まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

4/21 廃線・廃駅・近代建築を求めて道東をドライブ

北海道ドライブ3日目は網走から津別、足寄、白糠、大樹を経て大きく回りながら帯広へと向かいました。

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網走郡津別町役場

網走を出発し、まずは津別へ。津別町役場は昭和33年に建てられた、三角屋根の古い庁舎。5月6日より左の新庁舎に移転して役目を終えました。林業の町らしく新庁舎にはカラマツがふんだんに使用されています。

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北見相生駅

続いて北見相生駅へ。昭和60年4月に廃止された相生線の終着駅で、林業で栄えた山の麓の集落にありました。駅舎は大正14年11月開業時に建てられたもので、待合室部分は資料展示室に、事務室部分はカフェになっています。美しく保たれたその姿はまるで現役の駅のようです。

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キハ22 69

構内にはキハ22をはじめ多くの車両が保存されています。いずれも屋外保存とは思えないくらい美しい姿を留めていますが、その中でもスハフ42-502はライダーハウスとして使用されています。ただしコロナのためか閉鎖されていました。

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北見相生駅 車庫

この手の駅跡となると、大抵の場合駅舎とホームくらいしか残っていないものですが、この駅の場合保線詰所や職員宿舎などの付属施設もよく残っています。その中で残念なことになっていたのが構内の外れにある車庫。雪の重みで倒壊して自然に還るがままになっていました。

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オンネトー

雌阿寒に連ぬる険しい山を越えてオンネトーへ。標高が高い所にあるため湖面には氷が残っていました。展望台以外に人工物はなく、深呼吸をするだけでも清々しい気持ちになることができます。

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鷲足商店

足寄に向けて下って行く途中、鷲足商店を撮影。国道と道道の交差点にある集落に残る戦前からの老舗の商店で、左の建物は昭和8年、右の建物は昭和13年に建てられたもの。この日はお休みでした。

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千春の家

足寄町の中心部に入り、まずは千春の家へ。足寄が生んだスター、松山千春氏の自伝映画「旅立ち」に使用されたロケセットで、足寄町役場前にあります。屋根は補修中でした。

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あしょろ銀河ホール21

続いて道の駅あしょろ銀河ホール21へ。北海道ちほく高原鉄道足寄駅と一体になった施設で、内部には松山千春ギャラリーも併設されています。

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足寄駅復元駅舎

その隣に建つ、国鉄時代の足寄駅の復元駅舎。国鉄時代の実物とは向きが逆になっていますが、よくできています。令和元年9月に訪問した際には「福祉の店 ゆめ風ひろば」というNPO運営の飲食店が入居していましたが、昨年6月に閉店したそうです。

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松山千春事務所のガレージ

市街地の中にある松山千春事務所へ。ガレージに似顔絵が掲げられていることで有名なスポットで、昔は左の「ビフォー」の似顔絵が2枚並べてあったそうです。ストリートビューで見ると右の「アフター」にだけモザイクがかかっているんだとか。

 

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くしろバス 廃車体

本別まで南下し、国道274号で白糠へ向けて山を越えていきます。牧場や農家がポツポツとあるだけの人煙まれな地帯ですが、その道沿いでくしろバスの廃車体を発見したので公道上から撮影しました。

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北進駅待合室

さらに山を下り、道道143号との交差点に開けた集落へ。集落の中心に白糠町立北進小中学校跡があり、校舎は残っていませんが、北進駅の待合室が移設されています。

昭和47年9月に開業し、昭和58年10月に廃止になるまでわずか11年しか営業しなかった白糠線の終着駅で、駅自体は集落から離れた原野の中に設置されていました。片面ホームと待合室だけの簡素な終着駅で、昭和56年度の1日乗降客数はわずか4人。今回は駅跡には行きませんでしたが、いずれ白糠から順に遺構を辿ってみたいものです。

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道道白糠本別線跨道橋

続いて道道白糠本別線跨道橋へ。昭和43年に完成した跨道橋で、老朽化により崩落の危険性があることから撤去されるとの報道がありました。これぞ鉄建公団線といった感じの立派な橋です。

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道道白糠本別線跨道橋

接続する築堤から上がれそうだったので登ってみました。(真似をして大怪我をしたとしても責任は負えないのであしからず)列車が通らなくなってから40年近くが経つにも関わらず跨道橋の上は自動車が走れそうなくらい綺麗です。一方、築堤上は少しずつ木々に侵食されて来ており、さすがに列車が通らなくなってからの歳月を感じさせます。航空写真で見るとくっきり残っている白糠線ですが、そう遠くないうちに自然に還ってしまいそうです。

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上茶路駅付近の線路

上茶路駅跡付近ではこんな光景を目にしました。高波で流された日高本線を彷彿とさせるような線路の傾き具合ですが、こんなところにも自然のすさまじさを感じます。

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第10茶路川橋梁

上茶路を過ぎたところにある第10茶路川橋梁。長いコンクリート橋で道路と茶路川を一気に跨いでいます。昭和37年完成、昭和39年から58年までの18年間しか使われませんでした。こちらも撤去予定ですが、道路を跨ぐ部分だけなのか全体なのか気になります。

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味噌カツラーメン

白糠市街地から国道38号を西へ進み、旧古瀬駅近くの38番ラーメンへ。並と小ライスでこの大きさというガッツリしたラーメン。味噌スープが沁みた熱々のカツが美味しかったです。

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斉藤牧場事務所

浦幌町に入り、斉藤牧場事務所へ。明治36年ごろに建設された、国内に2つしか現存しない明治時代の牧場事務所の一つ。廃業して久しいため荒廃が進んでおり、今後が心配されます。

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浦幌駅

上厚内の峠を越えて浦幌駅へ。北の大地の入場券を購入して先へ進みます。豊頃町ではセイコーマートで北の大地の入場券を購入。

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広尾郡大樹町役場

気が遠くなるような十勝の道を走って大樹町へ。昭和48年10月竣工の大樹町役場は都会の市役所にも負けないような近代的なデザインですが、経年でくたびれてきています。裏手には新庁舎が建設中。敷地内には隣の広尾町出身の大物政治家・中川一郎の揮毫による「大樹町役場」の碑があります。

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大樹駅

役場とは歴舟川を挟んで離れたところにある広尾線 大樹駅には駅舎とホームが残っています。昭和51年改築の駅舎は浦幌駅を少し小さくしたようなスタイル。昭和61年に廃止されたので、駅として使われたのはわずか10年間でした。現在は企業のオフィスとして使われているようです。

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忠類駅

帯広に向けて北上していきます。平成18年に中川郡幕別町編入された旧広尾郡忠類村の玄関口だった忠類駅には昭和5年開業時に建てられた木造駅舎が残っています。内部はほとんど現役当時のままで国鉄時代のポスターが貼られていました。

構内には貨車が保存されていますが、ホームは老朽化で傾いていて、端の方は立ち入れないように柵で囲まれています。

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河西郡中札内村役場

中札内村役場は昭和43年10月竣工。令和元年9月にも撮影していますが、その時は日没間際で暗い写真になっていました。訪問後の5月6日より新庁舎での業務を開始し、役目を終えました。

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幸福駅

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愛国駅

令和元年9月にも訪れた幸福駅・愛国駅を再訪。前回と同じ平日の夕方ですが、このご時世なので前回は多少いた観光客の姿も見られませんでした。

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帯広市川西合同庁舎

最後に帯広市川西合同庁舎へ。おそらく昭和末期の建物でしょうが、炭文字で書かれた「帯広市川西合同庁舎」の文字がいい感じです。

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半ばら豚丼

この日は帯広駅近くのビジネスホテルに宿泊。「豚丼のはなとかち」で帯広名物豚丼を食しました。豚丼の上に載っているそら豆は中札内産だそうで、その日に通ってきた土地の食材をこういう形で知れるのもまた旅の醍醐味だと思います。

4/20 初春の北見・オホーツクをドライブ

春の北海道ドライブ2日目は、北見地方を走りました。

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奥白滝信号場

旭川を出発し、旭川紋別自動車道で石北峠を越えてまずは石北本線 奥白滝信号場へ。平成13年7月に信号場化されたかつての奥白滝駅で、昭和7年10月開業時に建てられた木造駅舎が詰所として残存しています。

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奥白滝信号場

旅客営業廃止から早20年、壁は一部を除きボードで覆われて現役時代の見る影もありませんが、改札ラッチはそのまま残っています。信号場周辺は無人地帯で、通る車も少ない道沿いに開拓記念碑がポツンと残るのみですが、かつては多くの人が暮らしていたそうです。

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下白滝信号場

白滝の中心市街を通り過ぎて下白滝へ。平成28年3月に信号場化されたかつての下白滝駅で、廃止からまだ5年しか経っていないので奥白滝と比べると駅自体の面影が残っています。かつては駅入口に立派な庇があったものの、廃止時点で既に失われていました。現役末期の写真と見比べると出入口と窓が塞がれ、駅名が剥がされています。

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下白滝信号場

ホーム側を見てみると、奥白滝では失われていた庇がこちらでは比較的良い状態で残っています。窓が塞がれているのを除けばまるで現役の駅のようです。ここも改札ラッチが残っていますが、鉄パイプを組み合わせたものなので奥白滝のものと比べると後の時代につくられたものでしょう。駅前は一軒の牧場と一軒の廃屋があるのみで、牛の入った銀色の箱がずらりと並んでいます。牧場の番犬は最初は私たちの方を警戒していましたが、牛の方に近付かないと知って警戒を解いたようでどこかへ行ってしまいました。

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敢望岩から望む遠軽市街

遠軽町の中心部に入り、敢望岩展望台へ。遠軽市街を一望することができますが、柵が無いので高所恐怖症の私としてはあまり端の方まで行く勇気が出ません。

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遠軽駅遠景

望遠で遠軽駅を撮ってみました。2面3線のホームに多くの側線を備えた風格ある駅ですが、列車の姿も無く寂しい感じです。駅裏には転車台が残っているのも確認できます。

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中湧別駅跡

続いて名寄本線 中湧別駅跡へ。名寄本線と湧別支線、湧網線が分岐していた交通の要衝で、名寄本線の廃止に伴って平成元年5月に廃止されましたが、ホームと跨線橋、車掌車などが保存されています。現役当時は立派な駅舎もあったそうですが、こちらは解体されて残っていません。跨線橋内には貴重な資料などが展示されているそうですが、この日は開いていませんでした。

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旧熊沢商店

中湧別までの道中、上湧別で気になる建物を目にしていたので中湧別駅の次に立ち寄りました。大正から戦後すぐにかけて建てられた旧熊沢商店の建物だそうで、ネットで調べてもあまり情報が出てきませんが、風格がある建物でした。

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生野駅

石北本線 生野駅へ。今年3月に廃止された駅で、北海道らしい牧草地の中にポツンとあるホームだけの駅でした。かつては待合室代わりの廃バスが置かれていましたが撤去されています。平成30年の夏に安国から雨の中を歩いて訪問し、貴重な昼の列車に乗ったのも今となってはいい思い出です。当時の旅行記はこちら

sakasegawa3019.hatenablog.com

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常紋信号場

常紋峠を越えてから未舗装の林道に入り、悪路を延々と走って常紋信号場へ。大正3年10月に開業したスイッチバック式の信号場で、平成29年3月に廃止されましたが、設備はそのまま残されています。タコ部屋労働者を酷使して建設された常紋トンネルは、人柱が出たことや幽霊が出るとの噂から心霊スポットとして有名で、線路内侵入や器物損壊が発生していることから、監視カメラ作動中の貼り紙があります。ところがそれよりも目立つのは「熊出没中」の看板。周囲は人の気配の一切ない深い山の中で、幽霊よりも熊に怯えながら撮影していました。時代が時代だけに開業時は有人の信号場でしたが、心霊現象の目撃が絶えなかったことから職員たちはこの地での勤務を嫌がったのこと。幽霊が出なくともこの山深い土地での勤務は心細いものでしょう。

昭和58年のCTC化で無人化され、平成13年7月を最後に使用停止。列車が入らなくなってから20年近くが経過しているため、線路上にも木が生えて自然に還りつつありました。

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金華信号場

続いて金華信号場へ。下白滝と同じく平成28年3月に信号場化された金華駅で、大正3年10月開業時は「奔無加(ぽんむか)」という駅名でした。駅舎は昭和9年7月に改築されたもので、入口と窓が塞がれ、駅名が剥がされた以外は現役末期と変わりません。駅前には小集落があり、今も何軒かには人が住んでいるようですが、廃屋が目立ちます。

現役末期には当駅折り返しの列車が数本あり、信号場化後は隣の西留辺蘂止まりに変更されましたが、西留辺蘂には折り返し設備がないため、当駅まで回送されてきて折り返しています。

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留辺蘂町SL公園 D51 311

金華を後にし、北見方面へ向かう途中、道路沿いにSLが見えたので立ち寄りました。昭和14年10月10日に日立笠戸工場で製造されたD51 311で、晩年は遠軽機関区に配置されて石北本線で活躍していました。昭和50年9月30日に廃車。もうこの地に鎮座してからの方が長くなっていますが、傷んできているため今後が気にかかります。

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北海道ちほく高原鉄道 CR70-6

北見市街に入り、車体だけが保存されている北海道ちほく高原鉄道CR70-6を撮影。かつてはレストランとして使われていましたが、現在は使われていない様子。でも、状態は悪くないので何とか活用して残してもらいたいところです。

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北見たまねぎカレー

北見市を中心に展開するカレー専門店「カレーのちから」の東店で昼食。北見たまねぎカレーには玉ねぎの甘みの効いたルーにオニオンチップスが乗っており、北見名産の玉ねぎを存分に味わうことができます。

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緋牛内駅

腹ごしらえを済ませた後は緋牛内駅へ。上白滝駅金華駅などを訪問した平成27年12月の石北本線駅めぐりで訪問していますが、その時は夜で周辺の様子が分からなかったので再訪しました。北見と美幌を隔てる峠の麓の集落にある駅で、廃駅や信号場と違って駅前にしっかり人の営みが感じられてホッとします。駅前には「端野村農業倉庫」と右書きで掲げられた古そうな石造りの倉庫が二棟あります。

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美幌ユースホステル

美幌市街の外れにある美幌ユースホステルへ。昭和40年10月に北海道で3番目のユースホステルとして開館しましたが、老朽化や利用客減少を理由に平成25年3月末で閉館しました。北海道を中心に活躍し、網走市立郷土博物館などを手掛けた建築家・田上義也の作品で、天を衝くような鋭い屋根が特徴です。閉館から8年が経過するものの荒れた様子はなく、なんとか残ってほしいものだと思います。

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斜里郡小清水町役場

国道334号で大地を横断し、小清水町役場へ。昭和37年に建てられた古い役場で、デザインは少々古さを感じさせますが、綺麗に使われているためくたびれた印象はありません。老朽化のため建て替えが決定しています。

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南斜里駅

畑作地帯をさらに走って斜里町に入り、3月に廃止された南斜里駅へ。北海道らしい開けた風景の中にあったホームだけの簡素な駅で、かつては待合室がありました。訪問時はちょうど作業員数名が集まって打ち合わせをしていたので、ホームの撤去工事が始まるところだったのかもしれません。

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斜里郡斜里町役場

斜里市街に入り、斜里町役場を撮影。昭和43年に建てられた庁舎で、シンメトリーのデザインが美しいです。立派な構えは町役場というより市役所のようです。

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斜里町立図書館(旧斜里郡斜里町役場)

現在の庁舎が完成するまで使われていた庁舎は、図書館に転用されて昭和45年から平成26年9月まで使用されていました。昭和4年に建てられた赤い屋根のレトロな建物です。

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北浜駅に停車する列車

浜小清水駅で小休止してから北浜駅へ。オホーツク海を望む絶景で有名な駅で、昨年列車で訪問した際には駅舎内の喫茶店で昼食をいただきましたが、この日はお休みでした。ちょうど網走行き列車が来るところだったので展望デッキから撮影

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ビーフダブルステーキ

網走市内のレストランホワイトハウスで早めの夕食。昔ながらの町の洋食屋でちょっと贅沢なステーキでお腹いっぱいになりました。

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キハ40-304+マヤ35-1+キハ40-301

この日は網走駅裏手の民宿ランプに宿泊。網走駅構内にはキハ40-300番台に挟まれた軌道検測車マヤ35が停車していました

4/19 雪解けの石狩・上川をドライブ

4月下旬、廃駅などを求めて友人と共に北の大地をドライブしてきました。

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SKY703便

高田馬場5:14発山手線内回り400G(サハE234-16)、品川5:51発快速特急羽田空港行き514(5517-8)を乗り継いで羽田空港へ。羽田6:45発SKY703便に搭乗し、新千歳空港には10分ほど早く到着しましたが、天気は生憎の雨。

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大地のテラス クハ711

車を借りてまず向かったのは岩見沢栗沢町の大地のテラス。クハ711-103とクハ711-203が保存されていますが、レストランの方は営業時間外でした。屋根がない屋外保存なので維持管理が大変そうですが、障害物がなくすっきりとした見た目になるのは屋外保存の長所だと思います。

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道北バス 廃車体

続いて岩見沢市内の廃バス。塗装は道北バスの旧塗装で、車種は日野RVかRC。貴重な個体ですが、放置状態なので傷みが激しく、フロントガラスは失われています。

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岩見沢市役所

建て替え工事中の岩見沢市役所。昭和40年に建てられた2代目庁舎で、ちょうど前面に新庁舎が建てられているので、工事が始まる前に来ておくべきだったなと後悔。久米設計による新庁舎は11月供用開始予定です。

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晩生内駅

直線の国道12号茶志内まで走って石狩川を渡り、昨年5月に廃止された、札沼線 晩生内駅へ。札沼線各駅の廃止後の姿も見てみたいところですが、今回は他に見たいものがあるので、気になる二駅だけ訪問。晩生内の駅舎は、昭和10年開業時に建てられたと思われるもので、旧事務室部分が減築されています。

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駅裏から見た晩生内駅

廃止からまだ一年しか経っていませんが、早くも屋根が歪んだり柱が折れたりしており、この地方の豪雪ぶりが窺えます。倒壊の危険性があることなどから5月末より解体されるとのことです。

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空知郡上砂川町役場

再び石狩川を渡って東岸に戻り、上砂川へ。上砂川町役場本館は昭和31年に建てられた古いもので、5月6日より新庁舎に移転して役目を終えました。元々は向かって左側に西館(昭和54年増築)が繋がっていましたが、新庁舎建設に伴い解体されています。

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上砂川駅

平成6年5月に廃止された函館本線上砂川支線の終点、上砂川駅は移設の上で保存されています。終着駅らしく立派な駅舎は昭和25年一部改修。ドラマ『昨日、悲別で』に悲別駅として登場して有名になったことから、「悲別」の駅名が本来の駅名よりも大きく掲げられています。内部は資料館になっていますが、この日は開いていませんでした。

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鶉駅

上砂川支線の中間駅、鶉駅にも駅舎が残っています。昭和28年に開業した駅で、駅舎は開業時に建てられたもの。現役末期には喫茶店が入居しており、廃止後も飲食店として使われていましたが現在廃業しています。車寄せ部分がブルーシートで覆われているのが惜しい所。

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新十津川駅

再び石狩川を渡り、昨年5月に廃止された札沼線の終点、新十津川駅へ。昭和6年10月に「中徳富」として開業し、28年11月に「新十津川」に改称。昭和47年6月の部分廃止以降、半世紀近くに渡って終着駅としての務めを果たしました。現役末期は地元が観光資源として売り出していたこともあり、てっきり保存されるものだと思っていましたが、新十津川町の方針としては年内に解体して跡地を鉄道公園として整備するとのこと。

現役当時に訪れた時は逆光だったので駅舎正面からの写真を撮っておらず、このままでは撮らずじまいになってしまうと再訪することに決めました。雪の重みで劣化が進んだ晩生内駅と違い、駅名表示や掲示物が無くなった以外はほとんど現役当時のまま。待合室は施錠されておらず、入ることができました。内壁の一部がめくれかけているなど、さすがに老朽化は否めません。

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新十津川駅 車止め

鉄道公園として整備される際、終点の車止めも移設されるようなのでこの機会に辿ってみました。部分廃止によって断ち切られた線路、その無念を表すかのように新十津川駅構内から少し伸びたところで終わっています。まあ実際のところホームから結構先まで伸びて終わっている理由は単に車両の留置のためか、貨物取扱の名残なのでしょうが。

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戸外炉峠の猫バス

新十津川を後にし、深川市の戸外炉(ととろ)峠へ。石狩平野を見下ろす景色の良いところで、その名前にちなんで猫バスが置かれています。元々物置か何かとして置かれていた廃バスを塗り替えたものだそうで、どこの事業者で使われていたものかは不明ですが、車種は日野RC。

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神居古潭

続いて函館本線旧線の神居古潭駅に行こうとしましたが、駅跡へと続く橋が通行止めで到達できず。もしかして4月末まで冬季閉鎖が続いているのでしょうか。

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伊納駅

気を取り直して3月ダイヤ改正で廃止された伊納駅。写真を撮ろうとしたら解けかけの雪で滑って泥だらけになりました。駅名標などが無くなり、ホームに立ち入れなくなったこと以外、特に現役時代と変わった様子はありませんが、おそらく近いうちに撤去工事が始まることでしょう。

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近文駅裏の廃バス

旭川市街に入り、近文駅へ。駅裏の廃バスを撮影。「Dohoku」の文字が読み取れるのでこれも元道北バス日産ディーゼルUDで、ちゃんと管理されているのか状態は悪くありません。

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北比布駅

上川盆地の田園地帯を抜けて宗谷本線 北比布駅へ。ここも3月ダイヤ改正で廃止されました。改築から6年ちょっとしか経っていない待合室に掲げられていた駅名も消されています。まだまだ使えそうで、勿体ない限りですが果たして転用されることはあるのでしょうか。

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南比布駅

続いて南比布駅へ。北比布とは双子のような駅で、同時に開業し、同時に廃止となりました。こちらも6年しか使われなかった待合室の今後が気にかかります。

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将軍山駅

石狩川を渡って当麻町に入り、石北本線 将軍山駅へ。ここも3月ダイヤ改正で廃止になった駅で、列車で二度訪問したことがありますがいずれも冬の時期だったので、雪がない姿を見るのはこれが初めて。待合室内に置かれていた車の座席も撤去されていました。

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北日ノ出

再び旭川市内に入り、北日ノ出駅。ここも3月ダイヤ改正で廃止。管轄する自治体の違いによるものなのか、将軍山と違って待合室には木の棒が打ちつけられ、駅名はテープで消されていました。駅名撤去とホーム入口に柵が立てられた以外は現役当時のままだった他の駅と比べると、いかにも「廃駅」という感じがします。

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蜂屋 しょうゆラーメン

伊納駅で汚れた衣服を洗いたかったのでホテルには早めにチェックイン。ラードたっぷりの旭川ラーメンで夕食としました。

3/25 岡山地区窓口閉鎖予定駅めぐり

九州からの帰りは岡山まで18きっぷを使って窓口閉鎖予定駅を巡り、岡山から夜行バスに乗ることにしました。

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山陽本線5520M

小倉を5:44発普通下関行き5520M(モハ415-1510)で出発。関門トンネル越えの区間415系鋼製車のイメージがあるのでステンレス車に当たると新鮮です。

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山陽本線3314M

下関で6:00発普通岩国行き3314M(クハ115-3017)に乗り換え。3時間以上の長い乗車で山口県を一気に通り過ぎます。

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白市駅

岩国で接続する列車は9:20発普通白市行き1524M(モハ226-29)。

どうせなら三原か糸崎まで行ってほしいものですが、どうにも接続がよくありません。糸崎行きは2本後なので普段の自分なら2駅余計に回ろうと考えるものですが、この時は前日に彦山駅で写真を大量に撮ったためにスマホの容量がほとんど残っていない状況。使わないアプリをいくつか削除してしのいでる状況でした。カメラは故障中ですし、駅めぐりしたところであまり撮れないのも分かり切っているのでどうしようかと思ううちに白市に到着。結局本を読んで糸崎行きを待つことになりました。

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山陽本線

白市11:35発普通糸崎行き316M(モハ226-49)、糸崎12:19発普通福山行き4408M(クモハ227-77)、福山12:49発普通瀬戸行き5744M(クモハ115-1083)と乗り継いで広島県も通り過ぎ、岡山県に入りました。

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中庄駅

中庄で下車。岡山と倉敷の間にある3駅の中では最も利用者の多い駅ですが6月10日限りでみどりの窓口の営業を終了してみどりの券売機プラスに切り替えられる予定です。

完全無人化される予定ではありませんが、駅スタンプ廃止に躍起な岡山支社のことですから今のうちに押しておくに越したことはないと思い訪問しました。

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山陽本線1836M

中庄13:41発普通播州赤穂行き1836M(クモハ115-1513)で岡山へ。ここでしばし乗り換え待ち。続いては吉備線に乗車します。

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備中高松駅

岡山14:22発普通総社行き751D(キハ47-3001+キハ47-18)で備中高松へ。羽柴秀吉の水攻めで有名な、清水宗治の居城・備中高松城の最寄り駅です。

吉備線の中間駅では唯一の有人駅で、みどりの窓口も設置されていますが、5月31日限りでみどりの窓口の営業を終了する予定です。

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吉備線754D

15:12発普通岡山行き754D(キハ40-2082+キハ40-3004)で岡山へと戻り津山線に乗り換えます。備中高松で交換する予定だった対向列車は岡山~備前三門間の踏切故障のため10分遅れ。交換駅を吉備津に変更することになり、吉備津を15:18発。

終点岡山での乗り換え時間が1分しかないので心配でしたが、幸いにも754Dは定刻通り岡山に到着しました。

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金川駅

岡山15:36発普通津山行き954D(キハ40-2029+キハ40-2133)で金川へ。平成17年に岡山市編入された旧御津郡御津町の玄関口で、小さな駅舎ながら窓口が設置されています。到着時は窓口休止時間帯だったので開くのを待ってスタンプを押し、入場券を購入。こちらも6月1日から無人化される予定です。

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法界院駅

金川16:40発快速ことぶき岡山行き3941D(キハ47-69+キハ47-21)で法界院へ。岡山大学津島キャンパスの最寄り駅で、津山線の中間駅では唯一みどりの窓口が設置されていますが、6月1日より無人化される予定です。

駅舎は明治41年6月開業時以来の古いものですが、減築されています。

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妹尾駅

法界院18:01発普通岡山行き959D(キハ47-1094+キハ47-64)と岡山18:15発普通宇野行き669M(クハ111-566)を乗り継いで妹尾へ。昭和46年に岡山市編入された旧児島郡興除村の駅ですが、駅名は隣接する旧都窪郡妹尾町に由来します。

駅舎は平成3年に橋上化。みどりの窓口は5月24日で営業を終了し、みどりの券売機プラスに切り替えられる予定です。中庄の場合は切り替え後も完全無人化とはなりませんが、こちらは6月1日より無人化される予定です。

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宇野線668M

妹尾18:49発普通岡山行き668M(クモハ115-1502)で岡山へ戻ります。

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かばくろ ねぎタルタル豚かば丼

夕食はイオンモール岡山のかばくろで。イオンの中とはいえ駅チカでご当地グルメを楽しめるのは良いものです。

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新宿行き下電バスルミナス号

岡山駅西口20:30発下電バスルミナス号で帰途に就きます。ルミナス号はしばらく運休していましたが、この日より運行を再開。昨年12月に津山まで乗った時には気の毒なくらい空いていましたが、今回はほぼ満席でした。

3/24 日田彦山線BRT化区間をドライブ+α

彦山駅が解体されると聞いたので、この機会にと日田彦山線のBRT化区間をドライブしてきました。なお鉄道として復旧する見込みのなくなった添田~夜明間の駅については根室本線の幾寅・落合や日高本線大船渡線気仙沼線BRTと同様に訪問対象から外してあります。

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添田駅

小倉で車を借りて一時間走り、まずは添田へ。田川郡添田町の玄関口で、かつては添田線も乗り入れていました。当駅から先は平成29年7月九州北部豪雨による被害を受けて長期運休中で、バス代行輸送が行われています。

訪問時はちょうど列車が到着したところで、代行バスに乗り継ぐらしい鉄道ファンの姿も何人か見られました。

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歓遊舎ひこさん駅

運休区間に入って一つ目の駅は歓遊舎ひこさん。平成20年3月に開業した、ホームだけの簡素な駅で、道の駅歓遊舎ひこさんの裏手にひっそりと存在しています。ホームには桜が咲き乱れていましたが、多く人で賑わう道の駅とは対照的に忘れ去られたような雰囲気です。

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豊前桝田駅

続いて豊前桝田へ。昭和17年8月、田川線が彦山まで開業した際に新設された駅で、明治22年の町村制施行で田川郡彦山村が成立するまで存在した、旧桝田村の村域にあります。民家の裏手に隠れるように存在する、ホームだけの小さな駅ですが、昭和50年代までは駅舎がありました。ホームは島式だったものを片面のみ使用しています。

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彦山駅

続いて彦山へ。彦山神社への参詣駅で、昭和17年8月に田川線の終点として開業しました。開業時に建てられた駅舎は彦山神社を模した、赤い屋根と白壁のコントラストが美しい、立派なものです。しかし、その立派見た目に反して無人駅であり、そのほとんどが活用されていない状況。BRT化に際し、駅前のスペースを確保するという名目で4月から解体されると発表されましたが、駅前がそれほど狭いわけではないので、実際のところ老朽化で維持費がかかることが一番の理由なのではないかと思われます。

ちなみに駅の開業する6カ月前の昭和17年2月に、田川郡彦山村は添田町編入されて消滅しています。

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彦山駅 ホーム

構内は2面3線。BRT化工事に伴い、線路はほとんど剥がされてしまっています。島式ホーム上では柱が倒されて無残な姿を見せていました。

駅舎の解体についてはテレビや新聞でも報じられたこともあってか、多くの見物客の姿を目にしました。多くの人が駅に興味を持つのは良いことだと思いますが、人が多いと写真が撮りづらく、駅舎の正面が駐車場になっているので前を塞がれてしまうのが難点です。この時間帯、駅舎正面はちょうど逆光だったので、帰りにまた寄ることにして先へ進みます。

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第四彦山川橋梁

彦山駅を出た線路はほどなく、第四彦山川橋梁を渡ります。日田彦山線のうち一番最後に開業した、彦山~大行司間にはコンクリートのアーチ橋が4つ架けられていますが、もうこの橋を列車が渡ることはありません。第四彦山川橋梁を渡った列車は切通へと突入しますが、この切通終戦直後の昭和20年11月12日に発生した二又トンネル爆発事故で吹っ飛んだ山の名残です。当時、この区間の鉄道は未開通でしたが、橋梁やトンネル等は既に完成しており、旧日本軍が空襲を避けるためにトンネルを火薬庫として使っていました。終戦後、連合軍がこれらの火薬を焼却処分させた際に起こったのがトンネル爆発事故で、山全体が吹き飛んで住民ら147人が死亡する大惨事となりました。彦山駅についても爆発の被害を受け、列車を待っていた乗客が死亡していますが、駅員が咄嗟の判断で到着しようとしている列車を手前で止めたため列車は被害を免れました。

トンネル跡の筑前岩屋方には「爆発踏切」という踏切がありますが、車を停めれそうな場所が無かったので訪問は諦めました。

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筑前岩屋駅

小石原・大行司を経由して筑前岩屋へ。彦山から筑前岩屋へは県道52号を通るのが近道ですが、狭隘な山道なので無難に国道500号、211号を経由していきました。国道211号も度重なる災害からの復旧工事の真っ最中で、片側交互通行箇所がいくつかあり、結構渋滞していました。

筑前岩屋は、田川郡添田町豊前)と朝倉郡東峰村筑前)を隔てる険しい山を越えた先にある駅で、昭和31年3月、日田線の彦山~大行司間の開通時に開設されました。駅舎は平成9年3月改築の、ピロティ―が目立つデザイン。高床式倉庫のようにも、東南アジアの多雨地帯の伝統的家屋のように見えます。デザインのモチーフはなんなのでしょうか。

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筑前岩屋駅 構内

平成29年7月豪雨の際には、ホームに土砂が流入し、大きな被害を受けたほか、駅前に架かる橋が流失して駅へのアクセスが困難になりました。現在はBRT化工事の真っ最中で、構内は立ち入り禁止に。片側使用の島式ホームは跡形もなく姿を消していました。

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宝珠山橋梁と断ち切られた橋

来た道を少し戻って県道52号から宝珠山橋梁を撮影。5連アーチが美しい橋ですが、それよりも目を引かれたのは手前の道路橋。元々は対岸へ繋がっていたのでしょうが、途中で無残にも断ち切られてしまっています。周囲を見渡してみるとブルーシートで覆われた斜面も目につきます。災害から3年半が経ちますが、復興はまだ道半ば、生活に必要な道路などの復旧すら完全には終わっていない状況では、ほとんど使わない鉄道の復旧に多額の費用を投じるどころではないのでしょう。

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第二大行司橋梁

第二大行司橋梁は近くに寄って撮影。こちらは4連アーチの橋です。開業は昭和31年ですが、昭和13年には完成していました。建設時期が近い広尾線釜石線、今福線などのアーチとそっくりです。橋のスタイルにも色々ありますが、やはりコンクリートアーチ橋は美しいと感じます。筑前岩屋駅宝珠山橋梁との間には栗木野橋梁もありますが、こちらは駐車場所を見つけられずに通り過ぎました。

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大行司駅

大行司駅へ。昭和21年9月、宝珠山から伸びてきた彦山線の終着駅として開業した駅で、開業時に建てられた木造駅舎が長らく残ってきましたが、平成29年7月5日の豪雨による土石流で倒壊してしまいました。その後、令和元年12月22日に旧駅舎を模して再建されましたが、もうこの駅に列車が来ることはありません。

ホームは駅舎より高い位置にあり、斜面に植えられた桜はちょうど見頃を迎えていました。

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朝倉郡宝珠山村役場

大行司駅があるのは、平成17年の合併で朝倉郡東峰村となった旧宝珠山村の中心部。国道沿いには昭和12年に建てられた旧宝珠山村役場が残されています。

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宝珠山駅

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宝珠山駅 ホーム上の県境

村名を名乗っていた宝珠山駅の方は村の南の外れ、日田市との県境部分にあり、ホームの3分の1は大分県にあります。昭和12年、夜明から伸びてきた彦山線の終着駅として開業した駅で、おそらく宝珠山村にとって初めての鉄道駅だったので村名をとって駅名としたのでしょう。宝珠山村の中心に大行司駅が開業するまで、9年間は宝珠山村唯一の駅でした。

駅舎は一見古くからの木造駅舎のようですが、旧駅舎のデザインを踏襲して平成10年3月に改築されたもので、とても築22年とは思えないほど風格があります。駅前を駐車で塞がれていたのが残念でしたが、この駅舎は当分残るでしょうし、いずれ撮り直しに来るとしましょう。

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延田橋

国道と駅前を隔てる大肥川に架かる延田橋は架け替え工事中。隣には新しい橋が完成しており、3月25日まで工事中とあったので撮影の翌日か翌々日に役目を終えたのでしょうか。橋を渡ったところには雰囲気のある廃洋館が鎮座しており、こちらも気になりました。

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大鶴駅代行バス

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大鶴駅 ホーム

大分県日田市に入り、大鶴へ。昭和30年に日田市に編入された旧日田郡大鶴村の中心部にある駅で、駅前には製材所や農協などがあります。平成22年4月改築の駅舎は木造の和風デザイン。訪問時はちょうど代行バスが駅前にやってきていました。乗り込んだ乗客もおり、しっかりと利用されているようですが、ポンチョで運びきれてしまうとなると鉄道としては厳しいのかもしれません。駅構内のレールは撤去が進んでいました。

ちなみに「大鶴」は肥と河内の合成地名です。

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今山駅

日田彦山線の最後の駅は今山。田園地帯の中にあるホームだけの駅ですが、国鉄時代は駅舎がありました。駅周辺は桜と菜の花が咲き乱れ、まさに春爛漫。駅は国道から少し離れた細い道の先にあるので、代行バスは駅前まで入らず、国道上にバス停が設置されています。

終点の夜明駅については久大本線での訪問も可能ですし、車を停める場所も無さそうなので今回はスルーしました。

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浮羽町田籠の洋館

国道210号を西に進んで県境を越えて再び福岡県に入り、うきは市浮羽町の山間の田籠地区へ。ここに風情ある古い洋館が残されています。果たして何の建物だったのかは不明で、立地の都合で構図も限られますが、末永く残ってほしいものだと思います。

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二度目の彦山駅

浮羽、大石、杷木、松末、小石原と経て小倉の方へ戻りつつ再び彦山駅へ。午後が順光だろうという予想は当たっていましたが、まもなく始まる駅舎撤去工事に備えてなのか、工事用車両が駅前に何台も停まっていました。幸いにも時間はたっぷりとあるので、車がいなくなるまで他のところを撮りながら待ちます。そうして待つ間にも観光客が次々やってきて、駅舎を記念撮影しては去っていきました。

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彦山駅

幸いにも工事用車両は10分ほどでいなくなりましたが、観光客の車の方は一台がいなくなったと思ったらまたやってきての繰り返しで、ジャンボタクシー以外の車が正面からいない写真を撮れるまで一時間待ちました。駅前が駐車場になっている駅というのはやはり綺麗に撮るのが難しいものです。でも、一時間待ったおかげで心置きなく最初で最後の彦山駅を満喫することができました。午前中も合わせるとこの日撮った彦山駅の写真は310枚、道理でスマホの容量も無くなるわけです。カメラが故障中でスマホメインで撮ることになったのは残念ですが、最後に記録できて良かったと思います。

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歓遊舎ひこさん駅

歓遊舎ひこさん駅も午前中は逆光だったのでもう一度訪問して撮影。この駅のホームが今後どうなるかは発表されていませんが、もしかしたらこのような写真を撮れるのも今年が最後になるのかもしれません。

この後は川崎経由で山田に抜けましたが、目当ての嘉麻市役所山田庁舎が解体済みだったので車を降りることなく国道322号をひたすら走って小倉へと戻りました。

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煮卵入りラーメン

夕食は小倉駅アミュプラザ内の博多純情ラーメンShinShinの煮卵入りラーメン。やはり九州に来たなら豚骨ラーメンが食べたくなります。

この日は快活クラブ小倉鍛冶町店に宿泊。前日の駅南口店とは目と鼻の先なのにこちらは治安も良く店内も清潔で快適な一夜を過ごすことができました。

3/23 青春18きっぷで東海道・山陽をひたすら西へ(太平洋ベルト限界乗り鉄再び)

去る3月15日、日田彦山線彦山駅の駅舎がBRT化工事に伴って解体されるとの報道がありました。日田彦山線については前から気になってはいたものの、おりしも金欠ということもあり、就活が終わってから行こうかと考えていました。しかし、まだ見ぬ駅舎が解体されるとなると話は別です。しかも、彦山駅の駅舎は名駅舎として名高い駅舎で、これは見ないと間違いなく後悔しそう。というわけで、急遽北九州へ向かうことになりました。前述のように金欠で、ちょうど青春18きっぷが2日分残っているのでこれを行き帰りに充てることにします。

 高田馬場を始発で出れば、ちょうど最終列車で小倉に到達できます。以前やって「二度とやりたくない」と思った太平洋ベルト限界乗り鉄をもう一度やる羽目になるわけですが、お金が無いので仕方ありません。まあこんなのは若いうちしかできないわけですし、これも経験です。

sakasegawa3019.hatenablog.com

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東海道本線425M

高田馬場4:38発山手線内回り0360G(クハE234-19)、品川5:10発東海道線小田原行き725M(モハE230-3505)、小田原6:22発東海道線熱海行き723M(クハE230-6005)、熱海6:49発東海道本線普通浜松行き425M(クハ210-5031)と乗り継いでひたすら西へ向かいます。何度も乗っている区間の上、混雑で車窓が見にくいので特に面白いことはなく、吉原周辺では雪を被った富士山が綺麗に見えましたが、あいにくカメラが故障中なのでスマホで2枚撮って終わりでした。

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浜松で乗り換え

浜松で9:24発東海道本線豊橋行き925M(クハ312-2316)に乗り換え。ちょうど前回の限界乗り鉄の時に乗ったのと同じ車両でした。

豊橋10:02発東海道本線新快速大垣行き5317F(クハ312-307)は、前を走る普通列車が笠寺で急病人対応をしたため、金山に6分遅れて到着し、終点大垣には8分遅れで到着。

しかし大垣11:42発普通米原行き3213F(クハ312-411)への乗り換えには支障なく、米原12:20発新快速姫路行き米原3263M(モハ224-12)、姫路15:03発普通播州赤穂行き975M(クモハ224-1)と順調に乗り継いでいきます。長時間の乗車をちょうどいい読書の機会と捉えて講談社文芸文庫の「デカメロン」を図書館で借りてきていたので特に退屈することはありませんでした。乗り慣れて車窓をわざわざ見る必要のない路線の電車内だと読書が捗ります。

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相生で乗り換え

相生15:25発普通三原行き1323M(クハ115-1068)はいつもなら結構混む列車ですが、この日はすんなり座ることができました。だいぶ遠くに来た気がしますがここからが長いのです。

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糸崎駅

糸崎では18:29発普通徳山行き373M(クモハ226-43)までしばし時間があるので、気分転換を兼ねて駅舎の外へ。いつも変わらぬ立派な佇まいの駅舎ですが、窓口が閉鎖されてすっかりさびしくなってしまいました。駅舎だけはいつまでも残ってほしいものです。

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徳山で乗り換え

広島の手前から寝たり起きたりを繰り返しながら、徳山で21:59発普通下関行き3365M(クハ115-3018)に乗り換え。一般に静岡の長さが苦行として語られることが多いですが、日が暮れて外が見えないし、列車の本数が少ない分、広島・山口を横断する方がキツいように個人的には思われます。しかも、ダイヤ改正による減便で、日中は東北本線の仙台支社管内並みに乗り継ぎが悪くなってしまいました。じり貧の北海道を除けばJR各社の中でも仙台支社と広島支社はダイヤの酷さが際立っているような印象を受けます。

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下関で最後の乗り換え

下関からは23:51発普通小倉行き5233M(クハ411-210)でラストスパート。終電が繰り上げられても一日で小倉まで行ける状態が変わっていないのは喜ばしい限りです。

小倉に到着後、快活クラブ小倉駅南口店に宿泊しましたが、外から酔っぱらいの喧嘩の怒声が聞こえてきたり、夜中にガサガサ音を立てる連中がうるさかったりで熟睡できるような環境ではありませんでした。前回泊まった時もガサガサうるさい奴に遭遇しましたし、やはり歓楽街の中にあるネカフェは魔境だと感じます。

3/5 弥生の越美北線駅めぐり

越美北線駅めぐり、二日目はまだ暗い夜明け前の越前大野駅からスタート

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早朝の越前大野駅

2番ホームに停車しているのは4:58発普通福井行き720D。この列車が発車するとすぐに5:10発(冬季時間変更)普通九頭竜湖行き721D(キハ120-204+キハ120-201)が入線。

一つのホームをそんな慌ただしい使い方をしなくてもいいのにと思ってしまいますが、車庫からの配線の都合なのかもしれません

ちなみに721Dは3月13日ダイヤ改正で廃止となり、列車は送りこみの回送列車として九頭竜湖へと向かうことになりました。

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九頭竜湖駅

予定では越前下山で降りる予定でしたが、寝過ごしてしまい終点の九頭竜湖まで乗車。

平成17年に大野市編入された旧大野郡和泉村の中心地にある駅で、昭和47年に越美北線の終着駅として開業しました。鉄道開通前、国鉄バス時代は「越前朝日」という駅名でしたが観光客誘致のためにこの駅名になりました。越美北線はこの先、石徹白を経て越美南線(長良川鉄道)の北濃駅まで伸びる予定でしたが、果たされることはありませんでした。

駅舎は昭和62年改築のログハウス風で、道の駅九頭竜が隣接しています。初代駅舎は開業からわずか15年で改築されてしまい、短命でした。

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九頭竜湖で発車を待つ722D

平成17年にNHKで放送された「列島縦断 鉄道乗りつくしの旅」では春編のゴールと秋編のスタートがこの駅で、関口知宏さんが列車と代行バスを乗り継いで九頭竜湖までやってきていたシーンを見たのを今も覚えています。九頭竜湖駅の存在をこの番組で知ってから、実際に来るまで実に16年もかかりました。

もっとゆっくりと周辺も見たいところですが、5:51発(冬季時間変更)普通福井行き722D(キハ120-201+キハ120-204)で早々と折り返します。九頭竜湖駅は本当に本数が少なく、この列車を逃すと次は10:57まで5時間以上列車がありません。和泉村の学生が大野の学校までの通学に使うにはなんとも中途半端なダイヤだと思いますが、もしかしてこの区間は通学にはほとんど使われていないのでしょうか

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越前大宮駅

722Dで越前大宮へ。昭和35年に開業した駅で、昭和30年の足羽郡美山村成立まで存在した旧大野郡羽生村の中心部に位置します。

駅名からして近くに大きな神社でもあるのだろうと思いましたが、地図で見ても駅周辺には小さな神社しかありません。由来について検索してみると興味深いブログ記事が見つかったので貼っておきます。

朝倉義景の見た大宮村の風景(その4): 無題(越前大宮のことなど)

 「大宮」は消えても地名としては数百年も残り続けついには駅名として全国に知られるようになる、何ともロマンを感じさせる話だと思います。

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計石駅

越前大宮6:53発普通越前大野行き723D(キハ120-202+キハ120-205)で計石へ。昭和35年に開業した駅で、造りは越前大宮とほぼ同じですが、交通量の多い国道158号に面しています。福井駅から27㎞、越美北線だと一時間弱かかりますが、平成の大合併で足羽郡美山町福井市編入された結果、ここが福井市内最東端の駅となりました。当駅を出ると列車はすぐに分水嶺を越えて足羽川流域から九頭竜川流域へと入ります。九頭竜線という愛称が付いているのに計石までずっと並走するのは足羽川とその支流、正直実情に即していないのではないかと思ってしまいます。

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越前東郷駅

計石7:26発普通福井行き724D(キハ120-205+キハ120-202)で越前東郷へ。昭和30年7月まで存在した旧足羽郡東郷村の中心部にある駅で、のどかな景色の中を走る越美北線の駅には珍しく、駅前に町らしい町が形成されています。

東郷村は、昭和30年3月に足羽村が合併によって成立すると周りを囲まれた形になりましたが、その状態が続いたのもわずか4カ月で足羽村編入されて消滅。足羽村越美北線開業の4か月前、昭和35年8月に町制施行して足羽町となりますが、その役場は東郷に置かれていました。足羽町は昭和46年に福井市編入。駅が開業したのは東郷が足羽町の中心だった頃のこと、町の玄関口として大いに栄えた時期があったのでしょうね。

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越前東郷駅 ホーム

線内では数少ない駅舎のある駅で、当初は交換駅として駅員も配置されていました。かつての1番線は今も残され、ぱっと見交換可能駅のようでもありますが、途中でぶった切られて単なる留置線となっているので交換駅としての機能はありません。

交換設備の維持費という問題はあるのでしょうが、残しておけば増便の社会実験で利用促進という方法も取れるのに勿体ないなと思います。

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一乗谷

寄り道もしながら50分ほど歩いて一乗谷へ。一乗谷朝倉氏遺跡の最寄り駅で、駅から見えるところでは資料館ガイダンス棟の建設工事が進められています。しかし、駅があるのは一乗谷のほんの入口と言ってもいいような場所で、朝倉義景館跡までは徒歩で30分以上かかります。列車の本数も少ないですし、一乗谷を訪れる観光客の多くは車かバス利用でしょう。昭和30年の足羽町成立までは足羽郡一乗谷村という独立した自治体でしたが、かつての村の中心は遺跡よりもさらに谷を分け入ったところだと思われます。

平成16年豪雨から全線復旧までの約3年間、福井方面からの列車は当駅で折り返していましたが、代行バスへの乗り換えは越前東郷で行われていました。

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勝原駅

一乗谷9:26発普通九頭竜湖行き725D(キハ120-204+キハ120-201)で勝原へ。昭和35年12月の開業から昭和47年12月の九頭竜湖延伸までの12年間、越美北線の終着駅だった駅で、越前東郷のものを一回り小さくしたブロック造りの駅舎が残っています。越美北線は開業時からほとんどの駅が無人駅なので、途中駅のうち駅舎が建てられたのは越前東郷、美山、越前大野、勝原の4駅のみでした。そのうち美山と越前大野は改築または増築されたので、原型を留める駅舎は越前東郷と勝原の2駅のみです。

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勝原駅遠望

駅があるのは昭和29年の大野市成立まで存在した旧大野郡五箇村の村域で、小集落があるだけの深い山間です。昭和40年から3年間だけ貨物取扱があり、今も引込線が残っていますが、訪問時は雪に埋もれかけていました。

駅裏は勝原園地という無料キャンプ場になっており、事前予約なしで一年中利用できるようです。荷物がかさばりそうですが、越美北線に乗ってキャンプしに来るのもいいかもしれませんね。

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越前高田駅

勝原11:08発普通福井行き728D(キハ120-204)で越前高田へ。昭和39年5月、足羽・越前田野と同時に開業した駅で、山間の集落の中にひっそりと存在しています。天気は生憎の雨ですが、隣の市波まで歩いていかなければなりません。

ただ、雨の日の駅と言うのもそれはそれで雰囲気は良いので、カメラが濡れるのと傘で片手が塞がることを除けば個人的には好きです。

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市波駅

20分歩いて市波へ。昭和30年の美山町成立まで存在した旧足羽郡下宇坂村の中心部にある駅で、越前東郷ほどではないものの町らしい雰囲気が漂っています。明治22年の町村制施行で下宇坂村になる前は市波村でした。周辺駅と比べると周辺に建物が多くありますが、それでも一日の利用者は20人にも満たないようです。

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越前下山駅

市波13:15発普通九頭竜湖行き727D(キハ120-202)で越前下山へ。昭和47年12月、越美北線九頭竜湖まで開通した際に設置された駅で、荒島トンネルと下山トンネルに挟まれた築堤上にあるため眺めは良いです。険しい山々をトンネルで真っすぐ貫き、川を高架橋で渡るこの区間は鉄建公団により建設された区間で、同時期に公団によって建設された路線の駅とは造りが共通しています。

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越前下山駅

深い山間だけあってまだまだ雪が多く残っており、高い位置にあるホームから見える景色は白一色。雨のため山には靄がかかって幻想的でした。越美北線で一番の絶景駅だと思います。

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越前薬師駅

越前下山14:38発普通福井行き730D(キハ120-202)で越前薬師へ。昭和35年に開業した駅で、越美北線無人駅の標準スタイルですが、ホームが緩くカーブしています。

薬師の集落の外れにあり、国道158号や集落との間には羽生川が流れています。地名からしてかつては薬師如来を祀る寺院でもあったのでしょうか。

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大野駅

越前薬師15:33発普通越前大野行き729D(キハ120-201)で北大野へ。大野市街の北の外れにある駅で、高校が近くにあって学生の利用が多く見込まれるためか、ホーム上の待合室は周辺駅のものと比べて大きめです。開業は昭和43年3月、待合室の仕様の違いには開業時期も関係しているのでしょう。

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通行止めの橋

隣の牛ヶ原まで田園地帯の中を歩いて向かいます。ところが、最短ルート上での赤根川にかかる橋が通行止めになっていました。理由や時期は記されていませんでしたが、橋の見た目からして老朽化によるものでしょう。確かにこれは下手に踏み抜くと大怪我しかねません。周囲に人家も少なく、通行者もいないので改修されることなく放置されているのでしょうね。

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牛ヶ原駅

仕方ないので迂回して、30分で牛ヶ原へ。大野盆地の北西部、旧大野郡乾側村の田園地帯にある駅で、ホームが小高く、遮るものがないため越前下山ほどではありませんが見晴らしは良いです。晴れていれば越前大野城も見えるそうですが、この日は雨で見えませんでした。ホームは入口部分が改修されてバリアフリー化されていますが、これはおそらく踏切で交差する道路を拡幅した際にでも行われたものでしょう。

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牛ヶ原駅と飯降山

駅の背後に見えるひときわ高い山は福井市美山町との境に聳える飯降山。怖い昔話として有名な「飯降山」の舞台です。昔、三人の尼僧がこの山で修業をしていたところ、おにぎりが3つ空から降ってくるようになったので、一人の尼が独り占めしようと他の二人を谷に突き落としたところおにぎりが降ってこなくなったという話ですが、まんが日本昔ばなしでも放送され、多くの子どもたちのトラウマとなったそうです。

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越前花堂駅 越美北線ホーム

牛ヶ原17:15発普通福井行き732D(キハ120-201)で越前花堂へ。北陸本線越美北線の分岐駅ですが、昭和35年開業時は越美北線の単独駅で、北陸本線側にはホームが設けられていませんでした。その経緯から両線のホームは少し離れていますが、その開いた空間に現在は北陸新幹線の高架が建設中です。

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越前花堂駅

北陸本線のホームが設置されたのは昭和43年10月。いわゆるヨン・サン・トオのダイヤ改正に合わせての開業です。駅舎は北陸本線の下りホームに接して建設されているので、おそらくは北陸本線ホームと共に建設されたものでしょう。貨物駅である南福井駅にも隣接しています。

越美北線駅めぐりはこれにて終了。越前花堂18:21発普通敦賀行き354M(クモハ521-41)、敦賀19:19発普通京都行き1841M(クハ222-2018)、京都21:14発新快速網干行き3539M(サハ223-2028)、尼崎21:58発快速宝塚行き5537M(クモハ321-36)を乗り継いで宝塚へと帰りました。