まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

消えた駅舎2020

色々あった「最悪の年2020」も残すところあとわずかとなりました。ということで、例年通り今年の消えた駅舎を1月から振り返っていきましょう

 

1月

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富山地鉄本線 荻生駅(R1-12-7)

黒部鉄道の駅として大正11(1922)年11月に開業した当時に建てられたと思われる、妻面に出入口のある木造駅舎でした。中学校の統合で利用客増加が見込まれることから、線路を挟んだ反対側にホームと新駅舎を建設。令和元(2019)年12月25日より新駅舎の利用を開始し、旧駅舎は1月中旬までに解体されました。

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加古川線 本黒田駅(R2-1-12)

播丹鉄道の駅として大正13(1924)年12月に開業した際に建てられた木造駅舎で、平成初期に旧事務室部分が減築されていました。1月9日より工事が始まり、1月中旬に解体、とても駅舎とは呼べない簡素な待合所が3月に完成しました。加古川線は昨年の久下村駅を皮切りに木造駅舎の簡素化が進んでおり、残る新西脇駅の今後が心配されます。

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桃花台新交通 桃花台東駅(R2-1-6)

平成3(1991)年に開業した桃花台新交通ピーチライナー)の終着駅で、折り返し用のループ線が設けられていました。平成13(2001)年には「中部の駅百選」にも選ばれましたが、平成18(2006)年10月に廃止。営業期間はわずか15年でした。平成30(2018)年10月より駅周辺の高架橋撤去工事が始まり、駅本体の撤去も令和元(2019)年10月より開始。駅舎は1月15日ごろから3月にかけて解体されました。

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八高線 越生駅(H30-12-20)

昭和8(1933)年4月開業時に建てられた木造駅舎。平成31年3月16日の東西自由通路供用開始・東口開設と同時に無人化。駅舎は老朽化のため今年1月15日ごろより3月にかけて解体。それに先立ち令和元(2019)年12月26日に「旧越生駅舎ありがとう式典」が開催されました。旧駅舎のイメージを参考にした新駅舎「道灌おもてなしプラザ」は来年1月4日使用開始予定です。

2月

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姫新線 西栗栖駅(R2-2-4)

ほとんど解体されてしまった後の写真ですが、昭和9(1934)年3月開業時の駅舎でした。1月18日より工事が開始され、27日に仮囲いを設置。2月1日時点では駅舎が残っていたようですが、4日に訪問した時点では解体が済んで瓦礫の山と化していました。3月下旬に簡素な待合所が完成。タッチの差で見られなかっただけに後悔も大きいです。

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磐越東線 菅谷駅(H30-12-23)

昭和23(1948)年10月開業時の駅舎。令和元(2019)年10月15日より改築工事が開始され、今年2月8日より新駅舎の使用を開始。旧駅舎はその後解体されたものと思われます。新駅舎は鍾乳洞や分水界をイメージしたデザインとなっているそうです。

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津山線 野々口駅(R2-1-8)

明治31(1898)年12月開業時の駅舎を平成10(1998)年ごろにコンパクト化したもので、それほど古くは見えませんが、庇などは昔のままで歴史を感じさせました。2月8日より新駅舎使用開始、旧駅舎は2月下旬に解体されました。

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紀勢本線 田並駅(R2-1-2)

昭和15(1940)年8月開業時の木造駅舎。改築工事に伴い昨年12月7日に駅舎を閉鎖、2月までかけて解体されました。新駅舎は5月17日17時より使用開始。囲いで覆われた姿しか見れていないのが心残りです。

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宇部線 常盤駅(R2-1-30)

改築年不明、簡素ながらも有人駅だった名残のあるブロック造駅舎でした。1月13日よりホーム上の待合所が撤去され、2月28日から3月21日にかけて駅舎の撤去工事が行われました。

3月

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中央本線 山梨市駅(H31-1-4)

明治36(1901)年6月開業時の駅舎ですが、平成17(2005)年12月にリニューアルされて原型を留めていませんでした。橋上化工事のため、平成30(2018)年1月に旧駅舎の一部を転用した仮駅舎の使用を開始。今年3月2日に新駅舎が完成したため一部のみ残っていた旧駅舎は役目を終えて解体されました。

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筑肥線 浜崎駅(H31-4-29)

昭和15(1940)年5月改築の木造駅舎。改築工事に伴い、3月18日に仮駅舎に移転。旧駅舎はその後解体されました。

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山陽本線 西広島駅(H27-8-23)

明治30(1897)年9月に「己斐」駅として開業した際に建てられたもので、長年にわたる増改築で駅舎内には複数の店舗が入居していました。橋上化工事に伴い、3月29日に仮駅舎に移転して役目を終えました。

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中央本線総武本線 御茶ノ水駅 聖橋口(H30-5-7)

増改築を繰り返していたため原型を留めていませんでしたが、昭和7(1932)年の駅移転時に建てられたコンクリート造りの駅舎でした。御茶ノ水橋口と同じく設計は伊藤滋、当時の駅舎としては珍しく流動性を重視した構造で、待合室は設けられていませんでした。3月29日に仮駅舎に移転し、役目を終えました。

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桃花台新交通 小牧駅(R1-8-30)

平成3(1991)年に開業した桃花台新交通ピーチライナー)の始発駅で、桃花台東と同じく、折り返し用のループ線が設けられていました。平成18(2006)年10月に廃止された後も長らく放置されていましたが、再開発に伴い3月より解体工事が本格化しました。

この他、3月6日より豊肥本線南阿蘇鉄道高森線 立野駅の駅舎が解体されました。

4月

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室蘭本線吉原駅(R1-8-3)

昭和40(1965)年11月開業時に建てられた、北海道初の橋上駅舎でした。平成15(2003)年の無人化後は一部の階段が閉鎖され、もはや橋上駅舎としての機能は失われていました。像の顔を思わせる個性的なデザインと古びたコンクリートが魅力的でしたが、老朽化のため1月8日より仮通路の使用が開始され、4月中に解体されました。「橋上駅」から「地上駅」に変更された珍しい事例です。

5月

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宇部線 琴芝駅(R2-1-30)

昭和8(1933)年ごろに建てられた木造駅舎で、増改築が繰り返されたため複雑な形状をしていました。2月中旬より工事が開始され、駅舎の一部が解体されました。新待合所の使用開始に伴い、5月10日に残りの部分も閉鎖され、6月にかけて解体されました。

6月

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和歌山線 布施屋駅(H26-8-13)

昭和10(1935)年3月改築の、妻面に出入口のある半切妻屋根の木造駅舎。6月9日より新駅舎の使用を開始し、旧駅舎はその後解体され、跡地に信号室が建てられました。木造駅舎の宝庫の一つ、和歌山線でも改築は着々と進められていきます。

8月

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米坂線 手ノ子駅(R1-12-14)

昭和6(1931)年8月開業時の木造駅舎を昭和62(1987)年12月に改修したもの。寒冷地らしく出入口が二重になっており、それゆえに待合室内は薄暗かったです。改築工事のため、8月5日に仮待合室に移転、8月18日に仮囲いが設置され、解体工事が始まりました。新駅舎は12月に完成。

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山手線 原宿駅表参道口(H28-7-26)

大正13(1924)年6月移転時に建てられた洋風木造駅舎で、鉄道省技師・長谷川馨による設計。利用者数の割に駅設備が手狭なことから3月21日より橋上駅舎と新ホームの使用を開始。都内に残る貴重な歴史的建築物として注目されていた旧駅舎については、保存も検討されたものの、耐火基準を満たさないことから、一旦解体して資材を可能な限り活用して再建することが決定し、8月24日より解体工事が開始されました。今年消えた駅舎の中で最も注目された駅舎は間違いなくこの駅舎でしょう。

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近鉄名古屋線名駅西口(H30-5-4)

JRと近鉄共同使用駅で、JR管轄の東口は昭和50(1975)年ごろに改築されたシンプルなデザインの橋上駅舎、近鉄管轄の西口は昭和20~30年代のものと思われる小さな地平駅舎でした。8月30日より新駅舎の使用を開始し、JRと近鉄の改札口が分離されました。

この他、5月より工事が開始されていた紀勢本線 太地駅の旧駅舎が解体されました。

9月

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山陰本線・境線 米子駅(R1-8-23)

昭和38(1963)年3月に完成した地上6階建ての巨大な駅ビルで、国鉄時代には米子鉄道管理局、民営化後はJR西日本米子支社が入居していました。改築工事に伴い、9月4日に閉館、9月5日より仮駅舎の使用を開始しました。何しろ巨大な駅舎なので、解体工事が完了するまでかなりかかりそうです。

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小海線 信濃川上駅(H30-9-11)

昭和10(1935)年1月開業時の木造駅舎。外壁が新建材で覆われていたものの、山間の村の玄関口にふさわしい懐かしい雰囲気の駅舎でした。改築工事に伴い、窓口業務を8月31日限りで休止、9月24日より工事が開始されました。新駅舎は3月中旬完成予定で、完成後は窓口業務も再開される予定です。

 

この他、七尾線 能瀬駅の改築工事が9月28日より開始されました。

10月

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水戸線 新治駅(R1-9-26)

明治28(1895)年9月開業時の木造駅舎で、リニューアルされていたものの、待合室側が入母屋、事務室側が切妻という左右非対称の屋根形状は留めていました。9月16日より改築工事が開始され、10月1日より無人化。事務室部分は11月にかけて解体されましたが、待合室部分は仮駅舎として残っています。新駅舎は3月上旬完成予定。

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五能線 北金ケ沢駅(R2-3-4)

昭和6(1931)年10月開業時の木造駅舎。向かって右手にトイレが増築されていたものの板張りの外観が渋い駅舎でした。老朽化のため9月上旬より改築工事が開始され、10月上旬に仮駅舎に移転。新駅舎は1月下旬に完成予定です。改築の報を聞いた時は「3月に行っといてよかった」とつくづく思いました。

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信越本線越後線白新線 新潟駅万代口(H30-9-16)

昭和33(1958)年4月の移転時に建てられた巨大な駅ビル。国鉄時代は新潟鉄道管理局、民営化後はJR東日本新潟支社が入居していました。昭和36(1961)年1月14日の火災で新潟支社部分が全焼し、12月の復旧に際して地上4階(一部6階)建てに増築されました。60年以上に渡って新潟市の玄関口としての役目を果たしてきましたが、在来線高架化工事に伴い、10月9日に改札口を移転して閉鎖。特徴的だった「新潟駅」の巨大な看板の点灯も11月11日24時を以て終了し、11月中旬より解体工事が本格化しました。

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山陽本線 四辻駅(R2-10-18)

大正9(1920)年5月開業時の駅舎。改築工事のため、10月21日より仮通路の使用を開始して閉鎖されました。それほど有名な駅ではありませんでしたが、階段の上に建つ木造駅舎とよく手入れされた植え込みの美しさゆえか、解体に際しては駅巡り界隈以外からも注目ました。

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東武桐生線 阿左美駅(R2-3-12)

昭和12(1937)年5月開業時の、妻面に出入口のある木造駅舎。ホーム上に縄文時代の住居跡遺跡があるという珍しい駅でした。隣接するバイパス道の拡張のため、3月14日に北に300m移転。駅舎はその後もしばらく残っていましたが、10月26日から解体されました。

11月

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長野電鉄屋代線 綿内駅(R1-12-27)

大正11(1922)年6月10日開業時の木造駅舎。平成24(2012)年4月の廃止後もバス待合所などとして使用されてきましたが、老朽化のため11月9日より解体されました。解体に先立ち、9月25日から30日の間「ありがとう綿内驛・ミニ展示会」が開かれ、昔の写真などが展示されました。

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山田線 茂市駅(H31-3-2)

昭和9(1934)年11月開業時の駅舎。岩泉線の分岐駅だけあって周辺の駅と比べると立派な木造駅舎でした。平成30(2018)年のCTC化で無人化され、跨線橋に替わって構内踏切が設置されました。跨線橋は令和元(2019)年8月5日使用停止。駅舎は10月19日より改築工事が開始され、11月18日より閉鎖されました。新駅舎は2月中旬完成予定です。

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京成本線 京成大久保駅(R2-8-9)

昭和30~40年代に建てられたと思われる一部2階建ての手狭な駅舎。上り線駅舎(右)は改築工事のため、11月26日に仮駅舎の使用を開始しました。

12月

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常磐線 竜田駅(R2-3-13)

昭和13(1938)年2月改築の、三角形のファザードが特徴の木造駅舎。東日本大震災以降、3年間の営業休止期間を経て平成26(2014)年6月1日に営業を再開、平成29(2017)年の富岡駅営業再開までは終着駅としての役目を果たしました。令和元(2019)年5月14日より橋上化工事を開始、今年12月1日に新駅舎が完成して役目を終えました。12月2日から11日まで「旧駅舎 想い出展示」を行い、その後解体されました。

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内房線 江見駅(H30-9-21)

大正11(1922)年12月開業時の木造駅舎。8月31日より郵便局と一体化した新駅舎の使用を開始。旧駅舎はその後閉鎖されて放置されていましたが、12月9日より解体されました。

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山田線 川内駅(H31-3-2)

昭和8(1933)年開業時の木造駅舎。山間にある小さな駅ながらも平成30(2018)年4月22日のCTC化まで駅員が配置されていました。10月20日より新駅舎建設工事を開始、12月25日10時より新駅舎の使用を開始しました。

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山田線 区界駅(H31-3-2)

昭和3(1928)年9月開業時の木造駅舎。1日の平均乗車人員はわずか1人という利用の少ない駅ですが、平成30(2018)年4月22日のCTC化まで駅員が配置されていました。無人化直前に交換設備を撤去、棒線化されました。9月中旬より改築工事を開始、川内駅と時を同じくして新駅舎の使用が開始されたものと思われます。

 

以上、今年消えた駅舎を1月から12月まで振り返ってきました。抜けがあるかもしれませんが、その場合は詳しい情報を添えてこの記事にコメントをお願いします。JR西日本の駅舎簡素化の波は来年も続きそうなので、後悔することのないように木造駅舎を訪問していこうと思います。

阿川弘之先生 生誕百年

今日は珍しく旅行記ではなく本に関する話題を一つ。今日で生誕百年を迎える作家・阿川弘之先生について。

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阿川弘之先生は大正9(1920)年12月24日生まれ、平成27(2015)年8月3日に94歳で亡くなりました。今年で亡くなって5年、ご存命であれば今日で百歳を迎えられていたことになります。

私が阿川先生の名前を知ったのは中学生か高校生の頃のことで、その頃にはすでに宮脇俊三先生の本は読み始めていましたから、宮脇先生について調べていた時にでも知ったのだと思います。新聞で訃報の記事を読んだのが高1の時で、その時初めて「きかんしゃやえもん」の作者であったことを知りました。ちょうど本をよく読むようになった時期でしたから「小説の方もそのうち読まないとな」と思ったのですが、初めて阿川作品に触れたのは大学生になってからのことでした。最初に読んだのは「雲の墓標」だったかと思います。その後、「春の城」「青葉の翳り」「カレーライスの唄」「米内光政」「水の上の会話」と読んできて、今日「お早く御乗車願います」を読み終えました。70年もの間作家として活躍してこられた方なので作品数も多く、代表作に数えられるような有名作でも読めていないものがほとんどです。

「お早く御乗車願います」は鉄道ファンとして知られた阿川先生が昭和33年に出した初の鉄道・乗り物に関するエッセイ集で、この本の出版に編集者としてかかわっていたのが後に鉄道作家として有名になる宮脇俊三先生でした。出版時、阿川先生は37歳で、宮脇先生は31歳。読んでみてまず感じたのはエッセイが書かれた昭和20年代後半から30年代前半にかけてと現代との時代の隔たりでした。当時は戦争が終わってからまだ10年ほどしか経っておらず、日本がようやく高度経済成長期に入ろうかとしている時代でした。国民はまだまだ貧しく、開発や交通網の整備も進んでいませんでした。

東海道新幹線はおろか、特急「こだま」も走り始める前で、東京~大阪間が特急で8時間ですから隔世の感があります。電化もほとんど進んでおらず、出てくるのはほとんど「汽車」が引く客車列車です。さらに折に触れて書かれている乗客のマナーも今からは考えられないほど悪いのですが、「こういう人は今もたまにいるな」と思うようなタイプの人も出てきます。

速達性や快適性などでは今の時代よりはるかに劣る当時の鉄道の姿について、私は懐古厨というわけではないので羨ましいとまでは思いませんが、ダイヤ改正の度に不便になっていき将来についての明るい話題よりも暗い話題の方が目立つ今の鉄道と比べると、「これからどんどん進化して良くなっていく」という希望があるなと思ってしまいます。しかし、ある程度の水準に達していたにも関わらず戦争によってそれが無に帰してしまった日本の鉄道が、戦争が終わってからほんの10年ほどで戦前の水準まで回復し、20年足らずで東京~大阪間の所要時間を半分にしてしまったということを思えば、こんな時代でも我々次第では未来の鉄道に希望を持つことだって不可能ではないのかもしれません。


「違いのわかる男 阿川弘之」篇

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山陰本線 阿川駅

他のエッセイには、山陰本線阿川駅を訪ねるものもあるそうです。昭和3年開業時に建てられた駅舎を阿川先生も見たのでしょうが、この駅舎は惜しくも昨年解体されました。もっとも、阿川先生が訪ねた昭和時代には珍しくもなんともないどこにでもある駅舎だったことでしょう。

 

小説の方も何か語ろうかとも思いましたが、まだ読めてない作品もあるので、今回はこの辺にしておこうと思います。

今年もあと少し、冬の長い夜に阿川作品を読んでみるのはどうでしょうか。個人的には短編集の「水の上の会話」に収録されている、「空港風景」をはじめとした珠玉の短編たちがおすすめです。

12/17 雪の伯備線・山陰本線駅めぐり

冬の鳥取駅めぐり3日目最終日は伯備線足立~岸本の各駅を全駅訪問する予定でしたが、前日の雪で旅程が崩壊し、今回の旅の目的の一つであった宝木駅に行けなくなってしまったので、宝木駅を中心に予定を組み直すことになりました

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夜明け前の足立駅

新見を5:46発普通出雲市行き821M(クモハ114-1098)で出発し、足立で下車。「あだち」ではなく「あしだち」と読む駅で、そばを流れる川以外は見える範囲に何もないような山奥にあります。平成17年の合併で新見市となった旧阿哲郡神郷町の駅で、昭和30年の神郷町成立前の所在地は神代村でした。神代村役場のかつての最寄り駅は隣の備中神代駅ですが、そちらの所在地は旧上市町です。

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足立駅

かつてあった木造駅舎は解体され、内部にベンチすらない締切不可の屋根と壁だけの駅舎がわずかな広場を挟んで渓谷と向かい合っています。駅前に人家はなく、駅の灯りと道路を照らす明かりだけが夜明け前の闇にポツンと灯っています。

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足立駅にやってきた回送列車

ホーム上の待合室で待っていると6:24に回送列車がやって来ました。隣の新郷で折り返して6:51新郷発播州赤穂行き上り始発846Mとなる車両のようです。新見ではなく新郷で折り返したところで、拾える需要は新郷・足立・備中神代の3駅のものだけですが、いずれも小駅で、果たしてどれだけの利用があるのか気になる所です

編成はD-06、6:28に特急やくも2号が通過すると6:31に発車していきました

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伯耆大山駅で入換を行うEF64 1036

足立6:42発普通米子行き823M(クモハ114-1194)で伯耆大山へ。駅構内ではEF64 1036が貨物列車の入換を行っていました。旅客列車の面ではパッとしない分岐駅ですが、貨物の面では王子製紙米子工場の出入荷になくてはならない重要な駅です

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大山口駅

4分遅れの伯耆大山8:18発普通鳥取行き234D(キハ47-146+キハ47-143)に乗車しましたが、途中の大山口で信号待ちのため数分間停車。御来屋で後から来る快速に抜かれるとのことだったので、大山口で降りて快速を待ちます。

伯耆富士・大山の登山口へのバスへの乗換駅である大山口は、西伯郡大山町の玄関口ですが、平成17年の合併で本庁舎は旧中山町役場に移っているため、役場最寄り駅は名和駅または御来屋駅となります。

昨年訪問した時は改築のため仮駅舎に移行したばかりでしたが、今年3月8日に新駅舎が完成し、駅前の植え込み以外はすっかり様子が変わっていました。

新駅舎は米子高専の生徒によってデザインされたもので、大山登山口の駅らしく山小屋をイメージしたデザインです。当初は大幅に簡素化する計画だったそうですが、地元の一部費用負担で待合室の規模を維持。これが駅舎改築のスタンダードになってほしいと思えるような、無人駅ながらもしっかりとした駅舎で、こんな雪の日でも快適に列車を待つことができました。ただ、改築に際してホーム上屋が撤去されてしまったので、2番線に向かうには跨線橋に行くまでに一旦雪に濡れ、跨線橋を渡ってからも2番線で雪に濡れる羽目になります。

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大山口駅 旧駅舎

昨年夏に撮影した旧駅舎はこんな感じのブロック造駅舎でした。雪があるので雰囲気が違って見えますが、植え込みとバス停だけはそのままなのが分かります。こうして見比べてみると、旧事務室部分がない分駅舎は小さくなったものの、待合室の大きさはほとんど変わっていないのが見て取れます。

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青谷駅

4分遅れの大山口8:56発快速とっとりライナー3420D(キハ126-1015+キハ126-15)で青谷へ。平成16年に鳥取市編入された旧気高郡青谷町の玄関口で、快速とっとりライナーの全列車が停車します。天井の高い立派な木造駅舎は昭和15年3月に改築されたもので、明り取り窓がいい味を出しています。今後、米子支社管内では駅舎の簡素化が進むことになりそうですが、この駅舎はなんとか生き残ってほしいものです。

 

撮影を終え、特急通過待ちのため5分ほど前に入線してきた10:32発普通鳥取行き234D(キハ47-146+キハ47-143)に乗り込んで待っていると、駅員さんが跨線橋を渡って、スタンプを押したときに改札前に置き忘れてしまったスタンプ帳を届けてくださいました。スタンプを押した後すぐに入場券を買ったのでしまい忘れてしまったのが、原因のようで、気を付けなくてはいけません。青谷駅の駅員さん、ありがとうございます。ちなみにこの時乗った234Dは先ほど大山口で乗り捨てた列車です。

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宝木駅

234Dで宝木へ。平成16年に鳥取市編入された旧気高郡気高町の駅で、昭和30年の気高町成立までは宝木村でした。旧気高町役場の最寄り駅は隣の浜村駅です。

駅舎はおそらく明治40年4月開業時のもので、旧事務室部分には山陰合同銀行の代理店が入居していましたが、平成30年7月16日に廃止されています。内部には簡易委託の窓口がありますが到着時は不在で、見ると駅前で雪かきをされている最中でした。入場券のために雪かきの仕事を中断させるのも気が引けるので待っていると、警備会社の現金輸送車が到着。売り上げを渡す作業が終わった後は雪かきに戻らず窓口にいらしゃったので入場券を購入し、スタンプも押させてもらいました。

この駅については来年度にも駅舎を簡素化するという報道が出ていましたが、駅員さんにその件を訪ねてみると「再来年くらいに延期になったんじゃなかったかな」とのこと。いずれ消える運命ではあるもののあと一年くらいは宝木駅の現駅舎を見ることができそうです。できれば夏の姿も見ておきたいところ。

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倉吉駅

宝木11:38発普通倉吉行き239D(キハ47-143+キハ47-146)で倉吉へ。鳥取県中部の中心都市・倉吉市の代表駅ですが、市の中心からは少し離れたところにあります。明治45年から昭和47年までは「上井」を名乗っており、その間は昭和60年に廃止された倉吉線の打吹駅が倉吉駅でした。駅舎は平成23年1月の半橋上駅舎で、市の玄関口らしく立派なものです。今の駅舎もなかなかかっこいいと思いますが、橋上化前の国鉄モダニズム駅舎も撮ってみたかったなという気がします。

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照り焼きチキンのっけ弁当

乗り換え時間を利用して駅前の「かぜべん」でお弁当を購入し、12:43発普通米子行き241D(キハ126-11+キハ126-1011)に乗車。冷えた身体に温かいお弁当がよくしみます。昼食を食べるのには短すぎる乗り換え時間でも、駅前で弁当を買えるというのはいいですね。

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黒坂駅

伯耆大山で13:49発普通新見行き826D(キハ120-336+キハ120-359)に乗り換えて黒坂へ。大正11年11月から生山延伸までの一年間だけ伯備北線の終着駅だった駅で、昭和34年の日野町成立まで存在した旧日野郡黒坂町の玄関口です。駅舎は昭和56年12月改築で、窓口とチッキ台の跡があります。黒坂は江戸時代初期に9年間だけ存在した、関一政の居城・鏡山城の城下町で、駅裏手の鏡山に城がありました。

城自体はお家騒動を理由に関一政が改易されたことで破却されてしまいましたが、城下町の道割は今も残っています。

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山陰合同銀行

さすがに城下町時代の建物は残っていないと思われますが、黒坂市街には古い建物が多く残っています。その一つがこちら。ガレージに改装されて下半分がうしなわれはいるものの、右書きの「山陰合同銀行」の文字が残ります。

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黒坂の街並み

地元の人からすれば雪かきが大変でしょうが、雪を被った黒坂の街はなかなか風情がありました

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上菅駅

黒坂15:35発普通生山行き944M(クモハ115-1508)で上菅へ。大正14年4月に日野郡黒坂村に開業した駅で、カーブした島式ホームが跨線橋で駅舎と結ばれています。国道に面した駅舎は昭和57年改築。駅舎内の壁には上菅の歴史やたたら製鉄についての説明が貼られています。それによれば、上菅の地名は、孝霊天皇が皇子や皇后を連れて奥日野・鬼林山の鬼を退治しに来た際に、皇后が産気づいたため菅の葉を敷いて寝かせたという伝説に由来するとのことです。

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武庫駅

上菅16:07発普通米子行き945M(クモハ114-1117)で武庫へ。日野郡江府町の神奈川地区に昭和36年に開業した駅で、国道と集落に挟まれたホーム上にブロック造の待合室があります。国道を間に挟んで日野川が流れており、交通量は多いものの景色はなかなかのものです。阪神間で育った人間としては字面的に「武庫川」を連想してしまいます

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上石見駅

武庫16:42発普通新見行き828M(クモハ115-1551)に乗車し、5分ほどの停車時間を利用して上石見駅を撮影。岡山との県境近くにある駅で、列車の本数はかなり少ないものの、駅舎にはレストランが併設されています。ただし、訪問時には既に営業時間を終えて改札口も真っ暗でした。伯備線では最も標高の高い位置にある駅です。

本数的に次来る時は車でしょうが、駅舎内のレストランで食べてみたいものです。

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ピオニーポークラーメンとやきめし

新見に到着後、乗り換え時間を利用して前日も来た「味の庄 伯備」へ。今回はピオニーポークラーメンとやきめしを注文。ラーメンはスープが美味しく、やきめしはボリュームたっぷりでした

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864M

夕食後は新見18:50発普通瀬戸行き864M(クモハ115-1501)に乗車し、岡山へ。岡山駅西口を21:35発のWILLER EXPRESS C1253便に乗車し帰途に就きましたが、翌朝東名道で渋滞に巻き込まれ、バスタ新宿にはちょうど一時間遅れの9時に到着しました。夜行バスが渋滞で遅れる経験はこれが3度目ですが、いずれも目的地への到着が8時以降と遅いバスで渋滞に巻き込まれているので、到着時間が遅いバスは定時性が低いなと言う印象を持ってしまいます。

12/16 雪の鳥取地区駅めぐり(因美線・山陰本線・伯備線)

18きっぷでの鳥取地区駅めぐり二日目は山陰本線鳥取伯耆大山)の駅を中心に巡っていきます

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鳥取駅に停車する除雪車

この日はすっかり明るくなった7時台の鳥取駅からスタート。普段は5時台・6時台から動くことの多い私ですが、この日の最初の目的地である津ノ井駅へ向かう列車は5:18の始発を逃すと7:22までないので7:22の列車で駅めぐりを開始することにしました。

夜の間も雪は降り続けたようで、鳥取駅は真っ白。ホーム端では除雪車が待機していました。

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津ノ井駅 ホーム

7:22発普通智頭行き655D(キハ47-146+キハ47-3017+キハ47-2006キハ47-32)で津ノ井へ。ホームは北海道かと思うほどの深い積雪で、通学生たちが通ったところにだけ溝ができています

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津ノ井駅

津ノ井は住宅街の中にある小さな駅で、大正8年12月20日に因美軽便線が用瀬まで開業した際に開設されました。駅舎は昭和18年12月に改築されたもので、内部に簡易委託の窓口があります。窓口の営業時間が短く、営業していない曜日も多いということもあってこの時間帯の訪問になりましたが、生憎の雪で駅舎内に乗客が溜まってとても内部を撮れる状況ではありませんでした。無人化して駅舎を簡素化するという噂もあるようなので、また季節を変えて訪問しておきたいところです。

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末恒駅

津ノ井7:54発普通鳥取行き654D(キハ47-1037+キハ47-8+キハ47-84+キハ47-1108)で鳥取へ。鳥取で8:04発普通米子行き231D(キハ47-69+キハ47-2020+キハ47-37+キハ47-3013+キハ47-1053)に乗り換えましたが、遅れて到着した対向の特急列車を待ち合わせたため6分遅れで鳥取を発車しました。

7分遅れで到着した末恒で下車。昭和28年に鳥取市編入された旧気高郡末恒村の駅で、駅南にニュータウンがあるため一日500人以上の乗車があるそうです。

かつては北口に駅舎がありましたが、国鉄時代の早い段階で撤去されており、両ホーム上にそれぞれ締切可能な待合室が設置されています。

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湖山駅

5分遅れの末恒8:35発普通鳥取行き230D(キハ47-41+キハ47-1019)で湖山へ。鳥取市郊外の住宅街にある駅で、リニューアルされて原型は留めていないものの、明治40年4月開業時のものとされる木造駅舎が残っています。外観は四国のリニューアル駅舎にありそうな感じの魔改造具合ですが、内部にはチッキ台が、ホーム側上屋には木製の柱が残っており歴史を感じさせます。駅舎正面に日本語の駅名が無く大きなローマ字だけというのはJR西日本の駅には珍しい仕様です

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泊駅

6分遅れで到着した湖山8:56発普通米子行き233D(キハ121-4)に乗車し、泊で下車。対向列車が遅れているようで乗ってきた列車は一向に発車する気配が見えません。

泊は平成16年の合併で東伯郡湯梨浜町となった旧泊村の駅で、小さな駅舎ながらも内部には窓口の跡があります。訪問時はちょうどホームの除雪が行われていました。

予定では泊を10:21発普通倉吉行き235Dで後にするはずでしたが、雪のため235Dが運休、代わりに乗ってきた9:55発233Dが30分以上泊で足止めされて10:29発となりました。そのため、駅の撮影を終えるとまた233Dに乗り込んで発車を待ちました

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八橋駅

こうもダイヤが乱れてくるとどこまで駅めぐりを続けられるか不安ですが、11:04着の八橋で下車。下手に無人駅で降りて次の列車が来ないなんてことになると大変ですので、列車運行位置情報とにらめっこしながらの駅めぐりとなります。

八橋(やばせ)は快速列車が停まらない駅で、この辺の駅としてはあまり本数の多い方ではありません。昭和3年に夏季のみ営業する八橋浜仮乗降場として開業した駅で、昭和13年に正駅に昇格して改称、それまでは隣の浦安駅八橋駅を名乗っていました。平成5年改築の駅舎は公民館との合築で、外観だけ見れば結構大きな駅のようです。

開業時の所在地は東伯郡八橋町で、昭和29年の合併で東伯町に、平成16年の合併で琴浦町となっています。

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名和駅

17分遅れで到着した八橋11:09発普通米子行き237D(キハ121-5)に乗車。御来屋を発車後、前方の踏切の安全確認等を行ったため、25分遅れで名和に到着しました。名和は以前に訪問済みですが、いつ消えるか分からない駅舎だけに冬の姿も見てみたいと思い、予定にはなかったものの下車しました。しかし、海が近いため風が強いのか思ったほどは雪が積もっていませんでした。国鉄と言うよりは地方私鉄にありそうな感じの不思議な構造をした木造駅舎が残る駅です。

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下北条駅

9分遅れの名和11:54発普通倉吉行き240D(キハ126-1011+キハ126-11)で下北条へ。平成17年の合併で東伯郡北栄町となった旧北条町の駅で、昭和50年代改築の簡易駅舎があります。北条町は昭和29年に下北条村と中北条村が合併して誕生した町で、下北条駅が町内唯一の駅でした。

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赤碕駅

17分遅れの下北条12:51発普通米子行き241D(キハ126-11+キハ126-1011)で赤碕へ。

平成16年に東伯町と合併して琴浦町となった旧東伯郡赤碕町の玄関口で、快速とっとりライナーの全列車が停車します。駅舎は明治36年8月開業時のものと思われますが、車寄せを中心にだいぶ手が加えられています。この駅も以前に訪問済みでしたが、以前は窓口営業時間外だったので再訪しました。この駅も簡素化方針とのことだそうで、今後が気にかかります。

予定では赤碕13:24発快速とっとりライナー3424Dに乗って松崎へ向かう予定でしたが、ダイヤ乱れによる交換駅変更で、乗ってきた241Dと交換で発車してしまったので旅程が崩壊してしまいました。次の列車に乗ったところで、無人化予定の宝木駅に窓口営業終了の15時までに着くことはできず、仕方ないので明日に回すことにします。

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伯耆大山駅

7分遅れの赤碕13:36発快速とっとりライナー米子行き3425D(キハ126-14+キハ126-1014)で伯耆大山へ。山陰本線伯備線の分岐駅ですが、特急は停車せず、特急利用者は米子での乗換となります。明治35年12月開業時の駅名は「熊党(くまんと)」で、明治44年に「大山」に改称され、大正6年に現在の駅名となりました。西伯郡大山町とは何の関係もなく、所在地は昭和29年に米子市編入された旧西伯郡厳村蚊屋です。

昭和56年改築の駅舎は一部2階建てで、左右非対称の屋根が目を引きますが、伯耆富士・大山の形をイメージしているのでしょうか。

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伯耆溝口駅

伯備線は雪の影響が比較的小さいようなので、伯耆大山14:33発普通生山行き944M(クモハ115-1518)に乗車。途中の伯耆溝口で15分ほどの停車があったため、駅舎を撮影。

平成17年の合併で西伯郡伯耆町となった旧溝口町の駅で、平成7年4月改築の駅舎はコミュニティ施設「遊学館」との合築です。かつては駅舎に商工会が入居し、窓口業務も委託されていましたが、商工会が隣の岸本駅に移転したため無人化されました

立派な駅舎を出るとすぐ構内踏切で島式ホームに繋がっているという構造に身延線市川大門駅を思い出しました

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江尾駅

引き続き944Dに乗車し、江尾で下車。サントリー「奧大山の天然水」の取水地としてお馴染み(?)の日野郡江府町の玄関口で、平成8年改築の駅舎は多目的施設「ちろりんハウス」との合築です。駅舎内には簡易委託の窓口があり、こじんまりとはしているものの町の玄関口らしい活気が感じられます。読みは「えのお」ではなく「えび」です

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日野郡江府町役場

江尾駅から5分ほど歩いて江府町役場へ。江府町は昭和29年に江尾町・神奈川村(現在の武庫駅周辺)・米沢村が合併して誕生した町で、役場は今ではすっかり貴重になった木造のものです。てっきり戦前のものかと思いきや昭和31年8月竣工で、コンクリの庁舎が一般的になりつつある時代の木造庁舎です。来年1月12日に新庁舎移転予定で、あとひと月足らずで64年に渡る役目を終えようとしています。

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日野郡江府町役場 東庁舎(旧日野郡神奈川村役場)

現地に行って初めて知ったのですが、隣に建つ東庁舎はなんと合併で消滅した旧神奈川村の役場を昭和40年に移築したもの。のっぺりとした見た目の建物ですが、よく見ると窓を塞いだ跡があります。昭和の大合併で消えた村の役場がよくまあ今まで残り続けてきたものです。昭和9年4月に建てられた建物ですから築86年になります。

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江府町ボランティアセンター・シルバー人材センター(旧勝部歯科醫院)

役場を見た後は江尾の市街地を散策。古そうな建物が結構多く見受けられます。その一つ、旧勝部歯科醫院は昭和2年築。ボランティアセンター・シルバー人材センターとしてしっかり活用されているのが良いですね

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945MとDD51 1186

江尾駅に戻ってしばらくすると、3番線にDD51 1186が単機でやってきました。てっきり945Mをやり過ごすのかと思いきや発車せず、結局自分の乗った828Mの到着までホームの端に停車していました。来年3月のダイヤ改正ではDD51も定期運用から引退するそうですが、この時の運用は果たして何だったのでしょうか。

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根雨駅

江尾16:39発普通新見行き828M(クモハ115-1515)に乗車し、特急待ちの停車時間を利用して、根雨駅を撮影。日野郡日野町の玄関口で、特急「やくも」も一部が停車します。駅舎は大正11年7月開業時に建てられたもので、手が加えられつつも比較的原型を留めています。駅前には日野町の役場がありますが、地方の役場としては屈指のアクセスの良さです。

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猪スタミナ定食(1700円)

終点の新見に着いた後は宿に直行し、地域共通クーポンを手に入れてから駅前の「味の庄 伯備」へ。せっかく1000円分のクーポンがあるのだから普段は二の足を踏んでしまうような値段のものを食べようと猪スタミナ定食を注文。ご飯は白米と玄米を選ぶことができ、なんとおかわり自由!猪肉をおかずに、ご飯をおかわりしてお腹いっぱいになることができました。食事が美味しいと旅は一気に楽しくなります。

予定では新見に20:54着だったので、予定を変更したおかげで食べることができたとも言えそうです。

 

12/15 粉雪の因美線駅めぐり

日本全国に大寒波が押し寄せたこの日は雪の降る鳥取で駅めぐりをしてきました。

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ルミナス号

バスタ新宿を前日21:30に出る下津井電鉄高速バスルミナス号に乗り、早朝5:48に津山駅に到着。乗客が少なかったので、他の人から離れた席にしてもらうことができ、後ろに誰もいなかったのでリクライニングを最大限倒して熟睡することができましたが、あまりの乗客の少なさに今後が心配になってしまいます。乗務員さんはとても親切で、わずかな乗客のためにもとても丁寧で詳細な放送をしてくれました

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早朝の津山駅

到着した津山駅は、津山線姫新線因美線が乗り入れる岡山県北部最大の駅。大きな木造駅舎が残っていますが、屋根が邪魔なのと暗いのとでよく分かりません。

乗車予定の因美線の次の列車は6:47なので、まだ一時間も時間があります。時刻表で見たところ、姫新線で一駅降りれそうだったので、ひとまず姫新線に乗車します。

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院庄駅

津山6:11発普通新見行き855D(キハ120-355+キハ120-353)で院庄へ。津山市の郊外にある駅で、大正12年8月開業時の木造駅舎が残っていますが、半分化されています。

空は明るくなりかけていますが、駅舎はシルエットが浮かぶばかりで、明かりの当たっていない部分はどのような感じなのかよく分かりません。本数的に車で来ることになりそうですが、また明るい時間に撮り直したいところです。

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雪を被った知和駅

院庄6:38発普通津山行き1850D(キハ47-43+キハ47-1004)で津山に戻り、6:47発普通智頭行き676D(キハ120-338)に乗り換えて智頭へ。

美作滝尾では田んぼに霜が降りている程度だったのが、三浦では淡い粉雪が舞うようになり、美作加茂では枕木が白くなる程度の積雪、そして県境に向けて高度を増すにつれて車窓の雪も多くなってきます。知和まで来るとすっかり銀世界と言う趣でした。

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智頭駅

一時間ほどで終点智頭に到着。美作加茂から先は那岐まで他に乗客が無く、県境区間の需要の少なさを思い知らされます。

智頭急行との接続駅である智頭駅は八頭郡智頭町の玄関口で、特急も全列車が停車します。智頭~鳥取間は因美線も特急が走ってそれなりに賑やかですが、智頭以南では特急は智頭急行を経由してしまうので、中国地方でも屈指の閑散路線となり、5時間近く列車がない時間帯もあります。智頭駅は御覧の通り雪の中で、雪が滅多に積もらない地域で育った身としてはテンションが上がります。

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鷹狩駅

智頭8:30発普通鳥取行き656D(キハ47-1025+キハ47-37+キハ47-3013+キハ47-1053)で鷹狩へ。用瀬町の国道沿いにある駅で、開業は昭和36年8月。開業時からのブロック造待合室がホーム上にあります。次の列車までは約一時間半、生憎長靴を持ってきてはいませんが、隣の用瀬駅まで雪中行軍します。

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用瀬の街並み

鷹狩駅を出てから15分ほどで用瀬の市街地へ。駅へ向かう前に市街地をひと廻りしていきます。平成16年に鳥取市編入された旧八頭郡用瀬町は「流しびなの里」として知られる町で、中心部には古くからの建物が多く残っています。重伝建のような整った街並みではなく、新旧の建物が入り乱れていますが、そんな自然な感じの街並みが雪を被っているのもまたいいものです。

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用瀬駅

用瀬駅の駅舎は大正8年12月20日に因美軽便線の終着駅として開業した際に建てられたもので、旧事務室にはシルバー人材センターが入居しています。今日(記事執筆日)でちょうど開業101年を迎える古い駅舎ですが、改修されつつ大事に使われている様子が見て取れます。これからも用瀬町の玄関として大事にしていってもらいたいものです。

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国英駅

用瀬10:24発普通鳥取行き731D(HOT3503)で国英へ。平成16年に鳥取市編入された旧八頭郡河原町の駅で、駅名は昭和30年の河原町成立まで存在した旧国英村に由来します。駅舎は用瀬と同じく、因美軽便線の駅として開業した大正8年12月に建てられたもの。旧事務室分が撤去されて左右対称のコンパクトな姿になっています。あまりに自然な感じの仕上げなので、もはやどちら側に事務室があったのかすらよく分かりません。駅舎の隣の木は果たしていつ頃植えられたものなのでしょうか。

つげ義春氏の漫画が原作の平成15年の映画「リアリズムの宿」の冒頭シーンに国英駅が登場するそうで、ネットにもその画像が上がっていますが、17年も前だというのにあまり今の駅と変わらないですね。

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河原駅

5分遅れてやってきた国英11:11発普通鳥取行き634D(HOT3504+HOT3505)で河原へ。駅名は平成16年に鳥取市編入された旧八頭郡河原町に由来しますが、駅自体は隣の八頭町にあります。駅舎は一見古くからの木造駅舎のように見えますが、昭和52年の火災で旧駅舎が消失した後に地元で建てたものだそうで、よく見てみると古くからの木造駅舎とは各部の造りが違っています。昭和50年代の建物なら普通はコンクリートになりそうなものですが、おそらくは地元で建てるとなった時にコンクリートでは費用が掛かるからと言ったことではないかといった事情があったのではないかと推測できます。(もし違っていたらごめんなさい)

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因幡社駅

4分遅れの河原11:25発普通上郡行き633D(HOT3503)で因幡社へ。大正12年6月の因美線智頭延伸の際に開業した駅で、駅名は昭和30年の用瀬町成立まで存在した旧八頭郡社村に由来します。駅舎は開業時に建てられたもので、事務室部分には理髪店が入居しています。理髪店の方が簡易委託の窓口で切符を売っているそうですが、昼休みなのか不在でした。駅舎から少し離れて建つ便所も開業時からのものですが、理髪店の方の清掃のおかげか、古いけれども汚くはありませんでした。

次の列車を待つ間も雪はしんしんと降り積もります。思わず「名前も知らない駅の ホームで雪を見ている・・・」と浪漫鉄道<蹉跌篇>の歌詞が頭に浮かびました。


浪漫鉄道<蹉跌篇> 谷村新司 Shinji Tanimura

まあ名前を知らない駅もなにも駅名知った上で降りてるんですけどね(笑)

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知和駅

因幡社12:40発普通智頭行き635D(HOT3505+HOT3504)と智頭12:54発普通津山行き677D(キハ120-338)を乗り継いで県境を越え、知和で下車。木造駅舎の宝庫・因美線でも屈指の木造駅舎が残る駅です。駅舎は昭和6年9月に因美南線の駅として開業した際に建てられたもので、板張りの外壁と木枠のままの窓が近代化される前の駅の姿を今に伝えています。惜しむらくはせっかく残っている木製引き戸が固定されてしまっていることで、引き戸を閉めて撮れないのが残念なのはもちろんのこと、風が駅舎内に強く吹き込んできてとても寒く冬場は列車を待てる環境ではありません。また、固定された引き戸の隙間に虫の死骸が溜まっていて美観上もよろしくありません。

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知和駅 駅舎内

素晴らしいのは外観だけではありません。無人化されるとほとんどの場合、窓口に板が打ちつけられたり固められたりしてしまうものですが、この駅の場合は窓口からチッキ台、改札ラッチに至るまで昔の姿を留めた美しい状態で残されています。

旧事務室内も美しい状態が保たれているようですが、残念ながら方谷駅のように普段から入ることはできないようです。世界遺産にしてもいいくらいの素晴らしい駅舎だと思いますが、方谷駅とどちらが素晴らしいかと聞かれたら、私は僅差で方谷駅の方が上だと答えます。引き戸さえ閉めれるなら逆転で知和駅が勝つと思いますが。ちなみにその方谷駅も所在地は同じ岡山県です。

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駅前通りから知和駅を望む

次の列車までは2時間弱、予定では隣の美作加茂まで歩く予定でしたが、あまりに駅舎が素晴らしくもっと見ていたいのと、雪がないとはいえこの寒さの中を歩きたくないのとで、次の列車まで滞在することにしました。

駅前に人家は多いとは言えませんが、駅前の目立つところに立派な民家があって、他にもちらほら建物があるので、「秘境駅」だとは思いませんでした。牛山さんもこの良い駅舎を紹介したかったのでしょうが、このレベルの駅まで秘境駅の括りに入れるのはちょっと秘境駅を大安売りしすぎなのではないかという感が否めません。列車での到達難易度はなかなかのものですが。

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土師駅

知和15:12発普通智頭行き680D(キハ120-338)で土師へ。昭和10年に智頭町に編入された旧八頭郡土師村の駅で、昭和7年7月に因美線最後の開業区間である美作河井~智頭間開業時に開設されました。かつてあった木造駅舎は平成13年2月に改築されて簡素な待合所に替わりました。締め切り不可で、この時期に列車を待つには辛そうですが、因美線の利用者数の少なさを見るに仕方のない面はあるのでしょう。

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那岐駅

粉雪舞う中を40分ほど歩いて隣の那岐へ。県境の鳥取県側にある駅で、朝に一往復だけ折り返し列車が設定されています。駅舎は昭和7年7月開業時のもので、旧事務室部分は改装されて月2回のみ診療所として使用されています。

駅名の由来は岡山県との県境に聳える那岐山で、昭和10年に智頭町に編入されるまで所在地は旧八頭郡那岐村でした。漢字は違うものの、県境を越えたところには勝田郡奈義町があります。

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那岐駅 ホームへの階段

相対式ホームは駅舎より一段高い所にあり、豪雪地帯らしく木製の屋根付き階段で結ばれています。雰囲気は満点ですが、明かりが点灯していなかったので薄暗かったです。

同じような屋根付き階段のある上越線上牧駅の場合は途中で反対ホームへの地下通路が分岐していましたが、那岐駅の場合はそんなものはなく、登りきって一旦ホームに出てから構内踏切を渡ることになります。おそらく列車の通過量の違いによるものでしょうね。

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美作河井駅

那岐16:41発普通津山行き681D(キハ120-338)で美作河井へ。県境の岡山県側にある駅で、昭和6年に因美南線の終着駅として開業しましたが、翌年早くも県境区間が開通して途中駅となっています。駅は集落から離れた高台にあり知和よりも人家が少ないのではないかと思える立地です。平成30年の1日平均乗車人員はわずか12人。そんな利用者の少ない駅ですが、智頭急行線開業前は因美線自体が岡山と鳥取を結ぶ主要路線で、列車の交換も行われていたため、駅員さんが配置されていました。

駅舎は開業時のもので、知和と同じく窓口が良い状態で残っていますが、遅くまで有人駅だったためか窓や引き戸がアルミサッシになるなど近代化されています。

ちなみに「鉄子の旅」でおなじみの横見浩彦さんが平成7年10月29日に全駅下車を達成した駅でもあります。それ以前から駅めぐりをしていた人はいたものの、これ以降の横見さんのメディア露出がきっかけとなって駅を巡る人が増えたという面は否定できないでしょう。かく言う私も駅めぐりをするようになったのは横見さんの本がきっかけの一つです。

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雪の積もった鳥取駅前

17:22発普通智頭行き684D(キハ120-359)で美作河井を後にし、智頭で18:16発普通鳥取行き745D(HOT3606+HOT3502)に乗り換えて鳥取へ。この日は鳥取駅前のホテルに宿泊しましたが、ホテルまでのわずかな距離でも雪の多さに難儀しました。翌日はさらに激しい雪に見舞われることになるのですが・・・

12/10 庁舎を求めて大隅半島をドライブ

日向・大隅ドライブ、最終日は大隅半島を中心に庁舎と近代建築を巡りました。

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曽於市大隅支所(旧曽於郡大隅町役場)

都城を7時に出発し、まずは30分ほどで曽於市大隅支所へ。起工は昭和33年3月20日、竣工は同年12月20日という古い庁舎です。平成17年に財部町・末吉町と合併して曽於市となった大隅町は昭和30年に岩川町・常吉村・月野村が合併して誕生した町で、「大隅」とだけ書くと大隅地方のどこか分かりにくいためか、道路標識などでは「大隅(岩川)」と表記されます。役場がある町の中心は岩川地区です。

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岩川駅跡付近のワフ29500

大隅町唯一の鉄道であった志布志線は役場の裏手を通っていましたが、跡地は道路になっていて岩川駅跡は何も残っていません。その代わりと言ってはなんですが、有蓋緩急車ワフ29500が2両繋げて置かれています。車番は薄れて確認できませんでした。

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志布志市松山支所(旧曽於郡松山町役場)

続いて志布志市松山支所へ。昭和44年に建てられた庁舎は窓の形が凝っていて個性的ですが、意外と建築好きや庁舎好きの間でも注目されていないようです。志布志市と言ったら話題になるのは基本的に「鹿児島県志布志市志布志志布志市役所志布志支所」のゲシュタルト崩壊ばかりですからね。

こんな建築、二度と作れないだろうし何とか建て替えられずに残ってほしいものですが。

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肝属郡南大隅町役場 旧庁舎(旧根占町役場)

大崎、東串良、鹿屋、錦江を通り過ぎて一時間半ほど走り、南大隅町役場へ。大隅半島の突端近くにある町で、錦江湾を挟んだ対岸は指宿市です。南大隅町は平成17年に根占町佐多町が合併して誕生した町で、本庁舎は根占に置かれています。合併後は昭和48年竣工の旧根占町役場を本庁舎として使用してきましたが、今年11月24日より新庁舎での業務を開始。12月1日に旧庁舎お別れ式が行われました。役目を終えてから一か月も建っていませんが、旧庁舎には早くも足場が組まれ、解体の準備が進められていました。年末近くなってから新庁舎が完成した場合、多くは新年の開始と共に新庁舎での業務を開始、旧庁舎の解体まで時間があるものなので、解体までのスピードが速いと感じました。

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肝属郡南大隅町役場 新庁舎

こちらが業務開始したばかりの新庁舎。旧庁舎が解体されて初めて全体像が見えることになるでしょう。昨年1月29日に起工、設計は畠中設計。

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旧大根占土木事務所

予定では次は吾平に向かうはずでしたが、南大隅まで来る途中、錦江町大根占で「錦江庁舎解体工事」の文字を見て気になったので立ち寄りました。解体されていた建物は旧大根占土木事務所。昭和46年4月に建てられたもので、使われなくなって久しいようです。解体工事中とはいっても建物自体はほぼ手つかずでした。

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鹿屋市吾平総合支所(旧肝属郡吾平町役場)

錦江湾に別れを告げて内陸部に戻り、吾平総合支所へ。町名の読みは「あいら」で、村だった頃は「姶良」という表記でしたが、大姶良町昭和16年に鹿屋町・花岡村と合併)や姶良郡との混同を避けるために昭和22年10月15日の町制施行時に「吾平」に表記を改めました。庁舎は昭和37年竣工の古いもので、なかなか味のある見た目をしています。正面に立っている像はおそらく神武天皇の父・ウガヤフキアエズで、吾平町の由来となった吾平山上陵に埋葬されているとの伝説があります。右手に電燈、左手に町章を印籠のごとく掲げているのが何ともシュールです。

庁舎を撮っていたら職員さんから「もしかして○○先生ですか?」と聞かれましたが、この建物について研究している先生でもいたのでしょうか。

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肝付町前田のバス転回場

次の肝付町役場へ向かう途中、鹿屋高山串良線沿いにバス廃車体が置かれているのを見つけ引き返しました。廃車体が置かれている転回場内は立入禁止で近付けなさそうでしたが、頑張れば望遠で撮れないこともなさそうです。ただ、手前に発車待ちのバスがいたため全体像は撮れず。敷地内には何やら生き物がいて、大きさ的に猫だろうと思いきや狸でした。毛づくろいをしたり餌を求めて歩き回ったり、すぐ近くに人間や車がいるのも我関せずといった感じでしたが、毛並みの悪さが痛々しかったです。人間が捨てた身体によくないゴミを食べてしまったのでしょうか。

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肝属郡肝付町役場(旧高山町役場)

しばらく待ってもバスが動きそうになかったので、いずれリベンジすることにして肝付町役場へ。肝付町は平成17年に高山町と内之浦町が合併して誕生した町で、昭和50年4月30日竣工の旧高山町役場を本庁舎として使用しています。設計は米永建築設計事務所、施工は山佐産業。築45年になりますが、内部はそれほど古そうではありませんでした。

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志布志駅

続いて志布志駅へ。予定では中心部を散策する予定でしたが、とても時間が足りなさそうなので、昼食休憩に留めました。

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串間市今町の建物

県境を越えて宮崎県に戻り、串間市今町へ。ストリートビューで見たところ古い建物が多そうだったので少し歩いてチェックしておいた建物を撮影しました。

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串間市役所

続いて串間市役所へ。昭和50年12月竣工で、時計付きの立派な見た目はさすが「市役所」という感があります。どちらかというと古い建物の方に分類されるのでしょうが、内部は最近の建物と遜色なく、まだまだ利用されていきそうです。

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ワム287592

串間から飫肥へ向けての山越えの最中、日南市大窪で道路脇にワムを発見。車番はワム287592と読み取れました。昭和56年川崎重工製で、名古屋で検査を受けたようです。

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北郷駅

飫肥を一旦通り過ぎて北郷へ。日南線駅めぐりの際、雨の夕暮れで微妙な写真しかなかった北郷駅を撮り直しました。滞在中にちょうど海幸山幸が通過。阿佐海岸鉄道ASA-301が引退した今となっては高千穂鉄道の唯一の生き残りです。

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日南市北郷町総合支所 旧庁舎(旧南那珂郡北郷町役場)

続いて北郷総合支所へ。こちらも日南線駅めぐりの際に撮影していますが、雨の夕暮れと言うことで悔いの残る結果になったのでリベンジすることに。昭和40年竣工のかっこいいモダニズム建築ですが、跡地を再開発して道の駅にする計画があるので余命は長くなさそうです。支所が移転して閉鎖されたのは平成28年12月19日ですからかれこれ4年は放置されていることになり、廃墟感も漂っています。

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鳥居下公民館

北郷の次は城下町飫肥へ。ここでは一時間ほど時間を取って散策。とは言っても城跡や博物館、武家屋敷を見ているとさすがに時間が足りないのでリストアップしておいた近代建築を中心に回ります。まずは鳥居下公民館。大正2年に旧鹿児島銀行飫肥支店として建てられた建物です。

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旧飯田医院

続いて旧飯田医院。大正11年に建てられた趣ある洋館ですが、空き家となって荒れています。修復して活用する計画もあったそうですが、続報が無く今後が心配されます。

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富田歯科醫院

富田歯科医院。建物の感じからして実はそんなに古くないのかもしれませんが、右書きの旧字体が良い感じ。

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旧梅村医院

旧梅村医院。大正14年築で、玄関の装飾が立派です。城下町らしい和風建築だけでなく洋風建築も一級のものが揃っているのは素晴らしいですが、街中に空き家がとにかく多いのが気にかかりました。

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伊比井駅

飫肥を後にし、最後に伊比井駅へ。日南線駅めぐりの際には日没後でマトモな写真が撮れなかったため再訪しましたが、今回も日没間際で前回よりマシとはいえやはり万全の状態ではありません。国道から階段を上がったところに建つコンクリ駅舎は昭和38年開業時のものです。

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ソラシドエア 64便

夕暮れの日南海岸を走って宮崎空港に戻り、車を返却してから宮崎ラーメンで夕食。19:30発ソラシドエア64便で羽田に到着したのは20:43。羽田空港20:58発エアポート急行成田行き2065K(3030-5)と品川20:27発山手線外回り2053G(モハE235-46)を乗り継いで帰宅しました。

12/9 日本一本数の少ない駅へ&廃駅と庁舎を求めて日向をドライブ

日向・大隅ドライブ旅、二日目は夜明け前の延岡からスタート。6時前に宿を出発し、暗い道を走って延岡から二駅目の日向長井へ。

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夜明け前の日向長井駅

西南戦争の際、西郷隆盛が新政府軍による包囲を突破して退却したことで知られる、可愛岳の麓にある駅です。相対式2面2線の交換駅で、駅舎はありません。

駅前は小さな集落で、郵便局もありますが、時間が時間だけにひっそりと静まり返っています。

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日向長井駅 時刻表

一見何の変哲もない駅のように見えますが、実はこの駅、「日本で最も停車本数の少ない駅」の一つなのです。日豊本線のうち大分・宮崎県境の佐伯~延岡間は列車の本数が非常に少なく、特に宗太郎・市棚・北川・日向長井・北延岡の5駅には下り列車が朝一本、上り列車が朝夕二本のみしか停車しません。列車での駅めぐりをする上での「鬼門」とも言うべきところです。今回は日向長井に車を置いて朝の列車で市棚まで往復することにします。

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始発列車で市棚へ

日向長井6:21発普通佐伯行き2760M(クハ787-5)で市棚へ。この区間を走る列車は特急用車両が間合い運用されています。4両編成のうち乗車可能なのは先頭車両だけで、乗客は他に一人だけでした。車内で切符を買いましたが、車掌さんもこんな変な区間だけ乗車する若者をさぞや不思議に思ったことでしょう。

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市棚駅

市棚に着いた時はまだ暗かったものの10分もすると明るくなってきました。県境の宮崎県側にある駅で、構内は2面3線。ここも駅舎はありませんが、代わりに公衆便所と一体化した待合所があります。駅前の集落は日向長井より若干大きく、平成30年春のダイヤ改正までは当駅で延岡方面に折り返す列車が3往復設定されていました。減便前の平成27年度の1日平均乗車人員は13人、減便は沿線住民の鉄道離れを急加速させたことでしょうね。

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一日一本の下り列車で市棚へ

下りの始発兼終電である市棚7:03発普通延岡行き2761M(クロハ786-11)で日向長井へ。乗客は普通車に学生3名とグリーン車に鉄道ファンらしきおじさん1名、日向長井で自分と入れ違いに女性と男子学生が乗車しました。一日一本の列車は学生のために存続している存在だというのがよく分かります。

2761Mは上り特急にちりん2号の通過を待って発車していきました。

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日向長井駅

すっかり明るくなった日向長井駅を撮影。駅前から高台の道路へ上がる階段を発見したので登ってみましたが、最近は使われていないのか荒れた様子でした。上から見下ろすと旧駅舎の台座部分に待合所が建てられている様子がよく分かります。

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槙峰駅

日向長井駅を後に東九州道と北方延岡道路、神話街道を40分ほど走って高千穂鉄道槙峰駅跡へ。旧北方町から日之影町に入ってすぐのところにある駅で、木造駅舎が廃止後も残っています。旧事務室部分は今も公民館として使われているようですが、待合室部分は物置となっているようです。

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槙峰駅 ホーム

レールや信号設備などは完全に撤去されているものの、ホームはほとんど手つかずで、駅名標や当時の時刻表も残っています。高千穂線は廃止されて12年になりますが、今も残っている駅が多く、また機会をつくって全線走破してみたいものです。今回はこれがメインではないので、見るのは木造駅舎の残る駅に留めました。

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網之瀬橋と高千穂線の橋梁

駅の延岡方には高千穂線のRC橋梁と大正時代に架けられた道路橋が並んでいます。気を付けて川に降りれば橋をいい感じに撮れそうですが、これも時間が無いので今回は道路から見るに留めました。

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西臼杵郡日之影町役場

続いて日之影町役場へ。川沿いのわずかな平地に開けた市街地の中に、昭和31年に建てられ、44年から47年にかけて増築された古い庁舎があります。こちらも新庁舎を建設中で、新庁舎の完成は来年1月を予定。この庁舎の余命もわずかです。

今回は槙峰駅と役場を見ただけでしたが、次来る時は日之影温泉に泊まって二日くらいかけて高千穂線の遺構を巡りたいものです。

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曽木駅

神話街道と延岡北方道路で延岡市内に戻り、曽木駅へ。昭和48年に増築された木造駅舎が残っています。こちらも旧事務室部分が公民館として使用されており、そのおかげで生きながらえているようですが、待合室部分は壁が剥がれるなど荒れた様子でした。槙峰駅とは違い、ホームの方はどこにあったのか分からないくらいに消え失せていました。比較的痕跡の残っている高千穂線ですが、延岡市内では跡地の整地が進んでいて、自治体ごとでの温度差を感じます。

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延岡市北方総合支所附属棟(旧東臼杵郡北方町役場)

予定にはありませんでしたが、続いて北方総合支所へ。平成18年2月に延岡市編入された旧北方町の役場で、かつての最寄り駅は川水流駅。北方町は全国で唯一、干支による住居表示があり、役場の住所は「北方町卯682番地」。庁舎はおそらく昭和52年の竣工で、現在は会議室等のみ使用されているようです。

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東臼杵郡門川町役場

延岡市中心部を素通りして門川町役場へ。暖色のタイルが渋い庁舎は昭和43年11月に建てられたもので、63年3月に増改築されています。庁舎前の蘇鉄はいかにも南国宮崎といった感じ。こちらもご多分に漏れず新庁舎を建設中で、完成は来年3月末を予定しています。

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旧篠原医院

役場の近くには大正10年に建てられたという旧篠原医院が残っています。廃業して久しいようですが、今も住宅として使われている様子で、状態は良好です。

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田舎家のチキン南蛮定食

日向市を素通りして都農町に入り、有名店・田舎家のチキン南蛮定食で昼食。児湯エリア一位に選ばれたこともある人気店で、冷凍用が都農町ふるさと納税返礼品になるほどの名店です。ボリュームたっぷりで、これまで食べたチキン南蛮の中で一番ジューシーでした。

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都農町役場

腹ごしらえの後は児湯郡都農町役場へ。増築を繰り返しているようですが、かなり年季の入った庁舎。古いものの耐震化されており、今のところは建て替え計画もないようです。都農町の町制施行は大正9年8月1日、今年で町制施行百年を迎えました。役場と同じ敷地内にはこれまた年季の入った中央公民館と公会堂(塩月記念館)があります。

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児湯郡川南町役場

都農町内で給油してから川南町役場へ。三本木原・白河矢吹と並んで日本三大開拓地として知られている川南開拓地の町で、役場のある中心部は「トロントロン」という変わった通称でも知られています。オーソドックスなスタイルの庁舎は昭和49年竣工。裏手で新庁舎の建設が進められています。

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旧本庄橋へのメッセージ

木城町を抜けて国富町に入り、旧高岡町へと向かう途中、架け替えの終わった本庄橋を通りました。橋というのは建物と比べると目立たず地味なのか、ひっそりと役目を終えることが多いものですが、川の両岸には「本庄橋62年間ありがとう」という看板が。地元からはかなり愛された橋であったようです。

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宮崎市高岡総合支所(旧東諸県郡高岡町役場)

川南町から一時間ほどかけて高岡総合支所へ。昭和51年2月11日竣工の庁舎は改装されて、内部には図書室も設置されています。ホールには町民から寄付されたペンギンの剥製がありました。南アフリカでのマグロ漁の際に釣り針に引っかかってしまったものだそうで、近くには水族館も動物園もありませんから、寄贈された当時はさぞかし珍しかったことでしょう。

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小林市野尻庁舎(旧西諸県郡野尻町役場)

30分ほど走って小林市野尻庁舎へ。タイルの汚れで凄味が出ている庁舎は昭和48年竣工で、平成5年増築。夜にはイルミネーションが点灯されるそうで、車寄せにプレゼントの箱が、屋上にトナカイが乗っています。

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都城市山田総合支所(旧西諸県郡山田町役場)

続いて都城市山田総合支所へ。昭和29年竣工となかなか年季の入った庁舎ですが、今年3月30日に総合支所が総合センターに移転したため、現在は使われていません。そのうち解体されてしまうのでしょうが、よくまあ令和まで生き延びたなと思えるような見た目です。昔はこんな庁舎ばかりだったのでしょうが、今ではすっかり少なくなりました。庁舎の隣には山田城本丸跡だという小高い丘があり、その頂上には戦没者忠霊塔が建てられています。

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曽於市財部支所(旧曽於郡財部町役場)

県境を越えて鹿児島県に入り、曽於市財部支所へ。財部町曽於市旧3町の中で唯一鉄道の通る町ですが、曽於市本庁舎は旧末吉町役場に置かれています。

庁舎前の改築記念碑によれば、昭和41年10月1日竣工で、設計管理は衛藤建築設計事務所、施工は山岡建設株式会社。こういう碑があると庁舎について調べている身としては助かります。設置してくれた半世紀前の財部町職員と設計事務所、建設会社に感謝。

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北諸県郡三股町役場

再び宮崎県に戻り、最後に三股町役場へ。途中、渋滞に巻き込まれましたが、何とか営業時間内に来られました。都城市街の延長上にあり、ほとんど一体化している三股町北諸県郡唯一の町。平成の大合併の際は当時郡下にあった5つの町全てでのが合併協議会が設置されましたが、三股町は早々と離脱。三股町は単独町制を施行しているので、明治の町村制施行以来一度も合併を経験していない町ということになります。

庁舎の定礎には昭和45年10月末日の文字があり、今年で築50年を迎えましたが、内部は改装されていて古さを感じさせませんでした。

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地域共通クーポンで焼き肉

宿へ向かう前に地域共通クーポンを利用し、焼肉なべしまのカルビ&ロースセットで少し早めの夕食。ご飯お代わり自由でサラダバーも付いていてお腹いっぱいになりました。実は前日の宿で6000円分ものクーポンを受け取っており、使いきれるか不安でしたが、昼食と給油、夕食、翌日分の食料調達で使い切ることができました。