11/17 どこでもきっぷで山陽新幹線駅めぐり
どこでもきっぷ2日目は山陽新幹線の残りの未訪問駅を片付けました。
長府5:59発普通下関行き3501M(クモハ114-1621)で出発し、新下関からは6:30発こだま770号新山口行き770A(527-7007)に乗車。
厚狭で下車。平成17年の合併で山陽小野田市となった旧厚狭郡山陽町の駅で、山陽本線・厚狭線・小野田線との乗換駅です。山陽新幹線の停車駅になったのは平成11年3月で、山陽新幹線で最も新しい駅です。新幹線口駅前には目立った建物もなく閑散としています。
厚狭7:20発こだま840号新大阪行き840A(526-7004)で新山口へ。使用車両はハローキティ新幹線でした。新山口駅は今でこそ県都山口市の玄関口のようですが、平成15年10月1日に改称されるまでは「小郡」という駅名で、吉敷郡小郡町の駅でした。小郡町は平成17年の合併で山口市の一部になっています。昭和50年の新幹線開業後、急激に発展したこともあって、駅前の高層建築の密度は山口駅前よりも高く、ぱっと見本来の県都の駅である山口駅よりも都会のように見えてしまうのは皮肉です。
新山口8:01発こだま842号岡山行き842A(521-7008)で新岩国へ。岩国市街から山を隔てた御庄地区にある駅で、国鉄岩日線を転換した錦川鉄道の清流新岩国駅に隣接しています。駅前には住宅街が広がるのみで、商業施設等はありません。岩国市の新しい玄関口というよりは、広島まで新幹線通勤をする人たちのためのベッドタウンの駅と言った趣です。時間に余裕があったので清流新岩国駅まで歩いて行ってみましたが、乗換駅としては少々遠いです。新岩国駅の改札口がもう少し博多寄りに設けられていれば便利になっていたはずですが、国鉄としては廃止予定の赤字ローカル線との乗換駅にはしたくなかったのでしょう。
新岩国9:39発こだま844号岡山行き844A(723-7012)で東広島へ。昭和63年3月に東広島市三永地区に開業した駅です。東広島市は昭和49年に賀茂郡西条町・志和町・高屋町・八本松町が合併して誕生した市で、その中心は西条にあります。ちなみに岸田文雄首相の祖父・岸田正記は現在の志和町にあたる地域の出身で、東広島は岸田首相の一族のルーツの土地と言えるでしょう。
東広島駅は新幹線には珍しい地上駅で、下りホームより一段低い所にこれまた新幹線駅としてはこじんまりとした駅舎があります。駅前は郊外ロードサイドのような趣で、建物の密度は高くありません。
東広島11:22発こだま846号岡山行き846A(723-7006)で三原へ。三原市の玄関口で、山陽本線・呉線の高架駅に隣接しています。改札口は二重構造で、一旦在来線改札を入ってから階段を上って通路を歩き、新幹線改札を通ってホームに向かうことになります。駅裏の目と鼻の先に三原城址があるのが特徴で、ホームからは城跡の堀で泳いでいる鯉の模様までもよく見えます。
ちょうど昼時なので駅弁「元祖珍辨たこめし」で昼食。駅からもほど近い三原港はたこが名物です。この旅では乗車時間が毎回10分ほどと短い割に駅では一時間近く待ち時間があるので、結局ホームで駅弁を食べることになりました。
三原12:38発こだま848A(723-7005)で新尾道へ。昭和63年3月、東広島と同時に開業した駅で、尾道市街から離れた山間にあります。周辺は山を切り開いた郊外住宅地といった趣です。両隣の三原と福山へはそれぞれ11㎞と17㎞と新幹線にしては駅間距離が短く、それ故に利用は伸び悩んでいます。
新尾道13:48発こだま850号新大阪行き850A(521-7007)で福山へ。広島県東部・備後地方の中心都市福山市の玄関口で、山陽本線・福塩線の高架駅の真上に建設されています。1階に改札口、2階に在来線ホーム、3階に新幹線ホームがあり、新在を乗り換えるためにはわざわざ1階まで長いエスカレーターで降りなければなりません。
駅は福山城の中を横切るように建設されており、ホームからもその雄姿を間近に見ることができます。まるで新幹線ホームが城を見るための展望台かのようです。福山城は来年が築400年の節目の年で、色々とイベントも開催される模様です。安政の改革を行った老中・阿部正弘は福山藩第7代藩主です。
福山14:19発さくら552号新大阪行き552A(781-7007)と岡山14:49発こだま850号新大阪行き850A(521-7007)で相生へ。兵庫県西部・相生市の玄関口で、山陽本線・赤穂線との乗換駅です。相生市出身で、自民党河本派を率いていた大物議員・河本敏夫による政治駅だとも言われています。相生市自体はそれほど大きな市ではありませんが、神戸・大阪への通勤需要もあるようです。
相生16:02発ひかり511号511A(785-1021)で岡山へ。言わずと知れた中国・四国地方各地へのターミナル駅です。コロナを理由に特急やくもが間引かれてしまったせいで乗り換え待ちの時間が生じてしまったので、とりあえず津山線に乗って法界院へ行くことにしました。
岡山16:28発普通津山行き956D(キハ40-2133+キハ47-29)で法界院へ。岡山大学などへの最寄り駅で、時間帯によっては多くの学生で賑わいます。駅舎は明治41年6月開業時に建てられたもので、事務室部分が減築されています。ローカル線の駅としては利用者数の多い駅ですが、今年6月1日に無人化されました。この駅については3月に訪問済みですが、その時はカメラ故障中につきスマホで何枚か撮っただけだったのでこの機会に再訪することに。
法界院16:58発快速ことぶき岡山行き3941D(キハ47-1094+キハ47-18)で岡山へ。しばらく待って、18:05発特急やくも23号出雲市行き1023M(サハ381-229)に乗車。今ではすっかり貴重になった国鉄型特急電車です。
岡山駅で買った駅弁「岡山名物えびめしとデミカツ丼」で夕食。実はどちらも初めて知った名物ですが、ボリュームたっぷりで美味しかったです。
11/16 どこでもきっぷで北陸新幹線・山陽新幹線駅めぐり
この日はJR西日本どこでもきっぷを使い、北陸新幹線・山陽新幹線の駅をめぐりました。
前夜22:40にバスタ新宿を出たVIPライナー富山金沢便は翌朝5:14に富山駅北口に到着。購入済みのどこでもきっぷをみどりの券売機で受け取りましたが、慣れていないとなかなか面倒です。
富山6:38発はくたか552号東京行き552E(E723-23)で上越妙高へ。北陸新幹線におけるJR西日本とJR東日本の境界駅で、どこでもきっぷを使えるのはここまで。信越本線を転換したえちごトキめき鉄道妙高はねうまラインとの乗換駅です。新幹線開業に合わせて「脇野田」から改称されました。上越市(直江津、高田、新井)および妙高市方面への玄関口で、一時間に一本程度の「はくたか」が停車します。農村地帯にあったローカル駅を移転改称しただけあって、周辺は閑散としています。
上越妙高8:30発はくたか551号金沢行き551E(E723-5)で黒部宇奈月温泉へ。黒部市の田園地帯の中にある駅で、富山地方鉄道本線の新黒部駅が隣接しています。駅名にもなっている宇奈月温泉へは地鉄に乗り換えて約25分で、「宇奈月温泉口」とでもした方が実情に合っているような気はします。新黒部駅の駅前には黒部峡谷鉄道で使用されていた電気機関車と客車が展示されています。
上越妙高9:59発はくたか558号東京行き558E(E723-30)で糸魚川へ。糸魚川市の代表駅で、えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン・大糸線との乗換駅です。新幹線開業に際して在来線の駅舎は橋上化され、新幹線側のアルプス口が開設されました。新幹線工事に伴って解体されたレンガ造りの機関庫の一部がモニュメントとして展示され、1階の「糸魚川ジオステーション ジオパル」にはキハ52も保存されていますが、この日は閉まっていました。
糸魚川10:58発はくたか555号金沢行き555E(E723-3)で新高岡へ。富山県第二の都市・高岡市の郊外に新設された駅で、城端線との乗換駅です。中心市街からは少し離れているものの、南口にはイオンモールがあります。各駅停車の「はくたか」と富山~金沢間シャトルの「つるぎ」が停車しますが、速達タイプの「かがやき」は停車しません。
新高岡12:15発はくたか557号金沢行き557E(E723-23)で金沢へ。北陸新幹線の現時点での終点ですが、令和6年春には敦賀まで延伸して途中駅となる予定です。現時点ではJRの路線として北陸本線が乗り入れていますが、延伸時に経営分離され、JRの駅としては新幹線の駅のみになる予定です。
北陸新幹線の駅のうちJR西日本の区間はこれにて全駅訪問達成。せっかく新幹線や特急も利用できるきっぷを使っているので、この後は山陽新幹線へ。金沢13:20発特急サンダーバード24号大阪行き4024M(サハ683-4808)に乗り換えて新大阪を目指します。
金沢駅で買った駅弁で昼食。今回の旅も金銭的余裕がないので安めの弁当にしましたが、それなりに美味しかったです。
新大阪からは16:32発こだま863号博多行き863A(521-7004)に乗車。車両はN700にすっかり押されながらもしぶとく頑張り続ける500系。私が子供の頃は「新幹線=500系」というくらい人気だったもので、新幹線の世代交代の早さを感じてしまいます。デザインは古びないものの、車内は今見ると「少し昔風」だなとの印象を受けました。
西明石で下車。通過線2線を挟んだ相対式ホームという山陽新幹線の途中駅の標準スタイル。在来線の駅とは跨線橋で結ばれています。新幹線駅の開業は昭和47年3月15日で、午前中に見てきた北陸新幹線の駅と比べるとやはり古さを感じます。
西明石17:28発ひかり515号岡山行き515A(783-2073)と姫路17:48発さくら567号鹿児島中央行き567A(781-8003)を乗り継いで広島へ。新幹線ホームは2面4線で、中国地方最大都市の玄関口としては少々手狭な印象を受けます。
広島18:59発のぞみ43号博多行き43A(786-4512)で徳山へ。周南市の玄関口で、のぞみも一部が停車します。山口県東部の拠点駅といった感じですが、おなじのぞみ停車駅でも県庁所在駅と比べるとやや活気には欠けます。
在来線側のみゆき口駅ビルには周南市立図書館が入居。夜でも明るく多くの人で賑わっていますが、その一方で駅前は暗いです。暗い駅前では「イベルメクチンが云々」と肉声で演説している謎のおじさんがいました。主要駅の前でこの手の人を見ること自体はそれほど珍しくないですが、肉声演説は初めて見ました。
徳山20:05発こだま863号博多行き863A(521-7004)で新下関へ。先程新大阪から西明石まで乗ったのと同じ列車で、のぞみとこだまの所要時間差の大きさを実感します。
新下関は山口県最大の都市・下関市の郊外にある駅ですが、利用者数は県内5番目で、のぞみは停車しません。新幹線開業までは「長門一ノ宮」を名乗っていました。
新下関21:09発普通徳山行き3364M(クハ115-3116)で長府へ。この日は快活CLUBE下関長府店に宿泊しました。2日目も引き続き山陽新幹線の未訪問駅をめぐっていきます。
11/14 埼玉県民の日フリーきっぷ駅めぐり(東武伊勢崎線・日光線・野田線)
この日は埼玉県民の日フリーきっぷを使って埼玉県内の東武鉄道の駅を巡ってきました。
高田馬場を5:54発山手線外回り0503G(クハE234-14)で出発し、日暮里6:16発快速取手行き681H(サハE231-157)、北千住6:26発準急南栗橋行き4508K(5917)、西新井6:33発普通竹ノ塚行き614S(13114)と乗り継いで竹ノ塚へ。前回は暗くてよく分からなかったホームの様子を撮り直してから6:42発普通北越谷行き532S(13123)で谷塚へ。埼玉県民の日フリーきっぷを購入し、駅めぐりを開始。
谷塚6:54発普通東武動物公園行き518S(13019)で獨協大学前<草加松原>へ。昭和37年に「松原団地前」として開業した駅で、平成29年に改称されました。獨協大学および名称・草加松原の最寄り駅です。草加松原は松尾芭蕉の「おくのほそ道」の第一目に登場しており、それにちなんで平成26年に名勝に指定されました。
獨協大学前7:08発普通北越谷行き634S(13038)で新田へ。明治32年に開業、明治41年に一度廃止され、大正14年に復活したという歴史を持つ駅で、駅名は昭和30年の合併で草加町となった北足立郡新田村に由来します。昭和60年に高架化されていますが、駅前はごちゃごちゃとした昔ながらの雰囲気なので、あまり大規模な再開発は行われていないのでしょう。
新田7:19発普通東武動物公園行き627T(77712)で蒲生へ。明治32年に開業した駅で、明治41年に現在地に移転しました。駅名は昭和29年の合併で越谷町となった南埼玉郡蒲生村に由来します。通過線に挟まれて島式ホームがあるという構造は新田駅と同じですが、高架化は平成5年と少し遅いのでデザインが異なります。
蒲生7:30発普通北越谷行き601T(77717)で新越谷へ。昭和49年7月に開業した駅で、武蔵野線南越谷駅との乗換駅として設置されました。当初は地上駅でしたが、平成5年から6年にかけて高架化され、高架の武蔵野線をさらに高い高架の伊勢崎線が跨ぐ形になっています。平成10年には駅ビルが完成しました。元は田園地帯の中の駅だったそうですが乗換駅として急激に発展し、今では東武鉄道全体で5番目の乗降人員を誇ります。
新越谷7:49発普通東武動物公園行き605T(77716)で北越谷へ。明治32年に「越ヶ谷」として開業した駅ですが、大正8年に南埼玉郡越ヶ谷町の中心近くに越ヶ谷駅(現:越谷駅)が開業したため、駅名を譲って「武州大沢」に改称されました。この駅名は当時の所在地であった南埼玉郡大沢町に由来します。大沢町が昭和29年の合併で越谷町となった後、昭和31年に現在の駅名になりました。複々線区間の北端であるため、普通列車の約半数が当駅で折り返します。
北越谷8:07発準急久喜行き4612K(2222)で大袋へ。大正15年に開業した駅で、駅名は昭和29年の越谷町成立まで存在した南埼玉郡大袋村に由来します。「大袋」は合成地名で、「大竹」「大道」「大林」「大房」と駅が所在する「袋山」から一文字ずつ組み合わせたものです。駅舎は平成25年に橋上化されました。
大袋8:24発普通東武動物公園行き609T(77701)でせんげん台へ。昭和42年に開業した駅で、開業時に建てられた橋上駅舎も今となって歴史を感じさせます。所在地の地名は「千間台」と漢字表記で、駅北側を流れる新方川の古称「千間堀」に由来します。当駅と隣の武里駅との間にはマンモス団地「武里団地」が線路沿いに広がっています。
せんげん台8:41発準急南栗橋行き4665S(8415)で一ノ割へ。今ではすっかり珍しくなった地上駅舎の残る駅で、改札口は上りホームの北千住寄りに一か所あります。駅名は明治の町村制で武里村が成立するまで存在した南埼玉郡一ノ割村に由来。江戸時代の割地制度を今に伝える駅名です。
一ノ割8:56発区間準急館林行き3501(13433)で久喜へ。久喜市の代表駅で、東北本線の駅に隣接するほか、東北新幹線の高架がホームと東口の間を通っています。駅舎は昭和45年橋上化。伊勢崎線は当駅を境に系統が分断されており、一部の列車を除いて当駅での乗換が必要となります。
久喜9:28発急行中央林間行き912K(2022)で東武動物公園まで戻り、9:51発区間急行南栗橋行き2615(14458)で杉戸高野台へ。昭和61年に開業した駅で、周辺はのどかな郊外住宅地です。北葛飾郡杉戸町にある唯一の駅ですが、昭和56年までは東武動物公園駅が「杉戸」を名乗っていました。ただし、東武動物公園駅は隣の南埼玉郡宮代町にあります。
西口駅前の長戸呂児童公園には電気機関車ED5020と車掌車ヨ126が保存されています。貴重な保存車ですが、パンタグラフは破損し窓は塞がれるなどかわいそうな状態です。
私鉄としては日本で2番目に長い路線網を有する東武鉄道はかつて貨物輸送も盛んに行っており多くの電気機関車を保有していました。
杉戸高野台10:10発急行中央林間行き1052T(52065)と東武動物公園10:25発普通中目黒行き1019T(71714)で姫宮へ。当地で亡くなった桓武天皇の孫・宮目姫を祀ったと伝わる姫宮神社の最寄り駅で、昭和2年開業時の所在地は南埼玉郡百間(もんま)村でした。百間村は昭和30年に須賀村と合併して宮代町となりましたが、「宮代」の町名は百間村総鎮守「姫宮神社」の「宮」と須賀村総鎮守「身代(このしろ)神社」の「代」から取られています。ちなみに須賀村は現在の和戸駅周辺にあたります。
姫宮駅は平成13年に橋上化されました。東武鉄道お客様相談室のイメージキャラクター「姫宮なな」は当駅から名付けられています。
姫宮10:36発普通中目黒行き1036S(13224)で北春日部へ。昭和41年、隣接する春日部検車区の使用開始に合わせて開業した駅で、島式ホームの外側に通過線が設けられています。橋上駅舎は開業時に建てられたもので、リニューアルされているため、それほど古さは感じさせません。駅周辺には検車区など鉄道関係の施設を除けば住宅街が広がるのみで、のどかな郊外といった感じです。
北春日部10:52発普通中目黒行き1007T(77713)で春日部へ。10:59発野田線普通大宮行き452A(66611)に乗り換えて八木崎へ。日光街道・奥州街道の宿場町として栄えた南埼玉郡粕壁町の西部に設置された駅で、在原業平の都鳥の歌に因んだ石碑がある春日部八幡神社の最寄り駅です。駅舎は下りホーム大宮寄りに設置されており、昔ながらの郊外私鉄電車の駅らしい風情を残しています。
八木崎11:09発普通大宮行き454A(8465)で豊春へ。昭和29年の春日部市成立まで存在した南埼玉郡豊春村の駅で、豊春の地名は「年々耕作ノ豊カニ熟シテ春和ノ候ノ如ク合併各村和熟センコトヲ望ム」という願いから名付けられた瑞祥地名です。
駅舎は昭和62年4月に橋上化、西口は東武ストア豊春店と一体化しています。
豊春11:25発普通大宮行き832A(66616)で東岩槻へ。岩槻市東部に昭和44年に開業した駅で、平成18年に橋上化されています。スペースの都合か微妙に横に長いため全体像を一枚に収めにくい駅舎です。
東岩槻11:44発普通大宮行き460A(66618)で七里へ。昭和30年に大宮市に編入された北足立郡七里村の駅で、七里の村名は明治の町村制時に大谷・猿ヶ谷戸・東門前・東宮下・膝子・新堤・風渡野の7村が合併したことに由来します。駅があるのは風渡野(ふっとの)で、字面はかっこいいですが、台地に挟まれた地形が「ホト(女性器の古語)」を連想させるのが由来だそうです。七里駅には古くからの木造駅舎が残りますが、橋上化工事に伴い、12/4より仮駅舎・仮跨線橋の使用を開始する予定で、まもなく見納めとなります。
七里12:03発普通大宮行き834A(66607)で大和田へ。昭和15年の大宮市成立まで存在した北足立郡大砂土(おおさと)村の駅で、下りホーム大宮寄りに地上駅舎があります。大砂土村は大和田村・砂村・土呂村・西本郷村・今羽村・堀崎村・島村が合併してできた村で、前身の7村のうち3村から一文字ずつ取られています。
大和田12:14発普通大宮行き464A(84113)で大宮公園へ。埼玉県営大宮公園の最寄り駅で、平成28年4月に木材を多用した落ち着きあるデザインの新駅舎に改築されました。駅前には2本の大きなヒマラヤスギが双子のように立っています。
旧駅舎時代にも一度訪問しています。猫耳のようなドーマー屋根が個性的だったこの駅舎は昭和4年11月開業時に建てられたもので、現駅舎と比べるとこじんまりとしていました。
せっかくなので定点撮影。ちょっとズレてしまってはいますが、ヒマラヤスギや新駅舎との位置関係で分かるかと思います。跡地は更地になっていますが、駐輪場などにするでもなく柵で囲われたまま放置されています。
せっかくなので建設中の現駅舎も貼っておきましょう。撮影から約一か月後、平成28年4月23日に使用開始となりました。
大宮公園12:38発普通大宮行き836A(8465)で北大宮へ。武蔵国一之宮氷川神社の最寄り駅ですが、駅前は手狭で案内看板などもないため、この駅から参拝する人はあまり多くなさそうです。東北本線と並行する区間に設けられていますが、そちら側に駅はありません。島式ホームは狭く、スペースの都合でエレベーターも設置されていません。
北大宮12:48発普通大宮行き470A(16633)で大宮へ。東北新幹線・上越新幹線・東北本線・高崎線・埼京線・東武野田線・ニューシャトルが乗り入れる埼玉県最大のターミナル駅で、東武野田線は当駅を起点としています。野田線が乗り入れるのは東口で、駅前は常に多くの人が行き交い、活気に溢れています。
野田線のホームは頭端式1面2線。改札口は一か所にしかないため、大宮行きの列車は先頭車に乗客が集中します。かと言って、ホームは先端に向けて細くなっていくので、もう一つ改札口や通路を設けるのは難しそうです。
大宮13:14発急行船橋行き2131A(8172)で春日部まで戻り、13:34発普通中目黒行き1313T(71710)で武里へ。昭和29年の春日部市成立まで存在した南埼玉郡武里村の駅で、「武里」の村名は「武蔵野の里」から付けられています。駅舎は昭和44年に橋上化されました。
予定では、この後武里団地を見ながらせんげん台まで歩くはずでしたが、太陽の向き的に逆光になりそうだったのと、思いのほか疲れていたのとで今回はパスすることにしました。
武里13:59発普通中目黒行き1314S(13114)で谷塚へ。昭和30年の草加町成立まで存在した北足立郡谷塚町の駅で、東武伊勢崎線における埼玉県最南端の駅です。少し早いですが、今日の駅めぐりはこれで終了。谷塚14:41発普通中目黒行き1347T(71796)と北千住15:02発快速上野行き1486H(サハE231-177)、日暮里15:13発山手線内回り1460H(モハE235-102)を乗り継いで帰宅しました。
11/3 小田急多摩線・小田原線駅めぐり
前回はこちら
新百合ヶ丘11:07発各停唐木田行き7661(1453)で五月台へ。昭和49年に開業した駅で、所在地の地名から「五カ田」と命名される予定でしたが、語呂が悪いことや泥臭いことを嫌って明るいイメージの駅名としたそうです。ニュータウンに限らずこの手の地名の変更は良く見られますが、もう少し歴史を背負ってきた地名に対する敬意があってもいいのになと思います。
五月台11:19発各停唐木田行き7663(3368)で栗平へ。かつての地名である都築郡栗木村と片平村から一文字ずつ取って名付けられた駅で、なんとなく室蘭本線の岩見沢側にありそうな響きの駅名です。橋上駅舎ですが、下りホームに面して南口改札も設置されています。
栗平11:31発各停唐木田行き7665(3559)で黒川へ。多摩線で最も乗降人員の少ない駅で、他の駅と比べると駅前に商業施設は乏しいです。駅のはるひ野方には短いトンネルがあります。
黒川11:43発各停唐木田行き7667(3406)ではるひ野へ。平成16年12月に開業した新しい駅ですが、昭和49年の多摩線開業時には既にこの地に新駅を建設する計画がありました。この手の新駅には珍しく駅舎は橋上ではなくホームに面して設置され、ホームと跨線橋は大屋根で覆われています。デザインは篠田義男建築研究所によるものです。屋根上には小型風力発電機と太陽電池が設置されています。
はるひ野11:54発各停唐木田行き7669(1303)で小田急永山へ。京王永山駅に隣接した駅で、京王相模原線とはこの先もしばらく並走します。小田急の方が京王よりも4カ月だけ早く開業しました。昭和49年開業時、多摩線はここが終点でした。
小田急永山12:07発各停唐木田行き7671(3368)で小田急多摩センターへ。昭和50年4月の延伸で開業した駅で、こちらは京王多摩センター駅の方が半年早く開業しています。元は終着駅であったためにホームは2面4線を前提とした造りですが外側ホームには柵が立てられて使用されていません。
小田急多摩センター12:19発各停唐木田行き7673(3559)で唐木田へ。平成2年3月に開業した多摩線の終着駅で、喜多見検車区唐木田出張所が併設されています。相模原方面への延伸までの一時的な終着駅という位置づけのためか、終着駅という割には駅周辺に目立つ何かがあるわけではありません。
唐木田12:33発急行新宿行き2726(8162)で新百合ヶ丘に戻り、12:53発各停本厚木行き6591(2052)で柿生へ。昭和14年に川崎市に編入された都築郡柿生村に由来する駅で、「柿生」の地名は日本最古の甘柿とされる禅寺丸柿の原産地であることにちなんでいます。駅舎は各ホームに面して存在し、駅前は手狭です。この駅で昼食としました。
柿生13:29発各停本厚木行き6597(2259)で鶴川へ。昭和33年の町田市成立まで存在した南多摩郡鶴川村に由来する駅で、「鶴川」の地名は鶴川村の前身である8村がいずれも鶴見川水系だったことにちなみます。実業家・白洲次郎は戦時中、鶴川村の農家を購入して疎開し、亡くなるまでをこの地で過ごしました。旧宅は現在「武相荘」として一般公開されています。
鶴川13:41発各停本厚木行き6599(2307)で玉川学園前へ。昭和4年に玉川学園による誘致で開業した駅で、玉川学園によって宅地開発が行われました。昭和45年に橋上化され、その際に小田急初の自動改札機が導入されましたが、故障が多く数年で撤去されました。作家・遠藤周作は昭和38年から62年までを玉川学園で過ごし、自宅を「狐狸庵」と称していました。エッセイなどではまるでとんでもない山奥かのように書かれていますが、実際は閑静な住宅街です。
玉川学園前13:54発各停本厚木行き6601(1117)で町田へ。昭和2年4月に「新原町田」として開業し、昭和51年4月に改称しました。同年に駅ビルが完成し、小田急百貨店町田店が開業しています。町田市の代表駅で、JR横浜線との乗換駅でもあるため利用者は多く、新宿駅に次いで小田急全駅で2番目の乗降人員を誇ります。しかし、あまりに巨大な駅のため、構図に困るのもまた事実。やっぱり駅めぐりは人が多くて巨大な駅よりもこじんまりとした駅の方が楽しめます。
町田14:18発各停本厚木行き6605(3956)で相模大野へ。江ノ島線の分岐駅で、以前江ノ島線駅めぐりの際にも降りていますが、前回撮っていなかった部分があるので再訪。駅名は昭和16年4月の相模原町成立まで存在した高座郡大野村に由来します。
相模大野14:41発各停本厚木行き6609(3431)で小田急相模原へ。昭和13年に「相模原」として開業した駅で、当時の所在地は高座郡大野村。「相模原」という町名ができる前から、合併によるその誕生を見越して名乗っていました。昭和16年に国鉄横浜線相模原駅が開業すると駅名に「小田急」が冠されました。高座郡相模原町は昭和29年に市制施行をして徐々に成長し、現在では政令指定都市ですが、小田急の駅の方は中心部から離れているため、ごくごく普通の郊外住宅街の駅といった風情です。
小田急相模原14:55発各停本厚木行き6611(2453)で相武台前へ。昭和2年に「座間」として開業した駅で、昭和12年に「士官学校前」に改称、昭和15年に現駅名になりました。駅名改称は陸軍士官学校が高座郡座間村に移転してきたことに伴うもので、座間村は昭和12年12月20日の陸軍士官学校卒業式に昭和天皇が行幸したのに合わせて町制施行しています。行幸の際、天皇から学校に「相武台」の名が下賜され、その後防諜上の理由から駅名は改称されました。戦後、陸軍士官学校が廃止されてからは「相武台」が地名として定着し、現在に至ります。相武台前駅には電留線が併設されており、駅舎は昭和45年に橋上化されています。
相武台前15:07発各停本厚木行き6613(3753)で座間へ。昭和2年に「新座間」として開業した駅で、「座間遊園」を経て昭和16年に現駅名になりました。駅舎は昭和53年に橋上化されています。戦前の小田原急行電鉄は当地に向ヶ丘遊園に続く2つ目の遊園地を計画していましたが、昭和恐慌や戦争の影響で挫折し、計画放棄に伴って駅名から「遊園」が外されました。座間市の代表駅ですが、実質的な中心は初代・座間駅である相武台前駅です。高座郡座間町は軍部の圧力による昭和16年の合併で相模原町の一部となりましたが、戦後の昭和23年に相模原町から独立、昭和46年に市制施行しました。
座間15:21発各停本厚木行き6615(3907)で海老名へ。JR相模線、相模鉄道本線との乗換駅で、海老名市の玄関口でもあることから常に多くの人で賑わいを見せています。駅前には今年4月に「ロマンスカーミュージアム」がオープンしました。この日は海老名市制(昭和46年11月1日)50周年記念のイベントを駅前でやっていました。
駅から10分ほど歩いて海老名市温故館へ。大正7年4月に建てられ、昭和15年の町制施行を経て昭和41年まで使われた旧海老名村役場を移築した資料館です。内部には相模国分寺を中心に海老名の歴史についての展示がなされています。
キリがいいのでこの日の駅めぐりはここで終了。海老名16:32発急行新宿行き1276(8053)、新百合ヶ丘16:55発快速急行新宿行き3560(8057)と新宿17:25発山手線外回り1711G(モハE234-60)を乗り継いで帰宅しました。
11/3 小田急小田原線駅めぐり
小田急新宿駅地下ホームからスタート。小田急のターミナルである新宿駅は2層構造になっていて、4面3線の地上ホームには優等列車が、3面2線の地下ホームには各駅停車が発着しています。
新宿6:13発各停本厚木行き6519(2057)で南新宿へ。昭和2年に「千駄ヶ谷新田」として開業した駅で、昭和12年に「小田急本社前」に改称されましたが、昭和17年の東急への合併時に現在の駅名になりました。昭和48年に現在地に移転し、平成24年にはホームの延長が行われています。高架下に改札がありますが、駅前の道は狭くビル街に溶け込んであまり目立ちません。新宿駅の隣という大都会の中の立地にも関わらず乗降人員は小田急線内最下位となっています。新宿まで1㎞も離れていないが故にみんな歩いてそっちに行ってしまうのでしょうね。
南新宿6:25発各停伊勢原行き6521(3906)で参宮橋へ。明治神宮の裏口側にある駅で、神宮に近い跨線橋上にもIC専用の改札口があります。駅舎は令和2年に改築されたもので、木材をふんだんに使用した上屋が特徴。「木と緑に溶け込む『杜』の玄関口」がコンセプトだそうです。
参宮橋6:37発各停本厚木行き6625(2308)で代々木八幡へ。代々木八幡宮の最寄り駅で、千代田線代々木公園駅に近接しています。駅舎は平成31年3月に橋上化されました。ホームは以前相対式でしたが、駅改良に際して島式に変更されています。
代々木八幡6:49発各停本厚木行き6527(3904)で代々木上原へ。メトロ千代田線との接続駅で、一部列車はそのまま小田急線に乗り入れてきます。開業時の駅名は「代々幡上原」で、豊多摩郡代々幡町大字上原に所在していました。代々幡町は昭和7年に東京市に編入され、渋谷町・千駄ヶ谷町とともに渋谷区となりました。
代々木上原7:02発各停伊勢原行き6529(2303)で東北沢へ。この駅から世田谷区に入ります。かつては2面4線の地上駅でしたが、連続立体交差事業に伴い、平成25年3月に地下化されました。地上駅舎は平成27年完成で、東西2か所の改札口があります。
東北沢7:14発各停本厚木行き6531(3282)で下北沢へ。京王井の頭線との乗換駅で、東北沢同様に地下化されています。ホームは2層構造で、地下1階が緩行線、地下2階が急行線のホームです。当駅で交差する井の頭線はかつての帝都電鉄で、戦前の一時期は小田急帝都線でした。昭和23年の大東急解体時に帝都線は京王の手に渡り、京王帝都電鉄となっています。
下北沢7:37発各停本厚木行き6535(3957)で世田谷代田へ。開業時は「世田ヶ谷中原」を名乗っていた駅で、この駅も地下化されています。前述のように井の頭線はかつて小田急の路線であったために、車両のやり取りをするための代田連絡線が、昭和20年から28年までの8年間のみ当駅から井の頭線代田二丁目まで伸びていました。跡地は戦後の開発によって住宅地となり、世田谷代田駅も地下化されたためその痕跡はほとんど残っていないそうです。
世田谷代田7:47発各停本厚木行き6537(3801)で梅ヶ丘へ。梅の名所・羽根木公園の最寄り駅ですが、これが駅名・地名の由来ではなく、公園の梅は戦後になってから地名にちなんで植えられたものです。地名の由来については、土地所有者の家紋の梅鉢説、古墳があったことによる「埋めヶ丘」説がありますが、どうもはっきりしないようです。
さて一駅進んで豪徳寺と行きたいところですが突然ここでカメラが故障。もしカメラが治らず一旦帰宅ということになれば大きい駅の方が当然いいので、梅ヶ丘7:59発各停本厚木行き6539(3808)で経堂へ。幸いにもカメラは治りましたが、データ修復に時間がかかり、そんな時に限って目の前を撮りたくなるような電車が通り過ぎるのだから悔しいものです。
気を取り直して経堂駅を撮影。東京農業大学や日本大学文理学部の最寄り駅で、一部時間帯を除き急行も停車します。駅開業当時、周辺は荏原郡世田ヶ谷町外れの雑草生い茂る野原だったそうですが、90年以上の時を経て今では見る影もありません。
経堂8:16発各停新宿行き6520(2502)で一駅戻って豪徳寺。彦根藩井伊氏の菩提寺・豪徳寺に由来する駅ですが、豪徳寺へは東急世田谷線宮の坂駅の方が近いです。平成14年、梅ヶ丘と同時に高架化されました。世田谷線山下駅と近接しており、乗換駅となっています。当駅は新海誠監督の映画『秒速5センチメートル』にも登場しますが、作品内での時代設定は平成7年なのに出てくる駅は現在の高架駅・・・野暮なツッコミはやめておきましょう
豪徳寺8:31発各停本厚木行き(3395)で千歳船橋へ。昭和11年に東京市世田谷区に編入された北多摩郡千歳村の駅で、「船橋」は千歳村成立まで存在した船橋村に由来します。ちなみに京王線千歳烏山駅も同じく旧千歳村の駅で、千歳村成立前の烏山村から名付けられています。森繁久彌ゆかりの地であることから、発車メロディには「知床慕情」が採用されています。
千歳船橋8:44発各停新松田行き6547(3035)で祖師ヶ谷大蔵へ。「北多摩郡千歳村大字祖師ヶ谷」と「北多摩郡砧村大字大蔵」から取られた駅で、駅自体は祖師谷にあります。円谷プロの初代社屋があったことから「ウルトラマン発祥の地」として町おこしが行われています。
祖師ヶ谷大蔵8:57発各停本厚木行き6549(3035)で成城学園前へ。成城学園の最寄駅で、特急ロマンスカーも一部が停車します。乗り換えのない小田急単独駅としては本厚木に次ぐ乗降人員を誇る主要駅です。平成14年に地下化されています。開業時の所在地は北多摩郡砧村でした。
成城学園前9:09発各停本厚木行き6551(2452)で喜多見へ。世田谷区と狛江市の境界にある駅で、東北沢からずっと続いてきた世田谷区内の駅もこれで終わりです。小田急線は世田谷区内にやたら駅が多く、実に10もの駅があります。世田谷区の面積が広いのはもちろんそうですが、小田急線の駅間が約1㎞と基本的に短いのもその理由です。喜多見には元禄年間のわずか3年のみ、喜多見藩が置かれていました。成城学園前駅との間には喜多見検車区があります。
喜多見9:20発各停本厚木行き6553(3312)で狛江へ。東京都では一番、全国でも二番目に面積の小さい市、狛江市の玄関口です。狛江の地名は高麗(こま)からの渡来人に由来すると言われています。この駅については当初設置予定ではなく、当時の北多摩郡狛江村には和泉多摩川駅のみが設置される予定でした。しかし村の中心から離れていたことから地元では請願を出し、それが拒否されると資金や用地を募金で集めて寄付し設置を実現させました。この経緯から、小田原線の開業が昭和2年4月1日なのに対し、故前駅の開業は5月27日とやや遅れています。
狛江9:34発各停本厚木行き6555(2451)で和泉多摩川へ。駅名だけ見ると大阪府南部(和泉国)の駅ですが、そうではなく所在地の地名に由来します。明治の町村制で狛江村が誕生するまでは和泉村が存在していました。計画段階では「多摩川」駅となる予定でしたが、対岸に稲田多摩川駅を設置することになったので、区別のために「和泉」が冠されました。
和泉多摩川9:44発各停本厚木行き6557(2459)で登戸へ。この駅から神奈川県に入ります。南武線との乗換駅で、昭和2年開業時は「稲田多摩川」を名乗っていました。昭和30年に「登戸多摩川」と改称され、その3年後に現在の駅名に変わっています。一方、小田急の駅の約一か月前に開業した南武鉄道(→南武線)の駅の方はずっと「登戸」のままです。当初の駅名の「稲田」は昭和13年に川崎市に編入された橘樹郡稲田村に由来しており、明治の町村制で稲田村が成立するまでは登戸村がありました。
小田急全駅で5番目に乗降人員の多い駅で、乗り換え客を中心に多くの人で賑わっています。また、藤子・F・富士夫ミュージアムの最寄り駅であることから、壁や駅名標にはそれにちなんだ装飾がなされています。
登戸10:02発各停本厚木行き6559(2307)で向ヶ丘遊園へ。開業時は「稲田登戸」を名乗っていた駅で、小田急系列の遊園地「向ヶ丘遊園」にちなんで昭和30年に改称されました。遊園地へは当初豆汽車が走っており、昭和41年からはモノレールが駅と遊園地を結んでいましたが、老朽化のため平成13年に廃止されています。向ヶ丘遊園は平成14年に閉園、跡地の一部は再開発され、藤子・F・富士夫ミュージアムとなっています。
駅舎は南北両側にあり、そのうち北口駅舎は開業時に建てられたものです。ギャンブレル屋根の似たデザインの駅舎は他に4つ建てられましたが、現存するのはここだけで貴重な存在です。
向ヶ丘遊園10:15発各停本厚木行き6561(1167)で生田へ。昭和39年までは「東生田」を名乗っていた駅で、駅名は昭和13年に川崎市に編入された橘樹郡生田村に由来します。「生田」の村名は「上菅生」と「五反田」の合成地名で明治の町村制施行時に産まれたものです。駅舎は昭和58年に橋上化されました。
生田10:28発各停本厚木行き6563(2408)で読売ランド前へ。昭和39年までの駅名は「西生田」で、前述の東生田駅と対をなしていました。よみうりランド遊園地の南側の最寄り駅で、遊園地を挟んだ北側には京王よみうりランド駅があります。駅舎は各ホームに面した地平にあり、南口駅舎は平成9年改築。北口の方は至ってこじんまりとしています。
読売ランド前10:40発各停本厚木行き6565(3806)で百合ヶ丘へ。百合丘団地の開発に合わせて昭和35年に開業した駅で、昭和56年に橋上化されています。「百合丘」の地名については、開発前のこの地にヤマユリが多かったからという説、開墾のために「百人の地主が力を合わせた」からという説があります。
百合ヶ丘10:53発各停本厚木行き6567(4407)で新百合ヶ丘へ。多摩線開業に合わせて昭和49年6月に開業した駅で、開業から半世紀にも満たない比較的若い駅ですが川崎市麻生区の中心として発展しています。駅開業当時は周辺に何もなかったそうですが、その後小田急が地元と協力して開発を行った結果、利用者数は30年で約7倍以上も増加しました。
ここからは多摩線の駅を巡っていきます。
10/31 房総半島南部をドライブ
この日はフォロワーと一緒に房総半島南部をドライブしてきました。
まだ暗い東京都内を出発して一時間も経たずに海ほたるに到着。東京湾アクアラインを使うのは初めてですが、なんとも便利なものだと思います。
引き続き高速を走り、市原鶴舞ICで降りて鶴舞へ。明治初期のわずかな期間だけ鶴舞藩の藩庁が置かれた町で、昭和29年までは市原郡鶴舞町という独立した自治体でした。その市街地の一画にレトロな宮崎医院の建物が残されています。現在は空き家ですが、状態はそれほど悪くありません。周辺には他にも何軒か古そうな建物が残っています。
続いて平三簡易郵便局へ。今なお現役で使用されている古い木造の郵便局です。平三村は昭和29年の南総町成立まで存在していた村で、この郵便局と旧小学校を活用した「集い広場へいさん」のみにその名を残しています。
長南町・睦沢町などを通り抜けて太平洋側のいすみ市へ。太東駅までやってきましたが、駅自体は以前列車で撮っているので目的はまた別のものです。
それがこちら。駅前にある農協の支所です。昭和48年1月竣工で、縦に3つ並んだ丸窓がいい味出しています。「岬」は太東岬にちなんだ地名で、平成17年のいすみ市発足まで夷隅郡岬町が存在していました。太東町と長者町が合併して誕生した町で、農協は太東にあるものの役場は長者の方に置かれていました。
国道128号を南下していきます。道中、大原ガーデンという昔ながらの雰囲気のレジャー施設がありました。同行者はこれを見て興奮していましたが、残念ながら営業時間外。南に向かうにつれて雨が激しくなってきました。
勝浦市の山間に入り、旧総野郵便局へ。昭和30年に勝浦町と合併して消えた旧夷隅郡総野村の名を今に伝える郵便局の旧局舎で、現局舎の隣に立っています。裏手に新しめの民家があり、その一部として使われている様子。
海沿いに戻って小湊・天津を経て鴨川市へ。その中心部から北へ少し行ったところに和泉公会堂はあります。ちょうど100年前の大正10年に当時の安房郡東条町和泉区の公会堂として建てられたもので、耕地整理事業完成を記念する意味合いもありました。状態よく保存され、国登録有形文化財となっています。
昭和29年の合併で消えた旧東条町の中心部には、大正~戦前に建てられたとされる旧橋本医院が残っています。昭和40年ごろまで医院として使われ、その後住宅となったそうですが、空き家となって久しく、荒廃が進んでいます。
再び山間に分け入り、曽呂尋常小学校分教場跡へ。明治7年と全国的に見ても早い時期に開校した小学校の跡で、廃校は昭和42年と役目を終えてから既に半世紀が過ぎています。さすがに木造建築が半世紀もの間廃墟であり続けているというのは考えられにくいので、その後も数十年間は別用途で利用されていたのでしょうが、管理されなくなってから久しいようです。城西学園の創設者で政治家の水田三喜男の母校であることからそれを記念した石碑が建てられています。
雨の中南下を続け、房総半島最南端の野島崎でようやく昼食。御食事処みずるめでなめろう定食をいただきました。美味しいなめろうにご飯が進みます。
生憎の雨ですが、昼食後は野島崎の先端へ。人が少なく写真を撮りやすかったのは良かったですが、今度は天気のいい時に来たいものです。
天気が悪いので館山市街の散策はパスして那古寺へ。海辺の町を見下ろす観音堂の雰囲気はなんとなく紀三井寺っぽいです。
崖をくり抜いて建てられた大黒堂はなかなか見ごたえがありました。こんな厳しい環境によくお堂をつくったものだと思わさせますが、そんな環境だからこそ信仰の対象にもなるのでしょう。
続いて大福寺へ。断崖絶壁に建てられた崖観音からは館山湾を一望できます。自然がつくった崖と人間がつくったお堂の組み合わせが美しいですが、上まで登っていくのはそう簡単なことではありません。
もう少し行ってみたいところはあったのですが、16時を過ぎて日没も近くなってきたので観光はこれで終了。この日は朝早くから動いたこともあってそれなりに色々回ることができましたが、やはり17時くらいで暗くなってしまうこの季節は多くの場所を見て回るのに向いていないなと思わされます。ハイウェイオアシス富楽里で休憩してから帰途に就きましたが、アクアライン手前で渋滞に巻き込まれ、東京に帰り着くのに3時間近くかかりました。
10/30 東京モノレール羽田空港線駅めぐり
この日は東京モノレール羽田空港線の駅を巡りました。高田馬場から羽田に行こうとすると必然的に京急を利用することになるので、モノレールを使うのは今回が初めてです。
高田馬場7:38発山手線内回り0668G(クハE234-14)で浜松町へ。JRのホームから見えるところで世界貿易センタービルの解体工事が進められています。モノレール浜松町駅は貿易センタービルの別館に入っており、どこかレトロな雰囲気。
モノレール浜松町駅の駅ビルは昭和39年開業時に建てられたもので、当時に流行した蒲鉾屋根のデザインです。改札口は2階に中央口、3階に南口と分かれていますが、まもなく着手される改築工事によって3階に集約され、乗換利便性の向上が図られる予定です。工事完成は令和11(2029)年12月とまだまだ先ですが、今の浜松町駅の姿は早いうちに記録しておいた方がいいでしょう。
ホームは頭端式1面2線で、乗車用と降車用に分かれており、始発駅らしい風情はありますが、やはり利用者数に対してホームが狭すぎるような印象を受けます。
モノレール浜松町9:06発普通羽田空港第2ターミナル行き0919(10076)で天王洲アイルへ。りんかい線との乗換駅で、平成4年6月に開業しました。天王洲アイルは品川区の運河に面した再開発地区の愛称で、「アイル」は英語で島を意味する言葉から来ています。改札口は2ヵ所あり、南口は下りホーム羽田寄りに、北口は浜松町寄りの橋上に設けられています。
天王洲アイル9:31発普通羽田空港第2ターミナル行き0911(10086)で大井競馬場前へ。その名の通り大井競馬場の最寄り駅で、昭和40年5月に臨時駅として開業し、42年6月より通年営業となりました。浜松町寄りには昭和59年8月改築の三角屋根の駅舎があります。東京モノレール初の途中駅で、この駅の開業までは浜松町から羽田までノンストップでした。
すぐそばに架かる橋からはホームの構造を見ることができます。運河に面して組み上げられた鉄骨はなかなか壮観。駅開業当時は埋め立てが行われていなかったので、駅は海の上に造られました。
大井競馬場前9:54発普通羽田空港第2ターミナル行き0923H(10056)で流通センターへ。昭和44年12月に「新平和島」として開業した駅で、昭和47年1月に改称されました。東京流通センターの最寄り駅で、周辺には巨大倉庫やトラックターミナルが多く立地しています。駅舎は昭和57年3月に改築されたもので、浜松町寄りの地平にあります。どちらかというとモノレールよりは郊外私鉄電車にありそうな感じのこじんまりとした駅舎です。
流通センター10:06発普通羽田空港第2ターミナル行き0907(1084)で昭和島へ。昭和60年2月に開業した駅で、昭和島車両基地に隣接しています。駅自体の開業前から職員の通勤利用のために一部の列車が停車していました。駅から見える範囲には車両基地と道路と下水処理場しかなく、生活の匂いが感じられない無機質な地帯です。
ホームは2面4線で、上下ともこの駅で普通が空港快速を退避します。基本的に各駅停車のみの運転が多い日本のモノレールにあって、列車の退避が見られるのは当駅のみです。急行が通過した後のポイントの切替も見物でしょう。
昭和島10:20発普通羽田空港第2ターミナル行き1009(2009)で整備場へ。昭和42年3月に「羽田整備場」として開業した駅で、当時の終点であった羽田駅は現在とは別のルート上にありました。平成5年9月に羽田空港までの現ルートが開業し、それに合わせて駅名から「羽田」を取って改称されました。「羽田」を冠していた頃は空港と間違えての下車が多かったそうですが、現在も機体工場見学に行く人が「新整備場」と勘違いして降りる事態が発生しているようです。
東京モノレールでは最も利用者数の少ない駅で、去る9月15日に放送された「水曜日のダウンタウン」では「東京モノレール・整備場駅が最寄りの住人いない説」が取り上げられていました。
整備場10:33発普通羽田空港第2ターミナル行き1003(2036)で天空橋へ。昭和39年9月に「羽田」として開業し、平成5年9月の延伸で現在地に移転した駅です。平成10年11月に現駅名に改称されました。相対式ホームの地下駅で、京急の駅に隣接しています。改札口は地上と地下にそれぞれある他、京急との乗換改札も設置されています。
天空橋10:54発普通羽田空港第2ターミナル行き1005(10026)で羽田空港第3ターミナルへ。羽田空港D滑走路の供用開始に合わせて「羽田空港国際線ターミナル」として平成22年10月21日に開業した駅で、空港側の名称変更に合わせて令和2年3月14日に改称されました。空港ターミナルビルと一体化した構造の駅で、ホームと出発ロビーが同じ階にあるためスムーズに移動することができます。
国際線が発着する第3ターミナルはやはり昨今の状況を受けて閑散としています。モノレールの駅の平均乗降人員は令和2年度には前年比-84.5%となり大きな影響を受けています。
電光掲示板には「欠航」の文字が目立ち、飛行機の乗客と思しき人の姿はほとんど見られませんが、その一方で展望デッキには飛行機を見に来た家族連れや飛行機ファンの姿も見られました。
羽田空港第3ターミナル11:26発普通羽田空港第2ターミナル行き1113(2026)で新整備場へ。平成5年9月の延伸に合わせて開業した駅で、周辺には航空会社のオフィスや整備工場が集中しています。相対式ホームの地下駅で、出口は一か所しかありません。出口までの薄暗い通路はどこか東成田駅を思わせます。
新整備場11:39発普通羽田空港第2ターミナル行き1111(2036)で羽田空港第1ターミナルへ。平成5年9月の延伸時に「羽田空港」として開業した駅で、平成16年1月に「羽田空港第1ビル」に改称され、令和2年3月に現駅名になりました。島式ホームの地下駅で、改札口は2ヵ所あります。
羽田空港第1ターミナル11:47発空港快速羽田空港第2ターミナル行き1105(1049)で羽田空港第2ターミナルへ。モノレールの終点で、平成16年1月に「羽田空港第2ビル」として開業し、令和2年3月に改称されました。臨時ホームも備えた島式2面3線の構造の駅です。改札口は当初一か所でしたが、ターミナルビルの拡張に合わせて平成22年10月に南口が開設されています。
東京モノレール羽田空港線の駅はこれにて全駅制覇しましたが、天空橋駅の上りホームを撮ることができていなかったので、第2ターミナル12:15発普通浜松町行き1218(10041)で下車し撮影。
天空橋12:33発普通浜松町行き1212(1061)で大井競馬場前へ。ここでしばらくモノレールを撮影。羽田まで案外近く、撮った編成がすぐ戻ってくるのでテンポよく撮影できました。大井競馬場前14:03発普通浜松町行き1304(1049)で浜松町へ。浜松町14:28発山手線外回り1319G(モハE234-66)で帰宅。JRの浜松町駅ホームでは「自由通路移設工事のため、ホームが大変狭くなっておりますが、完成を楽しみにお待ちください!」と放送が流れていました。