まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

6/27 松本・諏訪・伊那建築巡りドライブ

6/27~28の二日間、信州をドライブして建築を巡りました

どっとこむライナー

前夜21:40になんばを出たどっとこむライナーSY3302-1便が松本駅東口に着いたのは4:38。小雨が降っていますが、レンタカーを借りる時間まで松本の近代建築をちょっとだけ見て回るとしましょう。

深志薬店

深志の建物

深志の洋館

埋橋の洋館

松商学園

ミドリ薬品

白鳥写真館

松本市役所

松本市役所は本庁舎が昭和34年、東庁舎が昭和44年建設。いずれも老朽化していることから新庁舎建設計画が進められています。

手塚屋

松本は大きな街なのでさすがにすべての近代建築を見て回ることができず、一部は次回に巡ることにして松本駅へ。駅前ロータリーでは務台俊介議員が演説をしていて、この日が29年の節目となる松本サリン事件のことやプリゴジンの反乱などについて話していましたが、護衛などもないので昨今の風潮的に心配になってしまいます。

中央印刷(旧:片倉組本部事務所)

レンタカーを借りてまずは岡谷へ。現在は中央印刷本社として使われているこちらの建物は製糸業で財閥を築いた片倉組の本部事務所として明治43年に建てられたものです。

翠川医院

岡谷区公会所

旧:山一林組製糸事務所

寿々喜亭

岡谷聖バルバナ教会

旧:山上宮坂製糸所

岡谷市教育委員会分室

岡谷は製糸業で栄えた街で、製糸関係を中心に「宝庫」と言っていいくらい多くの近代建築が残っています。見落とした建物も多そうで、また来なければなりません。

諏訪市役所

高島城

続いて諏訪(高島)へ。諏訪湖東岸の高島は諏訪氏高島藩三万石の城下町として栄えたところで、城跡のすぐ隣に市役所があるのは松本と同じです。諏訪市役所は昭和44年竣工。

勝山写真館

大手二丁目の洋館

諏訪大手見番

平温泉

茶屋小口商店

丸柳大津屋倉庫

吉祥

信州諏訪味噌工業協同組合

JA信州諏訪 諏訪支所 上諏訪営業所

上諏訪駅前の看板建築

旧:長野農工銀行 諏訪支店

今井商店

上諏訪病院

青木産婦人科医院

諏訪もまた近代建築の宝庫で、良質な近代建築が数多く残っており、建物を見ながら散策するだけでお腹いっぱいになれます。片倉館など有名どころは次回に見るとしましょう。

小川公会堂

小場澤公民館

旧:東英社事務所

JA信州諏訪湖南営業所

JA信州諏訪茅野中央支所ちの営業所

茅野市本町公民館

JA信州諏訪共済部

公民館や農協建築を見ながら茅野へ。岡谷や諏訪ほどではないほどにしろ茅野にも近代建築は残っていますが、時間も押してるので今回はスルー。

旧:宮川銀行

茅野郊外の集落にあるこちらの建物、明治時代に建てられた旧銀行らしいですが、ぱっと見は普通の集会所にしか見えません。

JA上伊那長藤支所

杖突峠を越えて上伊那へ。農協長藤支所は令和2年3月末閉所との貼り紙がされていました。

高遠の街並み

山を下って高遠へ。高遠藩の城下町として栄えたところで、ここもまたゆっくりと来たくなるような街です。

旧:伊那市高遠町総合支所(旧:上伊那郡高遠町役場)

国道から一本入ったところには平成30年11月25日まで使われていた旧高遠町総合支所が残っています。昭和41年に高遠町役場として建てられたもので、平成18年3月31日の伊那市との合併以降は総合支所として使われました。使われなくなって5年が経ちますが、解体工事の入札が行われているので近いうちに解体されることでしょう。

D51 209

D51 837

日本石油伊那油槽所専用線動力車

伊那公園、北の原公園、与田切公園と南下しながら保存車を撮影。SLの保存車は定番のD51ですが、珍しい専用線動力車もありました。

JA南信州山吹支所

JA南信州高森支所

市田学校校舎

野底山森林公園管理事務所

野底山森林公園林間学校

農協建築や近代建築を見ながら南下して飯田へ。慌ただしく見てきましたが、密度の濃い一日でした。

丼々恋 グルメ館 半丼セット(カツ丼・焼肉丼)

夕食は丼々恋 グルメ館で。メニューが豊富で近くにあったら通うだろうなと思えるようなお店でした。この日はホテルエルボン飯田に宿泊。日の長さを利用して翌日も信州の建築を巡っていきます。

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6/23 梅雨曇りの吉都線・肥薩線駅巡り

南九州駅巡り最終日も吉都線肥薩線の駅を巡りました

高崎新田駅

都城5:39発隼人行き2927D(キハ47-9046+キハ47-8089)で出発し、まずは高崎新田へ。平成18年1月1日の合併で都城市となった旧:北諸県郡高崎町の玄関口で、昭和44年1月28日に完成した鉄筋コンクリート造平屋建ての駅舎があります。比較的大きな駅舎に広いホームと準主要駅らしい佇まいですが、無人化されて荒れ気味なのが寂しさを感じさせます。駅名の読みは「たかさき」ですが、地名の読みは「たかざき」です。駅の写真を撮っていると、駅前の掃除をしていたおじいさんから「お兄さん、新聞記者?(そのカメラ)かっこいいね」と話しかけられました。

旧:高崎地区公民館・高崎児童福祉会館

滞在時間を利用し、列車の中から見て気になっていた建物を撮影。昭和41年12月1日に開設された旧:高崎地区公民館・高崎児童福祉会館です。平成29年12月に公民館が、令和元年9月に放課後児童クラブが移転し、現在は使われていません。

万ヶ塚駅

高崎新田6:29発都城行き4920D(キハ47-8055+キハ47-9050)で万ヶ塚へ。広い駅前を持つ駅で、駅裏には製材工場があります。昭和53年12月改築の駅舎は南九州標準仕様の簡易駅舎。昭和22年3月1日開業時の所在地は北諸県郡志和池村で、昭和32年3月1日に都城市編入されました。

高原駅

万ヶ塚6:49発吉松行き4921D(キハ47-9077+キハ47-8077)で高原(たかはる)へ。西諸県郡高原町の玄関口で、平成12年4月改築の駅舎は観光協会との合築です。簡易委託の窓口もあり、吉都線の中では主要駅と言っていい存在ですが、それでも一日平均乗車人員は100人を切っています。訪問時はちょうど小中学生の登校時間帯で、駅前では緑の服を着たおじいさんが見守りをしていました。

高崎駅

15分遅れの高原7:45発南宮崎行き2920D(キハ47-8123+キハ47-9056)で東高崎へ。昭和38年12月1日に開業した吉都線で最も新しい駅で、それでも今年で開業六十周年を迎えます。東霧島神社の最寄り駅で、鬱蒼とした緑に囲まれています。ホームは裏手の畑より一段低くなっており、昭和44年1月設置のトイレもホームより高いところにあります。

日向前田駅

12分遅れの東高崎8:21発吉松行き4923D(キハ140-2127)で日向前田へ。目の前は崖、後ろは竹藪という立地の駅で、侵食する自然に負けそうな印象を受けます。前田の集落は竹藪で隔てられたすぐ真下にありますが、駅から直接見えるところに人家はありません。昭和22年3月1日開業時の所在地は北諸県郡高崎村。前田地区は明治の町村制で高崎村が成立するまでは北諸県郡前田村でした。

日向前田駅

 

ホーム上にある駅舎は昭和53年3月改築。南九州標準仕様ですが、その立地ゆえに出入口は一か所のみ。密閉されているわけではないのでここも自然に侵されています。

日向庄内駅

日向前田9:18発都城行き4922D(キハ47-8077+キハ47-9077)で日向庄内へ。南九州標準仕様の簡易駅舎がある駅で、かわいらしく装飾されていて無人駅特有の荒れた雰囲気はありません。ホーム上には向日葵が咲いていて夏を感じさせます。昭和27年4月15日開業で、駅舎は昭和52年11月改築。開業時の所在地は北諸県郡庄内町で、昭和31年7月15日に西岳村と合併して北諸県郡荘内町(そうないちょう)となり、昭和40年4月1日に都城市編入されました。

都城志布志道路建設現場

次の列車まで3時間以上あるので、隣の谷頭まで歩いて向かいます。日向庄内駅の北方では高速道路と吉都線が立体交差する部分の工事が行われていました。

谷頭駅

途中寄り道したので45分ほどで谷頭(たにがしら)駅に到着。平成18年1月1日の合併で都城市となった旧:北諸県郡山田町の玄関口ですが、山田町の中心へは万ヶ塚駅の方が近いです。駅舎はもはやお馴染みの南九州標準仕様。この駅を最後に吉都線は全駅訪問達成。宮崎県内の駅は残すところ真幸のみとなりましたが、営業休止中なので訪問はいつになるでしょうか。

中霧島・谷頭の街並み

 

駅があるのは明治の町村制で山田村が成立するまで北諸県郡中霧島村だったところで、周辺駅と比べると駅前に店も多くて「街」を感じられます。

植村駅

昼食も済ませ、谷頭13:15発隼人行き2923D(キハ47-9077+キハ47-8077)で肥薩線に戻って植村へ。地元の負担により昭和32年7月5日に開業した駅で、ホーム上には平成16年3月に地元有志から寄贈された待合所があります。駅前を交通量の多い県道50号牧園薩摩線が通っているものの、周辺は里山でのどかな雰囲気です。

栗野駅

植村15:11発吉松行き5228D(キハ140-2127)で栗野へ。姶良郡湧水町の玄関口で、駅舎内に入居する観光協会「栗太郎館」では土産物や切符を販売しています。かつては山の線が分岐していましたが、昭和63年2月1日に廃止となりました。

姶良郡湧水町役場栗野庁舎(旧:姶良郡栗野町役場)

駅近くには姶良郡湧水町役場があります。湧水町は平成17年3月22日に姶良郡栗野町吉松町が合併して誕生した町で、分庁方式ですが、書類上の本庁舎は栗野庁舎に置かれています。栗野庁舎は昭和45年10月竣工の古い庁舎ですが美しく保たれており、これからも末永く使われていきそうです。

中福良駅

栗野16:00発隼人行き5321D(キハ140-2127)で中福良へ。昭和33年2月1日に開業した駅で、ホーム上に年季の入った木造待合所があります。鹿児島空港とは直線距離で2.1㎞ほどしか離れていませんが、どこまでも続くような深い山々が周囲と隔絶された駅という印象を与えます。

嘉例川駅

中福良16:37発都城行き2922D(キハ47-8070+キハ47-9098)で嘉例川へ。旅行初日以来4日ぶりの再訪で、予定ではここから鹿児島空港まで55分歩く予定でしたが、駅前に空港行きバスが停まっていたので、慌てて乗りこみました。

バスで鹿児島空港

10分ほどで鹿児島空港に到着。帰りの飛行機まで2時間ほど余裕があるのでゆっくり夕食を食べて空港内を見物することができました。

JAL2414便

鹿児島空港19:10発JAL2414便に搭乗。伊丹空港には着陸機で混雑していたため5分遅れで20:35着。大阪空港20:46発門真市行き(2617)、蛍池20:54発急行宝塚行き(1568)、宝塚21:19発普通西宮北口行き(7604)を乗り継いで帰宅しました。

6/22 梅雨晴れの肥薩線・吉都線駅巡り

南九州遠征四日目は肥薩線吉都線の駅を巡りました

大隅横川駅

隼人を5:52発南宮崎行き2920D(キハ47-8077+キハ47-9077)で出発し、まずは大隅横川へ。嘉例川駅と並んで鹿児島県最古の駅舎が残る駅で、兄弟駅舎といっていいほどに似ていますが、寸法はこちらの方が大きいです。明治36年1月15日に「横川(よこがわ)」として開業、信越本線横川駅との混同を避けるため大正9年9月1日に改称されました。昭和20年7月20日には空襲を受けており、駅舎の柱には機銃掃射の跡が残っています。

横川の街並み

駅のある横川(よこがわ)は平成17年11月7日の合併で霧島市となるまで姶良郡横川町だったところで、古くから栄えた街らしく街並みの中にも古い建物が多く見受けられます。

霧島温泉駅

大隅横川6:51発隼人行き5223D(キハ47-9048+キハ47-8135)で霧島温泉へ。平成17年11月7日の合併で霧島市となった旧:姶良郡牧園町唯一の駅かつ霧島温泉郷の最寄り駅ですが、町の中心および温泉からは大きく離れています。明治41年11月7日に貨物専業の「牧園」駅として開業、旅客営業は翌年7月10日より開始されました。昭和37年1月15日に「霧島西口」に改称、平成15年3月15日に再改称されて現駅名になっています。昭和38年10月改築の駅舎は国鉄モダニズムスタイルで、無人駅となって荒れた雰囲気。

吉松駅

霧島温泉7:37発吉松行き5220D(キハ140-2127)で吉松へ。肥薩線吉都線の接続駅で、昭和43年3月改築の駅舎も二階建てと主要駅らしい雰囲気ですが、昨年3月12日に無人化されています。かつては鹿児島本線日豊本線の二大幹線の接続駅でしたが、いずれも新ルートの開業によってローカル線に格下げされてから90年以上を経ています。明治36年9月5日開業時の所在地は姶良郡吉松村で、昭和28年2月11日に町制施行して吉松町となり、平成17年3月22日の合併で湧水町となりました。

西小林駅

ここからは吉都線の駅を巡っていきます。吉松8:23発都城行き4922D(キハ47-8070+キハ47-9098)で西小林へ。吉都線で最も高い標高286.8mにある駅です。昭和4年2月1日に日豊本線の駅として開業。南九州ではよく見るタイプの簡易駅舎は昭和52年12月改築。対向ホームの跡はくっきりと残っています。駅周辺は明治の町村制で小林村となるまで西諸県郡北西方村でした。

鶴丸駅

西小林9:10発吉松行き4923D(キハ40-8038)で鶴丸へ。鹿児島と宮崎の県境近くにある駅で、昭和33年2月1日に開業しました。周辺より一段低いところにひっそりと存在するため、存在感が希薄な印象を受けます。

猫のいる駅前

駅前には鶴丸温泉という温泉施設があるものの、駅同様にひっそりとしています。カメラを向けても動じることのない野良猫が何匹もたむろしており、温泉の縁側も我が物顔で歩いていました。

歩いて県境越え

吉都線には列車の間隔が大きく開く時間帯があり、次の列車まで3時間以上あるので、歩いて京町温泉へ向かいます。のどかな田園地帯の中にある県境も歩いて越えて宮崎県に入りました。

京町温泉駅

40分ほどで京町温泉へ。宮崎県を代表する温泉地・京町温泉の玄関口で、平成30年7月に観光交流センターとの合築駅舎が使用開始されました。長らく使用されてきた駅舎は同年10月から12月にかけて解体されています。大正元年10月1日に宮崎線の「京町」として開業、当時の所在地は西諸県郡真幸村でした。真幸村は昭和25年4月1日に町制施行して真幸町となり、昭和41年11月3日の合併でえびの町となっています。駅名は平成2年11月1日に改称。旧:真幸町の中心は真幸駅ではなく当駅周辺です。

ななつ星のお見送り

この日は吉都線を「ななつ星」が走る日。京町温泉駅にはお見送りのために地元の幼稚園児も来ていました。11:08頃に通過。ゆっくりとした通過とは言えほんの一瞬のお見送りのために多くの人が集まっていました。せっかくの温泉地の駅、一つくらいは毎週末に停まる観光列車でもあった方が地元の振興に繋がるのではないかという気がします。

えびの上江駅

京町温泉13:20発都城行き4924D(キハ140-2127)でえびの上江へ。昭和32年7月5日に「上江(うわえ)」として開業した駅で、ホーム入口に年季の入った待合所があります。開業時の所在地は西諸県郡飯野町で、昭和41年11月3日の合併でえびの町となりました。駅名は明治の町村制で飯野村が成立するまで存在した西諸県郡上江村に由来します。駅名は平成2年11月1日に改称。

えびの高原

えびの高原を望むのどかな田園地帯の中を30分ほど歩いてえびの飯野へと向かいます。梅雨の真っ最中とは思えないいい天気ですが、それゆえに暑いです。

えびの飯野駅

えびの飯野は昭和41年11月3日の合併でえびの町となった旧:西諸県郡飯野町の玄関口で、えびの市の東の玄関口といった雰囲気。平成2年11月1日まで「飯野」を名乗っていました。えびの市唯一の公立高校である飯野高校の最寄り駅であることから、学生の利用が多いです。昭和35年8月改築の駅舎は飯野町が600万円の国鉄利用債で建てたもの。

えびの駅

えびの飯野14:11発隼人行き2923D(キハ47-9098+キハ47-8070)でえびのへ。えびの市の代表駅で、大正元年10月1日開業時の木造駅舎が残っています。開業時の所在地は西諸県郡加久藤村で、昭和30年2月11に町制施行して加久藤町となっています。駅名は平成2年11月1日に「加久藤(かくとう)」から改称。市役所最寄り駅であることから「えびの」としたのでしょうが、他駅と同じように「えびの加久藤」として旧駅名を残してほしかったものだと思います。

えびの市役所

えびの市役所へは歩いて10分ほど。昭和48年3月2日着工、昭和49年3月20日竣工の庁舎で、玄関は大階段に接続する二階にあります。昭和41年11月3日、西諸県郡加久藤町・飯野町・真幸町の3町が合併して西諸県郡えびの町が成立。昭和45年12月1日に市制施行してえびの市となりました。3町が合併した町だけあって市街地も飯野・加久藤・京町(真幸)の3つに分散しており、特に加久藤市街は駅から離れているので、えびの駅に代表駅らしい賑わいはありません。

広原駅

えびの16:12発都城行き4926D(キハ47-8057+キハ47-9075)で広原(ひろわら)へ。西諸県郡高原町里山にある駅で、駅から見える範囲に人家は多くありません。昭和36年10月1日開業。ホーム上に簡素な待合所があります。駅名は明治の町村制で高原村が成立するまで存在した西諸県郡広原村に由来。

小林駅

広原16:53発吉松行き4925D(キハ140-2127)で小林へ。小林市の代表駅で、吉都線の途中駅では唯一の有人駅ですが、窓口は平日午前中のみの営業です。平成27年3月改築の駅舎はホーム入口に設けられた小さなもので、自由通路の踏切に面しています。

KITTO小林

旧駅舎跡に平成29年7月31日にオープンしたのは小林市地域・観光交流センター「KITTO小林」。観光案内所やバス窓口があり、駅待合室も兼ねていますが、駅舎としての機能はありません。

都城駅

小林18:03発都城行き2922D(キハ47-8055+キハ47-9050)で都城へ。この日はサンホテル都城に宿泊しました。

6/21 梅雨の指宿枕崎線・鹿児島本線・日豊本線・肥薩線駅巡り

南九州駅巡り三日目は指宿からスタート

山川駅

指宿5:57発普通山川行き1321D(キハ200-559)に乗り、まずは隣の山川へ。JR最南端の有人駅を名乗っていますが、平日朝夕のみ営業する簡易委託駅なので、有人時間帯は長くありません。平成18年1月1日の合併で指宿市となった旧:揖宿郡山川町の玄関口ですが、町の中心からは山川湾を隔てて大きく離れています。鹿児島中央方面からの列車の多くが折り返し、当駅から先は本数がぐっと減ります。

頴娃駅

山川6:11発枕崎行き5321D(キハ140-2061)で頴娃(えい)へ。のどかな田園地帯の中にある駅で、上屋とベンチは撤去されています。雨の日に降りたくないタイプの駅ですが、この日はあいにくの雨。通学時間帯ということで他の利用者の姿も見かけましたが、数十人とは言え利用者がいる駅の上屋を撤去してしまうのはいかがなものでしょうか。

大山駅

頴娃6:49発鹿児島中央行き1326D(キハ47-8124+キハ47-9078)で大山へ。阿多カルデラの噴火によってつくりだされた台地の上にある駅で、ホームは島式化が可能な造りの片面ホームです。駅名は明治22年町村制で山川村が成立するまで存在した揖宿郡大山村に由来します。駅名標にデザインされているのは池田湖のウナギ。

入野駅

大山7:44発西頴娃行き5323D(キハ40-8056)で入野へ。開聞岳の北に位置する駅で、近くには変わった形状の矢筈山も見られます。この駅も上屋とベンチは撤去済み。ホーム上には地元の方が手入れしているのであろう花壇がありました。

開聞駅

入野8:23発指宿行き5322D(キハ140-2061)で開門へ。平成18年1月1日の合併で指宿市となった旧:揖宿郡開聞町の玄関口で、開業時は駅舎や交換設備もある有人駅でしたが、わずか3年ほどで無人化されています。駅舎はその後、改装されて観光案内所と喫茶店が入居したもの、平成14年3月に解体。広い駅前がかつての広い構内の名残です。

開聞町農協

隣の東開聞駅まではわずか1.8㎞。歩いて向かいます。その道中、開聞町の表記が残った農協の建物を見つけました。

東開聞への道

農協を過ぎてからは田んぼの中の農道を歩いて行きます。雨の日ということもあって歩くたびに小さなツチガエルが跳んで逃げていき、踏んでしまわないか気を付けながら足早に歩きました。

東開聞駅

歩くこと27分で東開門へ。田んぼを見下ろす一段高いところにある駅で、人家は離れていて非常に長閑な雰囲気です。開聞駅同様、近すぎるがゆえに開聞岳は見えません。ここまでの道同様に駅も蛙だらけで、列車が入って来る時に線路でも蛙が飛び跳ねるのが見えましたが、轢かれていないか心配になります。

薩摩今和泉駅

東開門9:05発指宿行き5324D(キハ40-8056)と指宿9:32発快速なのはな鹿児島中央行き3332D(キハ200-1659)で薩摩今和泉へ。天璋院篤姫)の実家である今和泉島津家が拠点を置いた地にある駅で、快速「なのはな」も停車します。駅舎は昭和27年3月改築で、昭和61年8月31日に改装されています。昭和9年12月19日開業時の所在地は揖宿郡今和泉村で、昭和29年4月1日に指宿町と合併して指宿市となりました。

五位野駅

薩摩今和泉10:18発普通鹿児島中央行き1334D(キハ140-2061+キハ40-8056)で五位野へ。昭和5年1月25日に指宿線の終点として開業、喜入延伸で途中駅となりました。平川動物公園の最寄り駅で、駅名標にはコアラがデザインされています。駅舎は昭和59年1月25日改築。

平川駅

五位野11:31発普通山川行き1335D(キハ200-501)で平川へ。鹿児島市街最南端の駅で、鹿児島中央から当駅までは快速「なのはな」も各駅に停車します。駅名は明治22年町村制で谷山村が成立するまで存在した鹿児島郡平川村に由来。駅は昭和54年7月1日に現在地に移転し、昭和58年3月8日に再有人化されています。武骨な駅舎は再有人化時に建てられたものでしょう。

慈眼寺駅

平川11:45発普通鹿児島中央行き1336D(キハ200-1502)で慈眼寺(じげんじ)へ。昭和63年3月13日に開業した駅で、平成28年3月26日に高架化されました。当初はホーム一本のみの小さな駅でしたが、利用客増加に伴って平成4年ごろには交換設備新設と駅舎の橋上化が行われました。高架化に際しては当駅折り返し列車も新設されています。

坂之上駅

慈眼寺12:21発普通枕崎行き(※線路保守工事のため指宿行きに変更)1337D(キハ47-9049+キハ47-8120)で坂之上へ。昭和41年10月1日に開業した駅で、周辺は台地上に開発された住宅街です。鹿児島国際大学の最寄り駅であることから学生の利用が多く、昭和58年3月8日に有人化されています。駅舎はホーム上屋と一体化した簡素なもので、有人化に際して建てられたものでしょうが、当初とは出入口の位置が変更されています。鹿児島市内で3番目に利用者の多い駅ですが、それでもあっさり無人化されているのはなんだかなという印象。

南鹿児島駅

坂之上12:33発普通鹿児島中央行き334D(キハ200-1560)で南鹿児島へ。鹿児島市電の停留所が隣接している駅で、市電の踏切を渡らないと駅に入れないという面白い構造をしています。昭和19年10月1日開業、交換駅化のために移転歴があるとのことですが、駅舎の建物財産標の日付からして昭和41年4月のことだと思われます。移転前の旧ホームも残っているとのことですが、存在を知らずに見逃しました。

郡元駅

南鹿児島13:09発普通鹿児島中央行き336D(キハ200-1556)で郡元へ。昭和61年12月1日に開業した駅で、平成17年10月から令和2年5月30日までは有人駅でした。鹿児島大学などが集まる文教地区に位置しており、学生の利用が多いです。

伊集院駅

郡元13:26発普通鹿児島中央行き1338D(キハ47-8083+キハ47-9072)で鹿児島中央へ。昼食を食べてから14:25発鹿児島本線川内行き2444M(クハ816-523)に乗り換えて伊集院へ。平成17年5月1日に日置郡伊集院町と周辺3町が合併して誕生した日置市の代表駅で、平成27年6月6日に橋上化されています。駅前に建つのは戦国武将・島津義弘の馬上像。大正2年10月11日に川内線の駅として日置郡中伊集院村に開業。かつては枕崎とを結ぶ鹿児島交通枕崎線が分岐していました。

薩摩松元駅

伊集院14:54発都城行き2451M(クモハ817-506)で薩摩松元へ。平成16年11月1日に鹿児島市編入された旧:日置郡松元町の駅で、市街地を見下ろす高台にあります。地元の請願と費用負担により昭和29年2月1日に開業。当時の所在地は日置郡上伊集院村で、村内には既に上伊集院駅が存在していたものの、村の中心から離れていたことから、当駅の設置が求められました。上伊集院村昭和35年4月1日に松元村に改称し、同時に町制施行。伊集院町との混同を避けるだけでなく、村の中心にあって村民が愛着を持っている駅名を村名としたいというのが改称の理由でした。

重富駅

薩摩松元15:29発普通鹿児島中央行き433M(クモハ817-8)と鹿児島中央15:45発普通国分行き6948M(クモハ817-11)で重富へ。3月にも訪問済みですが、行程の都合上再訪。前回工事をしていた駅前のトイレは完成していました。重厚な和風駅舎は何度見てもいいものです。

竜ケ水駅

竜ケ水駅

重富16:36発普通鹿児島中央行き6953M(クハ816-10)で竜ケ水へ。錦江湾桜島を望む駅で、周囲に人家は多くありません。普通列車でも多くが通過するため、降りるのも一苦労です。平成5年8月6日、豪雨による土石流が駅周辺を襲いましたが、乗務員のとっさの判断により乗客の避難が行われ、多くの人命が救われることになりました。ホーム上に建つ石碑がその災害を静かに伝えています。

隼人駅

竜ヶ水17:11発普通鹿児島中央行き6757D(キハ47-9050+キハ47-8055)と鹿児島17:37発普通宮崎行き6954M(クモハ817-10)で隼人へ。日豊本線肥薩線の分岐駅で、平成17年11月7日の合併で霧島市となった旧:姶良郡隼人町の玄関口です。駅舎は昭和47年1月改築で、九州新幹線開業に合わせて平成15年2月21日に改装されました。前面が竹材で覆われた和風デザインで、島津家の家紋が掲げられています。明治34年6月10日に「国分」として開業し、現:国分駅開業の2カ月前の昭和4年9月1日に「西国分」に改称。当時の所在地は姶良郡西国分村でした。西国分村は昭和4年10月10日に町制施行して隼人町となり、駅名も昭和5年9月15日に再改称されています。

向山駅

34分歩いて日向山(ひなたやま)へ。昭和33年10月1日に開業した駅で、平成5年ごろまでは駅舎がありました。日向山温泉の最寄り駅ですが、駅前はごくごく普通の集落の駅といった雰囲気。駅周辺はかつて姶良郡日向山町で、昭和29年4月1日に隼人町と合併して隼人日向山町となるも、昭和32年4月1日の再改称で隼人町に戻って自治体名から「日向山」の名は消えてしまいました。

隼人駅

日向山18:59発隼人行き5233D(キハ140-8101)で隼人へ。この日はステーションホテル隼人に宿泊しました。

6/20 梅雨晴れの指宿枕崎線駅巡り

南九州駅巡り二日目は枕崎からスタート

枕崎市役所

列車の時間より少し早めにホテルを出て枕崎市役所を撮影。昭和30年に建てられた古い庁舎で、戦後のモダニズム建築というよりは戦前の重厚な庁舎建築の系譜を受け継ぐ建物といった印象を受けます。耐震済みなので当分は残るでしょう。

枕崎駅

市役所周辺を少し見てから枕崎駅へ。本土最南端の始発・終着駅ですが、ホームは一本のみで至って簡素。街中にあるのに寂しげな印象を受ける駅です。

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枕崎駅についてはYCJPの方で記事にしましたので、よろしければご覧ください。

御領駅

枕崎6:04発鹿児島中央行き1326D(キハ47-8083+キハ47-9072)で御領へ。緑のトンネルの中にあるような駅で、当初から駅舎のない無人駅です。海が近いためか、線路上を小さな蟹が何匹も歩いていました。駅名は明治の町村制で頴娃村が成立するまで存在した頴娃郡御領村に由来します。

薩摩板敷駅

御領6:51発枕崎行き5321D(キハ40-8056)で薩摩板敷へ。鹿児島水産高校の最寄り駅で、小さな駅ながら朝夕は多くの学生で賑わいます。海を望む台地の上にあり、周辺には畑が広がるのどかな雰囲気の駅です。駅名に「薩摩」を冠しているものの、「板敷駅」は他に無く、区別の必要性はないように思えますが、これはいかに?

西頴娃駅

薩摩板敷7:41発指宿行き5322D(キハ40-8056)で西頴娃(にしえい)へ。平成19年12月1日の合併で南九州市となった旧:揖宿郡頴娃町の玄関口で、折り返し列車も設定されてます。山川以西の末端区間では唯一の有人駅で、平日は簡易委託の窓口も営業しています。昭和35年3月22日に山川から延伸してきた指宿線の終点として開業。駅舎は開業時以来のコンクリートブロック造りの小柄なものです。

薩摩川尻駅

西頴娃8:48発指宿行き5324D(キハ40-8064)で薩摩川尻へ。開門山麓の田園地帯の中にある駅で、近年上屋が撤去されました。屋根が一切ないこんな駅に雨の日に降りると途方に暮れるしかないわけですが、この日は幸いにも梅雨の中休みで濡れずにすみました。指宿枕崎線に金をかけたくないJRの事情も分かりますが、いくらなんでも駅に屋根やベンチが一切ないのはいかがなものでしょうか。

開聞岳

次の列車までは2時間半以上、もちろん隣駅まで歩きます。開聞岳を望みながら緩やかに上下する畑の中の道を歩いて西大山へ。梅雨なのに晴れていて暑いくらいです。

西大山駅

約25分歩いて西大山へ。言わずと知れたJR最南端の駅で、観光バスがひっきりなしにやってくる人気観光地と化しています。いくら観光客がバスや車でやってきてもJRには一銭も入らず、指宿枕崎線の存続にも寄与しないわけですが、観光客が駅前の土産物屋で買い物していくので、地元にちゃんとお金が落ちる分、下灘駅よりはマシでしょう。この手の無人駅、JRは駐車場代くらい取っても罰は当たらないと思います。

白沢駅

西大山11:54発枕崎行き1333D(キハ47-9072+キハ40-8088)で白沢へ。集落の中にひっそりと存在するホームだけの駅で、ここも上屋とベンチは撤去されています。残った駅名標も文字が見にくいくらい色褪せていて実に存在感が希薄です。開業時には既に奥羽本線白沢駅があったのに、「薩摩白沢」とならなかったのは何故でしょうか。

薩摩塩屋駅

30分歩いて枕崎市南九州市の市境を越え、薩摩塩屋へ。平成17年度の一日平均乗車人員は0.1人と指宿枕崎線の中でも特に利用者の少ない駅で、ご多分に漏れず上屋とベンチは撤去済み。秘境駅として紹介されることもありますが、木々に遮られて見えないだけで駅前には集落があります。

水成川駅

薩摩塩屋13:43発指宿行き5326D(キハ40-8088+キハ47-9072)で水成川(みずなりかわ)へ。エビの養殖が盛んな地区にある駅で、駅名標にはエビがデザインされています。踏切の拡張に伴い、令和3年にホームが改修されて綺麗になっています。上屋は残っているものの、ベンチはありません。

石垣駅

17分歩いて石垣へ。ここも上屋とベンチのない駅で、高台の集落の中にひっそりと存在しています。駅名の読みは「いしかき」で濁りません。駅がある別府地区は明治の町村制で頴娃村が成立するまで頴娃郡別府村でした。

松ケ浦駅

石垣14:19発枕崎行き1337D(キハ40-9077+キハ47-8077)で松ケ浦へ。切通に設けられた駅で、ホームは緩くカーブしています。線路を跨ぐ陸橋から撮ると背景に開聞岳が見えていい感じ。

頴娃大川駅

32分歩いて頴娃大川へ。緑のトンネルの中にあるような雰囲気の駅で、上屋は撤去されているものの、ベンチは残っています。駅名は、鶴見線大川駅と区別するために郡名の「頴娃」が冠されています。列車を待っていると若い女性観光客の二人連れがやってきましたが、釜蓋神社でも行ってきたのでしょうか。

二月田駅

頴娃大川16:17発鹿児島中央行き1348D(キハ47-8077+キハ47-9077)で二月田へ。指宿市役所の最寄り駅で、快速「なのはな」も停車します。駅舎は昭和26年12月または昭和27年3月改築のもので、民営化前後に改装されています。

二月田駅前の建物

駅前には聖書の看板がやたら貼られたインパクトの強い建物があります。聖書配布教会の支部かなにかでしょうか。

宮ケ浜駅

宮ケ浜駅ホームより

二月田17:56発鹿児島中央行き1350D(キハ200-1501)で宮ケ浜へ。鹿児島湾と対岸の大隅半島を望むことができる海岸沿いの駅です。ホーム上の簡易駅舎は平成元年12月改築。宮ケ浜は鹿児島市出身の歌手・長渕剛の母親の出身地で、幼い頃の長渕もよくこの海岸で泳いだそうです。

指宿駅

宮ケ浜18:17発指宿行き1349D(キハ200-556)で指宿へ。日本最南端のみどりの窓口設置駅ですが、近年の度を越した無人化の流れを見ているとこの駅も危なそうだと感じます。昭和9年12月19日、喜入から伸びてきた指宿線の終点として開業。駅舎は昭和55年12月改築で、九州新幹線開業に合わせ平成15年3月6日に「開聞岳の松林」をイメージしたデザインに改装されました。この日は指宿民宿千成荘に宿泊。翌日も引き続き指宿枕崎線の駅を巡っていきます。

6/19 梅雨晴れの肥薩線・指宿枕崎線駅巡り

6/19~6/23の5日間、鹿児島・宮崎の駅を巡りました

JAL2401便

宝塚を5:25発宝塚線普通(9579)で出発し、蛍池から20分ほど歩いて伊丹空港へ。7:05発JAL2401便に搭乗し、鹿児島空港に到着したのは定刻より10分早い8:09でした。飛行機を使えば鹿児島ってこんなに近いのかとただただ驚くばかりです。

表木山駅への道

鹿児島空港からは45分くらい歩いて肥薩線表木山駅へ向かいます。滑走路の下を潜って空港の裏側に出、茶畑の中を突っ切ると、鬱蒼とした森の中の小道に変わりました。木のおかげで日陰があるのはありがたいですが、藪蚊がしつこくまとわりついてくるのには辟易しました。

表木山駅

9:07 表木山駅着。小集落の中にある相対式ホームの無人駅で、駅舎は南九州標準仕様の簡素なもの。平成28年度の一日平均乗車人員は0.7人と秘境駅一歩手前のような数値です。

表木山駅

大正5年9月11日に鹿児島本線の表木山信号所として開業。大正9年10月11日に駅に昇格し、昭和2年10月17日に川内周りの新線が全通すると肥薩線の駅となりました。元は九州の大動脈・鹿児島本線の駅だっただけあって、ホームも長く立派です。

嘉例川駅

表木山9:19発吉松行き5222D(キハ47-8125+キハ47-9042)で嘉例川へ。明治36年1月13日開業時に建てられた築120年の木造駅舎が残る駅で、鹿児島空港に至近の立地もあってか半ば観光地化されています。いい駅舎なのですが、晴れすぎて微妙な写り方になってしまったので、駅巡りの時には程々に曇ってくれた方がありがたいですね。

鹿児島駅

嘉例川9:44発隼人行き5225D(キハ140-2127)と隼人10:08発普通鹿児島中央行き6939M(クモハ817-515)を乗り継いで鹿児島へ。3月にも訪問していますが、いずれも早朝と日没後なので、明るい時間に降りるのはこれが初めてです。

鹿児島中央駅

鹿児島11:11発普通鹿児島中央行き6941M(クモハ817-2)で鹿児島中央へ。駅弁を買ってから指宿枕崎線に乗り換えます。

谷山駅

鹿児島中央11:35発普通喜入行き335D(キハ200-565)で谷山へ。鹿児島市南部の中心駅で、平成28年3月26日に高架化されています。昭和5年12月7日に指宿線の駅として開業。当時の所在地は鹿児島郡谷山町で、昭和32年10月1日に単独市制施行して谷山市となるも、昭和42年4月29日に鹿児島市と合併しました。元が独立していた市の玄関口だけあって利用者も多く、みどりの窓口も設置されています。

宇宿駅

谷山12:05発普通鹿児島中央行き1336D(キハ200-1501)で宇宿(うすき)へ。昭和61年11月1日に開業した駅で、ホーム上に簡素な駅舎があります。平成18年3月18日に一度有人化されましたが、令和2年5月30日に無人駅に戻りました。

名駅

宇宿12:14発普通枕崎行き1337D(キハ47-9098+キハ47-8070)で中名(なかみょう)へ。島式ホームの交換可能駅で、駅舎は昭和58年3月8日の無人化以降に改築されたもの。昭和9年5月20日開業、駅名は明治22年町村制で給黎郡喜入村が成立するまで存在した給黎郡中名村に由来します。中名地区の海上には日本国内の石油使用量二週間分を備蓄できるENEOS喜入基地があり、日本のエネルギーを支えています。

瀬々串駅

中名12:52発普通鹿児島中央行き1338D(キハ47-8077+)で瀬々串へ。海が近い立地の相対式ホームの交換可能駅で、ホーム間は跨線橋で結ばれています。かつては木造駅舎がありましたが、平成20年3月に簡素な駅舎に改築されました。駅名は明治22年町村制で給黎郡喜入村が成立するまで存在した給黎郡瀬々串村に由来します。

喜入駅

瀬々串13:14発普通喜入行き337D(キハ200-501)で喜入へ。平成16年11月1日に鹿児島市編入された旧:揖宿郡喜入町の玄関口で、普通列車の約半数が折り返す運行拠点駅ですが、無人化されています。SUGOCA利用可能エリアは当駅までで、当駅以南では運賃は車内収受となります。駅舎は昭和9年5月20日開業時のもので、昭和61年8月31日の改装で、水車をイメージした飾り屋根が付きました。

生見駅

喜入13:49発普通指宿行き1339D(キハ200-556)で生見(ぬくみ)へ。島式ホームの交換可能駅で、駅舎は平成27年9月に簡素なものに改築されました。駅名は明治22年町村制で給黎郡喜入村が成立するまで存在した給黎郡生見村に由来します。

前之浜駅

生見14:45発普通鹿児島中央行き1342D(キハ200-1556)で前之浜へ。カーブした相対式ホームの交換可能駅で、ホーム上に丸みを帯びたデザインの簡易駅舎(昭和59年12月改築)があります。この駅も海の近い立地で、跨線橋からは海の向こうの桜島も望むことができます。

指宿駅

前之浜15:00発普通山川行き1341D(キハ200-560)で指宿へ。砂蒸し風呂で有名な指宿市の代表駅ですが、みどりの窓口の営業は終了し、早くも閑散としていました。事前に営業時間を調べなかった自分も悪いのですが、このままだと九州旅名人フリーきっぷを買えないので、予定を変更して谷山まで戻ることに。

谷山駅

指宿15:53発普通鹿児島中央行き1344D(キハ200-1560)で谷山へ。みどりの券売機で切符を購入し、ついでに駅前のスーパーで食料調達も済ませました。

枕崎駅

谷山17:27発普通鹿児島中央行き1349D(キハ200-501)と指宿18:35発普通枕崎行き5327D(キハ47-9049+キハ47-8120)を乗り継いで枕崎へ。学生たちは途中で降りてしまい、終点の枕崎に着く頃には車内は貸切状態でした。この日は枕崎ステーションホテルに宿泊。翌日は指宿枕崎線の末端区間を巡っていきます。

5/25 近代建築・庁舎を求めて群馬をドライブ(子持・昭和・白沢・川場・高山・中之条・長野原・六合・小野上)

群馬ドライブ二日目は新前橋からスタート

渋川市子持行政センター(旧:北群馬郡子持村役場)

まずは子持へ。平成18年2月20日の合併で渋川市となった旧:北群馬郡子持村で、旧子持村役場が今も行政センターとして使われています。東庁舎は昭和37年2月、西庁舎は昭和49年4月建設。昭和59年7月に村長室、平成元年3月に休憩室、同年12月に玄関部分、平成9年3月に書庫が増築されています。

入沢区民館

続いて利根郡昭和村へ。まずは入沢区民館を撮影。古そうな建物ですが、詳細は不明。

昭和村役場

昭和村役場は今年5月8日に新庁舎が使用開始されたばかり。昭和45年10月竣工の旧庁舎は囲われていたものの、まだ解体されていませんでした。なんとか見れて良かったものの、もっと早く来ておけばよかったなと思います。

沼田市白沢支所(旧:利根郡白沢村役場)

片品川沿いに遡って白沢へ。平成17年2月13日に沼田市編入された旧:利根郡白沢村で、川に向かって傾斜していく地形の中に役場も建っています。定礎の日付は平成3年8月。

利根郡川場村役場

続いて川場村へ。平成の大合併の際には「世田谷区との合併」という珍案が飛び出したものの、結局独立を貫いた村で、明治の町村制以来一度も合併を経験していません。役場は昭和48年竣工で、今年11月6日に新庁舎に移転して役目を終える予定です。

わ89-213+わ01-855

高山村へ向かう道中、みなかみ町のリサイクルショップに保存されているわたらせ渓谷鉄道の車両を撮影。屋外保存にしては状態がいいですが、外灯が邪魔ですね。

吾妻郡高山村役場

赤根峠を越えて高山村へ。明治の町村制で西群馬郡中山村と尻高村が合併して誕生した村で、役場は中山に置かれています。庁舎は昭和47年9月竣工で、設計監理は大高建築設計、施工は宮崎建設。外観はそれほど古そうに見えませんが、築半世紀を超えているため、建て替えも検討されています。

名久田教会

尻高の集落には明治20年に建てられた名久田教会が残されています。県内に現存する最古の教会建築とのことですが、使われていない建物かのようにひっそりとしていました。

吾妻通運

中之条へ向かう道中、丸窓が目を惹くガソリンスタンドを見つけたので撮影。

吾妻郡中之条町役場

中之条町役場は昭和53年12月竣工。吾妻郡の中心となる町だけあって、庁舎も立派です。

柳屋旅館

町田家住宅

北群馬信用金庫中之条支店

中之条は吾妻川河岸段丘上に形成された町で、古い建物も多そうです。またいずれゆっくり来ることにしましょう。

旧:岩島第二小学校

東吾妻町に入り、岩島第二小学校へ。明治34年7月に岩島西尋常高等小学校として開校した学校で、平成11年3月31日に岩島小学校に統合されました。昭和29年2月11日竣工の校舎が残っていますが、屋根は一部崩壊しています。

グリーン食堂 カツ丼

長野原町のグリーン食堂で昼食。おばあちゃんが一人でやっている懐かしい感じの小さな食堂でした。旅に出ると食堂の素朴なカツ丼が食べたくなるのは私だけでしょうか。

西吾妻交通会館と長野原警察署

以前、長野原町誌で写真を見て気になっていた西吾妻交通会館を撮影。屋根の形に個性のあるモダニズム建築です。

東京電力今井発電所

嬬恋村に入り、今井発電所へ。大正14年7月に吾妻川電力によって建てられた発電所で、築100年近い今なお現役で、美しく保たれています。

吾妻郡嬬恋村役場

嬬恋村役場は昭和48年竣工。築50年を迎える古い庁舎ですが、今のところ建て替え計画はありません。

大前駅

続いて大前駅へ。吾妻線の終点で、嬬恋村役場の最寄り駅です。前回の訪問は実に五年前。折り返し時間が短いので、列車がいない時間に来るのはこれが初めてです。

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旧:草軽電気鉄道軽井沢駅

南下して北軽井沢へ。ここにはかつて軽井沢と草津温泉を結んでいた草軽電気鉄道の駅舎が現存しています。詳細はこちらの記事に書いたので、是非ご覧ください。

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満蒙開拓記念碑

北軽井沢には満蒙開拓記念碑もあります。戦後、満蒙からの引揚者たちが求めた新天地が、それまであまり開拓されてこなかったこの地でした。記念碑の傍にはバスの廃車体が4台も置かれています。

中之条町六合支所(旧:吾妻郡六合村役場)

北上して中之条町に入り、六合(くに)へ。平成22年3月18日に中之条町と合併した旧:吾妻郡六合村で、明治33年7月1日に草津村から分立した村でした。明治の町村制まで六つの村だった六つの字を合わせたことに因む村名です。旧役場の定礎の日付は昭和49年9月吉日。

長野原線 太子駅跡

六合村には吾妻線の前身・長野原線の終点・太子(おおし)駅がありました。日本鋼管群馬鉄山として昭和20年1月20日に開業、昭和27年10月1日に国鉄に移管されて長野原線の一部となりましたが、昭和45年11月1日休止、昭和46年5月1日に廃止されています。元が鉄山の専用線という特殊な性格ゆえか六合村の集落からは離れた谷底にある駅でした。

八ッ場湖の駅丸岩

長野原町に戻り、八ッ場湖の駅丸岩へ。八ッ場湖の畔に建つ観光施設で、水陸両用バスの乗り場やレストランが併設されています。建物の外観は昭和4年に建てられ、平成30年12月21日限りで役目を終えた旧長野原町役場を再現したもので、一部部材も再利用されています。

吾妻郡長野原町役場 旧庁舎

こちらが平成30年3月30日に撮影した旧役場。築90年を超える貴重な木造庁舎でしたが、隣接する寺の敷地に建っていたことから現地での保存が難しく、部材を活用しての再現という形でその歴史を未来に引き継ぐことになりました。窓の数や寸法こそ違いますが、なかなかの再現度の高さです。

八ッ場ダム

せっかくなので、やんば見放台から八ッ場ダムを撮影。

渋川市小野上行政センター(旧:北群馬郡小野上村役場)

続いて小野上へ。平成18年2月20日の合併で渋川市となった旧:北群馬郡小野上村で、昭和56年12月に建てられた旧役場が行政センターとして現役です。

ラーメンともや高崎店

高崎へ戻る道中、前日に見かけて気になったラーメンともや高崎店に立ち寄って夕食。店舗に据え付けられる形で三菱ふそうエアロスターが置かれています。野辺地西高校のスクールバスがなぜはるか遠くの高崎でラーメン屋になっているのかは不明。

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この後、無事車を返却し、高崎駅東口20:05発JX241便で大阪へと帰りました。