まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

12/8 庁舎と駅を求めて九州山地をドライブ

12/8~10は宮崎へ。今回は鉄道では行けないようなところを中心に回るのでレンタカーでのドライブです。

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ソラシドエア 6J 53便

高田馬場6:08発山手線内回り0506G(モハE235-143)と品川6:33発エアポート急行羽田空港行き630H(1065)を乗り継いで羽田空港へ。7:40発ソラシドエア 6J 53便に搭乗し、ほぼ定刻通り宮崎空港に着陸。送迎バスでレンタカー会社の営業所へ向かい、借りて早速スタートです。

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西都市役所

一時間ほど車を走らせてまずは西都市役所へ。道中、宮崎市の中心部を通りましたが遭遇するバスが尽く古い車種だったので驚きました。いずれバスも撮りに来なければいけませんね。

西都原古墳で有名な西都市はかつて国鉄妻線で宮崎と結ばれていましたが、今は鉄道が通っていません。昭和30年4月に妻町と上穂北村が合併して児湯郡西都町が誕生し、昭和33年4月に三納村・都於郡村と合併、同年11月に市制施行して現在に至ります。

現在の本庁舎は昭和39年に建てられたもので、老朽化していることから、隣接地に新庁舎を建設中です。「西都」という市名、どこにあるのか分かりにくい市名ですが個人的にはかっこいいので好きです。

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日向市東郷町地域自治センター(旧東臼杵郡東郷町役場)

また一時間ほど走り、日向市東郷町地域自治センターへ。平成18年2月に日向市に編入された旧東郷町の役場で、山陰尋常高等小学校跡に建てられています。昭和35年に建てられた、ブロックを多用した味のあるモダニズム建築です。

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飯干峠

次の目的地は険しい山を越えた五ヶ瀬町役場。国道327号で美郷町を通過して諸塚村に入り、中心部を過ぎたところで分岐して国道503号へ。七ツ山の集落を越えてからは他に通る車もないようなつづら折りの険しい峠道が延々と続きます。谷は恐ろしく深く、これまで来た中で一番山深いのではないかと思えるほど。国道にも関わらず交通量は少なく、峠越えの最中にすれ違った車は一台だけでした。

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飯干峠のサミット

飯干峠のサミットには風車や石碑があり、車も停めれますが、景色はそれほどよくありません。石碑によれば西南戦争の際、和田越の戦いで敗れた西郷隆盛が、鹿児島へと退却するためにこの峠を越えたそうです。

峠を越えると道は下りに入りますが、相変わらずのつづら折りが続き、それを抜けて集落に入った時にはホッとしました。

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西臼杵郡五ヶ瀬町役場

二時間弱かけて五ヶ瀬町役場に到着。宮崎側からだと険しい山を越えなければいけませんが、県境を越えて熊本側からだと道が比較的整備されているので所要時間も短いそうです。

国道218号と三ッ所川に挟まれた立地の役場は昭和47年竣工。デザイン的にはそれほど古くは見えませんが、近くで見ると案外くたびれています。隣接地に建設中の新庁舎は来年3月完成予定です。

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阿蘇盆地と阿蘇中岳

五ヶ瀬町から県境を越えて熊本県に入り、蘇陽町を経由して高森町へ。途中、阿蘇盆地を見下ろせる展望台があったので車を停めました。雄大阿蘇中岳の姿も見ることができましたが、霞んでいてくっきり見えなかったのは残念です。

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高森駅

山を下って南阿蘇鉄道高森駅へ。国鉄高千穂線と結ばれるはずだった国鉄高森線を転換した南阿蘇鉄道の終着駅で、昭和62年4月6日使用開始の駅舎には南阿蘇鉄道本社が入居しています。平成28年4月14日の熊本地震では大きな被害を受け、今も当駅と中松駅の間で折り返し運転を行っています。全線復旧は令和5年夏の予定で、それに合わせて新駅の設置も予定されています。高森町は全線復旧を前に高森駅周辺を再開発する計画を発表しており、それによれば高森駅の現在の駅舎は撤去されて令和4年に新駅舎が完成するとのこと。

それほど古い駅舎ではありませんが、建て替え前に一目見ておこうと今回宮崎に来たついでに足を延ばしてやってきました。今度来る時は南阿蘇鉄道の列車に乗って降り立ちたいものです。

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高森駅に列車が到着

復旧までの暫定ダイヤのため、列車は一日わずか3往復。15:40に早くも終列車が到着。阿蘇中岳をバックにホームがたった1本あるだけの小さな終着駅に停車し、わずかな乗客を降ろすと車庫へ引き上げていきました。列車の引き上げを見届けて宮崎側へと戻ります。

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西臼杵郡田原村役場

国道325号のループで県境を越えて宮崎県に戻り、高千穂町の旧田原村役場へ。昭和2年築の木造2階建ての洋風建築で、県境近くの集落を見下ろす傾斜地に建てられています。国の登録有形文化財。窓の一部が割られるなど少し傷んできているのが気がかりなところです。

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高千穂駅

予定では旧田原村役場を見た後は延岡の宿まで直行する予定でしたが、日没まで少し時間が余ったので高千穂駅へ。平成17年9月6日の台風で被害を受け、平成20年12月28日に全線が廃止された高千穂鉄道の終着駅で、現在は観光向け保存鉄道・高千穂あまてらす鉄道の事務所が置かれています。

有名観光地・高千穂の玄関口だったにしてはひっそりとした立地で、駅前は細い下り坂のどん詰まりに小さな広場があるだけです。開業は昭和47年で、不通となっていた期間を除くと鉄道の駅として営業していたのはわずか33年間でした。

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高千穂駅

ホームは島式1面2線で、構内には他に車庫があるだけ。小さな終着駅でしたが、高森線と結ばれて九州横断鉄道の一部となっていたらまた違った未来もあったのでしょうか。

子どもの頃、確か学研の図鑑だったと思うのですが、色々な駅の紹介ということでこの構図から撮った高千穂駅の写真が載っているのを見た記憶があります。車両も何両か停まっていたのであの写真ではそれほど寂しい駅には見えませんでしたが、車両がいなくなるだけで駅はこんなに寂しく見えるものなのですね。

高千穂鉄道で走っていた車両のうち一両は阿佐海岸鉄道で活躍していましたが、去る11月30日に引退、今後が気になりますが、願わくば里帰りして動態保存されてほしいものです。

高千穂駅から日の暮れた国道218号と北方延岡道路を一時間ほど走り、延岡へ。この日は延岡に宿泊しました。

12/1 晩秋の山口線・宇部線駅めぐり

自由周遊きっぷ駅めぐり二日目(最終日)は引き続き山口線の駅を中心に巡りました。

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まだ薄暗い本俣賀駅

益田を6:28発普通山口行き2534D(キハ40-2072)で出発し、早速一駅目の本俣賀で下車。6時半でこの暗さ、なんて日の短い季節なんだと思います。一通り撮影を済ませましたが、暗すぎてうまく行きません。

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本俣賀駅

しかし、本を読みながら20分も待っているとようやく明るくなってきました。改めて各所を撮影します。昭和45年1月、仮乗降場として開業し、分割民営化時に昇格した駅で、駅設備は至って簡素です。仮乗降場の設置については、地元の梅月小学校が西益田小学校に統合され、小学生が遠距離通学を強いられるようになったことに対する配慮だそうで、登下校の時間帯だけ列車が停車していました。小学生の通学のための仮乗降場というと三江線長谷駅を思い出しますが、長谷駅が昇格後も一部列車しか停まらなかったのに対し、本俣賀駅は全ての普通列車が停車します。

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石見横田で交換するキハ40

本俣賀7:08発普通津和野行き2536D(キハ40-2119)で石見横田へ。乗ってきた2536Dはちょうど益田行き2531Dと離合、木造駅舎の残る昔ながらの交換駅で朱色のキハ40同士が交換する、なんとも絵になる光景です。全国的に数を減らしつつあるキハ40も西日本では未だに消える気配がありませんが、いつでも撮れるくらいの数が揃っているうちに色々撮っておかないといけませんね。

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石見横田駅

石見横田は昭和27年の合併で益田市となった旧美濃郡高城村の駅で、駅周辺には商店や工場が集まるなど「村の玄関口」とでも言った趣です。駅舎は大正12年4月開業時のもので、屋根がスレート葺きになっている以外は概ね昔の姿を留めています。いつまでも残ってほしいものですが、最近の改築ラッシュを考えるとここも危ないかもしれません。

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石見横田駅前のタクシー営業所

駅も良いですが、駅前のタクシー営業所もこれまた雰囲気抜群。まるで古写真から飛び出してきたような佇まいですが、停まっている車種は現代のものなので不思議な感じがします。まあクラウンだって10年もすればレトロ扱いされそうですが。

駅前にはこの他にも古い建物が何軒か残っていました。

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船平山駅

石見横田7:50発普通新山口行き2538D(キハ47-2503+キハ47-101)で船平山へ。山口・島根県境の山口側の山の麓にある、カーブしたホームだけの小さな駅です。昭和22年ごろに仮乗降場として開業し、昭和29年2月に仮停車場、昭和36年4月に駅に昇格しました。民家の裏手のようなところにあり、どこまでが駅の敷地でどこからが私有地なのかがよく分かりません。

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片山第2踏切

次の列車までかなり時間があるので徳佐まで歩いていきます。晩秋の朝、徳佐盆地の山裾にはうっすらと霧がかかり、路傍の草の朝露は陽の光を受けてきらきらと輝いています。ザ・日本の原風景といった景色の中を歩いていくのは気持ちの良いものです。もう少ししてこの風景に雪が降ればさだまさしの「案山子」の歌詞のような世界になるのでしょう。

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徳佐駅

40分ほどかけて徳佐駅に到着。平成22年1月に山口市と合併した旧阿武郡阿東町の玄関口で、特急スーパーおきSLやまぐち号も停車します。昭和30年の阿東町成立までは阿武郡徳佐村でした。沿線に町らしい町の乏しい山口線仁保以北にあって、駅前は商店や住宅なども多く、町の玄関口らしい姿を見せています。

駅舎は大正7年11月開業時のもので、津和野延伸までの5年間は終着駅でした。駅舎内にはタクシー会社に委託された窓口があります。

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徳佐で交換するスーパーおき

ホームは駅舎より一段低いところにあり、木造跨線橋で結ばれています。簡易委託なので出札はありませんが、窓口のおじさんは列車が来るたびに跨線橋たもとのホームが見える位置から到着と発車を見送っていました。特急スーパーおきのうち、午前中と昼の2往復は当駅で交換します。

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大草医院

徳佐の街を散策。阿東総合支所の近くに昭和4年築の大草医院があります。現在は別の建物を使っているようですが、住居として現役なのか、90年ものの建物とは思えないほど美しい状態を保っています。

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地福駅

徳佐10:21発普通新山口行き2542D(キハ40-2045)で地福へ。昭和30年の阿東町成立まで存在した旧阿武郡地福村の駅で、大正7年11月開業時の駅舎がリニューアルされながらも残っています。SLやまぐち号は下りのみ当駅に停車します。かつて貨物営業が盛んだったことを示すように駅のそばには農業用倉庫が2棟残っています。

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日原駅

地福10:46発普通益田行き2539D(キハ40-2072)で日原へ。鹿足郡津和野町役場の最寄り駅で、特急スーパーおきも停車します。平成17年の合併までは日原町で、町名は「津和野」になったものの役場本庁舎は日原の方に置かれています。ただし、駅があるのは日原の中心市街地から少し離れた枕瀬集落なので、町の玄関口とは言っても駅周辺の建物はそれほど多くありません。平成8年10月改築の駅舎は簡易郵便局との合築で、同じデザインの公民館とは渡り廊下で繋がっています。

国鉄時代には岩国とを結ぶ岩日線の計画があり、昭和38年に途中の錦町までが開業、その先の六日市まで工事は進められていましたが、国鉄再建法によって工事が凍結されたため、未成線となっています。もし岩日線が開業していれば岩国から益田までの短絡が可能だったわけですが、その場合、この駅は分岐駅としてどのような賑わいを見せていたのでしょうか。

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矢原駅

日原11:53発普通山口行き2546D(キハ40-2005)で一気に南下し、山口で13:40発普通新山口行き666D(キハ40-2045)に乗り換えて矢原へ。

山口市の住宅街の中にある駅で、競技場や野外音楽堂のある維新百年記念公園の最寄り駅です。ホーム上にトイレと一体化した待合室があります。

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湯田温泉駅

矢原13:53発普通益田行き665D(キハ47-11+キハ47-1507)で湯田温泉へ。白狐伝説のある湯田温泉の最寄り駅で、特急スーパーおきも停車します。駅舎は昭和末期に改築されたもので、観光地の玄関口としては小規模ですが、内部にはセブンイレブンが入居しています。駅舎内の待合室は狭いですが、その代わりホーム上に大きな待合室があります。ホームは片面で、対向ホームは廃止されています。

列車待ちのわずかな時間を利用し、みどりの窓口青春18きっぷを購入しました。

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大歳駅

湯田温泉14:11発普通新山口行き668D(キハ47-1060+キハ47-38)で大歳へ。昭和19年まで存在した旧吉敷郡大歳村の駅で、周囲は住宅街です。Jリーグレノファ山口FCの本拠地である維新百年記念公園陸上競技場の最寄り駅であることから、それにちなんだ装飾があちこちになされています。

駅舎は昭和29年1月に改築されたブロック造りのもので、平成23年4月の国体に合わせて改装され、事務室には地域交流ステーション「交流列車おおとし」が入居しています。

新山口~山口間では唯一の交換可能駅であることから、日中は普通列車が毎時2本交換を行います。列車の本数を考えると湯田温泉の交換設備を残しておいても良かったと思うのですが。

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上郷駅

大歳15:09発普通新山口行き670D(キハ47-2023+キハ47-150?)で上郷へ。

国道9号と椹野川に挟まれた立地の駅で、大正3年11月開業時の駅舎が残っています。ホームはカーブした片面のもので、駅舎部分のみ嵩上げされていません。山口学芸大学などの最寄り駅であることから、駅の規模の割に利用者は多いです。

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仁保津駅

上郷15:28発普通山口行き671D(キハ47-95+キハ47-3502)で仁保津へ。旧吉敷郡小郡町の北端部にある駅で、昭和47年4月に仮乗降場として開業し、分割民営化時に駅に昇格しました。簡素な待合所とホームだけの至ってシンプルな駅です。

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宇部駅

仁保津15:39発普通新山口行き672D(キハ47-1060+キハ47-38)と新山口16:13発普通下関行き3335M(クハ115-3021)を乗り継いで宇部へ。山陽本線宇部線の分岐駅で、宇部市の中心部からはかなり離れたところにあります。昭和18年から39年の間は「西宇部」を名乗っていました。分岐駅であるため構内は広いですが、昭和61年4月改築の駅舎はこじんまりとしていて、駅前も閑散としています。

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岩鼻駅

宇部16:47発普通宇部新川行き2454M(クモハ105-23+クモハ105-11+クハ104-11)で岩鼻へ。住宅街の中の細い道の奥にある駅で、昭和13年9月改築の木造駅舎が残っています。10月に来た時はあまりの道の狭さに車での到達を諦めて今回リベンジすることとしました。無人化から30年、だいぶくたびれた様子なのでこの駅舎もそう長くはないのかもしれません。立地と言い駅舎のデザインと言い国鉄離れしていてさすがは私鉄買収路線の駅と言った趣です。

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東新川駅

岩鼻17:19発普通新山口行き1852M(クモハ105-16+クハ104-16)で東新川へ。宇部市中心市街地にある駅で、中央公園の最寄り駅です。駅舎は昭和54年3月改築の立派なものですが、無人化されて寂しげです。

駅前にラーメン屋があると聞いていたので、宇部空港へ向かう前にここで夕食を食べて行こうと思ったのですが、定休日でもないのに閉まっていました。

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宇部新川駅

東新川17:58発普通宇部行き1853M(クハ104-12+クモハ105-12)で折り返して宇部新川へ。宇部市の中心部にある駅で、一時は「宇部」を名乗っていました。天井の高い重厚な駅舎も闇に沈んで全体像はよく分かりませんが、明かりに照らし出された内部は恐いくらいの迫力があります。

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一久の中華そば定食

駅前の一久の中華そばで夕食。宇部市を中心にチェーン展開をしているご当地のラーメン店で、豚骨醤油に細麺というスタイルは九州に近い土地柄を感じさせます。

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草江駅

宇部新川18:36発普通新山口行き1856M(クモハ105-26+クモハ105-20+クハ104-20)で草江へ。山口宇部空港の最寄り駅ですが、簡素な駅舎があるだけの小さな駅で、いまいち空港アクセス駅としての存在感がありません。どうせなら「草江・宇部空港」にでも改称して空港への歩道橋でも整備すればいいと思うのですが、宇部線自体の存続が危うい現状では仕方のないことかもしれません。

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山口宇部空港

暗い道を歩いて山口宇部空港へ。つい一か月前にも利用したばかりです。

20:10発羽田行きスターフライヤー7G便に搭乗し、羽田には21:22着陸。羽田空港21:48発エアポート急行成田行き2167K(3811)と品川22:14発山手線外回り2111G(サハ235-35)を乗り継いで帰宅しました。

11/30 晩秋の山陽本線・山口線駅めぐり

自由周遊きっぷ(山口エリア)での駅めぐり、一日目は山陽本線山口線の駅を巡っていきます。

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福川駅

下関を5:36発普通岩国行き3312M(クハ115-3119)で出発、2時間乗り続けて福川で下車。工業都市である周南市にある駅で、駅名は明治31年の駅開業時の所在地であった都濃郡福川村に由来します。福川村は明治45年に町制施行して福川町となり、昭和19年の合併で一旦徳山市となったものの、昭和24年に分立して再び福川町となりました。昭和28年に富田町と合併して南陽町が成立、昭和45年に市制施行して新南陽市、平成15年の合併で周南市になり今に至ります。

駅舎はいつ頃のものか不明ですが、無人駅にしてはかなり大柄で、かつての栄華を感じさせてくれます。10月に車で来た時はちょうど逆光でした。駅舎の背後に聳える煙突が工業都市を感じさせます。

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福川駅 ホーム待合所

2番ホーム上の待合所もかなり立派なものです。都市の玄関口でもないのにこの規模の待合所がある辺りはさすが日本の大動脈・山陽本線といった感じですが、老朽化具合や無人駅であることを考えるといつ撤去されてもなんら不思議ではありません。

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通津駅

福川7:52発普通岩国行き3314M(クハ115-3106)で通津へ。昭和30年に岩国市に編入された旧玖珂郡通津村の駅で、この規模の駅には珍しく業務委託の窓口があります。駅舎は昭和9年8月開業時に建てられたものですが、事務室部分が減築されています。ここも10月に来たばかりですが、その時は窓口が開いていなかったので再訪しました。既に来た駅ではあるものの、やはり車で駅前に乗りつけるのと列車から降りて改札を通るのとでは「駅に来た」という感覚が段違いです。やはり駅は列車で来てこその駅なのだなと改めて思わされます。

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藤生駅

通津9:36発普通岩国行き3316M(クハ115-3120)で藤生へ。昭和15年の岩国市成立まで存在した旧玖珂郡灘村の駅で、安芸灘に面した市街地の中に立地しています。

駅舎は昭和53年3月に改築されたもので、中国地方ではよく見かけるデザインです。山口県内では近年駅の無人化が進められていますが、この駅もご多分に漏れず今年10月1日より無人駅となっています。通津よりも駅舎は立派なのになぜ?と思いますが、駅舎が立派なだけで、利用者数は通津よりも若干少ないようです。

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岩田駅

藤生10:03発普通下関(実際は新山口)行き3323M(クハ115-3020)で岩田へ。平成16年に光市と合併した旧熊毛郡大和町の駅で、昭和18年大和町成立までは岩田村に所在していました。大和町は初代内閣総理大臣伊藤博文の出身地として知られていますが、伊藤の生前には大和町はまだ存在せず、正しくは束荷村が出身地に当たります。

駅舎は昭和12年3月に改築されたもので、軒の造りや入口周りのタイル仕上げ、車寄せの柱などに個性が光ります。小さな村の駅に過ぎなかったのにこんな凝った駅舎が建てられたのは偉人の出身地への玄関口だったからなのでしょうか。ここも10月に来たばかりですが、良い駅舎は何度見ても良いものです。建て替えられることなく末永く残ってほしいものですが。

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田布施駅

岩田11:04発普通岩国行き3324M(クハ115-3121)で田布施へ。共に内閣総理大臣を務めた岸信介佐藤栄作兄弟の出身地である熊毛郡田布施町の玄関口です。大物の出身地が近接している辺りに山口県の人材の豊富さを感じます。

駅舎は昭和34年6月に改築された国鉄モダニズム駅舎で、待合室は開放的な造り。木造駅舎と違って注目されることは少ないですが、この手の駅舎も近年は数を減らしているので、あるうちに見ておくに越したことはないでしょう。一部2階建てで、よく見ると煙突があるのが分かります。

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歴史を感じさせる案内表示

3番線へと続く跨線橋も古いもので、上り口には「広島・大阪方面の方はこの橋をお渡りください」という案内が掲げられています。大阪方面への直通列車があった時代も今は昔、広島まで直通する列車も今では朝に一本あるのみです。果たしていつ頃の案内なのでしょうか。

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新山口駅 改札

田布施11:23発普通下関行き3325M(クハ115-3005)で新山口へ。下関行きとはなっていますが、この日は線路設備改良工事のため、新山口~厚東間において9時台~16時台の列車がバス代行となっていたため、実質的には新山口止まりでした。

新山口山陽新幹線も停まる大きな駅で、実質的に山口市の玄関口となっていますが、平成15年10月まで「小郡」を名乗っており、平成17年に山口市に合併された旧吉敷郡小郡町の駅でした。在来線改札については未だに自動改札機すらありませんが、いずれはICOCA導入と同時に設置されたりするのでしょうか。

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特急スーパーおき4号

新山口からは13:01発特急スーパーおき4号鳥取行き3004D(キハ187-1007+キハ187-7)に乗車。山口版の自由周遊きっぷでは特急列車の自由席にも乗車できます。この列車は5時間以上かけて鳥取まで走るロングラン列車、いつか乗り通しにも挑戦してみたいものです。新山口では残念ながら駅弁は買えなかったので、代わりにセブンイレブンの弁当を買って乗り込みました。

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三谷駅

40分乗って、三谷で下車。「なぜここが特急停車駅?」と思ってしまうような農村にある駅で、平成22年に山口市編入された旧阿武郡阿東町の生雲東分地区にあります。大正7年4月の開業から徳佐延伸までの約6カ月の間は終着駅でした。かつては木造駅舎があったものの、平成13年5月16日に火災で焼失。地元は駅舎の再建を要望したもののJRが採算性を理由に拒否したため、地元負担でプレハブ駅舎が設置されました。プレハブに代わって平成22年に建てられたのが現在のログハウス風の駅舎です。地元の駅に対する愛が感じられるエピソードですが、特急停車駅なのだから小さくてもJRが駅舎を建てるくらいすればいいのにと思わなくもありません。20年前なら今ほど追い詰められた状況ではなかったでしょうし。

ひときわ目立つ駅舎前の大木は旧駅舎時代からのもので、火災を生き延びてずっと駅を見守り続けています。

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ホームに残る小郡方面の文字

ホームは島式1面2線で上屋も無くこれまた特急停車駅にしては随分とシンプルです。よく見ると「小郡方面」の文字が残っていました。改称で小郡の駅名が消えてから17年、消えた駅名を今に伝える貴重な存在です。

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山口駅

三谷14:01発特急スーパーおき3号新山口行き3003D(キハ187-6+キハ187-1006)で山口へ。県庁所在地・山口市の玄関口ですが、構内は2面3線と小規模です。駅舎は昭和53年3月に改築された2階建てのもので、ガラスを多用したデザインは当時さぞかし近代的に見えたことでしょう。色合いなどが何となく図書館を思わせる見た目ですが、昔は2階に美術館が入っていたようです。

県庁所在駅として見るとショボいですが、実質的な玄関口は新山口駅なので仕方ない面はあるでしょう。

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宮野駅

山口14:45発普通宮野行き2547D(キハ40-2072)で宮野へ。山口市街の北東の外れにある駅で、折り返し列車が何本か設定されています。昭和16年山口市編入された旧吉敷郡宮野村に所在し、「宮野」の名は仁壁神社の神域だったことに由来します。もっとも仁壁神社は長治元(1104)年に宮野下村から現在地に移転しています。

駅舎は大正6年7月開業時のもので、平成13年4月に改装されて「地域交流ステーション宮野」となっています。全体的に雰囲気のよい駅舎ですが、駅名表示が撤去されてしまっているのでよっぽど近づかないと駅名が判別しにくいのが玉に瑕です。

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上山口駅

宮野15:19発普通山口行き2548D(キハ40-2072)で上山口へ。住宅街の中にあるホームだけの駅で、昭和28年3月に日赤前仮乗降場として開業、翌月の駅昇格時に改称されました。仮駅名から分かるように山口赤十字病院の最寄り駅です。

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鍋倉駅

上山口15:44発普通益田行き2549D(キハ40-2072)で鍋倉へ。旧阿東町の農村にあるホームだけの小さな駅ですが、SLやまぐち号が停車します。開業は昭和38年10月で、待合室は地元の寄付によっておそらく昭和53年に建てられたもの。待合室内には待合室設置にあたって寄付した人たちの名前が掲げられています。

列車を待つうちに夕暮れを迎えてだいぶ冷え込んできました。

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仁保駅

鍋倉17:17発普通新山口行き2552D(キハ47-1035+キハ47-40)で仁保へ。途中の地福で下校の中学生たちが乗り込んできて車内が少し賑やかになりましたが、列車は人家も稀な晩秋の闇の中を進んでいきます。

予定では篠目で下車する予定でしたが、この暗さでは駅舎も満足に見れないだろうと思い、仁保で下車することにしました。山口盆地と阿東町を隔てる仁保地峠の頂上付近の山中にある駅で、周囲に人家は乏しいですが、駅前には送り迎えの車が何台か停まっていました。カーブした島式ホームは跨線橋で駅前と結ばれています。

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益田駅

仁保18:09発普通益田行き2555D(キハ47-101+キハ47-2503)で益田へ。この日は益田駅前の駅前ビジネスホテルに宿泊。駅から徒歩30秒、山陰本線で駅めぐりをするにしても山口線で駅めぐりをするにしても便利なのでここは定宿になりそうです。

11/29 みんなの九州きっぷで佐賀・長崎へ

みんなの九州きっぷ二日目は長崎方面へ向かいました。

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特急かもめ1号

博多を5:55発特急かもめ1号長崎行き2001M(クモハ786-7)で出発。特急はやはり快適で、いつまでも乗っていたくなりますが、鳥栖で早くも下車。6:26発普通佐賀行き2827M(クハ810-1504)に乗り換えます。

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肥前麓駅

2駅目の肥前麓で下車。時刻は6:37ですが、思った以上に薄暗くすっかり日が短くなってしまったことを感じさせられます。

肥前麓は戦時中に信号場として開業し、戦後に昇格した駅で、駅舎は平成10年3月に改築されたもの。小さな駅ですが、平成27年まで有人駅でした。

駅裏には陸上自衛隊鳥栖分屯地があり、戦時中の開業の経緯にはその前身の帝国陸軍鳥栖弾薬庫が関わっています。信号場とは言っても弾薬庫への引き込み線を分岐させるための信号場だったようで、戦時中にはその存在は極秘扱いとされていました。

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神埼駅

肥前麓6:47発普通佐賀行き2829M(クハ816-3007)で神埼へ。平成18年3月の合併で誕生した神埼市の代表駅で、平成13年4月に橋上化されています。ガラス張りで弧を描く形状、斜めの壁面など随分思いきったデザインの駅舎です。建てられた当時はさぞや新しさを感じさせたものでしょうが、20年経った今となってはすっかり「平成」を感じさせるレトロフューチャーなデザインになってしまいました。

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神埼市役所 旧庁舎(旧神埼郡神埼町役場)

駅からちょっと歩いて神埼市役所旧庁舎へ。9月20日に使用開始されたばかりの新庁舎の向かいに閉鎖された旧庁舎があります。合併による神埼市誕生前は神埼町の役場だった建物で、昭和46年に建てられたもの。小さいながらも堂々としたデザインです。

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神埼駅卑弥呼

神埼駅に戻り、北口の方も撮影。駅前には巨大な卑弥呼像があります。指差す先に吉野ケ里遺跡があるのですが、邪馬台国の所在地については近年は畿内説が有力視されています。あちこちの町が町おこしに邪馬台国を使っている辺り、ロマンはロマンではっきりさせない方がいいのかもしれません。

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佐賀駅

神埼8:17発普通肥前山口行き2835M(クハ810-1504)で佐賀へ。特急への乗り換え待ちの時間で駅前に出てみましたが、これまでに見た県庁所在駅の中では一、二を争う寂しさでした。駅は昭和52年2月に高架化されています。

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諫早からは普通列車

佐賀8:33発特急かもめ7号長崎行き2007M(サハ885-4)で諫早へ。佐賀平野を走っている時は空はどんより曇っていましたが、長崎との県境が近づくにつれて晴れてきました

諫早からは9:50発普通長与廻り長崎行き231D(YC1-203)に乗車。イカ釣り漁船みたいな電気式ディーゼルカーを見るのはこれが初めてですが、何とも言いようもない見た目をしていますね

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本川内駅

本川内で下車。かつてはスイッチバックのあった駅で、今も変わった形状の木造駅舎が現役です。他に類を見ないデザインで、引き戸や窓枠がアルミサッシ化されていないのもポイント高いです。無人化されて久しいものの、状態は全体的に良く、大切にされているようです。

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陸橋から本川内駅を望む

スイッチバックが廃止されたのは平成14年。勾配の急な区間での行き違いを可能にするために設けられたもので、坪尻駅や新改駅と同じようなタイプのものでした。廃止から18年が経つというのに未だにレールの一部が残っており、引き上げ線の分岐の跡がよく分かります。

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現ホーム(左)と旧ホーム(右)

新旧のホームを見比べてみると高さが違うのが分かります。これは現ホームが奥に向けて下っている本線上に設けられているためで、両ホームのつなぎ目では同じ高さですが、長与方に進むにつれて平坦な旧ホームとの高さの差が大きくなっていきます。

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旧引き上げ線(左)と本線(右)

せっかくなので旧ホームからさらに先へと伸びる引き上げ線を辿れるところまで辿ってみました。近隣の農家の通り道になっているためか線路の部分は草が少なくて歩きやすかったです。車止めは草に埋もれて見ることができませんでしたが、行ける限界まで行って振り返ってみると上写真のような感じでした。右が現役の本線で、ホームの部分では同じ高さだったのにここまで来ると随分な高度差です。

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東園駅

本川内11:32発普通竹松行き232D(YC1-1203)で東園へ。大村湾に面した立地の駅ですが、ちょうどホームからは切通や草木に阻まれて海を見ることができません。昭和36年に信号所として開業、41年に駅に昇格、平成12年に現在地に移転しました。旧駅は若干喜々津寄りにあり、海側のホームへ地下通路で連絡していました。今も一部の痕跡が残っていますが、訪問時はそんなことはつゆ知らず、色々見逃してしまいました。

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長崎駅

東園12:21発普通長崎行き235D(YC1-206)で長崎へ。今年3月28日に高架化されたばかりで、工事中の部分が目立ちます。新しい高架駅の中には商業施設が乏しく、プレハブの観光案内所とファミリーマートしかありません。駅前もまだまだ未整備です。

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長崎駅 地上ホーム跡

役目を終えた地平ホームは3・4番線の一部を残して解体され更地になりました。3・4番ホームは新駅への仮通路として使われていますが、これがなかなか遠く、重い荷物を持った観光客や使う頻度の高い地元の人にとってはたまったもんじゃないだろうなと思います。高架下に商業施設が開業するのが新幹線が開業する2年後、全体の完成はそのさらに3年後です。

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長崎駅 旧駅舎

地平駅時代の駅舎は解体されずに残っています。ステンドグラスが特徴だった改札口も単なる通路になり、駅舎内の店も全て移転してしまっています。左側の駅ビルについては今後も存続とのことですが、計画図を見る限り、旧駅舎の位置は多目的広場になるようなのでこちらもいずれ解体されるのでしょう。

駅ビル内の土産物屋で駅弁を買おうとしましたが、販売休止中とのことで買えず、結局ファミリーマートの弁当を買いました。

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浦上駅

長崎13:58発区間快速シーサイドライナー佐世保行き4236D(キハ200-1101+キハ200-208)で浦上へ。こちらも長崎駅と同時に高架化されました。長らく使用されてきた駅舎は高架化工事のため、平成25年12月に仮駅舎に移転して解体。仮駅舎も高架化に伴って役目を終えましたが、今なおファミリーマートの店舗として駅前一等地に鎮座しています。役目を終えた仮駅舎は速やかに解体されるのが常ですが、この駅の場合はコンビニが入居していたおかげで生き延びることができました。とはいえ、周辺整備が終わったわけではないので、いずれはファミリーマートも高架下に移転して仮駅舎も解体されるのかもしれません。

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浦上駅 仮ホームの残骸

長崎駅ほどではないものの、浦上駅にも地平ホームの一部が通路として残っています。ただしこちらは高架化工事に伴って造られた仮設ホームなので古いものではありません。通路にするならベンチも駅名もいらないはずですが、何故かそのままなので、まるで地平駅があった事を記念するモニュメントのようです。

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特急かもめ24号

浦上14:23発特急かもめ24号博多行き2024M(モハ885-10)に乗車し、博多へ。「鬼滅の刃」ラッピングの編成でした。九州が舞台というわけではないようですが、観光需要の落ち込みで打撃を受けたJR九州としてはコラボで何とか増収につなげたいのでしょう、SLの方は大好評だったようです。

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特急ソニック39号

博多でのわずかな時間を利用して地域共通クーポンで駅弁を購入し、16:19発特急ソニック39号3039M(クモハ885-9)に乗り換えて小倉へ。新幹線と並走する区間で、時間では新幹線に軍配が上がりますが、在来線特急にもそれなりに需要があるようです。

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関門海峡を越えて下関へ

小倉17:16発普通下関行き220M(クハ411-103)に乗り換えて関門海峡を越え下関へ。本州にあるJR九州唯一の駅で、ここから先はJR西日本となります。みんなの九州きっぷが使えるのもここまで。

この日は駅前のヴィアイン下関に宿泊。一旦宿にチェックインし、地域共通クーポンを受け取ってから駅に戻り、山口エリア版の自由周遊きっぷを購入。翌日から2日間はこちらを使って駅めぐりしていきます。

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下関駅

山口県最大の都市・下関市の玄関口である下関駅は、3面6線の立派な高架駅。かつてはブルートレインも発着していましたが、今はローカル列車がやってくるのみです。現在の駅ビルは平成26年にオープンしたもので、駅としての施設は高架下にあります。長らく三角屋根の木造駅舎がありましたが、平成18年の放火事件で焼失、長らく仮駅舎での営業となっていました。

 

11/28 九州新幹線駅めぐり

 11/28~12/1は九州・山口方面へと出かけました

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スカイマーク福岡空港

高田馬場4:38発山手線内回り0360G(モハE234-4)で出発し、品川で5:15発エアポート急行羽田空港行き516A(1049)に乗り換えて羽田空港へ。6:20発福岡行きスカイマークBC1便(JA737Y)に搭乗し、福岡空港に到着したのは8:25のことでした。

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さくら541号に乗車

福岡空港8:38発西唐津行き623C(クハ304-1)で博多へ。到着してから十数分後にはもう博多駅に着いているのですから福岡空港の便利さを実感します。

事前にネット購入しておいた「みんなの九州きっぷ」を博多駅で受け取り、9:06発さくら541号鹿児島中央行き541A(781-7003)に乗車。この切符は二日間10000円で、九州新幹線も含めたJR九州全線に乗れる大変お得な切符です。この日はこの切符を使って九州新幹線の駅を巡りました。

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新鳥栖駅

早速一駅目の新鳥栖で下車、乗車時間はたった14分とあっという間です。鳥栖市郊外の田園地帯の中に設置された、長崎本線との乗換駅で、開業から9年経った今でも駅周辺には更地が目立ちます。本当に「乗り換えのためだけに設置された駅」と言った様子ですが、十数年もすれば周囲に色々出来て街になっていくのでしょうか。

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久留米駅 改札口

新鳥栖9:42発さくら543号鹿児島中央行き543A(781-7019)で久留米へ。福岡県南部の中心都市・久留米市の玄関口で、橋上の鹿児島本線の駅に隣接しています。都市の大きさの割にはこじんまりとした印象を受けますが、やはり大都市だけあってゆったりとした駅を造れるほどのスペースも無かったのでしょう。

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新玉名駅

久留米9:59発つばめ317号熊本行き5317A(821-1007)で三駅進んで新玉名へ。熊本県北部の中心都市・玉名市の郊外にある駅で、周囲にはロードサイド店舗くらいしかありません。駅舎のデザインは玉名市からの要望で「森の中の駅」をコンセプトにしており、木材やガラスが多用されています。いまどき流行りの隈研吾風ですが、隈氏は関わってはいないようです。

駅前には昨年の大河ドラマの主人公で、玉名市ゆかり(出身は隣の和水町)のマラソン選手・金栗四三銅像が建てられています。

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新大牟田駅

新玉名10:50発つばめ318号博多行き5318A(821-4)で一駅戻って新大牟田へ。大牟田市の中心部からかなり離れた内陸部に設置された駅で、内装には近代化遺産をイメージしたレンガ風タイルが用いられています。周囲は住宅街で、「何もない」わけではありませんが、コンビニが一軒あるくらいで商業施設には乏しいです。

駅前には大牟田市の発展に貢献した実業家・団琢磨の像が建てられています。

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大牟田市庁舎の模型

二階の階段脇には大牟田市庁舎と三井港倶楽部の精巧な模型が展示されています。昭和11年に建設された大牟田市庁舎は国の登録有形文化財。耐震性不足を理由に全面建て替えの方針でしたが、白紙撤回され、現在は保存か解体かを協議中です。

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熊本駅

新大牟田11:30発つばめ319号熊本行き5319A(821-3)で熊本へ。鹿児島本線豊肥本線の高架駅に隣接して設けられた駅で、ホームは2面4線。線内の他の駅と比べるとホームドアの内側(列車側)スペースが狭いです。

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駅弁 肥後牛とろ玉しぐれ

駅弁を購入し、12:18発さくら409号5409A(781-7010)に乗車。ちょうどお昼時なので熊本平野を車窓に眺めながら食べ始めました。

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新水俣駅

新水俣で下車。水俣市の街外れといった立地の駅で、周囲に商業施設は乏しいです。

鹿児島本線を転換した肥薩おれんじ鉄道の駅が隣接していますが、そちらは駅舎のないホームだけの無人駅です。駅舎のデザインは大江戸線飯田橋駅も手掛けた建築家・渡辺誠氏によるもの。

こんな寂しい駅でも行先表示に「新大阪」の文字があるのは不思議な気がします。

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新八代駅

新水俣13:31発さくら404号博多行き5404A(821-1009)で新八代へ。平成16年3月の九州新幹線部分開業時の始発駅で、全通により単なる中間駅になりました。鹿児島本線が斜めに交差しています。全通までは在来線特急「リレーつばめ」が新幹線ホームに乗り入れて対面乗り換えができるようになっていたのが特徴でした。リレーつばめが乗り入れていた11番線は封鎖され、現在は保線用車両の留置などに使われているようです。

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出水駅

新八代14:04発さくら411号鹿児島中央行き5411A(821-1)で出水へ。鶴の飛来で有名な鹿児島県北東部・出水市の玄関口で、肥薩おれんじ鉄道の駅に隣接して設置されています。駅前広場は重伝建・出水麓の武家屋敷にちなんだデザインです。

高架下には土産物屋兼レストランが入居し、これまで見てきた優等通過駅の中では一番賑わっているように感じました

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川内駅

出水15:17発さくら553号鹿児島中央行き553A(781-7002)で川内へ。北薩地区の中心都市・薩摩川内市の玄関口で、鹿児島本線肥薩おれんじ鉄道の駅に隣接しています。新幹線駅には珍しく橋上駅ですが、新幹線ホームは高架駅にしても問題無さそうなくらいの高さがあります。

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鹿児島中央駅

川内15:58発さくら555号鹿児島中央行き555A(781-8005)で終点の鹿児島中央へ。ずいぶん遠くへ来たなと感じますが、再速達のみずほなら、博多から約1時間15分、新大阪からでも約3時間45分しかかかりません。

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駅前から見る桜島

鹿児島市に来るのはこれが初めて。せっかくなので何か見ていくべきでしょうが、疲れてそんな気力も無かったので、駅前から桜島を見ただけで折り返します。こういう大きな街は見て回ろうとすると最低でも一日や二日必要になるので後回しにしてしまいがちです。

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築後船小屋駅

鹿児島中央16:46発みずほ610号新大阪行き610A(781-7002)と熊本17:40発つばめ334号博多行き5334A(821-4)を乗り継いで築後船小屋へ。鹿児島本線の駅と駅前広場を挟んで向かい合う駅で、周辺は公園になっています。「なぜこんなところに新幹線駅が?」と思うような立地で、隣町・瀬高出身の政治家古賀誠による政治駅だとも言われています。しかし、実際はそれなりに需要があるようで、乗車人員は新大牟田の2倍近くあります。羽犬塚筑後市)と瀬高(みやま市)のちょうど中間地点で、車でなら柳川市八女市からのアクセスが良いことが関係していそうで、案外悪くない立地なのかもしれません。

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博多駅

築後船小屋18:31発つばめ336号博多行き5336A(821-2)で博多へ。駅前のビジネスホテルに宿泊しましたが、スマホ通信制限でグーグルマップが表示されず、たどり着くのに苦労しました。

11/15 牟岐線・阿佐海岸鉄道駅めぐり

四国遠征最終日は、今月末で気動車の運行を終了する阿佐海岸鉄道へ。ついでに牟岐線の未訪問駅も巡ります。

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木岐駅

徳島を牟岐線始発の5:43発普通牟岐行き4523D(1515)で出発し、7:06着の木岐で下車。海部郡美波町の小さな漁村にある駅で、線路の築堤が集落と田園地帯を分けているかのような立地です。かつての木造駅舎は解体され、代わりに切符売り場兼トイレが建てられましたがそちらも今は封鎖されています。建物財産標には「詰所1号 平成元年3月」の文字がありました。

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特急むろと2号

通過する特急むろと2号徳島行きを駅近くの坂道で撮影。牟岐線の特急も昨年一気に減便されてすっかり寂しくなってしまいました。上りの特急は朝のこの一本のみです。

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由岐駅

木岐7:39発普通徳島行き534D(1229+1510)で由岐へ。平成18年の合併で美波町となった旧海部郡由岐町の玄関口で、平成8年7月改築の駅舎は由岐町ふれあいホール「ぽっぽマリン」との合築です。以前、外観はログハウス風だったようですが、新建材に張り替えられてのっぺりとした印象になっています。平成になってから建てられたログハウス風駅舎も経年劣化には勝てないようです。

観光案内所や郷土資料館は朝早かったので開いていませんでした。

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牟岐駅前で発車を待つ代行バス

由岐8:13発普通牟岐行き525D(1509+1502)で牟岐へ。牟岐~海部間は阿佐海岸鉄道DMV導入に伴い、7月18日よりバス代行となっています。日曜日ということもあって代行バスの乗客のほとんどは鉄道ファンでした。

海部行き代行バスは8:52発、国道の状態が良くないのとバスが古いのとが重なってとにかくよく揺れてガタガタと音がしました。途中の乗降は阿波海南で鉄道ファン一人の下車のみ。

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海部駅

9:12 海部着。昭和48年10月に牟岐線の終着駅として開業し、平成4年3月の阿佐海岸鉄道開業以降は長らく両線の境界駅でした。DMV導入に伴い、両線の境界駅・乗換駅が隣の阿波海南となるため、10月31日にJRの駅としては廃止されています。牟岐線ホームとして使用されていた1番ホーム上の駅名標などは撤去されていました。

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ASA-101

高架上のホームに上がると9:17発甲浦行き5527D(ASA-101)が停車中。平成4年3月26日の阿佐海岸鉄道の開業に合わせて導入された車両で、同時に社内の座席配置が異なるASA-201も導入されましたが、こちらは平成20年6月30日に事故を起こし、同年11月18日に廃車となっています。阿佐海岸鉄道の歴史と共に歩んできた生え抜き車両だけあって11月30日の引退後は海部駅構内での展示が予定されているとのですが、車体も新しくまだまだ使えそうな気がします。

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宍喰駅 ホーム

次の宍喰で下車。今のところ線内唯一の中間駅かつ有人駅です。平成18年の合併で海陽町となった旧海部郡宍喰町唯一の駅で、町の中心より少し内陸に位置します。交換駅とすることを意識していたかのような設備で、ホームの反対側にもう一本線路がありますが、本線には繋がっていません。地名の宍喰は、「葦をつくって主食とした住民」を意味する脚咋(あしくい)が転訛したものだと言われています。

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宍喰駅

高架下にある駅舎は、建設年代を反映してバブリーなデザイン。商工会の支所が併設されています。窓口で気動車引退記念の切符類を購入。

改札内には徳島駅以外では県内の駅で唯一のエレベーターが設置されています。

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伊勢えび駅長の水槽

改札口には伊勢えび駅長「あさちゃん」と「てっちゃん」の水槽が置かれていますが、どっちがどっちなのかよく分かりませんでした。現在の伊勢えび駅長は4代目だそうです。

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高架橋を走るASA-101

せっかくなので鉄建公団線らしい高架橋を走る甲浦行き5529Dを沿線から撮影。撮った後で別の場所にすりゃ良かったかもなと思いましたが、後の祭りです。

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宍喰止まりのASA-101

ASA-101は甲浦発宍喰行きの5634Dでこの日の運用を終えて入庫。次の海部行きまで1時間あるので、普段は閑散としている宍喰駅が乗り換え待ちの鉄道ファンで賑わうことになりました。

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出庫してきたASA-301

10:56 45分前に入庫したASA-101と入れ違いにASA-301が出庫、ホームに入線してきました。11:05発海部行き5736Dとなるので、こちらに乗車し海部へ。

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海部駅に停車中のASA-301

ASA-301は事故廃車となったASA-201の代替として平成21年に高千穂鉄道から譲渡されたもので、当初は高千穂時代の塗装を纏っていましたが、平成22年に「みなでのらんけ 阿佐東線」の文字と地元のマスコットキャラ「すだちくん」「ぽんかんくん」があしらわれたデザインに変更されました。

元は平成元年4月28日の高千穂鉄道転換開業時に導入されたTR-201で、鋼製車体ということもあってさすがにASA-101と比べるとくたびれています。平成22年のGWに父親や友人家族と乗りに来た時の写真を見ると、塗り替えられたばかりでピカピカでした。

車齢を考えるとさすがにこれで引退でしょうが、今後は未定とのことでどうなるのか気になります。

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高架橋を行くASA-301

海部11:17発甲浦行き5531D(ASA-301)で甲浦へ。駅近くで折り返し11:33発海部行き5338Dを撮影しました。

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甲浦駅 ホーム

阿佐海岸鉄道の終点・甲浦駅は線内で唯一高知県にある駅で、高知県の鉄道駅では最東端に位置します。安芸郡東洋町では唯一の駅で、甲浦市街地の内陸寄りの外れに位置しています。東洋町は昭和39年に甲浦町と野根町が合併して誕生した町で、役場の位置でたびたび揉めたことから昭和60年に現在の庁舎が完成するまで数年おきに役場が数年交代で移動していました。現在の役場は駅から一山越えた旧甲浦町生見地区(甲浦と野根の中間地点)にあります。

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甲浦駅 駅舎とスロープ

ホーム入口の階段脇にあった駅舎はDMV導入工事に伴い、改装されました。階段との位置関係を見るに元の場所のままのようですが、ひょっとすると若干移動しているかもしれません。真正面にスロープが造られたので写真はちょっと撮りにくくなったようです。

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甲浦で発車を待つASA-301

DMV導入に伴う駅改築工事に際し、列車の停車位置も宍喰寄りに変更されています。

甲浦12:05発海部行き5540D(ASA-301)で宍喰へ。

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5735Dが宍喰駅に到着

海部で折り返してきた宍喰止まり5735Dの宍喰到着を駅の南西側から撮影。この5735Dの場合、車両交換は無いので一時間ホームに停車してそのまま発車するだけです。海部や宍喰では乗務員が休憩できる設備がないことから、本社所在駅の宍喰で一時間休憩するという変則的な運用を行っているのでしょうが、なんとも奇妙なダイヤです。

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高架橋を渡る5637D

一時間の停車の後、甲浦へと向かう5637Dは宍喰川の土手で撮影。写真を撮っていた地元のおじさんから車両はどっちが古いのか、今後どうなるのかと聞かれました。

撮影場所の近くでは放し飼いの犬が何頭も吠えていましたが、おじさん曰くいつもああやって吠えているとのことでした

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海部駅前で発車を待つ代行バス

13:37発海部行き5542D(ASA-301)で宍喰を後にし、海部で代行バスに乗り換え。阿佐海岸鉄道気動車とはこれでお別れです。次来る時はDMVが走っているので、果たしてどのような感じなのか期待したいと思います。

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牟岐に到着

甲浦13:54発の代行バス牟岐に14:14着。途中、阿波海南で地元民一名の乗車があっただけでした。

牟岐からは14:20発普通徳島行き4562D(1230)で徳島方面へ戻ります。

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桑野駅

40分ほど乗り続け、桑野で下車。同じ列車から保線作業員二名も下車しました。

昭和30年まで存在した旧那賀郡桑野町(→富岡町阿南市)の駅で、鉄道駅のない那賀郡那賀町の玄関口でもあります。駅舎は昭和11年3月開業時のものですが、かなり手が加えられています。

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折り返し発車を待つ566D

無人駅ではあるものの折り返し列車が一日2.5往復設定されており、2番線を使って折り返します。16:08発普通徳島行き566D(1507+1557)に乗車。

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西原駅

西原で下車。地元負担により昭和39年10月に開業したホームだけの駅です。ホーム上のトイレも地元住民の寄付で建てられたものだそうで、小さな駅ですが地元から大切にされているのが伝わってきます。駐輪場は細い道を挟んだ、陸橋の下にあります。

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阿波中島駅

西原16:40発普通阿南行き561D(1252+1563)で阿波中島へ。平成18年3月に阿南市と合併した旧那賀郡那賀川町の役場最寄り駅です。近くを流れる那珂川には平成17年にアゴヒゲアザラシのナカちゃんが現れて話題となりました。

駅舎は昭和11年3月開業時に建てられたもので、駅前には駅の誘致に尽力した山田隆二翁の碑があります。ホームは島式ですが、駅舎側の線路が撤去されて棒線化されています。

駅近くの西光寺には三好三人衆によって担ぎ上げられたものの上洛を果たせず病死した室町幕府第14代将軍足利義栄の墓があります。

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阿波赤石駅

阿波中島17:00発普通徳島行き568D(1563+1252)で阿波赤石へ。小松島市赤石町にある駅で、大正5年12月に阿南鉄道の駅として開業しました。駅舎は平成27年3月に改築されたもので、近年の四国の簡易駅舎の標準スタイルです。改築前は妻面に出入口のある木造駅舎でした。

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立江駅

阿波赤石17:24発普通阿南行き565D(1504+1253)で立江へ。昭和26年まで存在した旧那賀郡立江町の駅で、四国八十八箇所第十九番札所・立江寺の最寄り駅です。

駅舎は平成29年12月に改築されたもので、阿波赤石とは同仕様。わずかに駅名表示の位置のみが異なります。改築前の駅舎は開業時のものをリニューアルしたものでした。

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よあけ 支那そば+徳島丼

立江17:40発普通徳島行き570D(1254)で徳島へ。夕食は支那そばよあけで徳島ラーメンと徳島丼をいただき、22:08発コトバスエクスプレス702便で帰途に就きました。

11/14 吉野川に沿って四国山地駅めぐり

四国遠征二日目は、土讃線の徳島・高知県境の駅を中心に巡っていきます。

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土佐穴内で下車

夜明け前の暗い道をホテルから阿波池田駅まで歩き、5:33発普通土佐山田行き211D(1033+1026)に乗車。県境を越えて高知県に入り、土佐穴内で下車。ホームが一両分しか嵩上げされていないので、後ろの車両しか扉が開きませんでした。

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土佐穴内駅

長岡郡大豊町吉野川の谷沿いに設けられた小さな駅で、集落からは少し離れているため、秘境感が漂っています。かつては駅舎があったそうですが、昭和50年代半ばに撤去され、長らくホーム上に簡素な待合所があるだけの状態が続いてきました。駅前にある駐輪場と待合室は平成25年に地元から寄贈されたものだそうで、内部には地域の案内などが貼られています。

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土佐穴内駅から対岸を見る

山深い土佐穴内駅周辺、訪問時はちょうど紅葉が見ごろを迎えていました。朝のしっとりとした空気の中、山には少し霧がかかっていて、これぞイメージしていた四国山地という感じでした。茅葺トタンハウスもいい味出してます

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祖谷口

土佐穴内6:55発普通阿波池田行き4216D(1015)で祖谷口へ。三好市山城町吉野川沿いの集落を見下ろすような立地の駅で、少し高い所にカーブした単式ホームがあります。ホームから階段を下ったところにある駅舎は民営化時に改築されたログハウス風のもの。

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大川橋

次の列車まで40分ほどあるので周辺を散策することとしましょう。吉野川の対岸には近代建築もあるそうなので、駅近くの吊橋を渡って・・・と行きたいところでしたが、残念ながら撤去工事中でした。近くにあった説明板によれば、地元が国に祖谷口駅の設置を請願したところ、当地への架橋を条件に駅の設置が許可されたので、地元の名士が私財を投じて建設したのこと。開通は祖谷口駅開業と同じ昭和10年11月28日、地元の歴史を伝える貴重な吊橋ですが、残念なことに撤去されてしまうそうです。築85年の橋ですから老朽化も相当なものなのでしょうね。

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祖谷口

仕方ないのでもう一つの橋を渡って対岸に向かいます。こちらの祖谷口橋は昭和46年2月7日着工、48年1月30日竣工。

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高橋写真館(旧大利郵便局)

対岸にあったお目当ての建物はこちら。平成16年の映画「村の写真集」に写真館として登場した建物ですが、実際は昭和24年に建てられた大利郵便局の旧局舎です。

あまり知名度が高いとは言えない映画ですが、気になったのでまた時間がある時に見てみようと思います。主題歌が小椋佳さんですし

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小歩危

祖谷口8:22発普通大歩危行き4223D(1015)で小歩危へ。道路や集落を見下ろす崖っぷちにある相対式ホームの駅で、昭和25年まで「西宇」を名乗っていました。

昭和10年開業時の木造駅舎がリニューアルされつつも現存しています。

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小歩危駅 階段の上に木造駅舎

崖っぷちの立地のため、駅前広場などは当然なく、眼下の国道からは険しい階段を上ってアクセスします。崖からはみ出して宙に浮いた形の「WELCOME」の看板がなんともシュール。駅舎の入口が妻面に設けられているのは窮屈な立地ならではですが、実は側進んでいった面にも入口があります。そちらから写真後方へ進んでいったところにはちょっとした平地があり、車でアクセスすることができます。そっちをメインの駅前にした方がよかったのでは?と思うのですが、ひょっとすると開業時にはそっちの入口は無かったのかもしれません。

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阿波池田駅

小歩危9:10発普通阿波池田行き4224D(1015)で阿波池田へ。何気に明るい時間に降りるのはこれが初めてですね。徳島県西部の中心都市・三好市の代表駅で、新しい駅舎のように見えますが、昭和10年改築の木造駅舎をリニューアルしたものです。駅舎内にはセブンイレブンも入居し、拠点駅にふさわしい賑わいを見せています。ちなみに所在地名は三好市池田町字サラダ。

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マクシムの玉子サンド(700円)

朝から何も食べていなかったので、駅周辺で朝から開いていた喫茶店で腹ごしらえ。ちょっと割高でしたが、美味しいサンドイッチでした。駅舎内にコンビニがあるのでコンビニ飯という手もあったのですが、毎回それだとあまりにも味気ないので。

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大歩危駅

阿波池田10:20発特急南風3号高知行き33D(2804+2752+2702+2704)で大歩危へ。平成18年の合併で三好市となった旧三好郡西祖谷山村の玄関口で、特急も停車します。有名観光地である祖谷渓やかずら橋への最寄り駅だけあって、同じ列車からも多くの観光客が下車しました。

駅舎は昭和10年に「阿波赤野」として開業した際に建てられたもので、平成2年に古民家風に改装されています。屋根の形などは紀勢本線の神志山駅とそっくりですが、原型は平凡な切妻屋根のデザインだったようです。周辺駅も含めて昔の写真が載っているサイトを見つけたのでリンクを貼っておきます。

akatsukisha.com

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妖怪駅長のいる駅

平成22年に無人化されていますが、改札口では妖怪駅長「こなきじじい」がお出迎え。ゲゲゲの鬼太郎でおなじみの妖怪ですが、伝承の発祥地はこの辺りだそうで、地元は妖怪を使ったまちおこしに取り組んでいます。平成23年から2年間は柴犬の助役「虎太郎」も毎週日曜日に乗客を出迎えていたそうです。

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阿波川口

11:04発特急南風10号岡山行き40D2710+2754+2802)で一旦阿波池田に戻り、11:57発普通大歩危行き4229D(1015)で阿波川口へ。平成18年の合併で三好市となった旧三好郡山城町の玄関口ですが、特急は停車しません。駅舎は昭和63年に改築されたもので、平成29年11月に妖怪タヌキの里をPRすべくリニューアルされました。駅舎のモチーフは汽車に化けた「汽車たぬき」だそうで、観光列車「四国まんなか千年物語」を意識したデザインです。惜しむらくは車内からこちら側は見えないことですが、降りて駅の外も見て楽しんでもらおうということなのでしょうか。

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駅長たぬき

駅舎内の窓口では汽車たぬきと駅長たぬきがお出迎え。ご時世に合わせてちゃんとマスクを着けていますが、大きさが合っていないので愉快な感じになっています。

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阿波川口駅 ホーム側

ホーム側はこんな感じ。生首っぽいのが3つも置かれていて、夜に見たら怖いなんてものじゃないでしょう。優しそうな駅長たぬきや汽車たぬきと違って結構怖い感じのお顔です。

まあ何はともあれ装飾の多さから地元の方々の駅を盛り上げたい気持ちが伝わってきます。観光列車到着時は着ぐるみでのお出迎えや物産販売もあるそうで、いずれ乗ってみたいですね。

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旧川口郵便局

駅周辺を散策。山城町中心市街地の一角に明治38年に建てられた旧川口郵便局が残っています。現在も写真館として使用されており、国の登録有形文化財

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山城町川口の街並み

少し高い所から街を見下ろしてみます。吉野川と支流・銅山川の合流地点のわずかな平地に開けた山城町川口の街。役場も郵便局も崖に張り付くように建てられており、独特の景観を形成しています。人口5000人にも満たない小さな町の中心部ですが、建物の密度が高ければそれなりに街に見えるものです。

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三縄

阿波川口13:04発普通多度津行き4232D(1015)で三縄へ。昭和6年9月に徳島本線の終点として開業した駅で、昭和10年三縄~豊永間が開通して高知線と繋がった際に土讃線編入されました。駅舎は開業時に建てられたものですが、リニューアルされているので原型は留めていません。

下車時には駅舎前に車で写真を撮りに来ていた人の車が停まっていて邪魔でしたが、周辺散策を終えて戻ってきた時には消えていました。車で駅や列車の写真を撮ること自体は否定しません(自分もたまにやりますし)が、せめて車を停める位置くらいは考えてほしいものです。

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三縄郵便局

駅の近くには昭和7年に建てられた旧三縄郵便局が残されています。紋章付きの三角破風やアーチ形の玄関ポーチなど地方の小さな郵便局には珍しい豪華な造りです。地元の威信をかけた建築だったのでしょうか。90年近く前の建物にしては状態も良く、大切にされているのでしょう。

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土佐岩原

三縄13:54発普通高知行き4237D(1040)で土佐岩原へ。高知県最北端の駅で、県境の駅らしく周辺に人家は多くありません。駅前は狭い道を挟んですぐ吉野川の谷で、真正面から全体を撮ろうとすると転落してしまうことでしょう。

駅舎は昭和59年に改築されたもので、かつては農協が入居していましたが、今は撤退してがらんとしています。

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大歩危で乗り換え

土佐岩原を14:50発普通阿波池田行き4234D(1010)で後にし、そのまま阿波池田まで乗車する予定でしたが、大歩危で特急に抜かれるのでそちらに乗り換えて予定を変更することに。

大歩危15:05発特急南風18号岡山行き48D(2703+2701+2751+2803)で阿波池田へ。15:39発徳島線普通徳島行き464D(1005+1004)に乗り換え。予定では一本後の列車で徳島へ向かうはずでした。

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蔵本駅

日没までまだ時間があったので蔵本で下車。明治32(1899)年開業時のものと言われる木造駅舎が残っていますが、蛍光灯が光って残念な感じになったのでまたリベンジに来ないと行けなさそうです。周辺は徳島市郊外といった感じでビルなども多いですが、無人駅。とはいえ、駅舎内にテナントが入居して活用されているので、当分は改築されるようなこともないかと思われます。

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鮎喰駅

蔵本17:39発普通穴吹行き463D(1563+1252+1505)で鮎喰へ。昭和61年11月に開業した駅で、築堤上に簡素なホームがあります。周辺は住宅地で、団地なども多くあるようですが、駅自体はひっそりと闇に沈んでいました。

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麺王スペシャ

鮎喰18:01発普通徳島行き466D(1254)で徳島へ。地域共通クーポンを使って駅前の徳島ラーメン麺王で麺王スペシャルを注文して夕食としました。普段なら値段を見て躊躇してしまうトッピング乗せのラーメンを食べれるのもクーポンのおかげです。

この日は快活クラブの鍵付き個室に宿泊。翌日はいよいよこの旅のメイン・阿佐海岸へと向かいます。