まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

3/3 弥生の五能線駅めぐり(能代エリア)

この日は五能線秋田県内の駅を中心に巡りました。

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岩館駅

まだ暗い能代駅を5:32発普通岩館行き221D(キハ48-1504+キハ48-505+キハ40-546)で出発し、終点の岩館で下車。秋田県最北端の駅で、ホームは相対式。リゾートしらかみも停車する運行拠点駅ですが、平成30年に無人化されています。一日4往復、当駅で折り返す列車が設定されています。221Dは当駅で深浦から来て折り返していく422Dに接続して東能代方面へと折り返していきます。

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向能代

折返し岩館6:22発普通東能代行き222D(キハ40-546+キハ48-505+キハ48-1504)で向能代へ。その名の通り能代市街から米代川を挟んだ対岸に位置する駅で、周辺には住宅地が広がっています。駅舎は昭和27年1月開業時に建てられたもので、窓が大きく軽快な印象を受けます。簡易委託の窓口で入場券を購入するとおまけでティッシュとのど飴を頂きました。寡黙ながらも親切な駅員さんの思いやりが身に沁みます。

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八森駅

向能代7:36発普通弘前行き2527D(キハ48-1504+キハ48-505+キハ40-546)で八森へ。平成18年の合併で山本郡八峰町となった旧八森町の駅で、昭和60年改築の山小屋風駅舎は商工会館との合築です。ホームは八森の市街地を見下ろす高台にあり、駅舎とは渋い木造上屋で覆われた階段で結ばれています。開業時は「椿」を名乗っていましたが、八森町役場の移転に伴い昭和34年に、現在の東八森駅から「八森」の名を譲り受けています。また、当駅の改称から6年後に紀勢本線の「紀州椿」駅が「椿」に改称しています。

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北能代

八森8:32発普通東能代行き520D(キハ40-574+キハ40-530)で北能代へ。開業時は「羽後東雲」を名乗っていた駅で、所在地の山本郡東雲村が合併で能代市となった3年後の昭和18年に現駅名に改称されました。個人的には能代の北にあるというような即物的な現駅名よりもかつての村名を残す旧駅名の方が魅力的に感じるのですが。

駅舎は平成20年7月に改築されたもので、それ以前は貨車駅舎でした。駅前に人家は少なく閑散としていますが、駅裏には住宅地が広がっています。

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鳥形駅

25分歩いて隣の鳥形へ。昭和35年に開業したホームと待合室だけの簡素な駅で、能代市八峰町の境界付近の田園地帯にあります。待合室で本を読んで列車を待っていると東能代行きの快速が通過していきました。この快速は停車駅が異常に少なくかつての町の中心である八森や沢目にすら停車しません。もう少し停車駅が多ければ駅めぐりに使えたのにと恨めしく思いながら見送りました。リゾートしらかみならともかくこの快速の無慈悲な通過は果たして必要なんでしょうか。五能線に速達効果を期待している人がそんなにいるとは思えませんし、鳥形のような小さな駅を通過するのは仕方ないにしてもせめて八森や沢目にくらいは停めてもいいのではないかと思います。

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沢目駅

鳥形11:17発普通弘前行き2531D(キハ40-530+キハ40-574)で沢目へ。平成18年に八森町と合併して八峰町となった旧峰浜村にあった唯一の駅で、昭和62年改築の駅舎は商工会館との合築です。かつては簡易委託だったらしく駅舎内には窓口跡も残っており、その隣には旧駅舎の写真が掲げられています。駅のすぐそばには「ふれあい橋」というエレベーター付きの自由通路が設置されています。

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東八森

1時間ほど歩いて隣の東八森へ。駅近くのホーマックニコットで弁当を買って待合室で食べました。旧八森町のかつての中心にある駅で、役場が椿駅近くに移った際に「八森」の名を譲って改称されました。なお、平成18年の合併で八峰町となった後に、八森と峰浜(沢目)の中間地点に役場新庁舎を建設したことから、約半世紀ぶりに役場最寄り駅として返り咲いています。駅舎は昭和53年3月改築の五能線ではよく見かけるタイプの簡易駅舎です。トイレは綺麗でしたが、待合室は老朽化で雨漏りしてベンチが濡れていました。

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あきた白神

東八森13:25発普通岩館行き223D(キハ40-535+キハ40-527)であきた白神へ。平成9年10月に開業した新しい駅で、造りは簡素ですが、リゾートしらかみも停車します。国道101号を挟んだ向かいに「八森いさりび温泉 ハタハタ館」があり、歩道橋で結ばれています。駅のすぐ南側の国道上には「国盗り網引き合戦」によって定められた秋田青森の観光的県境があります。この観光的県境によれば、あきた白神駅は青森県に属するそうです。

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滝ノ間駅

15分ほど歩いて隣の滝ノ間駅へ。駅間距離は大したことありませんが、あきた白神駅をじっくりと見すぎたこともあって到着はギリギリで、あまり写真を撮ることができませんでした。

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下川沿駅

滝ノ間14:00発普通東能代行き224D(キハ40-527+キハ40-535)で東能代へ。ここで一旦五能線を離れ、東能代14:40発奥羽本線普通弘前行き1663M(クモハ701-18)で下川沿へ。昭和30年に大館市編入された旧北秋田郡下川沿村の駅で、駅前には小林多喜二生誕地の碑があります。駅舎は平成18年7月に改築されたもので、それ以前は貨車駅舎でした。列車を待っていると、石焼き芋のトラックが音程の外れた笛の音を流しながら駅前の国道7号を通り過ぎていきました。

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東能代駅

下川沿15:43発普通秋田行き1660M(クハ700-15)で東能代へ。奥羽本線五能線の分岐駅で、能代市の中心部からは離れたところにあります。開業時は「能代」を名乗っていましたが、明治42年に「機織」に、昭和18年に「東能代」に改称されました。駅舎は昭和33年1月に改築された鉄筋コンクリート造の国鉄モダニズムスタイルです。

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ウェスパ椿山

東能代16:33発普通深浦行き323D(キハ48-1509+キハ48-516)でウェスパ椿山へ。平成13年12月に開業した新しい駅で、当初はリゾートしらかみのみが停車していましたが、開業一年後から普通列車も停まるようになりました。ホームのみで、駅舎や待合室はなく至って簡素な造りの駅です。温泉や体験工房、展望台などのある観光施設「ウェスパ椿山」が駅に隣接しています。日没後ということもあって訪問時には、閉園時間後ののテーマパークのような雰囲気でした。

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艫作

ウェスパ椿山のレストランカミリアで夕食を取ってから夜道を30分ほど歩き隣の艫作へ。国道とはいえ街灯もなく車通りも少なかったのでとにかく心細かったです。

艫作(へなし)は、黄金崎不老不死温泉の最寄り駅で、難読駅名として知られています。平成22年10月改築の駅舎は「北前船五能線の海」をモチーフとしたもので、船が屋根に乗った個性的なデザインになっています。

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横磯駅

艫作19:51発普通深浦行き325D(キハ40-553+キハ40-535)で横磯へ。海を見下ろす立地の駅ですが、もはや真っ暗で何も見えず、ただ波の音だけが響き渡っています。

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陸奥岩崎

横磯20:19発普通東能代行き328D(キハ48-515+キハ40-521+キハ40-528)で陸奥岩崎へ。平成17年に西津軽郡深浦町と合併した旧岩崎村の中心地にある駅で、昭和31年4月改築の大柄な木造駅舎が残っています。この日は陸奥岩崎駅近くの山の民宿しちのへに宿泊。一泊3500円とリーズナブルで、ご主人はとても親切な方でした。








 

 

3/2 弥生の秋田地区駅めぐり(羽越本線・男鹿線・奥羽本線・五能線)

2日目は男鹿線を中心に秋田地区の駅を巡りました。

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朝の羽後牛島駅

羽後牛島を6:54発普通酒田行き530M(クハ700-35)で出発。自分にしては結構遅めの出発ですが、これは一本前の羽越本線始発が桂根駅に停車しないことによるものです。

羽後牛島駅に来るのは3年半ぶりですが、その時と比べると駅前の木が無くなったり駅名表示の位置が変わったり、壁が張り替えられたりと小さいながらも変化がありました。

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桂根駅

2駅乗って桂根で下車。上り4本・下り3本しか停車しない本数の少ない駅ですが、機能降りた女鹿と比べると開けている印象を受けます。駅舎はなく、代わりに平成20年設置のプレハブ待合室がホーム入口から道を挟んだところにあります。ホームはかつては相対式でしたが、今は一本のみです。

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羽立駅

桂根7:10発普通秋田行き525M(クモハ701-9)と秋田7:42発普通男鹿行き1125D(キハ40-575+キハ40-547)を乗り継いで羽立へ。平成16年まで男鹿高校の最寄り駅だった駅で、平成18年3月末限りで無人化されました。駅舎は平成26年3月に改築されたもので、スロープも設置されてバリアフリーにも対応しています。

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船越駅

羽立9:04発普通秋田行き1128D(キハ40-547+キハ40-575)で船越へ。八郎潟の排水路・船越水道に近い駅で、平成11年3月改築の駅舎にかつてはNEWDAYSが入居していましたが、平成22年3月に閉店しています。今も窓口のある有人駅ですが、それほど大きくもない駅舎によくまあ待合室と駅務室・コンビニを共存させていたものだと思います。

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男鹿駅

船越9:32発普通男鹿行き1127M(EV-E801-1)で終点・男鹿へ。なまはげで有名な男鹿市の代表駅で、屋上に展望テラスを備えた駅舎は平成30年7月に移転新築されたものです。蓄電池の新型車両「ACCUM」との組み合わせは新時代・令和のローカル線といった趣。全国的に厳しい状況に立たされるローカル線が多い中、男鹿線は進化し続けているといった感じがします。

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男鹿駅 旧駅舎

移転まで使われていた旧駅舎は昭和14年12月に改築されたもので、平成24年10月に「なまはげの訪れる古民家風の駅」としてリニューアルされていました。新駅舎への移転後は「男鹿ステーションギャラリー」として使用されていましたが、今年2月9日に閉館して現在は使われていません。あっさり解体されたりしなければいいのですが。

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天王駅

男鹿10:20発普通秋田行き1130M(EV-E800-1)で天王へ。平成17年の合併で潟上市となった旧南秋田郡天王町の駅で、待合室とホームだけの棒線駅です。待合室は平成28年10月に改築されたもので、駅前広場とまではいかないまでも、駅前に広いスペースがあります。

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二田駅

35分ほど歩いて二田へ。潟上市の代表駅で、旧天王町の中心部にあります。駅舎は平成6年10月に改築されたもので、簡易委託の窓口があります。跨線橋で駅舎と結ばれているホームは島式で、日中は基本的にこの駅で列車交換が行われます。

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上飯島

二田12:42発普通秋田行き1132D(キハ40-547+キハ40-575)で上飯島へ。信号場から昇格したホームと待合室だけの駅で、千鳥配置のホームが特徴。駅の佇まいからして辺鄙な駅かと思いきや周囲は住宅街で、ロードサイド店舗が立ち並んでいます。

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二田駅

上飯島13:49発普通男鹿行き1133D(キハ40-2089+キハ40-2088)で上二田へ。新興住宅地の外れのような立地の駅で、潟上市役所の最寄り駅ですが、市の代表駅は隣の二田です。ホーム上の待合室は平成15年3月改築。

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土崎駅

上二田14:14発普通秋田行き1134M(EV-E801-1)で土崎へ。大正15年10月改築の木造駅舎は「港町に点在する昭和期の洋館」をイメージして平成24年10月にリニューアルされています。待合室には立ち食いそばの店が入居しており、平成30年3月25日にはここから出火して駅舎の屋根が焼ける火事がありましたが、幸いにも大事には至りませんでした。当時はちょうど三木駅や遠賀川駅などで火災によって木造駅舎が失われた後だったので、火事のニュースを聞いた時にはどうなるかと心配しましたが、駅舎もそば屋もその後無事に再建されたのでほっとしました。

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出戸浜駅

土崎15:36発普通男鹿行き1135M(EV-E801-1)で出戸浜へ。相対式ホームの痕跡が色濃く残る駅で、駅舎は平成18年2月に改築された簡素なものです。昔は有蓋貨車を転用した大きめの貨車駅だったそうです。

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大久保駅

出戸浜16:13発普通秋田行き1136D(キハ40-2088+キハ40-2089)と追分16:21発普通八郎潟行き2633M(クモハ701-6)を乗り継いで大久保へ。全国に4つある大久保駅のうちもっとも最北にある駅で、平成17年の合併で潟上市となった旧南秋田郡昭和町の中心部にあります。平成27年12月改築の駅舎は片流れ屋根で、ガラス張りの近代的なデザインです。列車待ちの時間で駅前のデイリーヤマザキに走り夕食を調達しました。

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雨の糠沢

大久保16:47発普通青森行き675M(クモハ701-7)で糠沢へ。大太鼓をイメージした珍駅舎としてファンの中では有名な駅ですが、日没後の上に雨が降っているので撮影がなかなか上手く行きません。秘境駅とまではいきませんが、8:05から14:29まで一本も列車が停まらないという地味に訪問しにくい駅です。他に誰もいないのをいいことに待合室で一人、ダックスムーンの「大雨注意報」を聞きながら列車を待ちました。

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夜の能代

糠沢18:30発普通秋田行き1672M(クハ700-102)と東能代19:30発普通能代行き133D(キハ40-553)を乗り継いで能代へ。米代川河口の木都・能代市の代表駅で、昭和15年11月改築の大きな木造駅舎が残っています。いかにも主要駅と言った感じの屋根上の駅名表示も最近はあまり見かけなくなりましたね。

この日はキャッスルホテル能代に宿泊。3日目からはいよいよ五能線の駅を巡っていきます。

3/1 弥生の羽越本線駅めぐり

まだまだ寒い3月初頭、東北地方の日本海側に一週間行ってきました。

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象潟駅に到着したエクスプレス鳥海1号

前夜21:20に東京駅八重洲南口を出発したエクスプレス鳥海1号が夜明け前の象潟駅前に到着したのは5:12。一応駅は開いていますが、窓口は営業時間外で待合室は閉鎖されていました。

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夜明けの象潟駅

にかほ市の代表駅・象潟の駅舎は昭和41年11月に改築された国鉄モダニズムスタイルのコンクリ平屋で、平成24年10月にリニューアルされて和風の風除室が付きました。特急も停まる大きな駅ですが、始発前の時間だけあって人気もなく静まり返っています。

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上浜駅

象潟5:53発普通酒田行き520M(クハ700-19)で上浜へ。昭和26年に仮乗降場として開業した駅で、つい最近まで木造駅舎が残っていました。駅舎は平成30年12月に改築されたもので、日本海の波をイメージしたという互い違いの小窓が付いています。木造駅舎が消えたのは残念ですが、これはこれでなかなか良さげな駅舎です。末永く利用者に愛されていってほしいと思います。

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金浦駅

上浜6:07発普通秋田行き525M(クモハ701-2)で金浦へ。平成17年の合併でにかほ市となった旧由利郡金浦町の駅で、平成10年改築の駅舎は図書館が併設された立派なものです。委託ながら窓口も設けられており、なかなか大きな駅のように見えましたが、特急は停車しません。

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女鹿駅

金浦6:40発普通酒田行き524M(クハ700-25)で県境を越えて山形県に入り、女鹿へ。昭和37年10月に信号場として開業した駅で、上り2本・下り4本しか停車しない極端に本数の少ない駅です。上りは7:07発の乗ってきた524Mが最終列車。この次は12:53発の下り始発まで列車は停車しません。駅前に人家はなく、利用者はほとんどいなさそうですが、こんな秘境駅でも廃止にする気はないようで、駅舎は平成28年3月に改築されています。

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女鹿の海岸

駅前の細い道を進み、国道に出るとそこに一軒人家があり、小砂川方に少し進むと飽海郡遊佐町女鹿の集落があります。もう少し集落に近い所に駅を造っておけばそれなりに利用者があったのかもしれないとは思えるほどにそこそこの規模のある集落です。

日本海に沿って国道7号を進み、7:53に県境を越えてにかほ市に入りました。

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小砂川駅

8:24 小砂川駅に到着。昭和30年まで存在した旧由利郡上浜村の駅で、日本海沿いの集落の高台に位置します。平成18年3月改築の駅舎は簡易なもののように思えますが、これでも平成27年11月まで有人駅でした。

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岩城みなと駅

小砂川8:28発普通秋田行き537M(クモハ701-25)で岩城みなとへ。平成17年の合併で由利本荘市となった旧由利郡岩城町の中心地にある駅で、平成13年12月に開業しました。駅前には広い駐車場があり、隣接して「ウエーブ岩城」という図書館などの入る公共施設があるほか、駅裏に道の駅があります。

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仁賀保駅

岩城みなと9:36発普通酒田行き536M(クハ700-18)で仁賀保へ。平成17年の合併でにかほ市となった旧由利郡仁賀保町の駅で、特急も停車します。ヨーロッパの宮殿をイメージしたという駅舎は平成13年6月に改築されたもので、旅行会社が入居しています。

訪問時は待合室内ギャラリーの絵の掛け替えが行われていました。

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下浜駅

仁賀保10:23発普通秋田行き541M(クモハ701-26)で下浜へ。昭和29年10月に秋田市編入された旧由利郡下浜村の駅で、今年2月22日に開業100周年を迎えました。駅舎は平成11年3月に改築されたもので、駅前には交通量の多い国道7号線が通っています。駅裏の高台上にも住宅地があり、そちらへは跨線橋から繋がる東口があります。

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羽後岩谷駅

下浜11:27発普通羽後本荘行き2540M(クハ700-25)で羽後岩谷へ。平成17年の合併で由利本荘市となった旧由利郡大内町の駅で、平成12年3月改築の半橋上駅舎は商工会館との合築になっています。駅裏には「道の駅おおうち」があり、自由通路「ぽぽろーど」で駅と結ばれています。

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西目駅

羽後岩谷12:50発普通酒田行き542M(クハ700-17)で西目へ。平成17年の合併で由利本荘市となった旧由利郡西目町の駅で、平成18年2月に既存跨線橋に接する形で改築され、半橋上駅舎となりました。自由通路で結ばれた駅裏に由利本荘市西目総合支所(旧西目町役場)があります。

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新屋駅

西目13:26発普通秋田行き545M(クハ700-18)で新屋へ。秋田市郊外にある駅で、今年2月22日に開業100周年を迎えました。駅舎は開業時に建てられたもので、平成28年12月に開業時の姿をイメージしてリニューアルされて木目調になりました。まだまだ木の質感が新しいですが、これから歳月を重ねていい感じに味が出てくることでしょう。

リニューアル前にも来たことがありますが、そのころと比べると増築部分が撤去されているのですっきりとした印象を受けます。

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道川駅

新屋14:34発普通羽後本荘行き2544M(クハ700-30)で道川へ。国道7号に面した立地の駅で、同時に開業した隣の下浜と似た雰囲気があります。駅舎は平成12年に改築されたもので、この手の簡易駅舎には珍しく、待合室内にトイレがあります。駅裏の高台と跨線橋で結ばれているのも下浜と同様です。この駅も2月22日に開業100周年を迎えました。駅近くには日本ロケット発祥記念の碑があるそうです。

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羽後本荘駅

道川15:37発普通酒田行き546M(クハ700-23)で羽後本荘へ。由利本荘市の代表駅で、平成17年の合併までは本荘市の代表駅でした。由利高原鉄道の分岐駅で、特急も停まる秋田県由利地方の中心駅です。橋上化のため平成31年6月15日より仮駅舎で営業中ですが、さすがに主要駅だけあって仮駅舎のプレハブも2階建ての大きなものです。

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脇本駅

羽後本荘16:41発普通秋田行き551M(クモハ701-17)で秋田へ。17:46発普通男鹿行き1139D(キハ40-575+キハ40-547)に乗り換えて脇本で下車。すっかり暗くなっていますが、平成28年11月改築の駅舎だけが明るく闇の中に浮かび上がっています。

脇本19:24発普通秋田行き1142D(キハ40-547+キハ40-575)で秋田へと戻り、ホームでしばらくキハ40や701系を撮影してから22:27発普通羽後本荘行き2562M(クハ700-21)で羽後牛島へ。この日は快活クラブ秋田牛島店に宿泊しました。

2/21 無人化される備後地方の駅を中心にめぐる

この日は、無人化あるいは窓口閉鎖等による駅スタンプ廃止が発表された駅を中心に山陽本線福塩線の駅を巡りました。

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糸崎駅

三原を6:44発普通糸崎行き100M(クモハ227-55)で出発し、糸崎へ。岡山支社と広島支社の境界としておなじみの駅で、一度訪問済みでスタンプは既に押してありますが、みどりの窓口が無くなるとのことだったので青春18きっぷと入場券を購入。

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東尾道駅

糸崎7:11発普通岡山行き404M(クハ115-1153)で東尾道へ。平成8年に開業した比較的新しい駅で、開業時から橋上駅舎です。この駅もみどりの窓口が閉鎖され、駅スタンプが廃止される予定。

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松永駅

東尾道7:41発普通岡山行き1720M(クハ115-1066)で松永へ。昭和29年に市制施行し、昭和41年に福山市と合併した旧松永市の代表駅で、駅舎は昭和43年12月と早期に橋上化されています。この駅はみどりの窓口閉鎖も駅スタンプ廃止も予定されていませんが、降りたことが無かったのでついでに降りてみました。

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備後赤坂駅

松永7:59発普通相生行き406M(クハ111-256)で備後赤坂へ。この駅も以前に訪問済みですが、3月1日より無人化されるとのことなので再訪。前回来たときは窓口営業時間外で、スタンプを押すことができませんでした。

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神辺

備後赤坂8:23発普通和気行き1722M(クハ111-253)と福山8:44発普通府中行き233M(クハ104-1)を乗り継いで神辺へ。平成18年3月に福山市と合併した旧深安郡神辺町の駅で、井原鉄道が分岐しています。駅舎は昭和54年9月に橋上化されていますが、ホームが微妙に短いのでアンバランスに思えます。この駅も2月29日限りでみどりの窓口の営業を終了する予定です。

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万能倉駅

神辺9:22発普通府中行き235M(クハ115-1067)で万能倉へ。恐ろしく狭い島式ホームの交換可能駅で、一日一往復だけ折り返し列車が設定されています。

駅舎は昭和11年7月改築のものをコンパクト化したもので、コンパクト化以降も窓口が営業していましたが、平成21年4月に営業を終了しています。

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駅家駅

万能倉9:57発普通府中行き237M(クハ104-7)で駅家へ。昭和50年2月に福山市編入された旧芦品郡駅家町の駅で、漢字で書くと回文になります。昭和9年2月改築の木造駅舎はこじんまりとしたもので、中には窓口がありますが、こちらは2月29日限りで営業を終了予定。窓口で切符を買ってスタンプを押すべく窓口再開時間まで待ったため列車を一本見送りました。途中、JRの社員さんが大勢やってきましたが、無人化後のことについて駅員さんと打ち合わせでもしていたのでしょうか。

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府中駅

駅家11:07発普通府中行き241M(クハ104-1)で府中へ。備後国国府が置かれた府中市の代表駅で、福塩線は当駅を境に非電化へと変わり、本数も一日6往復までに減少します。みどりの窓口は2月3日限りで営業を終了し、翌日からみどりの券売機プラスに変わっていますが、スタンプの廃止は2月29日を予定。有人駅ならどこにでもスタンプがあるというのがJR西日本の特徴でしたが、今後こういう駅が増えそうなので、木造駅舎同様行ける時に行っておきたいですね。

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新市駅

府中11:52発普通福山行き246M(クモハ105-1)で新市へ。平成15年2月に福山市編入された旧芦品郡新市町の駅で、備後国一宮・吉備津神社の最寄り駅です。

駅舎は昭和11年8月に改築されたもので、形状は駅家のものと似ていますが、こちらはだいぶ手が加えられています。デニムの生産地ということで、待合室内の壁にはデニム生地が貼られていました。

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上戸手駅

20分ほど歩いて隣の上戸手へ。ホーム入口にブロック造りの待合室があるだけの簡素な駅ですが、かつては有人駅で駅舎もあったようです。駅近くには素戔嗚神社という歴史る神社があり、こちらも備後国一宮を称しています。

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戸手駅

上戸手12:46発普通福山行き248M(クモハ105-2)で戸手へ。ホーム上に待合室があるだけの駅ですが、対向ホームの跡が残っており、かつては交換可能駅だったようです。

今は駐車場になっているスペースにかつては駅舎があったと思われます。

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戸手駅駅名標

対向ホーム上には何故か国鉄時代の駅名標がポツンと立っていますが、何故残っているのかは不明。元は鳥居型だったようですが、上の部分が喪失してしまっています。

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近田駅

14分歩いて近田へ。ホーム上にブロック造りの待合室があるだけの駅ですが、こちらもかつては駅舎のある有人駅だったようです。元が軽便鉄道だったにしても随分と短い駅間距離で有人駅を配置していたんだなと思います。

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道上駅

近田13:34発普通福山行き250M(クモハ105-31)で道上へ。昭和46年3月設置のブロック造りの待合室があるだけの無人駅ですが、かつては貨物営業も行われる駅でした。

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道上駅前のバス廃車体

駅前にはドイツのネオプラン社製観光バスの廃車体が保存されています。詳細は不明ですが、カンコ―観光という会社で使われていた貸切用だったようです。

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田村駅

15分歩いて湯田村へ。待合室すらない上屋だけの駅ですが、駅舎があったことを窺わせる広いスペースがあります。上屋は昭和29年3月の建物財産標が付いたもので、線内の他の駅舎が無い無人駅では見かけませんでした。この駅の場合は上屋があったために待合室を建てる必要なしと判断されたのでしょうか。

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東福山駅

湯田村14:17発普通福山行き1252M(クモハ105-2)と福山14:48発普通播州赤穂行き426M(クハ115-1117)を乗り継いで東福山へ。山陽新幹線の高架に隣接した橋上駅で、昭和36年に貨物駅と開業し、昭和54年9月より旅客営業を開始しました。貨物駅の様子は下りホームから見ることができます。

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大門駅

東福山15:15発普通相生行き5756M(クハ115-1122)で大門へ。岡山との県境近くにある駅で、以前に訪問済みですが、2月29日限りで無人化され、駅スタンプが廃止されるとのことで再訪しました。日中5時間近く窓口閉鎖時間があるため行程を組むうえで結構悩まされた駅でもありました。

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新倉敷駅

大門15:43発普通岡山行き1760M(クハ111-2148)で新倉敷へ。昭和50年3月に山陽新幹線との乗換駅として「玉島」から改称された駅です。昭和42年に倉敷市編入された玉島市の代表駅でしたが、合併されて自治体として消えただけでなく駅名も取り上げられてしまうとは何とも不憫だと感じます。正直、関西方面から倉敷に来るならわざわざこだましか停まらないこの駅を使うよりも岡山で乗り換えた方が便利なので、山陽新幹線の中でも特に地味な駅と言う印象があります。

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こだま744号

新倉敷からは16:27発こだま744号新大阪行き744A(782-7009)で岡山へ。岡山16:42発のぞみ136号東京行き136A(783-2064)に乗り換えて品川へ。品川で20:02発山手線外回り1811G(モハE235-123)に乗り換えて高田馬場へと帰りました。

 

2/20 可部線廃駅めぐり

4日目は平成15年12月1日に廃止された可部線可部~三段峡間の廃線跡を辿ります。

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あき亀山駅

8時に宿を出発し、まずはあき亀山駅へ。廃止区間のうち可部を出て一駅目にあった河戸駅を復活させる形で平成29年3月4日に開業した駅ですが、旧河戸駅跡地からは400mほど離れています。駅前には広々としていますが、病院を建設中なので数年後には様変わりしていることでしょう。

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移設された河戸駅

廃止後も残っていた河戸駅の待合所と駅名標あき亀山駅近くに移設保存されています。現役当時の河戸駅は単式ホームだけの簡素な無人駅で、市街地の中にありながらもローカル駅然としていました。

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今井田駅

あき亀山から太田川に沿って進むと一気に山深くなります。今井田は小集落にあった小さな駅で、待合所はフェンスで塞がれているものの線路が撤去された以外はほとんど現役当時のままの姿で残存しています。

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安芸亀山駅

安芸亀山は駅跡地が県道の拡張に利用されたため駅の痕跡はほとんど残っていません。現役当時の写真でも確認できる駅前の酒屋は今も変わらず営業しています。

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毛木駅

民家の裏手にひっそりと存在していた毛木駅はホームだけが苔むして残っています。上写真を撮った地点で振り返ると頭上を広島自動車道が通っています。

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安芸飯室駅

国道191号に面した立地の安芸飯室は、昭和46年に広島市編入された旧安佐郡安佐町中心市街地の西の外れにありました。昭和11年開業時の駅舎とホーム・線路の一部が保存されており、駅舎は喫茶店として使用されていますが、この日はお休みでした。

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布駅

昭和46年8月15日、終戦のちょうど一年後に開業した布は、昭和29年の加計延伸まで終着駅でした。廃止時点では棒線駅で、駅舎もありませんでしたが、立派な上屋が残っていたそうです。廃止後、上屋は撤去されましたが、ホームと線路が廃棄物置き場になりながらも残っています。対向ホームも残っていますが、果たしてどこまで入っていいものか分からないので敷地外から数枚撮るに留めました。

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河内駅

小河内にはコンクリート造の駅舎がありましたが、廃止後に撤去されてホームが残るのみです。廃止まで使われていたホームのほか、貨物ホームらしきものも残っており、そちらには桜の木が植えられています。春になればさぞかし綺麗なことでしょう。

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安野駅

安野駅は「安野花の駅公園」として整備されており、キハ58 554が保存されています。現役当時は野良猫が住み着き、「猫の駅長」として知られていた駅でした。駅舎も残っていますが、中に入ることはできませんでした。訪問時、駅舎の正面側はちょうど逆光でロクな写真を撮ることができませんでした。

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水内駅

廃止後の平成17年に広島市編入された旧佐伯郡湯来町唯一の駅だった水内は駅跡が公園として整備されています。現役当時あったコンクリート造の駅舎は撤去され、モニュメントとして残る上屋に駅名表示のみが移植されています。

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坪野駅跡

小集落の中にひっそりとあった坪野は、線路跡が道路に転用され、ホーム跡が駐車場になっています。痕跡は全くと言っていいほど残っていません。現役当時はホームだけの無人駅でした。

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国鉄2万キロ記念碑

坪野駅跡の少し先に「国鉄2万キロ記念碑」が残されています。国鉄の営業距離が2万キロを達成したことを記念した碑で、レールが無くなった今となっては道路の分岐点に立つ格好になっています。

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田之尻駅

昭和44年まで筒賀を名乗っていた田之尻は線路が撤去された以外はほとんど現役当時のまま残っています。待合所も閉鎖されておらず、時刻表やJRのロゴも残っています。

昭和31年の開業時は山県郡筒賀村唯一の駅であったことから、仮乗降場からの昇格時に「筒賀」を名乗ることになりましたが、昭和44年の加計~三段峡開通時に、筒賀村中心部にも駅ができたことから、そちらに駅名を譲って、仮乗降場時の駅名に戻されています。

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津浪駅

太田川を渡って加計町に入った津浪駅は、国道191号線に面した駅でした。廃止後、ブロック造りの待合所やホーム、線路は撤去され、駅跡は「ぷらっとホームつなみ」という道の駅的な飲食店になっています。生憎この日は定休日でした。

存廃問題で揉めていた頃は、サザンオールスターズ桑田佳祐さんを呼んで「TSUNAMI」を歌ってもらって可部線を活性化しようという動きもあったそうですが、結局実現しませんでした。

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香草駅

昭和41年開業の香草駅はホームと待合所だけの簡素な駅でした。駅跡は広場として整備され、駅名標と踏切の標識がモニュメントして残されています。

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加計駅

廃止区間最大の駅だった加計は、旧山県郡加計町の中心地にありました。売店もあったという駅舎は姿を消し、広かった駅構内は駐車場などになっています。街の大きさを見るにつけ、三段峡までは無理でもここまでは何とかならなかったものかと思うのですが、やはりこのモータリゼーションの時代ではキツかったのでしょうか。

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動態保存されているキハ28

駅跡の外れにはキハ28 2384が動態保存され、イベント時には展示走行が行われるそうです。訪問時は車庫にしまわれていましたが、駐車場の端だったので車に遮られてあまりいい構図で撮れませんでした。

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木坂駅

昭和44年に開業した公団建設線区間に入って最初の駅・木坂は、並走する国道186号から長い階段を登った築堤上にあった駅で、線路は撤去されていますが、ホームと待合室はそのまま残されています。国道側から見るととても廃駅とは思えません。

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殿賀駅

木坂と比べると低い築堤上にあった殿賀駅は整備の上保存されており、レールも残っています。待合室は木坂と同型ですが、こちらは閉鎖されておらず立ち入りも可能。昭和63年7月21日に当地で土石流が発生した際には、築堤が砂防ダム代わりになって土石流をせき止めたので、築堤の下流側にある病院や集落は被害が少なかったそうです。

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上殿駅

中国自動車道戸河内ICのすぐそばにあった上殿は、田んぼと集落に挟まれた立地の駅でした。跡地は更地になり、痕跡はほとんど残っていませんが、路盤跡が細長い空き地となって伸びています。

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漬物焼きそば

上殿駅跡近くの道の駅来夢とごうちで昼食。野菜の代わりに漬物を入れて焼いた漬物焼きそばは安芸太田町B級グルメ。家で作る焼きそばにも漬物を入れてみようかと思うくらい美味しい組み合わせでした。

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筒賀駅跡

山県郡筒賀村の玄関口だった筒賀は、可部線では唯一太田川から離れたところにある駅でした。昭和60年までは有人駅で、廃止までコンクリート造平屋建ての駅舎がありましたが、廃止後に解体されて築堤上にあったホームへの階段だけが残っています。

ホームや線路も残っていませんが、駅前らしい雰囲気がよく残っているので、一目で駅跡だと分かります。ちなみに写真に写っている橋の名前は駅が無くなった後も「駅前橋」のままです。

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山県郡安芸太田町役場筒賀支所(旧筒賀村役場)

駅跡から少し離れた筒賀村の中心部には、昭和11年に建てられた旧筒賀村役場が残っています。築80年を越えて今なお現役で、美しく保たれているだけでも素晴らしいですが、正面に「場役村賀筒」と右書きで残っているのもまた素晴らしいです。合併すると大抵は「○○支所」に書き換えられてしまいますからね。

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土居駅

トンネルを抜けて再び戸河内町に入ったところにあった土居は、築堤上の駅でした。ホームと待合室が残っていますが、見ての通り待合室は屋根と壁が飛んで骨組みだけになっています。こんなになっても放置している辺り、やはり築堤上の駅は撤去費用がかさむのかもしれません。朽ちるに任せているといった趣です。

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河内駅

旧戸河内町の中心部にあった戸河内は、廃止まで有人駅でした。駅名標がモニュメントとして残された以外は全て撤去され、駅跡は駐車場などになっています。

安芸太田町役場(旧戸河内町役場)がすぐ目の前にありますが、訪問時は耐震改修中とのことで玄関を除き閉鎖されていました。

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三段峡駅跡

終点・三段峡は、名勝・三段峡の玄関口にあたり、かつての駅前はいかにも昭和の観光地といった雰囲気です。三角屋根の大きな駅舎は廃止後の平成17年に解体され、駅跡は駐車場や交流施設になっています。モニュメントとして駅名標と車止めが設置されていますが、どちらも現役当時のものではないレプリカのようです。

計画ではこの先、中国山地の険しい山を抜けて芸北・旭町・今福を経て浜田に達する予定でしたが、一部が今福線として着工されただけで開業には至っていません。

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三段峡の入口の橋の上から

せっかくここまで来たのだから、三段峡を見ていこうかと思いましたが、ちゃんと見ようとすると登山のようになりそうだったので諦めました。雪も残ってるし軽装だったので、三段峡をじっくりと見るのはまたの機会にしましょう。

この後は、未成区間の斜坑跡を見、橋山駅と芸北駅の予定地を訪ねましたが、情報の少なさゆえに場所に確証を持てず、その上絵面も地味で分かりづらいので割愛とします。

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普通糸崎行き374M

色々あって、広島駅に戻ってきたのは18時ごろ。レンタカーを返却し、マクドで夕食を取ってから広島19:16発普通糸崎行き374M(クモハ227-18)に乗車。当初の予定では、東京行き夜行バスに乗ることにしていましたが、福山周辺のいくつかの駅が無人化されてスタンプが廃止されると聞いたので予定を変更。21日は山陽本線福塩線で途中下車を繰り返してから新幹線で帰ることにしました。広島で泊ってもよかったのですが、ゆっくりしたかったので、鍵付防音個室のある三原の快活クラブに宿泊するために三原へ。4日間同行した友人は今日中に行ける所まで行くとのことだったので三原でお別れ。

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三原駅

山陽本線呉線が分岐する三原は、海に面した城下町・三原市の代表駅。新幹線も停車しますが、停車するのはこだまのみなので本数はあまり多くありません。色々と気になる街ではありますが、今回は宿泊だけなのでまたいずれゆっくりと散策に来ることにしましょう。

2/19 石見地方西部建築めぐり&岩日線未成区間を辿る

三日目は7:30に益田を出発。この日は益田周辺の近代建築を巡ってから岩日線未成区間へと向かいます。

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旧三隅三保郵便局と思われる建物

まずは三隅町湊浦へ。旧三隅三保郵便局と思われる洋館が残っています。今回見れたのはこの洋館だけでしたが、湊浦には他にも古い建物が多く残っていそうだったのでいずれまた探索してみたいと思います。

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寺井医院

続いて三保三隅駅近くの寺井医院へ。左に新館が増築されながらも残る医院建築で今なお現役のようです。建築年は不明ですが、医院としての開業は昭和6年とのことです。

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浜田市三隅支所(旧那賀郡三隅町役場)

浜田市三隅支所へ。昭和37年に建てられた旧那賀郡三隅町役場で、ファザードの三角形が特徴。時間が早かったので中は見ることができませんでした。

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浜田市弥栄支所(旧那賀郡弥栄村役場)

山を越えて浜田市弥栄支所へ。三隅は全然雪がありませんでしたが、弥栄には相当積もっていました。弥栄支所は昭和44年に竣工した旧那賀郡弥栄村役場で、周辺には公共施設が集中していますが、市街地の規模はあまり大きくありません。

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旧二川村信用購買販売利用組合事務所

弥栄からさらに山を越えて益田市域に入り、旧美濃郡美都町へ。弥栄と美都を結ぶ県道34号浜田美都線は碌に除雪もされていない酷い道でしたが、益田市域に入った途端除雪されて走りやすくなりました。行政によって随分除雪の熱意が違うようです。

美都町に入って最初の集落・宇津川には近代建築が2棟残っています。その一つが上の写真のJAの建物で、昭和10年築の木造2階建て。

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本郷会館(旧二川郵便局)

もう一つは本郷会館という集会所になっている旧二川郵便局で、現局舎の隣にあります。「二川」という地名は明治の町村制施行時に宇津川村と坂井川村が合併して誕生したもので、昭和29年に都茂村・東仙道村と合併して消滅しています。

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益田市美都総合支所(旧美濃郡美都町役場)

続いて美都町都茂へ。美都町の中心地で小規模ながらも市街地が形成されています。昭和47年竣工の美都町総合支所は生憎の逆光。裏手の公民館が新しい建物ながらも面白いデザインで気になりましたが、こちらも逆光でうまく撮れませんでした。

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ほのぼのハウスみと(旧秦博士記念図書館)

都茂には旧図書館が残っています。都茂村出身の医学者・秦佐八郎博士の寄付により昭和14年に建てられたもので、近年まで「ほのぼのハウスみと」という障碍者の共同作業所として使われていましたが現在は空き家のようです。

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東仙道郵便局

都茂の次は東仙道へ。ここには大正11年築の木造平屋建ての旧郵便局が残っています。旧美都町は、二川・都茂・東仙道の3村が合併して誕生したものなので、図らずもその3村を制覇したことになりますが、東仙道で見たのはこの郵便局だけなので集落の方についてはそれほど印象に残っていません。

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益田市歴史民俗資料館(旧美濃郡役所)

予定ではこの後、匹見へ向かう予定でしたが雪が深そうだったので諦めて益田市旧市街へ。ここには大正10年築の旧美濃郡役所が残っています。どっしりとした平屋建ての和風建築で、なかなか威厳を感じさせます。昭和58年5月からは益田市歴史民俗資料館として使われてきましたが、平成31年3月31日を以て休館となりました。

www.iwami.or.jp

平成がそのまま残っているような公式HPによれば、「今後の方針は未定ですがリニューアルオープンの実現に向けて努力していきます」とのこと。壊されたりすることなくこの場所で資料館が再開される日が早く来ますように。

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旧阿武郡小川村役場

ここでちょっと県境を越えて山口県萩市田万川町へ。昭和7年または10年に建てられたと思われる旧阿武郡小川村役場が農協の駐車場を見下ろす位置に残っています。

小川村は昭和30年に江崎町と合併して田万川町となり、平成17年の合併で萩市となっています。田万川町小川支所として使われた後はJAの支所になっていたようですが、現在は使われていないようで建物の傷みが目立ちます。

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道の駅シルクウェイにちはら

再び島根県に戻り、山口線沿いに南下して旧鹿足郡日原町へ。道の駅シルクウェイにちはらで休憩し、昼食を取りました。

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鹿足郡津和野町役場本庁舎(旧日原町役場)

続いて日原の中心部へ。旧日原町役場は平成17年の合併以降、津和野町役場本庁舎として使われています。町名は知名度の高い津和野の方を使う代わりに役場は日原の方をメインにするという取り決めでもあったのでしょうか。庁舎は昭和29年に竣工した古いもので、かなり老朽化が進んでいます。中も見てみましたが薄暗く手狭で、正直これを使い続けるのは限界なんじゃないかという気がします。

役場周辺には古い建物が多く残っており、日原が古くから栄えてきた街であろうことを感じさせてくれます。

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国鉄バス杉山橋停留所

日原からは岩日線未成区間を辿るべく柿木を経て六日市へ向かいます。柿木への道中、「国鉄バス杉山橋停留所」と書かれたブロック造りのバス待合室を発見したので急きょ車を停めて撮影。「1974」という数字があったので昭和49年に建てられたものかもしれません。今は吉賀町バスの停留所になっているようですが、まさか「国鉄バス」の文字が残っているとは思いもしませんでした。

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旧柿木郵便局

柿木には昭和13年築の旧柿木郵便局が残っています。今は何に使われているのかは不明ですが、全体的に状態はよく、細かな装飾まで美しく残っています。

旧鹿足郡柿木村明治22年の町村制施行時に誕生して以来、どことも合併することなく残ってきましたが、平成17年に六日市町と合併して吉賀町となりました。

岩日線が全通していれば柿木にも駅が設置される予定だったそうです。

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鹿足郡吉賀町役場(旧六日市町役場)

続いて六日市の鹿足郡吉賀町役場へ。昭和47年竣工の六日市役場がそのまま使用されています。築50年近い建物ですが、中は綺麗に改装されていました。

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六日市トンネルへと続く路盤

六日市は岩国と日原を結ぶ陰陽連絡線として計画された岩日線のうち着工されたものの開業には至らなかった岩日北線区間の終点で、駅予定地は温泉施設になっていますが、そこから六日市トンネルへと至る区間の路盤が残っており、遊歩道に転用されています。

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出市駅

六日市から国道187号線で山口県側に抜け、出市駅へ。順番に回るならこの駅には最後に来るべきなのでしょうが、行程と道路の都合上、六日市の次に訪問。

開業区間の終点・錦町を出て最初の駅で、結局未開業に終わった駅ですが、ホームが残っています。未開業なのになぜホームが造られていたのかは不明ですが、これのおかげで容易に駅予定地を特定することができます。

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第2宇佐川橋梁

出市の次は周防深川駅。ところが場所を間違えて地図に登録していたので見逃してしまいました。それはさておき、公団建設線らしく重厚なコンクリート橋梁が続きます。

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須川駅?

周防深川の次は下須川。途中に雙津峡温泉駅と言うトコトコとれいんの終点駅が設けられていますが、岩日線の駅はそこには予定されていなかったようです。もしこの区間が鉄道として開業していた場合、後からそこに駅が設けられた可能性は高そうですが。

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高根口駅

須川の次は高根口。六日市は最初に行ったので岩日線探索はここで終了。下調べ不足で中途半端に辿るのに終わりました。車で辿るとなるとなかなか完璧を期すのは難しいので今度来る時には自転車を持ってくるのも手かもしれないと思います。

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第三須川橋梁

高根口を出た岩日線は第三須川橋梁を渡って六日市トンネルに入り、山口・島根の県境を越えて六日市へと至ります。もし開業していたとしてもそれほど利用客は見込めなかったでしょうが、後は駅を造ってレールを敷くだけとというところまで完成していたのに開業しなかったというのも勿体ない話です。樽見鉄道が神海~樽見を完成させたように錦川鉄道がもし錦町~六日市を完成させていたらどうなっていたのでしょうか。

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廿日市市吉和支所

酷道」と言ってもよさそうな国道434号線で松の木峠を越えて廿日市市吉和町へ。昭和47年11月竣工の市役所支所は旧佐伯郡吉和村役場を転用したものです。平成15年の合併時点では人口837人と広島県で最も人口の少ない自治体だった吉和村は、柿木村同様に明治の町村制施行以来一度も合併を経験しないまま生き残ってきた村でした。

そんな秘境のような村でもちゃんとガソリンスタンドがあったので給油をしてこの日の宿泊地可部へと山を越えていきます。

可部の来来亭で夕食を食べ、宿泊先の「ウィークリーホテルノースポイント」には19時前に到着。とんでもない山奥を通ってきただけに可部が大都会に見えました。中国地方一の大都会・広島市の一角なので都会なのは当たり前ですが。

2/18 石見那賀郡近代建築めぐり&今福線の遺構を辿る

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都野津会館

江津駅前で昼食を食べた後は都野津会館へ。昭和12年4月に竣工した旧那賀郡都野津町役場で、現在も公民館として現役です。都野津町は昭和29年に江津町など那賀郡8町村と合併して江津市となりました。

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下府駅

13:32 山陰本線 下府駅へ。列車で日没後に来たことはありますが、明るい時間に来るのは初めてです。夜に来るとイルミネーションされていましたが、昼はこんな感じなんですね。駅舎内では地元の人たちが集会を開いていました。浜田市郊外にある駅で、戦前は当駅から石見今福を経て可部線に繋ぎ、広島とを結ぶ今福線という路線が計画されていました。当駅から石見今福までは戦前にほとんど完成していたものの、戦争で中断し、その後の水害で路盤が崩壊したことから実際に開通することなく放棄されています。これからその今福線の遺構を巡っていきます。

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下府駅3番線

築堤上にあるホームは相対式2面2線ですが、今福線の分岐用に3番線を設置できるよう用地が確保されています。結局ホームとして完成することも無かったのか今ではすっかり自然に還っています。

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上府第一トンネル

ガソリンを入れ、宇野方面へと県道を走っていると突然道路脇に閉鎖されたトンネルが現れました。下府を出て最初のトンネルだった上府第一トンネルです。横の県道が完成する前は市道として使われ、車が譲り合いながら走行していたそうです。

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国府公民館宇野分館

14:02 国府公民館宇野分館に到着。平成22年に閉校になった旧浜田市立宇野小学校で、校舎は明治40(1907)年に建てられたものを増築して使っていたようです。

近くには他に古い建物が残っていました。

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有福第三トンネルと橋梁

宇野の集落を過ぎて山間に入ってしばらくすると県道沿いに橋脚とトンネルが現れます。奥のトンネルは有福第三トンネル。一度も使われることなく80年もの間朽ち続けているというのが何とも無念です。トンネルを抜けたところにも橋脚が1基残っています。

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円形橋脚群

さらに同じ道を進んでいくと橋脚群が現れます。今福線旧線区間では最長の橋梁で、下から見上げても圧巻ですが、路盤と同じ高さの展望台からも見ることができます。上の写真を撮ったところから振り返ると今福第一トンネルがあります。

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五連アーチ橋

そこからさらに進むと五連アーチ橋が現れます。とは言っても県道に転用されているので県道から直接その姿を確認することはできません。コンクリートの白いアーチ橋の姿は士幌線を彷彿とさせますが、よく考えたら建設されたのは同年代でしたね。

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四連アーチ橋

今福第三トンネルを抜けると四連アーチ橋。下府川を跨ぐ美しいプロポーションの橋で、障害物が少ないので撮りやすいです。平成20年10月に土木学会認定選奨土木遺産に認定されています。

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今福第五トンネル

今福第五トンネルは線内のトンネルの中で唯一活用されており、トンネル内の横穴にJR西日本地震計が設置されています。もちろん閉鎖されているのでフェンスの間から撮影。後から補修した跡が見て取れます。

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下長屋トンネル

一気に山を抜けて旧那賀郡金城町にある今福の集落近くへ。ここには鉄建公団によって建設された新線の下長屋トンネルが残っています。トンネルからは真新しい轍が続いていましたが、果たして誰が何のために通ったのでしょうか。

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石見今福方面へと続く路盤

下長屋トンネルからは岩見今福方面へと一直線に続く新線の路盤が残っています。

奥の方で右からやってきた旧線跡と合流して石見今福駅に至っていたはずですが、事前の調査不足で見損ねました。

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浜田市旭支所(旧那賀郡旭町役場)

金城町今福からさらに山を越えて旭町の中心地・今市へ。道中、右手に公団建設線らしい橋梁が見えましたが停まれなかったので帰りに見ることにしてそのまま進みました。

旭町今市は浜田から山また山を越えた辺鄙なところにあるとは思えないほどしっかりした街で、規模こそ小さいものの市街地が形成されています。浜田市役所の支所に転用された旧役場は昭和37年に建てられた古いものですが、耐震工事中なのであと数十年は残りそうです。役場に隣接して建つ旭山村開発旭センターもなかなか見ごたえのある建物でした。雪で歩行が困難だったのと時間の都合であまりゆっくりと見れなかったのが心残りです。

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旧和田郵便局

今市からさらに山間へ。脇道に入ると一気に雪が深くなりました。車の床下から聞こえる雪と接触するガリガリという音を聞きながら旧和田郵便局へ。現在は空き家のようですが、郵便局時代の姿をよく残しています。

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旧酒井医院

さらに山深く、県境に近い市木地区の旧酒井医院で折り返してまた日本海側へと戻ります。昭和11年に建てられたもので、空き家となって久しいのか朽ち始めています。

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寺廻橋梁

一気に戻り、金城から旭へ抜ける途中に見損ねた白角橋梁と寺廻橋梁へ。今福から先も多少は着工されていたようですが、今福までの区間ほど工事も進まなかったようで残っている遺構自体もそれほど多くありません。

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今福橋梁

今福まで戻り、コンビニに車を停めてその近くの今福橋梁へ。場所的には下長屋トンネルから続く路盤の延長線上で、橋梁を渡ると路盤は県道に取り込まれて石見今福駅予定地に至ります。17時半前といい時間になったので今日はここで打ち止め。見れてない遺構が多くあるのでいずれ未成線を辿るツアーにでも参加して残りも見てみたいものです。

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駅前ビジネスホテル

この日の宿は益田駅前の駅前ビジネスホテル。二人で一泊5500円とリーズナブル。駐車場の場所が分かりにくいのが難点ですが、益田駅を出て30秒ほどの立地なので車旅よりは列車旅向きの宿でしょう。山陰本線山口線の駅を巡る時には重宝しそうです。