まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

12/27 豪雪の田沢湖線・奥羽本線駅めぐり

令和2年最後の駅めぐりは田沢湖線へ。本当は12/30に小浜線で駅めぐりをする予定でしたが、悪天候により延期したので結果的にこの日の駅めぐりが年内最後となりました。

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早朝の横手駅

バスタ新宿を21:55発WILLER K4551便で出発し、横手駅西口に5:59発。雪のためか予定より4分遅れての到着で、奥羽本線始発の6:00発普通追分行き423Mに乗り継ぐことはできませんでした。次の列車は26分後、423Mは田沢湖線にもスムーズに接続していたのでこのロスは痛いです。時刻表を急いで検索して代わりの予定を立てたところ予定していた駅は全部降りることができそうですが、駅間歩行が1回から3回になり歩行時間も1時間以上増えることになりました。この寒い時期の駅間歩行はできるだけ避けたいところですが田沢湖線はただでさえ本数が少ないので仕方ありません。

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奥羽本線425M

横手6:26発普通秋田行き425M(クモハ701-21)に乗車。横手駅では発車時に発車メロディー青い山脈」が流れますが、誰もいない森閑とした冬の夜明け前のホームに壮大な感じのメロディーが流れる様子は鳥肌が立つくらい素晴らしいものです。


横手駅 発車メロディー「青い山脈」

録音されたものを聞いても素晴らしい曲ですが、やはり現地で聞くものには敵いません

この動画だと結構音圧が大きいので現地で聞くのに近いですが、音圧が小さい動画だと何か違うなと感じてしまいます。

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鶯野

大曲で7:01発普通盛岡行き826M(クモハ701-5001)に乗り換えて鶯野へ。昭和40年11月21日に生保内線の駅として開業した、ホームだけの簡素な駅です。当初の計画では同年10月1日開業予定でしたが、その前日になって駅舎・ホームが未着工だったことが判明して開業が取り消されて延期になりました。虚構新聞のネタかと思うような話ですが、報じているのは秋田魁新報です。

至って平凡な見た目の駅ですが、雪煙が立ち込めているとたちまち神秘的に見えてくるから不思議です。

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雪を被った角館の街

ところどころ雪が深くなる歩道を歩いて、大仙市(旧中仙町)と仙北市(旧角館町)の市境を越え、角館市街へ。有名な武家屋敷のエリアより南の方ですが良い感じの神社(菅原神社)があったので石段を上がって参拝。境内からは雪を被った街を見下ろすことができました。

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仙北市役所 角館庁舎(旧仙北郡角館町役場)

「みちのくの小京都」として有名な角館は自治体で言うと仙北市。平成17年に角館町田沢湖町西木村の旧仙北郡2町1村が合併して誕生した市で、本庁舎は田沢湖町に置かれています。旧角館町役場である角館庁舎は昭和36年竣工。12月21日より駅近くの新庁舎での業務を開始しましたが、教育委員会だけは3月末まで旧庁舎に所在しており、その移転を以て役目を終えるものと思われます。なお新庁舎の完成に伴って旧庁舎の呼称は「東勝楽丁庁舎」に変更されていますが、表記はそのままでした。

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角館武家屋敷通り

角館と言えばやはり有名なのが武家屋敷通りの景観でしょう。佐竹北家の城下町に形成された武家屋敷の街並みと黒板塀、木立が唯一無二の景観を作り出しています。

ちなみに佐竹北家の現在の当主にあたるのが佐竹敬久知事で、彼も角館の出身です。

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角館駅

角館を1時間半ほど散策して角館駅へ。国鉄角館線を転換した秋田内陸線の分岐駅で、秋田新幹線「こまち」も停車します。昭和51年3月改築の駅舎は武家屋敷をイメージしたもので、大きな屋根が特徴。「小京都にふさわしく武家屋敷風の入母屋式薬医門を形どった駅」として東北の駅百選にも選定されています。

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北大曲

角館10:00発普通大曲行き827M(クハ700-5008)で北大曲へ。鶯野と同時に開業した駅で、同じ理由で開業が延期されています。ホームや待合室もそっくりですが、ホーム入口の位置のみ異なります。

角館駅の写真もそうですが写りこんでしまったゴミが気になります。修正で消したいところですが、生憎高価で便利なソフトを買う金も無いので修正するのは何年も先の暇なときになるでしょう。

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羽後四ツ屋

30分歩いて羽後四ツ屋へ。昭和29年の大曲市成立まで存在した旧仙北郡四ツ屋村の駅で、駅裏には米どころ秋田らしい広大な田園地帯が広がっています。

駅舎は平成19年7月改築で、先代駅舎は昭和57年に建てられたいわゆるカプセル駅舎でした。現存するものだと及位駅などと似たようなデザインのものです。改築直前の4月まで簡易委託の窓口がありました。

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鑓見内

羽後四ツ屋11:23発普通田沢湖行き8832M(クモハ701-5008)で鑓見内へ。昭和35年に開業した、ホームだけの駅で、周囲は広大な田園地帯です。田んぼが雪に覆われて一面の銀世界。駅前では木造家屋が解体されていました。

相変わらず写りこんだゴミが目立ちますが、それも天気が良すぎるのが一番の原因でしょう。曇りなら背景の雲と同化させて何とかごまかしたりもできるのですが。

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斉内川橋梁

隣の羽後長野へと歩いていく道中、田沢湖線の斉内川橋梁が架け替え工事中でした。11月14日、一晩で架け替えたそうで、数年経って工事が完了すれば美しい全景を拝むことができるようになりそうです。

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羽後長野

50分ほど歩いて羽後長野へ。平成17年の合併で大仙市となった旧仙北郡中仙町の玄関口で、昭和30年の中仙町成立までは長野町でした。駅舎は平成21年3月15日より使用開始されたもので、待合室を兼ねた「市民交流ホール」が広く取られています。外観はこの地域に固有の「水板倉」という倉庫をイメージしているとのこと。内部には簡易委託の窓口があります。

かつての町の中心だけあって周辺には店舗が多く、田沢湖線内の小さな駅の中では活気が感じられる数少ない駅です。

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大曲駅

羽後長野12:46発普通大曲行き8831M(クハ700-5008)で大曲へ。大仙市の代表駅で、旧大曲市の中心部に位置します。奥羽本線田沢湖線の接続駅で、田沢湖線を通ってきた秋田新幹線は当駅でスイッチバックして奥羽本線に入り、秋田へと向かいます。

駅舎は秋田新幹線開業に合わせて平成9年7月に改築された半橋上駅舎で、設計は赤湯駅さいたま新都心駅も手掛けた建築家の鈴木エドワード氏。翌年にはグッドデザイン賞を受賞し、平成14年には東北の駅百選にも選ばれています。

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にぼすけ 背脂中華そば

奥羽本線への乗り換え待ちの時間を利用して駅前のラーメン屋へ。秋田では有名な煮干し中華のチェーンだそうで、小さな見せながらも結構賑わっていました。

やはり北東北に来ると煮干しラーメンが食べたくなります。

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後三年駅

大曲13:42発普通横手行き442M(クハ700-19)で後三年へ。奥州藤原氏が台頭するきっかけとなった後三年の役の古戦場に由来する駅で、平成24年12月改築の駅舎は武士の兜をイメージしたデザインになっています。駅舎内には後三年の役について解説したパネルがあり、ホームの巨大な立て看板は古戦場の駅であることをアピールしています。

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飯詰駅

後三年14:25発普通秋田行き2443M(クモハ701-37)で飯詰へ。平成16年の合併で仙北郡美郷町となった旧仙南村の中心部にある駅で、昭和17年4月改築の木造駅舎が現役で使用されています。この駅は平成28年8月に訪問済みですが、押したスタンプを汚損してしまったのと、冬の姿を見たかったのとで再訪しました。

飾り気のないシンプルなデザインが却って好印象な駅舎で、秋田支社管内での木造駅舎の改築が進む中、何とか生き残ってほしいものです。

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飯詰駅前のダルマ

駅前には有蓋貨車ワムのダルマが2台転がっていました。手前の方は辛うじて「ワム8664?(不明)」と読み取れましたが、もう一台の方は無理でした。

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横手駅 東口

飯詰14:47発普通新庄行き2444M(クハ700-103)で横手へ。この駅も何度か訪れていますが、やはり夏と冬では印象が異なります。北国の駅の最大の魅力は何と言ってもやはりこの季節の違いによる駅の印象の違いにあるでしょう。隣接するオフレールステーションからは雪を積んだトラックが頻繁に出て行きます。寒さに耐えながら駅前の様子を撮影しましたが、雪のことを考えると街歩きはやはり春や秋の方が向いていると感じます。

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大曲駅

横手15:48発普通秋田行き2447M(クモハ701-35)で大曲へ。先程は昼食のために時間が無かったので撮れなかった部分を中心に撮影。立ち姿の美しい平成の名駅舎です。

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田沢湖駅

大曲16:52発普通盛岡行き842M(クモハ701-5009)で田沢湖へ。大正12年8月に生保内線の終点「生保内(おぼない)」として開業した駅で、昭和41年10月1日に改称、10月20日田沢湖線が全通して中間駅となりました。駅舎は秋田新幹線開業に合わせて平成9年3月に改築されたもので、ガラス張りの外観が特徴。設計は後に女川駅も出掛けることになる建築家の坂茂氏で、「ガラスと木を上手に組み合わせたモダンな駅」として東北の駅百選にも選ばれています。日の短い季節ゆえ訪問は日没後になってしまいましたが、夜は夜で闇の中に浮かび上がって美しい駅舎です。

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横手焼きそば

田沢湖線はこれにて全駅訪問達成。田沢湖18:19発普通大曲行き843M(クハ700-5001)と横手19:46発普通湯沢行き454M(クハ700-27)を乗り継いで横手に戻ります。

夕食は横手駅前の七兵衛の横手焼きそば。レトロな雰囲気のお店で濃厚な味の名物を頂きました。

横手駅西口22:25発WILLER K4651便に乗車し、バスタ新宿には30分ほど早く翌朝6:45着でした。

 

12/25 師走の郡山・三春・白河へ

この日は18きっぷで郡山周辺へ日帰りでお出かけ。建て替え予定の三春町役場を見に行くついでに未訪問駅も片付けてきました。

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東北本線629M

高田馬場4:48発山手線外回り0403G(クハE234-8)、池袋5:02発埼京線川越行き444K(クハE232-7027)、赤羽5:20発宇都宮行き521M(サハE231-3010)、宇都宮6:58発普通黒磯行き629M(クハ205-607)、黒磯7:54発普通新白河行き4127M(クハE530-5004)、新白河8:22発普通郡山行き2127M(クモハE721-32)と乗り継いで郡山へ。

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郡山駅

郡山駅も何度か来ている駅ですが、乗り換えばかりであまりちゃんと撮った記憶がありません。この機会に撮ろうと思いましたが、生憎足場が組まれていました。

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吉田薬局

磐越東線への乗り換え待ちの時間を利用して周辺を散策し、吉田薬局を撮影。昭和8年に建てられたアールデコ調の建物で、装飾や屋根の形に個性が溢れています。

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三春駅

郡山9:55発普通小野新町行き728M(キハ112-108+キハ111-108)で三春へ。田村郡三春町の玄関口で、平成5年12月改築の駅舎は城下町をイメージしたもの。物産店・レストランを兼ねた「ばんどうプラザ」が併設されています。前回は日没後でしたが、今回は逆光で正面からの撮影が上手く行きません。

駅は町の中心部からは少し離れたところにあります。

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田村郡三春町役場

駅から20分ほど歩いて三春町役場へ。昭和40年9月竣工の古い庁舎で、一目見ただけで分かるくらいの年季の入りようです。ここもご多分にもれず建て替え工事中で、隣に建設中の新庁舎は5月開庁予定。内部も老朽化しており、55年間も使い続けてくるのはさぞ大変だったことでしょう。

本当は城下町三春の街並みも見たかったのですが、役場を撮るだけで予想以上に時間がかかってしまったのでまた今度来る時に見ることにしましょう。

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日和田駅

三春11:58発普通郡山行き733D(キハ111-108+キハ112-108)と郡山12:42発普通福島行き1141M(クモハ701-1025)を乗り継いで日和田へ。

昭和40年に郡山市と合併した旧安積郡日和田町の駅で、昭和59年の無人化以降に建てられたと思われる簡易駅舎があります。一見小さなローカル駅のように見えますが、利用者はそれなりに多いようで昼下がりの駅では10人以上が列車を待っていました。

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凛々亭 豚バラマヨまぜそば

日和田13:01発普通郡山行き1142M(クハE720-9)で郡山へ戻り、駅近くの凛々亭で昼食。900円と普通の油そばと比べるとちょっとお高めですが、ボリュームたっぷりでスープと追い飯が付いていることを考えればまあ普通の値段でしょう。他の店にはないような個性的なメニューが多く並んでいて、何度来ても飽きることは無さそうです。

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安積永盛駅

郡山13:46発水郡線常陸大子行き328D(キハE131-13+キハE132-13)で安積永盛へ。前回の訪問は日没後で納得いく写真が撮れていなかったので5分足らずの時間を利用して再撮影。駅舎の改築年は不明ですが、形状からして戦後のものだろうと思われます。

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白河駅

安積永盛13:55発普通新白河行き2142M(クハ700-1505)で白河へ。「みちのくの玄関口」白河市の代表駅で、大正10年に建てられた三角屋根の洋風木造駅舎が現役で使用されています。詳しい月日までは調べても出てきませんでしたが、この駅舎も今年(令和3年)で築百年。ダイハツのCMに登場したのは記憶に新しいところです。


TVCM ムーヴ キャンバス 「COLORING LIFE 駅」篇(15秒) ダイハツ公式

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白河ハリストス正教会

次の列車までは2時間近くあるので白河市内を散策。

白河ハリストス正教会聖堂は大正4年5月完成。福島県指定重要文化財です。

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白河市役所

白河市役所は昭和47年竣工、設計は春日部市役所なども手掛けた建築モード研究所

耐震工事中だったので工事が終わったらリベンジすることにしましょう。

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屋(たまきや)

玉㐂屋は何かの店舗だったようですが、廃墟化して屋根が抜け落ちています。あまり見かけない「㐂」は「喜」の異字体なんだそうです。

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白河小峰城

最後に白河小峰城へ。陸奥国白河藩の居城で、戊辰戦争によって焼失しましたが、平成3年に復元されました。東日本大震災では石垣が被害を受けました。

白河藩と言えばやはり一番有名なのが老中・松平定信でしょう。老中としては毀誉褒貶ある人物ですが、白河藩主としては名君だったようです。

16時閉館だったので小峰城を見れたのは10分ほどでした。

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白河駅

白河駅に戻り、16:22発普通新白河行き2146M(クハ700-1505)、新白河16:31発普通黒磯行き4142M(クハE531-4001)、黒磯17:14発普通宇都宮行き668M(クハ205-612)、宇都宮18:15発宇都宮線小田原行き1623E(サハE231-3039)、赤羽19:57発埼京線新木場行き1830K(クハE232-7034)、池袋20:07発山手線内回り1960G(モハE234-21)を乗り継いで帰宅しました。

12/23 師走の新潟地区駅めぐり(越後線・信越本線)

新潟遠征二日目は、越後線信越本線の駅を巡りました。

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早朝の吉田駅

新潟を5時ちょうど発の普通吉田行き120M(クモハE127-12)で出発し、吉田で5:56発普通柏崎行き122M(クモハ115-1001)に乗り換え。この日運用に入っていたのは115系湘南色でした。

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礼拝駅

ようやく車窓が明るくなってきたころ、礼拝(らいはい)で下車。田中角栄の出身地である柏崎市西山町の駅で、生家へは徒歩20分ほど。駅名は二田物部神社の礼拝所に由来します。駅舎は平成4年2月改築で、内部には窓口跡もありますが、改築翌年に無人化されているので少しの間しか使われなかったようです。

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妙法寺

礼拝6:51発普通吉田行き125M(クハ115-1211)で妙法寺へ。日蓮宗本山・村田妙法寺の最寄り駅で、大正2年に村田臨時停留場として開設され、停留場への昇格時に改称されました。昭和55年12月改築の駅舎は、新潟県内でよく見られるデザインで、豪雪地帯ゆえか高床となっています。

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石地駅

妙法寺7:20発普通柏崎行き128M(クモハE129-124)で石地へ。昭和31年まで存在した旧刈羽郡石地町の駅で、朝日町、西山町を経て現在の所在地は柏崎市となっています。

駅舎は平成4年1月改築で、改築と同時に無人化されています。改築前年に廃止された対向ホームが雪に埋もれていました。

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分水駅

石地7:54発普通吉田行き129M(クハ115-1001)で分水へ。平成18年に燕市と合併した旧西蒲原郡分水町の駅で、昭和58年まで「地蔵堂」という駅名でした。

駅舎は平成12年3月に改築されたもので、正直言って素っ気ないデザインですが、先代駅舎は大河津分水路の自在堰を模した個性的なものでした。構内は2面2線ですが、2番線に停車する定期列車は現在は一本も設定されていません。

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東柏崎

分水8:50発普通柏崎行き134M(クモハ115-1001)で東柏崎へ。昭和44年まで「比角(ひすみ)」を名乗っていた駅で、大正15年に刈羽郡柏崎町(昭和15年市制施行)に編入された旧比角村に所在します。

駅舎は昭和28年11月改築で、待合室は広いものの無人化されてがらんとしています。対向ホームは廃止され、信号機の使用も停止されているものの、線路は敷かれたままで、見た目は交換駅のようです。

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柏崎市役所

10分ほど歩いて柏崎市役所へ。庁舎本館は昭和43年9月竣工、老朽化のため令和2年末限りで使用を終了し、1月4日より新庁舎に移転しました。今後は解体予定です。

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柏崎市役所柏崎市第二分館

庁舎本館は割と普通の見た目でしたが、少し離れて建つ第二分館は結構個性的な見た目です。勤労青少年ホーム(昭和46年5月1日開館)と中央公民館(昭和47年4月15日開館)として建てられたもので、二棟を吹き抜けのある廊下と階段棟で繋いでいます。

こちらは新庁舎移転後も活用される予定だそうです。

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吉田駅

東柏崎駅に戻り、10:50発普通吉田行き141M(クハ115-1001)で吉田へ。一度来たことのある駅ですが、乗り換え待ちの時間で駅舎を撮影。弥彦線との接続駅で、昭和37年7月改築の駅舎は2階建ての立派なもの。

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信越本線440M

吉田12:02発普通新潟行き145M(クモハE128-23)で新潟へ。駅構内を回って期間限定の組み合わせスタンプを押し、駅弁を買ってから13:09発普通長岡行き440M(クモハE128-101)に乗車。440Mは地平ホーム8番線からの発車です。

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北長岡駅

北長岡で下車。駅舎と島式ホームの間に上越新幹線の高架を挟んでいる駅で、昭和26年までは「城岡(じょうおか)」を名乗っていました。

駅舎は平成26年9月に改築されたコンクリート打ち放しのもので、雰囲気は上越線湯檜曽駅を思い出させます。改築前は立派な木造駅舎がありました。

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帯織駅

北長岡14:41発普通新潟行き449M(モハE128-1)で帯織へ。平成17年に三条市と合併した旧南蒲原郡栄町の駅で、駅名は明治34年まで存在した帯織村に由来します。

かつては大面油田への専用線が分岐しており、原油の積み出し基地としてにぎわった時代もありました。駅舎は平成4年12月改築で、隣の松の木が見事です。

駅舎の隣に建つ「EkiLab帯織」は無人駅をものづくり交流拠点として活用すべく10月1日にオープンしたばかりの施設です。

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豪雪の水上駅

まだまだ明るいですが上越国境を超える列車は少ないので帰途に就きます。

帯織15:06発普通長岡行き442M(クモハE128-24)と長岡15:29発普通水上行き1740M(クモハE129-128)を乗り継いで水上へ。水上は前日と同じく雪の中。17:44発普通高崎行き748M(クハ210-3051)に乗り換えます。

高崎着は18:48、定刻なら東京方面行きは18:47発で乗り換えができないはずなのですが、折り返し列車が遅れて到着したため、乗り換えが可能になりました。7分遅れの18:47発高崎線熱海行き1939E(クハE233-3006)で赤羽へ。赤羽20:26発埼京線新木場行き1952S(クハE232-7013)と池袋20:38発山手線内回り1974G(モハE234-69)を乗り継いで帰宅しました。

12/22 豪雪の上越国境を越えて新潟へ

あけましておめでとうございます。昨年は当ブログをご覧いただきありがとうございました。本年もよろしくお願いいたします。昨年の訪問駅数は696駅、トータルでの訪問駅数は昨年末で4242駅に達しました。今年は少なくとも5000駅、できれば6000駅を目指して頑張っていきたいところです。

 

では、年末の新潟遠征の模様をどうぞ。

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国境の長いトンネルを抜けずとも雪国(水上駅

高田馬場を4:48発山手線外回り0403G(クハE234-40)で出発し、上野5:13発高崎線高崎行き821M(クハE230-8068)、高崎7:11発普通水上行き723M(クモハ211-3002)と乗り継いで、水上に到着したのは8:17のことでした。今年は雪が多い年だけあって、上越国境を越える前の沼田辺りで既に結構な積雪が見られました。上越線も雪のために12月16日から運休を強いられており、この日の始発よりようやく運転を再開したというありさま。水上駅も真冬の旭川並みに雪の中です。

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上越国際スキー場前~塩沢間の車窓

水上からは8:28発普通長岡行き1729M(クモハE129-123)に乗車し、雪深い上越国境を越えていきます。越後湯沢~六日町間では積雪のため徐行運転を行い、六日町は16分ほど遅れて発車しました。長岡から先の列車に接続できるか不安で仕方ありませんが、越後堀之内を発車する際、跨線橋を駆け下りてきてドアを閉めて発車しようとする列車に駆け寄り、「開けて」と言いながらドアをバンバン叩いていたおばはんがいたので、発車がさらに遅れました。迷惑な上に危険極まりない行為なので、放送で「列車から離れてください」と強く注意した方が良かったんじゃないかと思いますがお咎めなしでした。こんな絵に描いたような迷惑旅客が実在するもんなんだなと驚きました。

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信越本線441M

長岡には15分遅れて10:32着。本来なら10:29発快速に乗り継げるはずだったのですが、たったの3分とは言え待ってはくれず、10:39発普通新潟行き441M(クモハE129-24)に乗り継ぎとなりました。このため、新潟には予定より30分ほど遅く到着。予定していた白新線駅めぐりは不可能になりましたが、建て替え予定の駅もなく、それほど来にくい場所ではないのでよしとしましょう。雪による遅れは不可抗力なので、駆け込み乗車のおばはん以外に対しては怒りも湧いてきません。

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閉鎖された新潟駅万代口駅舎

到着した新潟駅は、高架化工事のために万代口改札が移動し、以前とは姿を変えていました。お馴染みの万代口駅舎も閉鎖され、解体を待つばかり。現役の間に何枚も撮ってある駅舎で、思い入れがあるわけではないのでそこまで残念だとは思いませんが、高架完成までの間、仮通路での不便な移動を強いられる日常利用者はかわいそうだなと思います。これは長崎駅にも言えることですが。

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115系N34+N35

新潟駅の高架ホームで白新線の列車を待っていると、115系N34+N35の6両編成が入線。越後線方面からの回送列車のようです。初めて新潟に来た時はたくさんいた115系も今や風前の灯火、多数派だった二次新潟色と三次新潟色もそれぞれ1本を残すのみとなりました。リバイバルカラーも撮っておきたいので、今度来る時は重点的に追いかけておきたいものです。

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豊栄駅 南口

新潟12:42発普通新発田行き1645M(クモハE128-116)で豊栄へ。平成17年に新潟市と合併した旧豊栄市の代表駅で、平成18年3月に橋上化されています。折り返し列車が多数設定されており、この駅までは政令指定都市の駅らしい本数が確保されています。

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駅前の案内

南口駅前に設置されている案内板は豊栄市時代のもので、豊栄駅のイラストも旧駅舎。橋上化前の駅舎は昭和27年12月開業時のもので、新幹線のイラストが描かれていました。

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新潟市北区役所(旧豊栄市役所)

5分ほど歩いて北区役所へ。昭和37年3月6日に北蒲原郡豊栄町役場として竣工した建物で、昭和45年に市制施行して豊栄市役所に、平成17年の新潟市編入新潟市豊栄支所となり、平成19年に北区役所となり今に至っています。豊栄市最大の遺構とも言うべき建物ですが、築60年近くを経てさすがに老朽化しており、2月1日より新庁舎に移転する予定です。今回新潟に来た目的の一つがこの建物でした。

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平林駅

豊栄14:10発普通村上行き935M(クモハE128-20)で羽越本線に入り、平林で下車。

平成20年に村上市と合併した旧岩船郡神林村の駅で、昭和25年に仮乗降場として開業、27年5月に正駅に昇格しました。1番ホーム上の駅舎は平成10年1月27日改築で、2番ホーム上には昭和33年2月築の木造待合室があります。1番ホーム側が本来の出口と言った趣ですが、2番ホーム側の駅前を国道が通っており、ロータリーもそちら側に設置されています。

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加治駅

平林15:22発普通新潟行き940M(クモハE129-20)で加治へ。平成17年に新発田市と合併した旧北蒲原郡加治川村の玄関口で、構内は新発田市との境界に跨っていました。駅舎は昭和58年12月に改築されたものですが、駅前に車が停められていたのでうまく撮れませんでした。旧駅舎とは別の位置に建設されているため、跨線橋出口との間にズレが生じています。

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平木田駅

加治15:49発普通酒田行き831D(GV-E401-3)で平木田へ。平成17年の合併で胎内市となった旧北蒲原郡中条町の駅で、駅舎は昭和58年2月8日改築のカプセル駅舎。

駅構内は広いものの中線は撤去されて単式ホーム2面2線となっています。

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金塚駅

平木田16:22発普通新潟行き942M(モハE129-12)で金塚へ。昭和30年の旧北蒲原郡加治川村成立まで存在した旧金塚村の駅で、西口にある駅舎は昭和40年3月改築。雪を避けるための高床構造と片流れ屋根がいかにも豪雪地帯といった趣。国道7号に面して東口もありますが、そちらはゲートだけで駅舎はありません。

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中条駅 東口

金塚16:37発普通村上行き1937M(モハE129-9)で中条へ。平成17年に中条町と黒川村が合併して誕生した、胎内市の代表駅で、特急「いなほ」や観光列車「海里」も停車します。駅舎は平成30年7月21日改築の半橋上駅舎で、市の玄関口にふさわしい立派なものです。東口1階には観光交流室があり、物産店と待合室を兼ねています。

隣接してJR貨物のオフレールステーションがあり、橋上化前には多くの側線も抱えていました。

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夜の新潟駅万代口

中条17:36発普通新津行き828D(GV-E402-8)と新発田18:22発普通新潟行き944M(クモハE129-9)を乗り継いで新潟へ。この日は新潟駅前のビジネスホテルに宿泊。

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だるまや チャーシューラーメン

地域共通クーポンでチャーシューラーメンを食べてこの日は終了。翌日は越後線方面へ向かいます。

消えた駅舎2020

色々あった「最悪の年2020」も残すところあとわずかとなりました。ということで、例年通り今年の消えた駅舎を1月から振り返っていきましょう

 

1月

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富山地鉄本線 荻生駅(R1-12-7)

黒部鉄道の駅として大正11(1922)年11月に開業した当時に建てられたと思われる、妻面に出入口のある木造駅舎でした。中学校の統合で利用客増加が見込まれることから、線路を挟んだ反対側にホームと新駅舎を建設。令和元(2019)年12月25日より新駅舎の利用を開始し、旧駅舎は1月中旬までに解体されました。

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加古川線 本黒田駅(R2-1-12)

播丹鉄道の駅として大正13(1924)年12月に開業した際に建てられた木造駅舎で、平成初期に旧事務室部分が減築されていました。1月9日より工事が始まり、1月中旬に解体、とても駅舎とは呼べない簡素な待合所が3月に完成しました。加古川線は昨年の久下村駅を皮切りに木造駅舎の簡素化が進んでおり、残る新西脇駅の今後が心配されます。

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桃花台新交通 桃花台東駅(R2-1-6)

平成3(1991)年に開業した桃花台新交通ピーチライナー)の終着駅で、折り返し用のループ線が設けられていました。平成13(2001)年には「中部の駅百選」にも選ばれましたが、平成18(2006)年10月に廃止。営業期間はわずか15年でした。平成30(2018)年10月より駅周辺の高架橋撤去工事が始まり、駅本体の撤去も令和元(2019)年10月より開始。駅舎は1月15日ごろから3月にかけて解体されました。

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八高線 越生駅(H30-12-20)

昭和8(1933)年4月開業時に建てられた木造駅舎。平成31年3月16日の東西自由通路供用開始・東口開設と同時に無人化。駅舎は老朽化のため今年1月15日ごろより3月にかけて解体。それに先立ち令和元(2019)年12月26日に「旧越生駅舎ありがとう式典」が開催されました。旧駅舎のイメージを参考にした新駅舎「道灌おもてなしプラザ」は来年1月4日使用開始予定です。

2月

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姫新線 西栗栖駅(R2-2-4)

ほとんど解体されてしまった後の写真ですが、昭和9(1934)年3月開業時の駅舎でした。1月18日より工事が開始され、27日に仮囲いを設置。2月1日時点では駅舎が残っていたようですが、4日に訪問した時点では解体が済んで瓦礫の山と化していました。3月下旬に簡素な待合所が完成。タッチの差で見られなかっただけに後悔も大きいです。

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磐越東線 菅谷駅(H30-12-23)

昭和23(1948)年10月開業時の駅舎。令和元(2019)年10月15日より改築工事が開始され、今年2月8日より新駅舎の使用を開始。旧駅舎はその後解体されたものと思われます。新駅舎は鍾乳洞や分水界をイメージしたデザインとなっているそうです。

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津山線 野々口駅(R2-1-8)

明治31(1898)年12月開業時の駅舎を平成10(1998)年ごろにコンパクト化したもので、それほど古くは見えませんが、庇などは昔のままで歴史を感じさせました。2月8日より新駅舎使用開始、旧駅舎は2月下旬に解体されました。

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紀勢本線 田並駅(R2-1-2)

昭和15(1940)年8月開業時の木造駅舎。改築工事に伴い昨年12月7日に駅舎を閉鎖、2月までかけて解体されました。新駅舎は5月17日17時より使用開始。囲いで覆われた姿しか見れていないのが心残りです。

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宇部線 常盤駅(R2-1-30)

改築年不明、簡素ながらも有人駅だった名残のあるブロック造駅舎でした。1月13日よりホーム上の待合所が撤去され、2月28日から3月21日にかけて駅舎の撤去工事が行われました。

3月

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中央本線 山梨市駅(H31-1-4)

明治36(1901)年6月開業時の駅舎ですが、平成17(2005)年12月にリニューアルされて原型を留めていませんでした。橋上化工事のため、平成30(2018)年1月に旧駅舎の一部を転用した仮駅舎の使用を開始。今年3月2日に新駅舎が完成したため一部のみ残っていた旧駅舎は役目を終えて解体されました。

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筑肥線 浜崎駅(H31-4-29)

昭和15(1940)年5月改築の木造駅舎。改築工事に伴い、3月18日に仮駅舎に移転。旧駅舎はその後解体されました。

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山陽本線 西広島駅(H27-8-23)

明治30(1897)年9月に「己斐」駅として開業した際に建てられたもので、長年にわたる増改築で駅舎内には複数の店舗が入居していました。橋上化工事に伴い、3月29日に仮駅舎に移転して役目を終えました。

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中央本線総武本線 御茶ノ水駅 聖橋口(H30-5-7)

増改築を繰り返していたため原型を留めていませんでしたが、昭和7(1932)年の駅移転時に建てられたコンクリート造りの駅舎でした。御茶ノ水橋口と同じく設計は伊藤滋、当時の駅舎としては珍しく流動性を重視した構造で、待合室は設けられていませんでした。3月29日に仮駅舎に移転し、役目を終えました。

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桃花台新交通 小牧駅(R1-8-30)

平成3(1991)年に開業した桃花台新交通ピーチライナー)の始発駅で、桃花台東と同じく、折り返し用のループ線が設けられていました。平成18(2006)年10月に廃止された後も長らく放置されていましたが、再開発に伴い3月より解体工事が本格化しました。

この他、3月6日より豊肥本線南阿蘇鉄道高森線 立野駅の駅舎が解体されました。

4月

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室蘭本線吉原駅(R1-8-3)

昭和40(1965)年11月開業時に建てられた、北海道初の橋上駅舎でした。平成15(2003)年の無人化後は一部の階段が閉鎖され、もはや橋上駅舎としての機能は失われていました。像の顔を思わせる個性的なデザインと古びたコンクリートが魅力的でしたが、老朽化のため1月8日より仮通路の使用が開始され、4月中に解体されました。「橋上駅」から「地上駅」に変更された珍しい事例です。

5月

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宇部線 琴芝駅(R2-1-30)

昭和8(1933)年ごろに建てられた木造駅舎で、増改築が繰り返されたため複雑な形状をしていました。2月中旬より工事が開始され、駅舎の一部が解体されました。新待合所の使用開始に伴い、5月10日に残りの部分も閉鎖され、6月にかけて解体されました。

6月

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和歌山線 布施屋駅(H26-8-13)

昭和10(1935)年3月改築の、妻面に出入口のある半切妻屋根の木造駅舎。6月9日より新駅舎の使用を開始し、旧駅舎はその後解体され、跡地に信号室が建てられました。木造駅舎の宝庫の一つ、和歌山線でも改築は着々と進められていきます。

8月

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米坂線 手ノ子駅(R1-12-14)

昭和6(1931)年8月開業時の木造駅舎を昭和62(1987)年12月に改修したもの。寒冷地らしく出入口が二重になっており、それゆえに待合室内は薄暗かったです。改築工事のため、8月5日に仮待合室に移転、8月18日に仮囲いが設置され、解体工事が始まりました。新駅舎は12月に完成。

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山手線 原宿駅表参道口(H28-7-26)

大正13(1924)年6月移転時に建てられた洋風木造駅舎で、鉄道省技師・長谷川馨による設計。利用者数の割に駅設備が手狭なことから3月21日より橋上駅舎と新ホームの使用を開始。都内に残る貴重な歴史的建築物として注目されていた旧駅舎については、保存も検討されたものの、耐火基準を満たさないことから、一旦解体して資材を可能な限り活用して再建することが決定し、8月24日より解体工事が開始されました。今年消えた駅舎の中で最も注目された駅舎は間違いなくこの駅舎でしょう。

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近鉄名古屋線名駅西口(H30-5-4)

JRと近鉄共同使用駅で、JR管轄の東口は昭和50(1975)年ごろに改築されたシンプルなデザインの橋上駅舎、近鉄管轄の西口は昭和20~30年代のものと思われる小さな地平駅舎でした。8月30日より新駅舎の使用を開始し、JRと近鉄の改札口が分離されました。

この他、5月より工事が開始されていた紀勢本線 太地駅の旧駅舎が解体されました。

9月

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山陰本線・境線 米子駅(R1-8-23)

昭和38(1963)年3月に完成した地上6階建ての巨大な駅ビルで、国鉄時代には米子鉄道管理局、民営化後はJR西日本米子支社が入居していました。改築工事に伴い、9月4日に閉館、9月5日より仮駅舎の使用を開始しました。何しろ巨大な駅舎なので、解体工事が完了するまでかなりかかりそうです。

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小海線 信濃川上駅(H30-9-11)

昭和10(1935)年1月開業時の木造駅舎。外壁が新建材で覆われていたものの、山間の村の玄関口にふさわしい懐かしい雰囲気の駅舎でした。改築工事に伴い、窓口業務を8月31日限りで休止、9月24日より工事が開始されました。新駅舎は3月中旬完成予定で、完成後は窓口業務も再開される予定です。

 

この他、七尾線 能瀬駅の改築工事が9月28日より開始されました。

10月

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水戸線 新治駅(R1-9-26)

明治28(1895)年9月開業時の木造駅舎で、リニューアルされていたものの、待合室側が入母屋、事務室側が切妻という左右非対称の屋根形状は留めていました。9月16日より改築工事が開始され、10月1日より無人化。事務室部分は11月にかけて解体されましたが、待合室部分は仮駅舎として残っています。新駅舎は3月上旬完成予定。

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五能線 北金ケ沢駅(R2-3-4)

昭和6(1931)年10月開業時の木造駅舎。向かって右手にトイレが増築されていたものの板張りの外観が渋い駅舎でした。老朽化のため9月上旬より改築工事が開始され、10月上旬に仮駅舎に移転。新駅舎は1月下旬に完成予定です。改築の報を聞いた時は「3月に行っといてよかった」とつくづく思いました。

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信越本線越後線白新線 新潟駅万代口(H30-9-16)

昭和33(1958)年4月の移転時に建てられた巨大な駅ビル。国鉄時代は新潟鉄道管理局、民営化後はJR東日本新潟支社が入居していました。昭和36(1961)年1月14日の火災で新潟支社部分が全焼し、12月の復旧に際して地上4階(一部6階)建てに増築されました。60年以上に渡って新潟市の玄関口としての役目を果たしてきましたが、在来線高架化工事に伴い、10月9日に改札口を移転して閉鎖。特徴的だった「新潟駅」の巨大な看板の点灯も11月11日24時を以て終了し、11月中旬より解体工事が本格化しました。

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山陽本線 四辻駅(R2-10-18)

大正9(1920)年5月開業時の駅舎。改築工事のため、10月21日より仮通路の使用を開始して閉鎖されました。それほど有名な駅ではありませんでしたが、階段の上に建つ木造駅舎とよく手入れされた植え込みの美しさゆえか、解体に際しては駅巡り界隈以外からも注目ました。

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東武桐生線 阿左美駅(R2-3-12)

昭和12(1937)年5月開業時の、妻面に出入口のある木造駅舎。ホーム上に縄文時代の住居跡遺跡があるという珍しい駅でした。隣接するバイパス道の拡張のため、3月14日に北に300m移転。駅舎はその後もしばらく残っていましたが、10月26日から解体されました。

11月

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長野電鉄屋代線 綿内駅(R1-12-27)

大正11(1922)年6月10日開業時の木造駅舎。平成24(2012)年4月の廃止後もバス待合所などとして使用されてきましたが、老朽化のため11月9日より解体されました。解体に先立ち、9月25日から30日の間「ありがとう綿内驛・ミニ展示会」が開かれ、昔の写真などが展示されました。

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山田線 茂市駅(H31-3-2)

昭和9(1934)年11月開業時の駅舎。岩泉線の分岐駅だけあって周辺の駅と比べると立派な木造駅舎でした。平成30(2018)年のCTC化で無人化され、跨線橋に替わって構内踏切が設置されました。跨線橋は令和元(2019)年8月5日使用停止。駅舎は10月19日より改築工事が開始され、11月18日より閉鎖されました。新駅舎は2月中旬完成予定です。

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京成本線 京成大久保駅(R2-8-9)

昭和30~40年代に建てられたと思われる一部2階建ての手狭な駅舎。上り線駅舎(右)は改築工事のため、11月26日に仮駅舎の使用を開始しました。

12月

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常磐線 竜田駅(R2-3-13)

昭和13(1938)年2月改築の、三角形のファザードが特徴の木造駅舎。東日本大震災以降、3年間の営業休止期間を経て平成26(2014)年6月1日に営業を再開、平成29(2017)年の富岡駅営業再開までは終着駅としての役目を果たしました。令和元(2019)年5月14日より橋上化工事を開始、今年12月1日に新駅舎が完成して役目を終えました。12月2日から11日まで「旧駅舎 想い出展示」を行い、その後解体されました。

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内房線 江見駅(H30-9-21)

大正11(1922)年12月開業時の木造駅舎。8月31日より郵便局と一体化した新駅舎の使用を開始。旧駅舎はその後閉鎖されて放置されていましたが、12月9日より解体されました。

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山田線 川内駅(H31-3-2)

昭和8(1933)年開業時の木造駅舎。山間にある小さな駅ながらも平成30(2018)年4月22日のCTC化まで駅員が配置されていました。10月20日より新駅舎建設工事を開始、12月25日10時より新駅舎の使用を開始しました。

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山田線 区界駅(H31-3-2)

昭和3(1928)年9月開業時の木造駅舎。1日の平均乗車人員はわずか1人という利用の少ない駅ですが、平成30(2018)年4月22日のCTC化まで駅員が配置されていました。無人化直前に交換設備を撤去、棒線化されました。9月中旬より改築工事を開始、川内駅と時を同じくして新駅舎の使用が開始されたものと思われます。

 

以上、今年消えた駅舎を1月から12月まで振り返ってきました。抜けがあるかもしれませんが、その場合は詳しい情報を添えてこの記事にコメントをお願いします。JR西日本の駅舎簡素化の波は来年も続きそうなので、後悔することのないように木造駅舎を訪問していこうと思います。

阿川弘之先生 生誕百年

今日は珍しく旅行記ではなく本に関する話題を一つ。今日で生誕百年を迎える作家・阿川弘之先生について。

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阿川弘之先生は大正9(1920)年12月24日生まれ、平成27(2015)年8月3日に94歳で亡くなりました。今年で亡くなって5年、ご存命であれば今日で百歳を迎えられていたことになります。

私が阿川先生の名前を知ったのは中学生か高校生の頃のことで、その頃にはすでに宮脇俊三先生の本は読み始めていましたから、宮脇先生について調べていた時にでも知ったのだと思います。新聞で訃報の記事を読んだのが高1の時で、その時初めて「きかんしゃやえもん」の作者であったことを知りました。ちょうど本をよく読むようになった時期でしたから「小説の方もそのうち読まないとな」と思ったのですが、初めて阿川作品に触れたのは大学生になってからのことでした。最初に読んだのは「雲の墓標」だったかと思います。その後、「春の城」「青葉の翳り」「カレーライスの唄」「米内光政」「水の上の会話」と読んできて、今日「お早く御乗車願います」を読み終えました。70年もの間作家として活躍してこられた方なので作品数も多く、代表作に数えられるような有名作でも読めていないものがほとんどです。

「お早く御乗車願います」は鉄道ファンとして知られた阿川先生が昭和33年に出した初の鉄道・乗り物に関するエッセイ集で、この本の出版に編集者としてかかわっていたのが後に鉄道作家として有名になる宮脇俊三先生でした。出版時、阿川先生は37歳で、宮脇先生は31歳。読んでみてまず感じたのはエッセイが書かれた昭和20年代後半から30年代前半にかけてと現代との時代の隔たりでした。当時は戦争が終わってからまだ10年ほどしか経っておらず、日本がようやく高度経済成長期に入ろうかとしている時代でした。国民はまだまだ貧しく、開発や交通網の整備も進んでいませんでした。

東海道新幹線はおろか、特急「こだま」も走り始める前で、東京~大阪間が特急で8時間ですから隔世の感があります。電化もほとんど進んでおらず、出てくるのはほとんど「汽車」が引く客車列車です。さらに折に触れて書かれている乗客のマナーも今からは考えられないほど悪いのですが、「こういう人は今もたまにいるな」と思うようなタイプの人も出てきます。

速達性や快適性などでは今の時代よりはるかに劣る当時の鉄道の姿について、私は懐古厨というわけではないので羨ましいとまでは思いませんが、ダイヤ改正の度に不便になっていき将来についての明るい話題よりも暗い話題の方が目立つ今の鉄道と比べると、「これからどんどん進化して良くなっていく」という希望があるなと思ってしまいます。しかし、ある程度の水準に達していたにも関わらず戦争によってそれが無に帰してしまった日本の鉄道が、戦争が終わってからほんの10年ほどで戦前の水準まで回復し、20年足らずで東京~大阪間の所要時間を半分にしてしまったということを思えば、こんな時代でも我々次第では未来の鉄道に希望を持つことだって不可能ではないのかもしれません。


「違いのわかる男 阿川弘之」篇

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山陰本線 阿川駅

他のエッセイには、山陰本線阿川駅を訪ねるものもあるそうです。昭和3年開業時に建てられた駅舎を阿川先生も見たのでしょうが、この駅舎は惜しくも昨年解体されました。もっとも、阿川先生が訪ねた昭和時代には珍しくもなんともないどこにでもある駅舎だったことでしょう。

 

小説の方も何か語ろうかとも思いましたが、まだ読めてない作品もあるので、今回はこの辺にしておこうと思います。

今年もあと少し、冬の長い夜に阿川作品を読んでみるのはどうでしょうか。個人的には短編集の「水の上の会話」に収録されている、「空港風景」をはじめとした珠玉の短編たちがおすすめです。

12/17 雪の伯備線・山陰本線駅めぐり

冬の鳥取駅めぐり3日目最終日は伯備線足立~岸本の各駅を全駅訪問する予定でしたが、前日の雪で旅程が崩壊し、今回の旅の目的の一つであった宝木駅に行けなくなってしまったので、宝木駅を中心に予定を組み直すことになりました

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夜明け前の足立駅

新見を5:46発普通出雲市行き821M(クモハ114-1098)で出発し、足立で下車。「あだち」ではなく「あしだち」と読む駅で、そばを流れる川以外は見える範囲に何もないような山奥にあります。平成17年の合併で新見市となった旧阿哲郡神郷町の駅で、昭和30年の神郷町成立前の所在地は神代村でした。神代村役場のかつての最寄り駅は隣の備中神代駅ですが、そちらの所在地は旧上市町です。

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足立駅

かつてあった木造駅舎は解体され、内部にベンチすらない締切不可の屋根と壁だけの駅舎がわずかな広場を挟んで渓谷と向かい合っています。駅前に人家はなく、駅の灯りと道路を照らす明かりだけが夜明け前の闇にポツンと灯っています。

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足立駅にやってきた回送列車

ホーム上の待合室で待っていると6:24に回送列車がやって来ました。隣の新郷で折り返して6:51新郷発播州赤穂行き上り始発846Mとなる車両のようです。新見ではなく新郷で折り返したところで、拾える需要は新郷・足立・備中神代の3駅のものだけですが、いずれも小駅で、果たしてどれだけの利用があるのか気になる所です

編成はD-06、6:28に特急やくも2号が通過すると6:31に発車していきました

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伯耆大山駅で入換を行うEF64 1036

足立6:42発普通米子行き823M(クモハ114-1194)で伯耆大山へ。駅構内ではEF64 1036が貨物列車の入換を行っていました。旅客列車の面ではパッとしない分岐駅ですが、貨物の面では王子製紙米子工場の出入荷になくてはならない重要な駅です

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大山口駅

4分遅れの伯耆大山8:18発普通鳥取行き234D(キハ47-146+キハ47-143)に乗車しましたが、途中の大山口で信号待ちのため数分間停車。御来屋で後から来る快速に抜かれるとのことだったので、大山口で降りて快速を待ちます。

伯耆富士・大山の登山口へのバスへの乗換駅である大山口は、西伯郡大山町の玄関口ですが、平成17年の合併で本庁舎は旧中山町役場に移っているため、役場最寄り駅は名和駅または御来屋駅となります。

昨年訪問した時は改築のため仮駅舎に移行したばかりでしたが、今年3月8日に新駅舎が完成し、駅前の植え込み以外はすっかり様子が変わっていました。

新駅舎は米子高専の生徒によってデザインされたもので、大山登山口の駅らしく山小屋をイメージしたデザインです。当初は大幅に簡素化する計画だったそうですが、地元の一部費用負担で待合室の規模を維持。これが駅舎改築のスタンダードになってほしいと思えるような、無人駅ながらもしっかりとした駅舎で、こんな雪の日でも快適に列車を待つことができました。ただ、改築に際してホーム上屋が撤去されてしまったので、2番線に向かうには跨線橋に行くまでに一旦雪に濡れ、跨線橋を渡ってからも2番線で雪に濡れる羽目になります。

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大山口駅 旧駅舎

昨年夏に撮影した旧駅舎はこんな感じのブロック造駅舎でした。雪があるので雰囲気が違って見えますが、植え込みとバス停だけはそのままなのが分かります。こうして見比べてみると、旧事務室部分がない分駅舎は小さくなったものの、待合室の大きさはほとんど変わっていないのが見て取れます。

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青谷駅

4分遅れの大山口8:56発快速とっとりライナー3420D(キハ126-1015+キハ126-15)で青谷へ。平成16年に鳥取市編入された旧気高郡青谷町の玄関口で、快速とっとりライナーの全列車が停車します。天井の高い立派な木造駅舎は昭和15年3月に改築されたもので、明り取り窓がいい味を出しています。今後、米子支社管内では駅舎の簡素化が進むことになりそうですが、この駅舎はなんとか生き残ってほしいものです。

 

撮影を終え、特急通過待ちのため5分ほど前に入線してきた10:32発普通鳥取行き234D(キハ47-146+キハ47-143)に乗り込んで待っていると、駅員さんが跨線橋を渡って、スタンプを押したときに改札前に置き忘れてしまったスタンプ帳を届けてくださいました。スタンプを押した後すぐに入場券を買ったのでしまい忘れてしまったのが、原因のようで、気を付けなくてはいけません。青谷駅の駅員さん、ありがとうございます。ちなみにこの時乗った234Dは先ほど大山口で乗り捨てた列車です。

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宝木駅

234Dで宝木へ。平成16年に鳥取市編入された旧気高郡気高町の駅で、昭和30年の気高町成立までは宝木村でした。旧気高町役場の最寄り駅は隣の浜村駅です。

駅舎はおそらく明治40年4月開業時のもので、旧事務室部分には山陰合同銀行の代理店が入居していましたが、平成30年7月16日に廃止されています。内部には簡易委託の窓口がありますが到着時は不在で、見ると駅前で雪かきをされている最中でした。入場券のために雪かきの仕事を中断させるのも気が引けるので待っていると、警備会社の現金輸送車が到着。売り上げを渡す作業が終わった後は雪かきに戻らず窓口にいらしゃったので入場券を購入し、スタンプも押させてもらいました。

この駅については来年度にも駅舎を簡素化するという報道が出ていましたが、駅員さんにその件を訪ねてみると「再来年くらいに延期になったんじゃなかったかな」とのこと。いずれ消える運命ではあるもののあと一年くらいは宝木駅の現駅舎を見ることができそうです。できれば夏の姿も見ておきたいところ。

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倉吉駅

宝木11:38発普通倉吉行き239D(キハ47-143+キハ47-146)で倉吉へ。鳥取県中部の中心都市・倉吉市の代表駅ですが、市の中心からは少し離れたところにあります。明治45年から昭和47年までは「上井」を名乗っており、その間は昭和60年に廃止された倉吉線の打吹駅が倉吉駅でした。駅舎は平成23年1月の半橋上駅舎で、市の玄関口らしく立派なものです。今の駅舎もなかなかかっこいいと思いますが、橋上化前の国鉄モダニズム駅舎も撮ってみたかったなという気がします。

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照り焼きチキンのっけ弁当

乗り換え時間を利用して駅前の「かぜべん」でお弁当を購入し、12:43発普通米子行き241D(キハ126-11+キハ126-1011)に乗車。冷えた身体に温かいお弁当がよくしみます。昼食を食べるのには短すぎる乗り換え時間でも、駅前で弁当を買えるというのはいいですね。

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黒坂駅

伯耆大山で13:49発普通新見行き826D(キハ120-336+キハ120-359)に乗り換えて黒坂へ。大正11年11月から生山延伸までの一年間だけ伯備北線の終着駅だった駅で、昭和34年の日野町成立まで存在した旧日野郡黒坂町の玄関口です。駅舎は昭和56年12月改築で、窓口とチッキ台の跡があります。黒坂は江戸時代初期に9年間だけ存在した、関一政の居城・鏡山城の城下町で、駅裏手の鏡山に城がありました。

城自体はお家騒動を理由に関一政が改易されたことで破却されてしまいましたが、城下町の道割は今も残っています。

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山陰合同銀行

さすがに城下町時代の建物は残っていないと思われますが、黒坂市街には古い建物が多く残っています。その一つがこちら。ガレージに改装されて下半分がうしなわれはいるものの、右書きの「山陰合同銀行」の文字が残ります。

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黒坂の街並み

地元の人からすれば雪かきが大変でしょうが、雪を被った黒坂の街はなかなか風情がありました

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上菅駅

黒坂15:35発普通生山行き944M(クモハ115-1508)で上菅へ。大正14年4月に日野郡黒坂村に開業した駅で、カーブした島式ホームが跨線橋で駅舎と結ばれています。国道に面した駅舎は昭和57年改築。駅舎内の壁には上菅の歴史やたたら製鉄についての説明が貼られています。それによれば、上菅の地名は、孝霊天皇が皇子や皇后を連れて奥日野・鬼林山の鬼を退治しに来た際に、皇后が産気づいたため菅の葉を敷いて寝かせたという伝説に由来するとのことです。

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武庫駅

上菅16:07発普通米子行き945M(クモハ114-1117)で武庫へ。日野郡江府町の神奈川地区に昭和36年に開業した駅で、国道と集落に挟まれたホーム上にブロック造の待合室があります。国道を間に挟んで日野川が流れており、交通量は多いものの景色はなかなかのものです。阪神間で育った人間としては字面的に「武庫川」を連想してしまいます

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上石見駅

武庫16:42発普通新見行き828M(クモハ115-1551)に乗車し、5分ほどの停車時間を利用して上石見駅を撮影。岡山との県境近くにある駅で、列車の本数はかなり少ないものの、駅舎にはレストランが併設されています。ただし、訪問時には既に営業時間を終えて改札口も真っ暗でした。伯備線では最も標高の高い位置にある駅です。

本数的に次来る時は車でしょうが、駅舎内のレストランで食べてみたいものです。

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ピオニーポークラーメンとやきめし

新見に到着後、乗り換え時間を利用して前日も来た「味の庄 伯備」へ。今回はピオニーポークラーメンとやきめしを注文。ラーメンはスープが美味しく、やきめしはボリュームたっぷりでした

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864M

夕食後は新見18:50発普通瀬戸行き864M(クモハ115-1501)に乗車し、岡山へ。岡山駅西口を21:35発のWILLER EXPRESS C1253便に乗車し帰途に就きましたが、翌朝東名道で渋滞に巻き込まれ、バスタ新宿にはちょうど一時間遅れの9時に到着しました。夜行バスが渋滞で遅れる経験はこれが3度目ですが、いずれも目的地への到着が8時以降と遅いバスで渋滞に巻き込まれているので、到着時間が遅いバスは定時性が低いなと言う印象を持ってしまいます。