id:Sakasegawa3019:20201118055429j:plain

仁井田駅

佐川10:49発普通窪川行き4723D(1037)で仁井田へ。昭和30年1月まで存在した旧高岡郡仁井田村にある駅で、昭和26年11月と土讃線の中でも最後に開業した区間にあります。戦後の開業らしく駅舎はコンクリートの四角いもので、すぐ隣に巨大な銀杏の木が立っています。ネットに上がっている写真などでは駅舎は薄汚れた感じでしたが、実際行ってみると塗り直されたようで真っ白でした。来年で築70年を迎える駅舎ですが、外壁が綺麗なだけでこうも若返るものなのですね。

f:id:Sakasegawa3019:20201118060914j:plain

レストランコスモス ハンバーグ

土讃線の末端とも言える須崎~窪川間は極端に列車の本数が少ないため、歩いて隣の六反地駅へ向かいます。その道中、六反地駅の手前にレストランがあったので昼食を取りました。ハンバーグ(700円)とライス(200円)、特に値段が安いというわけではありませんが、美味しくて店の雰囲気も良かったので、またこの辺に来る機会があれば寄って他のメニューも食べてみたいなと思いました。国道沿いのレストランでお遍路さんが休んでいるのも「四国」という感じです。

f:id:Sakasegawa3019:20201118061404j:plain

六反地駅

昼食の後も引き続き歩き、六反地駅へ。高岡郡窪川町になってからの昭和36年4月に開業した、ホームだけのシンプルな駅です。集落の外れにポツンと存在し、駅前に目立つのは鉄工所くらいしかありません。土讃線最後の開業区間である影野~窪川間が開業した際、途中駅は仁井田のみでした。

f:id:Sakasegawa3019:20201118062003j:plain

影野駅

六反地13:17発普通高知行き4740D(1037)で影野へ。旧仁井田村の北部にある駅で、開業は昭和22年10月。窪川延伸までの4年間は終着駅でした。木造駅舎が残っていますが、リニューアルされていて雰囲気は今一つ。駅舎前のミニ庭園がいい味出していますが枯れています。駅構内は広く、貨物ホーム跡や側線などがかつての栄華を今に伝えます。

f:id:Sakasegawa3019:20201118063012j:plain

土佐佐賀駅

影野13:45発普通窪川行き4729D(1012)と窪川14:00発普通中村行き517D(TKT-8004)を乗り継いで土佐佐賀へ。平成18年の合併で幡多郡黒潮町となった旧佐賀町の玄関口で、昭和38年開業時に建てられた駅舎が現役で使用されています。昭和45年の中村延伸までは終着駅でした。かつての町の玄関口だけあって特急も停車しますが、無人化されています。ホームは島式で、国鉄時代は跨線橋がありましたが、転換後に構内踏切に改められています。

f:id:Sakasegawa3019:20201118064018j:plain

黒潮町佐賀庁舎(旧幡多郡佐賀町役場)

旧佐賀町役場があるのはすぐ駅前。こんなに駅から近い役場というのも珍しいですが、昭和47年建築とのことなので、利便性等を考え敢えて駅の近くに建設したのでしょう。

ザ・役場といった感じの端正なスタイルで、耐震化済みなので今のところ建て替え計画はないようです。

f:id:Sakasegawa3019:20201118064727j:plain

土佐久礼

土佐佐賀15:32発特急あしずり12号2082D(2109+2157)で土佐久礼へ。昭和14年土讃線の終着駅として開業した駅で、戦争による中断もあって影野延伸までの8年間終着駅でした。3段屋根の木造駅舎は開業時のもので、リニューアルこそされていますが、同時期に建てられた牟岐や油津と共通するものが感じられる立派なものです。

f:id:Sakasegawa3019:20201118065439j:plain

高岡郡中土佐町役場

駅から5分ほど歩いて中土佐町役場へ。昭和46年に建設されたもので、つっかえ棒のような柱が目を引きます。耐震性が低いことから高台への新庁舎移転が進められており、駅裏の高台には新庁舎が姿を現していました。モダニズムを感じさせる現庁舎もまもなく見納めとなります。この庁舎についてはネットで写真を目にしてから気になっていたので、建て替え前に見ることができてよかったと思います。

f:id:Sakasegawa3019:20201118070354j:plain

中土佐町 新庁舎

目的であった役場を見終えて土佐久礼駅へ戻ります。駅裏で目立つこちらの建物が新庁舎。ほとんど完成しているので移転は時間の問題でしょう。役場の高台移転というと大抵は町の中心から離れてしまうものですが、中土佐町の場合は久礼の市街地がコンパクトということもあって新庁舎も駅から至近の立地となる予定です。

f:id:Sakasegawa3019:20201118070710j:plain

須崎駅

土佐久礼16:58発普通須崎行き4752D(1012)で須崎へ。高知県西部の中心都市・須崎市の代表駅ですが、市役所などからは少し離れています。駅舎は昭和30年8月改築の平屋コンクリ造で須崎駅内郵便局が入居しています。乗り換え待ちの時間は40分と中途半端だったので、名物鍋焼きラーメンは次の機会に食べることとしましょう。

f:id:Sakasegawa3019:20201118071712j:plain

あしずり14号

須崎17:55発特急あしずり14号高知行き2084D(2122+2458)で高知へ。2分で高知18:36発特急南風26号岡山行き56D(2701+2751+2803)に乗り換えて阿波池田へ。このご時世でも南風は盛況で、自由席は満席だったので立ったまま一時間を過ごしました。

f:id:Sakasegawa3019:20201118072119j:plain

阿波池田駅

19:45 阿波池田に到着。徳島県西部の交通の要衝ですが、この時間帯ともなればさすがに静まり返っています。この日の宿は駅から20分ほど歩いたビジネスホテル阿波池田、あまりの道の暗さにもうちょっと駅から近いところを予約すればよかったと思いましたが、2600円ほどで泊まれているので文句を言ったら罰が当たります。

 

続く2日目は徳島・高知の県境区間の駅を巡っていきます。

11/6 運用が減る6050系を記録しに東武日光線へ

この日は、11月8日のダイヤ改正で運用が減少する東武6050系を記録するべく、久しぶりに栃木へと行ってきました。

 

高田馬場4:48発山手線外回り0403G(モハE234-64)、日暮里5:13発常磐線快速勝田行き321M(クハE531-22)、北千住5:23発準急東武動物公園行き4583S(8115)、東武動物公園6:20発普通南栗橋行き601(77708)、南栗橋6:32発東武宇都宮行き413(24441)を乗り継いで新栃木へ。

f:id:Sakasegawa3019:20201117053347j:plain

日光行き913と宇都宮行き417

以前来たときは20400系は宇都宮線内で折り返すものがほとんどで、日光線の列車は10000系が主力と言った感じだったので、20400系が日光線の主力となり、南栗橋まで直通している現状には隔世の感すら覚えます。

f:id:Sakasegawa3019:20201117053931j:plain

新栃木止まり910

6050系の復刻塗装車、6162F+6179Fは新栃木止まり910に充当されてやってきました。この塗装は初めて見ましたが、ブラックフェイス以外もよく似合うものですね。ホームに停車するので、細部を撮るチャンスかと思いきや、こんな時に限って日が出てきて逆光になりました。すぐに廃車ということはないでしょうが、早いうちにリベンジしておきたいものです。

f:id:Sakasegawa3019:20201117054745j:plain

家中駅ホーム

新栃木駅でしばらく撮影してから、11:33発区間急行東武日光行き51(6274)で家中へ。平成22年に栃木市に合併された旧下都賀郡都賀町役場の最寄り駅で、昭和30年の津賀町成立前は家中村でした。ホームは島式で、楡木駅と似たような感じです。

f:id:Sakasegawa3019:20201117055245j:plain

家中駅

昭和48年と早期に無人化されており、かつては東口に木造駅舎があったそうですが、解体されて寂しげな印象です。ネットに上がっている写真を見る限り、駅舎は平成7年ごろまでは残っていたようですが、解体時期については調べても出てきませんでした。

f:id:Sakasegawa3019:20201117060046j:plain

合戦場へ

家中11:45発普通新栃木行き918(6175)で一駅戻って合戦場へ。独特の駅名は、大永3(1523)年11月10日に宇都宮忠綱と皆川宗成が戦った河原田合戦に由来します。

f:id:Sakasegawa3019:20201117060934j:plain

合戦場駅

東口にある駅舎は平成19年5月に改築されたもので、東武ではよく見られる箱型の簡易駅舎です。かつてあった木造駅舎は基礎だけが残っています。駅前には短距離乗車券(軟券)を取り扱う簡易委託の商店があります。

f:id:Sakasegawa3019:20201117061712j:plain

DE10 1109

合戦場12:23発普通下今市行き919(62101)で下今市へ。午後は下今市でやってくる列車をひたすら撮影していきます。

写真のDE10 1109は盛岡で山田線落ち葉掃き列車などに使用されていたもので、譲渡に際して北斗星牽引機のカラーに塗り替えられました。北斗星を牽引していたのはDD51なので、完全な再現とまでは行きませんが、雰囲気は抜群です。

f:id:Sakasegawa3019:20201117062528j:plain

側線留置の6154F+6157F

6050系の現役編成の中では唯一未撮影だった6154Fも撮影。見た感じ、車体の傷みが激しいので、余命もそう長くは無さそうです。

f:id:Sakasegawa3019:20201117062833j:plain

南栗橋に到着

15:43発区間急行新栃木行き56(6176)で帰途に就きます。遅れてきた鬼怒川線の列車を待ったため、3分遅れで下今市を発車しましたが、新鹿沼で遅れを回復しました。

南栗橋17:11発急行中央林間行き1766T(51056)で北千住へ。駅構内の丸亀製麺で夕食を取ってから18:21発常磐線440M(サハE530-2001)、日暮里18:30発山手線内回り1824G(モハE235-120)と乗り換えて帰宅しました。

10/19 木造駅舎と近代建築を求め GO TO 長門

山口GOTO旅二日目は長門地方を中心に巡っていきます。

日の出直前にホテルを出発。まずは岩鼻駅を目指そうとしましたが、ナビに案内されたのは軽以外では通るのがキツそうな細い道。仕方なく岩鼻駅は諦めてスルーすることにしましたが、次にこの地方に来る時まで改築されないでいてほしいものです。

f:id:Sakasegawa3019:20201107052952j:plain

菊川町農業協同組合豊東支所

気を取り直して下関方面に向かい、内陸部に入って旧菊川町へ。古くからの市街地の中に古い農協の建物が残っていますが、かなり改装されています。現在は自治会館として使用されている模様。

f:id:Sakasegawa3019:20201107053658j:plain

長門鉄道 石町駅跡

北上して、旧豊田町域に入り、長門鉄道石町駅跡へ。レンガ造りの農業用倉庫が鉄道があった事を今に伝えています。実はこの倉庫の存在については知りませんでしたが、旧石町郵便局を見るために車を走らせていてたまたま発見しました。

f:id:Sakasegawa3019:20201107054008j:plain

旧石町郵便局跡

では、お目当ての旧石町郵便局はというと、残念ながら解体済み。ネットに上がっている写真ではそれほど大きな建物には見えませんが、更地になってみるとそれなりの大きさがあったことが分かります。

f:id:Sakasegawa3019:20201107054200j:plain

豊浦郡西市町役場

豊田町の中心・西市へ。昭和7年に建てられた旧西市町役場が残っています。企業の事務所に転用され、増築もされていますが、町章が残っています。

西市町は昭和29年の合併で豊田町となり、平成17年に下関市と合併しました。

f:id:Sakasegawa3019:20201107054930j:plain

木曽旅館

西市はこの地域の中心として古くから栄えた街らしく、中心部には旧役場以外にも古い建物が多く残されています。写真の木曽旅館はなかなかの風格。いつまで営業していたのでしょうか。

f:id:Sakasegawa3019:20201107055148j:plain

長門鉄道 西市駅跡

西市は昭和31年に廃止された長門鉄道の終着駅があった街でもあります。小月と仙崎を結ぶ陰陽連絡鉄道として計画された長門鉄道ですが、線路は仙崎までまだまだ遠いこの地で途切れていました。地形を見るにもしこの先の延伸が実現していれば、長門湯本辺りで美祢線とぶつかるので、美祢線が開業してしまった以上、どっちみち仙崎まで伸びるのは難しかったのではないかと思います。もし、美祢線より先に開業できていれば国有化されていたのでしょうね。

f:id:Sakasegawa3019:20201107055838j:plain

杢路子清流館

続いて杢路子清流館へ。昭和46年に閉校となった旧殿居小学校維新分校を改装したもので、昭和10年に現在地に移転した時に建てられた校舎ですが、新築同然に綺麗な姿です。周囲は廃村寸前といった感じの人気のない山奥で、廃屋と田畑を囲む電気柵が目立ちます。残念ながら逆光で真正面から上手く撮れなかったのでいずれ撮り直しに来ることになりそうです。

f:id:Sakasegawa3019:20201107060414j:plain

旧殿居郵便局

北上して、旧殿居郵便局へ。大正12年10月10日に落成した、八角塔屋付きの洋風建築で、日本の郵便局の中でも一二を争う美しさではないかと個人的には思います。隣にある現役の郵便局の方で頼めば中も見せてもらえるそうですが、この後も行かなければならないところがたくさんあるので次の機会にします。

f:id:Sakasegawa3019:20201107060844j:plain

厳島神社

郵便局の近くには厳島神社という神社があるのですが、そこの参道入口の鳥居前には神の使いである鹿と烏のモニュメントが対になって置かれています。気を付けて見ておかないと見落としてしまいそうなくらい小さなものですが、今では獣害の象徴となった鹿が神の使いとして敬われていたことを感じさせてくれる存在です

f:id:Sakasegawa3019:20201107061248j:plain

特牛駅

旧豊北町に入り、特牛駅へ。秘境駅として知られていますが、駅前に人家があって集落も近いのでそれほど秘境感は感じません。「ちょっと開けた飯浦駅」といった感じの印象です。飯浦駅は木造駅舎が解体されてしまいましたが、こちらは昭和3年開業時の木造駅舎が残っています。形状は昨年惜しくも解体されてしまった隣の阿川駅のものと同じですが、一部改装されています。最近はあまり管理が行き届いていないのか、駅舎内は荒れた印象で、蜘蛛の巣や枯れ葉、虫の死骸が目立ちます。正直この駅舎も後が長くなさそうだと感じました。

f:id:Sakasegawa3019:20201107061848j:plain

駅前にはバスが発着

駅舎を撮っているとお婆さんがホーム側から現れました。列車の時間でもないのに何故?と思いましたが、その後すぐにバスがやってきたので疑問は解決。ところが、坂を登って駅前にやってきたバスは、駅前を通り過ぎて坂をさらに登って行ってしまいました。しかし、これは駅前が狭く転回できないことによる措置だったようで、向きを変えてまた坂を下り、駅前にやって来ました。お婆さんを乗せてバスはすぐに発車、滝部駅へと去っていきました。

f:id:Sakasegawa3019:20201107062343j:plain

特牛漁港

特牛駅は山間にありますが、車で5分走ればそこは海。駅名の由来になった特牛は日本海に面した小さな漁村です。漁村らしく狭く入り組んだ道に沿って古い建物が多く残っています。

f:id:Sakasegawa3019:20201107063003j:plain

’98 謝恩セール‼

その中の元呉服店には「'98 謝恩セール‼」と平成10年の看板がそのまま貼られていて驚きました。この手の看板というのは基本的に短期間で撤去されてしまうものなので、まさか22年も貼られっぱなしになるとは当の看板自身も思わなかったのではないでしょうか。

f:id:Sakasegawa3019:20201107063217j:plain

長門市油谷支所(旧大津郡油谷町役場)

日本海に沿って進み、旧油谷町へ。有名な角島大橋も元乃隅稲成神社もスルーです。

油谷町役場は昭和44年9月竣工。内部はかなり老朽化してきているようで、そう遠くない将来建て替えられることになりそうです。

f:id:Sakasegawa3019:20201107063734j:plain

人丸駅

油谷町の中心部には人丸駅が立地。元乃隅稲成神社の最寄り駅ということで、入口に鳥居が設置されています。駅舎は前日に岩徳線で見たのと似たようなマンサードのファザードが個性的な木造駅舎。しかし、改装され尽くしているので風情には欠けます。

油谷といえば、安倍前総理の祖父・安倍寛の出身地。前総理だけでなく父・晋太郎も東京出身ですが、本籍地は油谷町で、お墓も油谷町にあります。言ってみればお膝元中のお膝元なのですが、前総理は帰郷の際にこの駅に降り立ったことはあるのでしょうか。前原さんや石破さん以外の大物政治家はあまりローカル線に乗ってるところが想像できないのですが。

f:id:Sakasegawa3019:20201107064646j:plain

明石公会堂

長門市中心部を通り過ぎて萩市に入り、明石公会堂。昭和元年に建てられた古い建物ですが、今なお現役で、美しい姿を保っています。ただ、残念ながら逆光

f:id:Sakasegawa3019:20201107065044j:plain

三見駅

続いて三見駅へ。長門市~東萩~益田は本数が非常に少ないので列車での訪問は簡単ではありません。三見の駅舎は大正14年4月開業時に建てられたもので、木製の引き戸が残っているのが、個人的にポイント高いです。ただ、待合室にゴミが放置されるなど、特牛ほどではないにしろ荒れた感じなので、今後が心配されます。

f:id:Sakasegawa3019:20201107065617j:plain

玉江駅

隣の玉江駅へ。萩市中心市街の西の玄関口で、大正14年4月開業時に建てられた立派な木造駅舎が残っています。こちらはしっかりと管理されていますが、惜しむらくは列車の本数が少ないことです。鉄道の父・井上勝の出身地なので、せっかくなら旧事務室部分を改装してちょっとした展示でもして活用してもらいたいところ。

f:id:Sakasegawa3019:20201107070008j:plain

玉江駅 ホーム待合所

階段を登ったホーム上には木造の待合所。老朽化のため撤去されるそうですが、工期は11/24~27。この規模だとたった3日で撤去できてしまうのですね。駅舎は末永く残ってくれることを祈ります。

f:id:Sakasegawa3019:20201107070304j:plain

長門大井駅

萩城下町をスルーして長門大井駅へ。せっかく前を通るんだからと思わなくもないですが、萩くらいの街だと色々見て回るのに2,3日はかかりそうなので、また改めて来るとしましょう。長門大井の駅舎は昭和4年4月開業時のもので、江崎や奈古と同型。

かつては旧事務室部分に理髪店が入居していましたが、今は撤退しています。旧窓口や天井などが昔のまま残る貴重な駅舎ですが、ご多分に漏れず放置気味で蜘蛛の巣が目立ちます。

f:id:Sakasegawa3019:20201108052144j:plain

保谷入口バス停

長門大井駅から内陸部の旧福栄村に抜ける途中、険しい峠道の脇で傾きかけたバス停を発見しました。バス停の名は仁保谷入口。直前に谷底の方へと下りていく分かれ道があるので、そこから来ているのでしょう。周囲に人家はなく、果たしてどれだけの人が利用するのでしょうか。内部にはヤンマー田植機のホーロー看板が貼られています。

f:id:Sakasegawa3019:20201108052610j:plain

萩市福栄総合事務所(旧阿武郡福栄村役場)跡

福栄村に到着し、とりあえず道の駅「ハピネスふくえ」に駐車。今回のお目当ては旧役場ですが、一足遅かったようで、残念ながら瓦礫の山と化していました。仕方ないので、道の駅で少し休憩してから進んでいきます。

f:id:Sakasegawa3019:20201108053036j:plain

長門湯本駅

松下村塾前をスルーして一部開通の山陰道に乗り、あっという間に萩市を後にして再び長門市へ。温泉街を通り抜けて長門湯本駅へ。湯本温泉への下車駅ということもあって、訪問時は旅館の送迎バスを待つ観光客がいました。

駅は大正13年3月開業時のもので、張り出した庇が風格を感じさせます。駅舎のホーム側では、JRの作業員3人が駅舎の屋根の部分などを一脚を使って撮影していました。この駅には確か移転計画があったはずですが、それと関係しているのでしょうか。

f:id:Sakasegawa3019:20201108053751j:plain

渋木駅

後はひたすら美祢線の駅を見ながら宇部へと戻っていきます。続いて、渋木駅大正13年3月開業時のものと思われる小柄な木造駅舎が残っていますが、駅前が狭いので撮影には苦労します。見た感じ、利用者も少なく忘れ去られたような感じなので、美祢線にも駅簡素化の波が及んだら真っ先に取り壊されてしまいそうです。

f:id:Sakasegawa3019:20201108054153j:plain

於福駅

続いて於福駅大正9年10月30日開業で、つい先日開業100周年を迎えました。駅舎の旧事務室部分には地域交流ステーションが入居しており、しっかり活用されている様子なので、当分は残りそうな様子。「コロナ差別 NO!」とポスターが貼られているのも、一部地方において県外者差別が行われている中、それを許さない地域だというのが感じられて安心できます。

f:id:Sakasegawa3019:20201108054557j:plain

重安駅

重安駅には変わった形の木造駅舎が残ります。石灰石の搬出で賑わった駅で、構内は広く、駅舎の隣に運転従事員詰所もありますが、こちらも使われていない様子。全体的に大きな設備を持て余しているので、簡素化が行われても不思議ではありません。

f:id:Sakasegawa3019:20201108055056j:plain

四郎ケ原駅

四郎ケ原駅の駅舎は、天井が高く立派なもの。屋根はトタンに張り替えられていますが、そのトタンにも苔が生えて古びた雰囲気。しかし、旧事務室部分が活用されていないので、今後が心配されます。開業時に植えられたという駅前の大木もいい味出してますが、影が落ちてしまったのは残念なので、この駅舎があるうちにまたリベンジしたいものです。

f:id:Sakasegawa3019:20201108055644j:plain

厚保駅

隣の厚保駅にも四郎ケ原駅と同型の駅舎が残ります。しかし、こちらは於福駅同様、旧事務室部分が地域交流センターとして活用されているため、内外ともにかなり改装されています。張り出しているのは耐震補強でしょう。四郎ケ原駅のようなわびさびは感じられませんが、こちらは大切に使われている様子がしっかりと伝わってきます。

駅舎を撮っていると交流センターからおじいさんが出てきて、ホーム側の上屋が傾いているんだと教えてくれました。建物財産標によれば、駅舎は明治38年9月開業時のもの。今年で115歳ですが、平成25年に改装されたばかりなので、まだまだ現役であり続けるでしょう。

f:id:Sakasegawa3019:20201108060846j:plain

湯ノ峠駅

長門市行きの列車を見送ってから、湯ノ峠駅へ。厚保駅から湯ノ峠駅の方へ抜けるには狭くて険しい山道を抜けるしかなく、何か見覚えのある道だなと思ったら2月にも通った道でした。

厚狭川の畔にある湯ノ峠駅の駅舎は昭和18年12月改築。美祢線では唯一、妻面に出入口のある駅舎です。待合室内は虫の死骸と蜘蛛の巣だらけでほとんど放置状態でしたが、一昨年の一日の利用客数が4人という状況では仕方ないのかもしれません。

f:id:Sakasegawa3019:20201108061702j:plain

湯の峠温泉 岡田旅館

駅前の道を厚狭方面に進んだところに湯ノ峠温泉の旅館があります。湯ノ峠温泉唯一の旅館でしたが、平成25年夏に廃業してしまいました。しかし、建物が綺麗に残っている辺り、営業は止めても住んではいるようです。最寄りが放置状態の無人駅とはいえ、徒歩圏内なので、かつては列車で訪れる旅人もいたのでしょう。

f:id:Sakasegawa3019:20201108062854j:plain

鴨ノ庄信号場

湯ノ峠駅厚狭駅の駅間距離は4.2㎞。そのほぼ中間地点に鴨ノ庄信号場があります。昭和44年3月開業、厚狭市街の北の端に位置し、周囲の人家は湯ノ峠駅よりも多いので、民営化時に駅に昇格していれば、それなりに利用されていただろうと思われます。

石灰石輸送の貨物列車が交換していたこともあって有効長は長く、美祢線のかつての栄華を今に伝えています。信号場なので、乗客の乗り降りはないものの、布原駅のような短いホームが千鳥配置されており、駅のような雰囲気もあります。

f:id:Sakasegawa3019:20201108063512j:plain

旧伯野歯科医院

最後に厚狭市街へ。厚狭駅にほど近い住宅街の片隅に、昭和4年に建てられた旧医院が廃墟化しながらも残っています。バルコニー付きの造りなども美しく、もし手入れをすればさぞかし見事な姿になるだけに現状の放置状態が惜しいものです。お金に余裕があったら買い取って別荘にしたいなと思えるほど。

f:id:Sakasegawa3019:20201108064257j:plain

羽田に到着

宇部空港へと向かう途中で日が暮れ、19時前に車を返却。空港なら食事処には困らないだろうと思っていましたが、空港内で地域共通クーポンを使って夕食を買えるのはヤマザキショップのみ。菓子パンで味気ない食事を終えてから地域共通クーポンを使い切ってお土産を買いました。

20:05発羽田行きANA3816(SFJ16)便に搭乗し、羽田には21:40着。

羽田空港21:58発エアポート急行印旛日本医大行き2123N(7305)と品川22:25発山手線外回り2131G(モハE234-72)を乗り継いで帰宅しました。

 

山口県内の木造駅舎が消える前に見ておこうという思いで計画した今回の旅でしたが、次にこれらの駅を訪れる時にも何とか木造駅舎が残っていてほしいものです。

10/18 消えゆく木造駅舎を求め GO TO 周防

晴れて都民も使えるようになったGO TO TRAVELキャンペーン。さて利用してどこへ行こうかと考えていると、JR山陽本線四辻駅が10/21より改築されるとの知らせが飛び込んできました。そこで、急遽山口への旅行を計画しました

f:id:Sakasegawa3019:20201104052239j:plain

SFJ5G便に搭乗

高田馬場を5:43発山手線内回り0460G(モハE234-22)で出発し、品川で6:09発エアポート急行羽田空港行き500K(3151-8)に乗り換えて羽田空港へ。

7:20発SFJ5G(ANA NH3811)便に搭乗。機材はA320-214でした。

f:id:Sakasegawa3019:20201104052927j:plain

山口宇部空港

陸路だと遠い本州の果て・山口も飛行機だとあっという間で、9時に山口宇部空港に着陸。ローカル空港らしくこじんまりとしています。これまでの旅行で飛行機を利用したのは北海道行きと宮崎行きだけなので、この規模の空港を使うのは初めてです。

f:id:Sakasegawa3019:20201104053536j:plain

宇部岬駅

早速レンタカーを借りてまずは宇部岬駅へ。今回の旅では山口県内の木造駅舎のうち、建て替えられる可能性のありそうなものを片っ端から見ていきます。時間の関係で車での訪問となるため、訪問駅にはカウントしません。

宇部岬の駅舎は大正12年8月開業時に建てられたもの。あと3年で築100年となりますが、果たして駅舎はそれまで生き延びられるでしょうか。宇部線では今年に入ってから駅舎の簡素化が相次いでおり、老朽化した駅舎の残るこの駅なんかはそろそろ危なそうな気がします。

f:id:Sakasegawa3019:20201104054314j:plain

床波駅

続いて床波駅へ。宇部市内は狭い道が多くて結構走りにくい印象を受けます。駅までの道も狭く、駐車スペースも十分にないことが多いので、車で巡るには向いていない路線の一つでしょうね。

こちらの駅舎も大正12年8月開業時の駅舎(財産標にはT12.7)。宇部岬と同時期に建てられていますが、形状は随分と異なります。駅名看板が安っぽいのに取り換えられているのがつくづく残念です。

f:id:Sakasegawa3019:20201104055647j:plain

四辻駅

ちょっとだけ高速道路(無料区間)を飛ばして小郡を通り過ぎ、この旅一番の目的地・四辻へ。この駅の改築情報を目にしたのが、山口への旅に出るきっかけでした。

開業は大正9年5月6日、つい5か月前に百周年を迎えたばかりの木造駅舎ですが、改築工事のため、10月20日限りで使用終了となります。入口への階段とその両脇に植えられた松、無人駅にも関わらず手入れされた植木が何とも見事です。しかしながら、駅舎前は駐車場になっているので、駅舎を綺麗に撮るのは至難の業。利用者は結構多いらしく車はひっきりなしにやってきます。それでも、送迎の数分で行ってくれればいいのですが、中には「15分以上駐車禁止」を無視している車も。しかもよりにもよって真正面に陣取っています

f:id:Sakasegawa3019:20201104055019j:plain

四辻駅 ようやく車がいなくなったので満足の一枚

30分以上待ってようやく車が一台もいなくなったので満足のいく一枚を撮ることができました。この駅舎を撮れるのもこれが最初で最後なので色んな構図で撮影しておきます。車がいなくなると余計に引き立つ立ち姿の美しさ。日本の駅の中でも特に絵になる駅の一つだと思いますが、残念ながら後2日で見納め。この手の小さな駅の改築というのは本当に注目されないものですが、その美しさが駅巡り界隈以外でも有名だったのか、同じように撮りに来ていた人は結構多かったようです。

f:id:Sakasegawa3019:20201104060831j:plain

岩田駅

交通量が多く、しんどい国道2号で大都会周南を通り過ぎ、岩田駅へ。2月のドライブで見覚えのある道も通りました。

伊藤博文の出身地にある岩田駅は一応有人駅ですが、休日はやっていないというのを失念していました。いつ無人化されてもおかしくは無さそうな感じなので、また近々来ることになるかと思います。駅舎は昭和12年3月に改築されたもので、初代総理大臣の故郷の駅だからなのかデザインも結構凝っています。屋根の造りと車寄せの土台の石積みが個性的ですね。

f:id:Sakasegawa3019:20201104061950j:plain

通津駅

岩国市に入り、通津駅へ。山を背にして立つ木造駅舎は昭和9年8月開業時に建てられたもので、事務室部分が減築されています。無人駅かと思いきやここも平日は窓口が開いているそうで、無人化されないうちにリベンジしたいものです。

それにしても青地の駅名看板が渋くていいですね

f:id:Sakasegawa3019:20201104062032j:plain

周防高森駅

内陸部を玖珂に抜けて旧周東町に入り、岩徳線周防高森駅へ。こちらも休日なので窓口は開いていませんでした。逆光にはならなかったものの、駅名表示に影が落ちてしまっているのも残念です。

駅舎は昭和9年12月開業時に建てられたもので、マンサード屋根のファザードが立派です。小さなマンサードをファザードに取り入れた木造駅舎は山口県内に多く見られるもので、広島鉄道局下関管理部管内固有のスタイルだったと思われます。

f:id:Sakasegawa3019:20201104062131j:plain

高水駅

周南市に合併された旧熊毛町の玄関口・高水駅へ。元々独立した自治体だったとはいえ、人の気配のない無人駅にこのタクシーの数は過剰な気がしなくもありません。

駅舎は周防高森より一足早く、昭和9年3月に建てられたもので、ほぼ同時期と言っていいくらいですが、こちらはマンサードではない平凡なスタイルです。但し、入口の庇が鉄骨で支えられているのは共通しています。

f:id:Sakasegawa3019:20201104062210j:plain

周防久保駅

下松市に入り、周防久保駅へ。北向きの駅舎なので逆光にならないか心配でしたが、杞憂だったようです。

駅舎は高水と同じく昭和9年3月開業時のもの。細かい寸法などは違いますが、デザインなどは共通しています。昔はほとんど同じ形だったのでしょうが、後の補修で屋根の葺き方や駅名表示の位置も変わっているため、全く異なった印象を与えてくれます。

f:id:Sakasegawa3019:20201104062249j:plain

周防花岡駅

続いて周防花岡駅へ。周防高森と比べると全体的に小ぶりながらもマンサードの美しい木造駅舎が、山陽新幹線の高架を背に立っています。

周防高森より2年早く、昭和7年5月開業時に建てられたもので、余計な手の加えられていない入口庇や戦前の洋館によく見られるドイツ壁が美しいです。駅舎に寄り添って伸びる木もまた風情を感じさせます。上手く活用すれば人気の出そうな駅舎ですし、何とか生き残ってほしいものです。

f:id:Sakasegawa3019:20201104062325j:plain

福川駅

再び車の多い周南市街地を通り抜けて福川へ。旧新南陽市の市街地西部にある駅で、周辺は建物も多く都会的ですが、無人駅。

駅舎はいつ頃の建築か不明ですが、かつての栄華を感じさせるかのように規模が大きく、庇の下の出入口も2つあったようですが、向かって右側は封鎖されています。

ホーム上には年季の入った木造待合所も残っています。

f:id:Sakasegawa3019:20201104062448j:plain

戸田駅

予定になかったものの日没までまだ時間があるので戸田駅へ。ここは以前列車で訪問済みですが、気に入ったので再訪しました。良い駅は何度見ても良いものです。

大幹線の駅らしい風格を感じさせる駅舎は築年不明ですが、ひょっとすると明治44年開業時のものかもしれません。維持費は嵩みそうですが、雰囲気抜群なので何とか残してほしいものです。

f:id:Sakasegawa3019:20201104073502j:plain

国際ホテル宇部

国道2号、そして山口宇部道路を西へ走っている最中に日没、ホテルへ向かう前に来来亭宇部西岐波店で夕食を済ませました。

この日の宿は国際ホテル宇部。向かいには村野藤吾の代表作の一つ・渡辺翁記念会館がありますが、真っ暗でよく見えませんでした。

 

 

10/14 津軽平野をドライブ

この日は近代建築や庁舎、保存車を求めて津軽平野をドライブしました。

 

前日夜21:30にバスタ新宿を出た弘南バスパンダ号が、弘前バスターミナルに到着したのは6:52。東京はまだまだ暖かったもののこちらはすっかり秋らしい寒さです。レンタカー営業所が開くのは8時なのであと一時間余裕があります。そこで15分ほど歩いて弘高下へ。

f:id:Sakasegawa3019:20201101053723j:plain

弘高下駅

途中、私道っぽい砂利道に入って戸惑ったものの弘高下に到着。大鰐線のターミナル・中央弘前の隣駅で、駅名の由来になった弘前高校のほか、弘前大学の最寄り駅でもありますが、早朝と言うこともあって閑散としていました。駅舎は古びたコンクリ造で、JRの駅ではまずお目にかかれないような個性的なデザインをしています。

f:id:Sakasegawa3019:20201101054427j:plain

中央弘前に到着

弘高下7:22発中央弘前行き1(7038)で中央弘前へ。こんな時間ですが始発列車です。通学時間帯なので混んでいるかと思いきや空席がある程度の乗車率で、さすがに大鰐線の将来が心配になります。

f:id:Sakasegawa3019:20201101054920j:plain

中央弘前駅

到着した中央弘前は、弘前市の旧市街近くにある小さなターミナル駅。昭和がそのまま残ったかのような古い駅舎が現役で使用されています。確か再開発で建て替えられる計画があったはずですが、この駅舎もいつまで残るのでしょうか。その再開発によるものなのか、駅前は更地になっていました。

f:id:Sakasegawa3019:20201101055819j:plain

岩木山

一駅だけの乗車を終えて弘前駅まで歩き、レンタカーを借りて出発。晴れていたのでこの日は岩木山が綺麗に見えました。

f:id:Sakasegawa3019:20201101060003j:plain

高長根レクリエーションセンター

まずは最初の目的地、高長根レクリエーションセンターへ。ところが、ナビに案内されるまま現地に到着すると、バリケードに囲われていて解体工事中。弘南鉄道の保存車があったはずですが、もしかして見れないのでしょうか。

とりあえず航空写真で確認してみると、保存車へはもう一つ道がある模様。未舗装ではあるものの車で進んでいって停めれる駐車場もありそうなので、そちらへ向かいます。

f:id:Sakasegawa3019:20201101060245j:plain

弘南鉄道クハ3773

保存車自体は囲われておらず近づくことができました。隣接する広い駐車場は近隣農家が作業する時の駐車場として使われているようです。車両は弘南鉄道クハ3773。昭和11年大井工場製の国鉄クハ65027をルーツとし、昭和35年に東横車輛で車体更新。昭和55年に弘南鉄道に譲渡され、平成11年まで弘南線で活躍していました。いわゆる東急標準車体のうち現存する貴重な一両です。

f:id:Sakasegawa3019:20201101060920j:plain

西津軽郡鰺ヶ沢町役場

岩木山の麓の森を貫く道路を走って鰺ヶ沢へ。道中、毛並みの綺麗なキツネが轢かれて道に転がっていました。

到着した鰺ヶ沢町役場は昭和48年竣工のL字型庁舎。薬師丸ひろ子さん出演の映画「わさお」には鰺ヶ沢本町警察署として登場しました。鰺ヶ沢の焼きイカ店で飼われていたブサかわ犬わさおがブームになったのは十年も前のこと。今年6月の死去を受けて役場にも「ありがとう!!わさお」と張り出されていました。

f:id:Sakasegawa3019:20201101061805j:plain

旧高谷銀行本店

続いて、つがる市木造へ。銀杏ヶ丘公園に車を停めて市街地を散策。高谷銀行本館は国の登録有形文化財。大正初期の建築で、窓の飾りが見事です。随筆「津軽」に書かれていたような雁木は無かったものの、木造市街には古い建物が多く残っています。

f:id:Sakasegawa3019:20201101062658j:plain

五所川原市金木支所(旧北津軽郡金木町役場)

続いて五所川原市金木へ。金木と言えば太宰治の生家「斜陽館」が有名ですが、そちらはスルーして建て替え中の役場を中心に撮影。旧金木町役場は昭和44年竣工、左手前にちらっと写っているのが来年5月より使用開始される新庁舎です。

f:id:Sakasegawa3019:20201101063452j:plain

支那そば定食(880円)

五所川原市の国道沿いにある大黒屋の支那そば定食で昼食。あっさりとしたスープに縮れ麺の組み合わせで、美味しかったです。

f:id:Sakasegawa3019:20201101063333j:plain

大釈迦のキハ22029

腹ごしらえの後は、大釈迦のローソン裏手の津軽鉄道キハ22029とヨ14266を撮影。キャンプ場か何かの施設として利用されている様子ですが、蜘蛛の巣だらけでした。

f:id:Sakasegawa3019:20201101064333j:plain

唐牛邸

浪岡の唐牛邸。渋さがたまらない洋風木造建築。惜しむらくは構図が限られてしまうところです。この近くの交差点にも古そうな商店がありましたが、警察が事故処理か何かをやっていて車を停めれそうになかったので写真を撮るのを諦めました

f:id:Sakasegawa3019:20201101063718j:plain

平川市役所(旧南津軽郡平賀町役場)

弘前市を通り過ぎて平川市役所へ。昭和54年竣工の立派な庁舎で、正面の大階段を登った2階が入口という構造はとても人口2万の町が建てた役場とは思えません。真上から見ると矢印のような形をしていて、設計者が気になる面白い建物です。

f:id:Sakasegawa3019:20201101065607j:plain

弘前学院大前駅

とりあえず予定していた建物はこれで全て見終え、残りの時間は大鰐線の駅を回っていきます。できれば列車で巡りたかったのですが、ナンバリングで新駅名標が導入されるようなので、早いうちに見ておいた方がいいだろうと判断し、車で全て見てしまうことにしました。列車での駅めぐりは就活終わってからになりそうです。

まずは弘前学院大前。コープと一体化した駅というより、コープの片隅を間借りしたような感じの駅です。

f:id:Sakasegawa3019:20201101070058j:plain

聖愛中高前

続いて聖愛中高前。平成20年に「城南」から改称された駅です。

f:id:Sakasegawa3019:20201101070315j:plain

千年駅

千年。本数の割に交換設備が多くて驚きます。駅舎は規模や細部こそ違うものの弘高下と共通するものが感じられるデザイン。

f:id:Sakasegawa3019:20201101070446j:plain

小栗山駅

小栗山。弘前の市街地を出外れてのどかな感じです。現地に行って初めて「おぐりやま」じゃないと知りました

f:id:Sakasegawa3019:20201101070800j:plain

松木平駅

松木平。夏が終わってしおれた向日葵と、夏が終わっても咲き続ける待合室の壁に描かれた向日葵。もうすっかり秋ですが、「夏の終わり」を感じさせてくれます

f:id:Sakasegawa3019:20201101071055j:plain

津軽大沢駅

津軽大沢。大鰐線車両基地が置かれている運行拠点駅ですが、無人駅で、駅前には老人ホームがあるだけの寂しい駅です。

f:id:Sakasegawa3019:20201101071325j:plain

義塾高校前駅

塾高校前。りんご畑の中にある学校最寄り駅。ちょうど下校時間帯でしたが、学生の多くはJRの石川駅まで歩いていくようで、こちらの駅は閑散としていました

f:id:Sakasegawa3019:20201101071540j:plain

石川駅

石川。昭和61年に「新石川」から改称された駅で、こちらにも弘南スタイルの駅舎があります。駅名標をよく見ると「ISHIKAWA」表記なのに、隣駅は「ISIKAWAPURUMAE」といういい加減なローマ字表記。この表記ゆれの激しい駅名標が今回の駅めぐりの、直前に付け加えた目的でした。

f:id:Sakasegawa3019:20201101071904j:plain

石川プール前

石川プール前。平成14年に開業した新しい駅ですが、駅前の温水プールが営業期間外と言うこともあってか人の気配がありません。

f:id:Sakasegawa3019:20201101072142j:plain

鯖石駅

鯖石。ホーム上の古い待合室には列車を待つ人の姿がありました。義塾高校前以来久しぶりに見る乗客の姿です。大鰐線内の駅はどの駅もほとんど活気がなく、将来が心配になってしまいます。まあ車で駅めぐりしてて言える口じゃないですが

f:id:Sakasegawa3019:20201101072428j:plain

宿川原駅

宿川原。山が近づいてきて津軽平野も端の方まで来たなと感じられます。石川プール前開業に合わせて移設されたこともあってホームだけ見ると新駅のようです

f:id:Sakasegawa3019:20201101072631j:plain

大鰐駅

終点、大鰐。JR大鰐温泉駅に併設されていますが、駅舎は別にあります。ここまでずっと車で回ってきた罪滅ぼしに窓口で記念切符を購入しました。

余裕があれば津軽湯の沢まで行くつもりでしたが、暗くなってきたのでこの日はこれで終了。弘前へ戻る途中に日が暮れ、少し早めに車を返却しました。

f:id:Sakasegawa3019:20201101073309j:plain

煮干し中華

その後は水(みくまり)分さんと待ち合わせて、弐代目 にぼShin 高崎店の煮干し中華で夕食。駅周辺を少し案内してもらってから終バスの時間と言うことでお別れしました。

 

帰りのバスは22:30発JAMJAMLINER JX932便。バスタ新宿には翌朝6:55着でした。

10/7 秋の福島 建築・廃駅巡り

10月に入ってすぐの遠征の行先は福島。市内出身の友人の運転で、列車では行けない赤岩駅福島交通軌道線の痕跡を辿りました。

f:id:Sakasegawa3019:20201028052436j:plain

早朝の福島駅西口

池袋サンシャインシティバスターミナルを23:20に出るWILLER EXPRESS B553便が福島駅西口に到着したのは早朝4:05。あまりにも早く着き過ぎたという感じで、どこの店も開いていません。福島駅には灯りが点いていましたが、こちらも開いておらず。コンビニもイートインが無さそうだったので、仕方なく地下道で本を読んで夜明けを待ちました。

f:id:Sakasegawa3019:20201028053327j:plain

早朝の曽根田駅

ようやく明るくなってきた5:20頃に地上に出て、誰もいない早朝の街並みを撮影してから、線路に沿って北へ。立派な木造駅舎の残る曽根田駅まで来たところで、阿武隈急行の上り始発電車が通過。

f:id:Sakasegawa3019:20201028053542j:plain

飯坂線の始発電車

さらに北上して、歩道橋の所まで進んだところで、今度は飯坂線の始発電車が通過。3両編成の1109Fでした。

f:id:Sakasegawa3019:20201028054007j:plain

美術館図書館前駅

線路際の歩道で少しの間撮影してから美術館図書館前へ。福島県立美術館福島県立図書館の最寄り駅で、平成3年までは「森合」を名乗っていました。私鉄らしくこじんまりとした島式ホームの駅で、構内踏切で結ばれた小さな駅舎には朝夕のみ駅員が配置されます。

f:id:Sakasegawa3019:20201028054435j:plain

阿武隈急行線上り906M

小さな駅なので、他の乗客や飯坂線の列車に注意する必要がありますが、ホームからは並走する東北本線の線路を走る列車をいい感じに撮ることができます。

やって来る阿武隈急行8100系も後継車両が導入され、そろそろ先が見えてきました。

f:id:Sakasegawa3019:20201028054745j:plain

交換する飯坂線上下列車

しばらく撮影してから7:35発福島行き12(1107)で福島へ。ちょうど通勤通学時間帯だったので、大阪の電車と変わらないくらい混んでいました。とはいえ東京のラッシュに比べればまだ余裕があります。

福島駅前で友人と合流し、そのままレンタカーの営業所へ。車を借りてまずは赤岩駅を目指します。

f:id:Sakasegawa3019:20201028055459j:plain

赤岩駅

市街地を過ぎ、フルーツ王国らしい果樹園地帯を抜けて山間の道を抜けて赤岩駅へ。最寄りの集落を過ぎると道が未舗装になりました。自分なら到底運転する勇気も出ないような道なので、運転してくれる友人に感謝です。雑木林の中の悪路をしばらく走ると、景色が開け、眼下に奥羽本線の架線が見えてきました。

f:id:Sakasegawa3019:20201028060058j:plain

赤岩駅 旧ホーム

最後にキツイ坂を下って赤岩駅に到着。駅の手前には平成2年まで使われていたスイッチバックの旧駅跡が残されています。さすがに廃止から30年経っていることもあって自然に還りかけてはいるものの、当時の駅名標などが残っています。ですが、錆びすぎてとても判別できません。

到着時には駅前に保線作業員の方が大勢いらっしゃいましたが、廃ホームを見てから戻ると現場の方に向かったようでいなくなっていました。

f:id:Sakasegawa3019:20201028060608j:plain

ホーム入口と待合室

廃駅の奥に現役の駅があります。現役とは言っても、最後に列車が停車したのは平成28年11月30日で、今は全列車が通過する休止駅ですが。

構造は至ってシンプルで島式ホームと待合室のみ。「平成8年12月10日」の建物財産標が付いた待合室は意外なことに施錠されておらず、中も案外綺麗でした。

スイッチバック時代は昭和33年改築の駅舎もあったとのことですが、今となってはその痕跡はほとんどありません。

f:id:Sakasegawa3019:20201028061052j:plain

構内踏切

構内踏切を渡ってホームに入ります。通過列車に支障するからなのか、渡り板の一部が取り外されています。平成29年3月のダイヤ改正で「通年通過駅」になって以降、一時期はホームに立ち入れないようになっていましたが、いつの間にかまた立ち入れるようになったようです。「立入禁止」の貼り紙もなく、駅前にいた保線作業員さんからも「通過列車の来る時は入らないでください」とは言われたものの、ホームの立ち入り自体については何も言われませんでした。

f:id:Sakasegawa3019:20201028061711j:plain

赤岩駅 ホーム

f:id:Sakasegawa3019:20201028061803j:plain

赤岩駅 ホーム

ホームは山形新幹線開通に伴う改軌工事で本線上に移設されたもので、割と新しいものですが、休止駅だけあって少し傷みが目立ちます。駅名標は2枚ありますが、JR仕様と国鉄仕様で、何故かそれぞれ仕様が異なります。こちらは割と最近更新されたのか痛みはほとんど見られません。

f:id:Sakasegawa3019:20201028062600j:plain

通過するつばさ132号

f:id:Sakasegawa3019:20201028062805j:plain

通過するつばさ127号

10時ごろに山形新幹線が相次いで通過。それを撮ってから赤岩駅を後にしました。未舗装道は「行きはよいよい帰りはこわい」といった感じで、脱輪しないか岩に乗り上げたりしないか注意しながら進んだので脱け出すのに行きより時間がかかりました。

f:id:Sakasegawa3019:20201028063330j:plain

大平集落

未舗装道を抜け出すとそこは大平集落。今も何軒か住んでいるものの空き家が目立ちます。かつてはここ以外にも赤岩、伊良窪といった集落が駅周辺にありましたが、かなり昔に廃村となり、今も人が住んでいるのは大平のみです。しかし、駅まで徒歩30分以上かかるので、休止になってしまうほどに駅を使う人はもういなかったようです

f:id:Sakasegawa3019:20201028063807j:plain

福島盆地を遠望

大平集落から里へと下りていく途中、遠くに福島盆地を望むことができる場所がありました。とんでもない山奥ですが、ここも一応福島市内。車さえあれば数十分で大都会に至ることができます。

f:id:Sakasegawa3019:20201028064024j:plain

傑心 味玉豚G郎(塩)

山を下りたところで少し早めの昼食。友人が気になっていたという傑心へ。塩ベースの二郎系を食べたのは初めてでしたが、食べやすくて美味しいラーメンでした。福島に行く機会があればまた食べたいです。

f:id:Sakasegawa3019:20201028064818j:plain

伊達郡桑折町役場

昼食の後は桑折町役場へ。昭和32年に建設された古い庁舎ですが、来年1月4日より新庁舎に移転するためもうすぐ見納めとなります。全体的なデザインは典型的な戦後期のコンクリ庁舎といった感じですが、入口上部の明り取り窓がアクセントです。

正面にスローガンを掲げているのもまた一昔前の役場を感じさせます。

f:id:Sakasegawa3019:20201028065313j:plain

奥山合名会社

続いて伊達郡国見町へ。藤田の市街地の中に建つ洋館、奥山合名会社(奥山家住宅洋館)を撮影。大正10(1921)年に建てられたもので、国の登録有形文化財八角形の塔屋やタイル貼りの外壁、窓廻りや腰下の石貼りが美しい洋風建築です。

f:id:Sakasegawa3019:20201028065937j:plain

旧耕野郵便局

県境を越えて宮城県伊具郡丸森町に入り、旧耕野郵便局へ。昭和12年頃に建てられた郵便局で、現役当時の美しい姿を今も留めていますが、逆光気味。リベンジしたいので取り壊されることなく残ってほしいものです。

f:id:Sakasegawa3019:20201028072034j:plain

旧耕野村役場

その隣には旧耕野村役場もあります。こちらは作業場として利用されている模様。耕野村(こうやむら)は昭和29年の合併で丸森町になるまで存在した村で、こちらも郵便局と同じく昭和12年頃の建築。

f:id:Sakasegawa3019:20201028073645j:plain

あぶくま駅

続いてあぶくま駅へ。昭和63年に開業した阿武隈急行の駅で、東北の駅百選にも選定されています。阿武隈川を見下ろす立地で、見える範囲に人家はありません。

昨年10月の台風では土石流によってホームの一部が流されるなど甚大な被害を受けました。幸いにも廃止になるというようなこともなく、来る10月31日から全線での運転が再開される予定です。訪問時は復旧工事の仕上げが急ピッチで進められていました。

ホームを見ると、流出して造り直された一部のみ色が違うのが分かります。

f:id:Sakasegawa3019:20201028075008j:plain

あぶくま駅の猫

秘境駅」のような感すら漂うあぶくま駅ですが、猫のいる駅としても知られています。隣接する産業伝承館の方が世話をしている猫だそうで、だいぶ人馴れしている様子。訪問時はごついテレビカメラで猫を撮っている謎の3人組がいましたが、テレビの撮影だったのか、Youtuberだったのか、どっちでしょうか。

f:id:Sakasegawa3019:20201028075407j:plain

兜駅を通過する軌陸車

さて、そろそろあぶくま駅を後にしようかという段階で、突然ホームをトラックが通過。鉄道のレールも走れるように改造された軌陸車です。2台続けてやってきましたが、上手く撮れませんでした。隣の兜駅に移動して見ると、ちょうど軌陸車が一台通過していくところ。公団建設線の線路上を軌陸車が通過する光景なんてなかなか見れないレアな光景です。

f:id:Sakasegawa3019:20201028075924j:plain

兜駅前の軌陸車

兜駅の駅前には軌陸車が停められていました。おそらく先程見た2台の片割れだと思いますが、誰も乗っておらず。そのおかげで普段見れない軌陸車をじっくりと見ることができました。

f:id:Sakasegawa3019:20201028080138j:plain

富野駅を発車する934M

続いて富野駅へ。10月31日まではここで福島側からの列車は全て降り返します。被災前から、福島近郊区間の一番端の駅として折り返し列車が多数設定されていましたが、駅舎のない無人駅です。

f:id:Sakasegawa3019:20201028080452j:plain

福島交通1116

ここからは福島交通軌道線の痕跡を少しだけ見ていきます。まずは保原中央交流館へ。敷地内に1116号が保存されています。昭和25年に製造された車両で、ナローゲージではないものの建築限界の都合で横幅の狭い馬面スタイルになっています。一時期はかなり荒廃していましたが、地元のロータリークラブによって再整備されて美しい姿を取り戻しています。

f:id:Sakasegawa3019:20201028081422j:plain

掛田駅

続いて掛田駅へ。昭和46年に廃止された福島交通掛田線の終着駅で、昭和2年まではこの先川俣まで線路が伸びていました。廃止からすでに半世紀近くが経過していますが、今なお木造駅舎が残り、バスターミナルとして現役で使用されています。鉄道が無くなったのにバスの行先が今も「掛田駅前」なのが興味深いところです。

f:id:Sakasegawa3019:20201028082108j:plain

伊達市霊山総合支所

鉄道からは一旦離れ、伊達市霊山総合支所(旧伊達郡霊山町役場)へ。霊山町は昭和30年に掛田町・霊山村・石戸村・小国村が合併して誕生した町で、平成18年の合併で伊達市となりました。庁舎はおそらく昭和40年前後に建てられたものだと思われますが、正確な竣工年については町史などにあたってみないことには分かりません。

f:id:Sakasegawa3019:20201028082823j:plain

霊山こどもの村

続いて霊山こどもの国へ。ここにも福島交通軌道線の車両が保存されていますが、残念ながら定休日で近づくことができませんでした。保原の車両と比べると状態は良くなさそうで、今後が心配されます。

f:id:Sakasegawa3019:20201028083234j:plain

伊達橋

いくつか寄り道して日が暮れかかる中、伊達橋へ。阿武隈川に架かっていた併用橋で、昭和46年まではこんな狭い橋の上に電車と人や車が共存していました。今は歩道橋として活用されています。軌道線の痕跡はここ以外にもいくつか残っていますが、日が暮れてきたのでこの日はこれでおしまい。

f:id:Sakasegawa3019:20201028083719j:plain

信夫山からの夜景

最後は信夫山烏ヶ崎展望台へ。福島市中心市街地の夜景を眼下に見下ろすことができるスポットです。市街地から山が近いからこそ見れる迫力のある夜景、その中でも福島駅の灯りは結構目立ちます。時折通過する新幹線が散らす火花まで見え、飽きることはありません。展望台までの道は暗くて歩きづらいですが、それに見合うだけの美しさのある夜景でした。

帰りのバスはなんと日付が変わって1:20発。どうやって時間を潰そうかと思いましたが、ありがたいことに友人が家に上げてくれたのでなんとかなりました。

 

 

9/24 名鉄竹鼻線駅めぐり(+新木曽川駅)


道徳14:21発普通金山行き7351(3628)と金山14:34発特急岐阜行き145(2308)を乗り継いで新木曽川

f:id:Sakasegawa3019:20201022073704j:plain

新木曽川駅

平成17年に一宮市編入された旧葉栗郡木曽川町にある駅で、特急も停車します。かつては昭和41年3月に新築された鉄筋コンクリート4階建ての駅ビルがあり、2階以上はアパートとなっていましたが、平成27年2月から翌年1月にかけて減築され、今は1階の駅務室部分のみが残っています。

f:id:Sakasegawa3019:20201022074428j:plain

ミズボーテックス社宅

踏切を渡り、駅裏へ。ホームからも見える場所にかなり年季の入ったアパートが残っています。耐震性の問題でさすがに居住用としては使えないと判断されたのか、内部は物置として使用されているようです。

f:id:Sakasegawa3019:20201022074727j:plain

羽島市役所前駅

新木曽川駅に戻り、15:16発普通岐阜行き1455(6919)で笠松へ。15:25発普通新羽島行き1592(6809)に乗り換えて羽島市役所前へ。駅名で分かる通り羽島市役所の最寄り駅で、竹鼻線羽島線内では唯一の有人駅です。昭和4年開業時は「竹鼻」を名乗っていましたが、西竹鼻(S26)→羽島(S34)→羽島市役所前(S57)と3度の改称を経て現在の駅名になりました。平成7年4月改築の駅舎は2階建てです。

f:id:Sakasegawa3019:20201022075622j:plain

羽島市役所

駅から5分ほど歩いて羽島市役所へ。昭和34年1月に建てられたモダニズム建築で、設計は坂倉準三建築研究所ル・コルビジェの弟子・坂倉準三は現在の羽島市中心部に当たる旧羽島郡竹ヶ鼻町の出身で、昭和の日本を代表する建築家の一人として知られています。現在、現庁舎に隣接して新庁舎の建設が進められていますが、現庁舎の保存を求める声も多く今後が注目されます。

f:id:Sakasegawa3019:20201022080613j:plain

不破一色駅

30分ほど市役所を撮影してから羽島市役所前駅に戻り、16:27発普通名鉄岐阜行き1693(3505)で不破一色へ。駅名は明治30年まで存在した旧中島郡不破一色村に由来します。元は駅舎のないホームだけの無人駅でしたが、平成19年のトランパス導入に伴って駅舎が設置されました。スペースが足りないためか券売機と改札機は別棟になっていて屋根付きのスロープで結ばれています。

f:id:Sakasegawa3019:20201022081207j:plain

竹鼻駅

不破一色16:38発普通新羽島行き1692(3518)で竹鼻へ。竹鼻線の前身である竹鼻鉄道の本社があった駅で、昭和4年に2代目竹鼻駅(現:羽島市役所前)が開業すると「栄町」に改称されましたが、昭和26年に再び竹鼻駅に戻りました。かつては車庫もある大きな駅でしたが、今では片面ホームの棒線駅で、平成19年に無人化されています。

駅舎はかつての栄華を感じさせる木造駅舎ですが、無人化に際して大きく改装されています。ひょっとすると大正10年開業時のものかもしれませんが、もしそうだとすると来年6月25日で築100年を迎えることとなります。

f:id:Sakasegawa3019:20201022082302j:plain

須賀駅

竹鼻16:59発普通岐阜行き1697(3618)で須賀へ。駅名は明治30年まで存在した旧羽島郡須賀村に由来します。須賀村は明治30年の合併で正木村となり、昭和29年の合併で羽島市となりました。不破一色同様、駅舎はトランパス導入時に設置されたもので、以前はホームだけの駅でした。他のトランパス駅舎と比べると角ばったデザインです。

f:id:Sakasegawa3019:20201022083151j:plain

南宿駅

須賀17:18発普通笠松行き1791(6903)で南宿へ。駅名は明治30年まで存在した旧中島郡南宿村に由来します。かつては鎌倉街道の宿場町でした。相対式ホームの無人駅で、上り2番ホーム側の駅舎はスペースの都合でホーム中央部にあります。設置されている改札機は一台のみですが、右から入れば出場用、左から入れば入場用になるよう上手く使い分けられています。

f:id:Sakasegawa3019:20201022084354j:plain

柳津駅

南宿17:35発普通岐阜行き1793(3206)で柳津へ。平成18年に岐阜市編入された旧羽島郡柳津町の駅で、開業時は「西柳津」を名乗っていましたが、昭和23年に現在の駅名になりました。かつては大きくカーブしたホームを持つ駅で、転落の危険もあり手狭だったことから平成20年6月に移転して、無人化。竹鼻線内で唯一導入されてなかったトランパスも導入されました。

f:id:Sakasegawa3019:20201022085119j:plain

西笠松駅

柳津17:53発普通笠松行き1795(6921)で西笠松へ。相対式ホームの交換可能駅で、平成19年のトランパス導入までは1番線側に木造駅舎がありました。大正10年に美濃電気軌道と竹鼻鉄道の結節点である笠松駅(3代目)として開業し、新笠松駅笠松駅(4代目、現駅)に改称されたのに伴って昭和11年5月に現駅名に改称されました。笠松駅の変遷については色々ややこしいのですが、Wikipediaに結構分かりやすい図が乗っています。

f:id:Sakasegawa3019:20201022085921j:plain

笠松駅

西笠松18:12発普通岐阜行き1797(6920)で笠松へ。名古屋本線竹鼻線の分岐駅で、羽島郡笠松町の玄関口です。現在の笠松駅は4代目で、昭和10年に開業した名古屋鉄道名岐線新笠松駅(2代)を翌年改称したものです。写真の東口は煉瓦造りの変電所を転用したものだそうですが、暗くて分かりづらいです。

日も暮れたのでこの日の駅めぐりはこれで終了。とはいえ帰りの夜行バスまでまだ時間がたっぷりあるので、あてもなく乗り続けることにします。18:21発快速特急豊橋行き186(2358)で豊橋へ。豊橋19:45発特急名鉄岐阜行き205(3258)で折り返し、金山で下車して夕食を食べてから21:04発特急名鉄岐阜行き211(1905)で名鉄岐阜へ。

f:id:Sakasegawa3019:20201022091536j:plain

名鉄岐阜各務原線に乗り換え

名鉄岐阜からは21:45発普通犬山行き2164(3525)に乗り、犬山遊園で22:20発急行内海行き2272(3310)に乗り換えて名古屋へ。フリーきっぷを持っているからこそできる時間の潰し方です。名鉄名古屋駅から百合の噴水までの道に迷ったものの、23:30発WILLER EXPRESST459便で名古屋を後にしました。