まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

2/16 消えゆく建築を求めて岡山をドライブ

この日は岡山県内の消えゆく建築を中心に記録して回りました。

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オリオンバス7041便

バスタ新宿を21:15発オリオンバス7041便で出発し、岡山駅に到着したのは翌朝6:21

営業所が開く時間を待って車を借り、まずは岡山市から南へ向けてスタート。

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平田釣具店・三蟠鉄道資料館(旧三蟠鉄道三蟠駅)

まずは岡山市中区江並の平田釣具店へ。大正4年から昭和6年までわずか16年しか営業していなかった軽便鉄道の起点・三蟠駅の駅舎を転用したもので、ショーウィンドウには三蟠鉄道に関する資料が展示されています。

この駅舎については大正12年に廃止となった桜橋駅の駅舎を移設したものだという説がありますが、三蟠鉄道についてはいかんせん資料が少ないので詳細はよく分かりません。

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三蟠鉄道の起点

裏手には三蟠鉄道の起点が復元されていますが、民家の敷地内のような感じで近付いていいのか判断に迷うところです。

三蟠鉄道は岡山市街に近く、路面電車と接続していた国清寺ではなく外港であった三蟠側を起点としていました。

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岡山市児島地域センター(旧児島郡甲浦村役場)

児島湾大橋を渡って児島地区に入り、地域センターへ。この児島は有名な倉敷市の児島とは別の場所です。地域センターは昭和27年に岡山市編入されて消滅した旧児島郡甲浦(こううら)村役場を転用したもので、昭和6年築。ギャンブレル屋根が特徴の美しい建物ですが、老朽化による建て替え工事が進行中で、ほどなく姿を消します。

建て替え前になんとか見れてよかったと思いますが、戦前の役場の姿を今に伝える貴重な存在だけに消えるのは惜しいものです。ただ、近寄ってみるとかなり傷んでいる部分もあるので安全性を考えると仕方のない面はあるのでしょう。

その姿をいろんな角度から撮ろうと向かいの土手に登ったらズボンや靴下にヌスビトハギがいっぱい引っ付きました。

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郡公会堂

その近くには郡公会堂というこれまた古そうな建物も残っていますが、詳しい地区年代は分かりません。おそらく戦前の建物でしょうが綺麗に整備されています。周辺は道が狭く入り組んでいて、車で近付くのは不可能に近いでしょう。

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岡山市南区興除地域センター(旧児島郡興除村役場)

続いて興除へ。昭和46年に岡山市編入された旧児島郡興除村で、地域センターは昨年11月で役目を終えて解体のために囲われていました。解体が始まる前に撮れなかったのは残念ですが、あるうちに見れただけまだマシです。

「興除」という珍しい地名は中国の古典にある「興利除害」という言葉から名付けられた興除新田に由来します。

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清音駅

倉敷市をスルーして伯備線清音駅へ。2月28日限りでみどりの窓口の営業を終了するとのことなので、スタンプを押して入場券を購入。

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延原本村公会堂(旧吉備郡富山村役場)

総社市昭和地区の山間へと分け入り、延原本村へ。昭和27年の昭和町成立まで存在した吉備郡富山村の役場が残存しています。平成10年の総社市史資料編の口絵には「延原本村公会堂」として写真が載っており、その頃までは使われていたようですが現在は空き家です。周辺は農家が数軒あるだけの小さな集落で、とても昭和の大合併まで役場が置かれていた村の中心とは思えませんが、当時はそれなりに栄えていたのでしょうか。

よくまあこんな昔の役場が残っているものだと感動しましたが、数年もすればすっかり自然に還ってしまいそうです。

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砕石場跡

富山村役場を撮り終えて里へ下りる途中、行きに見て気になった採石場の廃墟を撮影。そのさらに下流には現役の採石場もあり、道を走っていると突然採石場の中に迷い込んだかのような錯覚に陥ります。

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旧・高梁市成羽地域局(旧川上郡成羽町役場)

高梁市に入り、成羽川沿いに遡って成羽へ。地域局は昨年8月31日より高梁市成羽複合施設(たいこまるプラザ)に移転しており、旧地域局の建物は閉鎖されて解体を待つのみです。平成16年の合併後は地域局として使用されてきた旧成羽町役場は昭和33年竣工。縦に大きな窓が特徴のモダンな平屋建てです。

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高梁市川上地域局(旧川上郡川上町役場)

さらに上流へと遡り川上地域局へ。昭和4年川上郡手荘村役場として建てられたもので、昭和25年に町制施行、昭和29年の合併で川上町となりました。築92年の現役庁舎、装飾なども美しく保たれており、末永く残ってほしいものです。

「川上」の地名は高梁川の上流に位置することから付いたもので、川上町は高梁川の支流、成羽川のそのまた支流、領家川の上流に位置します。

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JA晴れの国岡山川上支店・川上町開発センター

地域局の近くには役場よりも立派な農協の建物がありますが、こちらもまた素晴らしいモダニズム建築。定礎には「昭和47年11月」とありました。あまりゆっくりとは見れませんでしたが、川上町には見るべきものがまだまだたくさんありそうです。

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高梁市備中地域局(旧川上郡備中町役場)

少し引き返して成羽川の方を遡り、備中町へ。成羽・川上と比べ一層山深い所にありますが、旧役場だけはこちらの方が新しくて立派です。平成15年竣工なので、備中町役場として使用されたのはわずか一年ほどだったと思われます。

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鶴見眼科医院

地域局の近くには端正な鶴見眼科医院が残っています。車寄せの柱や装飾などがなかなか見事で、隣接する和風家屋もまた立派です。

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竹部公民館

高梁市を後に吉備中央町へ入り、竹部公民館へ。昔は役場だったと言われれば信じてしまいそうなくらい立派な2階建ての木造建築ですが詳細は不明です。

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マンサード屋根の農家

次の目的地へと向かう途中、津賀でマンサード屋根の農家を見かけたので車を停めて撮影。北海道ではよく見かけるマンサード屋根ですが、内地のしかも山陽地方となるとなるとなかなか目にすることはありません。

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円城の街並み

続いて円城へ。台地の上に築かれた円城寺の門前町で古い建物が多く残っています。

少し離れたところにあった旧円城村信用販売購買利用組合は残念ながら解体されて更地になっていました。

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垪和簡易郵便局

旭川湖の畔を走って美咲町の垪和簡易郵便局へ。「はが」と読む難読地名ですが、まさかパソコンであっさり変換できるとは思いませんでした。ダム湖畔に建つ郵便局はおそらく昭和30年前後の建築。

この後、津山方面に抜けようとしたらカーナビによって県道341号坪井下栃原線という酷道に案内されて生きた心地がしませんでした。

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県道341号線

とても写真を撮る余裕なんて無かったのでストリートビューでお見せしますが、「少しでも気を抜いたら死ぬ!」という感じの道が延々と続いていました。こんな感じの道に毎回突っ込んでいってるのだから、ポツンと一軒家取材班の方々は凄いですよね。

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勝間田駅

津山を素通りして勝央町へ。昨年姫新線で訪問済みの勝間田駅を再訪。駅舎の向きからして晴れていれば必ず逆光になってしまう駅ですが、2月22日より新駅舎が使用開始されるので何とか撮り直したいと再訪しました。夕方なら逆光もマシになってるだろうと思いきや16時を過ぎてもこの状況。雲がかからないか粘ってみましたが、そんな様子も無いので諦めて先に林野の街並みを撮ってから戻ってくることに。

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栄町公民館

林野駅前とは梶並川を挟んだ対岸に美作市林野町の中心市街地が広がっています。古い建物が所々残っていますが、特に目を引くのが栄町公民館。詳細は不明です。

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勝間田駅

5時過ぎに勝間田駅にもう一度行って見ましたが相変わらずの逆光。これ以上粘るとレンタカーの返却に間に合わないのでほどほどにして切り上げます。逆光になる向きの駅舎を撮るならやはり曇りの日が一番だとつくづく実感しました。

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かばくろ ネギ温玉ぶたかば丼

岡山市内まで戻って車を返却し、イオン岡山のかばくろで夕食。

岡山駅西口23:10発オリオンバス7042便で帰途に就きました。

2/5 安芸・備後をドライブ

1月末、芸備線西三次駅の木造駅舎が2月上旬より解体されるという衝撃的なニュースが入ってきました。あいにく未訪問の駅ですが、18きっぷシーズン外なので芸備線で駅めぐりしようとすると結構な費用がかかります。そこで、今回は車で行きせっかくなので車でしか行けないようなところも見てくることに。

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オリオンバス

早稲田を19:49発東葉勝田台行き1960T(2108)で出発し、大手町から歩いて東京駅鍛冶橋駐車場へ。20:40発オリオンバス7051便に乗車し、広島駅前には翌朝9:20着。

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志和堀集会所

早速車を借りて出発。まずは東広島市志和町志和堀の志和堀集会所へ。途中、東広島バイパスで渋滞に巻き込まれました。広島郊外は人口の多さの割に道路整備が追い付いていないような印象を受けます。

志和堀集会所は詳細不明ですが随分と古そうな建物です。

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西三次

志和堀から志和口に抜けて芸備線沿いに走り、西三次駅へ。着いた時は駅前に車が停まっていたので先にホームを撮影してから戻ると、端の一台を残して立ち去っていました。駅舎は大正4年6月、芸備鉄道の終点・「三次」駅として開業した際に建てられたもので、築105年。昭和29年、隣の備後十日市駅に駅名を譲って「西三次」に改称されていますが、長らく貨物輸送の拠点であり続けました。昭和58年に無人化され、以降は旧事務室部分が集会所として利用されてきましたが、老朽化を理由に2月上旬から解体されます。

築105年の西三次駅解体へ 芸備線の前身・芸備鉄道開業時の生き証人、往時の活気懐かしむ声 | 中国新聞デジタル

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西三次駅 駅舎内

現地にあった改築のお知らせを見ても「2月上旬」とあるだけで詳しい日付は書かれていませんでしたが、工事業者らしき方を何人か見かけたのでそのうち工事が始まるのでしょう。今回は車での訪問なので訪問駅としては扱わず、また改めて列車で来ることになりますが、その時にはとても簡素な駅になっていることでしょう。

井原市駅も改築されたことですし、芸備線でも年に一駅くらいのペースで古い駅舎が消えていくことになりそうです。

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キサ104華 とりからあげ定食

西三次駅を後に、吉舎(きさ)へ。平成16年に三次市と合併した旧双三郡吉舎町で、隠岐へ流される途中の後鳥羽上皇が「吉(よ)き舎(やど)りかな」と言ったことが地名の由来と伝えられています。

国道沿いの道の駅のようなところに車を停め、尾道ラーメンを食べてから街の散策に繰り出しました。

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旧三浦医院

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日本キリスト教団三次教会吉舎集会所

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うだつの町並み

吉舎と言えばやはり有名なのがうだつの町並みですが、洋風建築も何軒か見受けられます。古い建物が多いですが、重伝建ではないのでところどころ新しい建物になっていて統一感はありません。しかしそれゆえに自然な感じがします。

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旧吉舎郵便局

旧吉舎郵便局は大正6年に建てられたもので、局舎には珍しく和風デザイン。左手には酒蔵が繋がっていたはずですが、解体されて更地になっていました。

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馬洗川と田中写真館

馬洗川の畔に建つ3階建てのモルタル洋館は旧田中写真館。昭和3年に地元の大工、古川惣一郎が大阪で当時の高い技術を学んで作り上げたもの。吉舎のシンボルで、国登録有形文化財

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旧総領中学校黒目分校

吉舎を後に庄原市総領町の黒目分校へ。昭和43年に統合のため閉校となった中学校の分校で、閉校から50年以上経っていますが、20年ほど前まで工場として使われていました。廃墟化が著しく、解体されずとも時期に倒壊してしまいそうな感じです。

記録には昭和23年8月15日落成、昭和37年7月8日新校舎落成とありますが、コンクリ建築が一般的になった昭和37年に木造校舎を建てるとは考えにくいので増築部分のことでしょうか。

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中国バス廃車体

次の目的地へ向かう途中、道沿いに自販機コーナーとして余生を送るバス廃車体を見つけました。中国バスの車両で、看板で隠れている部分には昔の塗装が残っています。

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旧神石町立牧小学校

神石高原町に入り、旧牧小学校へ。平成13年3月18日閉校で、その日付が窓に掲げられています。牧ふれあいセンターとして再利用されているため状態は良好です。

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旧神石町立第一中学校

谷を挟んで向かいの丘の上には旧第一中学校。昭和43年閉校。食品工場に転用されているようで、人の気配がありましたが、校舎の老朽化が激しく今後が気にかかります。

予定ではここで終わりにして広島に戻ることになっていましたが、まだ行けそうだったので神石高原町役場へ。

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神石郡神石高原町役場

神石高原町は平成16年11月に神石郡4町村(油木町、神石町、三和町、豊松村)が合併して誕生した町で、役場本庁舎は三和町に置かれています。三和町は地理的中心ではありませんが、4町村では最も人口が多いことから役場が置かれたのでしょう。

三和町役場として建てられた役場庁舎は、南館が昭和32年、北館が昭和54年竣工。外観・内部はそれほど古そうに見えませんが、耐震性の低さゆえに建て替え工事中で、新庁舎への移転は7月を予定しています。

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豊栄町の建物

神石高原町役場から広島まではカーナビだと下道で4時間以上かかると案内されましたが、どうやら最短経路ではなかったようで、Googleマップの案内に従って山間の小さな道でショートカットして時間を短縮していきます。広島県の内陸部に土地勘は無いので小国、豊栄、福富と初めて名前を聞いた町ばかり。自分でもどこを走っているのかよく分かりません。豊栄町の宮の首交差点を過ぎたところで、いい感じの建物があったので、休憩がてら車を停めて街並みを撮影。「豊栄」と聞くと新潟のイメージが強すぎて広島にもあるとは思ってもみませんでした。

福富を過ぎて志和に入ると往路と重なるので広島に近付いてきたなと思いましたが、また国道2号の渋滞に巻き込まれたくないので、県道33号瀬野川福富本郷線を直進。するとがけ崩れで通行止めだったのでそのまま脇道へ。広島市安芸区に入りましたが道は前よりも狭く酷くなり、通り抜けて広い道に出たときはほっとしました。スカイレールの通っているみどり坂ニュータウンのすぐ裏手の道です。

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電光石火 豚玉焼き

広島市内に入ってからは複雑な道や開かずの踏切に苦しめられながらも何とか車を返却し、電光石火のお好み焼きで夕食。私は兵庫の人間ですが、焼きそばが好きなのでお好み焼きは大阪風よりも広島風の方が好きです。

帰りは20:20発オリオンバス7042便に乗車。隣の席が空いていたので快適でした。

1/20 薩摩地方をドライブ(鹿児島交通枕崎線・宮之城線廃駅めぐり、庁舎めぐり)

鹿児島ドライブ旅、二日目は鹿児島交通枕崎線の廃駅や役場を中心に巡りました

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南九州市役所 川辺支所(旧川辺郡川辺町役場)

8:30に宿を出発してまずは川辺支所へ。平成19年に川辺郡知覧町揖宿郡頴娃町と合併して南九州市となった旧川辺町の役場で、昭和42年竣工。結構インパクトのある外観をしています。

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加世田バスターミナル(加世田駅跡)

続いて加世田バスターミナルへ。加世田市笠沙町・大浦町・坊津町・金峰町が合併して平成17年に誕生した南さつま市の交通の要衝で、昭和59年3月に廃止された鹿児島交通南薩線の加世田駅跡に建設されています。駅があったことを記念してバスロータリーとタクシーロータリーの中央にはそれぞれSLとDLが保存されています。

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加世田バスターミナル バスと保存車

駅跡のバスターミナルには枕崎、知覧、伊集院などへ向かう鉄道代替バスも発着しており、保存車の置かれているロータリーからだと安全に撮ることができます。

バスを撮っていると運転手さんから「ここにいるバスはやっぱり珍しい?ちょっと前まで色々珍しいのがいっぱいいたんだけどね」と話しかけられました。

敷地内には南薩鉄道記念館もありますが、この日は休館日で見学できませんでした。

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阿多駅跡 知覧線跡と枕崎線跡の分岐

今日はとりあえず加世田~上伊集院の廃駅を巡っていきます。加世田市街を出てまずは阿多へ。枕崎線と知覧線の分岐駅で、両線とも跡地は車道に転用されているので航空写真で見ると分岐の跡がよく分かります。

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阿多駅跡 駅前から

写真の突き当りが阿多駅跡。廃止から37年の月日が流れていますが大規模な再開発が行われたわけでもないので「駅前」の雰囲気はなんとなく残っています。

知覧線は昭和40年に廃止、翌年には貨物の取扱も廃止されて無人駅となり、昭和44年には台風で駅舎が倒壊してしまったため、末期は1面1線のみの寂しい駅だったそうです。

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南さつま市金峰支所(旧川辺郡金峰町役場)

南多夫施駅跡へ向かう前に金峰支所へ。霊峰・金峰山を擁する旧金峰町の役場で、昭和34年11月20日竣工、設計監督は衛藤右三郎、施工者は清水建設と刻まれた定礎がありました。衛藤右三郎は鹿児島県内で多くの庁舎を手掛けた衛藤建築設計(現衛藤中山設計)の創業者で、金峰町の隣・吹上町の旧役場も彼の設計によるものでしたが、令和元年6月に解体されています。

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南多夫施駅跡

南多夫施駅跡へ。旧金峰町役場の最寄り駅ですが、畑の中にありました。

線路跡は農道に転用されていますが、貨物ホームの一部と農業用倉庫が残っています。

かつては相対式ホームの駅で、末期は棒線化されていましたが、駅舎は廃止まで残っていました。

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北多夫施駅跡

北多夫施駅跡へ。畑の中にあった駅で、こちらもかつては相対式ホームでしたが、末期は棒線化されていました。駅舎は昭和55年時点で既に撤去されていたようです。

現役当時の写真にも写っている駅前商店が一番分かりやすい痕跡です。その奥に説明板が立っていますが、その裏手の茂みの中には何やらコンクリートの構造物が残っていました。

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吹上浜駅跡

吹上浜駅跡へ。開業時は「入来」を名乗り、「入来ノ浜」を経て改称された駅で、枕崎線の駅のうち昭和になってから開業した薩摩湖駅を除けば唯一開業時から廃止まで棒線駅でした。昭和28年と早くに無人化され、駅舎も昭和20年台風で倒壊したとのことで末期にはホーム上に簡素な待合所があるだけだったようです。

現役当時の写真を見てみると右の民家はそのままなのが分かります。

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伊作駅跡

伊作駅跡へ。平成17年の合併で日置市となった旧日置郡吹上町の玄関口でした。廃止時点では島式1面2線と側線を持つ交換可能駅で、立派な木造駅舎がありました。駅跡は再開発され、バス停と図書館が建設されています。

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薩摩湖

続いて薩摩湖へ。鹿児島交通の前身にあたる南薩鉄道が建設した遊園地があり、湖上を渡るロープウェイも運行されて大いに賑わった時代もありましたが、今ではすっかり静まり返っています。

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薩摩湖駅跡

薩摩湖駅は昭和30年に開業した、枕崎線では最も新しい駅で、松林の中に棒線ホームがあるだけの簡素な駅でした。観光地への下車駅としての使命だけでなく吹上高校への通学駅としての役目も持っており、通学時間帯は学生で大いに賑わったそうです。駅跡は伐採した枝などの置き場になっており、痕跡はほとんどないようですが、南の方には道床らしきものが残っているので、松林の中を列車が走っていた様子を偲ぶことができます。

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吹上浜駅跡

吹上浜駅は薩摩湖駅とはわずか900mしか離れていませんでした。ここも末期は交換設備が撤去されていましたが、駅舎は廃止まで残っていました。駅跡にはバス停のほか、駅名標のレプリカがあります。

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永吉駅跡

永吉駅跡へ。ここも棒線化されていましたが、駅舎が廃止まで残っていました。駅跡は綺麗に整備され、手が加えられてはいるもののホームが保存されています。欲を言えば駅舎も残っていてほしかったのですが、気候的に木造駅舎を残すのは大変だったのでしょう。

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黒木回春堂医院

内陸部に少し寄り道して黒木回春堂医院。昭和3年から53年まで医院として使用されていた洋風建築で、国の登録有形文化財。保存状態は良好です。

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吉利駅跡

廃線沿いに戻って吉利駅跡へ。ここも駅跡は綺麗に整備されてホームが保存されています。手前のホームは貨物ホームで、奥に相対式ホームが残っています。ここも晩年は棒線化されており、現役末期の写真を見ると貨物ホームも対向ホームも草に埋もれていたようですが、廃止後は整備されたので現役当時よりも全体像を掴みやすくなっているとは何とも皮肉なものです。

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日置市日吉支所

続いて日置市日吉支所へ。旧日吉町役場の建物が残っていると思って行って見ると新しい建物に替わっていました。平成28年5月27日竣工

2階に歴史資料室があるので見学させてもらいました。

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日置駅跡

日置駅跡はその近く。駅跡は再開発されて住宅が建っているので痕跡はほとんど残っていません。航空写真などを見るに駅舎はおそらくこの2軒がある辺りに建っていたのでしょう。

廃止まで交換駅で駅員が配置され、年季の入った木造駅舎が残存していました。

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日置駅 給水塔

給水塔のみ移築されて現存しています。石を組み上げて造られた円筒形のもので、日置駅唯一の痕跡と言ってもいいものですが、説明板などはありません。今は竹を保管するために使われているようです。

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上日置駅跡

上日置駅跡へ。伊集院と日置を隔てる山間にあったスイッチバックの駅で、ホームと給水塔が保存されています。去年行った長崎本線本川内駅を思い出す構造ですが、本川内駅とは違い、ホームは本線上に設置され、その隣に少しずつ高度を上げていく待避線があります。

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わずかに残されたレール

待避線跡を進んでいくとレールが少しだけ残っているのを発見しました。

現役当時のものなのか後で再現されたものなのかは不明ですが、残すなら給水塔やホームが残っているところに残した方が駅跡らしい雰囲気も出るでしょうに、なぜか待避線の先の方の中途半端な位置に残っていました。

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伊作田診療所

枕崎線跡とはこれでお別れし、東シナ海に面する東市来町伊作田へ。ここには戦前に建てられた洋風木造建築の診療所が残っていますが、生憎の逆光でした。

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薩摩白浜駅

薩摩川内の市街地を通り過ぎて宮之城線の薩摩白浜駅跡へ。片面ホームだけの駅だけしたが、跡地は県道に転用されて何も残っていません。現役当時の写真を見ると、後ろの工場だけはそのままなので何とか場所を突き止めることができます。

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楠元駅跡

続く楠元駅跡は公園として整備されています。駅舎は市道建設に伴って縮小の上移築されていますが、その際にかなり手が加えられたようで、正直レプリカのように見えます。木造駅舎が残っていると聞いて来て見ると正直期待外れな感じがするのも事実です。

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薩摩川内市東郷支所(旧薩摩郡東郷町役場)

楠元駅の対岸には旧東郷町中心市街地が広がっています。旧東郷町役場である東郷支所は昭和44年竣工。老朽化していますが、今のところ建て替え計画はないようです。

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吉野山駅跡

吉野山駅跡へ。吉野山郵便局の前に吉野山駅跡の碑があります。廃止まで木造駅舎が残っていました。ちゃんと駅があった事を記念するモニュメントがあるのは嬉しいですが、痕跡はほとんどありません。

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樋脇駅跡

樋脇駅跡へ。旧薩摩郡樋脇町の玄関口でしたが、昭和46年に無人化されていました。昭和20~30年代に建てられたと思われる駅舎が保存されています。

楠元駅と比べると現役当時の姿をよく留めているので、駅前通りの奥に建つ姿を見るとまるで現役の駅かのようです。

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樋脇駅跡 ホーム

駅舎の裏にはホームも再現されていますが、埋めた後にレールを敷いたらしく高さが足りないのでまるで路面電車の駅のような雰囲気です。交換設備は昭和45年に廃止されていたので廃止当時は棒線駅でした。

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薩摩川内市樋脇支所(旧薩摩郡樋脇町役場)

 続いて樋脇支所へ。支所機能は老朽化や耐震性の低さを理由に昨年5月7日から別館に移転しているためこの庁舎は閉鎖済み。そう遠くない将来に解体されることでしょう。

昭和33年9月30日に竣工、設計は金峰支所と同じく衛藤建築設計事務所、施工は内村建設。正面から撮ろうとするとちょうど逆光になってしまうので、雲が流れてきて太陽が隠れるのをしばし待ちました。

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薩摩川内市入来支所(旧薩摩郡入来町役場)

続いて入来支所へ。重伝建・入来麓の武家屋敷集落に隣接して所在する旧役場で、石垣の上に建てられているため周囲の景観に馴染んでいます。昭和40年竣工ですが、東郷支所と比べるとあまり古さは感じさせません。

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薩摩川内市祁答院支所(旧薩摩郡祁答院町役場)

ラストは祁答院支所へ。「けどういん」と読む難読地名で、初見じゃとても読めません。行政上は薩摩川内市の一部ですが、地図で見るとさつま町の方が近く、素人目に見るとそちらに合併された方が良かったのではないかという気がします。

庁舎は昭和34年竣工で、山間の町役場らしくこじんまりとした見た目です。

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黒豚わっぜかえ丼

北薩空港道路を通って空港に戻り、車を返却してから、空港内の大空食堂で夕食。ボリュームたっぷりで美味しかったです。

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ANA630便

19:25発羽田空港行きANA630便で帰途に就きました。羽田には定刻よりも早く到着し、羽田空港21:08発エアポート急行青砥行き2143T(5312-4)と品川21:32発山手線外回り2027G(モハE234-38)を乗り継いで帰宅しました。

1/19 庁舎を求めて薩摩をドライブ

緊急事態宣言が発令されてGOTO停止期間が延長されたものの、だからといってリスクの低い行動まで自粛させられる謂れはありませんし、感染対策を十分に行ったうえでの一人旅はなんら問題ないでしょう。ということで追加料金を支払う気でGOTO適用外の薩摩ドライブへと行ってきました。

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ソラシドエア

高田馬場5:44発山手線内回り0460G(サハE235-4648)と品川6:09発エアポート急行羽田空港行き506K(3055-4)を乗り継いで羽田空港へ。羽田空港からは7:25発ソラシドエア6J 71便に搭乗して鹿児島空港へと向かいます。

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鹿児島空港に到着

強い西風を受けた影響で鹿児島空港には10分ほど遅れて到着。空港からも勇壮な霧島岳の姿がよく見えます。鹿児島県に来るのはこれで4度目と言えど霧島エリアに来るのはこれが初めてなので、初めて見る景色ばかり。

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姶良市役所加治木総合支所(旧姶良郡加治木町役場)

レンタカーを借りてまずは姶良市役所加治木総合支所へ。平成22年の合併で姶良市となった旧姶良郡加治木町の役場で、網掛川の畔に位置します。

川に面した側の南庁舎は昭和35年、駐車場を挟んで建つ北庁舎は昭和38年竣工といずれも老朽化していることから、建て替えられる方針で、完成は令和5年度の予定です。

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姶良市役所本館(旧姶良郡姶良町役場)

続いて姶良市役所へ。旧姶良郡姶良町役場で、合併後は本庁舎が置かれています。本館は昭和35年に建てられ、55年に増改築されたもので、こちらも年季が入っています。解体して跡地に新庁舎を建てるため、昨年11月より機能を順次他の庁舎に移し、12月1日より閉鎖されました。訪問時はちょうど解体工事が始まったところで、周辺には工事の音が響いていました。本館と同時に敷地内にある3号館(平成2年築)、4号館(昭和45年築)も解体されます。複合新庁舎の完成は令和5年度を予定。

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姶良市役所蒲生総合支所(旧姶良郡蒲生町役場)

続いて蒲生総合支所へ。旧姶良郡蒲生町の役場で、本館は昭和29年、別館は昭和55年の建築。本館は味のあるモダニズム建築で、階段部分の造形に個性があります。総合支所も建て替え方針なので3年後には消えることになるのでしょうが、それが惜しいと思えるような建築でした。

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鹿児島市役所吉田支所(旧鹿児島郡吉田町役場)

姶良市を抜けて鹿児島市に入り、吉田支所へ。平成16年11月に鹿児島市編入された旧鹿児島郡吉田町の役場で、吉田町・桜島町編入を以て鹿児島郡は消滅しています。庁舎は昭和47年10月31日竣工で、窓周りの造形に個性が見られます。決して無個性な庁舎ではないものの蒲生総合支所を見た後なのでどうしても霞んで見えてしまいます。

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指宿市役所山川庁舎 旧館(旧揖宿郡山川町役場)

交通量が多い上に路面電車が走っていたり車線が複雑だったりで走りにくかった大都会鹿児島市街地を抜けて錦江湾沿いをひたすら南下し、山川へ。

山川駅とは湾を挟んだところにある山川の市街地は古くから栄えた港町です。平成18年の合併で指宿市になる前は旧揖宿郡山川町でした。昭和31年に建てられた旧役場は合併後もしばらく使用されていましたが、老朽化のため昨年7月27日に新庁舎に移転しました。移転から半年が経つのに解体されていないのは珍しいですが、中を覗くと倉庫のようになっていたので当分は倉庫代わりとして残るのかもしれません。

入口周りを見ると蒲生総合支所に負けず劣らず個性のあるモダニズム建築です。

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指宿市役所山川庁舎・山川文化ホール

役目を終えた旧役場の代わりに山川庁舎となったのは道路を挟んで向かい合う山川文化ホール。昭和54年2月の建築で、文化ホールとしての機能は相変わらずですが、2階に山川支所が入居し、合わせてエレベーターが増築されました。

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開聞岳

山川を後にし、開聞岳を眺め、薩摩半島南部を西へ向けて走っていきます。当初の計画では指宿市開門庁舎にも寄るはずでしたが、見たかった旧開聞町役場(昭和45年竣工)が建て替えのために仮庁舎に移転して解体されてしまったらしいことを知ったので今回はスルーしました。

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枕崎駅

トイレ休憩がてら枕崎駅に立ち寄りました。本土最南端の鉄道路線である指宿枕崎線の終着駅ですが、列車本数は少なく駅めぐりはなかなか大変そうです。枕崎市自体は決して小さな街ではありませんが、駅自体はごくごくこじんまりとしています。

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南さつま市坊津支所 久志出張所(旧川辺郡坊津支所)

枕崎からさらに西へ向かい、坊津町久志へ。古くから海上交通の要衝として栄え、鑑真和上の上陸地として有名な、坊津町の役場が置かれていた集落です。役場が何故最大の集落であった泊ではなくそれより小さい久志に置かれたのかは町史などにあたってみないことには分かりませんが、平成17年11月までは独立した自治体だったとは思えないようなところです。昭和39年に建てられた旧役場は、合併後は坊津支所久志庁舎となり、平成24年の組織再編で久志出張所に変更。昨年4月1日に出張所が久志地区公民館に移転したため閉鎖されました。

旧役場を撮影していると通りかかった地元のお婆さんに「役場、そのうち崩すの?」と聞かれました。

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南さつま市笠沙支所(旧川辺郡笠沙町役場)

坊津町久志を後に、笠沙へ。ナビを信じたばかりに県道272号久志大浦線という酷道に案内されて身のすくむ思いをしました。

笠沙支所は昭和47年に建てられた旧笠沙町役場で、野間半島の付け根にあたる片浦の高台の国道沿いに建っています。昨年9月26日より移転改修工事中で、工期は2月22日まで、移転は4月を予定とのこと。詳細は不明ですがおそらく敷地内の保健センターにでも移転するものと思われます。

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片浦の海

この日予定していた行程はひとまずこれで終了。薩摩半島の先端まで来るのはこれが初めてですが、坊岬や野間岬へは次回またゆっくりと来ることにしましょう。消えゆく大合併前の庁舎をひとまずは記録することができました。

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リブステーキ

ホテルのある川辺町にはあまり夕食を食べれそうなところが無かったので、加世田のジョイフルへ。九州をドライブしているとどこにでもあるインフラのようなファミレスですが、実は利用するのはこれが初めて。リブステーキが期間限定で200円引きだったのでそれにしました。

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HOTEL AZ川辺店

この日は川辺の郊外型ビジネスホテルに宿泊。HOTEL AZもまた九州を走っていてよく見かけるチェーンで、創業者はジョイフルと同じ穴見一族です。

1/8 寒波の中央西線駅めぐり

冬の青春18きっぷ、最後の一日分は中央西線駅めぐりに使用しました。中央西線の中でも中津川~塩尻は本数が少なく厄介な区間です。

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雪の積もった恵那駅ホーム

塩尻方面への始発に乗るべく6時に起きてホテルを出発。寒波の影響で恵那駅ホームにもうっすら雪が積もっていました。写っている列車は恵那から分岐する明智鉄道。明智光秀生誕の地とされる明智までを結んでいます。

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田立駅

恵那6:26発普通松本行き1825M(クモハ313-1317)で県境を越えて田立へ。中津川を過ぎると一気に雪が多くなりました。切通にホームのある田立は長野県最西端の駅で、県境を越えて中津川方面へ通勤・通学する利用者も多いようです。ホームでは地元のおじさんが雪かきをしていました。

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坂下駅

田立7:17発普通中津川行き1820M(クハ312-1326)で坂下へ。平成17年に中津川市と合併した旧恵那郡坂下町の駅で、折り返し列車が一日3.5往復設定されています。駅舎は明治41年8月開業時のもので、宿場町をイメージしてか和風にリニューアルされています。「県境の駅」と聞くと寂しいイメージを受けるかもしれませんが、ここは高校や病院もある町の中心だけあって朝の時間帯はそれなりに賑わっていました。

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落合川駅

坂下7:41発普通中津川行き850M(クハ312-1308)で落合川へ。落合ダムで堰き止められた木曽川を眼前に望む駅で、駅前は窮屈な立地です。狭い場所に頑張って建てたような跨線橋の上り口に昭和51年2月築の小さな待合室があります。集落があるのは対岸で、周囲に人家は少なくのどかな雰囲気です。

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南木曽駅

合川8:17発普通南木曽行き853M(クモハ313-1308)で南木曽へ。妻籠宿や三留野宿を擁する南木曽南木曽町の玄関口で、特急も一部が停車し折り返し列車も多数設定されています。木曽路観光の拠点駅の一つなのでさぞかし大きな駅なのだろうと思っていましたが、駅舎内には観光案内所と広い待合室があるのみで、オフシーズンということもあるのでしょうが閑散としていました。

昭和55年6月改築の駅舎は和風デザインで、木曽福島を一回り小さくしたような見た目です。改築はこちらの方が一年早く、その年の鉄道建築協会賞を受賞しています。

予定ではここに10:19まで滞在する予定でしたが、あまりの寒さと雪の多さに街歩きする気も失い、予定を変更して折り返し列車に乗車しました。

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美乃坂本駅

南木曽8:51発普通中津川行き852M(クハ312-1308)と中津川9:15発快速名古屋行き5718M(クハ210-5303)を乗り継いで美乃坂本へ。昭和29年に中津川市編入された旧恵那郡坂本村の駅で、地元では「美濃」ではなく「美乃」という簡略化した表記が定着していたことからこの駅名となりました。駅舎は大正6年11月開業時のものですが、将来的にリニア中央新幹線の駅が当駅付近に出来る計画があるので数年以内にその姿を大きく変えることになりそうです。

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倉本駅

美乃坂本9:39発快速中津川行き2705M(クモハ313-8501)と中津川10:00発普通松本行き829M(クハ210-3044)を乗り継いで倉本へ。国道19号や木曽川を見下ろす高台にある駅で、大正3年5月に立町信号所(→信号場)として開業、昭和23年9月に旅客駅に昇格しました。昇格時に建てられた木造駅舎が残っていますが、駅前が狭いので全体像を写真に収めるのは困難です。

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倉本駅 2番ホームへの通路

ホームは相対式ですが、ホーム同士を直接行き来することはできず、1番ホーム側にある駅舎から2番ホームへ向かおうとすると、一旦坂を下りて駅前に出、公道で線路を潜って階段を上り、通路をしばらく歩くことになります。

開業年の割にホームの造りが新しいのが気になりますが、ホームを後から造り直したのでしょうか。

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野尻駅

倉本12:03発普通中津川行き1826M(クハ312-1317)で野尻へ。中山道40番目の宿場町・野尻宿の駅で、明治42年9月開業時の駅舎が現役で使用されています。駅舎内には簡易委託の窓口があり、待合室にもちゃんと暖房が入っていますが、降車客は駅舎内を通らずに駅舎外の改札ラッチを抜けて駅前に散っていきます。この区間の駅では珍しくホーム上に待合室が設置されていません。

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須原駅

野尻12:30発普通松本行き1831M(クモハ313-1318)で須原へ。中山道39番目の宿場町・須原宿の駅で、明治42年9月開業時の駅舎が現役で使用されています。同時に開業した野尻とは造りが共通していますが、左右が逆です。ここも簡易委託の窓口がありますが、早くも12時半に閉まってしまうようで、降りたときには既にカーテンが引かれていました。

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中山道須原宿

次の列車まで一時間半以上あるので駅周辺を散策。須原宿は古い建物こそ多く残っているものの意図的に保存された街並みではないので統一感には欠けます。観光案内や説明板も控えめですが、それだけに自然体の街と言った風情が感じられます。

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EF64-1022+EF64-1023の重連

駅に戻って列車を待っているとEF64重連が牽引する貨物列車がやって来ました。私は貨物列車に関してはあまり詳しくないのですが、勾配の急な中央西線では機関車を重連で連結して運用するようです。篠ノ井線の南松本から関西本線の塩浜貨物駅まで石油を輸送する貨物列車で、須原では5分ほど停車して特急しなの12号に道を譲ってから発車していきました。

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大桑駅

3分遅れの須原14:22発普通中津川行き1828M(クハ312-1326)で大桑へ。木曽郡大桑村役場の最寄り駅で、昭和26年9月に開業しました。駅裏を国道が通り、公共施設が集まっているため決して寂しい所ではないものの、同じ村内にある野尻や須原と比べて特に大きな駅と言うわけではなく、利用者数では野尻に負けています。

ここも簡易委託の窓口があるので、大桑村内にある全ての駅に窓口があることになります。駅が3つしかなく、飛びぬけて大きな駅があるわけでもないからこういう平等な扱いができるのでしょう。

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上松駅

大桑14:56発普通松本行き1833M(クモハ313-1317)で上松へ。木曽郡上松町の玄関口で、特急しなのも一部が停車します。駅舎は昭和26年6月改築の鉄筋コンクリート造平屋建て。大桑駅とはほぼ同時期の建築ですが、大桑駅が木造なのに対しこちらがコンクリなのは駅の規模が大きいことによるものでしょう。なかなか立派なモダニズム駅舎なのですが、真正面に障害物があって撮りにくいのが残念です。

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木曽郡上松町役場

上松町役場は駅前すぐのところにあります。昭和26年に鉄筋コンクリート造で建築され、昭和51年に2階事務所、平成12年に1階事務所が増築されています。今年で築70年を迎え、さすがに老朽化していることから5月6日より新庁舎に移転する予定です。

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かき揚げ卵そば

予定では16:25発普通松本行き1835Mに乗る予定でしたが、駅や役場の撮影をさっと済ませ、乗ってきた1833Mに再び乗車して塩尻へ。中央東線への乗り換え待ちの時間で駅そばを食し、冷えた身体を温めます。

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塩尻駅弁 とりめし

塩尻からは16:59発普通大月行き442M(クハ211-2007)に乗車。昼を食べておらずさすがにそばだけでは足りなかったので塩尻で買ったとりめしを車内が空いてくるのを見計らって食べました。

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中央本線2052M

大月で19:54発中央特快東京行き2052M(クハE232-22)に乗り換え、新宿21:31発山手線外回り2151G(モハE235-83)で帰宅しました。

1/7 睦月の東海道・名古屋へ

この日は東海道を西へ。建て替え中の焼津市役所と関西本線無人化予定駅、名鉄の改築予定駅を回ります。

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熱海で乗り換え

高田馬場4:38発山手線内回り360G(クハE234-33)、品川5:10発東海道線小田原行き725M(クハE230-8059)、小田原6:22発東海道線熱海行き723M(クハE230-6020)と乗り継いで熱海へ。熱海からは6:49発普通浜松行き425M(クハ312-2327)に乗車。

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焼津駅 南口

焼津で下車。漁港の街として発展してきた焼津市の代表駅で、駅舎は昭和40年4月改築の橋上駅舎。橋上駅としては初期のものに当たるためデザインは少々古めかしさを感じさせます。

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焼津市役所

10分ほど歩いて焼津市役所へ。昭和44年10月竣工で、耐震性能は満たしているものの老朽化が著しいことから隣接地に新庁舎を建設中です。新庁舎は今年度中に開庁予定で、その後現庁舎を解体して跡地に立体駐車場を建設する予定です。

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愛知御津駅

焼津駅に戻り、9:18発普通豊橋行き931M(クハ210-5012)で豊橋へ。豊橋には2分遅れで到着し、10:57発普通岐阜行き127F(クハ312-5019)に乗り換えて愛知御津へ。

平成20年に豊川市と合併した旧宝飯郡御津町の駅で、昭和23年8月までは「御油(ごゆ)」を名乗っていました。駅舎は昭和23年12月改築の木造駅舎ですが、改装されていて原型は留めていません。便所の建物財産標には「明治39年12月」とありましたがこちらも古さは感じさせず、わずかに1番ホームの上屋のみが古さを留めています。

ここに降りたのは旧御津郵便局を見るためだったのですが、昨年8月に解体されて更地になっていました。

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東海道本線129F

愛知御津11:43発普通岐阜行き129F(クハ312-416)で蒲郡へ。11分遅れの11:44発快速大垣行き2521F(クハ312-5014)に乗り換えて14分遅れで名古屋に到着。

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蟹江駅 仮駅舎

名古屋12:46発普通四日市行き323G(クモハ313-1322)で蟹江へ。明治の町村制以来単独町制を130年以上に渡って維持し続けている海部郡蟹江町の駅で、現在橋上化工事中です。明治28年12月開業時の駅舎を改装しつつも長年使い続けてきましたが、平成31年2月3日より仮駅舎の使用を開始。仮駅舎に移転してからもう2年近く経ちますが、橋上駅舎の完成によって仮駅舎が役目を終える日も近いです。

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蟹江駅 新駅舎

新駅舎は仮駅舎の隣にほとんど完成した状態でした。1月31日より使用開始予定で、今は使用開始前の最終仕上げ・チェックの段階と言ったところでしょうか。

名古屋からの距離の割にどうにもショボい駅だったのが橋上化で面目を一新することとなります。

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弥冨駅

蟹江13:33発普通四日市行き325G(クモハ313-1323)で弥冨へ。平成18年の合併で弥冨市となった旧海部郡弥富町の駅で、「海抜-0.93m」と地上駅では最も低い所にある駅として有名です。名鉄弥冨線との共同使用駅で、2つの路線が乗り入れる駅なのだからそれなりの大きさの駅だろうと思いきや構内は2面3線といたってシンプルでホームも閑散としています。もっともこの駅も橋上化計画があるので数年後には面目を一新していることでしょう。

駅舎は明治28年5月開業時のもの(財産標はM27年12月)ですが、平成9年8月にリニューアルされているのでとても築126年には見えません。駅前も狭く市の玄関口としての機能は近鉄の駅の方にあるようで快速も停まりません。

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永和駅

弥富14:09発普通名古屋行き326G(クハ312-1322)で永和へ。平成17年の合併で愛西市となった旧海部郡佐屋町の駅で、駅名は昭和31年に分割編入で消滅した永和村に由来します。昭和2年6月に善太信号場として開業、昭和4年2月に一般駅に昇格しました。

駅舎は開業時のものですがリニューアルされています。ステンドグラスのようなものはあくまで飾りで中からは何も見えません。田園地帯の小さな駅にも関わらずみどりの窓口が設置されていますが、集中旅客サービスの使用開始に伴い2月1日より無人化される予定です。駅を撮っていると雪と風が激しくなってきました。

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春田駅

永和14:43発普通名古屋行き328G(クハ312-1323)で春田へ。中川区にあるJRにおける名古屋市内最西端の駅で、平成5年7月に信号場として開業し、平成13年に駅に昇格して開業しました。駅開業時から高架駅で、見た目は都会的ですが、列車は日中一時間2本しかやってきません。いまいち都会の駅として脱皮しきれていないような印象を受けます。ここも2月1日より無人化されます。

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八田駅

春田15:19発普通名古屋行き330G(クハ312-1309)で八田へ。地下鉄東山線近鉄名古屋線との乗換駅で、名古屋市西部の交通結節点といった感じですが快速は停車しません。隣接する近鉄の駅は列車が頻繁にやって来るのに対してJRの駅は停車・通過とも本数が少なく、利便性では完全に負けています。

大正7年に開設された八田信号所がルーツで、昭和3年2月に一般駅に昇格。平成14年4月に地下鉄・近鉄との乗換利便性向上のため名古屋方に500m移転して高架化されました。乗換駅だけあって本数の割に利用者は多く、一日2000人弱が利用しますが、ここも2月1日より無人化されます。

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西枇杷島駅

八田15:49発普通名古屋行き332G(クハ312-1314)で名古屋へ。名鉄名古屋16:04発普通佐屋行き1641(6228)に乗り換えて西枇杷島へ。名古屋本線犬山線が形成するデルタ戦で有名な駅で、現在駅改良工事中です。構内は元々島式2面4線でしたが、待避線を撤去してホームの拡幅を行い、相対式2面2線に変更されています。

駅舎は昭和24年の営業再開時に建てられたと思われるものですが、それ以前からのものを移築したという説もあります。増築や障害物で全体像が分かりにくいものの、確かにデザインなどは戦後というより戦前のものらしい感じがします。

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西枇杷島駅 新駅舎

新駅舎はほとんど完成していました。1月16日始発より使用開始予定で、それと同時に構内踏切も廃止されて改札内でのホームの行き来はできなくなります。下り岐阜方面側の駅舎は改札機の設置などはまだでしたが、既に駅名が掲げられていました。それに対し上り名古屋方面側駅舎はまだ駅名が掲げられておらずその部分が空白状態でした。

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枇杷島駅 東口

10分ほど歩いてJRの枇杷島駅へ。平成17年の合併で清須市となった旧西春日井郡西枇杷島町の駅で、東海交通事業城北線が分岐しています。駅舎は平成20年12月に橋上化されたもので、築堤上のホームを跨いでいるので駅前からは結構の高さがあります。

東口は橋上化で新設されたもので、旧駅舎のあった西口は新幹線の高架を潜ったところに設置されています。

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恵那駅

枇杷島16:51発普通豊橋行き148F(クモハ313-5304)と名古屋17:07発快速中津川行き2739M(クモハ211-5020)を乗り継いで、この日の宿泊地恵那へ。明智鉄道が分岐する恵那市の代表駅です。駅舎は昭和35年7月に改築されたものですが、リニューアルされています。名古屋からほんの1時間ちょっとですがずいぶん遠くに来たように感じます。とはいえこの辺から名古屋まで通う人も結構多いのでしょうね。一応参考のために距離を書いておきますが、名古屋~恵那が約68.3㎞、東京~上野原が69.8㎞です。

駅周辺に飲食店があまりなさそうだったので恵那発祥のご当地スーパー「バロー」のおつとめ品を買ってからホテルへ向かいました。

1/2 新春小浜線駅めぐり

年が明けて、令和3年初の駅めぐりは小浜線へ。線内に残る木造駅舎のうち十村・加斗が簡素化されるという噂があったのでこの機会に行くことにしました。

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雪の近江今津駅

宝塚5:24発普通松井山手行き4414M(クモハ321-22)、尼崎5:46発普通京都行き100C(クハ207-8)、京都7:00発普通近江今津行き1806M(クハ117-307)を乗り継いで近江今津へ。京阪神間はいつものごとく積雪がありませんでしたが、滋賀県内に入ると車窓は雪景色で、近江今津ではホーム端が埋もれるほどの雪でした。

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敦賀駅

近江今津8:14発普通福井行き4843M(クモハ521-4)で敦賀へ。言わずと知れた嶺南地方の中心都市・敦賀市の代表駅ですが、駅舎をしっかりと撮る機会はこれが初めてかもしれません。駅舎のうち左側の駅名が掲げられている平屋部分は、昭和26年3月に改築された旧駅舎の一部を転用した仮駅舎です。右側の3階建て部分は交流施設「オル・パーク」で、北陸新幹線開業の暁には3階に改札口が設けられて橋上駅舎となる予定です。随分先に思えた北陸新幹線敦賀延伸まで気付けばあと2年。敦賀乗換を固定化するのは不便だと思うので、敦賀~大阪間の開業も10年くらい前倒ししてほしいものです。

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東洋紡績敦賀工場クラブハウス

次の小浜線の列車まで2時間近くあるので敦賀市内を散策しつつ西敦賀へ。敦賀も今年は豪雪で、歩くとたちまち靴下が濡れてしまいますが、もうヤケクソになって歩き続けます。市役所へ向かう前に東洋紡績のクラブハウスを撮影。昭和10年に建てられたハーフティンバーの洋館です。

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敦賀市役所

敦賀市役所は昭和49年竣工。正面部分に新庁舎を建設中のため、裏側からしか見ることができません。新庁舎は8月完成、来年1月使用開始予定です。

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西敦賀駅

雪の中を歩いて西敦賀へ。昭和37年に開業した、ホームと待合室だけの駅で、敦賀市街を見下ろす高台にあります。すぐそばを北陸本線上り鳩原ループ線が通っており、駅からその姿を直接見ることはできないものの、通過音は十分聞こえそうな近さです。

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東小浜駅

西敦賀10:50発普通東舞鶴行き932M(クモハ125-8+クモハ125-12)で東小浜へ。昭和28年に開業した駅で、平成13年7月改築の駅舎は総合福祉センターと合築になった立派なもの。とはいえ駅部分は吹きっさらしといった状態で、待合室は左手に見えるガラス張りの四角い建物です。北陸新幹線開業の際にはここに新幹線駅が設けられる予定ですが、果たしてその時この駅はどのように変貌を遂げるのでしょうか。

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十村駅

東小浜12:02発普通敦賀行き933M(クモハ125-6+クモハ125-17)で十村へ。大正6年12月開業時に建てられたと思われる木造駅舎が残る駅です。旧事務室は集会所などとして使用されている様子。駅舎が簡素化されるという噂を聞きつけ訪問しましたが、現地には改築のお知らせはありませんでした。駅名は開業時の所在地・三方郡十村(とむら)から取られており、明治22年の町村制施行時に十の村が合併したことが由来という単純な命名です。十村は昭和29年に三方町編入され、平成17年の合併で三方上中郡若狭町となりました。

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大鳥羽駅

十村13:04発普通東舞鶴行き934M(クモハ125-3+クモハ125-7)で大鳥羽へ。昭和29年の上中町成立まで存在した旧遠敷郡羽村の駅で、昭和63年3月改築の駅舎は鳥羽地区農村環境改善センター・JAわかさ鳥羽支店との合築。簡易委託の窓口もありますが、この日は休業でした。

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藤井駅

7分遅れの大鳥羽13:17発普通敦賀行き935M(クモハ125-18)で藤井へ。昭和36年に開業した駅で、ホーム上の待合室は平成8年度明倫小学校卒業生によって内外共にペイントされています。かの藤井聡太八段は乗り鉄だそうですが、いずれ小浜線に乗ってこの駅に来たりするのでしょうか。

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新平野駅

4分遅れの藤井13:48発普通東舞鶴行き936M(クモハ125-17+クモハ125-6)で新平野へ。昭和26年の小浜市成立まで存在した旧遠敷郡松永村の駅で、大正7年11月開業と全然新しくありませんが、開業時から「新平野」です。おそらく関西本線平野駅との混同を避けるために「新」を冠したのだと思われますが、なぜ「若狭平野」としなかったのでしょうか。駅舎は昭和63年に改築されたもので、待合室は締切不可です。

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若狭有田駅

新平野14:36発普通敦賀行き937M(クモハ125-15+クモハ125-8)で若狭有田へ。昭和39年6月に開業した、小浜線で最も新しい駅で、駅舎はありません。駅舎のように見える木目の建物は平成16~7年ごろに建てられたトイレで、その奥に見える白い建物が開業時からの待合室です。待合室のデザインは西敦賀や藤井と共通しています。

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加斗駅

若狭有田15:11発普通東舞鶴行き938M(クモハ125-2+クモハ125-13)で加斗へ。昭和30年に大飯郡本郷村(現おおい町)と小浜市に分割編入されて消滅した旧大飯郡加斗村の駅で、大正10年4月開業時の木造駅舎が残っています。駅舎の旧事務室部分は改装されて理髪店が入居しており、簡易委託も行われていますが、この日は営業時間が短縮されていたため、中に人がいる気配はあったものの営業を終了していました。

窓口の営業を終了して駅舎が簡素化されるという噂もあるので、何とか無人化前に再訪しておきたいところです。加斗駅若狭本郷若狭高浜と共に今年4月3日で開業百周年を迎える予定ですが、この3駅のうち今も開業時の駅舎が残るのはこの駅のみ。

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新快速

加斗16:13発普通敦賀行き941M(クモハ125-6+クモハ125-17)で帰途に就きます。敦賀で17:49発新快速播州赤穂行き3327M(クハ222-2094)に乗り換え。京都で遅れてきた特急サンダーバードを待ったため10分遅れて発車しましたが途中で遅れを若干取り戻したので、尼崎で20:28発快速宝塚行き5525M(クモハ207-1011)にギリギリ乗り継ぐことができました。