まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

1/8 睦月の津山線駅めぐり

この日は18きっぷを使い、津山線の駅をめぐりました。

 

逆瀬川5:07発普通西宮北口行き2(5002)、西宮北口5:20発普通新開地行5(7588)、高速神戸5:56発直通特急山陽姫路行き9053(8250)と乗り換えてまずは山陽姫路へ。 姫路からは7:05発普通三原行き1305M(クハ115-1237)に乗って岡山へ。

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野々口駅

岡山で8:44発普通津山行き946D(キハ40-2036)に乗り換えて野々口へ。この駅が改築されると聞いたのが、津山線で駅めぐりをしようと決めたきっかけでした。

駅舎は明治31(1898)年開業時のものを平成10年ごろに改装したもので、一見それほど古そうには見えませんが、庇の造りなどを見ると紛れもなく古い駅舎です。

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備前原駅

野々口9:25発普通岡山行き2925D(キハ47-1022+キハ47-18)で備前原へ。岡山市郊外の田園地帯にあるホームだけの無人駅です。

次の普通列車までだいぶ時間があるので隣の玉柏まで歩いて向かいます。

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玉柏駅

30分ほど歩いて玉柏へ。明治31年開業時の軒庇付きの木造駅舎で、平成10年3月にコンパクト化されています。コンパクト化駅舎というのはどうしてもバランスが悪くなったり不自然になったりしがちなものですが、この駅の場合は駅舎を囲む軒庇を再現して昔の姿を保っているためそれほど違和感を感じません。

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佐良山駅

玉柏10:38発普通津山行き948D(キハ47-18+キハ47-1022)で佐良山へ。国道や工場に背を向けてひっそりと存在する駅で、待合所は平成31年3月に改築されたばかりの新しいものです。締め切り不可の簡素なものですが、以前は吹きっさらしの待合所だったそうなので両側に壁があるだけまだマシとも言えます。少なくとも和佐駅の土管みたいな駅舎に比べればまだ風がしのげる方でしょう。

ちょうど昼時だったので駅近くのコンビニで弁当を買って、待合所内で食べました。

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誕生寺駅

佐良山12:36発普通岡山行き953D(キハ40-2082+キハ40-2049)で誕生寺へ。法然上人誕生の地である誕生寺への最寄り駅で、明治31年開業時の駅舎は平成16年にリニューアルされて新築同然の姿になっています。内部に窓口の痕跡はなく、綺麗なトイレが設置されているので、何も知らずに見ればレトロ調簡易駅舎だと思ってしまいそうなほどの改装具合です。

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亀甲駅

誕生寺12:58発普通津山行き950D(キハ47-45+キハ47-1094)で亀甲へ。平成17年の合併で久米郡美咲町となった旧中央町の駅で、駅舎内には飲食店が営業しています。

平成7年8月に改築された駅舎は、駅名にちなんで亀を模したデザインをしており、甲羅風の屋根から亀の頭が津山方を向いて突き出しています。

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待合室で飼われている亀

待合室内には水槽が置かれており亀が6匹飼われています。全然動かないのでこれも置物かと最初は思いましたが、時折動いています。果たして何歳くらいの亀なんでしょうか。待合室内は掲示が賑やかで、駅に興味のない人でも楽しむことが出来そうです。

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福渡駅

亀甲13:39発快速ことぶき岡山行き3939D(キハ47-1094+キハ47-45)で福渡へ。平成19年に岡山市と合併した旧御津郡建部町の中心地にある駅で、駅舎は明治42年1月改築のものを増改築して使っています。

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小原駅

福渡14:51発普通津山行き952D(キハ40-2049+キハ40-2082)で小原へ。昭和31年に開業した線内で最も新しい駅で、駅舎はありませんが、古いながらもトイレはあります。

周辺は田畑が広がるだけの寂しい立地です。

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建部駅

小原15:24発普通岡山行き957D(キハ47-1022+キハ47-18+キハ47-69+キハ47-85)で建部へ。明治33(1900)年4月開業時の姿を今に留める築120年の木造駅舎で、平成19年には登録有形文化財に指定されています。老朽化が著しかったことから同年12月から翌年3月にかけて修復工事が行われて美しい姿を取り戻しましたが、隣に建っていた昭和28年10月築の駅員宿舎は平成27年に解体されてしまいました。

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神目駅

建部16:19発普通津山行き954D(キハ40-2043+キハ40-2006)で神目へ。駅舎は小ぶりながらも瓦屋根を乗せた立派なデザインで、てっきり誕生寺駅みたいなリニューアルされた木造駅舎かと思いきや、平成10年3月に改築された比較的新しいものです。階段の上に建っているのでなかなか風格があります。

中途半端に数駅だけ未訪問のまま残っていますが、神目17:12発普通岡山行き959D(キハ47-1094+キハ47-45)で帰途に就きます。

岡山で18:18発普通播州赤穂行き1930M(クハ111-2143)に乗り換えて播州赤穂へ。特急しおかぜからの乗り換え待ちのため、岡山を6分遅れで発車し、日生で5分遅れの対向列車を待ったので、播州赤穂には4分遅れで到着しました。

本来なら接続待ちしている新快速に乗り換えれるところなのですが、その新快速は京都線内踏切安全確認のため遅延しており、まだ相生の辺りを走っているとのことでした。

新快速は19:49に到着、行き先を姫路に変更し、播州赤穂19:30発新快速姫路行き3532M(サハ223-2099)となりましたが、すぐに折り返しとはならず、1番線に次の新快速野洲行きが到着するのを待って19:57に発車しました。

姫路には20:29着、うまい具合に接続する新快速が無いので、姫路20:30発普通米原行き838T(モハ223-2032)で加古川まで先行、加古川20:51発新快速野洲行き3536T(サハ223-2022)、尼崎21:43発快速新三田行き5535M(クハ206-1025)と乗り継いで宝塚に帰りました。幸いにも駅めぐり中には何も起きなかったものの帰路は散々な一日でした。

1/7 尾道・笠岡へ

この日は18きっぷを使って尾道・笠岡に日帰りしました。

 

逆瀬川5:07発普通西宮北口行き2(5006)、西宮北口5:20発普通新開地行5(7585)、高速神戸5:56発直通特急山陽姫路行き9053(8232)と乗り換えてまずは山陽姫路へ。

姫路からは7:05発普通三原行き1305M(クハ115-1023)に乗車してひたすら西を目指します。D-11+D-30の6両編成。途中、南風からの乗り換え待ちで遅れたものの尾道にはほぼ定刻通り到着。

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尾道駅尾道

尾道に来るのはこれが2度目。駅舎は平成31年3月に完成したもので、前回来たときはまだ駅舎改築前でした。旧駅舎もそこそこ立派でしたが、さすがに新駅舎にはかないませんね。

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尾道駅(旧駅舎)と尾道

せっかくなので前回撮った写真も貼っておきましょう。撮影は平成29年1月7日、奇しくもちょうど3年前です。定点撮影のつもりでしたが、微妙に角度がズレています。

駅裏の山にへばりつく住宅の様子は変わりませんが、尾道城は解体予定なので今度来る時には姿を消していることでしょう。

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尾道市役所新庁舎

駅から15分ほど歩いて尾道市役所へ。この日わざわざ尾道までやってきた目的の一つが、1月6日より使用開始された新庁舎と、解体予定の旧庁舎を見るためでした。

完成したばかりの新庁舎は日建設計清水建設によるもので、外観は船をイメージしているそうです。

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尾道市役所屋上

屋上には展望デッキが設けられおり、尾道水道尾道の市街地を見渡すことができます。この日は生憎の天気でしたが、晴れていればさぞかし見事なものでしょう。尾道市の新しい名所になりそうです。

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尾道市役所旧庁舎

新庁舎の隣に建つのは昭和35年に竣工した旧庁舎。京大建築学科の教授で、モダニズム建築家として有名だった増田友也の代表作の一つです。昨年末限りで役目を終え、早くも解体が始まっており、このまま消えていくことのは残念ですが、せめて消える前に見ることができてよかったと思います。欲を言えば中も見たかったのですが。

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尾道ラーメン 壱番館で昼食

市役所を見た後は駅からの道中で気になっていた尾道ラーメン壱番館のラーメンで昼食を取りました。この後、尾道城への坂道を登らねばならないので栄養を補給しておかなければなりません。

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坂の途中から街を見下ろす

昼食の後は坂を上って尾道城を目指します。坂道の急さは半端ではなく、目白台なんて目じゃありません。振り返ってみればテレビなんかでもよく紹介される「ザ・尾道」といった感じの景色。土堂小学校は明治33年に開校した歴史ある小学校で、多くの作品に登場しています。

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尾道城がようやく見えてきた

急坂を登ること5分、ようやく尾道城が見えてきました。尾道城は昭和39年に「全国城の博物館尾道城」として弘前城天守閣を模して建てられたもので、平成4年の閉館後は放置されて廃墟化していました。尾道の景観の中で目立つシンボルのような存在でしたが、この地に城が存在したという歴史がないことからしばしば批判の的となってきました。

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展望台から見た尾道

30年近くに渡って放置されてきたこともあって老朽化しているようで、1月中にも解体工事が始まるようです。その後半生は廃墟だったとはいえ56年もの間存在した模擬天守は今まさに消えようとしています。尾道水道をバックに撮るとすごく映えるのですが、こうして撮るのもこれが最初で最後でしょう。

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尾道駅北口

尾道城を撮ってから山を下り、尾道駅から12:48発普通福山行き4410M(クモハ115-321)と福山13:11発普通岡山行き5746M(クモハ115-1501)を乗り継いで笠岡へ。

今度尾道へ来る時は泊りで来て隅々まで堪能したいと思います。

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笠岡港の風景

笠岡に来るのもちょうど3年ぶりですが、前回来たときはバスを撮るのがメインで、街並みはそこまで見れなかったので、今回は以前見なかったエリアを中心に歩いてみます。

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井笠鉄道ホジ9

駅裏手、陸橋の下の小さな公園に井笠鉄道ホジ9が保存されています。昭和46年に廃止された井笠鉄道で使用されてきたナローゲージ用の気動車で、保存会によって整備されていますが、窓ガラスとライトが失われています。

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笠岡市役所

壱時間ほど市街地を散策し、最後に笠岡市役所へ。昭和30年に竣工した古い庁舎ですが、今のところ建て替え計画はないようです。裏手には旧笠岡町庁舎が市議会議事堂として残っています。

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庭瀬駅

笠岡駅に戻り、15:02発普通播州赤穂行き426M(クハ115-1102)に乗車。姫路へは一本後の列車に乗っても同じ時間に着くので、庭瀬で下車。せっかく遠出するのだから一駅くらい訪問駅を増やして帰りたいと思ってこの駅を選びました。駅舎は昭和61年3月改築されたもので、無人化によって内部は寂しげです。

 

庭瀬16:02発普通相生行き5756M(クハ115-1111)で相生へ。8分遅れの17:19発普通姫路行き974M(クモハ225-8)に乗り換えて姫路へ。姫路には7分遅れて到着、17:56発新快速米原行き3514M(クモハ223-3010)、尼崎18:58発快速宝塚行き5513M(クハ206-1063)を乗り継いで宝塚へと帰りました。

1/6 各務原市役所を見てから桃花台線廃線跡へ

この日は18きっぷを使って中京圏へと日帰りしました。

 

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那加駅

宝塚を5:24発普通木津行き4414M(クモハ321-32)で出発し、尼崎5:46発普通京都行き100C(クモハ321-29)、大阪5:54発快速米原行き700M(クモハ223-2055)、米原8:03発普通大垣行き200F(クモハ313-15)、大垣8:40発新快速豊橋行き2316F(クモハ313-5012)、岐阜9:08発普通多治見行き711D(キハ75-3406)を乗り継いで那加へ。

この駅に来るのは実に5年半ぶりですが、駅舎が建て替えられたりしたわけでもないので、特に変わったようには見えません。

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各務原市役所

那加駅から15分ほど歩いて各務原市役所へ。名鉄各務原線の2駅分を歩いたことになりますが、駅間が短いので大した距離ではありません。

現在建て替え工事中の 市役所は昭和48年3月に完成したものです。「各務原」という地名には4通りの読み方があり、市名は「かかみがはら」ですが、私は調べてみるまでずっと「かがみはら」だと思っていました。まあどの読み方が正しいというものでもないようですが。

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各務原市役所前駅

市役所を見た後は各務原市役所前駅から名鉄各務原線に乗車します。各務原市の代表駅ですが無人で、駅舎はホームごとに分かれています。上りホーム側の南駅舎は平成19年3月、下りホーム側の北駅舎は平成20年12月と名鉄の簡易駅舎の中では割と初期のものなので駅舎のデザインもなかなか凝っています。

開業時は「一聯隊前(いちれんたいまえ)」を名乗っており、その後、各務原(かがみはら)運動場前→運動場前→各務原(かがみはら)飛行場前→各務原(かかみがはら)飛行場前→各務原(かがみはら)市役所前と何度も改称を重ねています。

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小牧原駅ホーム

各務原市役所前9:59発急行犬山行き964(3522)と犬山10:27発普通平安通行き1027(317)を乗り継いで名鉄小牧線の小牧原へ。単式ホームの高架駅で、ホームの真上を平成18年に廃止された桃花台新交通の高架が跨いでいます。

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桃花台新交通 小牧駅

名鉄小牧原駅に隣接する桃花台新交通の小牧原駅は平成3年に開業したもので、廃止までわずか15年と短命な駅でした。一応乗り換えることは可能だったようですが、果たしてこの駅で乗り換える人がどれほどいたのでしょうか。

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東田中駅

桃花台新交通の高架に沿って国道155号を9分ほど歩き、隣の東田中駅へ。殺風景な主要道を歩いたので体感時間が随分と長く感じられました。

わずか15年で廃止になったからというのもあるのでしょうが、東田中駅の周辺はあまり開発が進んでおらず、古い民家や寺院や更地が目立ちます。あまり新交通システムの駅前という感じはしませんでした。

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上末駅跡

18分ほど歩いて上末駅へ。田園地帯の中にあった駅で、周辺には工場と廃止後にできたコンビニくらいしかありません。途中駅周辺の開発が進まなかったのも桃花台線が廃止に追い込まれる一因となったのでしょう。

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上末を過ぎると上り坂に

上末駅を過ぎると国道155号は丘陵地帯へと入り、上り坂にかかります。竹藪が残ってるところなんかは千里ニュータウンっぽい感じですが、千里ほど発展してはいないようです。

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進路をを北へ

坂を上りきるといよいよ桃花台ニュータウン。高架は国道155号線と別れて進路を北へ変え、今度は県道453号明治村小牧線に寄り添うようになります。

家も増えてきましたが、昭和末期から平成初期に建てられたと思われるものが多く、少し古めのニュータウンといった趣です。神戸市北区とか猪名川町辺りにありそうな感じ。

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桃花台西駅

ニュータウンに入って最初の駅・桃花台西はこれまでの駅と比べると駅前が広く取られています。駅前には商業施設があるものの営業している店はわずかで、閑散としていました。駅自体も忘れられた感じで、巨大な廃墟と化しています。

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池を越えて桃花台の中心部へ

 桃花台西を出た高架は篠岡交差点で大きく右に曲がり、桃花台西公園の池をかすめて桃花台の中心部へと入っていきます。

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地下の桃花台センターへ

桃花台の中心部にあった桃花台センター駅は、線内唯一の地下駅で、隣接してショッピングセンター「ピアーレ」があります。

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桃花台センター駅 駅舎

地上部分にある駅舎は白タイルのシンプルなもので、いかにも平成初期のものといった雰囲気。駅前のロータリーには巡回バスが発着しています。

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途切れた高架

桃花台センターを出てしばらくは地形の都合で地下を走っていた桃花台線桃花台中央公園の傍を走る辺りでまた地上に出て高架を走るようになります。

ずっと続いてきた高架が撤去されて途切れている地点まで来れば終点・桃花台東駅はもうすぐ。

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まもなく撤去される桃花台東駅

桃花台の東南の外れにあった桃花台東駅は既に撤去工事が始まっており、両端の高架が撤去されて孤島のようになっていました。駅前にはマンションが何棟か建っており、それなりに人は住んでいそうですが、ここからならわざわざ小牧に出て不便な名鉄小牧線に乗り換えるよりもバスで春日井や高蔵寺に出る方が便利でしょうから、あまり使う人もいなかったのでしょう。

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折返しのためのループ線

桃花台線の特徴の一つだったのが折り返しのためのループ線で、全国的に見てもここと埼玉のニューシャトルくらいでしょう。ただしニューシャトルのものは周りに障害物が多すぎて撮りづらいので、はっきりと形が分かるループはここだけということになります。おそらく駅の撤去後にこちらも撤去されてしまうのでしょうが、二度と同じようなものがこの国で造られることはないでしょうね。

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バスで春日井駅

桃花台東駅を撮影した後は駅前ロータリーから13:35発の名鉄バス春日井駅へ。確かに便利で、これはみんな桃花台線乗らずにバスで春日井に出るよねと納得、廃止もやむを得ないなと思ってしまいました。春日井~桃花台で鉄道を引けばまだ可能性はあったのかもしれませんが。

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春日井駅南口

春日井市の代表駅であるJR春日井駅は、昭和2年に「鳥居松」として開業した駅で、昭和21年に改称されています。名鉄春日井駅とは大きく離れていますが、元々別の駅名だったというのを知ればそれも納得です。かつては北口と南口それぞれに駅舎がありましたが、平成28年10月に橋上化が完成し、改札口は橋上の一か所に統合されました。

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垂井駅南口

春日井からは14:19発普通名古屋行き150M(クハ210-5135)、名古屋14:45発新快速大垣行き2325F(クハ312-5005)、大垣15:37発普通米原行き239F(クハ312-5001)を乗り継いで垂井へ。不破郡垂井町の玄関口で、平成7年3月に橋上化されています。

垂井は中山道57番目の宿場町として栄えた町で、町内の寺に墓所があることから、駅前に戦国武将・竹中半兵衛の座像が建てられています。

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不破郡垂井町役場

駅から5分ほど歩いて垂井町役場旧庁舎へ。昭和41年10月に竣工した古い庁舎で、昨年9月17日より新庁舎の使用が開始されたことにより今は空き家となっています。

解体工事などはまだ始まっていませんでしたが、築50年越えの耐震性の低い庁舎を何かに転用するとも思えないのでいずれは解体されるのでしょう。

 

日没まではまだ時間がありますが、翌日も朝早くから出かける予定なので、垂井16:17発普通米原行き241F(クハ312-5011)、米原16:47発新快速姫路行き3503M(サハ223-2184)、米原18:32発丹波路快速福知山行き2759M(クハ222-6113)を乗り継いで宝塚へと帰りました。

1/4 新春姫新線駅めぐり

和歌山の祖母の家から宝塚の実家に帰ってきた翌日は姫新線の兵庫・岡山県区間へ。

 

逆瀬川を5:07発普通西宮北口行き2(5010)で出発し、西宮北口5:20発普通新開地行き5(7586)、高速神戸5:56発直通特急山陽姫路行き9053(8230)と乗り換えて山陽姫路へ。岡山方面へ行くときによく使っていたこのルートを使うのも久しぶりです。

 

姫路からは7:05発普通三原行き1305M(クハ115-1067)に乗車。

D-02+D-18の6両編成です。

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佐用駅ホーム

上郡で7:51発智頭急行線普通大原行き729D(HOT3521)に乗り換えて佐用へ。前回智頭急行に乗ったのは幼稚園の頃の三朝温泉への旅行の時ですから、実に15年ぶりの乗車ということになります。

佐用へ行くなら智頭急行ではなく姫新線を使う方が18きっぷで乗れて余計な出費もないのですが、佐用からの津山行きに接続するちょうどいい時間の列車が無いので智頭急行を使うことにしました。

 

佐用からは8:32発普通津山行き2825D(キハ120-342)に乗車。佐用発車時に「おはようございます。本年もJR西日本姫新線のご利用をよろしくお願いいたします」と運転士さんによる放送がありました。

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西勝間田駅

9:17着の西勝間田で下車。本数が少ないからか、降りる時に運転士さんが「列車の時間に気を付けてね」と声をかけてくれました。確かに西勝間田はただでさえ本数の多くないこの区間の駅の中でも特に本数が少なく、一日3往復ある快速はいずれも当駅に停車しません。次に津山方面からやってくる列車は当駅には停車しない快速なので、歩いて美作大崎まで向かい、そこから乗車します。

さて、この西勝間田駅ですが、google検索に駅名を打ちこむと「異様」だの「不吉」だのが予測に出てくるものの、いくら調べても詳細が分かりませんでした。

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美作大崎駅

25分ほど歩いて勝田郡勝央町から津山市に入り、美作大崎へ。ブロック造りの待合所があるだけの駅ですが、かつては有人駅で駅舎もあったそうです。

駅から見えるところに福力荒神社がありますが、近くに踏切が無いので迂回せねばならず歩いていくとなると見た目以上に遠そうです。

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美作土居駅

美作大崎10:09発快速佐用行き2826D(キハ120-342)で美作土居へ。県境の岡山県側にある駅で、昭和11年4月開業時に建てられた木造駅舎が残っています。駅舎内にはタクシー会社が入居しており、その社員の方が窓口業務を行っています。

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土居の街並み

駅のある美作市土居(旧英田郡作東町、昭和28年まで土居町)は、出雲街道土居宿として栄えたところで、駅前には惣門が復元されています。江戸時代には美作と播磨の国境ということで重要な宿場だったようです。

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勝間田駅

美作土居11:22発普通津山行き2827D(キハ120-342)で勝間田へ。勝田郡勝央町の中心部にある駅で、昭和9年11月開業時に建てられた木造駅舎が現役ですが、老朽化により建て替えられる予定です。駅舎内には旅行会社が入居しており、窓口業務はそちらに委託されていますが、この日はお休みでした。

この日姫新線の駅を巡ろうと思ったのは改築予定のこの駅を見るためでしたが、残念ながら晴天で見事に逆光。雨男にはなりたくありませんが、こういう時晴れられると辛いものです。太陽に雲がかかった一瞬を狙って撮ってみましたが、満足いく出来にはならなかったので、建て替えまでにリベンジしたいと思います。

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美作江見駅

勝間田12:35発普通佐用行き2828D(キハ120-355)で美作江見へ。昭和9年11月に姫津西線の終着駅として開業した駅で、昭和11年4月に姫路~佐用の姫津東線と繋がったことで途中駅となりました。開業時に建てられた木造駅舎は、トイレこそ増築されているものの昔の姿をよく留めており、入口とホーム側それぞれに木製引き戸が現存しています。ただし建付けが悪くなっているので開閉の際はご注意を。

その雰囲気の良さからロケに使われることも多く、美作市出身の作家・あさのあつこ氏原作のドラマ「バッテリー」に新田駅として登場したほか、平成24年には第一生命のCMにそのままの駅名で登場しました。

平成17年の合併で美作市となった旧英田郡作東町の役場最寄り駅で、昭和28年の作東町成立までは江見町でした。

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林野駅

美作江見13:46発普通津山行き2829D(キハ120-355)で林野へ。美作市の代表駅で、平成17年の合併前は英田郡美作町の玄関口でした。駅名は昭和28年の美作町成立前の町名・林野町から来ています。駅舎は市の代表駅らしく堂々とした木造駅舎ですが、島式ホームは片面が撤去されているため列車交換はできません。駅舎内には旅行代理店が入居しており、窓口業務を行っています。

「はやしの」が「はようしぬ」に通じることから、戦時中に徴兵されたこの地の人々は縁起を担いで隣の勝間田駅から出征していったというエピソードを「JR・私鉄全線全駅各駅停車」で中学時代に読んで印象に残っていました。

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林野駅前バス乗り場

駅前通りを突き当たったところにはやたら年季の入ったバスのりばがあります。このようなバスターミナルもかつては至る所にあったのでしょうけど、今ではなかなか出会えなくなってしまいました。

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上月駅

林野14:54発普通佐用行き2830D(キハ120-355)で上月へ。県境の兵庫県側にある駅で、姫路・佐用方面からの折り返し列車が一日7往復、津山方面からの折り返し列車が一日2往復設定されています。平成17年の合併で佐用郡佐用町となった旧上月町の駅で、駅近くには上月氏が築いた上月城跡があります。

駅舎は平成8年に改築されたもので、特産物直売所「ふれあいの里上月」との合築になっています。直売所が休みだったので、明かりも灯っておらず寂しげな雰囲気でした。

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楢原駅

上月16:10発普通津山行き2831D(キハ120-355)で楢原へ。昭和29年10月に開業したホームと待合所だけの無人駅で、駅前に大きな池が、駅裏に工場があります。

寂しげな雰囲気で、快速のうち2往復は停車しませんが、それでもデータを見る限り一日20人以上の利用はあるようです。

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佐用に到着した2832D

楢原16:57発普通佐用行き2832D(キハ120-330)で佐用へ。佐用17:34発普通播磨新宮行き3872D(キハ122-2)、播磨新宮18:11発普通姫路行き1872D(キハ127-1006)、姫路18:56発新快速長浜行き3322M(サハ223-2144)、尼崎19:58発快速宝塚行き5521M(モハ320-32)と乗り継いで宝塚へと帰りました。

1/2 新春紀南駅めぐり

令和2(2020)年最初の駅めぐりは紀勢本線へ。昨年末に改築の情報を得ていた和深駅・田並駅・湯浅駅の現状を確認するとともにその周辺の未訪問駅を巡りました。

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普通紀伊田辺行き321M

紀三井寺を6:12発普通紀伊田辺行き321M(クモハ112-2060)で出発。ところが、上の写真を撮る時にカメラの容量が無いことに気付いたので、車内で昔の画像を消去しようとしたところ、すぐに電源が落ちてしまって消せないことが発覚。まあ要するにカメラの不調ですが、SDカードさえ買えばとりあえずはなんとかなりそうです。SDカードはコンビニで買えるそうなので、この日降りる駅だとどこにあるか調べてみると江住駅前にあることが分かりました。本数的に江住を最初の下車駅にすると予定が狂ってしまうので、江住までの下車駅はスマホで撮影していくことにします。

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田子駅

紀伊田辺で7:51発普通新宮行き2329M(クモハ105-6)に乗り換えてさらに1時間20分揺られ続け、9:10着の田子で下車。昭和29年に開業したこの辺では珍しい戦後生まれの駅で、国道に背を向けてひっそりと存在しています。

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和深海岸

海沿いの集落を抜けて50分ほど歩き、和深駅裏手の和深海岸へ。犬を砂浜で遊ばせていた地元のお兄ちゃん曰く、以前は沖の岩の所まで歩いて行けたそうですが、台風で砂州が崩れて行けなくなってしまったとのこと。

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改築工事中の和深

海岸の近くにある和深駅は昨年11月12日より改築工事中。昭和15年開業時に建てられた木造駅舎を見れなかったのが悔やまれます。新駅舎は今年3月に完成予定とのことですが、簡易ながらも和佐駅の土管よりはまだしっかりとしたものになりそうです。

とはいえ、ホームに上屋も無いのに改築中に仮待合室を設置しないのはどうなんでしょうか。

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江住駅

和深10:49発普通紀伊田辺行き2328M(クハ104-8)で江住へ。駅舎を撮る前にまずは駅前のローソンへ走り、8GBのSDカードを購入、待合室でカメラに入れてから撮影を開始します。和深と比べると規模の大きい集落にある江住駅は、昭和13年9月に周参見から伸びてきた紀勢西線の終着駅として開業した駅で、昭和15年8月に串本まで延伸して紀勢中線とつながるまでの2年間、終着駅でした。駅舎内には本棚が置かれ、俳句が飾られるなど、地元の人から愛されているようですが、近隣の2駅が改築された今となってはこの駅もいつまで残るか不安になります。1日の利用客は15人ほどだそうですが、もし改築するとしても雨風もろくにしのげないようなものにはしないでもらいたいものです。

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田並駅

江住11:41発普通新宮行き2331M(クモハ105-28)で田並へ。昨年12月7日より改築工事中で、駅舎はまだ残っていましたが、防音壁で囲まれていました。駅舎の解体に時間がかかっているのはアスベスト処理のためのようですが、和深にはアスベストがなくて田並にはあるなんてことが果たしてあるのでしょうか。

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田並劇場

駅前にはこんな古い建物が。公民館か何かかと思いきや、昭和20年代に有志によって建てられた劇場だそうです。昭和40年代には劇場として使われなくなり、近年は廃墟化していましたが、平成27年クラウドファンディングによって修繕され、イベントなどで使われているそうです。機会があれば中を見てみたいですね。

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切目駅

田並13:05発普通紀伊田辺行き2330M(クハ104-27)と紀伊田辺14:23発普通御坊行き2360M(クモハ113-2060)を乗り継いで切目へ。昭和6年9月の紀勢西線印南~切目間開業時に開業した駅で、昨年9月にリニューアルされました。熊野古道の社殿をイメージした外観になり、とても90年近い齢を感じさせません。これから時を経ていい感じに周囲に馴染んでいくのでしょう。設計・管理は御坊市の大谷建築設計事務所、施工は印南町の雅工業。古い駅舎の再生の好例として他の駅にも波及してほしいものです。

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切目駅待合室(旧事務室部分)

リニューアルに当たっては、昨年4月の無人化で使われなくなった旧事務室が多目的スペースに、旧宿直室が靴を脱いでくつろげるスペースに改装されました。

くつろげるスペースは早くも不届きものに汚されて茶色い染みができていましたが・・・。汚したのならせめて片付けくらいしていってもらいたいものです。

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湯浅駅 新駅舎

切目15:52発普通御坊行き2362M(クモハ113-2058)と御坊16:32発普通和歌山行き376M(クモハ223-2514)を乗り継いで湯浅へ。昨年12月21日の新駅舎使用開始と共に無人化されていますが、新通路への誘導とみどりの券売機プラスの使い方説明のために駅員さんが2名おられました。囲いが取れて新駅舎の姿を拝めるのはいつになるのでしょうか。

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役目を終えた旧駅舎

役目を終えて2週間ほどの旧駅舎は未だ健在。昭和2年8月開業時から92年間使われた駅舎で、急角度の屋根とハーフティンバー様式の壁が特徴でした。地元のおじさんも撮影されていたので、やはり長きに渡って愛された駅舎であったようです。

 

湯浅駅を撮っているうちに日が暮れ、16:50発普通和歌山行き378M(クモハ225-5003)で紀三井寺への帰途につきました。

12/27 長野電鉄屋代線廃駅巡り

湯田中に泊まった翌日は鉄研の先輩の運転する車で、平成24年に廃止された屋代線の廃駅を巡りました。

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長野電鉄須坂車庫

天気は生憎の雨。まずは屋代線の分岐駅だった須坂駅で駅裏手の車庫などを撮影。現役の車両のほか、引退した3500系O2編成も留置中でした。

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井上駅

須坂を出て一駅目の井上駅跡には説明板がまるで墓標のように立っていました。昭和47年までは有人駅でしたが、廃止時点ではホームと待合室だけの無人駅でした。

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綿内駅跡

次の綿内駅は廃止まで駅舎が残っていた駅の一つで、今なお大正11(1922)年開業時に建てられた木造駅舎がバス待合室として残っています。廃止時点では駅舎内に学習塾が入居していましたが、いつの間にか撤退したようで、旧事務室は物置と化しています。窓ガラスが消失するなど荒れてきているので今後が気にかかるところです。ホームは駅舎側の1番線を除き更地と化していました。

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若穂駅跡

昭和41年7月開業の若穂駅はホームと待合室だけの無人駅で、跡地はサイクリングロードに転用されています。昭和34年4月から41年10月まで存在した旧上高井郡若穂町の役場最寄り駅でした。「若穂(わかほ)」とは「綿内(たうち)」「川田(わた)」「保科(しな)」の頭文字を取った合成地名でした。

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信濃川田

大正11年6月開業時の駅舎が廃止まで使われていた信濃川田駅は今も駅舎が残っています。現役当時は相対式ホームの交換可能駅で、側線もありましたが、今では駅舎側一番ホームのみ線路が残っています。

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廃止前日の信濃川田

廃止前日(平成24年3月30日)に撮った写真と見比べてみると屋根の色が変わっているのと全体的に修繕されて綺麗になっているのが分かります。現役の頃よりも廃止されてからの方が綺麗というのはなんとも皮肉なもんです。

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モハ1003のカットボディ

廃止時点では駅跡を鉄道公園として整備する計画があったことから多数の車両が保存前提で留置されていました。その後、計画が頓挫したことにより、それらの車両は他の場所へ移設保存されるなり解体されるなりの措置が取られています。解体された車両のうちモハ1003だけはカットボディが今も駅構内に置かれていますが、ずっとブルーシートを被せられたままで、今後公開されるのかどうかは不明です。

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大室駅

昭和26年11月に開業した大室駅は、カーブしたホームと待合室だけの無人駅でした。跡地は更地になっていますが、土地の不自然な形状でなんとなく駅のあった場所が類推できます。

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金井山駅跡

かつては相対式ホームと貨物側線を持つ大きな駅だった金井山駅は、廃止時点ではホームと待合室だけの無人駅でした。駅跡は駐車場になっており、ホームの石積みが残っています。

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松代駅

2面3線と留置線を持つ線内最大の駅だった松代駅は、廃止まで有人駅でした。大正11年開業時に建てられた木造駅舎は綿内、信濃川田と似たデザインでしたが、一回り大きく主要駅らしい風格を見せていました。駅舎と一番ホームは残っているものの、構内は整地されて松代城址の駐車場になっています。

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廃止当日の松代駅

廃止当日の写真と比べてみると駅名表示が消えた以外はほとんど変わっていません。それにしても改めて見返してみるとすごい人出ですね。廃止当日の鉄道に乗りに行ったのはこれが最初で最後でした。

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山口駅

昭和9年開業の象山口駅は、昭和46年までは有人駅でした。廃止時点ではホームと待合室だけの無人駅で、駅跡は更地になっています。

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岩野駅跡

山の麓にあった岩野駅も昭和47年までは有人駅でした。大正11年開業時の駅舎は無人化後に建て替えられて簡素なものに変わっていましたが、廃止後に解体されて跡形もありません。

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雨宮駅

開業時は相対式ホームの交換可能駅だった雨宮駅は平成3年まで有人駅でした。廃止時点ではホームと待合室だけの無人駅でしたが、旧ホームが残っていました。駅跡は廃止後に更地となり、「雨宮駅前駐輪場」のみが姿を留めます。更地の広さからしてかつては相当大きな駅だったようです。

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屋代駅

民家のような駅舎で近隣住民が改札を行っていた東屋代駅は、廃止まで木造駅舎が残っていた駅のなかで唯一駅舎が解体されています。住宅街の中にひっそりとあった駅で、駅舎は跡形もありません。

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屋代駅

しなの鉄道(旧信越本線)との接続駅だった屋代駅は、廃止時点では島式ホームの片面の5番線のみを使用していました。ホームと跨線橋、側線は残っているものの、5番線とホーム上屋は撤去されて、駅跡はセンダングサに覆われています。

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善光寺

屋代線廃駅巡りを終えた後は、ゆいが総本店で昼食を取ってから長野駅で他のメンバーと別れ、雪の中を善光寺へ。粉雪ちらつく中でも外国人観光客が多く参拝に来ていました。

 

その後、長野駅構内でしなの鉄道115系を中心に撮影をしてから23時発Willer ExpresssH5652便で帰途につきました。

12/26 年末の長野電鉄駅めぐり

令和元年最後の旅は長野へ。鉄研の企画で長野電鉄の特急「ゆけむり」の先頭車を貸切ることになったので、そのついでに長野電鉄の駅を巡っていきます。

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始発前の長野電鉄長野駅

大崎駅西口を0:10に出発したWiller Express H5551便がまだ暗い長野駅東口に到着したのは5:11。地下にある長野電鉄の駅はまだ開いてすらいませんでした。

5:35に改札口のシャッターが上がったので、あらかじめ予約しておいた一日乗車券を購入。始発の6:15発普通信州中野行き13(8502)に乗り込んで終点信州中野へと向かいます。

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信濃竹原駅

信州中野で7:14発普通湯田中行き15(3508)に乗り換えて信濃竹原で下車。信州中野以遠では唯一の交換可能駅で、昭和2年4月開業時に建てられた木造駅舎が残っていますが、封鎖されて立ち入ることはできません。中を覗くと窓口上には平成9年4月1日改正の運賃表が掲げられていました。

それほど大きな駅ではないものの、構内には貨物ホーム跡や保線小屋か職員宿舎と思しき木造の小屋が残っています。

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中野松川駅

信濃竹原7:51発普通信州中野行き30(3518)で中野松川へ。中野市街の外れにある駅で、信濃竹原と似た形状の木造駅舎が残っていますが、だいぶ改装の手が加えられています。とはいえJRのやってるような駅舎リニューアルに比べれば全然原型を留めていますし、これくらい駅ごとの差異があった方が見る楽しみもあるというものです。

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上条駅

中野松川8:13発普通湯田中行き23(3508)で上条へ。りんご畑と高社山を望む線内でも屈指の景色のいい駅です。かつては駅舎のある有人駅だったそうですが、今ではホーム上に待合室があるのみ。

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北須坂駅

上条8:40発普通信州中野行き38(3518)と信州中野9:02発普通長野行き42(8516)を乗り継いで北須坂へ。大正12年に「豊洲」駅として開業し、戦時中に休止、昭和35年に「北須坂」駅として復活、同39年には有人化され、平成6年には駅舎改築と交換駅化が完成したものの、平成19年に無人化され、その後交換設備も撤去されたという波乱万丈の生涯を送ってきた駅です。駅舎もホームも新しめなだけに撤去された1番線の跡が何とも痛々しく感じられます。

 

北須坂からは9:28発普通信州中野行き37(8503)に乗車。延徳に降りる予定でしたが、バスでの睡眠不足と暖房のよく効いた車内という条件が重なり乗り過ごして信州中野まで行ってしまいました。

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桜沢駅

信州中野9:49発普通長野行き48(8512)で折り返し桜沢で下車。山の麓の集落にある島式ホームの交換可能駅で、側線には事業用車が留置されています。駅舎は古いんだか新しいんだかよくわからないデザインで、改築年は不明。なんとなく昭和の終わりから平成初めくらいじゃないかという気がしますが。

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須坂駅

桜沢10:19発普通長野行き52(8513)で須坂へ。須坂市の代表駅で、車両基地や常務区もある長野電鉄の中枢ともいうべき駅です。駅舎は昭和50年12月に改築されたもので、改札口や待合室は2階にあります。平成24年3月末までは屋代線が分岐していました。

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須坂市役所

駅から10分ほど歩いて須坂市役所へ。昭和39年に建てられた古い庁舎ですが、耐震改修済みなので当分そのままで使われそうです。この手の市役所では珍しく展望台が開放されており、市内を一望することができます。

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村山駅

須坂駅に戻り、11:49発普通長野行き60(3518)で村山へ。千曲川須坂市側にある島式ホームの交換可能駅で、昭和28年の交換駅化に伴う移転時に建てられた木造駅舎が残っています。入口上の駅名表示が傾いているのはわざとなんでしょうか。

一部のサッシがアルミに交換されてはいるものの、扉は木製のままでなかなか状態よく残っています。惜しむらくは駅前が狭く、構図が限られることでしょうか。

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朝陽駅

村山12:19発普通長野行き62(8511)で朝陽へ。複線区間と単線区間の境目にある駅で、B特急が停車します。一日の利用客は1000人を越え、駅員も配置されています。

駅舎は古い木造のものですが、利用実態を反映してか少し大きめで、駅舎内を経由せずともホームに行けるよう、上屋の下に改札口が設けられています。

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幻庵の中華そば

駅めぐりは朝陽で終了し、12:54発普通長野行き64(8512)で長野へ。待ち合わせていた鉄研の友人たちと合流し、長野駅近くの幻庵で昼食としました。煮干しスープがおいしかったです。

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貸切を知らせる表示

先輩と共に駅前でしばらくバスを撮ってから再び長野電鉄の駅へ。15:33発A特急ゆけむり湯田中行き87(1002)の先頭車を貸切って湯田中へと向かいます。

一番前の席を巡って争奪戦が起きるかと思いきや普通に座ってかぶりつくことができました。最後の方はオタクたちの吐息で前面の窓ガラスが曇っていたのですけれども

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湯田中に到着

16:20 湯田中着。本当にあっという間でちょっと物足りない感じもしましたが、企画してくれた鉄研の某友人と企画を受け入れてくださった長野電鉄さんに感謝です。

この日は湯田中温泉のホテル水明館に宿泊しました。